まず、バンキアの事実上の前身といえるカハ・マドリッドを見てみよう。この貯蓄銀行は1702年に礎石が置かれた、スペインでも最も伝統ある銀行の一つである。1996年から始まったアスナール国民党政権の間に、(その3A)でお見せした数多くのバブルの遺跡に巨大な投資をした中心がこの銀行だが、リーマン・ショック以来の苦境を切り抜けるべく、2007年までIMF専務理事を務めたロドリゴ・ラトを会長に据えたのが2010年1月のことだった。ラトはアスナール政権の経済大臣であり、この銀行の経営者会議には国民党関係者が多い。しかしビルヒリオ・サパテロ・ゴメスを筆頭とする数名の社会労働党(PSOE)の関係者もおり、旧共産党関係の統一左翼党や同党の支持母体である労働組合連合(CCOO)関係者さえ加わる。
そのカハ・マドリッドは、同年12月に、他の貯蓄銀行と「緩やかな合併」をしてバンキア銀行の中心になったが、その成立は少々面倒である。まず2008年に進行する金融危機に対処するために国営のFROB(Fondo
de reestructuración ordenada
bancaria銀行再建基金:仮訳)が作られた。次にスペイン中央銀行によって2010年半ばに銀行システムの保護を目的としたSIP(Sistema
Institucional de Protección保護政策システム:仮訳)が登場し、その元で同年12月にBFA(Banco Financiero y de
Ahorros融資貯蓄銀行)の仕組みが形作られた。バンキア銀行はそのBFAの一部門として、カハ・マドリッドとバンカハ(バレンシアが本部)を主体とし、他の5つの中小貯蓄銀行を糾合してできたものである。
しかしこれは完全な合併ではない。それぞれの金融機関の主体性を保ちながら緩やかにつながる連合体であり、ひとつの破綻が他に波及しにくい――言い換えると極めて無責任な―ー形を考えたのだろう。ロドリゴ・ラトは2012年5月にバンキアの会長を辞めた後もカハ・マドリッドの会長のイスに座り続けている。
こうしてバンキアは、サンタンデール、BBVA、カシャバンク(バルセロナが本部)に次ぐ、3300億ユーロの資産を持つスペイン第4の銀行となったのだが、しかしその内実は苦しい経営を抱える大小の貯蓄銀行の寄り合い所帯でしかない。そのバブルによって膨らまされた資産はもちろん実体のあるものではなく、スペインの「腐った血」を1箇所に寄せ集めたものといえる。これがスペインの金融システム全体の「心臓発作」をひき起こすのは目に見えていた。
しかし実を言えば、バンキアが誕生してから今年の5月7日に国の支援を受け入れて一部国有化されるまでにいたる過程は、ほとんど明らかにされていない。5月29日に、首相のラホイはバンキアの欠損を調査することを拒否した。国会内でも、主要にこの銀行に関与する与党国民党はもとより、野党の社会労働党も、バンキア破産に至るプロセスをまともに語ろうとも調べようともしない。労働組合も統一左翼党も調査に強い声を上げようとしないのである。誰も彼もが、心を合わせたようにひたすら秘密を守ろうとしているのだ。そしてラホイは、国家の基本的な進路について話し合う毎年恒例の議論を今年は行わないと発表した。つまり、過去についても未来についても、一切の検証も検討も行わない、ということである。そりゃそうだ! この連中はみんな、バンキアの中で高給を喰らう「シロアリ」をそのメンバーに抱えてきたのである。
もちろんバンキアを構成するカハ・マドリッドやバンカハなど、それぞれの金融機関の内部でどのようなことが起こっていたのかも、黒い霧に包まれたままである。バンキアはできたばかりの2010年にすでにFROBから約45億ユーロの援助を受けていたわけだが、すでに(その2)で述べたように、危機を察した銀行の幹部たちは多額の「退職金」を手にして逃げ出していたのである。