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スペイン権力中枢の雪崩現象


 今年(2018年)になって、数多くの思いもかけぬ出来事がスペインに起こっている。「まさか」というような事態が次々と目まぐるしく展開してくるために、どの時点でどのように情報をまとめればよいのか、本当に苦しむ。しかし少し目を遠くに離した地点からそれぞれの出来事を眺めてみると、様々な分野で様々な形で起こる出来事が、なぜか一つの方向に向かって配列されている、というよりも一つの方向に激しく押し流されているように思える。それは、スペインという国にとって喜ばしからぬ方向に違いないのだが、そこに生きる我々としては、まるで激流に浮かぶボートに乗る者のように、この国と一緒に流されていくしかないのだろう。いずれはどこかの岸にたどり着くことになるのだろうか? それとも滝壺に向かって突き落とされることになるのだろうか? 神のみぞ知る、としか言いようがない。

2018年5月6日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
《マドリード州知事の醜態:表面化したマフィア的構造》
《根拠が消えた?カタルーニャ「亡命」政治家の罪状》
《過激化するフェミニスト運動と「三権分裂」》
《生きながらゾンビ化する国の姿》


【写真:「ニセ修士号」事件と「洗顔クリーム万引き」で辞任したマドリード州知事クリスティーナ・シフエンテス】


《マドリード州知事の醜態:表面化したマフィア的構造》

 当サイト記事『《裏切られた?スペイン国家》』でも軽く触れておいたことだが、3月21日、エル・ディアリオ紙は一つの強烈なスキャンダルを公表した。マドリード州知事クリスティーナ・シフエンテスが持っている法学の修士号が、州立フアン・カルロス国王大学によって捏造された偽物である、というものだ。この「マドリード州知事ニセ修士号事件」がこの国の政治体制を取り返しのつかない大混乱の中に放りこんでしまったのである。そしてこの暴露は、中央政府与党国民党が内部から自己崩壊しつつある惨めな実態を浮き彫りにさせた。

 エル・ディアリオ紙の告発によれば、シフエンテスはフアン・カルロス国王大学の2011~2012年の自治権研究の修士コースに登録したのだが、必須科目のうち2科目の授業に出席せず必然的に単位を取ることができなかった。同紙は同記事でその成績表のコピーを公表している。ところが、2014年になってその2科目の結果が「未出席」から「優秀」に書き直され、大学から修士号が与えられたのである。彼女がマドリード州知事に就任したのが翌年2015年5月の統一地方選挙(当サイト記事『《その他の主要地方自治体》』参照)の結果によるものだった。おそらくそのための「飾り」として修士号が必要だったというような事情があるのだろう。

 初めのうちは大学当局と担当教授は、シフエンテスがその2科目にちゃんと出席しており優秀な成績を取っていたのだが成績表作成の際に事務員が書き誤ったものだ、などと言い訳をした。当のシフエンテスはこの件を追求する州議会で大学が作成した修士号の証書を振りかざしながら必死で自分の学歴を守ろうとした。しかし彼女と同じ年に修士課程を修めた人々は口々に試験の際に彼女の姿を見たことがないと証言した。また大学側はシフエンテスの修士論文を明らかにできず、その成績表を認めた教授のサインが偽造だったことも明らかになり、担当教授もまた、それが「作り替えられたもの」であると認めざるを得なくなった

 どうやらこのマドリード州がカネを出している大学は「国民党の掃き溜め」として有名らしく、国民党の政治家が安価に簡単に学歴を手に入れるための道具となっていたようだ。国民党副書記のパブロ・カサドもまたほとんど出席もせずにやはり2008年度に修士号を受け取っているが、この時期には修士コースに出席していなくても最終論文で良い評価を得られれば(彼の場合それも怪しいものだが)簡単に修士号が手に入ったようだ。何せカサドはその論文を採点した担当教授たちと話をしたこともないことが明らかになっているのだ。当然だがこの大学は何の実績もない「研究」や活動を名目に多額の補助金を州や国の機関から受け取っていることが明らかにされている。

 そして4月9日になって大学当局はシフエンテスの修士号の取り消しを検討し始め、4月17日になって彼女自身も結局は修士号の放棄を決意した。しかしシフエンテスはその責任を大学当局に押しつけ、あくまで州知事の座をしがみつこうとした。その執念にとどめを刺したのが一つのとんでもないビデオだった。4月25日にOKディアリオ紙が公開したビデオ映像には、彼女がマドリード州議会の副議長を務めていた2011年にマドリード近郊にあるスーパーマーケットで2本の洗顔クリームのチューブを万引きして警備員に咎められているクリスティーナ・シフエンテスの姿が映されていたのだ。

 その万引きが発覚した後で料金を支払ったため警察沙汰にならずに済んだのだが、彼女には以前から治癒不可能な盗癖があった。身近な人たちには知られておりたびたび噂に上っていたようだが、そんな人物を党と自治体の重要な地位に就けていた国民党が最も責任を負うべきだろう。しかしマドリード州知事といえば日本で言うなら東京都知事に当たる。現職の都知事が偽造された学歴を振りかざす万引きの常習犯だったなどと、とんでもないを超してあり得ない話だ。それまで何だかんだと彼女をかばい支えてきた国民党中央も見放さざるを得ず、さすがに力尽きたシフエンテスは4月25日に辞任を表明した。

 もちろんだがこの前代未聞の醜聞は即座に欧州中の新聞紙面を賑わすことになった。しかしそれにしても、このニセ修士号の証拠や万引きビデオをメディアを通して暴露したのは誰なのか? 特に万引きを明らかにした警備員室のビデオは15日で抹消する規則になっていた。誰がどのように、何のためにそのビデオを手に入れて7年間も保存していたのか? また教官と職員が国民党関係者で固められているフアン・カルロス国王大学に保管されていた過去の学生の成績表を、誰が手に入れてメディアに流したのか? そこに中央政府与党国民党内部およびその周辺の警察機構内部で繰り広げられてきたマフィア並みの内部抗争が関係していると言われる。

 現在多くのメディアで言われていることを全て取り上げると膨大な量になるので、今は鍵となる一つのことだけを述べておきたい。クリスティーナ・シフエンテスは国民党内で多くの有力な勢力を敵に回していた。中でも2014年にプニカ(Púnica:カルタゴ)事件(当サイトこちらの記事参照)で逮捕された元マドリード州国民党No.2のフランシスコ・グラナドスとその周辺の勢力はシフエンテスを激しく憎んでいた。腐敗事件の発覚と自分の逮捕の裏にシフエンテスがいたことを突き止めたからである。彼は今年2月に裁判所での証言で、彼女がレソ(Lezo)事件(当サイトこちらの記事参照)で逮捕されたイグナシオ・ゴンサレスとの性的関係を保ちながらマドリード州国民党の秘密資金作りに関与していたことを暴露していたのだ。

 グラナドスはその証言の後にシフエンテスに対して「お前を殺すまで攻撃をやめないぞ」と脅したと言われる。例の万引きビデオやニセ修士号の証拠を入手して保存したのが、グラナドスと関係の深い元国家警察警視ホセ・ビジャレホ(当サイトこちらの記事参照)のグループではないかと見る向きが多い。またシフエンテスには常に国民党副党首で防衛大臣のマリア・ドローレス・コスペダルの支援があったと言われており、国民党内での権力闘争はほとんど殺し合いにも近いようだ。しかしこのようなことは、この国の国家権力の中枢部に巣食うフランコ独裁時代以来のマフィア的な権力構造が、自己崩壊を起こしながら表の世界に現れてきたことを表しているだろう。近いうちにまた別の記事の中で、フランコ自身の犯罪を含めたスペインの国家マフィアの実態に、改めて迫ってみたいと思う。

 このマドリード州知事の醜態は単なるスキャンダルではない。それは国民党の腐敗というだけではなく、今まで堅固な権力を形作ってきた社会の仕組み自体が腐れ果て崩れ落ちる光景である。つまりスペインという国と社会の中枢部が腐れ果て音を立てて崩れていく姿を、見事に浮き彫りにしたものと言えるだろう。


《根拠が消えた?カタルーニャ「亡命」政治家の罪状》

 当サイト『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(9)』で書いたとおり、スペインが発行した欧州逮捕状によって3月25日にドイツで逮捕されたカタルーニャ独立派リーダーのカルラス・プッチダモンは、ドイツの裁判所の判断によって保釈金などの条件付きで、4月5日に釈放された。スペイン司法当局の主張する「国家反逆罪」に疑問の眼が向けられたためであり、スペイン国家はまともに顔を潰された形となった。「国家反逆罪」についてはドイツの裁判所がその後2ヶ月ほどかけて行う判断によるわけだが、スペイン検察庁はハーグで行われたドイツ司法当局者との会議で、カタルーニャ独立運動がいかに暴力的に進められてきたのかを説明し、プッチダモンら「国外逃亡組」の身柄引き渡しを求めて圧力をかけた。

 またスペイン最高裁が「罪状その2」として主張するのが「公金の不正流用」だ。4月5日、ドイツの裁判所が保釈を決定する少し前に、最高裁判事パブロ・ジャレナは、違憲判決を受けた昨年10月1日の独立住民投票のためにカタルーニャ州の公金が大量に流用されたことを明記した書簡をドイツに送りつけていた。仮に「国家反逆罪」が国ごとの解釈に相違によって認められない場合があったとしても、違法とされる活動への公金の不正流用ということであれば国による違いはさほどないと思われ、これによって身柄の引き渡しが実現できるはずである。

 確かに、当サイト記事『《今年9月に入って本格化した「独立戦争」》』や『《住民投票直前に起こったこと》』を読めばわかることだが、2017年10月1日の住民投票の準備には相当の額の経費がかかっていたはずである。普通に考えれば、独立派が握る州政府が州の公金を使用したはずだ、ということになる。グアルディアシビルは最高裁判事ジャレナにその160万ユーロ(約2億1千万円)に上る金額と使用目的に関するデータを渡していた。そしてそれが欧州逮捕状に載せる罪状の根拠となっていた。

 ところがここで、独立反対派も賛成派もそろって腰を抜かすような、とんでもない事態が発生したのである。4月16日に、スペイン中央政府財務大臣のクリストバル・モントロが、この住民投票への公金流用が行われなかった、1ユーロも住民投票のために使われなかったという趣旨の発言を、全国紙エル・ムンド紙とのインタビューで行ったのだ。スペイン中の誰もが、おそらくドイツやベルギーなどの裁判所もだろうが、開いた口がふさがらない状態に陥ってしまった。

 『《今年9月に入って本格化した「独立戦争」》』の中で書いたとおり、9月15日以降、中央政府財務省はカタルーニャ州の財政を直接に管理し州の財源が独立運動に使用される可能性を封じた。また『《「パンドラの箱」を開けてしまった愚かな中央政府》』でも述べたように、それ以前の資金の動きから10月20日の州政府職員の大量逮捕が行われた。しかしその政府の作戦の最高責任者だったモントロ自身が「公金の不正流用」をあっさりと否定してしまった、というわけである。

 二重三重に顔を潰されたスペイン最高裁判事ジャレナはモントロに「どうして公金不正流用を否定するのか」と激しく詰め寄った。そして不正に流用された公金の金額をいきなり160万ユーロから190万ユーロ(2億5千万円)に引き上げた(?!)のである。いいかげんを絵に描いたような話だが、住民投票を阻止するためにカタルーニャ州の公金の動きを事細かにチェックしていたはずの財務省が、その不正流用に気付かなかったとすれば極めて重大な話になるだろう。しかし裁判所にしても財務省のデータに目を通さずにグアルディアシビルの報告だけで罪状を決めたとすれば、もう「大ドジ」「国際的恥さらし」としか言いようがあるまい。

 顔を潰されたのは最高裁だけではない。カタルーニャで独立派非難の最先頭に立つシウダダノスもまた、もし公金不正流用が無かったとしたら文字通り「面目丸つぶれ」になる立場である。4月26日の議会でシウダダノス党首アルベール・リベラは財相モントロに独立派を応援するつもりかと非難した。モントロはそれに対して、領収書の偽造があった可能性を示唆するにとどめた。また4月20日にプブリコ紙は、公金不正流用が無かったことを示す資料をグアルディアシビルがジャレナ判事に対して隠していたと、証拠書類の写真を添えて報道した。しかし他のメディアはなぜかこのセンセーショナルな報道を無視した。さらに当のグアルディアシビルや最高裁、独立反対派政党にしても、この報道に対して否定や非難の声を上げようとせず、ひたすら無視しし続けている。触れるとよほどまずいことでもあるのだろう。

 実際にはひょっとすると、住民投票の資金にされたのは公金ではなく独立派政党への「寄付金」だったのかもしれない。判事に「公金不正流用の資料」を渡したグアルディアシビルすらその可能性を語っている。4月20日に政府報道官のイニゴ・メンデス・デ・ビゴは、公金不正流用があったかなかったかの判断は最高裁の仕事だとしてボールをジャレナに投げ返し、29日に財務省が公金不正流用の痕跡の無いデータを最高裁に送りつけた。さて、ジャレナ判事はこのデータをどう判断するのだろうか。

 5月1日付のラ・バングァルディア紙の報道によると、スペイン最高裁はドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州裁判所に対して、相も変わらずカルラス・プッチダモンへの国家反逆罪と公金不正流用という罪状を主張し続けているようだ。しかしドイツ人たちが、以上のようなその罪状の決定的証拠が消えてなくなるかもしれないスペイン国内のゴタゴタを、どんな目で見ているのか言うまでもないだろう。ドイツばかりではない。英国とベルギーの裁判所もまた、ただただ溜息ばかりを付いているのではないかと、容易に推測できる。各国の裁判所の判断がどう下るのか、それにスペインの裁判所がどう反応するのか、今から楽しみである。


《過激化するフェミニスト運動と三権「分裂」》


 2018年の春、スペインで異常なほどに急激なフェミニズム運動の盛り上がりが見られる。2016年の大統領選挙前後から続く米国でのそれを彷彿とさせるほどの激しさだ。その背景には同様の仕事で平均13%も低い給与などの経済的な問題もあるが、何よりもスペイン社会に根付く伝統的な男性優位主義文化と、身近な男性による女性に対する暴力事件・殺人事件の多さがある。たとえば2017年には全国で少なくとも44人の女性が現在のあるいは元の夫や恋人によって殺された。2008年には76人であり、それから徐々に減る傾向にはあるのだが、殺害に至らない暴力、性的暴行、ストーカー行為などの犯罪は逆に増えつつある。2017年には12万5千人を超える女性からの告発があり、12万に近い被害が確認されている。

 今年3月20日には、スペインの歴史で初めて女性団体の呼び掛けによる「ゼネスト」が行われた。マドリード、バルセロナ、セビージャ、ビルバオなど全国の都市で数十万人の女性たちが、支援する労組の男性たちと一緒に、職場を離れて街頭に出たのだ。この「ゼネスト」とデモは多くの欧米のメディアで大きく取り上げられたが、今年に入って盛り上がってきたこの運動を主導するフェミニスト団体の眼は、近々言い渡される一つの裁判の判決に向けられていた。2016年7月7日に牛追いで有名なナバラ州都パンプローナのサンフェルミンの祭りで起こった集団婦女暴行事件の判決だ。

 この事件は「ラ・マナダ事件」と呼ばれるが、これは当時18歳の女性を拘留して暴行した5人のセビージャ出身の若者達(写真:こちらこちらこちら)が属しているグループの名前"La Manada(「群れ」の意味)"をとったものである。そのグループは全国の祭りを訪ねては若い女性を誘って遊ぶことを目的にしていた様子で、同じグループに属する他のメンバーが、やはり2016年にアンダルシアの祭フェリアの最中に21歳の女性を自動車の中で強姦した容疑で取り調べられている。またパンプローナで起訴された5人のうち一人はグアルディア・シビル(治安警察隊)隊員、一人は軍人であり、非番の日を利用して遊びまわっていたらしい。

 4月26日にパンプローナの裁判所でこの「ラ・マナダ事件」の判決が下ったのだが、それは「性的虐待(abuso sexual)によって9年の懲役」というものだった。この"abuso sexual(英語のsexual abuse)"は、「性的虐待」いうより「不当な性的な取り扱い」と訳した方が実際に近いかもしれない。合意が無く一方的ではあるが暴力や脅迫を伴わない性行為を指し、暴力や脅迫を伴う「性的暴行(violencia sexual)」「性的攻撃(agresión sexual)」よりもずっと軽い罪だ。また被告たちがセックス・シーンをビデオに収めてSNS上で広めていたことや被害者の携帯電話を盗んだことは「被害届が無かった」という理由で無視された。裁判所の判事たちはそのビデオを証拠として見たのだが、判決を下した判事たちは、被害者の女性が「暴力や脅迫を受けておらず」「恐怖の表情が見られない」として、「性的暴行」であることを否定したのである。

 この判決の直後からスペイン中の街が女性たちの激しい怒りの声に包まれている。いや、別にフェミニストではなくても、普段はフェミニスト運動を支持しない(多くの男性を含む)人々までが、この判決にはとうてい納得できず、何十万人もの人たちが全国の都市の街頭で裁判に対する怒り、司法制度に対する不信と抗議を表明している(写真:パンプローナパンプローナビルバオマドリードバレンシアバルセロナコルドバ)。今後も引き続きスペイン中の街は、「violencia(暴力)だ!abusoではない!」と叫ぶ無数の人々の抗議で揺れ続けることだろう。さらにパリ、ロンドン、ベルリン、ブリュッセルなど欧州各国の首都でもスペインの裁判所に対する抗議の声が上がっている。

 それにしてもこの判決の理不尽さにはあきれ果てるしかない。人気のない夜の街路で人相の悪い屈強な5人の男たちに取り囲まれ、「ねえちゃん、俺たちと遊ばねえか?」などと言われたら、抵抗できるだろうか? へたをすれば大怪我をさせられ、殺されるかもしれない。もうそれだけで、すでに十分な脅迫であり暴力である。被害者の女性は口や性器に合計で11回の挿入を受けたが、その凌辱を受けている最中には「早く終わってくれとだけ考えていた」と証言した。被告たちが撮影したビデオには、抵抗しようとせず無表情で為すがままにされる18歳の女性の姿が映されていたという。

 この被害者のように、激しい恐怖から身を守るために女性が抵抗を諦めてひたすら受け身的に「屈辱の時をやり過ごす」ことは心理学の立場からも指摘されていることだ。例の"abuso sexual"と"violencia sexual"との差がどこにあるのか、全くもっていいかげんというほかは無い。さらにポルノグラフィーに等しいビデオをSNSで広めることは、たとえ被害届が無くても女性に対する重大な人権侵害であり、この点に触れようともしない判決と裁判官に対する疑問や怒りは、ごく当たり前のことだろう。当然のように、この判決に納得しない被害者の弁護団検察は控訴を決定した。

 このパンプローナでの判決とそれに対する激しい抗議の波は、この国の支配体制の中枢部を直接に揺すぶる重大な危機をもたらすこととなってしまった。全国的な抗議活動に震え上がったのは国民党中央政府だ。政府は2015年の刑法改正の際に、女性団体から指摘されていた性的暴力に関する法制度の重大な欠陥を無視したのである。今までに述べたマドリード州知事の醜態と国民党内の分裂、カタルーニャ独立運動潰しを巡る司法権との齟齬、『《そして凍りつく国民生活》』で述べた年金問題に加えて、国民党とその政府はもう一つのとんでもない激流の中に放り込まれてしまったのだ。

 国民の激しい怒りに直面した政府広報官のイニゴ・メンデス・デ・ビゴは判決の翌日4月27日に、大慌てで性犯罪に関する刑法の見直しを叫んだ。他の政党も口々にこの判決に対する疑問を表明した。さらに法務大臣ラファエル・カタラーは4月30日になって、パンプローナの裁判所で被告の無罪を主張した一人の判事をやり玉に挙げ、過去の問題行動を指摘して、その判事をいままで裁判官の地位に就けていたスペイン司法権委員会に対する批判と受け取られる発言を行った。

 これらの政界の動きに対して、司法の最高機関である司法権委員会は司法の独立性を侵すものとして反発を強め判事たちのグループは特に法相のカタラーに対して司法権の独立を貶め圧力をかけたとして辞任を要求している。しかしこの国の「三権分立」などお飾りの役にすら立っていないことは、この事件以前に、政治・経済の腐敗やカタルーニャ問題を通して明らかだ(当サイトこちらの記事こちらの記事)。要するに、思いもかけない激しい大規模な国民の怒りを前に、他人に責任をなすりつけて自分たちの身を守ろうとしているだけであろう。さきほどのカタルーニャ問題を含め、もう三権は「分立」ではなく「分裂」の様相をすら示している。

 性犯罪の件に関して、当然だが、裁判所の判事たちは法律の条文に沿ってしかものを言うことを許されない。だから立法府である議会と、議会での最大勢力が形作っている政府に大きな責任があることは当たり前だ。しかし法律の条文の解釈については、その法律が適用される社会でのコンセンサスの問題になるだろう。要するにスペインという国の体制の中で、性犯罪がその程度にしか取り扱われていないという事実が、最も重大な問題ではないかと思われる。

 ただ、こちらの写真に見られるように、フェミニスト団体に方向違いの過激化が見られることには注意が必要だ。もちろんこの5人の男たちの罪は重いが、それよりも重大なものは、平然とこのような判決を下すこの国の司法の在り方であり、法制度改革に動こうとしない政治の在り方だろう。しかしこの写真にある絵には、5人の男の首を切り取って杭に刺して曝しものにせよという、以前のイスラム国(IS)にも似た感覚に溢れている。このような跳ね上がりが、女性の人権運動の方向性を捻じ曲げてしまうことを恐れざるを得ない。


《生きながらゾンビ化する国の姿》

 5月5日にプブリコ紙は「マナダ事件判決」に対する闘いを「家父長制度に対する宣戦布告」として紹介した。欧州だけではないが、伝統的な社会には男系優位の家父長的な仕組みとそれを無条件に肯定する思考の枠組みが頑丈に作られている。スペインでの問題は、それがマフィア的な社会と国家のシステムと不可分な関係にあることだろう。これを単に「女性に敵対する家父長制度」として捉えるだけならば、残念ながらその社会正義を求める闘いは見当違いの方向に突っ走るだけだろう。

 スペインの政治的な実力者には女性がけっこう多い。最初に述べたクリスティーナ・シフエンテス前マドリード州知事、国民党副党首で防衛大臣のマリア・ドローレス・コスペダル、政府副首相のソラヤ・サエンス・デ・サンタマリア、元マドリード州知事エスペランサ・アギレ、元バレンシア市長で故人のリタ・バルベラー、現マドリード市長マヌエラ・カルメナ、現バルセロナ市長アダ・クラウなどなど、国と地方自治体、政党などの上層部にいる女性は数え上げればきりがない。判事や検事などの法曹関係にも多くの女性がいるし、経済界ではスペイン第一の銀行サンタンデールの会長アナ・ボティンがいる。

 しかしそれが全社会的に「女性の地位向上」につながっているのか、というと、決してそうではない。彼女らは結局は数百年以上かけて作られてきたマフィア的な社会と国家のシステムの上に乗っかっているに過ぎない。以前は力のある男性が座っていた椅子に彼女らが座っている…、ただそれだけだ。その椅子を支える仕組みは、独裁者の死によっても1978年憲法によっても、何の変化も受けなかった。この点は当サイトで私が観察し記録し続けてきたとおりである。しかしそのシステムはいま音を立てて崩壊しつつあるようだ。

 2007年の建設バブル崩壊・経済危機発生、そしてカタルーニャ独立運動による政治危機発生以来、ずっと我々が目にしてきたのは、それまで深い情報の闇の中で包み隠されていたそのマフィア的な社会と国家のシステム自体に、様々な方向からサーチライトが当てられ一つずつまな板の上に載せられ、解剖され精査されつつある姿ではないか、という気がしてくる。その予感が当たっているかどうかはおそらく数年後に明らかになるだろうが、生きながらゾンビ化するようなこの国のグロテスクな姿は、観察力と感覚を少しだけ研ぎ澄ませればいまでも十分に見ることができるだろう。

 当サイト『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)』に書いたような基本的人権への抑圧、カトリックの国家宗教化、また『「カタルーニャ」に覆い隠されるスペイン社会の真の危機』や『《そして凍りつく国民生活》』で述べた国民生活の破たん、そしてこの記事に書いた国の権力構造自体の雪崩現象は、数年後のこの国の運命を指し示しているように思える。 

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