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特集:「カタルーニャ独立」を追う C


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世界からつながる「独立の鎖」
2013年9月11日、カタルーニャの「人間の鎖」
同時に「資本主義からの独立」を求める「鎖」も
カタルーニャ内部、スペイン政府の反応
変化を見せる欧州と世界の反応
交錯する強気と弱気

「カタルーニャ独立」を追うBに戻る】



世界からつながる「独立の鎖」 【見出し一覧に戻る】

 2013年夏には世界中で実に奇妙な光景が繰り広げられた。黄色いシャツを着て、黄地に4本の赤い線の付いたカタルーニャ「国旗」を背負った人々が一斉に手をつなぎ合う姿である。カタルーニャ独立へ向けての運動を進める「カタルーニャ国民会議(Assemblea Nacional Catalana; Catalan National Assembly)」のHP(リンク先は英語版)によれば、世界5大陸の116都市で、総勢1万人を超える人々が手をつなぎ「人間の鎖」を形作った。7月13日のウィーンを皮切りに、主要な例だけを取り上げると、ローマ(8月3日)、香港(8月9日)、サラエボ(8月16日)、リオデジャネイロ(8月18日)、モンテビデオ、ブエノスアイレス(8月24日)、サンパウロ、ロスアンジェルス、トロント、パナマ、東京、エジンバラ、ハンブルグ、ベルリン、ケルン(8月25日)、ボンベイ(8月26日)、リスボン、ミュンヘン(8月30日)、北京・万里の長城、オークランド、ヒューストン、メキシコシティー、オスロ、マンチェスター、ヘルシンキ、ジュネーブ、ロンドン、ニューヨーク、マイアミ(8月31日)、コペンハーゲン、リマ、ウェリントン、シドニー、ブリュッセル、バンコク、シアトル、モントリオール、エルサレム(9月1日)、パリ(9月2日)、ブダペスト(9月3日)、ワシントン(9月4日)、ドバイ(9月7日)、サンフランシスコ、ダラス、シカゴ、ソウル、アテネ、ワルシャワ(9月8日)、ストラスブール、リヨン、上海(9月11日)といった具合だ。そのいくつかを写真で見ていただこう。


 8月25日、東京浅草の浅草寺境内にて。

(写真Url:http://www.vilaweb.cat/media/continguts/000/068/019/thumbnails/thumb_474__4.jpg Vila Webより)

 8月31日、中国万里の長城の上でつながる「人間の鎖」。

(写真Url:http://www.antena3.com/clipping/2013/08/31/00129/31.jpg Antena 3より)

 8月31日、ニューヨークのセントラル・パーク。

(写真Url:http://imagenes.publico.es/resources/archivos/2013/9/1/1378032554216viacatalanac4.jpg Públicoより)

 9月2日、パリ。

(写真Url:http://www.panamaamerica.com.pa/adjuntos/149/imagenes/006/958/0006958840.jpg PanamaAmericaより)

 これらの小さな「人間の鎖」は、9月11日に独立を祈願してカタルーニャを南北に結ぶ400kmに近い一本の巨大な「鎖」へとつながるはずのものだった。カタルーニャ州政府と大勢のカタルーニャ人たちは、昨年(2012年)の9月11日に人類史に(たぶん?)残る「200万人デモ」でスペインからの分離を求める強い意志を示したのだが、今年は1989年にソ連からの独立を願って作られたバルト三国で形作られた「人間の鎖(バルトの道)」にあやかって、人間による鎖《カタルーニャの道》を計画していたのだ。もっとも、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国の場合、すでにソ連の崩壊が決定的になってもう独立以外の選択肢が事実上存在しない状態だったのであり、現在のカタルーニャと重ねるのはやや困難だろう。同じ「死に体」国家とはいえ、当時のソ連が実際に解体処分寸前だったのに比べて、今のスペインは「生けるゾンビ」となって、死臭を放ち無様な姿をさらしながらうろつきまわっているからである。


2013年9月11日、カタルーニャの「人間の鎖」 【見出し一覧に戻る】

 しかし、とにもかくにも、今年の9月11日の様子をいくつかの写真でご覧いただくことにしたい。まず、欧州の中でのカタルーニャの位置と大きさを地図でご確認していただこう。薄い赤色がつけられている地域がカタルーニャである。面積でいえばオランダ、ベルギー、スイスに匹敵する。


(写真Url:http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/map_spain.jpg Google Mapより)

 地中海岸に沿ってローマの時代からある道をアウグスタ(アウグストゥス)街道というが、ここに、南はバレンシアのビナロスから北はフランス国境を超える場所にまで人間の鎖を通して《カタルーニャの道(Via Catalunya)》を作ろうという計画だ。バルセロナはそのほぼ真ん中付近にあり、「鎖」の中心になる。

(写真Url:http://international.reagrupament.cat/wp-content/uploads/2013/07/ViaCatalana.jpg International Reagrupamentより)

 2013年9月11日の午前中、バルセロナはあいにくの雨天だったが、その中で、1714年「独立戦争」の英雄ラファエル・カサノバの彫像への献花、シウタデジャ公園での記念式典など、毎年恒例の「ディアダ(カタルーニャ記念日)」の行事が行われた。「人間の鎖」がつながるのは1714年にちなんだ17時14分だったのだが、朝からバルセロナ市内は異様な熱気に包まれ、その時間に向かって興奮が高まり続けた。

 そしてまるで天までがこの「鎖」の完成を待ち望んでいたかのように、午後から雨も上がり時おり太陽が顔をのぞかせるほどになった。次の写真は市の中心にあるカタルーニャ広場の4時前の様子だが、カタルーニャ各地の様子を映すための大型スクリーンの前にはすでに千人以上の人が集まってお祭り騒ぎになっていた。黄色と赤のカタルーニャ「国旗」だけでなく、同じく独立を願うバスクの旗(赤地に白と緑の十字)が乱立しているのは印象深い。この後、広場周辺からグラシア大通りにかけて集まる人々は何万人にも膨れ上がっていった。


(写真Url:http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/cadena_humana_diada-07.jpg 撮影筆者)

 一方、カタルーニャ州庁舎とバルセロナ市庁舎のあるサンジャウマ広場にもすでに大勢の人々が集まっていた。この「人間の鎖」の要(かなめ)にあたるカタルーニャ州庁舎前には、下の写真にあるように、英語、カタルーニャ語、スペイン語で書かれたメッセージが置かれた。それぞれ「さよなら、スペイン。お元気で。」、「さよなら、スペイン。新しい道が我々を待っている。」、「さよなら、スペイン。またヨーロッパで会いましょう。」

(写真Url:http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/cadena_humana_diada-08.jpg 撮影筆者)

 そして17時14分、鐘の音にあわせて一斉に「鎖」がつながった。その中心が下の写真のカタルーニャ州庁舎前である。

(写真Url:http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/cadena_humana_diada-09.jpg 撮影筆者)

 下は、カタルーニャ「国旗」を手にしてサグラダファミリア大聖堂の前に集まった人々。ここは「鎖」の本線には当たっていないが、市内中心部のあらゆる道路と広場はこのような人々で埋められた。

(写真Url:http://ep00.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/11/album/1378887346_418278_1378921179_album_normal.jpg El Paísより)

 次は「鎖」本線が通るバルセロナの中心街、グラシア通の様子。もう何十本もの「鎖」が太く絡み合っているようである。カタルーニャ各地の都市、「鎖」本線が通る都市はもちろん、本線から外れる都市でも、同じような光景が繰り広げられた。

(写真Url:http://ep00.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/11/album/1378887346_418278_1378923032_album_normal.jpg El Paísより)

 下は、バルセロナから離れフランス国境へ向かう海沿いの道路でウエーブを作る「人間の鎖」。この「鎖」本線を作るおよそ35万人は8月以前に申し込みが殺到してほとんど決まっていた。その人々がカタルーニャ中からバスを連ねて本線のある場所までやってきた。しかし実際には多くの「飛び入り」が加わっており、本線だけで数十万人の人々が手をつないだものと思われる。州内務委員会の公表によると、この「鎖」本線に加え各都市や町でこの日の行事に参加した人はおよそ160万人である。

(写真Url:http://ep00.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/11/album/1378887346_418278_1378923767_album_normal.jpg El Paísより)

 下は、カタルーニャからフランスの国境を越えて、山沿いの道路に続く「人間の鎖」。El Pertús(カタルーニャ語)はフランス領の小さな町で、フランス語ではLe Perthusである。しかしフランス南部、現在のペルピニャン付近はもともとカタルーニャの土地であり、このペルトゥスの町もカタルーニャとの一体感が強い。1936年から39年まで続いたスペイン内戦末期には、大勢のカタルーニャ人が、女性も子どもも老人も、フランコの弾圧を恐れて大雪の中をこの道を通ってフランス領カタルーニャに逃れていった。いまここにカタルーニャ独立を夢見る「鎖」が続く。

(写真Url:http://ep00.epimg.net/ccaa/imagenes/2013/09/11/album/1378887346_418278_1378912924_album_normal.jpg El Paísより)

 「カタルーニャの道」では次のような面白い光景も見られた。有名なカタルーニャの民俗芸能(というよりもスポーツに近い)にカステイュ(人間の塔、または人間の城)があるのだが、「鎖」の途中で多くの小型の「塔」が作られたのだ。

(写真Url:http://1.bp.blogspot.com/-0S4HQSAVD2k/UjqS3znfrEI/AAAAAAAAInI/2gZbiRY8yzU/s1600/via+catalana+Diada+11+sep+13+Avinyonet+del+Pened%C3%A8s+castellers+fent+Via.jpg Agora de Catalunyaより)


同時に「資本主義からの独立」を求める「鎖」も 【見出し一覧に戻る】

 この9月11日17時14分に一斉に手をつないで「鎖」を作ったのはスペインからの「独立」を求める人々だけではなかった。バルセロナの「鎖」本線から少し離れたディアゴナル通、マリア・クリスティナ広場のそばにあるカタルーニャの資本主義の「総本山」と言ってもよい大銀行ラ・カシャ(カシャ・バンク)本店を、「資本主義からの独立」を望む5000人以上の人々の作る「鎖」が取り囲んだのである。これにもカタルーニャ各地から「単に独立を叫ぶだけでは我々はどこにも行けない」と考える人々が集まってきたのだ。


(写真Url:http://imagenes.publico-estaticos.es/resources/archivos/2013/9/11/1378931144731rodea-la-caixa.jpg Públicoより)

 この銀行を取り囲む「鎖」にはカタルーニャの環境社会主義政党ICVのジュアン・エレラ党首を始め同党の幹部も加わっており、また2年前の15‐M(キンセ・デ・エメ)運動を闘った人々も多く参加している。これは社会的公正を求めて活動するグループEl Proces Constituentが呼びかけたものである。このグループの名前は日本語でどう訳すべきか分からないのだが「憲法改正(制定)プロセス」あるいは「選挙の進展」となるのだろうか。彼らは今まで歴史的に現れた経済的・政治的な制度が全て失敗だったと説き、新たな政治潮流を作っていこうとする。基本的にカタルーニャの独立は認めるのだが、それが同時に資本主義、特にIMF・欧州中銀・EUの「トロイカ」による構造的な収奪からの「独立」を伴うものでなければならないと主張している。

 このグループの成り立ちはもう一つよく分からないのだが、その運動のマニフェストを、カトリックの尼僧で薬学博士、国際的な製薬会社による様々なワクチンの謀略を告発するテレサ・フォルカダスが書き、また著名な作家で社会学者・政治学者、バルセロナのポンペウ・ファブラ大学教授ビセンス・ナバロが支援していることには注目させられる。これは従来型の「左翼」とは異なる起源を持っている。それだけに伝統的な「左翼」からは冷たい目を向けられているのだが、こういった運動がどんな形を取って発展していくのか、あるいは潰れていくのか、独立運動と今後どのような関わり方をしてくるのか、またカタルーニャだけではなくスペインや他の欧州諸国での民衆運動とどのようなつながりを持っていくものなのか、当面関心を持って見ておく必要がある。


カタルーニャ内部、スペイン政府の反応 【見出し一覧に戻る】

 この「人間の鎖」はもちろんカタルーニャ人たちの独立への思いを表現したものとして演出されたのだが、その演出を行った主体であるカタルーニャ州政府(ジャナラリターッ)の与党CiU(集中と統一)党首であるアルトゥール・マス知事は、なぜかこの「鎖」には加わらなかった。州政府が実現させようとしているものがあくまでも「独立自体ではなくその可否を問う住民投票を実施すること」である、という態度のためである。しかもその実施を従来主張してきた2014年から2016年に先延ばしする可能性が高いのだ。また長年彼のカタルーニャ民主集中党と手を組んできたカタルーニャ民主統一党のデュラン・リェイダ党首は、独立運動の暴走を警戒してその住民投票にすら反対しており、もちろん「鎖」に加わることはなかった。それには、この党派がカタルーニャの資本家を代表するものであると同時に、連立する両党と最初から対立してきたカタルーニャ左翼共和党の、強引な独立戦術に引きずられることに対する警戒も含まれる。

 もちろんマドリッド政府与党の事実上の出先機関カタルーニャ国民党は住民投票自体を憲法違反としており、右派の市民連合と共にあくまで独立阻止を掲げる。一方で、同様に「スペイン分裂」を阻止する構えであるマドリッドのスペイン社会労働党との調整に苦しむ前与党カタルーニャ社会労働党は、憲法を改正してスペインに「連邦制」を作ることで自治権の拡大を訴え、住民投票にはあくまで反対する。同じ左翼でもICVは独立には慎重だが住民投票自体には賛成している。こうしてこの「人間の鎖」はカタルーニャの全土を結びつけると同時に、その内部にある様々な亀裂をも浮き彫りにした

 マドリッド中央政府は9月11日中に、必死になってこの「人間の鎖」の矮小化に努めた。発表された参加人数が昨年の「200万人デモ」よりも少ないこともあるのだが、副首相のサエンス・デ・サンタマリアは「カタルーニャ人の『沈黙の多数派』は自宅にいて参加しなかった」という見解を発表した。同党の支部であるカタルーニャ国民党のカマチョ党首は翌日に「真のカタルーニャ人は自宅にとどまっていた」と語り、首相のマリアノ・ラホイもまたひたすら冷笑を浴びせかけ、住民投票の可能性を否定するだけだった。しかし彼らの見通しは何の根拠もない単なる希望的観測に過ぎない。彼らのこういった頑固に現実を見ようとしない態度こそが、スペインとカタルーニャの間の亀裂を広げ深めつつあるのだ。

 実を言えば、このディアダの前日に全国ラジオ網カデナ・セールが行った意識調査によると、カタルーニャの80.5%が住民投票実施を望んでおり、たとえ中央政府によってこの投票が「憲法違反」とされてもなお投票に行くと答えた人が59.7%を占めたのである。そして調査対象の52%が独立を支持し、独立反対は24%であった。昨年11月に地元紙エル・ペリオディコが行った調査によると、独立賛成が50.9%であり反対が36.9%だった。調査方法や対象が異なるために単純な比較はできないにせよ、少なくとも「独立」への願望は強まりこそすれ決して衰えてはいないのだ。ちなみにこの調査結果を発表したカデナ・セールはカタルーニャ独立を強行に阻止しようとするスペイン社会労働党寄りのマスコミである。

 この調査はさらに、スペインとカタルーニャの関係を悪化させている原因として中央政府与党の国民党を挙げる人が58%にのぼることを明らかにした。これには間違いなく中央政府の強硬な反カタルーニャ政策とフランコ独裁への回帰現象、特にスペイン語(カスティーリャ語)を押し付けようとする言語教育に対する強い反発と危機感が関与しているだろう。同時にまた、支持政党の第1(22.1%)は左翼共和党であり、現州政府与党のCiUへの支持は20.7%に過ぎない。(2012年12月の選挙ではCiUの得票率が30.7%、左翼共和党は13.8%。)これはマドリッドのブルボン王家や国民党政府と同様に次々と腐敗体質が明らかにされる州政府与党CiUが、カタルーニャ人から見放されつつあることを明らかにする。

 以上のカデナ・セールによる調査は、10月10日に発表されたカタルーニャ州政府の調査結果ともほぼ一致する。これによると、州民の71%が独立を問う住民投票実施を支持しており、反対は22.4%に過ぎない。さらにこの調査は左翼共和党支持(20.8%)が現与党のCiU(17.1%)を上回っていることも明らかにした。その一方でマドリッド中央政府につながるカタルーニャ国民党の支持はわずかに2.8%、これに社会労働党と市民連合を加えた「独立阻止派」を合計しても14.6%に過ぎず、『沈黙の多数派』がどちらの方向を向いているのかは明白である。態度未定が30%ほどいる段階ではあるが、これらの調査は住民の意識をかなり忠実に反映しているものと思える。


変化を見せる欧州と世界の反応 【見出し一覧に戻る】

 以前に私は「鍵を握るのはEU」であると書いた。いま「独立」を叫ぶカタルーニャ人の頭の中にはますますEUの姿が大きく映っている。「人間の鎖」が形作られた後で、スペイン社会労働党の元幹部でありEU委員会の副議長を務めるホアキン・アルムニアは、カタルーニャが独立したら必然的にEUから離れなければならないと語った。昨年の意識調査から見ても、カタルーニャ人たちの多数派が独立を求めると同時にEUとユーロ圏にとどまり続けたいと願っていることに間違いはない。当然だが州政府知事のマスはことあるごとに、独立カタルーニャがEUにとどまるという予想を強調する。ただその根拠はいまだに明らかではない。

 しかし、今年の「人間の鎖」に対するEU諸国の反応は今までとやや異なったトーンを見せた。まず、EU委員会の報道官オリバー・ベイリーはこのカタルーニャ人の意思に対する「十分な尊重」を語った。曖昧な言い方ではあるし先ほどの副議長アルムニアの発言もあるので過大な期待はすべきでないが、今までには見ることのできなかった態度である。また1989年に同様に「人間の鎖」を作ったバルト諸国が反応を見せた。9月13日にラトビアのドムブロフスキス首相が「新国家カタルーニャ」を承認するという発言を行い、それに続いてリトアニアのブトケヴィチュース首相も同様の認識を示した。これに激怒したスペイン外相のマルガジョはすぐさま両国大使を呼んで厳重に抗議したが、両国の首相はその態度を変えていない。

 もっと大きな驚きは、ドイツのメルケル首相の顧問でマンハイム大学教授のロランド・ヴァウベルが、欧州はカタルーニャ独立の試みを尊重すべきでありEUからの追放の主張には根拠が無いと主張したことである。さらにはドイツ与党の議員でありドイツ国会欧州委員会メンバー、キリスト教社会同盟の欧州広報担当であるトマス・シルバーホルンが、カタルーニャの独立を問う住民投票実施を民主主義にとって有益な要素であると語った。彼は、EUがより柔軟になるように変わるべきであり地方分権的な体制をより強化させるべきだと主張したのである。ひょっとすると、まだ明らかな形を取っているわけではないにしても、欧州とスペインの将来を巡ってEUの地下で何らかの大きな変動が起こっているのかもしれない。

 欧米のマスコミの反応にもそれぞれにかなりの「温度差」はあるのだが、ロイター通信(日本の新聞報道はほとんどここから取ったようだ)、英国BBCガーディアン、フランスのル・モンド、米国ワシントンポスト、FOXニュース、など、世界の主要な報道機関がこの「人間の鎖」について注目する記事を掲げた。中でもネオリベラルを代表するはずのウォールストリート・ジャーナルが、店頭売り紙面の第1面をこのカタルーニャの「人間の鎖」で飾ったことは関心を引く。同紙はインターネット版でもこの「ディアダ」の写真スライドを特集するほどの熱の入れようである。案外と彼らが欧州の完全な統合に興味を抱いているのかもしれない。一方で英国のエコノミスト誌はカタルーニャの問題がスペインとカタルーニャの双方に大きな困難と問題をひき起こし、結局はカタルーニャ人を縛る鎖しか残さないだろうと、厳しい見方を示した。しかし、総じて欧米各国マスコミの扱いは昨年の「200万人デモ」のときよりももっと真剣味を増しているように思える。

 またこれはカタルーニャ独立問題とは直接の関連は無いが、バルセロナは一つの国連機関の本拠地でもある。ユニセフや人権理事会、世界食糧計画などと並んで総会の補助機関である国連人間居住計画(国連ハビタット)の委員長を務めるのは元バルセロナ市長のジュアン・クロスであり、その重要な一機関であるthe Global Water Operators’ Partnerships Alliance (GWOPA)の本部が、ガウディと並んでカタルーニャ・モデルニスマを代表する建築家ドゥメネク・イ・ムンタネーが設計したサンパウ病院に置かれている。また、バルセロナはUnited Cities and Local Governments (UCLG)の本部にもなっており、欧州から北アフリカ、中近東を結ぶ the Interregional Mediterranean Commissionの重要拠点の一つでもある。こうしてこのカタルーニャの首都には、マドリッドとは独自に、多くの国際的な通路が開かれており、重要で大規模な産業見本市なども必ずバルセロナで開催される。バルセロナから見ればマドリッドなどはしょせん「肥大化した世界の田舎町」に過ぎないのだ。


交錯する強気と弱気 【見出し一覧に戻る】

 州知事のマスは、自分が著したカタルーニャ独立についての本を、米国大統領オバマ、ドイツ首相メルケル、マイクロソフトのビルゲイツ、米国のTV司会者オプラ・ウィンフリーに献呈する予定であることを語った。これはなかなか興味深い「人選」だが、残念ながら彼らからの反応があったのかどうかの記事は今のところ見ていない。また彼は独立への歩みをもっと間近に見るようにEUに向かって呼びかけた。その中で、分離独立への反感をあらわにするEU委員会副議長のアルムニアに対して「このようなレトリックを気にする必要は無い。欧州は国境線が過去のものであることを知っており、またそれを強制できるものでないことも知っているからだ」と語った。彼のこのような楽天的な姿勢が、単に南欧人特有の能天気さによるものなのか、何らかの裏づけある見通しを持ってのものなのか、私はいまだに首をかしげている。彼は、住民投票の延期を示唆する弱気の姿勢を見せると同時に、私から見れば「軽々しい」としか思えないのだが、自分の態度や発言がマドリッド政府の対応をますます不寛容なものにしていることを承知の上で挑発的な言動を繰り返しているようにも見える。

 当然だが中央政府は来年の住民投票実施を、仮にそれが強制力を持たないものであるにしても、断固阻止する構えだ。それが「憲法違反」であるかないかを判断するのはマドリッドにある憲法裁判所である。今年の7月にそこの所長であるフランシスコ・ペレス・デ・ロス・コボスが、2008年から11年にかけて国民党員に資金を渡してスペイン右傾化のための活動をそそのかしていたと明らかにされ、三権分立の原則を否定するものとして大きな問題となった。もちろんこのデ・ロス・コボスはカタルーニャ独立阻止の急先鋒となっている人物である。この不祥事は本来なら彼から憲法裁判所所長の席を奪うはずのものだったが、「人間の鎖」から6日後の9月17日に、憲法裁判所の11人の判事による投票の結果、9対2でデ・ロス・コボスに対する告発を取り下げる決定をした。これで住民投票が「憲法違反」とされることが事実上決定的となったのである。さらにマドリッド政府は、9月30日に発表した2014年度予算案で、カタルーニャに対する投資(分配金)を前年より25.5%も減額したのである。これは事実上の「報復」だろう。

 現実的には2014年の住民投票実施は困難だろうし、最も強行に独立路線を走っているはずの左翼共和党ですら、党首のウリオル・ジュンケラス自身が「独立への道は不明確さに満ちている」ことを認めざるを得なかった。おそらく住民投票の2014年の実施は諦めているだろう。さらに彼は、カタルーニャの中にスペインの他地方からの移住者とその子孫が多いこと、スペイン各地に親族や友人を持つカタルーニャ人が多数いること、またサッカーなどの「スペイン代表」に誇りを感じる人がいることなどを理由に、独立後もスペインとカタルーニャの「二重国籍」を持つことができるようにする提案を行った。しかしこれは文字通り「足元を見られる」弱気な態度と受け取られてもしかたがあるまい。「二重国籍」などというテーマはカタルーニャ分離後にスペイン政府がカタルーニャを独立国として承認して以降の話であり、現在の時点で持ち出しても無意味だろう。

 しかしその一方で、マドリッドの「出先機関」と見なされているカタルーニャ国民党のアリシア・サンチェス・カマチョ党首は、州民の同党への支持の激減に加えこの分配減額の予算案に相当の危機感を抱いたと見え、10月6日にカタルーニャに対する特別の配慮を盛り込んだ財政モデルを作るように党中央に申し入れた。彼女は国民党中央とマドリッド政府の強硬な姿勢がカタルーニャ人たちを予想以上に反マドリッドに走らせていることに気付いており、中央のやり方が結果としてスペイン国家の自壊を招くことを恐れているのだ。しかしマドリッドの党中央はカマチョの提案を即座ににべも無く退けた。10月13日の「スペインの日(スペイン化の日)」には、国民党と市民連合が中心となって、幻覚でしかない『沈黙の多数派』を代表して「独立反対」の集会とデモを行う予定らしいが、その空しさは思いやって余りある。もっともこの日にはマドリッドからフランコ主義の極右団体もバルセロナに乗り込んで一騒ぎ起こす予定らしい。

 いずれにせよ、少なくとも次の総選挙が行われる2015年までは国民党の絶対多数の支配が続くだろうし、この党が既得利権への盲目的なしがみつきとフランコ独裁体制回帰という路線を捨てることは決してあるまい。一方で一般のカタルーニャ人たちの「反マドリッド」「反スペイン」の感情は日に日に膨らみ続けるだろう。その中で現れてきているのはカタルーニャの政治勢力の右往左往ぶりである。しかしその間に、もはや止めようもない巨大な流れが作られつつあるように感じる。ひょっとすると欧州の政治統合を進めようとする勢力は、国際的にもより開かれたカタルーニャを引き入れることでスペイン国家を解体しようとしているのかもしれない。これはちょっと考えすぎかもしれないが、しかしいまのスペインは解体の憂き目にあってもおかしくないほどの惨状を示している。これについてはまた別の機会で申し上げたい。


2013年10月10日 バルセロナにて 童子丸開

 

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