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シリーズ スペイン:崩壊する主権国家

記事の後にこのシリーズ全体の目次(リンク付き)があります。青文字下線部で強調文字になっているものは当サイト内の記事へのリンクで、後はすべてスペイン・メディアへのリンクです。


第4部 終焉を迎えるか?「78年体制」

見出し一覧:クリックすればその項目に飛びます。)
《地に堕ちた王家の権威と求心力》  《国民党は崩壊に向かう?》   
《ポデモスの台頭と新たな政治潮流》  《巨大な闇から現われた「小さなニコラス」》


《地に堕ちた王家の権威と求心力》

 毎年1月6日に、マドリッドの王宮に軍幹部と政府要人が招かれ国王と新年のあいさつを交わす「パスクア・ミリタル」という儀式が行われる。しかし2014年の1月6日にテレビでその様子を見た国民は驚いた。大たい骨と股関節を傷め 松葉づえをついて現われた国王フアン・カルロス1世の顔が、悲惨なまでにやつれ果て憔悴しきっていたからである。
(写真:2014年1月6日、軍幹部との新年の儀式に登場した国王フアン・カルロス1世)

 フアン・カルロスについては当サイトの『
支配階級に根を下ろす「たかりの文化」』の最初にある『「国家統合の象徴」が見せる破産寸前国家の惨めな姿』を参照してほしいのだが、自分の「身から出たさび」のために国王としての立場と尊厳を失ってしまっていた。その上に、娘のクリスティーナ王女とその婿イニャーキ・ウルダンガリンが起こしてしまった「ノース事件」で、王家の存在自体が危機に陥ってしまったのだ。これについて詳しくは上と同じ記事にある『スペイン上流社会の腐敗の象徴:ノース事件』にある。

 現在の立憲王政国家スペインの最高法規は1978年に作られた憲法である。通説的には、1975年のフランシスコ・フランコの死の後に、それまで既にかなりのレベルにまで近代化されていた産業の形態とこの78年憲法、および1982年のフェリペ・ゴンサレス社会労働党政府の誕生によって、本格的な西欧流の民主主義国家が作られたとされる。したがって現在のスペインの国家と社会のシステムを「78年体制」と呼ぶことができよう。ただし、このプロセスには大きな疑問がある。当サイト「 アーカイブ」にある『聖なるマフィア オプス・デイ 第2部:スペイン現代史の不整合面』を参照のこと。この場で詳しく述べることはしない。

 フアン・カルロスは「78年体制」を作った立役者の一人だが、彼自身にとっては、1931年のスペイン革命とフランコの独裁主義によって中断していた王制を復活させ、末永く維持することが最重要課題だったはずだ。スペイン王家は必ずしも国民に歓迎されてはいない。彼は、ブルボン家が「新参者」の支配者でありスペイン社会に根ざしたものではないこと、そして祖父のアルフォンソ13世がスペイン革命によって追い出された歴史を十分に知っている。しかも彼が父親バルセロナ伯ドン・フアンとフランコとの交渉によってマドリッドに送り込まれた際に、ブルボン家の家督相続権を放棄していた。彼にとって残されるものはスペイン王位継承権だけである。

 さらに彼はスペインの中でカタルーニャとバスクとアンダルシアが、伝統的にマドリッドの王族支配に対して最も反感の強い場所だと知っている。だからこそ、上の娘エレナをバスク系の貴族ハイメ・デ・マリチャラルと結婚させてアンダルシアの州都セビージャで結婚式を挙げさせ、アンダルシアにエレナの名を冠した病院まで作らせた。また下の娘クリスティーナをバルセロナに住まわせ、カタルーニャの象徴であるFCバルセロナのハンドボール・チームの名選手だったバスク人のイニャーキとの結婚を許し、バルセロナで結婚式を挙げさせたのである。

 しかしそんな努力もむなしく、エレナは2009年にハイメと離婚し、クリスティーナとイニャーキの夫婦は国民党の我利我利亡者の餌食となって利用され、刑事事件の哀れな被告人になろうとしていた。自分自身も身体的な衰えに加えて、
ドイツの貴族女性コリーナとの不倫や不名誉な「象狩り」が暴露され、大多数の国民に冷ややかな視線を送られる身となってしまった。これまで苦労して作り上げてきたものは何だったのか? フアン・カルロスがやつれ果てるのも無理はない。もう体力も気力も付き果てた彼が、息子のフェリーペに王位を譲って退位するのは時間の問題だった。そして2014年6月2日にフアン・カルロス1世の退位が発表された。

 フアン・カルロスの退位とフェリーペ6世の即位は6月19日に正式に行われた。またフェリーペと、王妃で元国営放送局アナウンサーのレティシアの長女であるレオノールが、王位継承者としていずれ女王となることが決定されたのが10月になってからである。しかしこれは78年憲法で定められた立憲王政を守るための「人気取り」であるのは明らかだ。このフェリーペの即位は、スペイン全体としては、冷ややかだがいまのところ拒否はされていないようだ。マスコミと関係の深い王妃レティシアは、おそらく二人の幼い王女を前面に出してミーハー受けのする「開かれた王室」のイメージを打ち出すことで、王家の存在を守ろうとしているのかもしれない。
(写真:新しい王室メンバー:フェリーペ6世と妃のレティシア、前列左が王位継承者のレオノール、右が妹のソフィア)

 現在、
スペイン王室のメンバーは国王のフェリーペと王妃レティシア、そして二人の王女だけである。国家の制度としての王室と血縁である王家とは異なる。父母のフアン・カルロスとソフィア夫妻は国務の高位を務めた退職者として、法的に保護された形で年金生活に入った。同時にこのようにしてクリスティーナ夫妻は王室から切り離され、この夫婦が刑務所送りになる最悪の事態になっても、王室がその責任から逃れる体制が固められた。

 それを知ってか、「ノース事件」捜査を進めるパルマ地方裁判所の判事は、多くの紆余曲折を経た後にだが、今年の12月になって
夫のイニャーキとともに王女クリスティーナを被告席に立たせる決定をした。これはおそらくフランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットが裁かれて以来の、歴史的な重大事件であろう。そして王室は、この裁判所の判断に対して「司法の独立性を尊重する」と表明した。つまり、たとえ国王の姉が犯罪者として刑務所に入るとしてもそれに対しての妨害はしない、ということである。1月に姿を現したフアン・カルロスは王家の運命を悟っていたのだろう。

 それにしても、クリスティーナ夫婦の犯罪のうえにフアン・カルロス自身の失態が加わり、78年憲法で保護されるスペイン王室の権威と求心力はすでに地に落ちている。フェリーペ自身の過去のスキャンダルと隠し子のうわさは国民がみな知っている。「かわいい王女様」以外にもはや国民の心を引きとめるものはあるまい。

 しかし、イニャーキとクリスティーナを公金略奪の犯罪の道に引きずり込んだのは、やはり「78年体制」によって保護された伝統的な利権集団である(この点は後述するが)。フアン・カルロスはその恐ろしさを十分に知って彼らとの関係を上手に裁いたが、世間知らずのお姫様とスポーツ馬鹿の夫婦にはその巨悪に対する免疫はなかった。アスナールの導入したネオリベラル経済とバブル景気の中で、その毒性を最大限に発揮したバレンシアとバレアレスの利権屋どもは、単に彼らを利用して棄てただけだったのだ。


《国民党は崩壊に向かう?》 【見出し一覧に戻る】

 上で述べた1975年から82年までの7年間はLa Transición Española(スペインの移行期)と呼ばれている。この「移行」は「法から法へ」と呼ばれることがある。例えば、昨日までフランコ時代の法律に基づいてしょっぴいて拷問にかけて牢獄に放り込んでいた国家警察が、人間が変わることも組織が変わることもなく、新しい法律に沿って働くことで今日からは民主主義の守り手に変身する…、というわけだ。「独裁主義の法規」を「民主主義の法規」に取り替えることで、治安機構だけではなく軍から市町村役所まで、議会の中から小学校の教室の中まで、わずか7年間で「現代西欧への移行」を成し遂げたことになる。

 なるほど、これなら誰も傷つくことはなく立場を失う者もいない。独裁時代に権限を振るい弾圧に精を出した者も、そっくり同じ顔をしたままで、新しい立場と役目を与えられて「民主主義体制」の中で生きることができる。確かにそれが最も平和的で迅速な解決方法だったのだろう。その代わり、独裁時代に反対者の逮捕を命じ拷問にかけて殺した者が裁かれることはないし、罪人として処刑された者が名誉回復されることも烙印を押された犯罪歴が消えることもない。

 この「移行期」の後に長期政権を作った社会労働党は、統治能力に乏しく資本主義と帝国主義の持つ毒性と暴力性についての明確な認識も持たず、「独裁憎し」の国民感情の上に胡坐をかいて政治腐敗の度を強め、しだいに国民に見放されていった。一方の独裁政権を支えた国民運動(ファランヘ党)は中道右派政党の民主中道連合を経て国民党に看板を変え、一時的にはその勢力を弱めるものの、社会主義者の堕落と経済停滞・不況を通して復活してきた。

 見逃されやすいことだが、この「78年体制」によって、独裁時代とその以前にあった利権の基本的な構造がほぼ手つかずのままで保存された。国民党およびそれとつながる産業界・財界の者たちはこれを「民主主義」と呼ぶ。その実態は「78年体制」の中で巧みに覆い隠されてきたが、バブル経済崩壊後の国難の中で、当シリーズ第1〜3部でご覧いただいたとおり、その利権構造のありのままの姿をさらけ出した。そしてそれが「民主主義」を奉じる国民党自身を極めて重大な危機に追いやっている。

 国民党の会計係を務めていたルイス・バルセナスがギュルテル事件捜査の中で、全国管区裁判所判事のバルタサル・ガルソンによって起訴されたのが2009年のことである。しかしそのガルソンはスペインの司法界から追放され、バルセナスの容疑は「お蔵入り」とされた。ところが、2012年になって再びこの国民党の財布を握っていた男についての調査が開始された。そして
2013年1月18日、全国紙エルムンドが、バルセナスが国民党幹部に「超過給与」を渡していたと報道した。もちろん監督官庁に届け出ているものとは別口にである。ラホイ政権の幹部たちはありとあらゆる理屈を駆使してこれを否定した。

 そして2013年1月31日に、
エルムンド紙エルパイス紙が、1990年から2009年までに作られたバルセナスの自筆による国民党の裏帳簿を公開したのだ。実に几帳面な人物だとみえて、そこには、いつ誰にどれほどの金額を手渡していたのか、一つ一つが見事に記録されている。以来、この帳簿は「帳簿B」として有名になるが、そこには首相のラホイ自身を含む現幹部の他に、ロドリゴ・ラトやアンヘル・アセベスなど、アスナール政権時代の大勢の閣僚たちの名もみえる。各新聞がこの裏帳簿(あるいはそのコピー)をどこからどのようにして手に入れたのかは不明だが、筆跡の鑑定と後日のバルセナスの自白などから、この裏帳簿が本物であることを疑う者はほとんどいない。
(写真:エル・ムンド紙が公開したバルセナス自筆の「裏帳簿」の一部:El Mundo)

 バルセナスは「証拠隠滅の恐れがある」として、判事パブロ・ルスの命令でその年の7月になって刑務所に収監されたが、裁判所での彼の供述とラホイ政権幹部の主張が大きく食い違っていた。彼らはつい最近までバルセナスが会計係を務めていたという事実すら否定したのだ。8月になって警察はついにマドリッドにある国民党本部への前代未聞の家宅捜索に向かった。ところが、そこで押収されたバルセナスの2台のコンピューターは
ハードディスクが破壊され一切のデータが失われた状態になっていた。国民党の説明によるとこれらのコンピューターは党の所有であり、どう扱おうが国民党の勝手だ、ということである。

 裁判所判事はとりあえず、「帳簿B」で最も目立つアンヘル・アセベスとアルバレス・カスコスなど数名を起訴することに決め、現副委員長のマリア・ドローレス・デ・コスペダルの起訴も予定しているが、まだ実現していない。この「超過給与」の原資については、このシリーズで述べてきたような経済犯罪に違いあるまいが、全面的な事実は現在のところ明らかにされていない。
バルセナス自身もスイスの銀行に2200万ユーロ(約32億円)を隠し持っていたが、どうやらそれは国民党の金庫から盗み取ったもののようだ。

 当サイトで今まで述べたような凄まじい腐敗ぶりはすっかり
スペインの新しい名物になってしまった。当然だが、こんな事態を前に国民党自体が無事でいられるわけがない。いま腐敗以上に醜い内部の反目が起こりつつある。ある場合には被害が自分の身に及ばないために、ある場合には罪を誰かになすりつけるために、ある場合にはライバルを追い落すために、「慾」の赴くままに行動するようになる。2015年11月に予定される総選挙を前に「ラホイという問題」があるという声が党内に広がる。特にマドリッドのボスであるエスペランサ・アギレと党ナンバー2のコスペダルとの対立は党内を四分五裂に追いやる可能性があり、地方レベルの選挙でも次々と敗北するかもしれない。
(写真:国民党副委員長コスペダル:Voz Pópuli)

 政治腐敗のニュースが大嵐となってスペイン中を震撼させる10月後半になって、
国民党副委員長のコスペダルは「国民党は二度と悪慣行の起こらないように休みなく努力をしている」と語った。おそらく「悪慣行がばれないように」というのが本音だろうが、11月になって首相で党首のラホイはその「確たる執行部」に対して、自分は決して辞任はしないし次の選挙でも首相候補として立つことを確約し、政治腐敗で党を追い詰めようとする陰謀(!)を無視するように求めた。

 その一方で12月に、国民党は
大型政治腐敗の捜査を3年以内に限定するような法改正をたくらみ、ギュルテル事件を捜査している判事のパブロ・ルスを非難して司法委員会を通してその審査期間を制限する圧力をかけた。さらに彼らは議会の中でバンキア破産と政治腐敗の調査委員会を作る要求を拒否し、政治腐敗摘発を進める検事総長トレス‐ドゥルセを「一身上の都合」による辞任に追い込んだ。

 しかしこのような腐敗の矮小化と誤魔化しと隠ぺい工作は、マスコミ報道によって国民全体の知るところとなっている。後で述べるが、このような努力にもかかわらず国民党の支持率は下がる一方であり、根本的な変革を求める新政党ポデモスが、社会労働党を追いぬき国民党に並ぶかもしれないほどに急成長している。その焦りの中で国民党内部の分裂がその度合いを強める可能性が高い。

 そしてそれは、単に国民党の問題だけではない。彼らはスペインの各地域や集団の伝統的な既得権益を代表する集まりであり、その既得権益を保証しているのが「78年体制」だ。その意味ではフランコ以後に作られた新たな利権集団を代表する社会労働党にとっても同様であろう。12月26日のクリスマス後に発表された1年の総括の中で、首相のラホイは
国民党と社会労働党の連合政府を作る可能性を示唆 した。社会労働党はさっそく拒否してみせたが、選挙で自分たちが実際に少数派になった場合におそらく拒否はできないだろう。この者たちは自分たちの「民主主義」つまり「78年体制」が崩壊することを、心の底から恐れている。それは国民党自体の崩壊をも意味しているのである。


《ポデモスの台頭と新たな政治潮流》 【見出し一覧に戻る】

(写真:2011年5月、素手で武装警官隊に立ち向かうバルセロナの15M「インディグナドス」たち)

 あの15M(キンセ・デ・エメ)の興奮からもう3年がたった (15Mについては当サイト『シリーズ:515スペイン大衆反乱』を参照)。これほど巨大な大衆運動が何の遺産も残さないわけがない。その一つが、いままで当サイトでも紹介してきた住宅の強制追い出しに抵抗するPAH(反強制執行委員会)である。しかしその最大のものは新政党ポデモスだろう。そしてこの新しい集団がいま、強力にスペインを支配してきた国民党と社会労働党を最も震撼させる巨大な存在にまで成長した。このポデモスと現党首パブロ・イグレシアス・トゥリについての情報はすでに日本語版Wikipedia(こちら、およびこちら)でも説明されている。

 ポデモスが結党されたのは2014年1月だが、この党が社会の表舞台に巨大に姿を現したのはそのわずかに4カ月、今年5月25日に行われた欧州議会議員選挙で、8%の得票率(得票数124万6000)で5議席(54議席中)を獲得しスペイン第4の勢力になったときだった。そしてそれ以来、国民党や社会労働党を中心とする既成政党、それらとつながるマスコミなどを中心に、激しいネガティブ・キャンペーンが繰り広げられてきた。しかしまず、各種の世論調査によって予想されるポデモスの支持率や各地で勢力を伸ばしていく様子を見てみよう。

 5月末に行われた社会世論研究委員会(GESOP)によるスペインの政治動向調査によると、もしいま総選挙(総議席数350)が行われたならば、第1党が国民党だが2011年に獲得した186議席から125〜127議席に減る。第2党が社会労働者党(110⇒87〜89)で、第3党にいきなりポデモス(0⇒56〜58)が入ることになるだろう。これは「78年体制」の中で利益を得てきた2大政党にとって心臓がとまるほどの衝撃だったに違いない。

 10月前半に行われた国立社会学研究センター(CIS)の調査では、政党支持率が、国民党27.5%、社会労働党23,9%、ポデモス22.5%となり、2大政党の凋落とポデモスの急激な台頭が明らかである。しかも、選挙で投票を決めている人の割合になると、ポデモス17.6%、社会労働党14.3%、そして国民党は11.7%にとどまっている。国民党では支持者の間ですら投票すると決めている人が4割ほどしかいないわけだ。

 続いて、政治腐敗追及の嵐が吹きすさぶ10月末に行われたエル・パイス紙の調査になると、ポデモスが27.7%と堂々の支持率第1位になる。第2位が26.2%の社会労働党、第3位が20.7%の国民党である。結党して1年もたたない政党が一気にここまでの支持率を獲得するのはまさに「とんでもない」話だ。というか、2大政党に対する絶望感がここまで強くなっているということだろう。ちなみに調査したエル・パイス紙は社会労働党に近い筋であり常にポデモスには冷ややかな態度をとる。

 また独立の調査機関Sigma Dosがエル・ムンド紙の依頼で11月後半に行った世論調査結果でも、やはりポデモスの支持率が28.3%で第1位だが、第2位は国民党で26.3%、社会労働党は第3位で20.1%となっている。このエル・パイス紙は中道保守系である。さらにGESOPが12月20日に発表した調査結果では、総選挙での議席数予想が、国民党115〜118議席、ポデモス101〜104、社会労働党77〜80であり、同じ期間による5月の調査よりもさらに進んで、2大政党の後退とポデモスの躍進が明らかになっている。

(支持率の変化を示すグラフ:青は国民党(PP)、赤は社会労働党(PEOE)、紫がポデモス(Podemos)。内側の半円は2011年11月の総選挙の得票率。このときには国民党は44.6%の得票で絶対多数の186(/350)議席を獲得した。中の半円は2014年5月のEU議会選挙の得票率。外の半円は2014年11月の世論調査による得票率予想。:El Mundo)

 そのポデモスにとってやや面倒な地域がカタルーニャだ。彼らは基本的にはカタルーニャ独立に賛同していない。ここにはすでに同系統のカタルーニャ・プデム(podemosに当たるカタルーニャ語podem)が存在しているが、その中ですら独立への態度は組織を2分する。しかし11月にプデムは来年前半に予想されるカタルーニャ地方選挙に向けての人選を開始した。

 そして12月20日のGESOPの調査でカタルーニャでの政治動向(州議会68議席中、CiUが32〜34議席、左翼共和党が31〜33議席、そしてポデモスが16〜17議席、中道右派のC'Sが同じく16〜17議席)が発表された。これによると独立派として協力関係を目指す州政府与党のCiU(集中と統一)と第2党の左翼共和党を合わせても過半数に届かないことになる。あわてふためくCiUは、ポデモスを独立運動に対抗する「トロイの木馬」と決めつけた。

 一方で、正式に政権の奪取を目指すことを明らかにし、10月の党大会党員の80%を超える圧倒的多数の支持によって正式にポデモスの委員長として選任されたパブロ・イグレシアスは、12月21日にバルセロナにやって来た。そして「自分としてはカタルーニャに独立してほしくないが、スペインの支配階層がカタルーニャ人を不当に非難していることは知っている」、また「もちろんだが自己決定権が何よりも大切だ」と、カタルーニャ人自身による独立問題の民主的な解決を支持する声明を発表した。おそらくカタルーニャでもポデモス(プデム)の勢力拡大が止まることはあるまい。
(写真:10月のポデモス党大会で正式に委員長に選出されたパブロ・イグレシアス(中央の白シャツ)と執行部:el diario.es)

 ここで、ポデモスとはどのような党なのか見てみよう。イグレシアスは「スペインの移行期」体制を終了させること、つまり78年憲法を改正しそれに基づく現在の体制を大きく作り替えること、それによってカタルーニャやバスクなどの民族問題を平和的・民主的に解決すること明確に述べている。彼はまた「我々は家族的に協定を結んで利益を分かち合う国民党や社会労働党のようなセクトとは異なる」と、スペインが伝統的に抱える構造的な問題との決別を告げる。

 さらに、イグレシアスはNATOからの脱退を目指すこと、労働者の給与を上げベーシックインカム制を導入することで消費を再び活発にさせるために、大富豪や大資本家達と増税の協定を結んで440億ユーロの財源を確保すること、市民の管理による公営の銀行を設立することなどの基本方針を発表している。ユーロ圏やEUからの脱退までは明確には掲げていないが、以上のことからその方向性を持っていることが考えられる。

 これらの経済政策は、米国ボルチモアのジョンズ・ホプキンズ大学の政治学教授でバルセロナのポンペウ・ファブラ大学名誉教授のビセンス・ナバロと、セビージャ大学の経済学教授フアン・トレス・ロペスの共著による「人民のための経済計画(Un Proyecto Economico para la Gente)」に基づくものだ。このレポートには「公正、福祉、生活の質を向上させながら危機から去るための経済の民主化 スペイン経済の問題を解決するための一つの提案」という副題がついている。

 もちろんだが、こういった方針は欧州を牛耳るEU委員会・欧州中銀・IMFのトロイカと厳しく対決しなければならないだろうし、何よりもこの国の本当の支配者である貴族や大富豪たちの敵対を跳ね返す必要があるだろう。実際に、スペインきっての大富豪、サンタンデール銀行前総裁で故人のエミリオ・ボティンはポデモスの台頭に非常に憂慮していた。しかし逆に、今までの経済体制に行き詰まりを感じる富豪たちの中にポデモス支持者が思いのほかに多いという報告もある。また彼らは一部の知識層、大学関係者、社会活動家たちの強い支持を受け、今までのスペインの政治に無かった流れを生み出そうとしている。

 最後に、「見苦しい」としか言いようのないポデモスに対するネガキャンの数々をお目にかけたい。

 欧州議会選挙でいきなり5議席を確保した直後に、国民党員でアンダルシアにあるフエンヒロラの市長エスペランサ・オニャはパブロ・イグレシアスを「ヒトラー」と比較した。国民党幹部は今までにも、彼らのために職を奪われ生活を奪われた民衆の抗議行動を「ナチズム」「ファシズム」と口をきわめて罵倒し続けてきたのだ。中道右派政党UPyD党首のロサ・ディエスは、フランスの極右政治家マリーヌ・ル・ペンとポデモスの「共通性」を指摘した。また国民党にしても社会労働党にしても、ポデモスを攻撃する際に「ポピュリスト」という用語を用いる。それは「ファシズム」「ナチズム」に直結するように使われるが、陳腐な通念によれば、ヒトラーが民衆の人気を煽りながら登場したのだから下層大衆の利益を図って支持を得ようとする者はきっとナチスに違いない、ということのようだ。

 一方で社会労働党の元党首で元首相のフェリペ・ゴンサレスは、ポデモスに関して「ボリバル主義者(ベネズエラの前首相ウゴ・チャベスとその支持者)が代替勢力になれば悲惨な状態になるだろう」と述べた。チャベスは欧州の政治家や知識人から常に「ポピュリスト」と非難された。そのゴンサレスはラテンアメリカの大富豪・寡頭支配者たちとの交友が深く、2001年のチャベス暗殺を図ったベネズエラ・クーデターの際には、米国政府やアスナールと共に、クーデターを断固支持していたのだ。確かにポデモスは社会労働党にとってフランコ以上に忌々しい悪夢なのだろう。さらに社会労働党はポデモスを「レーニン主義者」とまで呼んだ。支離滅裂としか言いようがないが、要するに非難できそうな言葉でさえあればその内容などどうでもよいとみえる。。

 6月末に中道保守系のエル・ムンド紙は、イグレシアスがETA(バスクの民族主義テロ組織)の囚人の支援組織を援助したと報じた。もちろん単なる揚げ足取りとこじつけなのだが、これを「待ってました」とばかりに散々吹聴したのが国民党の幹部たちだったことは言うまでもない。7月には例のエスペランサ・アギレ、イグレシアスがETA支持者の理屈とナチのプロパガンダ技術を使っていると非難したのだ。「ナチ」に加えて「テロリスト」ということである。

 同時に国民党幹部のゴンサレス・ポンスは社会労働党の有力者で現在は同党総書記のペドロ・サンチェスを名指しで、「サンチェスはポデモスに接近しようと望んでル・ペンに並び立とうとしている」と、ライバルの社会労働党とポデモスを同時にけなしてみせた。これには社会労働党がポデモスになびかないようにさせる脅しの意味もあったのだろう。さらに7月にマドリッドの国民党(親分は例のエスペランサ・アギレ)はツイッターを使ってパブロ・イグレシアスを攻撃するように呼び掛けた。8月になると今度は社会労働党が、ムッソリーニのイデオローグのまねをしているとしてポデモスに難癖を付けた。ここまでくればもう滑稽としか言いようがない。

 もちろんだが、彼らは鵜の目鷹の目でポデモスのあらを探していた。そしてやっとのことで一つだけ「重箱の隅の埃」を見つけ出した。11月にアンダルシア社会労働党委員長のスサナ・ディアスは、ポデモスの幹部であるイニゴ・エレホンがマラガ大学の助手として既定の仕事をせずに給料の形で公金を略奪していたと、キンキン声で目を吊り上げて攻撃し「スキャンダル化」を図った。当シリーズの記事でも説明したとおり、当のアンダルシアの社会主義者たち自身が実にあくどい手段で何億ユーロもの公金を略奪していたのだが、ポデモスを攻撃できるとなれば自分のことは何も見えなくなるらしい。

 この「スキャンダル化」は結局はマラガ大学が彼を解雇するだけで終了して「不発」に終わったのだが、これに悪乗りしたのが国民党である。スペイン議会の国民党報道官ラファエル・エルナンドは、エレホンを幹部に留めたポデモスを指して、「あたかも清潔さの権化のように見せているが、汚物で、言うまでもなく大便で、満たされているのだ」と、滑稽なまでの下品さで非難した。さらにバスク州の国民党の幹部ボルハ・センペルは「他の人々をjoderするためにポデモスに投票するような奴らがいる」と公言した。スペイン語の動詞joderは「(女性を)犯す」「汚く傷つける」の意味を持つ通常は表立って使ってはならない言葉である。国民党員の下品な本性には恐れ入るばかりだが、彼らは言葉のブーメラン効果を知らないようだ。

  言い出せばもっともっとあるのだが、これで最後にしたい。アホらしくなってきた。国民党人脈で固められる国営RTVE放送局が初めてパブロ・イグレシアスをインタビューに招いたのは12月になってからだった。インタビューといっても、視聴率の高いTV1ではなく24時間ニュースのチャンネルで、しかも夜中の12時を過ぎたものだった。そこでインタビューアーのセルヒオ・マルティンは例のETAの話を蒸し返したのだ。ちょうどインタビューの日の少し前に牢獄で25年間を過ごしたETAの囚人がEUの定める人道的な恩赦規定に基づいて出獄したのだが、マルティンはイグレシアスに対して「今週はあなたにとって歓迎すべき週だったでしょうね?」と突っ込んだ。しかしイグレシアスは「歓迎という問題ではありませんよ。あるテーマで話をするためにテロ犠牲者の苦痛をもてあそぶような人がいますか!」と切り返した。「いや、そんなつもりで言ったのでは…」「歓迎などするわけないでしょう!」この後、RTVEの電話回線がこのマルティンの質問に対する抗議の声でパンクし、国営放送局が立場を失ってしまったことは言うまでもない。

 こうして周囲のあらゆる勢力が愚かで醜悪なネガキャンを繰り返せば繰り返すほど、ポデモスの人気はどんどん上がり続け、国民党と社会労働党の支持は減り続けるのだ。彼らにはその理由が永久に分かるまい。しかしこのシリーズを読んできた人たちにとっては自明の理だろう。「78年体制」の擁護者たちは、ポデモスという自分のための墓掘り人を自分の手で育てているのだ。


《巨大な闇から現われた「小さなニコラス」》 【見出し一覧に戻る】

 2014年の秋にスペイン社会を震撼させた出来事として、まずカタルーニャ独立運動の激しい盛り上がりがある。その一部は『「独立カタルーニャ」はEU政治統合の“捨て石”か?』に描かれているが、もっと詳しいことは別の機会に述べたい。続いて当シリーズで述べてきたようなスペイン中のあらゆる地域と階層を覆う政治・経済の腐敗が劇的に暴露されたことである。そしてもう一つ、実に奇妙な「スキャンダル」がマスコミの手によって盛りたてられた。

(写真:保釈後の2014年11月22日にTV局Tele5の番組に登場した「小さなニコラス」)

 「小さなニコラス(El pequeño Nicolás)」の本名はフランシスコ・ニコラス・ゴメス・イグレシアス(Francisco Nicolás Gómez Iglesias)である。2014年の10月になるまでその名を知る人はほとんどいなかったが、その登場の仕方は尋常ではなかった。10月17日に彼はCNI(スペイン国家中央情報局)の文書の偽造と様々な詐欺の罪で国家警察に逮捕されたのだが、それと同時に、膨大な量の彼の写真やビデオが爆発のようにテレビや新聞を埋め尽くした。スペイン中の誰もがそれに驚愕した。この童顔の青年が、多くの国民党の実力者、国王、財界のトップグループを形作る要人などと、実に親しげな様子で一緒に登場していたからである。

 「小さなニコラス」は今年で20歳になったばかりである。今から掲げる驚くべき写真やビデオに見られる彼は十代半ばと後半の姿が中心だろう。あまりにも膨大な数で限りがないので、代表的な数例だけをここに掲げ、後は説明と写真リンクだけを載せておくので、青い下線部をクリックしていけば非常に興味深い画像を見ることができるだろう。

(写真:手前は元首相ホセ・マリア・アスナール)
 
 この写真が撮影された場所はアスナールが主催する国民党のシンクタンクFAES(なぜか経費の半分が国庫でまかなわれている)本部のホールである。現在でもスペイン政界に隠然たる影響力を持つこの元首相が講演する横で、まるでこの場の主人公であるかのような顔で10代後半のニコラスが座っている。

 アスナールは彼が幼いころから「フラン」と呼んでいつもかわいがっていたらしい。
こちらの写真は同じ席でのもの。この写真もFAESの中。こちらのものはアスナールと一緒にFAESに集まってきた国民党「親衛隊」の少女たちと一緒に写されたもの。さらにこちらのサイト(Antena3)で見られるビデオは興味深い。画面をやや下げた位置にあるビデオを動かせばよいのだが、彼がまだ15歳のころのものである。このころからアスナールの身辺を警護する親衛隊の中心メンバーになっていたようである。後の例でも分かるが、彼はアスナールに近づくマスコミの動きに神経をとがらせているようだ。

 当然だが彼は
こちらの写真のように、アスナール夫人で現マドリッド市長のアナ・ボテジャとの親交も深かった。さらにこちらの写真ではアナ・ボテジャだけではなく政府産業省商業次官ハイメ・ガルシア‐レガス(左)と一緒である。場所はFAESの研修室だが、服装が異なるのでおそらく先ほどのアスナールとの写真とは別の時期だろう。

 もちろんだが、この「小さなニコラス」は現首相のマリアノ・ラホイにも寄り添っていた。
(写真:ラホイ現首相と共に。おそらく17歳前後のものだろう。)
 
 また こちらの写真は、2011年の総選挙で国民党が圧勝した際に偶然にAntena3局のカメラに捕らえられたもの。そしてこちらは、やはりラホイの身辺を警護するように付き添う姿である。

 マドリッド国民党委員長のエスペランサ・アギレ(当シリーズ第2部の各所に登場) との親交も深かったようだ。この写真で両側の人物は不明だが明らかに外国からの客である。また こちらの写真ではアギレを取り巻く党青年部の一人として登場する(赤いズボン)。またこちらでは国民党副委員長マリア・ドローレス・デ・コスペダルと一緒で、その風貌からおそらく15歳くらいと思われる。この画像は映りが良くないが、例のバンキアの元会長で元IMF専務理事のロドリゴ・ラトと対面している。

  こちらのサイトにあるビデオ映像は非常に興味深い(少し下がったところにビデオ画面がある)。これはマドリッドの広場で国民党主催の祭りが行われたときのもので、2008年の総選挙の前にAntena3局のニュース番組で偶然に撮影されたもの。このときのニコラスはまだわずかに14歳である。この祭りにはマリアノ・ラホイとエスペランサ・アギレが出席していた。ニュースリポーターの女性がこれらの党幹部に近寄ろうとすると、それを見つけたニコラスが寄ってきて自分の体をぶつけてリポーターをラホイやアギレに近寄らせないようにするのだ。「なんでこの子は私に体をぶつけて外に押し出すのかしら」とぼやくリポーターの声も収録されている。この動きは明らかにシークレットサービスのものと同じであり、ニコラスはこんな歳からすでに国民党幹部の周辺で親衛隊として動いていたのである。

 次に経済界首脳とのつながりを見てみよう。
(写真:右端はラホイ政権の農業環境大臣だったミゲル・アリアス・カニェテ)

 これは大変な写真である。おそらく2年ほど前のまだ18歳くらいだろうが、ニコラスは農業環境大臣(現在はEUの環境エネルギー問題コミッショナー)であるミゲル・アリアス・カニェテの隣でかしこまっている。周囲にいるのはスペインの産業・金融界の有力者たちと思われる。おそらく国民党主催で行われた財界・産業界首脳の昼食会の席だろう。こちらも同様。こんなとんでもない席にこんな若造がなぜ、しかもカニェテのような大物の隣で出席を許されるのだろうか? いったい彼はどんな実力を持っているというのだろうか。あるいはこの少年にどんな巨大なバックがあるというのだろうか。

 こちらの写真もまた「とんでもない」と言えるレベルのものだ。右端がマドリッド商業会議会長で国民党への巨大な影響力を持つアルトゥロ・フェルナンデス(当シリーズ第2部の各所に登場)、次がUGT(スペイン労働総同盟)議長のカンディド・メンデス、真ん中がスペインの企業家を代表する組織(日本でいえば経団連に当たる)スペイン経営者協会会長フアン・ロセイュ、その右にニコラス、そして右端はCCOO(スペイン労働組合会議)の厚生・社会厚生部会議長と思われる。おそらく首相(ラホイ)の呼びかけで行われた政府・経営者・労働組合による労働改革三者会談の際に撮られたのだろう。どうしてこんなところにこの青年が顔を出しているのか? しかもここまで親しそうな顔で。

 ニコラスはアルトゥロ・フェルナンデスとは特に親しい関係だったようだ。こちらこちら(狩猟に招待されるニコラス)、またこちら(ニコラスが住んでいた豪華な住宅で昼寝をするフェルナンデス)を見るならば、単なる知り合いや部下ではなく、友人を越して家族も同然、本物の親子のようにすら見える。こちらは今年の秋に行われたマドリッド商業会議の議長選挙で選挙管理委員を務めるニコラス。フェルナンデスはこの選挙に再出馬して当選したが、第2部でお伝えしたように、カハ・マドリッドとバンキアの「不透明カード」に関わったことが発覚したため12月に辞任している。

 しかし何よりもスペイン国民を驚かせたのは次の映像だろう。
(写真:2014年6月19日に行われた新国王フェリーペ6世の即位式に招待された「小さなニコラス」)
 
 こんな社会的に何の名声も実績も持たない20歳になったばかりの青年が、なぜ国王の即位式に招待されたのか? 誰が招待状を出したのか? ニコラスは自分と王家との親しい関係を何度も語っている。実際にフアン・カルロスの実の姉であるブルボン家のピラールは「私の本当の孫と言うことができるのはニコラスだけよ」と語っているのだ。彼が特別な家柄の出だからではない。父親はグアルディア・シビル(軍の国内治安部隊)に勤務する。なぜこの青年がこれほどにスペインの上流階級に近づくことができたのか?

 最後にこちらのYouTubeビデオには、マドリッド市警察の車に、ただしパトカーではなく要人を乗せるための公用車の中で悠々と座るニコラスの姿が映されている。これもスペイン中のマスコミが大騒ぎをした映像だが、ニコラスは普段からこの公用車であちらこちらと移動していたらしい。いったい誰がそのような許可を出したのか?

 もし日本で、20歳にも満たない社会経験も無く大学すら出ていない若造が、首相をはじめとする自民党首脳、経団連や日本商工会議所のお偉方、さらには天皇家と、まるで家族のような親しい付き合いをしているばかりか公式の席に連なることができるとしたら…、豪勢な住宅に一人で住み公用車を「自家用」で使うことができるとしたら…、どうだろうか。そんなことがおおよそ考えられるだろうか? もう「とんでもない」を通り越して「ありえない」世界だろう。しかし現実にこの「小さなニコラス」はそうなのである。

 なぜ彼が国王の即位式に列席できたのか、なぜ豪邸に住み公用車を許可も無く使用できたのか、何よりも、一国の政治経済のトップが集う大それた場にどうしてこんな若造が繰り返し出席を許されてきたのか、TVも新聞も、評論家も政府関係者も、誰も、何一つ語ろうとしない。最も奇妙なのが、ニコラスが逮捕されたとたんに、マスコミを通して、それまで見たこともない驚愕の写真やビデオが洪水のように溢れ出したことだ。ちょうど国民党の悪事が次々と衝撃的な形で暴かれている最中であり、それから国民の目をそらすために仕組まれた、という解釈も可能である。マスコミは以前からこの不思議な青年(少年)の存在に気付いており、数多くの映像と画像を準備して大々的に披露する機会をうかがっていたはずだ。

 この「小さなニコラス」とはいったい何者か? 彼自身の話によれば、彼はスペインの中央情報局(CNI)のエージェントとして動いていた、また副首相からの依頼を受けてプジョルの弁護士と交渉した、フアン・カルロスの話を聞いて協力してきた、等々。しかしCNIとマドリッド州当局スペイン政府王室は彼との関わりを強く否定した。これほどに深い関係を示す映像・画像や証言が存在するにもかかわらず…。しかしいまスペインのマスコミは、この「小さなニコラス」を、儲け話を持ちこんである企業家からカネを奪おうとした、CNIの身分証明書を偽造した、また副首相などの要人からの依頼を捏造した、等々、単なる詐欺師として葬り去ろうとしている。

 そりゃそうだ、この小僧は詐欺師に違いあるまいて…。何せ、あんな腐れ切った詐欺の大本営でかわいがられ大切に育てられたのだからな。まさに「保証付き」だぜ。もし詐欺で捕まらなかったらとんでもない化け物になっただろうよ…。しかし「小さなニコラス」のマスコミ登場は、同時にこの国の政治や経済の「舞台裏」の一部をあからさまに曝し出してしまったようだ。国民には、単なる「詐欺事件」として以上に、この国を支配する詐欺体質の暗闇のほうが強く印象付けられたのではないか。

 不思議なことに、ニコラスを小さなときから最もかわいがり、シンクタンクFAESで傍に侍らせていたホセ・マリア・アスナールとアナ・ボテジャの夫婦、さらに親子とすら思えるほどに親しい付き合いをするアルトゥロ・フェルナンデスが、彼の逮捕以来、彼のことを一言も話そうとしない。マスコミもまたニコラスについてこの連中を取材しようとしない。それはどうしてなのか? 何かが伏せられ何かが隠されている。表面的にだけ、個人が行った詐欺事件として処理されようとしている。詳しい理由は分からないが、「小さなニコラス」はひょっとするとスペインの既得権益者たちにとって最も危険な存在なのかもしれない。


2014年12月29日 バルセロナにて 童子丸開


※ シリーズ「スペイン:崩壊する主権国家」全体は次の通りです。リンクを張っていないものは今後の予定です。

第1部  ノンストップ:下層階級の生活崩壊
   《果てしなく続く住宅追い出し:貧困ではない、不正義だ!》   《短期非正規雇用者の増大と失業率の誤魔化し》
   《飢餓に直面する子供たち、切り捨てられる弱者》   《数字だけの「景気回復基調」》
第2部 崩れ落ちる腐肉:(A)あらわにされる「たかりの文化」
   《倒産銀行にたかる病原体ども》   《次第に明らかになる「バンキア倒産」劇の内幕》
   《引き続く「ギュルテル」の闇》   《公営事業は野獣の餌場》
第3部 崩れ落ちる腐肉:(B)国の隅々にまで広がる腐敗構造
   《腐りながら肥え太ったバブル経済の正体》   《カタルーニャの殿様:プジョル家の崩壊》
   《内堀に届くか:バレンシアの亡者ども》   《アンダルシアに腐れ散る社会主義者》
第4部 終焉を迎えるか?「78年体制」
   《国民党は崩壊に向かうのか?》   《地に落ちた王家の権威と求心力》
   《ポデモスの台頭と新たな政治潮流》  《巨大な闇から現われた「小さなニコラス」》   
第5部 浮き彫りにされる近代国家の虚構
  《真の権力者はどこにいるのか?》   《雲の上の「1%」》
  《スペインと世界の「青い血」》   《民主主義?国民国家?》

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