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スペイン国民を辛うじて最終的破滅から救った

「五輪誘致3連続失敗」の悲喜劇

見出し一覧:クリックすればその項目に進みます。
   ●スペインが破滅から救われた夜
   ●圧倒的多数の反対の声
   ●五輪誘致活動に浮かび上がるこの国の惨状
   ●失敗と腐敗の象徴、ペイネタ球技場
   ●バルセロナとカタルーニャのほくそ笑み
   ●世界一高価な「ミルク・コーヒー」


●スペインが破滅から救われた夜  【見出し一覧に戻る】

 2013年9月7日にブエノスアイレスで行われた「2020年オリンピック開催地決定」の選挙結果は、欲の皮を突っ張らせて目の前に描かれた餅によだれをたらすしか能の無いマドリッドの利権屋グループを大いに失望させたと同時に、多数派のスペイン国民を決定的な破滅から辛うじて救ったものだった。私がこのサイトで繰り返し紹介しているスペインの政治と経済は、あの世界を茫然自失とさせた日本国首相の大嘘よりも「フクシマ」の恐怖よりも、また「毒ガス・テロリスト発進基地」であることがばれて国際的な立場を失いつつある上に国民を殺しながら強権で鎮圧するしかないトルコの政情不安と社会的分裂よりも、はるかに救いようの無い深刻な事態であると国際的に認知されたのである。それは単なる「資金不足」の問題ではない。この国の国家と社会のあり方そのものの問題である。

 それにしても、見事に「失格候補」が3つもそろったものである。その中で圧倒的な票数で東京を開催地にしたIOCの判断が正しかったのかどうか、私は知らない。仮にフクシマの状況の悪化や致命的な自然災害が起こらなかったとしても、オリンピック開催を梃子にした首都圏改造によるミニ・バブルが日本の階級間と地域間に最悪の経済格差を生み出し、へたをすると日本国家と社会がオリンピック2020と心中するのかもしれない。まして何らかの「重大事態」が発生すれば、破滅する日本国を残したままで五輪開催自体が雲散霧消する可能性もある。しかしそれでもなおかつマドリッドよりはマシだというIOCの判断はおそらく、少なくともIOCとそこに巣食うスポーツ利権屋どもにとっては、大正解だった。

 東京ならば、日本人と日本社会がどうなろうが運が良ければオリンピックだけは開催できるだろうし、運悪く何かが起こったなら中止さえすれば最悪でもIOCとその利権構造は維持できる。しかし、もしマドリッドで開催されていたなら、オリンピックという「金のなる木」そのものがスペイン国家と心中していたかもしれない。落選決定後、マドリッド市の誘致委員会は「東京とのカネの差」をしきりと強調していたが、ならばどうしてイスタンブールにすら負けたのか? いま被害妄想に駆られるマドリッドの一部ではどうやら、2024年のパリ五輪を実現させるために妨害工作が行われたという陰謀論が渦巻いているらしい。

 一方でスペイン国民多数派にとって、このマドリッドの悲惨な失敗は文字通りの「大成功」だった。「五輪誘致」という名目のもとに、いままでに散々使い果たさればら撒かれた天文学的数字の国民の血税は、国内外の大企業主と大富豪どもの懐を通してどこかのタックスヘイブンにでも行ったまま、永久に戻ることが無い。しかしこの「ブエノスアイレスの悲劇」で、これ以上の致命的な大出血はぎりぎりのところで食い止めることができた。

 もちろんどこの国にも、利権のおこぼれを心待ちにするスケベエ根性の持ち主たちや、単なるお祭り大好き人間たちはいる。マドリッドでの彼らの落胆ぶりは言うまでもない。特に五輪開催で20年以上前に宿敵バルセロナに先を越されて世界最大級のプライドを大いに傷つけられたマドリッド市民にとっては、文字通り「完膚なきまでの敗戦」だったのだ。9月7日の夜、IOC総会で第1回投票の結果が出た。マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場に1万人を越す群集が手に手に風船を持って集まり、テレビ中継を映し出す巨大スクリーンがわずかにでもマドリッド代表団の姿を映し出すたびに大歓声を上げていた。しかし、10時過ぎにイスタンブールに負けたことが明らかになり、広場周辺は一瞬にして真空状態となった。人々は黙って巨大スクリーンに背を向けてひっそりと家路についた。かすかに足音とため息が響き、何個かの赤い風船だけが空しく夜闇に消えていった。

 その夜、スペイン代表のサッカー選手でレアル・マドリッド所属の
セルヒオ・ラモスのツイッターが、押し寄せる抗議と非難で炎上した。そこに日本食レストランで寿司に舌鼓を打つラモス選手と恋人の写真が載せられていたのである。彼の一生にとって最も大切な女性との幸せな夕食だったのだが、東京での開催が決まった直後で、何ともまずいタイミングだった。いやはや、この世界屈指のディフェンダーも、またとんでもないとばっちりを喰らう羽目になったものである。


●圧倒的多数の反対の声  【見出し一覧に戻る】

 しかし、日本にはあまり知らされていない事実かもしれないのだが、実際にはスペイン中で「オリンピック誘致反対」の声が圧倒的に強かったのである。
大新聞を含む各種の調査で、El Diario(賛成6%、反対93%)、 El Periodico(賛成36%、反対64%)、Faro de Vigo(賛成25%、反対75%)、 Burbuja.info(賛成11%、反対86%)、 Levante.emv(賛成16%、反対84%)、 La Vanguardia(賛成27%、反対72%)などといった具合だ。当然だがマドリッドでも反対の抗議行動があった。最も人目を引いたのが、9月6日の夜から7日の昼間にかけて、プエルタ・デル・ソル広場の背の高い街灯に上り鎖で自分の体を吊り下げて「オリンピック反対」の声を上げた一人の男だった。ただし報道管制されているとみえて、TVでその姿が映されることは無かった。(下の写真は街灯の上でオリンピック反対を叫ぶ男。)

http://ep01.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/07/madrid/1378548354_943257_1378579688_noticia_normal.jpg(El Paisより)

 この人物は
あの15M(キンセ・デ・エメ)運動の流れを汲み、強制的な住宅からの追い出しに反対する活動グループのメンバーである。スペインには、経済バブル時期に不動産屋と銀行の言葉巧みな誘いに引っかかって無理なローンを組まされ、バブルがはじけた後に職を失いその支払いが不可能になった数十万の家族がいる。またローンだけではなく家賃の支払いができなくなった人も膨大な数にのぼる。そして全国で銀行の要請と裁判所の命令に基づき警察力を使う住宅立ち退き強制執行が延々と続いているのだ。一時期よりも多少減ったとはいえ、今年上四半期にはスペイン全土で毎日毎日平均して216家族が武装警官によって自宅を叩き出されている。オリンピック誘致はこの状態を極度に悪化させることはあっても、改善させることは断じてありえない。それは上下の階級差をどんどんと広げ、半数の国民を街頭と貧民窟へと追いやるばかりだろう。

 街灯の周囲には150人ほどの支援者が取り囲み、男を強制的に引きずりおろそうとする警察と逮捕者を出しながら対峙した。なかなか男を降ろすことができず業を煮やした警察は消防署にはしご車の出動を要請したが、消防士たちは「逮捕に協力することは我々の仕事ではない」と突っぱねた。支援者たちは警察官に向かって「でくの坊め!消防士に見習え!」と口々に叫んだ。結局、開始から17時間後の7日の昼過ぎになって男は自らの足で街灯を降りてそのまま逮捕されたが、その夜その同じ広場で、「マドリッド2020」の夢、はじけたバブルの上に新たなバブルを重ねようとする愚行が、ものの見事にはじけ飛んだわけである。


●五輪誘致活動に浮かび上がるこの国の惨状  【見出し一覧に戻る】

 よく知られているとおりマドリッドの五輪誘致失敗は3回連続である。まず経済バブルの膨脹が最高潮を迎えつつあった2005年に、2012年の開催を巡ってロンドン、パリ、モスクワ、ニューヨークと競った。シンガポールで行われた開催地を決定するIOC総会では、第3回投票でロンドン、パリと熾烈な争いを繰り広げた結果敗退した。次にマドリッドは2016年の開催を目指した。すでに経済破綻が救いようも無く広がり始めていた2009年に、コペンハーゲンで行われた投票の競争相手は、リオデジャネイロ、シカゴと東京だった。第1回投票でシカゴが落選したが、マドリッドは最も多い得票をして大いに期待を沸かせた。しかし2008年の北京に近すぎる東京が予想通り落選した第2回投票で、シカゴの票のほとんどがリオデジャネイロに流れたことが分かり、一気にマドリッド不利の空気が広がる。案の定、第3回投票で圧倒的な差をつけられて敗退した。

 そして「三度目の正直」とばかりに(IOC委員にどれほどの「袖の下」を渡したのかは知る由もないが)、意気込んでブエノスアイレスにのり込んだフェリーペ皇太子、アナ・ボテジャ市長(アスナール元首相の夫人)を筆頭とする代表団は、ものの見事に「三球三振」を喰らって、末代まで残る国際的な笑いものになってしまった。まあ、彼らはすごすごとスペインに引き上げるだけだからそれでいいだろう。しかしこれらの単なる空振りとなった五輪誘致活動は、マドリッド市民に煮ても焼いても食えない「遺産」だけを残したのである。

 この国の不動産バブルについては『
バブルの狂宴:スペイン中に広がる「新築」ゴーストタウン』および『バブルの狂宴が終わった後は』、そして『マンガで超わかる!スペイン経済危機(1)エスパニスタン:住宅バブル』を参照していただきたい。そしてこの時期に膨大に作られた「新築」ゴーストタウンの代表例の一つが、最小に見積もっても98億ユーロ(エル・パイス:2013年の相場で約1兆3千億円)をかけた挙句に立ち枯れ状態のままほったらかしにされている「オリンピック施設」なのだ。これらはぜひとも「人間の愚かさの象徴」としてUNESCOの世界遺産登録し、末代まで保存してもらいたいものである。

 これが夢のマドリッド五輪メイン会場(完成想像図)。「バラ色の夢」を文字通り絵に描いたものだ。

http://img6.imageshack.us/img6/1501/1estadioolmpicoatletism.jpg (espormadrid.comより)

 オリンピック関連施設の建設は、2003年に市長となったルイス・ガジャルドン(現法務大臣)によって、2012年の誘致を目指して全力で開始された。しかし2012年、2016年と2回の誘致チャンスを逃し、そのうえに2008年に明らかになったバブル崩壊と事実上の国家破産のために、建設作業が一つ、また一つとストップされていった。下の写真は2011年に撮影されたものだが、すでに建設作業は事実上放棄されている。(左に見えるのは総合水泳施設となるはずの建物、右側はメイン会場となる予定だったペイネタ競技場)

http://www.elconfidencial.com/fotos/noticias_2011/2011071612JUEGOS.jpg (El Confidencialより)

 次は、上の写真から2年経った2013年の状態。工事途中でほったらかしのまま、工事車両も作業員の姿も無い。この2年間に何一つ手が付けられておらず、周囲にペンペン草と潅木ばかりが生い茂る、文字通りの廃墟と化している。
 
http://estaticos01.cache.el-mundo.net/elmundo/imagenes/2013/09/13/suvivienda/1379073439_0.jpgEl Mundoより)

 五輪誘致活動の中心となったアナ・ボテジャ市長は「オリンピック施設はすでに80%が完成している」と豪語した。しかしその「80%」の実態は上の写真のとおりだ。これらメイン会場となる施設のほかに、他の様々な競技の会場となる多くの施設、選手村、アクセス道路、鉄道と地下鉄などが、やはり同様に立ち枯れ状態か全く手が付けられていない。しかも、今までにかけたカネの原資はその多くが単なる借金であり、そのツケがマドリッド市民と州民、そして結局はスペイン全国民の肩に重くのしかかる。またマドリッド市民とスペイン国民の支払った税金が、こんなゴーストタウン建設を通して、国内外の詐欺師やタカリどものフトコロからタックスヘイブンの銀行口座へと流れていったのだ。その挙句に、学校は閉鎖され、病院は売り払われ、年金は削られ、消費税だけが上げられるのである。もはやこれ以上の出費は国民の過半数の生活を完全に崩壊に追いやるだけだろう。スペイン国民は馬鹿ではない。みんなそんなことくらい知っている。

 そればかりではない。オリンピック用に作った多くの施設を、オリンピック後にどのように維持して何に活用するというのだろうか。その見込みはあるのだろうか。私はスペイン人の性格をよく知っている。彼らが目の前に設定した目標を超えてその先を考えるようなことはありえない。結局は無数の巨大な無用の長物を抱え、天文学的な維持費と借金の返済で市も国も破滅するだけに終わるだろう。バブル時期に膨大な費用をかけてドイツよりも多くの民間飛行場を作った挙句にほとんど飛行機を飛ばすことのできない現状を見れば、簡単にそれくらいの予想は立つ。

 さらにもしマドリッド市が2020年の開催地に決まっていたならば、スポーツ関連施設だけでも、どう控え目に見積もっても20億ユーロ規模の新たな借金によって完成させなければならない。さらに「金食い虫」はスポーツ施設だけではない。マドリッドの街は大規模な都市改造をしない限りオリンピックの開催には耐え得ない。そのうえで準備期間まで含めた大会運営のために莫大な人件費を含めて何十億ユーロもの費用がかかるだろう。過去の例を見ても、2012年のロンドンでは当初50億ユーロの予算を組んでいた。しかし実際には150億ユーロ近い額にまで膨れ上がった。これでもロンドンはケチケチ運営で出費をよく抑えた方である。2004年のアテネは200億ユーロを使って後の国家破産の重大な原因の一つを作り上げてしまった。2008年の北京にいたっては415億ユーロといわれている。(参照:Libre Mercado誌

 スペインの現状を視察したIOC委員が、これらの「80%完成」の廃墟を見せ付けられ上で、ちょっとソロバンを弾きながら誰がスペインにカネを貸すだろうかと考えてみれば、フクシマの放射能も安部首相の大嘘も、この惨状に比べると天国に思えてくるのかもしれない。東京ならば、もし万一のことが起こっても全ての責任を阿部首相と日本政府に押し付けて逃げ、次の2024年の準備をすれば良いことになる。しかしマドリッドではこんな都市に絡んだIOC自体の身動きが取れなくなるうえに、今後、首都と国家を破滅に追いやる前例を作ったオリンピックを主催しようなど、世界中のどの都市も考えなくなる。IOCはもうマドリッドと心中して破滅するしかなくなっていただろう。彼らにとってマドリッドは最初に除外すべき対象でしかなかったのだ。


●失敗と腐敗の象徴、ペイネタ球技場   【見出し一覧に戻る】

 ここで、メイン会場となる予定だったペイネタ競技場について、もう少し詳しく述べてみたい。ここには1994年に450万ユーロをかけて建設した陸上競技場があったのだが、2001年の火災で使用されなくなっていた。2003年以後、市長となったガジャルドンがオリンピック誘致計画を明らかにすると共に、これを6万5千人収容の競技場に作り変えて「オリンピック会場の中心」として再利用する計画が持ち上がった。改装工事は2008年に開始されたのだが、その最初から何やらきな臭い雰囲気が漂っていた。(下は改装工事の途中で2011年以来ほったらかされているペイネタ競技場。)

http://ep01.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/09/madrid/1378679598_233008_1378680701_sumario_normal.jpgEl Paisより)

 この競技場が、オリンピック用であると同時に、スペインのサッカーリーグを代表する球団の一つ、アトゥレティコ・マドリッドの本拠地となるべきものとされたのである。アトゥレティコ・マドリッドは前会長の故ヘスス・ヒルの放漫経営が尾を引き、多額の借金を抱えて国庫に頼って球団を維持している身である。(スペインは経営不振の銀行だけでなく財政破綻したサッカー球団も国庫で救済している。)アトゥレティコが現在本拠地としているビセンテ・カルデロン球技場は狭いうえに老朽化が目立ち、収容人数の大きな新球技場を必要としている。しかしその費用が無い。
同様に新たな球技場を作ろうとして、あの倒産銀行バンキアに頼ったばかりに無残な立ち枯れ球技場を残したバレンシアFCの悲惨な例もあるのだ。(下は哀れにも幽霊球技場と化したバレンシアFCの新メスタージャ球技場。)

http://ep01.epimg.net/ccaa/imagenes/2012/09/20/valencia/1348161140_650336_1348217597_noticia_normal.jpgEl Paisより)

 言うまでもなく、その新球技場をオリンピック会場の名目で公金で作ってもらうなら、球団としては何の腹を痛めることも無しに新品の本拠地を手に入れることができるわけである。こんなウマイ話が二度と訪れることはあるまい。皮算用をするのはアトゥレティコ・マドリッドだけではない。当然だがその建設を請け負う建築会社FCCが最大の受益者となるだろう。この会社の本社はバルセロナにあり、所有者はスペイン有数の大富豪でユダヤ系スペイン人のエステル・コプロウィッツである。この国を形作る有力各界の者たちに、どれほどのタカリと食い散らしの文化が本能的習性としてしみ込んでいるのか、この例だけを見ても十分に理解できよう。マドリッド五輪失敗で最も青くなっているのが、アトゥレティコ・マドリッド球団所有者のミケル・アンヘル・ヒル・マリン(故ヘスス・ヒルの息子)と球団社長エンリケ・セレッソであることに間違いはあるまい。

 現在のところ、オリンピック誘致の失敗にもかかわらず新球技場の建設が再開されるという話になってはいる。計画だけは2015年の完成とされる。ヒル・マリンやセレッソにせよコプロウィッツ・ファミリーにせよ、現在中央政府を圧倒的多数で握る国民党に対する強い影響力は持っている。この国を上から動かす連中に最初から「公私の別」など無意味だ。公金を私用に使うことは奴らにとって自由であり権利ですらある。今後、マドリッド市とスペイン政府がどこからそのカネを引っ張り出すのか明らかではない。しかしなけなしの公金をちょろまかすにしても、どこから借りるにしても、結局はそのツケが多数派の貧乏人に押し付けられることだけは間違いがあるまい。


●バルセロナとカタルーニャのほくそ笑み   【見出し一覧に戻る】

 そんなマドリッドのドタバタ劇が、中央政府からの独立を夢見るカタルーニャ人の目にどう映ったのかは、容易に想像がつくだろう。私の知っている限りのカタルーニャ人は全員が、9月7日にテレビでマドリッドの様子を見ながら拍手喝采の大喜びをしていたのだ。翌朝に「東京!おめでとう!」と抱きついてきた人もいる。もちろん「さまあみろ!」という単純な反マドリッド感情の噴き出しもある。またマドリッドから搾り取られる税金が単なる無駄金として消える可能性が少しでも減ったこともある。人々は中央政府とマドリッド州・市のデタラメで無節操なやり口を知り抜いているのだ。しかしそればかりではない。

 翌9月8日に、バルセロナのシャビエル・トゥリアス市長は日曜日の地元ラジオ放送に出演し、「東京やイスタンブールに勝つことができる都市がスペインにあるとすればバルセロナだけだったでしょうね」と涼しい顔で言い放った。「国際的評価でバルセロナはイスタンブールよりもずっと強く、東京と並び立ちえたでしょう」と。マドリッドの人が聞いたら怒り心頭だろうが、しかし同時に、悔しくてもある程度は認めざるを得ない事実であろう。バルセロナにはそう言い切れるだけの自信があるのだ。(下の写真中央に写るのはバルセロナ市長シャビエル・トゥリアス。)

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/xavier_trias.JPG(撮影:筆者)

 もちろん厳しい財政事情はマドリッドもバルセロナも同じである。しかし少なくともバルセロナには、多少の改造さえすれば十分にオリンピック用として使うことのできる施設がそろっている。カタルーニャ人だった故サマランク(サマランチ)元IOC会長以来の人脈が健在である。また1992年のオリンピック後の不況を乗り切った後に、2003年と2013年の2度の世界水泳選手権大会、2010年の欧州陸上競技選手権大会などを主催して、各国のスポーツ連盟やマスコミとのパイプを強化し、大規模な国際大会を主催するためのノウハウを着々と蓄積している。普段はバスケットボールなどの球技とモーターバイク競技、コンサートなどの行事に使われている大型体育館を、50m競泳プールを持つ水泳会場に転用する技術も開発した。さらに国際的にも突出した観光だけでなく、大型の産業見本市を通して、市当局も市民も産業界も、外国人との付き合い方と待遇の仕方には十分に慣れている。マドリッドはそういった地道な努力を怠ってきた。オリンピックほどの大規模な行事となると、バラ色の夢と虫の良い皮算用と取って付けたようなみみっちい裏工作で何とかなるものではないのだ。

 現在バルセロナ市は、市内の施設とピレネー山脈のスキー場をセットにして冬季オリンピック開催地として立候補を検討している。マドリッド落選を受けてトゥリアス市長は薄笑いを浮かべながら「これで2022年の冬季オリンピック開催も現実味を帯びてきましたね」と語った。もし2020年にマドリッドでオリンピックが開催されていたらこの冬季オリンピックの話はそれまでとなっていたはずだ。しかしバルセロナではもう何年も前から開催地立候補の案が取り沙汰されていた。つまりマドリッドのオリンピックは実現しないと早々に踏んでいたのである。

 ただそれでもトゥリアスは、立候補すべきかどうかを問う住民投票を行ってから決めたいと、慎重な構えを見せる。そしてそれが2026年や2030年になりうるとも語っている。もしそれが開催されるとすれば、市内のスケート施設や室内スキー設備(現存施設の転用含む)に加え、バルセロナからフランス国境のピレネーの町プッチセルダーまでを結ぶ高速鉄道と高速道路が絶対に必要となる。もちろんそうなればバルセロナだけでの話ではなくなる。

 もちろん選手村や受け入れ態勢を整える大量の関連施設も必要だ。市内の施設は現在あるものをある程度は活用できるが、過半数は新たに建設する必要があるだろうし、市内の道路などのインフラも十分に整備されなければならない。いま、そんなことに使えるカネがあるのか、それによって生まれる経済効果と損失のバランスはどうなのか、たとえ投資自体が可能だとしてもそのような準備が9年間で達成できるかどうか、また終了後にどんな有効活用が可能なのか、維持できるのか、多くの課題が残される。最終的にそれを決めるのは、あくまでも市民でなければならない。


●世界一高価な「ミルク・コーヒー」   【見出し一覧に戻る】

 現マドリッド市長はホセ・マリア・アスナール元首相の夫人アナ・ボテジャ(正式にはアナ・マリア・ボテジャ・セラノ)である。彼女はカトリック集団「キリストの軍団(Legionares de Cristo)」のスペインでの代表的信徒として有名であり、また夫のアスナールと共に、かつてフランコ独裁体制の屋台骨となり「キリストの軍団」と「姉妹関係」にあるカトリック団体オプス・デイ(注:映画「ダビンチコード」に出る同名の集団とは無関係)の熱心な協力者でもある。子どもたちはすべてオプス・デイの経営する学校を卒業している。こんなことはスペイン人なら誰でも知っている。

 キリストの軍団は元々メキシコで生まれた教団だが、その創始者のマルシャル・マヒエルが幼児性愛や神学生に対する性的虐待で告発され、現在はバチカンによる直接の管理を受けている。またオプス・デイはカトリック内でバチカンから公式の認定を受けている宗派集団である。教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティーワ)はオプス・デイの創始者であるホセマリア・エスクリバーの熱心な賛美者で、死後わずか27年という前例の無い早さで彼を聖人に仕立て上げ、バチカンにその彫像まで作らせた。同様に前教皇のベネディクト16世(ヨゼフ・ラツィンガー、ヨハネ・パウロ2世時のバチカンNo.2)もオプス・デイの強い影響下にあったとされる。この教団は俗にカトリック超保守派と呼ばれているが、実際にはネオリベラル経済を形作る上流・中産階級に支持され、欧州と南北米大陸で絶大な影響力を持つ集団である。冷戦時代にはラテンアメリカで独裁体制を支え、イエズス会「解放の神学」派と厳しい対立関係にあった。また創始者はユダヤ系でありシオニスト集団と深い関係があるとも言われるが実際のところは分からない。現在のフランシスコ教皇はどちらかと言えば「解放の神学」に近い立場と一般的に見られており、ベネディクトの生きたままの退位と思いがけないフランシスコの就任は、バチカン内での権力構造の変化を反映しているのかもしれない。

 少々おどろおどろしい話になったが、夫のアスナールにせよこのアナ・ボテジャにせよ、欧米支配階層に深く喰らい込む宗教集団の一員を為している。もちろんだがネオリベラル経済の信奉者(というよりも受益者であり推進者)であり、「国民福祉」の概念を心底から憎んでいる。スペインの現政権を握る国民党の政治家でオプス・デイの支配下に無い者を見つけるのは困難だろう。また国王フアン・カルロスはこの教団に育てられたも同然である。こんな連中がそろいもそろって支配層の中心である国や市が、以上に述べた惨状を見せるのは理の当然であろう。そしてこのアナ・ボテジャが「ブエノスアイレスの悲劇」の中でスペイン中の物笑いの種になった。

 夫のアスナールと同様に英語がまるで苦手な彼女は(スペインで最高のコンプルテンセ大学を出ているのだが何を勉強したのやら)、IOC総会でのプレゼンテーションで、よせばいいのにニワカ仕立ての英語のスピーチを披露したのである。まあ、本人なりに必死で練習したのだろうが、英語の堪能な知人のカタルーニャ人はテレビを見ながら腹を抱えて笑っていた。その内容の大法螺やスペイン語的なたどたどしい発音のせいもあるのだが、作り笑いの顔をこわばらせて必死にしゃべっている途中、「a relaxing cup of  "café con leche" in the Plaza Mayor 」とやらかしたのだ。

 「cafe con leche(カフェ・コン・レチェ)」はmilk coffeeのことなのだが、つい夢中になって英語とスペイン語をごちゃ混ぜにした彼女のプレゼンテーションはたちまちスペイン中のツイッターを全面占領し、YouTubeビデオはパンク状態となった。以来「カフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)」はスペインの不名誉のシンボルとなったのである。

 いや、不名誉だけならまだ良いのだが、この「1杯のミルクコーヒー」のためにスペイン国民の支払った代金がどれほどのものになるのか、この「キリストの軍団」会員は分かっているのだろうか? ブエノスアイレスからマドリッドに戻ったアナ・ボテジャは早速カフェ・コン・レチェのカップを手にしながら実にわざとらしくはしゃいでみせた。しかしこの世界一高価な「ミルクコーヒー」の代価がいずれどんな形で己の身にのしかかってくるのか、このオプス・デイの盟友はさっぱり理解できていない様子である。

 いずれにしてもこのオリンピック誘致失敗でネオリベラルの泥棒どもがあてにしていたミニバブルのネタの一つが永久に潰れてしまった。もう「4度目」に挑戦する元気はあるまい。次のネタはマドリッド近郊のアルコルコンに建設予定の「ユーロベガス」だが、どうやらその雲行きが怪しくなっている様子だ。おそらくマドリッドへの出資を計画したラスベガスの大富豪で米国ネオコンを代表するシェルドン・アンデルソンがこの計画の将来性を疑い始めたものと見える。スペイン政府とマドリッド州はそれを室内での禁煙を命じる法律のせいだと主張したい様子だが、実際にはアンデルセン以下の出資予定者たちが、今回のIOCの決定を見ていっせいに身を引き始めたというのが実情ではないかと思われる。まあしかし、おかげでスペインの最終的な破滅が少しだけ引き伸ばされそうだ。この国に住む者としてはわずかにでも喜ぶべきことだろう。


 それにしても、なんとも高くついたミルクコーヒーだったのだが、スペイン国民がせめてこれ以上の「relaxing cups of café con leche」を味わうことのないように祈りたいものである。


2013年9月24日 バルセロナにて 童子丸開


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