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崩れ落ちるスペイン司法界の権威


 私がスペインに移り住んで20年以上の年月が流れるが、今年のような奇妙な気候は初めてだ。1月と2月の極端な寒さと豪雪、その寒波が去った後、9月半ばまで、いつもなら乾燥した夏を迎えるこの国が、まるで日本の梅雨と夏を思わせるような高温多湿な空気と局地的集中豪雨に悩まされた。それが終わって少し気温が下がっても、スペイン中の多くの場所で晴天が3日と続かず、冷たい雨か鬱陶しい黒雲を見ない日は少ない。バルセロナでも夏以降、湿度70%未満の日がほとんどない。エル・ペリオディコ紙によると今年になってバルセロナにはロンドンの2倍の雨が降っているようだ。

 人間社会がそんな天に同調するのか、あるいはその逆なのか知らないが、まるで高温と湿り気の中で徐々に鉄が錆び落ち木材が腐れ朽ちるように、スペイン社会の屋台骨がゆっくりゆっくりとひび割れ崩れて落ちていく。時おり、国家の支柱構造で部分的に起こる突発的な崩落現象が観察できる。それは外国から見ていると微妙で理解しにくいものかもしれないが、さほど遠くない未来に構造全体の大規模な崩壊に繋がるのではないかと危惧される。

 今回はその崩落現象が最も激しく起きつつあるスペインの司法権力について述べてみたい。またこれに続けて、王家や旧来の権力者たちを襲う危機、また独裁者フランコの墓の移転問題と過激なスペイン民族主義の台頭などについて、書いていきたいと思っている。なお、今回の記事で、確信の持てない人名の発音表記はアルファベットつづりのままで書いた。

2018年11月19日  バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその欄に飛びます。)

《住宅ローン訴訟判決を巡る最高裁の大失態と権威の失墜》
《表現の自由を巡って内外から突き動かされる司法界》
《カタルーニャを巡るスペインとベルギーの外交危機》
《スペイン司法権力と国家を危機に追い込む少数民族問題》



【写真:失態続きで急速に権威を失いつつある最高裁の判事たち(El Paísより)】

《住宅ローン訴訟判決を巡る最高裁の大失態と権威の失墜》

 ごく最近に起こったことから話を始めてみたい。スペインの司法権力は、後に述べるカタルーニャ問題や表現の自由に関する問題について、他の欧州諸国の司法機関やEUの司法機関からその法的な決定を否定・拒否され、散々の失態を内外に曝してきた。だが、そういった問題は一般の国民にとっては「遠いところ」で起こっているものに過ぎず、国内での権威失墜に直接には繋がらない。しかし以下に述べる問題は国民生活に直接にかかわるものだけに、司法界の受けた傷と信頼の損失は計り知れないものがある。

 今年(2018年)10月18日(木曜日)、スペイン最高裁で画期的な判決が下った。銀行ローンで不動産を買う際の不動産登記に支払う税金(各自治体への地方税)はローンを組んだ銀行が払わねばならないという内容である。不動産取引に関するこの国の法律は極めていい加減で、この場合でも誰が税金を払うのかが明確な形で書かかれていないのだ。今まではカネを貸す銀行側が自分に都合のよいように解釈して客に支払わせていたものを、消費者団体が「銀行が支払うべきだ」として訴えていたものである。

 税率は地方によって異なるのだが、たとえばカタルーニャで30万ユーロ(約3900万円)の不動産を銀行ローンで購入した場合、その登記の際に4500ユーロ(約58万円)の税がかかる。それを今までは購入者が支払っていたのだ。しかしこの判決に従えば、今後その税金を銀行が負担するだけでなく、銀行は今までの購入者が支払った税金に相当する金額を購入者に返還しなければならない。エル・ムンド紙の試算によると、スペインの銀行は最低でも65億ユーロ(約8400億円)の思いもかけぬ出費を強いられることになる。モルガン・スタンレーとBBVA銀行の試算では、銀行は90億ユーロ(約1兆1500億円)の損失を被るだろう。

 もちろんこの判決が出たとたんに各銀行の株価は一気に下がり始め、マドリードの株式市場は大混乱をきたした。その日中にバンキンテル銀行が6.27%、バンキア銀行が5.11%など、経営基盤が比較的弱く不動産取引の割合の大きな銀行ほど大幅な下落となったが、スペインの銀行界全体でこの日のうちに50億ユーロ(約6400億円)が失われた。しかし本当の混乱はここから後に起こることになる。スペイン最高裁が自らの出した判決を自ら破棄・変更する動きに出たのだ。

 翌10月19日(金曜日)に最高裁は、この18日の判決を棚上げにし判断のやり直しを行うと発表した。前代未聞、空前絶後の事態だ。その判決は、国家の司法権の最高機関である最高裁判所によって、すでに確定され正式な公文書となったものである。それをボツにしてまた作り直すというのだ。しかしその理由の説明は何一つなかった。小学校のクラスの話し合いでもここまででたらめなことは起こらないだろう。「待った」をかけたルイス・マリア・ディエス‐ピカソ判事は、かつて銀行家を育成する研究機関CUNEFの教官を務め、現在にいたるまで大手銀行の経営者たちとは密接な関係を保ち続けている人物だ。「やり直し」の理由は何一つ言う必要も無かったわけである。

 もちろんだが、これで大混乱と茫然自失状態に陥ったのは最高裁の判事たちとスペイン中の法曹関係者だけではない。登記税を誰が払うのかが明確にならないのだから不動産売買が宙に浮くのは当然である。市場の混乱を抑えたい銀行側は、オンラインで登記を行う際に「技術的な問題が起こった」と説明したが、誰の目から見ても問題点は明らかである。慌てふためく最高裁長官カルロス・レスメスは、週明けの10月22日(月曜日)に、18日の判決を出した判事たちやその保留を決めたディエス‐ピカソ判事を含む31人の判事を集め緊急の会合を開いた。しかし結局、何の結論も出せず、2週間後の11月5日(月曜日)に行う幹部会で最終判断を下すと発表した。

 レスメス長官は10月25日にこの最高裁の大失態を謝罪したが、謝って済む問題ではないだろう。司法権の最高機関が行った法的判断を銀行業界の圧力で捻じ曲げ、その判決を1日でひっくり返したのだ。で…、結局どうなったかって? 11月5日に28人の判事が集まって会議が開かれたのだが、「銀行が税を払う」派と「客が税を払う」派の14人ずつに判事が分かれ、その日中に結論を出すことができなかった。そこで翌11月6日まで会議を延長し、そこで「銀行が払う」派の一人が寝返って15対13で「客が税金を払え」という結論に達したのである。

 この最高裁の醜態に国中があきれ果てた。右から左までの各政党もマスコミも言論界も、不快感を示し、あるいは嘆き、あるいは激しく非難した。「司法の独立」など学校教科書に書かれた素敵なおとぎ話に過ぎないことは、世界中どこででも、特に数多くの原発訴訟の結果を見せつけられた我々日本人にとって、白け切るほどに当たり前なことだ。しかしこのスペイン国民の目の前で繰り広げられた滑稽極まりないドンチャン騒ぎは、この国の司法権のみすぼらしい実態をこれ以上は無いほど露骨にさらけ出したものだった。多分だが、一番困っているのは社会科教科書の編集者ではないだろうか。

 もちろんマドリード、バルセロナ、セビージャなどの大都市では、ポデモスや統一左翼党の呼びかけで、大規模な抗議集会とデモが繰り広げられることとなった。そして社会労働党政府は11月8日に、議会の承認を必要としない政令の形で、いままで誰が税金を支払うのか明らかな形でなかった法制度を改め、「銀行が支払う」ことを条文に明記したのである。しかもその執行を11月10日から(土曜日なので実質的には12日の月曜日から)とし、さらにポデモスの協力を得てその税率を上げると決定した。これがまた、ただでさえ潰れかけの最高裁のメンツをズタズタにしてしまった。

 政府の決定はあくまでも「今から」の話であり、過去に不動産の購入者が支払った税金の返還を銀行に求めるものではない。しかも、国、教会、政党、赤十字などの団体が購入者の場合に銀行は税金を払わなくてよいとする、半分骨抜きの法令だった。まあ、それが現政府のできる精一杯だったのかもしれないが、当然ながら今まで取られた税金分の返還を求める消費者団体は、EUの司法裁判所に訴え出る構えである。また銀行は税金を負担する分だけ(あるいは便乗してそれ以上に)不動産価格を値上げしようとしているが、日本の公正取引委員会に当たるCNMCは値上げを許さず銀行を監視すると発表した。

 話はそれだけでは済まない。反資本主義政党のポデモスの党首パブロ・イグレシアスが「ことは非常に重大だ。銀行は法を超える存在であるらしい」と言うのは当然にしても、カタルーニャ独立派からなるカタルーニャ州政府が11月9日に、この不動産取引の問題について最高裁長官のレスメスと判事ディエス‐ピカソを検察庁に告訴するだろうと発表した。これは明らかに、独立派攻撃の最先頭に立つ最高裁への攻撃(あるいは嫌がらせ)である。後述する対外的な権威失墜に加え以上のよう自滅的な状況に陥るこの国の司法権を、さらに痛めつけようということだろう。しかしそれ以来、マスコミはこの問題について一切触れなくなった。どこかから「撃ち方、止めーっ!」の号令でもかかったのかな?


《表現の自由を巡って内外から突き動かされる司法界》

 当サイト記事『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(8)』にある《脅かされる表現の自由》で述べたが、スペイン最高裁は今年2月にマジョルカ島出身のラップ歌手バルトニック(芸名:本名ジュゼップ・ミケル・アレナス・バルトゥラン)に対して、懲役3年6カ月の刑を言い渡した。彼のラップの内容が「テロの高揚」「王室への侮辱」の罪に当たるとされたからである。バルトニックはその後、最後の手段として憲法裁判所に訴えたのだが憲法裁判所はその訴えを認めず、5月11日に刑が最終的に確定した。そして全国管区裁判所は5月14日に、彼に10日以内に出頭するように命じた。出頭する、ということは、そのまま刑務所送りになる、という意味なのだ。

 そして最終期限の5月23日、バルトニックは裁判所に姿を現さなかった。その日、彼がベルギーにいることがTV3によって伝えられたのである。《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》で書いたように、そのときベルギーには3人の前カタルーニャ州政府閣僚、アントニ・コミン、リュイス・プッチ、マリチェイュ・サレーが滞在しており、スペイン最高裁が出した3人への欧州逮捕状をベルギー検察庁が正式に拒否したばかりだったのである。そして前カタルーニャ州閣僚たちに付く辣腕弁護士たちがバルトニックの弁護も引き受けることになった。怒り狂うスペイン最高裁がバルトニックに対する欧州・国際逮捕状を発行したことは言うまでもない。6月4日になって彼はベルギーの裁判所に出頭し同国での存在が確認されたが、逮捕・即時身柄引き渡しは免れ処分保留のままで釈放された。

 その後7月28日に、ドイツで仮釈放になりスペイン最高裁がスッタモンダの末に欧州逮捕状を取り下げたカルラス・プッチダモンが、ベルギーに帰還した。その際、ワーテルローにある「共和国の家」で開かれたプッチダモン帰還の歓迎集会で、前カタルーニャ州政府閣僚たちと並ぶバルトニックの姿が大勢の人々の目に映った。後の9月11日に彼は、「カタルーニャの独立がスペインに人民共和制をもたらすだろう」と語って、カタルーニャ独立運動への連帯を明らかにしている。

 そして8月21日にベルギーの裁判所は、スペイン側が求めていたバルトニックの無条件の身柄引き渡しを拒否した。その際、ベルギーの裁判所は9月3日に彼に対する欧州逮捕状への返答と行うとしたのだが、9月3日になるとその決定を9月17日に延ばすという発表があった。表には出てこないのだが、8月の間にスペインとベルギーの司法当局の間でかなり激しいやり取りがあった様子だ。これは、後でまた触れることになるが、カタルーニャ独立派幹部を裁いている最高裁判事パブロ・ジャレナに対するベルギー裁判所での証人喚問の問題とも絡んでいるのだろう。

 その9月17日、ベルギーのヘント裁判所は、バルトニックのラップの歌詞を表現の自由の範囲内であるとして、彼の欧州逮捕状による身柄引き渡しを正式に拒否した。このようなバルトニックに対するベルギー司法当局の対応は、スペインの司法当局にとってカタルーニャ州前幹部たちの件に続く、極めて重大な打撃となった。

 その衝撃の強さは、他の芸術家たちに対する司法当局の態度を見れば一目瞭然である。ここで俳優ウィリー・トレドに話を移そう。彼はフェミニスト運動に同調してカトリック教会に対する攻撃を行っていたが、そのフェイスブックへの書き込みが「神と聖母マリアに対する侮辱」に当たるとして(?!)起訴されていたのである。今の時代にそんな「罪」があるのか?と思うかもしれないが、スペインはそんな国なのだ。《脅かされる表現の自由》《神聖不可侵な宗教、王室、統一国家》に書いたとおりである。彼に同調する俳優仲間には、世界的に有名な女優ペネロペ・クルスの夫で国際的な男優ハビエル・バルデムもいる。

 そのトレドは、9月4日に予定されていた裁判所への召喚命令に従わなかったため、裁判所は即刻、彼に対する10日以内の逮捕命令を出した。しかし彼は9月11日に警察に対して、裁判所に行く気が無いので逮捕したければすぐに来いと述べて自分の居場所を告げた。警察は翌12日にマドリードで彼を逮捕したのだが、すぐに保釈の身となったのである。従来ならば裁判所はそのまま刑務所送りにせよと命じていただろう。しかし今年はちょっと様相が異なる。

 また《脅かされる表現の自由》にも書いたカタルーニャのラップ歌手パブロ・ハセルだが、全国管区裁判所は2年と1日の懲役とされた刑を、9月14日になって、9カ月の執行猶予に減刑するという決定をした。他にも、9月19日に同裁判所は、テロを称賛したとされるバスク人のラップ歌手サウル・ザイツェフに対する2年と1日の懲役刑を、6カ月の懲役(執行猶予)、つまり実質的に無罪に等しい地点にまで減刑することを決めた。他にもツイッターへの書き込みで同様の罪状を言い渡されていた大勢の人々が実質無罪の減刑処分とされた。このような表現の自由問題に対するスペインの司法当局の姿勢の変化は、カタルーニャ独立派幹部に対する外国の反応が決定的に影響しているはずだ。要するに「外からの眼」にビビりまくっているのである。

 こんなブレブレの司法当局の姿が、国民の目の前にあからさまに曝されているのがこの国の現状だ。フランコ主義が隠れた土台である政治権力、土建業者と銀行を柱とする経済、そしてその二つの権益を確保するための司法権力が、従来のスペイン国家を成り立たせてきた。しかしそれらがすべてグラグラと揺れ動いているのがいまのスペインの姿なのである。



《カタルーニャを巡るスペインとベルギーの外交危機》

 さてここで、現在スペイン国家の最大の敵といえるカタルーニャ独立勢力とスペイン司法権力との戦いの中で、司法権力が対外的に見せた惨めな姿について触れてみたい。昨年11月から今年7月までのことは当サイトで取り上げてきたが、まずそれをざっと振り返ってみよう。

 昨年11月に、カタルーニャ州議会が一方的独立宣言を採択しスペイン国家が憲法155条を適用してカタルーニャ州の自治権を剝奪した(《バルセロナの55日》参照)。次に、国家反逆罪による逮捕を逃れてベルギーに居場所を移した同州前知事カルラス・プッチダモンら前州政府要人たち(《突然ブリュッセルに現れたプッチダモン》参照)に対して、欧州逮捕状が発行された。しかしベルギーの法制度との違いに気付いたスペイン最高裁は、すぐに欧州逮捕状を引っ込めてしまった(《プッチダモンへの欧州逮捕状を取り下げたスペイン国家》参照)。

 今年3月、強硬独立派CUP幹部のアンナ・ガブリエル、そしてカタルーニャ左翼共和党(ERC)幹部マルタ・ルビラがスイスに向かった(《点から線へ》および《「コップの中」から飛び出した「嵐」》参照)。スペイン最高裁は即座に、国外にいる合計7人のカタルーニャ独立派幹部への欧州逮捕状(スイスには国際逮捕状)を発行した。しかしスイスはこれを頭から無視。前州政府幹部のマリチェイュ・サレー、リュイス・プッチ、アントニ・コミンが滞在するベルギーと、クララ・ポンサティーが滞在するスコットランドは、スペイン司法当局からの逮捕・即時身柄引き渡しの要求に応じなかった。

 講演先のフィンランドからドイツを通ってベルギーに戻ろうとしていたプッチダモンがドイツ領内で逮捕された(《「コップの中」から飛び出した「嵐」》参照)のは3月25日である。ところが4月5日にドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の裁判所は、スペイン最高裁が出していた身柄引き渡し要求に応じず、彼を保釈金付きで仮保釈処分とした(《プッチダモン保釈の衝撃》参照)。これらのことがスペインの司法当局にとってどれほどの衝撃だったのかは言うまでもあるまい。しかしそれだけでは済まなかった。

 5月16日、ベルギー検察庁はブリュッセル郊外のワーテルローに在住するサレー、プッチ、コミンの3人に対する欧州逮捕状による身柄引き渡しを正式に拒否した。7月12日にドイツの裁判所当局は、プッチダモンに対する国家反逆罪の容疑を認めず公金不正流用という比較的軽い罪状のみを認める判断を下したが、国家反逆罪でなければ無意味だとするスペインの司法当局は再び欧州逮捕状を取り下げる羽目になった。そして7月23日、スコットランドに在住するポンサティーに対して、エジンバラ裁判所は欧州逮捕状に応じないことを正式に決定した。(以上《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》参照)

 スペイン司法当局がカタルーニャ問題で対外的に披露した惨めな姿について、当サイトでは以上のことまで述べておいた。ここで、今年8月以降の動向について書いておきたい。

 6月5日にベルギーの3人とプッチダモンは、ベルギーの裁判所に対して、スペイン最高裁が公正で偏りの無い裁判を受ける権利を侵害しているという訴えを起こし、ブリュッセルの裁判所はスペイン最高裁判事ジャレナを9月に証人として喚問すると発表した。一つの国の裁判所が他国の最高裁の判事を証人喚問するなど前例があるのかどうか私は知らない。しかし前例があろうが無かろうが、スペイン国家にとってみれば国家権力最大の柱の一つに対する「侵略行為」に等しい。この問題がその後どうなったのか。

 8月16日にスペイン司法権委員会(CGPJ)は政府に対して、国家弁護局にジャレナを弁護させるように要請した。政治日程の都合上カタルーニャ独立派との決裂を恐れるサンチェス政権は色よい返事を渋ったが、8月26日になってブリュッセルに弁護団を形作ることにした。サンチェスはジャレナへの弁護は「国家の問題だ」としてそれを正当化した。弁護団のブリュッセルでの活動についてマスコミでは多くのことは分からないが、9月4日に予定されていた証人喚問が延期され9月25日に審理が開始されると発表があったところを見ると、このスペイン国家を背後に背負う弁護団の活発な活動が伺える。

 一方、スペイン国内でもいくつかの変化が起こっていた。スペイン政府のカタルーニャ支局の責任者は社会労働党系のテレサ・クニジェラに交代していたが、そのクニジェラは9月22日に、もし刑務所で拘留中の独立派幹部たちが赦免要求をするのなら自分はその側に立つ、という内容の発言を行った。これはどうせ、中央議会で難航している予算案を巡ってカタルーニャ独立派を味方につけるためのリップサービスに過ぎないだろうが、もちろん政府と野党(国民党、シウダダノス)との間の激しい罵倒の投げつけ合いを引き起こした。

 「赦免」とは裁判所が推し進めている「国家反逆罪」の罪状を外すことに他ならない。スペイン国内の法律家や法学の専門家たちの間にも、昨年9月から10月にかけてのカタルーニャ独立派の行動を「反逆」と見做すのかどうかで激しい論争がある。しかし拘留されている者たちが上げる抗議の声に対して、最高裁はスペインの司法権の尊厳を貶めているとして非難し、「反逆罪」であるとの立場を堅持する姿勢を見せた。

 9月25日はスペイン最高裁判事パブロ・ジャレナの証人喚問が行われる予定になっていた日だが、スペイン司法当局はベルギーの裁判所にジャレナ(つまりスペイン最高裁)を裁く権限が無いと主張して審理を拒否し、再び証人喚問は宙に浮いてしまった。そして翌9月26日、スペインとベルギーの間に大きな外交的緊張が走った。それは、ベルギー北部のフラマン語圏であるフランデレン地域議会のJan Peumans議長が、獄中のカルマ・フルカデイュ前カタルーニャ州議会議長に送った手紙が原因である。豊かな産業を持つベルギー北部フランデレン地域は独自の自治政府と議会を持ち、南部のフランス語地域からの分離勢力の力が強い。

 公開されたその手紙には次のように書かれていた。「何か月もの間、政治家たちを逮捕された状態のままにしておくことは、最も示唆に富んだこと、つまりスペインの中央政府が欧州連合の近代的民主主義の一部であるための条件を満たす能力を持たない、という証拠である」。そしてまた「…カタルーニャで事態は民主主義にとってさらに悪い状態になっている。住民投票の間に用いられた暴力は、非民主的な政治の最も恥ずべき現れに過ぎないのだ」と。

 スペイン政府は早速ベルギー大使Marc Calcoenに強く抗議し、独立運動に激しく敵対するカタルーニャ人のジュゼップ・ブレイュ外相は、このPeumansの手紙の内容を「はっきりと敵対的」であり「侮辱」であると強く非難した。またブレイュは「人々はカタルーニャがコソボではないことを理解している」と述べた…。そりゃ…、まあ、そうだ! 《「なぜNATOはマドリードを爆撃しないのか」?!》でも書いたとおり、コソボはNATO(米欧帝国主義)が希望するバルカンと中東の新秩序作りのために、その総力を挙げて「独立させた」場所だ。カタルーニャとコソボを比べること自体がナンセンスである。寝ぼけちゃいかんよ、ブレイュさん。

 9月28日には、人権団体アムネスティ・インターナショナルが、スペインの検察庁は昨年10月1日の「独立住民投票」の際に複数の投票所で起きた警察による暴力を捜査する役を果たしていないと、非難の声明を出した。その一方で最高裁は9月29日に、その住民投票を国家反逆罪に問う裁判を来年(2019年)1月に開始して3月に結審する予定だと発表した。国民党関係者の大規模な公金略奪の裁判の多くが、捜査開始から5年も6年もかかってまだ結審しないのだが、これはまた素晴らしく速い決着のつけ方だ。もっとも10月8日になって裁判所は、幹部たちと同様に起訴されていた州政府の下級の公務員40人ほどについては反逆罪に問わないと発表し、また検察庁も10月14日に、独立派幹部たちの反逆罪に対する科刑を懲役10~25年の「できる限り軽い刑にする」と述べ、「太っ腹」を示してみせたのだが。

 しかしスペイン外相ブレイュは10月16日に、在マドリードのベルギー大使Calcoenに対して、フランデレン地域自治政府のスペインでの外交的地位を剝奪すると通告した。これでスペインとベルギーの外交関係は一気に危機的な状況に陥ってしまった。翌10月17日にフランデレン地域議会の議員Hendrik Bogaertは、拘留中のカタルーニャ独立派幹部たちの即時釈放を求め、EUに対してカタルーニャ問題への介入を要求した。さらにフランデレン地域首相のヘァート・ブルジョア(Geert Bourgeois)は、スペイン外相の通告を「極めて無礼な行為」であるとして、ベルギー政府に対して在ベルギーのスペイン大使ベアトリス・ラローチャを呼びつけるように要求した。

 このような事態は、普通ならEU内を上へ下への大騒動にさせるはずのものである。しかし、幸か不幸か、EUは緊迫の度を強めるBrexit問題への対処で精いっぱいの状態だ。即日、ベルギー政府首相シャルル・ミシェルは大慌てで「マドリードとブリュッセルの間に外交面の対立は無い」と語り、フランデレン地域の要求に耳を傾けなかった。しかしベルギーは北と南の微妙なバランスの上にようやく成り立っている国だ。カタルーニャ問題がこのEU本部を抱える地に飛び火しベルギーが本格的な分裂の様相を示すような事態が、収拾のつかないBrexit問題と重なるようなことになれば、EUは極めて重大な危機を迎えることになるかもしれない。


《スペイン司法権力と国家を危機に追い込む少数民族問題》

 カタルーニャを巡ってスペイン国内も大揺れ状態になっている。スペイン首相ペドロ・サンチェスは10月24日に、昨年の住民投票と独立宣言に反逆罪を適用できない可能性を示唆した。それは、難航する予算問題で民族政党の気を引くための「ウインク」に過ぎないのだが、最高裁は政府の圧力に不快の念を示した。一方で検察庁は反逆罪適用の方針を堅持し、前カタルーニャ州政府副知事ウリオル・ジュンケラスなどに25年の懲役を求刑する予定でいる。しかし11月1日になって、今度は法務省に直属する国家弁護局が独立派幹部への反逆罪による告発の方針を破棄し争乱と公金不正流用のみの告発とする言いだした。これによるとジュンケラスらの独立派幹部には懲役12年が求刑されることになるだろう。

 もう、上へ下へと言おうか、右往左往と言おうか、毎日毎日、スペイン中のあっちからこっちから、相反するニュースが飛び込んでくるような状態である。そんな中、昨年の住民投票に関する捜査を開始した判事フアン・アントニオ・ラミレス・スニェーが11月3日に71歳で急死した。各新聞に病名は書かれていないが「重病を患っていた」という発表があった。スニェー判事は、スペイン司法権委員会の議長で最高裁長官のカルロス・レスメスが、スペインの歴史の進路を変えた、と評するほどの優秀で影響力を持つ判事だったそうだ。

 実は、カタルーニャ問題にかかわった法曹関係者の急死は昨年の秋以来これで3人目である。昨年11月18日、検事総長だったホセ・マヌエル・マサがイベロアメリカ検察庁会議出席のために赴いていたブエノスアイレスで、敗血症のために66歳で死亡した(《内から腐れ落ち、外から剥がれ落ちる「主権国家」》参照)。さらに12月27日、カタルーニャ高等裁判所付の検事局長だったホセ・マリア・ロメロ・デ・テヘダが、白血病からの急性肺炎のため69歳で死亡した。3人とも別に「暗殺」などという物騒な話ではないが、カタルーニャ問題はスペインの司法当局にとって文字通り『縁起でもない』ものなのだろう。

 『縁起でもない』ことは続くものだ。11月6日にストラスブールの欧州人権裁判所は、スペイン全国管区裁判所がバスク独立主義過激派ETAのテロに関与したとして元バタスナ党党首アルナルド・オテギに対して2011年に下した懲役10年の判決を、公正な裁判の結果ではなかったと断定しスペイン司法当局の人権侵害を告発した。実際にはオテギはその後の最高裁による刑量見直しにより懲役6年に減刑され、今も10年間の公民権停止が続いているのだが、最初の「テロ関与」の判決自体が非民主主義的と見做されたことになる。スペイン最高裁は公民権停止を解かざるを得なくなるだろう。オテギ以外にも3人のバスク人が欧州人権裁判所に訴え出ているのだが、おそらく同様の結果が出るはずだ。

 それをきっかけに、バスクとカタルーニャの独立派の連携が強まっている。11月11日にオテギは、バスク・カタルーニャ・ガリシア3民族の独立派政党による共同戦線を呼び掛けた。これを受けて11月15日、ERC(カタルーニャ左翼共和党)とバスクの独立左派政党EHビルドゥは、来年3月26日に行われる欧州議会選挙で合同会派を作るという協定を結んだ。また同じ日に、カタルーニャ州政府知事のキム・トーラは、欧州議会選挙でカタルーニャ・バスク・ガリシアの独立派による「民主主義戦線」の結成を呼び掛けた。

 もう一つ、話はやや遡るが、9月19日にネット新聞El Mónとeldiario.esが裁判官同士のeメールによるやりとりを暴露した。それは2005年から続く裁判所判事たちのネットワーク内で行われたものだが、2017年よりも前に、カタルーニャ独立運動について『ナチズム』、『嫌悪主義のウイルス』、『ナショナリズムの病原体』、『クーデター首謀者とは交渉も対話も必要ない』などの表現が普通に飛び交っていたことが明らかになった。独立派市民のデモや行事(《独立要求「200万人」超巨大デモ》、《2013年9月11日、カタルーニャの「人間の鎖」》参照)についても『犯罪』、『暴力』、『過激主義』という言葉が当たり前のように使われていた。

 つまり、2017年の住民投票や独立宣言を法に沿って捜査し法的判断を下す以前に、もう最初から極端なバイアス、それも政治的なバイアスを付けてカタルーニャ独立運動を取り扱っていたことが、大勢の裁判所判たち自らの言葉で明らかになったわけである。これはもう、とうてい民主国家の司法権の在り方ではありえない。「三権分立」など建前にすぎないとはいうものの、このスペインの裁判所判事たちの頭には最初から「司法権の独立」など存在しないのである。中には「国王(国王陛下万歳!)」と書かれている例もある。日本の裁判官同士のやり取りの中で「天皇(天皇陛下万歳!)」と書かれているならば、それが何を意味しているのか、言うまでもないだろう。

 もちろんだがこの暴露は、スペイン国内で大問題を引き起こし、カタルーニャ州知事トーラは司法権委員会の議長レスメスの辞任を要求した。司法権委員会はそれを無視したが、ブリュッセルでは無事に済まないかもしれない。スペイン(カタルーニャ、バスク、ガリシア)、英国、アイルランド、ベルギー、イタリア、ポルトガル、スロベニア選出の欧州議員合計15人が、このようなスペインの司法権力の在り方を欧州連合基本権憲章(EU内での基本的人権に関する憲章)に違反するとして欧州理事会に訴え調査を要求したのである。この憲章は強制力を持つため欧州理事会も無視は困難だろう。

 以上に述べたような動きが、ただでさえ揺れ動いているスペインの司法権を次々と窮地に陥れていくことになると思われる。特に今からカタルーニャの住民投票と独立宣言を「国家反逆罪」として裁く予定のスペイン最高裁は、その判断の一つ一つを国外から厳しく検証されることになるだろう。言ってみれば、自らを曝し台の上で磔にしてしまうことになりかねないのだ。EUでは遅かれ早かれBrexit問題にもけりが付くだろう。そうなって改めてスペインに目が注がれるときに、果たしてこの国はそれに耐えることができるだろうか。

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