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自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(4)


 スペインとカタルーニャにこれから起こることは予想が難しい。いままで表に現れなかった欧州世界の様々な面が闇の中から登場してくるだろうからだ。私は早くからカタルーニャ問題は欧州、特にEU全体に深く関わっているだろうと推測していた。そしてそこにおそらくイスラエル、ロシア、米国などの様々な思惑と工作が織り込まれているのだろう。その意味で今後の展開には非常に興味が持たれる。ただし、現地に住んでいる身としては、どんなふうに変化していくのか、気が気ではないのだが。

2017年11月3日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
《バルセロナの55日》
《突然ブリュッセルに現れたプッチダモン》
《一気に国際化する?カタルーニャ問題》


【写真:11月2日、全国管区裁判所に入る(元)カタルーニャ州政府幹部たち。彼らはそのまま刑務所に送られ収監中である:ラ・バングァルディア紙より】

《バルセロナの55日》

 2017年10月27日、スペインでは二つの歴史的に重大な出来事が起こった。まず昼過ぎに、スペイン国家の公式報告書は、憲法155条をカタルーニャ州に適用するとの政府案を上院が承認したことを書きとめた。そして同日の午後、バルセロナに夕暮れが迫ろうとしているころ、カタルーニャ州議会は「独立し、主権を有し、民主的で社会的な国家であるカタルーニャ共和国」となることを明記した一方的独立宣言を採択したのである。中央政府首相マリアノ・ラホイはその夜、このカタルーニャの一方的独立宣言に対し、「主権国家が(カタルーニャを)法に沿った状態に戻すだろう」と語り、自治権の停止と国家による州機関の管理によって独立を無効にする決意を明らかにした。州政府の長と幹部は全員解雇させられ、カタルーニャ州政府は作り替えられ州警察の指揮官も置き換えられることになる。

 ところがラホイは政府の決定を語る演説の中で、今年12月21日に州議会選挙を実施して新たな自治州政府を発足させると発表した。12月21日は155条適用開始の10月28日から数えてわずか55日目で、その適用期間はそこまで、ということである。社会労働党やシウダダノスは適用期間を最小限にしてほしいという要求を出していたが、それらの党ですら新たな州議会選挙実施を2018年1月28日としていたのだ。中央政府は、たったの55日間で独立党派の勢力と独立派州民の抵抗運動を十分に弱め、その活動が再び主流にならないための処置が取れると考えているのだろうか? しかも12月21日は平日の木曜日で、投票所として使われる学校は22日まで授業があるのだ。なぜ1月にしなかったのか、どうにも腑に落ちない。

 「55日」と言えば、むかしチャールストン・ヘストンが主演した「北京の55日」という映画があったのを思い出す。これは、清朝末期に欧米列強と日本帝国が、義和団の乱に便乗して中国侵略を本格的に開始させたときのことを描いた映画だったと記憶している。そして今回の「バルセロナの55日」では「カタルーニャの乱」を「鎮圧」する過程で何が起こるのだろうか。現在のところ全く五里霧中の状態なのだが、私としては、今後も次々と起こっていく出来事を書きとめていくしかないだろう。

 翌28日から州警察は、解任された州政府幹部のための警備をしなくなった州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロも解任され、No.2だったフェラン・ロペスが任命された。また州警察の建物から今までの州政府幹部の写真が取り払われ、内務大臣のフアン・イグナシオ・ゾイドは州警察と国家警察、グアルディア・シビルの間での協力体制を再構築するように命じた。週が明けて31日には、州政府が独立運動のために作った3つの機関の解体が始まり、その中の一つ「自治政府研究所」の所長カルラス・ビベー・ピ‐スニェーが解任された。このピ‐スニェーは元憲法裁判所の副所長で独立運動の「頭脳」と見なされている人物である。また同じ日に州知事室と州政府広報用のウエッブサイトが閉鎖された。副首相のソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアがこのような州政府機関の接収と改造の責任者に任命されており、中央政府支所の長アンリック・ミジョがその補佐をしている。ただ、公営メディアのTV3とカタルーニャ・ラジオを接収しなかったのは、おそらく国際的な悪影響を懸念してとはいえ、作戦的には失策だったのではないか。

 また検察庁と裁判所も政府の方針に沿って動いており、「三権分立」などといったお題目は意味を失っている。検事総長ホセ・マヌエル・マサは、カルラス・プッチダモンら解任された州政府幹部全員をマドリードにある全国管区裁判所に、また独立宣言を採択した州議会の議長団を最高裁判所に対して、反乱罪などの容疑で告訴したが、なぜかそのときには逮捕命令を出すことは要求しなかった。実はこれが後に大きな意味を持ってくる。31日には憲法裁判所が一方的独立宣言の無効を決定した。そして全国管区裁判所はプッチダモンらに(元)州政府幹部に対する尋問を11月2日(木)に行うと発表した。裁判所の出頭命令に従わなければ自動的に逮捕状が発行されることになる。

 一方、独立派各党派の方も動きを活発化させている。憲法155条発動に対する抗議活動に、ではなく、12月21日の州議会選挙に向かってである。ラホイの意味不明な決定が独立派を逆に勇気づけたのだ。もし155条の適用期間が55日ではなく155日であり、その間に波状的に「独立崩し」を行うのなら、経済状況の悪化の中で現実の厳しさを実感した賛成派住民はしだいに倦み疲れ、独立勢力は立ち直れない状態になるだろうと思うのだが…。どうして中央政府が「55日間」という決定をしたのか、理解に苦しむ。

 10月30日には今まで州議会与党JxSI(ジュンツ・パル・シ)を形作る中心となっていたPDeCAT(カタルーニャ欧州民主党:民族主義右派)とERC(カタルーニャ左翼共和党:民族主義左派)は、ともに選挙に参加し候補者を立てることを発表した。同様に極左独立派のCUP(人民連合党)も選挙への参加を前向きに考えていることを公表している。そして、10月30日にカタルーニャの公的機関「世論研究センター」による世論調査の結果によれば、独立派の党派が、得票率では半数に届かないものの、議席数ではやはり過半数を超すという予想である。さらに憲法155条適用後になってポデモス系のCSQP(カタルーニャ・シ・カ・アス・ポッ)が内部分裂しそうで、独立賛成を公言するカタルーニャ・プデムが飛び出すかもしれない。そうなると独立賛成派の「大連合」を組めば得票と議席がさらに増える可能性もある。

 世論調査の数字は大して当てにはならないにしても、もし12月21日の州議会選挙で独立派が再び州政府を作ることになったら、またややこしいことになるだろう。世論調査では独立賛成が48.7%、反対が43.6%であり、独立派への支持は相当に根強いものがある。カタルーニャの地元企業がどんどんと本部をスペインの他地域に移している現状から、独立賛成が少なくともこれ以上増えることは難しいだろうが、それにしても、ラホイ政権は統一(反独立)派の勝利によほど自信を持っているのだろうか。

 また統一派に混じっている極右勢力が騒動を起こしている。29日にバルセロナで行われた統一主義者の大デモ(市警察の発表で30万人、主催者発表は100万人)では、一部の極右スペイン主義者が「フランコ万歳!」を叫び、フランコを賛美する歌を歌い、州警察に襲いかかる光景がSNSを通して世界に配信された。こういった連中にはサッカーのフーリガンが多いのだが、要するに暴力をふるいたいだけのならず者集団である。今後、このような者たちの独立派に対する暴力事件が続発するかもしれないが、それらが外国で大々的に紹介されるにつれ、政府と統一派にとって重大な障害になっていく可能性がある。

 ラホイ政府は州議会選挙までのプロセスに極めて楽観的な見通しを持っているようだが、さて、「北京の55日」ならぬ「バルセロナの55日」にはどんなことが起こるのだろうか。それは、次に書くカルラス・プッチダモンの不可解な動きに大きく左右されるだろう。


《突然ブリュッセルに現れたプッチダモン》

 10月28日と29日、“カタルーニャ共和国大統領”カルラス・プッチダモンはやけに静かだった。州政府に出向くでも大衆の前に出るでも、憲法155条適用に激しい抗議の声を上げるでもなく、29日(日曜)の昼過ぎに公営TV3の特別番組でわずか2、3分の簡単な声明を発表しただけだった。しかもそれは録画したビデオ映像だったのだ。彼はその中で落ち付いた調子で、自らを含む州政府幹部の解雇は承認できないことを述べ、州民に「平和的で民主的な反対運動」を呼び掛け、さらに「我々は自由な国のために働き続けるだろう」と語った。しかし具体的な動きは何もなかったし、実際にこの時点で彼がどこにいて何をしていたのか、誰も知らない。

 面白いエピソードとなる出来事がこの29日に起こっている。プッチダモンの出身地ジロナ市のサッカーチームであるジロナFCは今年からスペイン・リーグの1部に昇格したばかりだが、地元のジロナ市で、何と、欧州チャンピオンで昨年度スペイン・リーグの王者であるレアル・マドリードに大逆転の勝利を上げたのである。ジロナはカタルーニャ独立運動が最も激しい場所で、この田舎町の弱小チームが、フランコ時代の昔からマドリードの権力をバックにしてきた強大なチーム(当サイトこちらの記事参照)を打ち負かしたわけだ。プッチダモンは自分のツイッターに次のように書いた。「世界最大のチームの一つに対するジロナFCの勝利は、全く、多くのことにとっての模範であり示唆である」と。

 きっと彼にとっては、TV画面で見るジロナFCの姿を、強大なマドリードの権力に立ち向かい最終的に勝利を上げるカタルーニャにダブらせていたのだろう。たまたまとはいえ、暗示的な出来事である。そして同じ29日に“カタルーニャ共和国副大統領”、つまり罷免されたカタルーニャ自治州副知事のウリオル・ジュンケラスが語った言葉が、これから起こる奇々怪々なできごとを示唆している。地元紙エル・プンッ・アブイの「我々が進み続ける道」と題する記事の中に次のようなジュンケラスの言葉があった。独立主義派は近日中に「困難な決意をしなければならないし、それが常に簡単に理解できるとは限らない」

 この言葉はいろんな解釈が可能だろうが、しかしその翌日にはすでに「簡単に理解できるとは限らない」事の一つが起こった。30日の白昼、プッチダモンと5人の(前)州政府幹部がブリュッセルに忽然と姿を現したのである。すっかり泡を食ったマスコミの多くは、彼らがベルギーに「政治亡命」を申請し「亡命政権」を作るつもりではないかと推測した。実はその前日29日に、ベルギーの亡命・移民相であるテオ・フランケンが、もしプッチダモンがベルギーに亡命を申請するようなことがあるならそれを認める可能性があると発言していたのだ。フランケンはベルギーのフランドル地方の分離独立運動にも携わっている人物である。ベルギーの首相シャルル・ミシェルは慌てて彼の発言を否定したが、30日にプッチダモンが本当にブリュッセルに出現したのだから、ベルギー政府の中は上へ下への大騒動になった

 ベルギーは北部の分離独立派と南部を中心にする統一派との微妙なバランスの上に成り立っている国家であり、欧州主要国の中でシャルル・ミシェルだけがスペイン政府の頑迷な姿勢に対して批判的である。というか、そうしないと自国内の政治バランスを崩しかねないのだ。その首都にいきなり登場したプッチダモンの取り扱いには極度の慎重さが要求されるだろう。そしてプッチダモンはベルギー人弁護士ポール・ベカルトを法律の顧問として雇い入れた。このベカルトはかつてバスクのテロ集団ETAのメンバーであるナティビダッド・ハウレギを亡命させて、スペインへの強制送還から救った辣腕弁護士として有名である。このことからもプッチダモンの亡命が取りざたされたのである。

 もちろんスペイン外相のアルフォンソ・ダスティスは、もしプッチダモンの亡命が認められるならば「それは尋常な状態ではない」と厳しい調子でベルギー政府に圧力をかけ、法務大臣のラファエル・カタラーは「たとえプッチダモンが亡命を求めたとしても、それは30分で終わってしまうだろう」と断言した。しかしベルギーのミシェル首相は「プッチダモン氏は他の欧州の国民と同じ取扱いを受けるだろう」と慎重に語るにとどめた。そして11月2日になってミシェルはベルギー政府のメンバーに、カタルーニャについてのコメントを一切語らないように要求した。

 世界中のメディアが集まった30日夜の記者会見で、プッチダモンは重要なことを語った。まず、自分がブリュッセルにいるのは安全を確保するためであって亡命を求めるためではないと強調し、「正当な裁判を受けるという保証」を得るまでスペインには戻らないと述べた。次に、12月21日の州議会選挙というラホイ政権の決定とその結果を受け入れること、そして逆にラホイ政権に対して12月21日の選挙結果を受け入れるのか、と質問した。これは後に重大な意味を持つだろう。この“共和国政府大統領”の声に呼応するかのように、カタルーニャ内に残る独立派政党は、12月21日の選挙準備が始まるまでにブリュッセルで“共和国政府”建設の作業が進むことに期待するという態度を表明している。この選挙で独立派が勝つようなことがあれば、ラホイはいったいどうする気なのだろうか。

 その記者会見が終わった後で、また大騒動が起こった。プッチダモンら一行が突然タクシーに乗ってブリュッセル空港に向かったのである。その後彼らがバルセロナ行きの飛行機に乗ったという情報が流され、各国のマスコミは大騒ぎになった。もしそうだとするとプッチダモンはブリュッセルでいったい何を得たのか? あの辣腕弁護士も結局見放したのか? しかしその2~3時間後、バルセロナ空港に降り立って統一派の手荒い「歓迎」を受けたのは、(元)内務委員長ジュアキム・フォルンと(元)地域管理・住宅委員長マリチェイュ・ボラスだけであり、プッチダモンの姿は無かった。ブリュッセル空港からプッチダモンがどのように姿をくらましたのか、いまどこに滞在しているのかは、11月2日の段階では分かっていないが、2日の朝にブリュッセル市内のカフェーにいた姿が目撃されている。

 そして11月1日に弁護士ポール・ベカルトは、プッチダモンが11月2日の全国管区裁判所に出頭せずベルギーでTVモニターを使っての審問になら応じると語った。マドリードでは公正な裁判が見込めないから、というのがその理由だ。裁判所の審問に応じないのは彼だけではない。(元)保険委員長トニ・コミン、(元)文化委員長リュイス・プッチ、(元)農業食料委員長マリチェイュ・セレッ、(元)教育委員長クララ・ポンサティもまたプッチダモンと共にブリュッセルにいる。この者たちにはベルギー内で実質的な「カタルーニャ共和国亡命政府」を作ることが期待されているのだろう。おそらくそれにはベルギーの分離主義者たちが、「隠れ家」を含めて、全面協力をしていることが考えられる。その裏には欧州にあるいくつかの地下組織が絡んでいるかもしれない。

 それにしても、プッチダモン達はいつ、どのようにしてブリュッセルに行くことができたのだろうか。TVニュースによると、29日の夜か30日の早朝に車でマルセイユに到着し、そこからブリュッセル行きの飛行機に乗ったようだが、スペイン当局は彼らの動きをキャッチできなかったのだろうか。30日の夜にバルセロナに戻った2人の幹部たちと入れ替わるように新たな2人がブリュッセルに到着してプッチダモンと合流している。もし28日中に検察庁が旧州政府幹部たちの逮捕状を直ちに裁判所に申請し警察を動かしておれば、みすみす国外に逃がすことはなかっただろう。検察庁の失策と思われるが、これもまた腑に落ちない点である。

 その後、態度を硬化させたスペイン最高検察庁は11月2日に、全国管区裁判所の召喚に応じたウリオル・ジュンケラスを含む9人の元州政府幹部に対する逮捕状を申請し、独立宣言採択の直前に辞任した1名を除いて、全員を裁判所から直接に刑務所に送って身柄を拘留したのである。しかしこの措置は独立派住民の運動を再び活発化させつつある。この5日(日曜)にはカタルーニャ各地の都市で大掛かりなデモが予定されているほか、6日からの週にはゼネストが呼びかけられている。また国家警察とグアルディアシビルによる住民運動への弾圧、統一派の過激分子(スペイン極右翼)による独立派への襲撃などの物騒な動きが起こる可能性がある。スペイン国家は愚かにも、本当に愚かにも、火の中にガソリンをぶっかけて自分で自分の首を絞めつつある。


《一気に国際化する?カタルーニャ問題》

 米国ニューヨーク・タイムズ紙が11月1日と2日、立て続けにカタルーニャ情勢の記事を公表した。1日にはウリオル・ジュンケラスが語るカタルーニャ独立の紹介記事だが、この中で同紙はジュンケラスを「カタルーニャの副大統領」として紹介した。しかしその後、駐米スペイン大使館の抗議を受けて「解雇された」を付け加えて訂正した。このような新聞での「ミス」は単なる「うっかりミス」とは考えにくい。

 そして2日には社説「Catalonia Tottering」を掲載し、その中で次のように述べている。「…ラホイ氏の頑固な姿勢は、もしその行き詰まりが続けば、逆噴射を起こしかねない。住民投票を阻止しようとする際のスペイン警察の暴力的なやり方は、カタルーニャの中に苦々しい感情を残した。そしてもっと強権を振るうようなら、カタルーニャ人たちはマドリードに公然と反抗するだろうし、さらに多くの(カタルーニャへの)同情が生じるだろう。おそらくスペインの外でも同様である。…」

 ニューヨーク・タイムズは、前歴から言っても、「人権」や「民主主義」を標榜する「市民運動」をリードする役割を果たすことが多いように思うのだが、今後、スペイン政府と統一主義団体がカタルーニャ独立派に対する暴力的な圧力を強めるにつれ、この問題を大きく取り上げることが増えるだろう。前回の記事でも述べたように、マドリードにあるシンクタンク、国際政治戦略の研究所であるエルカノ研究所が「カタルーニャのマイダン」が起きる可能性を語っている。このエルカノ研究所は当サイトこちらの記事でも書いたとおり、2014年にスペイン外務省のお墨付きで「欧州連邦」の創設についての研究論文をまとめた場所だが、このカタルーニャの「マイダン化」が、欧州各国の「親カタルーニャ・反スペインの市民運動」を爆発させる可能性は高いと言えるのではないか。

 そして今回のプッチダモンの「ベルギー滞在」は、ベルギー政府ばかりではなく、否が応でもEU全体を巻き込まざるを得なくなるだろう。つまり「カタルーニャ問題の国際化」である。プッチダモン(および彼を支える勢力)にとって、もしカタルーニャの独立を達成できる方法があるとすれば、それ以外にはあるまい。しかしそれはスペイン国家との「無理心中」にもなりうるし、EU解体の危機を招く可能性すらあるのだが、逆に言えばその危機こそEU政治統合のチャンスかもしれないのだ。この「カタルーニャ独立問題」の背後には、今のところ表ざたにしてはならない多くの要素が隠されているのではないか。

 最後に、イスラエルとロシア、中国のカタルーニャ問題に対する態度を見ておきたい。ロシアはいまのところこの問題についての公式な態度は表明していないが、国営RTやスプートニクなどのメディアはかなりの興味を持って見ているようだ。ただ、住民投票によってウクライナから分離したクリミアと同時に、チェチェンや南オセチアの分離問題で苦しめられたロシアが、カタルーニャについての態度を明らかにしないのは当然だろう。しかしスペイン国内米国内では例によって「ロシア陰謀論」が取りざたされている。また、中央アジアのイスラム地域の分離運動を警戒する中国はラホイ政権への支持を明らかにしている。これもまた当然だろう。

 しかしイスラエルの態度は微妙だ。現在のところ、やはりこの問題に対しては沈黙を守っている。だが10月29日付のバングァルディア紙は「イスラエルはカタルーニャ独立問題についての発言を控える」という記事の中で、当サイト記事『カタルーニャ独立運動を扇動するシオニスト集団』で明らかにしたとおりのカタルーニャ民族主義右派とイスラエルとの深い関係について紹介し、イスラエル内にカタルーニャ独立を支持する強い勢力が存在することを語っている。一方でネタニヤフ政権はスペイン政府がEU各国と歩調を合わせてパレスチナ国家建設支持の態度をとっていることに不満を持っており、同紙はカタルーニャ独立派内部にシオニスト勢力が相当に潜り込んでいる可能性を示唆する。また同紙記事はカタルーニャ住民投票に先立つ9月25日に行われたイラクのクルド人地区での住民投票をイスラエルだけが支持したこと、クルド人独立運動に昔から肩入れしていたことを書いてしている。

 イスラエルが、パレスチナやクルドの問題だけではなく、カタルーニャに対する影響力を暗に示すことでEUに対する揺さぶりをかけている可能性もあるだろう。プッチダモンの謎の行動の背後にこの国の諜報部が絡んでいるとすれば、今後の彼の一挙手一投足が世界的に大きな意味を持つ動きに繋がっていくのかもしれない。なお私は、今年8月17日のバルセロナでのテロ事件の裏面にも、欧州社会の背後に暗躍するこの種の勢力が存在しているのではないかと感じているのだが、明確な証拠も無いことを言えば「陰謀論者」にされかねないので、今のところはそれには突っ込まないでおきたい。

【『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(4)』 ここまで】
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