メニューにもどる  幻想のパティオ:目次に戻る
画面中央のタグの「閉じる」をクリックしてください。
《お願い》 このページにあるリンク先をそのまま左クリックすると、いまの画面と同じ場所にリンク先のページが現れてくるため、両方を効率よく見比べることができなくなると思います。リンクの部分にカーソルを当て、手のマークが出たら右クリックから「リンクを新しいタブで開く」または「リンクを新しいウインドウで開く」を選択していただいたほうが便利でしょう。ご面倒ですがよろしくお願いします。


シリーズ: 515スペイン大衆反乱

15-M(キンセ・デ・エメ):第1話


「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ! お前は財布を持つ。俺にはカラッポの花瓶。」

 「15-M(スペイン語でキンセ・デ・エメ)」は5月15日を指す。日本語的には「515」といった方が分かりやすいかもしれないが、この日付は永遠に世界の歴史に残るだろう。もし我々に未来があるのなら。
 
2011年10月15日、世界82カ国1000もの都市で「世界を変えよう」という大衆運動が行われたが、この「街頭占拠」運動の出発点は同年5月15日のスペインの首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場だった。それは燎原の火のようにスペイン中に広まった。バルセロナで、バレンシアで、セビーリャで…。そして世界中で、もはや止めることのできない巨大な流れに成長した。
 正式には「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real, Ya!)」と呼ばれる。それは、20世紀後半に中南米を実験台として荒らし尽くし、日本とアジアを食い散らし、2001年の911事件以後、その毒牙を世界に突き立てる泥棒資本主義、ネオリベラル経済の国家支配に対する反乱である。


【第1話:バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ】

  (「バンケーロ」はスペイン語で銀行家

 2011年5月15日のプエルタ・デル・ソル広場での反乱は突然に始まったものではない。なによりもまず、その「前奏曲」をお聞きいただきたいと思う。
 2010年の終わりごろから南部アンダルシア州を中心にして、大銀行の店内で突然フラメンコを踊りだす不思議な集団が出没し始めた。その数十名の男女はバンケーロ(銀行家)を揶揄する軽快な歌にあわせて、唖然として見守る行員を尻目に、数分間、銀行を占拠する。
 「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ! お前は財布を握る。俺にはカネが無い。…」

 次のビデオをご覧いただきたい。これは2010年12月中旬に、スペイン最大の銀行で中南米をも金融支配するサンタンデール銀行のセビーリャ支店を突然占拠したフラメンコ集団である。
 
http://www.youtube.com/watch?v=Wv5dh8v7mDs


「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ! お前は札束をつかむ。俺はすっからかん。」

 現在の「経済危機」は、1996年のアスナール・ネオコン政権誕生以来のネオリベラル経済が元々経済基盤の脆弱なスペイン社会を侵食していった結果なのだ。それ以来、実体経済とはかけ離れた数字がマーケットに踊り、何がしかの「おこぼれ」が社会下層にまで何らかの形で滴り落ちていったのだが、その中で固定化された貧困層とにわか金持ちが同時に街にあふれた。そして2007年に米国と同時期に住宅バブルがはじけると、だぶついた資金は一気に、ある部分は市場の数字操作によって、ある部分は国庫を通して、上に上にと流れ始め、吸い取られたカネはもはや滴り落ちることが無い。学者は「経済の法則」をあれこれと掲げる。法則? 違う! 意図的な詐欺、純然たる犯罪なのだ。
 人々の目の前には悲惨なスペイン社会の現実だけが、単純に横たわる。どんな美辞麗句も、どんな科学的で専門的な言葉も、人間が我が身に受ける現実を覆うことはできない。20%を越す失業率(若年層では45%)、社会保障制度と公的医療や公的教育の容赦ない切り捨て、住宅ローンや家賃を払うことができずに住居を失う人々の急増…。学校を卒業しても無職のまま街路に放り出されるしかない若者たち、年金支給を先延ばしにされ途方にくれる初老の人々、襲いかかる首切りに懸命に抵抗する医療関係者と教師たち、救急診療を断られちょっとした医療検査や手術にさえ半年以上、下手をすると1年以上も待たねばならない病人と老人たち…。人々の消費意欲は落ち込みバルセロナのような大都市でさえシャッターを下ろす店舗が急激に増えている。その一方に、公的資金をつぎ込んで再編される金融機関では、合併に伴う「退職金」として一人で数億〜十数億円をつかみ取りにして逃げる銀行家たちの姿がある。そんなシュールな現実が、誰の身にも明らかに降りかかっている。

 スペイン国民はいま、かつてアルゼンチンなどのラテンアメリカ諸国を襲った国家破産の意味を自らの身で味わいつつある。人口比率の1%が、残りの99%から何もかも奪い取る泥棒資本主義とその主人公である銀行家と大規模投資家たち、それを合法化し制度化する政治家と官僚たち、そして人々の目をそらして泥棒どもの姿を覆い隠すマス・メディアによる、大規模で徹底的な国家支配である。
 2011年から激化しつつある民衆の反乱を「不満の現われ」などとありがたくものたまうメディアの解説者と政治家たちがいる。「こんな運動に走る者は感情だけにとらわれている。論理と哲学が無い」と、こんなことをおっしゃる方もいる。似たような言葉は2011年のフクシマ後の日本でも聞いたことがあるのだが、ナントカ大学の教授とかナントカ新聞の論説員などの肩書きを持つ連中が多い。彼らは、苦難を受ける人々がすでにこの災厄の正体を見抜いていることを、必死に否定しようとしているのだ。民衆反乱に加わる人々は次のことばを掲げる。「市場の独裁支配に立ち向かえ!」、「これは不況ではなく、詐欺だ!」

 次のビデオで、2011年5月13日にスペイン中央銀行前で踊られたフラメンコが披露される。階段には米国の3大格付け機関のS&P、ムーディーズ、フィッチの名前が書かれた板が置かれ、踊り手はリズムに合わせてそれを蹴り落とす。実体経済を無視して国債の格を上げて借金を背負い込ませ、次に格付けを下げて資金を断ち、その尻拭いは国庫を通しての巨大金融機関の国民からの財産強奪である。格付け会社はこの巨大詐欺の実行部隊なのだ。
 http://www.youtube.com/watch?v=uYHpfzXaEWU


「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ! お前は財布を握る。俺にはカネが無い。」

 もう一度振り返ろう。欧州ネオコンの一人であるアスナールの国民党が自由市場を大幅に導入して住宅と金融市場の狂乱を準備した。2001年9月11日以来、金と力と情報による世界蹂躙が本格的に開始されたが、それと同時に、中南米でのネオリベラル経済の実験が終了し、その成果がアルゼンチンの国家破産によって確認された。911事件とアフガニスタン侵略の陰に隠れた形だったが、このアルゼンチンの国家破産こそ、その10年後の欧州諸国での危機の雛形だった。
 このとき、アルゼンチン国内外の大資本は一方的に資金を国外に逃避させ、国民の中でも25万ドル以上の高額預金者は自分の預金の47.4%まで引き出すことができたが、1万ドル未満の預金者は9%の引き出ししか許されなかった。本格的な経済崩壊は9月から始まったのだが、11月だけでも約50億ドルが国内の銀行から消えその後年末までに2百億ドルもの資産が「行方不明」となった。一方でアルゼンチン国民の、特に大多数を占める下層大衆の資産は破産寸前の国家によって差し押さえられ、その後のペソ切り下げによってその3分の2を掠め取られた。


「氷の心。熱く燃える市場。口にするも汚らわしい奴ら。」

 2002年から実質的に導入されたユーロは、スペインに物価の高騰と本格的な住宅バブルを生み出していった。人々は瞬く間に2倍、3倍になる「資産価値」に目を奪われ、夢に浮かれるように頭金無しの無理なローンを組んだ。誰も、10年以上前の日本人の愚かさから学ぼうとしなかった。2004年の311マドリッド列車爆破事件を境に、政権はサパテロ社会労働党に変わったが、彼らもまたその詐欺の進行を明らかにすることなく、無為無策のままに借金とばら撒き政策を繰り返した。
 そしてその夢は、はじけるべくしてはじけた。国家にも自治体にも企業にも個人にも、借金だけが重くのしかかった。街の中にカネは動かず、中小企業と商店は次々と姿を消し、企業に人を雇う力は無く、本来なら景気浮揚策策に使われ街に回る資金の提供に当てられるべき国庫は、次々と国内外の銀行の懐に滑り込んでいく。その中で社会保障、公的医療と公的教育が切り捨てられ、税金は引き上げられ、その一方で高額所得者への課税率を上げる試みは巨大な抵抗に遭う。公的な企業と医療、教育などは次々と私有化されようとしている。マドリッドとバルセロナの空港、国営宝くじは売り払われ、いま各地の公立病院に「大安売り」の札が貼られようとしている。残る最大の国有資産は鉄道だが、これも現在進められている「地中海幹線」計画に多額の税金をつぎ込んで形を整えたうえで誰かの手の中に納まるのだろう。
 人々は、過去に中南米国家を食いつくし、そして今、もっとおいしい欧州国家を食い荒らしているものの正体を知ったのだ。2011年夏になって、こちらも崩壊寸前のサパテロ社会労働党政権は、そんな国民に対するポーズとして「高額の資産に対する課税」を提示したが、サンタンデール銀行の頭取で大富豪のエミリオ・ボティンは「馬鹿げた政策」と一喝した。

 この11月20日にはスペインの総選挙が行われ、それで多数派となる党派のリーダーが次期首相となる。スペインの有権者はすでに社会労働党に見切りをつけており、アスナールの後継者であるラホイの国民党が次期政権を担いそうだが、その支持率はせいぜい40%強である。しかしその数字で、国会議員数の圧倒的多数を確保するに十分なのだ。
 その40%の有権者は以前の甘い汁の夢をもう一度国民党政権に賭けようとしているのだが、間違いなくそれは「最後の賭け」になる。アスナールは「スペインを国家破産させた指導者」として歴史に名を残すことだろう。1990年代にアルゼンチンを「キャッシュフロー信仰」で躍らせた挙句に破産させたカルロス・メネムのように。そしてラホイはその破産宣言の貧乏くじを引き、国民に尻拭いをさせて怨嗟の的となる運命を負うことになる。
 こういった現代史の全てを背景として、20011年の統一地方選挙の1週間前、5月15日、こんな情けない政治家しか生み出さない選挙制度に対して「拒否!」を叫び、マドリッド中央にある市のシンボル、プエルタ・デル・ソル広場にあらゆる年代の人々数千人が集まって広場を占拠した。マドリッドばかりではない。この危機に直面する人々の間で飛び交うツイッターやフェイスブックなどの手段で連絡を取り合い、バルセロナ、バレンシア、セビーリャなどの大都市で、続々と人々が集まり始めたのだ。もう誰にもそれを止めることはできない。

 このシリーズでは、5月15日からスタートしてその後に起こったことを次々と取り上げ、この大衆反乱の記録として書き留めていきたい。しかしその前に、この第1話でお見せしたいかにもスペインらしい抵抗者の姿を記憶に焼き付けておいていただきたい。この200年間ほどのスペインの歴史は、民衆の反乱とそれに対する野蛮な弾圧の繰り返しだった。スペインのテロと言えば近年はバスク民族のETAが有名だが、19世紀のバルセロナは過激な労働争議と爆弾テロの巷だった。また南部アンダルシアは強力なアナーキズム運動の中心だったし、フランコ軍に押しつぶされたマドリッドはおびただしい抵抗者の血に塗られた。この国の民衆は決してその歴史を忘れていない。それは、血となり肉となって現在のスペイン国民の中に生き続けている。1960年代にフランコ独裁の国家警察と闘った世代は、その子どもに、そして孫に、着実に闘いを受け継がせている。
 またアンダルシアの人々が銀行に対する「攻撃」の武器としたフラメンコだが、元々はジプシー(スペイン語で「ヒタノ」)の黒ミサが起源と言われ、カトリックによる過酷な思想統制への抵抗だったのだ。そのリズムはスペイン人の神経に刻み込まれている。それは、潰されても潰されても、血と大地の中から、自由を求めて湧き上がってくる

 日本でも、本当に必要なものは歌と踊りなのかもしれない。「みんな嘘だったんだぜ」も非常に良いのだが、私としては、八木節でも阿波踊りでも、津軽じょんがら節などでも良いかもしれない…、激しい三味線の音と踊りが、東京電力本社前、霞ヶ関、永田町などを包む…、そんな抵抗があってよいのではないかと思うことがある。(今の永田町なら安来節なんかちょうど似合っているだろう。)日本列島の大地と日本人の血から湧き出る力が、現代の世界を食いつぶそうとする毒牙に立ち向かうとき、反原発の運動も、反格差の運動も、本物になっていけるのではないだろうか…、ふとそんな気がする。

(2011年10月21日 バルセロナにて 童子丸開)

「第2話:プエルタ・デル・ソルへ!」に続く
メニューにもどる

inserted by FC2 system