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特集:「カタルーニャ独立」を追う A



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カタルーニャの「スペイン化」?
国家の分極化を際立たせたバスクとガリシアの選挙
預言者アルトゥール??
即ネタ割れの偽情報でっち上げ

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カタルーニャの「スペイン化」? 【小見出し一覧に戻る】

 私はいまだにスペイン教育・文化・スポーツ大臣ホセ・イグナシオ・ウェルト(José Ignacio Wert)の正体が分からない。その姓からすれば根っからのスペイン系ではなく、むしろ欧州中部出身のようだ。スペインの要人にはサパテロ政権時代にスポーツ担当国務長官を務めたハイメ・リサベツキーのように明らかな東欧出身者をも見ることができる。またその文教政策から判断する限りスペインの経済・政治・宗教の背後に控えるオプス・デイの影響を強く受けているように思える。しかしこの胡散臭い経政宗複合体との直接のつながりはいまのところ判然としない。はっきり言えることは、現在カタルーニャ人の大多数派から最も忌み嫌われ危険人物と見なされる存在だ、ということである。
 スペインでは10月12日が「スペイン性の日(Día de Hispanidad)」と呼ばれる国の祭日である。この「Hispanidad」という言葉の訳は非常に困難なのだが、単に「スペイン(España)」を意味するわけではない。これは520年前にコロンブスが大西洋の西側にある地に到達したとされる日付である。スペインから独立したラテンアメリカ諸国では歓迎されないのだが、かつての「日の沈まない世界帝国」にとっては「野蛮な世界をスペイン化(文明化)する出発点となった輝かしい日」に他ならない。つまり「Hispanidad」は「偉大なるスペイン魂」とでもいえる言葉だろう。これがフランコ独裁政権時代に最も重要な祭日として祝われたことは言うまでもない。その「スペインの日」の2日前、2012年10月10日に教育相ウェルトは議会でスペイン中が凍りつくような発言を行った。スペイン政府の意図は「カタルーニャ人の児童生徒をスペイン化(españolizar)することである」と。

 スペイン化? カタルーニャの野蛮人の子どもたちを文明化する、ということなのか? あきれ果てた発言であり、おおよそ現代の文明社会の発想によるものではあるまい。フランコ独裁時代を知っている多くのスペイン人にとって、この発言がダイレクトにフランコ独裁主義と結びつくことは明らかだ。いつもニヤリと不気味に笑うこの男の顔がヘネラリシモ(Generalísimo:フランコ将軍の愛称)と重なって見えてくるのは私だけではあるまい。
 フランコは、ファシスト仲間のムッソリーニやヒトラーとは異なり、何か特別な世界観や思想を掲げることをしなかった。彼にとって唯一最高の価値は「統一された偉大なスペイン国家の栄光」であり、軍事独裁だけがそれを実現し維持できるものであった。「偉大なるスペイン魂(Hispanidad)」という価値観に統一されることを拒むものは何であれ彼にとって敵でしかなかったのだ。そして今日、フランコ与党の末裔であるPP(国民党)の大臣ウェルト、このスペイン人の根を持たぬ男が、PP政府の意図を「カタルーニャのスペイン化」であると語る。これはフランコ主義によるカタルーニャの再占領を意味する。
 当然のことながら、この発言は直ちにカタルーニャ人の激憤を誘うこととなった。カタルーニャ州政府教育理事のイレーネ・リガウはすぐさまこの発言を「憲法以前」、つまり現行の憲法が発令される以前の独裁政権時代のものであると断じ、スペイン政府はフランコと同じようにカタルーニャを単なるスペインの一地方にしようとしていると厳しく非難した。それが、多民族国家の現実に基づいて成り立ちの異なる地域を自治州として認めた現行憲法すら否定するものだという意味である。
 またこのウェルトの発言は国会でも問題視され、PPとは別の意味で民族主義・地域主義を嫌うPSOE(スペイン社会労働党)から、「他の温床で育つ民族主義の産物」であるという批判を受けた。これらの批判に対してウェルトは、「これを問題視する者はどこか精神的に問題がある」というとんでもない発言を行い、「自分はただ、カタルーニャ人である誇りと同様にスペイン人である誇りを持ってほしいだけだ」と述べた。しかしこれが単なる言い逃れの詭弁であることは、後で触れることになる言語教育の方針を見ても明らかである。また彼の発言はカタルーニャのPPの同僚たちと何の事前の相談も無く行われたものであり、この教育相の発言で最も泡を食ったのはむしろカタルーニャ国民党(PPC)の方だっただろう。

 もしこの男が本来の意味での精神異常をきたしていないとすれば、スペインが歴史的に抱える複雑な民族問題に対する単なる無知によるものか、フランコ主義で純粋培養されそれ以外の思考を持つことができない大時代的な人物であるせいなのか、あるいはひょっとして、もっと他の目的を持って意図的にカタルーニャの民族主義の火に油を注ぐ役目を果たしているのか…。いずれにせよ、「スペイン化」などといったさび付いた危険なネタを持ち出すまでもなく、先にも書いたとおりカタルーニャ人が最も気にしているEUやユーロと独立問題の関係やスペインの他地域との関係を分かりやすく繰り返すプロパガンダだけで、十分にこの分離主義をひるませ沈静化できるのである。そんな簡単な計算すら立たずにわざわざ事態を硬直化させるだけの人物が政治家になるほど、PPは人材不足なのだろうか。情け無い話だが、ひょっとするとそれが真相なのかもしれない。(アジアの東の果てにもわざわざ事態を面倒にして収拾のつかない外交問題をひき起こしただけの首相や知事がいたようだが…。)
 このウェルトの発言は単にカタルーニャとマドリッドの距離を非妥協的に広げたのみだった。そんな事態を最も恐れているのがほかならぬ国王フアン・カルロスである。国王はこの発言があった2日後の「スペインの日」の祝賀会場で、首相のマリアノ・ラホイと対面し、何かかなり厳しい表情と口調で、異常に長い時間しゃべっていた。そのビデオに映る唇の動きから、それがラホイ政権の教育相による軽率な発言を叱責したものではないかと言われている。「叱責」については王室が後に否定したのだが彼が「スペイン化(españolización)」を語っていたのは明らかである。また、フェリーペ皇太子もウェルトを捕まえて深刻な表情で何かを語り合っていたようだ。
 祖父のアルフォンソ13世がスペイン革命によって1931年に国から追い出され、王室を嫌うフランコとの仲を取り持つオプス・デイの力で何とかスペインの国家元首の地位を手にすることのできた国王にしてみれば、民衆の反発が最大の恐怖なのだ。だからこそ、最も反マドリッド意識の強いバスクとカタルーニャの人心をつかむために、バスク出身でFCバルセロナ・ハンドボール・チームに所属するイニャーキ・ウルダンガリンを娘婿にしたのである。そのウルダンガリンは愚かにも公金横領の罪に問われる被告の身となり、自身もボツワナで象狩りの最中に怪我をするという大不祥事を起こしてしまった。そんな崖っぷちに立たされるフアン・カルロスが、カタルーニャ人の「マドリッド憎し」の感情を何倍にも膨らませ硬直化させたウェルトに、はらわたの煮えくり返る思いを抱いたとしても不思議ではない。


国家の分極化を際立たせたバスクとガリシアの選挙 【小見出し一覧に戻る】

 実はウェルトがこの発言を行う20日前の9月20日、つまり州知事のアルトゥール・マスがマドリッドとの財政協定を投げ捨てた時点で、英国の経済紙ファイナンシャル・タイムズは「もしラホイがカタルーニャに対して何らかの手を打たなければ独立運動は止められなくなるだろう」と警告を発していたのだ。さらにその他の英国と米国の新聞もスペイン情勢に対しての強い懸念を表明していた。たとえば9月20日付のニューヨーク・タイムズ紙は「スペインの指導者はカタルーニャとの交渉に失敗する」という見出しの記事でこの問題が政治的な混乱を深める危険性を指摘し、同日のウォールストリート・ジャーナル紙もまた、ラホイ・マス会談の失敗がスペインとカタルーニャの間の亀裂を深める可能性に対する憂慮を告げた。さらに同日付のBBCニュースでもマスが早めに実施する選挙が中央政府に大きな圧力となると述べられた。デイリーテレグラフ紙に至ってはスペイン内戦勃発直前の雰囲気と比較すらしているのだ。
 ところがそのカタルーニャに対する中央政府の返答が「カタルーニャの児童生徒をスペイン化する」というウェルトの声である。これは燃え盛る炎に無遠慮にガソリンをぶっ掛けるにも等しい愚行だろう。さらにマドリッドは分離独立問題に対して法と強権を振りかざす姿勢に終始した。法務大臣のアルベルト・ルイス・ガジャルドンは「カタルーニャが分離してもそこは依然スペインであり続ける。カタルーニャ抜きのスペインは存在しない」と語り、首相のラホイは分離主義を「国益の船団に対する魚雷攻撃だ」と激しく非難した。さらにPP政権を側面援助するカトリック教会もまた「スペインの統一を崩すことはモラルの面で受け入れることができない」と正面から独立運動に敵対する姿勢を表明した。この連中は《こぶしを振り上げる》ことしか頭にないのだろうか? ヤクザの親分衆でも離反しそうな幹部に対してもうちょっとましな対応ができるだろう。
 実は彼らがこういった態度に凝り固まっていった理由はカタルーニャだけにあるのではない。それ以前の10月21日に、これもまた独立派が力を強めつつあるバスク州と、逆にマドリッドに頼って生きるしかないガリシア州で、それぞれ州議会選挙が行われることになっていたのである。

 バスクでは分離主義テロ組織ETAの合法団体であったバタスナ党が2004年の311マドリッド列車爆破事件をきっかけに非合法化され、アルナルド・オテギ党首らはいまだに獄中につながれている。しかしバタスナに近いバスク分離主義の人脈は様々に法的手続きを踏んで、2011年の総選挙に急進派連合アマイウル(AMAIUR)として合法的に再登場した。そしてこの選挙でバスク州で第2党、同じく多くのバスク人が住むナバラ州でも第3党の地位を手に入れることとなった。この選挙結果は、中央集権主義者であるPP(国民党)とPSOE(社会労働党)を震え上がらせるのに十分だった。そして2012年のバスク州議会選挙では同系統の民族急進派連合ビルドゥ(EH BILDU)が名乗りを上げていたのだ。
 同州では伝統的に民族主義穏健派のPNV(バスク民族党)がほとんどの選挙で第1党になるのだが、単独で過半数を獲ることができず、常にどこかの政党と政策協定を結ぶか連立政権を作ってきた。またこの州はPSOE(社会労働党)やPP(国民党)の勢力も大きく、一方でETAに近い民族急進諸派も、主要グループがいったん非合法化されたものの、常に相当の割合で州民の支持を得ている。しかしカタルーニャの民族主義右派CiU(集中と連合)とERC(カタルーニャ左翼共和党)が厳しく対立してきたのと同様に、PNVが民族急進派と手を結ぶことは困難だった。独裁政権以後のバスク議会では、常にこの4つの勢力による合従連衡が続いてきたのである。
 中央政府はカタルーニャに続いて分離主義の台頭が著しいバスク情勢に危機感を募らせ、10月に入って首相自ら何度もバスクに足を運び、選挙戦の陣頭指揮を執った。10月13日にビルバオにやってきたラホイは、分離主義の動きを憲法違反と非難しスペイン憲法がEUに認められている以上「憲法から外れるなら欧州にいることはできなくなる」と脅しをかけた。しかしその努力もむなしく、10月21日の選挙結果はPPにとって最悪の形になった。(前回の選挙は2009年。)全75議席中、PNVが27議席(前回30議席)で第1党、続く第2党として爆発的に躍進したビルドゥが21議席(前回5議席)を獲得したが、前回25議席だったPSOEは16議席に後退し、PPもわずか10議席(前回13議席)を得るにとどまった。こうして民族主義政党の過半数が確保され、PNVがビルドゥの閣外協力を得て政権を担当することとなった。
 これで、カタルーニャと同様にバスクも分離独立の方向に大きく傾いていくことが明らかになったのだ。11月になってビルドゥとPNVは独立の可否を問う住民投票を実現させるための国際会議を準備するという合意を結んだのである。この「独立住民投票」はカタルーニャでもCiUやERCが選挙公約の目玉にしているものだが、PPやPSOEなどは「憲法違反」として断固阻止する構えを見せている。それに対してバスクの独立派は「国際世論の圧力」を使おうという戦術を立てているのだが、これはカタルーニャとも共通しているので、後で再び触れることにしたい。

 一方で、同日に行われたガリシア州議会選挙の結果は興味深い。前回(2009年)の選挙で75議席中の38議席と辛うじて過半数を確保したPPは41議席と議席数を伸ばし、安定的な多数派として君臨することになった。一方で前回25議席だった社会労働党は18議席と大きく崩れ、民族主義穏健派のBNG(ガリシア民族ブロック)も7議席(前回12議席)と後退したが、逆に今回の選挙で新たに登場した急進的な民族主義左派AGE(ガリシア左翼オールタナティブ)がいきなり9議席を得たのだ。
 ガリシアもまたスペインの中央部とは異なる民族の地域だが、あのフランシスコ・フランコ将軍の出身地である。欧州では独裁者が国の辺境から登場する傾向があるようだ。ナポレオンは現在でも差別の対象となるコルシカ島の生まれ、ヒトラーはドイツではなくオーストリア生まれ、スターリンはロシア人ではなくグルジア人、そしてフランコの故郷ガリシアはスペインの中でも伝統的に最も貧しい地域の一つで、大地主制の閉鎖的な農村社会であった。また今年1月に89歳で死去した最後のフランコ政権閣僚マニュエル・フラガ、そして何よりも現首相のマリアノ・ラホイの地元である。スペイン第1で世界でも5本の指に入る大富豪アマンシオ・オルテガもここに住んでいる。日本で言えば長州閥の「故郷」の山口県のようなものだろうが、伝統的な貧しさのゆえに、分離独立を求める民族主義は根付くことがなく、マドリッドとのパイプを太くする方向が常に求められてきた。
 しかし今回の選挙から、一方で保守派中央政府とのより強いつながりを求める民意が大きく働いた反面、既成左翼と既成民族政党が衰退し、急進的な民族主義が台頭してきたことがわかる。ガリシアのPPと中央政府は「我が党の方針の正しさが国民に認められたのだ」と手放しの喜び様だったが、事態はそう単純なものではあるまい。
 このバスクとガリシアという中央部とは民族を異にする地域の議会選挙の結果は、どうやら、中央部に引き寄せられようとする力と離れようとする力が共に増すことによって、スペインの国家と社会に地理的な亀裂の広がりが加速しつつある様子を表しているようである。


預言者アルトゥール?? 【小見出し一覧に戻る】

 ところで、カタルーニャではアルトゥール・マス率いる民族主義右派政党CiU(集中と連合)が11月25日の準備に取り掛かり、「独立を問う住民投票の実施」を公約に掲げて、単独で過半数を獲るといきまいていた。しかし10月2日付のエル・ペリオディコ紙の、民間調査会社GESOPの世論調査に基づく選挙結果予想によると、CiUの得票率は41.0%で議席数64−65であり、総議席数135の過半数となる68議席には届きそうもない。カタルーニャの地元紙で比較的独立派には好意的なエル・ペリオディコ紙はその後数回の選挙結果予想を出しているのだが、CiUの議席予想が減ることはあってもこれ以上に増えることはなかった。州民は厳しくなる一方の財政難と緊縮財政のためにマスとCiUへの反発を強めていたのである。
 ところがマスは全くひるむ様子を見せず、カタルーニャ独立に対する国際的な支援への確信を滔々と語った。どう考えてもたかだかスペインの一地方の独立に外国の強大な後ろ盾があるとも思えないのだが、10月15日付のエル・ムンド紙によれば、彼は、もしスペイン政府が住民投票を妨害しようとするなら「この問題がおおっぴらに国際問題化するだろう」と、EU本部や欧州各国が手を差し伸べる期待を自信たっぷりに演説したのである。
 さらにマスは次のように語った。「我々は古典的な意味の独立の方向にではなく、国民的な機構、国家としての機構を持つ方向に向かっているのである。我々が、EUとユーロ圏から出て行くような全面的な独立という意味で物事を計画しているのではないからなのだ」。そして「もし我々がいったんEUから外に出なければならないとしても24時間以内に再びそこに加わることになるだろう」。つまり、実質的にEUとユーロ圏に留まったままでカタルーニャ民族の自立が達成できると力説したのである。ただしそのためにCiUの単独過半数が必要であると付け加えたのだが。
 これが単なる大法螺吹きなのか、それとも確実な根拠に基づいたものなのか、私は知る由も無い。幻覚と現実がごちゃ混ぜになった南欧人独特の感性は日本人である私の理解力を超えている。もし本当に彼が語るようなEUとユーロ圏に留まったままの「独立」が可能になるとすれば、それはEU内部の政治統合が進み従来の意味の「国民国家」がその内部で解体されることを意味する。つまりマドリッドもカタルーニャも、イングランドもスコットランドも、ブリュッセルもフランドルも、どこも平等に「欧州の1地方」になり、それぞれが独自に地域自治を行うということだ。しかしそんなことが大変な混乱と動乱抜きで実現できるのだろうか。そもそも、そのためには、欧州全体を一つの国家として統一する超越した権力の構造、政治・軍事・経済のあらゆる面で全欧州を支配する前代未聞の独裁制度が作られなければならないだろう。少なくとも私の生きている間にそんなことが実現されるとは思えないし、思いたくもない。

 この間にもカタルーニャ住民の経済状態の悪化は日に日に深刻化していった。もちろんこれはスペイン全土で共通しており、カタルーニャはまだましな方である。2012年第3四半期の失業率だけを見ても、アフリカ大陸にあるセウタとメリージャはともかく、イベリア半島で最悪の州はアンダルシア(35.42%)で、エクストゥレマドゥーラ(32.66%)がそれに続く。カタルーニャは22.56%で全国平均の25.02%よりも小さい。失業率の小さいのはナバラ(14.95%)、バスク(15.48%)、カンタブリア(15.71%)といった北東部の諸州であり、マドリッドも18.56%で全国平均よりかなり低い。
 またそれに伴って治安の悪化も著しくなっている。内務省の発表によると殺人や麻薬密輸などが減少傾向にあるのとは対照的に、この1年間で押し込み強盗の件数が全国で24.5%も増えている。カタルーニャでは14.8%増と全国平均を下回ってはいるが、家庭だけでなく宝石・貴金属店への荒っぽい手口の強盗が目立つようになった。また家の外で遭う暴力的な泥棒も全国で10.8%増加した。一方で1年間の物価上昇率はカタルーニャが最大の4.2%(全国平均3.5%)であった。職はなく、あっても収入は下がり、物価だけが一方的に上がる最悪の状態であることに間違いはない。
 カタルーニャ州知事マスは、カタルーニャの財政面での公正さの要求に対して中央政府が無視したことを非難する。そして中央政府は、カタルーニャこそ1996年から2011年までに最も多く国庫からの投資を受けた受益者だったことを強調する。しかしこの中央政府の主張は奇妙だ。カタルーニャへの投資は住民一人当たりの投資額から見れば最大のアラゴンの半分にも満たない。さらに、この国家からの投資はほとんどが「インフラ整備」に使用された。つまり「公共投資」だったのだが、それがあの救いようもないバブル経済を作っていったのである。その意味ではカタルーニャ州政府もスペイン中央政府も同罪なのだが、そんなことが州政府幹部の頭の中に浮かぶすべもない。彼らにとって「カタルーニャは被害者」でなければならないのだ。

 選挙が近づくにつれてアルトゥール・マスはまるで旧約聖書の預言者のような口調で「確実な未来」を演説するようになった。ときには、ちょうど紅海を渡るモーゼのように(というか映画「十戒」のチャールストン・へストンのように)両手を大きく広げ、自信たっぷりに「カタルーニャの民」を率いて歩く姿を演出してみせた。
 10月25日に彼は言った。「最終的な決定について誰も心配する必要は無い。決定は、私でも州政府でも州議会でもなく、カタルーニャ民族自らが為すものだからだ」。彼は、州民の中で独立を支持する声が過半数を占めていることによほど自信を持ったのだろう。そして11月に入ると、「独立住民投票」を行うこと自体が憲法違反であるというPP(国民党)やPSOE(社会労働党)などの非難に対して、「裁判所であろうが憲法であろうが、何であろうが、我々の前進を止めることはできない」と答えた。ここまできたら神がかりとしか言いようがあるまい。
 このようなCiUマス州政府に対して、PSOEを支持する作家、弁護士、芸術家などの知識人数百名がマスの「独立理論」に反対して連邦制を求める署名を行い、その憲法無視の姿勢を厳しく非難した。またPPの副書記長カルロス・フロリアノは、マスが「全体主義の流れに入ってしまった」と指摘し「民主主義自体にとっての危険」であると強調した。このような論調は2003年前後にアスナールの口からもよく聞かれたものである。彼は自らがフランコ独裁政権の末裔であることを脇に置いて、その当時バスク州で独立の方向を模索していた州知事フアン・ホセ・イバレチェに対して、「全体主義者」「ファシスト」の罵声を繰り返し浴びせかけていたのだ。私から見れば「カタルーニャの児童生徒をスペイン化する」と公言する教育相ウェルトの方がよほど全体主義者にふさわしいと思うのだが。
 そして首相のマリアノ・ラホイはPPC(カタルーニャ国民党)への応援で訪れたタラゴナ市で、おそらくマスにとって最も痛いであろう点をずばりと突いてみせた。「マスは、経済危機に対処できないから、敵を発明したのだ」と。これは確かにそのとおりである。公的サービスの苛酷な切り捨てに激しい怨嗟の声がカタルーニャ中で渦巻く中で、「独立」の声が盛り立てられたのだ。しかしこの指摘はラホイ自身にも跳ね返ってくるだろう。スペイン国民の目をごまかしの経済政策と福祉切捨てからそらさせて、「カタルーニャ独立問題」に釘付けにすることができるのである。これは彼にとっても実にありがたい話だろう。

 選挙の直前になると、総攻撃を受けるマスの口調は次第に「預言者」から「殉教者」のそれに近づいていく。11月16日に、PSC(カタルーニャ社会労働党)を率いるペラ・ナバロの出身地、バルセロナ近郊のテラサ市を訪れたマスは、マハトマ・ガンジーの言葉を引用して「我々に対する攻撃が始まるとき、我々は勝ち始めたことを知るのだ」と語ったのだ。実際には「勝ち始めた」どころか、世論調査での支持率が下がり始めたのを意識せざるを得なかったのである。カタルーニャ公営TV3では政治風刺専門の超人気番組「ポロニア」の中で、マスのそっくりさんが磔のキリストの姿で登場して視聴者の爆笑を誘った。選挙が間近に迫った11月19日のエル・ペリオディコ紙は、CiUが第1党の座を守るものの62−64議席に留まって過半数には達せず、ERC(カタルーニャ左翼共和党)がPSCを抜いて第2党になる可能性を報道した。
 こうして、州議会選挙まで残り1週間ほどとなったときに、このまま放っておけばよかったものを、またしてもマドリッドによる目を覆いたくなるほどに不器用な攻撃が開始されたのである。


即ネタ割れの偽情報でっち上げ 【小見出し一覧に戻る】

 州議会選挙まであと9日と迫った11月16日の金曜日に、全国紙エル・ムンドは国家警察からの情報として、アルトゥール・マスとその大先輩のジョルディ・プジョルが、スイスの銀行口座に不正な蓄財をしていると報道したのである。しかもそのカネは、カタルーニャで現在裁判が進行中の大型汚職事件「パラウ・デ・ラ・ムジカ事件」に関連するものだったのである。その翌日になるとエル・ムンド紙は、プジョルがジュネーブの銀行に1億3千7百万ユーロ(約138億円)を不正に蓄財しており、その財源のなかにホテル建設を巡って不正に得たものが混じっていると報じた。もちろんだが、マスの「私と妻はカタルーニャの2つの銀行の口座を持っているだけだ」という反論を紹介し、さらに「これはバンカ・カタラナ事件と比較されるべきものだ」というプジョルの声も伝えている。
 この「バンカ・カタラナ事件」とは、ジョルディ・プジョルによって創業された銀行バンカ・カタラナを舞台にした大型汚職事件だが、これは1982年に告発され捜査が開始されたものの、1986年に告発自体に根拠が無いとして地方裁判所によって「お蔵入り」にされて決着をみたものである。この当時もプジョルによる民族主義の色の濃い州の行政にマドリッド中央政府が神経を尖らせていた時期であり、国家警察によるでっち上げ謀略としてCiU州政府による激しい非難が起こったものだ。

 週があけて11月19日になると各新聞も続々とこの件を報道し始め、同時にマスとプジョルによる
エル・ムンド紙に対する反撃の開始が紹介された。彼らが所属するCDC(カタルーニャ民主集中)のメンバーだけではなく、「パラウ・デ・ラ・ムジカ事件」の捜査に当たった州警察までが、この事件の証拠を破壊したのは州警察と地方裁判所の判事であるとするエル・ムンド紙の非難に対して、激しく反論した。もちろんだが州政府とその支持者たちにとっては、このエル・ムンド紙が発表した「警察情報」は中央政府によるでっち上げの謀略である。首相のマリアノ・ラホイは11月19日に、国家がマスを「破壊しようと」しているのではないと、謀略を否定したのだが、内務大臣のフェルナンデス・ディアスと国有財産相のクリストバル・モントロは、スイスにあるアルトゥール・マスとその家族の口座を調査すると息巻いた。
 ところが5日もたたないうちにこの「スイスの銀行での不正蓄財」事件は、何とも締まりのない決着を見ることになる。
11月23日のエル・パイス紙が、この「警察情報」には報告者の氏名も書かれず、公式な警察の文書であることを示す印鑑も無く、誰に対しての報告だったのかを示す宛先すら書かれていないことを報道したのである。それは何の証拠能力も持たない、何者かの手による単なる「下書き」に過ぎなかったのだ。そしてプブリコ紙によれば、国家警察自身がCiUに対する何らかの情報を発信したことを否定した。要するに単純なでっち上げの偽情報だったのだが、ラホイは自分がそのでっち上げの背後にいることを否定した。そりゃそうだろう。たとえ背後にいたとしても「私が命令しました」などと言うはずがない!

 たぶん内務省と国家警察内の誰かが、独立運動の中心にいるCiUの得票を下げるために、選挙の9日前、しかも物事や情報が動きにくくなる週末を控えた金曜日というタイミングをねらって、特ダネを探す新聞にでっち上げ情報を売り込んだのだろう。しかし、報告製作者の署名もなく印鑑もなく宛先すらはっきりしない形では、誰がいつどのようにこの偽報告を作ったのかが全くわからない。逆に言えばこのでっち上げの「真犯人」がばれることはありえないのだ。こういう場合に新聞は決して情報源を明らかにしない。こうしてその「証拠」の不備を意図的にもう一つの大新聞に示唆した。それで十分だったのである。
選挙の結果を見ればそのことが一目で分かる。わずか6日前の調査で62−64議席という予想だったCiUの実際の獲得議席がわずかに50だったのだ。この特集の@で書いたとおり、前回2年前の選挙から12議席も減らしたのである。
 しかしこれは、ある意味でCiUとマスの身から出た錆でもある。選挙が終わった後の
11月26日にエル・ムンド紙が「61%のカタルーニャ人はマスとプジョルがスイスに口座を持っていると信じる」という見出しの記事を掲げた。もちろんこれは、自らこのでっち上げ謀略に加担してしまった同紙の言い訳のための記事なのだが、そんな記事が書かれる以前から、私の知っているバルセロナ市民のほとんどは富豪で大地主であるプジョル家やマス家を胡散臭い目で眺めてきたのだ。実際にマスの父親がルクセンブルグの銀行に大金を溜め込んでいると噂されている。彼らがスイスに大量の資産を隠し持っているとしても、多くのカタルーニャ人は驚かないだろう。「どうせそんな奴らだ」ということである。
 しかし同時にこのでっち上げ情報は、平気でこのような見え透いた薄汚い手を使うマドリッド政府に対するカタルーニャ人の不審と怒りをも増大させたといえる。CiUに対する信頼の崩壊は、独立反対派にではなく逆に積極的な独立派の方に投票を移動させることとなったのである。長い目で見るならばこちらの方が重大であろう。ERCはこの件に関して
国有財産相のモントロを追及する予定にしており、この選挙で議席を増やした独立反対派のPPCやC’s(市民連合)の立場を微妙なものにしてしまうだけの効果しかあるまい。


 このようにして、燃え盛る火に油を注ぎこみ進んでマドリッドとカタルーニャの間にくさびを打ち込むような馬鹿げた行為を繰り返す中央政府なのだが、せっかくCiUの議席を大幅に減らすことに成功し独立派の足並みがそろわなくなったと思えた選挙後に、もっと激しく地方の離反を促して自ら国家の解体を早める「自爆テロ」にも等しい愚行をやらかすことになる。それは実際に、カタルーニャやバスクの分離独立派が心待ちにする「国際的な支援」を呼び起こす種類のものなのだ。そして、その中心になったのが、またしてもあの教育相ホセ・イグナシオ・ウェルトだったのである。
(以上、2012年12月30日、バルセロナにて 童子丸開)

【「カタルーニャ独立」を追うBに続く】


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