10月12日は「スペイン国家の日(el Día de la Fiesta Nacional de
España)」という名称の祭日です。これは本来「スペイン化の日(el Día de
Hispanidad)」と言い、1492年10月12日にコロンブスがサン・サルバドル島にたどり着き、中南米を「スペイン化」するきっかけを作ったことを記念する日です。
2004年の10月12日は大騒動でした。軍事パレードに米軍が招待されなかったことにへそを曲げて米国大使が欠席したり、昔スペイン内乱で対峙した共和国軍兵士とフランコ軍兵士の生き残りが並んで出席したり、これまで決して出席しなかったカタルーニャ社労党委員長で知事のパスクアル・マラガィュが軍事パレードの招待席に現われたり、マドリッドの国民党の内紛が露呈したり、と、とにかくにぎやかでした。
米国大使が招待を蹴って欠席したことについては以下の阿修羅記事をご覧ください。 http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/434.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 14 日
07:38:41:
その後もこれらのゴタゴタがいろんな方面に尾を引いているのですが、今回はその中から、未だにスペイン人の心に大きな傷を残しているスペイン内戦に関する話を特集してみたいと思います。
そして、この、カタルーニャでフランコ政権に銃殺された2761番目の犠牲者である「カタルーニャ共和国」初代大統領リュイス・クンパニィスは、処刑を前にして次のように書き残しています。
『私を傷つけたすべての人々を、私は許そう。私が傷つけてしまったかもしれないすべての人に私は許しを請う。もし死なねばならないのなら、私は厳かに死のう。私の中には恨みの影すらない。神に感謝しよう。理想によるこんなに美しい死を私に用意してくれたのだから。』
【原文】
A
todos los que me han agraviado, perdono; a todos los que haya podido agraviar
pido
perdón. Si he de morir, moriré serenamente. No queda en mí ni la sombra
de un rencor.
Daré gracias a Dios, que me haya procurado una muerte tan
bella por los ideales. http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=5&idioma=CAS&idnoticia_PK=155895&idseccio_PK=4&h=041016