メニューにもどる 
幻想のパティオ:目次に戻る  
画面中央のタグの「閉じる」をクリックしてください。

《お願い》 このページにあるリンク先をそのまま左クリックすると、いまの画面と同じ場所にリンク先のページが現れてくるため、両方を効率よく見比べることができなくなると思います。リンクの部分にカーソルを当て、手のマークが出たら右クリックから「リンクを新しいタブで開く」または「リンクを新しいウインドウで開く」を選択していただいたほうが便利でしょう。ご面倒ですがよろしくお願いします。



スペイン最後の「78年体制」政府か?


 今年のスペインの天候は異常としか言いようがない。例年ならば『スペインのクソ暑い6月(1):ますます支離滅裂になる国』や『スペインの暑い夏』で書いたように、5月の半ばごろから中央部や南部などでは40℃を超す猛烈な熱波とカラカラの空気に曝されるのだが、今年は6月前半まで、全国的に春先のような涼しさのうえに、まるで日本の梅雨を思わせるような雨が続き、局地的集中豪雨のために各地で農作物や道路などの被害が相次いだ。そんな奇妙な天気も6月半ばを過ぎてようやく「平常運転」近づいたようで、南部のアンダルシアや中央部でやっと最高気温30℃を超える日が出てきた。

 その奇妙な天候が続く間、局地的集中豪雨がスペイン各地にもたらした無数の突発的な洪水のように、この国の政治情勢・社会情勢は目の回るような忙しい変化に見舞われてきた。私も、ちょっと時間ができたので何か書こうかな、と思っていたら、1日で情勢がひっくり返ってしまい、結局様子見を続けながら何も書かずにここまできてしまった。ようやく事態が少し落ち着いてきたので、その変化の中で節目となった政権交代のことだけを書いておきたいが、他はもうしばらく「様子見」をしたい。5月から6月にかけてのスペインの激動が持っている意味を判断することはまだ困難だ。それがあまりにも奇妙な変化だからである。

2018年6月24日  バルセロナにて 童子丸開

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
 《ラホイ国民党に致命傷を負わせたギュルテル判決》
 《ゾンビvsフランケンシュタイン?
 《社会労働党“超軽量与党”の誕生》
 《どこへ行く?国民党》


【写真:6月2日、国王の前で、聖書と十字架無しで首相就任の宣誓を行うペドロ・サンチェス(エル・ムンド)】

《ラホイ国民党に致命傷を負わせたギュルテル判決》

 当サイト『スペイン権力中枢の雪崩現象』で書いたように、2018年4月までにスペイン政府与党国民党の権威は地に落ちていた。それをもはや救いようの無い状態に陥れたのは、5月24日に全国管区裁判所で下されたギュルテル事件の判決だった。ギュルテル事件については『芯から腐れ落ちつつある主権国家(1)』にある『ギュルテル・B金庫(裏帳簿)事件』を参照のこと。この判決では、主犯格のフランシスコ・コレアの懲役51年11カ月、パブロ・クレスポの懲役37年6カ月、ルイス・バルセナスの33年4カ月など、29人に合計で391年に及ぶ懲役刑が言い渡された。さらに、元厚生大臣アナ・マト他1名に不当利益の国家への納入命令(実質的な罰金刑)が出された。しかし最も重大な意味を持つのが、国民党の党組織自体に対する有罪判決だろう。腐敗した政治(贈収賄、職権乱用、公金横領など)の結果として、国民党が約25万5千ユーロの不正な利益を得ていたとされ国家への納入命令が出されたのである。

 25万5千ユーロとは随分と少ない金額だが、間違いないと証拠の固められたものがそれだけ、ということだろう。しかしそれでも、従来まで「政治腐敗とされている犯罪は、仮にあったとしても、あくまで各個人の犯したものである。国民党という党組織自体は清廉潔白だ」と頑強に主張してきたマリアノ・ラホイと国民党幹部を地獄に叩き落とすには十分だった。翌25日、野党第1党の社会労働党はラホイ政権に対する不信任動議の議会提出を決定した。スペインでは、首相に対する不信任動議が全議員の過半数の支持で可決される場合、自動的に、動議を提出した政党が次期与党、その政党の党首が新首相となる。

 ラホイはさっそくこの不信任動議を提出した社会労働党党首ペドロ・サンチェスに対して、スペインを弱体化させるものという非難の声を上げた。もちろんだが、この国を弱体化させた張本人はフランコ与党の現代化した姿に過ぎない国民党である。その後、毎日のように国民党幹部は、特にカタルーニャ独立派と「秘密協定」を結んでいるとして、サンチェス非難に狂奔した。カタルーニャに関しては別記事で紹介するが、そのときまでにはすでに、ドイツ在住中のカルラス・プッチダモン前知事の信任の厚いキム・トーラの新知事就任が決まっていた。

 社会労働党は下院350議席(過半数176議席)の中でわずかに84議席を確保するに過ぎない。国民党は132議席であり、国民党と歩調を合わせるシウダダノスは35議席。社会労働党がこの不信任動議を成功させるためには、これにすぐさま無条件の賛成を表明したポデモス系党派(71議席)を合わせても到底届かず、否が応でもカタルーニャとバスクの民族政党の賛成を得なければならない。ところがカタルーニャ州の民族派政党(17議席)は、憲法155条適用に賛成し同州から自治権を奪い去った社会労働党を深く恨んでいる(『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(4)』参照)。確かに、カタルーニャ民族派政党と何らかの好条件を提示する交渉が無い限り、たやすく賛成には回らないだろう。

 不信任動議の審議が始まる前日、5月30日にERC(カタルーニャ左翼共和党)は、社会労働党政権は望まないがとりあえず泥棒を追い出すことには意義があるとして、賛成票を入れる意思を示した。この「泥棒」はもちろん国民党のことである。サンチェスが「独立問題を対話で解決する」という約束を持ち出すことで、民族保守派のPDeCAT(欧州カタルーニャ民主党)もこれに同調することとなった。問題は、ラホイがバスク州に対する5億4千万ユーロもの交付金で手なずけようとしているPNV(バスク民族党)だ。しかしここもカタルーニャ独立派が賛成に回ったことで賛成に傾きかけていた。そのうえでサンチェスは、新政府がその交付金を保証する約束でPNVの取り込みに成功した。こうして社会労働党は、議会での審議の直前になって不信任動議への過半数を確実なものにした


《ゾンビvsフランケンシュタイン?》

 実は、国民党にはこの不信任動議を不発に終わらせるチャンスがあった。動議の採決までにラホイが首相を辞任すればよいのである。そうすれば不信認とする対象が無くなるため動議自体が無意味となる。少なくとも国民党政権の維持だけは可能だったはずだ。なぜ国民党はその道を選ばなかったのか? これは大きな謎だが、ラホイが辞任した場合、国民党内部での「後継者争い」が2ヶ月近くにわたって延々と続き、その間に完全な政治空白が生まれ、それによってただでさえ激減している国民党への支持率が致命的なまでに低下するのを恐れたのかもしれない。それよりも、いったん下野して後継者を定めて体制を立て直した方が、将来的な展望がたつかもしれない・・・。

 しかし、このラホイ政権を崩壊に追いやったギュルテル事件の判決は、スペイン全国で幅広い分野にまたがる政治経済の腐敗構造の、ほんの一部に関するものに過ぎない。今後数年のうちに、国民党本部裏帳簿(B金庫)事件、バレンシアでの複数の政治腐敗事件(以上は『その他』、『《開かれるか?バルセナスの「B金庫」》』参照)、さらにギュルテル事件に関連するレソ事件とプニカ事件(『レソ事件、プニカ事件』参照)、バンキア銀行設立・破産時に起きた詐欺事件(『《次第に明らかになる「バンキア破産」劇の内幕》』)などなど、次々と関連する裁判の公判が進みさらなる厳しい判決が下されていくはずである。おそらく国民党が立ち直る速さよりも、それらによって党への支持が失われる速さの方が大きいのではないか。

 不信任動議の下院での審議の第1日が終わりほぼ体制が決したときに、AP通信は次のような見出しの記事を載せた。「スペインの政争:ゾンビvsフランケンシュタイン」。この「ゾンビvsフランケンシュタイン」は、国民党を共同歩調を取り続けるシウダダノス党首のアルベール・リベラの表現を借りたものだ。「ゾンビ」は骨の髄まで腐り果てた国民党、「フランケンシュタイン」は社会主義者と民族派・独立派という本来相容れる余地の無い諸政党の寄せ集め勢力を指している。言い得て妙な表現だが、彼は「そのどちらも支持できない」として、採決の直前まで必死にラホイに辞任を勧めていたのである。

 新たな右派の潮流として登場したシウダダノスは、国民党の自滅ともいえる退潮の中でこの数カ月の間に全国的に大きく支持率を伸ばしてきた。しかし、もしこの不信任案が可決されたらシウダダノスは大打撃を受けるだろう。議会内で国民党と共同歩調を取り、カタルーニャ問題などではより強硬な措置を主張していただけに、この不信任動議自体を無意味にする戦術を模索せざるを得なかったのである。ラホイの辞任が無い場合には不信認動議に反対する以外に道が無くなるのだが、そうなると「何だよ、結局はラホイの尻馬に乗っていただけじゃないか」、「要は国民党と変わらないんだな」という悪評と支持率の激減が待っているだろう。

 リベラは不信任動議採決のギリギリまでラホイに辞任を迫ったが、その努力も空しかった。国民党政権は「名誉ある敗北」を選び、首相の辞任を頑として受け付けなかったのだ。


《社会労働党“超軽量与党”の誕生》

 6月1日、社会労働党提出のラホイ政権に対する不信任動議の採決が行われた。結果は次の通り。
★賛成が180
(社会労働党:84、ポデモス系党派:67、ERC①:9、PDeCAT②:8、PNV:③5、コンプロミス
④:4、EHビルドゥ:2、ヌエバカナリア:1)、
★反対が169
(国民党:134、シウダダノス:32、UPN
⑦”2、フォロアストゥリアス:1)、
★棄権1(コアリシオンカナリア

※上記①はカタルーニャ左翼共和党、②は欧州カタルーニャ民主党、③はバスク民族党、④はバレンシアの左翼政党、⑤はバスクの独立派政党、⑥はカナリア諸島の民族政党、⑦はナバラ州の保守政党、⑧はアストゥリアス州の保守政党、⑨はカナリア諸島の民族保守政党。

 こうして社会労働党の350議席中84議席という“超軽量与党”のサンチェス政権が誕生した。社会労働党政権が議会の決議や承認の必要な政治方針を打ち出すためには、この不信任動議の採決で賛成票を与えた政党のどこもが賛同するようなものでなければならないのだが、それは極めて限られた範囲のものだ。特に17議席を持つカタルーニャ独立派政党の動きはバスクの民族政党に与える影響も大きく、新政権の在り方を決定づけるだろう。国民党が、社会労働党はカタルーニャ独立派と秘密協定を結んでいると疑うのも無理もない。よほどERCやPDeCATの気に触らない(あるいは気にいる)政策を打ち出さない限り、逆に、サンチェス政権は国民党やシウダダノスの言いなりにならざるをえまい。

 しかし、議会を通す必要の無い政策ならば自分たちの独自の方針を打ち出すことができる。そしてそれはさっそく現れた。新首相に就任したペドロ・サンチェスは翌6月2日、王宮を訪れて国王を前に就任の誓いを行ったのだが、そこでスペイン中が驚く出来事があった。フランコの時代も1978年の新体制以後も、歴代の首相は、社会労働党であろうが国民党であろうが、必ず十字架を前にして聖書に手を置き誓いの言葉を述べてきた。しかしサンチェスはそれらをすべて破棄し、代わりに憲法の冊子に手を置いて就任の宣誓を述べた。何気ないことに思えるだろうがこれは極めて重大な意味を持っている。

 1978年の現行憲法に基づく新体制によって終了したはずのフランコ独裁体制は、経済と政治のマフィア的な統合、カトリック教会とナショナリズムによる国民の精神的統合によって成り立っていた。その独裁体制の基本的なあり方は1978年以降も続いていたのだ。オプス・デイを中心にしたカトリック教会は隠然と国家の庇護を受けて伝統的なスペイン社会を縛り続け、ナショナリズムの支え手はフランコから王室にバトンタッチされただけだった。フアン・カルロス前国王は元々フランシスコ・フランコの後継者だったのである。

 だが、銀行と外国からの借金を主要な原資としてそのツケを国民に支払わせる伝統的な経済・政治の腐敗した在り方が、2000年来のバブル経済とその崩壊(2008年)によって次々と正体を露見させられた結果、国家体制自体がゾンビ化した。さらに、カタルーニャ独立運動の激化と「表現の自由」要求の盛り上がりに伴って、スペイン・ナショナリズムが急激に重大な危機に曝されつつある。カトリック信仰とその道徳は教会自体の不品行暴露に加えLGBT(性的少数者)とフェミニズムの運動の興隆によって突き崩されようとしている。2011年の15M(キンセ・デ・エメ)運動がこれらの変化を決定的にした。以上のことは私が当サイトで随所に記録し続けてきたものだ。

 今回、政治・経済の腐敗露見によって崩壊した国民党政権に代わって新たなスペイン国首相となったサンチェスが、国王の前で聖書と十字架への宣誓を行わなかったことは、冷戦期である1978年に生まれたスペインの移行期(La Transición Española)の終焉を暗示するように思える。またこの新内閣は18人の閣僚中11人が女性である。もちろんこの女性閣僚の比率は欧州で最も高いものだ。このサンチェス新政権への支持率は63.7%に上るという調査結果もある。またこの新政権になってから、ラホイ政権で「便秘状態」になっていたスペインで多くの流動的な状況が起きているが、単に国内情勢だけではなくこの国を取り巻く国際的な動きもまた非常に流動的になっているようだ。ただそれについては、後日、もうちょっと国内外の様子を見ながら別の記事でこのサンチェス政権誕生が持つ意味について考察したい。


《どこへ行く?国民党》

 先ほども述べたように、国民党政権が生き延びる方法が無いわけではなかった。社会労働党が提出した不信任動議の裁決までにラホイが辞任すればよいのである。そして実際に「ラホイ辞任」の情報が国民党議員の間に伝わったのだ。しかしこれは副首相のソラヤ・サエンス・デ・サンタマリア周辺から漏れてきたものだった。国民党ナンバー2で党総書記マリア・ドローレス・デ・コスペダルはこの情報を、ラホイに代わって首相になりたいサンタマリアが流したものとして、サンタマリアを激しく非難した。

 実は、4月のマドリード州知事ニセ修士号事件の直後から、ラホイに見切りをつけた党幹部の中で「後継者争い」が激しさを増しており、中でもサンタマリアとコスペダルの“女の争い”が熱を帯びていたのだ。そしてサンチェス政権成立の後、6月5日にマリアノ・ラホイは国民党党首を辞任してその座を後継者に譲る決意を表明し、続く16日には議員の地位をも放棄して「単なる民間人」に早変わりした。普通なら…、つまり党の基盤自体が緩んでおらず組織の基本的なあり方が堅固に保たれているのなら、人気の落ちた党首の首を挿げ替えれば済む話だ。もしそうであれば、女性党首を掲げてスペイン初の女性首相誕生を狙う戦術は有効だろう。しかし残念ながら、すでに国民党は文字通り“ゾンビ”になってしまっている。四肢も胴体も腐り果て崩れ落ちかけているこの保守政党を誰がどうすればよいというのだろうか。

 国民党の次期党首候補は、以前から現ガリシア州知事のアルベルト・ヌニェス・フェイホオが最も有力とされてきた。フランコ以来の「ガリシア閥」の後継者だからである。フェイホオに続いて先ほどのコスペダルとサンタマリアの激しい「二番手争い」が繰り広げられたのだが、6月19日になって突然フェイホオが党首選から降りることを明らかにした。「州民から信任を受けて務めている以上は知事を止めるわけにはいかない」というのが理由だが、実際には“ゾンビの統領”になって自滅することを恐れたのだろう。これで、コスペダルとサンタマリアの二人の女性、そして党のコミュニケーション副書記であるパブロ・カサド、また元外相のホセ・マヌエル・ガルシア=マルカジョが主な候補として名乗りを上げている。しかしカサドは『スペイン権力中枢の雪崩現象』でも触れたとおり「ニセ修士号事件」に絡む疑いを残している。またガルシア=マルカジョは有力な支持者があまりにも少ない。

 しかしコスペダルにしても、当サイト記事《国民党は崩壊に向かう?》 にあるように国民党の「裏帳簿」や「コンピューター破壊=証拠隠滅」に関与した可能性があり、言ってみれば“ゾンビ国民党”の「正統な後継者」と言える。主要な支持者も元内相のフアン・イグナシオ・ゾイドや元法相ラファエル・カタラーなど旧来のラホイ人脈である。一方のサンタマリアの主要な支持者は《ブリュッセル直属?新ラホイ政権》で紹介した元政府報道官(教育文化スポーツ相兼任)のイニゴ・メンデス・デ・ビゴや元雇用・社会事業・平等化相のファティマ・バニェスなど、旧来の国民党とは筋の異なる「EU人脈」だ。もしコスペダルが新党首になれば、おそらく国民党は“ゾンビ”として自己崩壊するだろう。またサンタマリアであれば、国民党は旧来のフランコ与党を継承したものとは全く中身の入れ替わった党になってしまう。

 ラホイが党首辞任を発表した同じ6月5日、元首相のホセ・マリア・アスナールが次のように語った。「中道右派の再建に喜んで力を尽くす」と。ラホイにとって国民党政府の先輩であるアスナールは、当サイト記事《国民党もまた実質解体・再編されつつある》および《バルベラーの死、アスナール離脱の動き: 中身をすり替えられた国民党》で書いたように、すでに国民党を見捨てている。というか、アスナール周辺の主要な政治家や企業家党員たちの大部分が数々の政治腐敗事件で犯罪者・容疑者とされており、もはや国民党の中に彼が拠り所とする場が消えてなくなっているのだ。

 いまのアスナールの言葉は、実は、シウダダノスに向けて語った呼びかけだったのだ。彼は今年の春から盛んにシウダダノス党首アルベール・リベラに秋波を送り続けている。4月30日に、次の統一地方選挙でフランスの元首相マヌエル・ヴァルスがシウダダノス(カタルーニャではシウタダンス)の一員としてバルセロナ市長候補となるという驚愕の発表があったが、このフランス元首相とシウダダノスを結びつけているのはアスナールのようである。ヴァルスはバルセロナ生まれでスペイン語にもカタルーニャ語にも精通する。政治圧力を使えば国籍の取得も簡単だろう。またこの前フランス社会党の首相は、5月24日にカタルーニャ社会党党首のミゲル・イセタやカタルーニャの主要な起業家とも親密な会談を行っている。こうしてアスナールは国民党を没落に追い込んでシウダダノスを表に立て、そこにスペインの右派と左派の幅広い人脈を巻き込んだ新しい政治潮流を作ろうとしているようだ。

 一方でフランス大統領エマヌエル・マクロンはサンチェスとの難民危機への対処を巡る非公式会談で、大いに気の合うところを内外に示してみせた。両名はドイツ首相アンゲラ・メルケルともこのテーマで話し合う予定であり、これはラホイのときにはほとんど考えられなかったことである。他にもあるのだが今回は以上のことだけを述べておく。このスペインの突然の「政変」には、単に国内の状況だけでなく、目に見えないところで国際的な動きが絡んでいるように思える。ただ現在のところ、非常に流動的な情勢なので、カタルーニャ問題を含めたもう少し突っ込んだ記事を作るのはもうしばらく後のことにしたい。いずれにしても、このサンチェス新政権は、1978年に生まれたフランコ以後の体制にとって最後の政府になるのではないかと思われる。

【『スペイン最後の「78年体制」政府か?』ここまで】

inserted by FC2 system