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カタルーニャを巡るスペインの外交的敗北

 昨年10月28日にスペイン憲法155条が適用されて自治権を失ったカタルーニャ州だが、国家権力によって解任され逮捕の危険に曝されたカルラス・プッチダモン前知事は同月30日に、数名の同州前高官たちとともにブリュッセルに姿を現した(当サイト記事《突然ブリュッセルに現れたプッチダモン》参照)。スペインの主要な政治家とマスコミはそれを「逃亡」と呼んだ。しかしそれが決して逮捕から逃げるためではなく、逆に、カタルーニャ問題を国際化し外からスペイン国家を追い詰めていく、極めて的確な攻撃であったことが、次第に明らかになっている。

 その明確な結果、つまりカタルーニャ独立派の勝利とスペイン国家の敗北が明らかになったのはこの5月を過ぎてからである。ここで4月から7月までのカタルーニャ問題に関する状況の流れをまとめておきたい。(4月初旬以前の経過については『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)』と『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(9)』を参照のこと。)

 「勝利」とはいっても、ボクシングで言えば第1ラウンドに強烈なパンチでダウンを奪った、という程度のものだ。この問題は、今後数年間あるいは10年以上の紆余曲折を経るだろうが、その間に本格化すると思われる欧州の政治統合問題にも大きな影響を与えながら、続いていくことになるだろう。「最終決着」は予測できないが、その一つ一つの過程で起こる事態はカタルーニャで生活せざるを得ない私の生活に直接に関わることばかりだ。私の乗っているこの船がタイタニックでなければよいのだが。

2018年7月25日  バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
 《トーラ州政府の誕生と自治権の回復》
 《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》
 《ますます「内向き」になるスペイン》


【写真:5月14日にカタルーニャ州知事に選出されたキム・トーラ(RTVEニュース)】

《トーラ州政府の誕生と自治権の回復》

 まずスペインとカタルーニャ内部での状況とその変化についてまとめよう。4月、スペイン憲法155条適用下で自治権喪失状態が続くカタルーニャ州には、州知事選出の期限が刻一刻と迫りつつあった。釈放されドイツに滞在するカルラス・プッチダモンはマドリードの獄中にいるジョルディ・サンチェスを知事候補として強く押しており、州議会議長ルジェー・トゥレンは4月9日にサンチェスを新知事に就けるべく州議会総会を招集し、同時にスペイン最高裁に対してサンチェスの議会出席を許可するように要求した。彼は国連人権理事会の勧告を盾に最高裁に立ち向かったのだが、スペイン国家の意思を代表する最高裁判事パブロ・ジャレナは一顧だにしなかった。

 こうしてトゥレンは再び知事選出の機会を延期せざるを得なかったのだが、そのギリギリの最終期限は5月22日である。そのときまでに、民族右派のPDeCAT(カタルーニャ欧州民主党)と左派のERC(カタルーニャ左翼共和党)がともに納得できる、できれば極左独立派CUPも賛成できるような知事候補を探さなければならない。しかし散々にもめ続けた今までの経緯から、ことがスムーズに運ばれる見通しは立つはずもない。4月15日には州都バルセロナで久しぶりに大規模(30万人:市警察発表)による「政治犯釈放要求デモ」が行われたが、状況は次第に閉塞状態に向かっていくように思えた。

 4月半ばになって、ウリオル・ジュンケラス、ジョルディ・サンチェス、ジョルディ・クシャール、そしてジュアキム・フォルン、ラウル・ルメバ、ジュゼップ・ルイュ、さらにジョルディ・トゥルイュ、ドロールス・バサ、カルマ・フルカデイュと、獄中にいるカタルーニャ「政治犯」たちの裁判所での取り調べが次々と行われた。これらの「政治犯」たちはそれぞれ、国家反逆罪などの罪名による告訴と逮捕・投獄を激しく非難したが、もちろん判事ジャレナにとっては文字通りの蛙の面に水である。スペイン国の最高裁である以上、スペイン国内からの抗議など痛くもかゆくもないのだ。

 こうして、独立派にとって時が無駄に流れていくように思えたが、しかしその間にドイツでのプッチダモン周辺で着々と「次の一手」が画策されていたのだ。プッチダモン自身の再選、ジョルディ・トゥルイュ選出、ジョルディ・サンチェス選出に続く「プランD」である。しかしその内容が4月中に明らかにされることはなかった。5月に入って独立派の中から州議会規則を変えて再びプッチダモンを知事にしようとする動きが起こったのだが、憲法裁判所がそのような改革を認めるはずもなかった。しかしおそらくこれは「時間稼ぎ」あるいは「目くらまし」だったのだろう。後述するが、国外にいる前州政府閣僚に出された欧州逮捕状に対するベルギーやドイツの裁判所の最終判断が近づいていたのである。

 5月10日になって、ベルリンにいるプッチダモンは、キム・トーラ・プラ(Quim Torra Pla)を未来のカタルーニャ州知事として推薦した(スペイン語やカタルーニャ語の“rr”の発音は日本人には難しく、「トーラ」は「トルラ」の方がより近い音だろうが、たとえば日本のサッカー球団に移籍したFernand Torres選手は「トーレス」を言われており、これに習うことにしよう)。これが彼の「プランD」だったのだ。

 出版社の運営に携わりいくつかの企業で弁護士を務めた経歴を持つキム・トーラは、州議会議員ではあったがこれまでさほど目立つ存在ではなかった。しかしプッチダモンと同郷で気心の通い合う彼は強硬な分離主義者の一人である。首相のマリアノ・ラホイは早速トーラに「法を順守する責任があるぞ」と圧力をかけた。トーラを知事に選出する州議会総会は5月12日と14日に行われることに決まったが、ここで最大の問題はCUPの出方だった。

 12日の総会で行われた第1回投票で、トーラ選出に賛成したのはPDeCATとERCの66票であり、反対がカタルーニャ社会党、シウタダンス、アン・コムー(ポデモス系)の65票、そして棄権がCUPの4票で、賛成票は135議席の過半数68議席に届かなかった。反資本主義のCUPは元々から民族右派を嫌っており、賛成に回る可能性は少ない。ただ、14日に行われる第2回目の投票では、全議員の過半数ではなく単純な多数決で決めることができる。もしCUPが棄権の態度を続けるなら、トーラが新知事に選出されることになるだろう。しかしCUPがへそを曲げて反対に回ると新知事選出は不可能になり、自治権を喪失したまま次の州議会選挙を行わねばならない。

 CUPは前日の13日に第2回投票で棄権すると発表し、これで新知事誕生の見通しができた。そして翌14日の州議会総会では、第1回投票と同じ、賛成66、反対65、棄権4という、わずか1票差でトーラ新知事の誕生を祝うことになったのである。この新知事の下で新たな州政府が合法的に作られた時点で、半年以上も続いた憲法155条による自治権喪失状態は終わりを告げることとなるだろう。

 翌15日、知事就任をプッチダモンに報告するためにベルリンに向かったキム・トーラは、首相マリアノ・ラホイに対話を呼びかけ「場所と日時を指定してくれ」と語った。彼は問答無用の独立・共和国建設ではなく、時間をかけた対話による解決の路線を出してみせたのである。これに対してラホイと社会労働党党首ペドロ・サンチェスは、州政府の動向を見守り国家分裂の危機を招きそうであれば憲法155条を再び適用することで合意した。ラホイはついでに、法の枠内であれば対話しようと語ったが、これは要するに対話しないという意味である。

 トーラは5月17日に行われた州知事の就任式で国王とスペイン国憲法に対する忠誠の誓いを省略した。この誓いはプッチダモンに至るまでの代々の州知事が行ってきたものだが、これがスペイン国家に対する彼の返答だった。続いて州政府の閣僚を決定しなければならないのだが、ここでもトーラは獄中や国外にいる独立派の人士を閣僚に据える姿勢をとってみせた。これらの明らかな挑発に対してラホイは憲法155条の再適用を掲げて脅しをかけた。しかし彼らのこのような応答は、おそらく、お互いに分かって息を計って行ったジェスチャーに過ぎないだろう。政治家にはそれぞれの支持者に対して演技をして見せなければならないときもあるのだ。過激な言動の裏でトーラは慎重に州政府閣僚の人事を進めていったのである。

 結局、全閣僚が決まり新たな州政府が誕生したのは、中央議会でマリアノ・ラホイに対する不信任動議が可決されて国民党政権の終了とペドロ・サンチェス社会労働党政権の発足が決まった(当サイト『スペイン最後の「78年体制」政府か?』参照)翌日の、6月2日のことだった。トーラはおそらくラホイ政権がもう長くはもたないことを察知して、州政府作りのタイミングを計っていたのではないかと感じる。同じ6月2日に新たなスペイン国首相となったペドロ・サンチェスはその就任式で十字架と聖書を省略して就任の誓いを行った(当サイト《社会労働党“超軽量与党”の誕生》参照)のだ。


《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》

 ここで時計の針を戻して、4月以来のスペイン国外での動きを見てみたい。『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(9)』で書いたとおり、スペイン検察庁が出していた欧州逮捕状に基づいてドイツで逮捕・収監されていたカルラス・プッチダモン前カタルーニャ州知事が、ドイツ連邦裁判所を形作るシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州裁判所の判断で仮釈放とされたのが4月5日のことだった。ドイツ社会民主党は4月10日にスペイン国家の司法機関をトルコの司法機関になぞらえた。ドイツでは、トルコは人権抑圧国家の代表例なのだ。

 プッチダモンを保釈処分にしたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州裁判所は、その後、最終決定を下すためにスペインからの欧州逮捕状の詳細な検討を開始した。プッチダモンが指導した独立運動に、ドイツの刑法の「重大な裏切り(大逆罪)」に相当する激しい暴力性があるのかどうか? スペイン検察庁は4月13日に独立派の「暴力性」を明らかにするためのビデオをドイツ側に送って理解を求めた。まあこれは、どちらかというと藪蛇ではないかと思えるのだが。ほとんど無抵抗な市民に一方的に過激な暴力を振るったのがスペイン国家側だったことは、欧州ではすでに常識である(『血まみれのカタルーニャ住民投票(1)』参照)。

 スペイン最高裁もまた、プッチダモンの本国送還を拒否したドイツ裁判所当局を批判し、改めて国家反逆罪という罪状の合理化に努めた。またベルギー検察庁は4月18日に、ワーテルローに(当サイト《点から線へ》参照)滞在する3人の前カタルーニャ州政府閣僚、アントニ・コミン、リュイス・プッチ、マリチェイュ・サレーについて、欧州逮捕状にある国家反逆罪や公金不正使用などの罪状に関するより詳しい資料提供をスペイン司法当局に要求した。5月11日にスペイン最高裁判事パブロ・ジャレナは、独立運動の暴力性を強調する多量の「証拠ビデオ」をドイツに送りつけたうえで、国家反逆罪ではなく騒乱罪の容疑で身柄引き渡しを求めようと試みることすらした。あまりはかばかしくないドイツ側の反応に、よほど焦っていたのだろう。

 5月16日、カタルーニャでキム・トーラが州知事に選出された2日後だが、スペイン国家と司法当局に対する第一の強烈なパンチが放たれた。ベルギー検察庁がスペイン当局によるコミン、プッチ、サレーの身柄引き渡し要求を正式に拒否したのである。しかも欧州逮捕状に内容に突っ込むことすらなく「形式が整っていない」という門前払いの形だった。晴れて完全に自由の身となったアントニ・コミンは「欧州はスペイン最高裁と国家が刑法を乱用していると告げている。もうたくさんだ!」という声明を発表した。スペイン最高裁は(欧州の)協定を守っていないとしてベルギー当局を非難したが、しょせん負け犬の遠吠えに過ぎないだろう。

 コミンらの弁護団は即座に、今回のベルギー当局の決断が、他の欧州諸国に「ドミノ効果」をもたらすだろうという確信を語ったが、次のドミノはじきに現れることになる。6月5日になってベルギーの3人とプッチダモンは、ベルギーの裁判所に対して、スペイン最高裁が公正で偏りの無い裁判を受ける権利を侵害しているという訴えを起こし、ブリュッセルの裁判所はスペイン最高裁判事ジャレナを9月に証人として喚問すると発表した。もしこれが実現したら物凄いことになるだろうが、スペイン最高裁はその翌日、スペインとベルギーの国同士がこの問題について無関心な態度を続けないことを希望すると発表した。つまり政治介入せよという意味だ。(スペインではこのときすでにマリアノ・ラホイ首相への不信任動議によって国民党が政権を失い、社会労働党の新政権が誕生している。『スペイン最後の「78年体制」政府か?』参照。)

 6月10日になってブリュッセルでプッチダモンの弁護士を務めるポール・べカールは、この告訴がスペイン司法当局の独立派に対する告発を無効にしてしまうかもしれないという見通しを述べた。またベルギー議会では、北部ドイツで3月25日にプッチダモンがドイツの警察に逮捕された際に乗っていたベルギーナンバーの自動車に、スペインの諜報部がベルギー当局の許可なしに発信機を取り付けてスパイしていた件が問題とされている(当サイト《「コップの中」から飛び出した「嵐」》参照)。これはへたをすると2国間の外交問題にまで発展しかねないだろう。

 ここでドイツに舞台を移そう。 ベルギーとは異なり、5月22日にドイツの検察庁は裁判所にプッチダモンの逮捕とスペインへの身柄引き渡しを要求したのだが、裁判所は即座にこれを拒否した。6月1日にもまたドイツの検察庁が同じ要求を繰り返したが、裁判所はやはりこれを認めず、およそ1ヶ月で最終決定を下すと告げた。その後、6月29日になって最高裁判事ジャレナは、プッチダモンの身柄引き渡しを実現させるべく38メガバイトにおよぶ膨大な資料をドイツの裁判所に送りつけた。ドイツ語訳されたのかどうかはっきりしないのだが、たぶん単にうるさがられただけで逆効果でしかなかっただろう。

 7月12日に、スペイン国家と司法当局に第2の爆弾パンチが食らわされることになった。数々のスペイン最高裁と検察庁の努力にもかかわらず、ドイツの裁判所は国家反逆罪によるプッチダモンの身柄引き渡しを否定し、公金不正流用の罪状のみによる引き渡しを決定したのである。これはプッチダモン側にとって事実上の「勝利」だろう。もしスペイン側がこの引き渡しに応じるなら、「国家反逆罪は無かった」ことを国際的に認めることになり、他の前州政府閣僚たちへの同罪状による告訴も全て投げ捨てなければならない。さらに「公金不正流用」にしても、前財務大臣のクリストバル・モントロが「流用は無かった」と断言しており、国内での裁判で勝てる見通しは立たない。もはや全ての裁判プロセスを諦めるか、あるいは欧州逮捕状を取り下げてスペイン国内に閉じこもるしかなくなる。

 プッチダモンはベルリンから「我々はスペイン国家が主張する第1の嘘を打ち破ったのだ」と事実上の勝利宣言を行った。バルセロナからはキム・トーラ州知事が「偉大なニュースである」と語ってプッチダモンを祝福した。こうして、にっちもさっちもいかなくなったスペイン最高裁は、長考の末、7月19日になって公金不正流用のみによる引き渡しを拒否し、欧州逮捕状の取り下げを決定したのである。正式に(スペイン国外で)自由の身になったプッチダモンは近日中にベルリンを離れ、ベルギーのワーテルローの家に戻る予定にしている。そしてそこを拠点にして、スペイン国家のカタルーニャに対する攻撃を無力化し、欧州がカタルーニャ共和国を受け入れるようにするための、活発な幅広い活動を開始することになるだろう。

 他方、スコットランドに滞在するもう一人の前カタルーニャ州政府閣僚クララ・ポンサティー(『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)』参照)だが、6月9日にスコットランド議会の第1党であるスコットランド民族党がポンサティーを賞賛し、獄中と国外居留中のカタルーニャ州前閣僚たちへの支持と支援の姿勢を明らかにした。英国からの独立意識の高いこの地では、やはりセイント・アンドリュース大学で教鞭をとるポンサティーの人気は絶大であり、カタルーニャ独立問題への関心も高い。そして7月23日、エディンバラの裁判所はポンサティーに、押収していたパスポートを返して「あなたはもうどこへ行くも自由の身だ」と語り、欧州逮捕状を拒否したことを告げた。この第3のパンチで、スペインの司法当局と国家は、カタルーニャ独立派の前にあえなくダウンを喫することとなった。

 ところで、スイスにいるERC総書記のマルタ・ルビラとCUPの幹部アンナ・ガブリエルの動向は(『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)』参照)、現在のところ極めて分かりにくい。4月13日になってそれまで公の場に姿を現さなかったルビラがスペインマスコミの前に登場した。彼女は「カタルーニャではある種の『内なる監獄』に住んでいた」、そして「スイスで政治弾圧との戦いを続けていく」と述べた。ルビラとガブリエルがスイスに政治亡命を求めているかどうかについては情報が錯綜しているのだが、4月27日にスイス外相は彼女らの政治亡命がありえないことを明言した。スイスの司法当局はスペインからの国際指名手配を最初から無視しており、彼女らの身はスイス国内にいる限り安全だろう。しかしそれ以降、なぜかスイスからの情報は、少なくともマスコミには登場していない。

 それにしても、この惨めな国家の姿を、スペイン人たちはどのように見ているのだろうか。スペイン最大の全国紙エル・パイスは7月23日付の記事で最高裁判事パブロ・ジャレナの戦術的な失敗と結論付けている。だが真相はとうていそんな単純なものではあるまい。私のような外国人の客観的な目には、スペイン国家の在り方と国民の意識レベルが現代西欧諸国のそれらから完全にかけ離れているように映る。しかし1975年の独裁者フランコの死と1978年の憲法制定で「西欧の仲間入りをした」と信じる(信じたい?)人々にとって、その現実を直視する勇気を持つことが極めて困難なのだろう。

 先のエル・パイス紙は5月14日の記事で、ロシアがカタルーニャ独立運動を援助したとドイツの諜報機関が断定した、というニュースを掲げ、相変わらずのロシア陰謀論フェイクニュース作りに励む姿を明らかにした。まあ、これはお笑いだが、誰かの陰謀のせいにでもしておかないと現実を受け入れることのできない人々の意識をよく表している。そんな人たちは今後はひたすら外に向かう意識を閉ざしてナショナリズムの殻の中に閉じこもるしかあるまい。


《ますます「内向き」になるスペイン》

 ドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州裁判所が、スペインから出されていた欧州逮捕状にある罪状「国家反逆罪」によるカルラス・プッチダモンの身柄引き渡しを拒否した7月12日、すでに新たな首相となっていた社会労働党のペドロ・サンチェスは、ちょうどNATOの会議に参加するためにブリュッセルにいたのだが、ドイツの裁判所の決定を「尊重する」と述べるにとどめ、その内容についての言及を避けた。しかし同時に、ドイツであれベルギーであれスペインであれ、どの国の裁判所の決定もまた尊重されなければならず、独立運動に関連して犯罪容疑者とされた者たちは「スペイン国内で裁かれなければならない」と語った。これは緩やかな形だが、スペイン最高裁の判断を“尊重しなかった”ドイツに対する抗議なのだろう。

 しかし国民党、特にスペイン(カスティージャ)・ナショナリストたちの怒りはそんなものでは済まなかった。当サイト《裏切られた?スペイン国家》《スペインは「欧州の鬼っ子」になるのか?》でも触れたことだが、スペインの右派は他の欧州諸国、特にドイツに対する不信感を急速に膨らませ、欧州各国間の人の往来に関するシェンゲン協定(参照:Wikipedia日本語版)への不信感が吹き出している。特に「司法協力」と「警察協力」の項目についてだ。

 4月にプッチダモンがドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州裁判所の決定によって仮釈放にされた時点で、国民党の欧州議会議員エステバン・ゴンサレス・ポンスは「欧州逮捕状が機能しないというのなら、シェンゲン条約が機能しないということであり、国境線を我々から取り上げるような馬鹿げたことだ」と吐き捨てた。そしてドイツの裁判所の最終判断が下された7月13日に、同じポンスが国民党の公式ツイッターを用いて「私はサンチェス(首相)に、スペインでのシェンゲン協定の適用を停止するように要求する」と語った。

 さらに国民党副総書記で右派の論客パブロ・カサド(37歳)は、このドイツの裁判所の決定を「屈辱」と評し、「スペインが尊重される保証が無いというなら、シェンゲン協定の加盟を停止することができるだろう」と自らのツイッターで述べた。実はこのカサドがそのわずか8日後の7月21日に、マリアノ・ラホイに代わる新たな国民党委員長に就任することになるのである。この国民党の変化とその意味についてはまた別の機会に書きたいが、もう一つの右派政党シウダダノスもまた、プッチダモン引き渡しを果たすことができなかった欧州逮捕状のシステムの改革を要求した。これらの動きに対して社会労働党政府は、国民党を欧州各国に登場しているアンチEUの過激グループと同列だと非難し、シェンゲン協定と欧州逮捕状のシステムを擁護した。

 もちろんだが社会労働党政府が、いかなる形であれ、カタルーニャの分離独立はおろかスペイン国内の少数民族の自己決定権を認めるはずもない。社会主義者たちは、口先では「対話」を語るが、スペイン国内では司法当局と警察を用いて「法を超える動き」は徹底的に抑え込むだろう。新たに就任した首相サンチェスは外務大臣にカタルーニャ人で反独立の急先鋒であるジュゼップ・ブレイュを据えた。このブレイュはかつてのフェリペ・ゴンサレス政権の財務大臣として、1989年に中央政府の農業政策に従おうとしなかったカナリア自治州政府に対して、憲法155条の適用を振りかざして脅迫した人物である。カタルーニャでも「新独裁主義勢力によるクーデターが起こっている」として、国民党やシウダダノスと手を組んで独立運動潰しに奔走している。

 しかし社会労働党政権は、国際的には不利な状況にあることを理解しているようだ。自国の最高裁の判断を葬り去ったドイツ、ベルギー、英国(スコットランド)というEU中央部の国々に対して立ち向かうだけの力も度胸も持つまい。一方の、議会下院最大党派であり上院で絶対多数を占める国民党も、やはり面と向かって他の西欧諸国と対決することはできないだろう。その代わりに、かつてのフランコ政権と同様にスペイン(カスティージャ)・ナショナリズムで国内を囲い込み、「スペインの統一」を絶対善として国境線内に閉じこもる方向に突き進もうとしているようだ。確かに内側だけに顔を向けていれば外にある嫌な顔を見ずに済む。

 シェンゲン協定の(一時的)停止は、フランスが2015年に起きたパリのテロ事件の後で行ったことがある。しかしそれは、EU内諸国にテロ防止についての共通認識があったからこそ通用したのだ。スペイン国内でしか通用しない「国家反逆罪」が否定されたからシェンゲン条約の適用を停止せよなど、傲慢な小学生の論理に過ぎまい。しかしそんな思想を振りかざす人物が国民党の指導者になり、将来の選挙の結果次第で国の指導者になるかもしれないのだ。いずれこのサイトで、再び顔を上げつつある「フランコ主義のスペイン」について書いてみたいと思うのだが、この国を否応なしに押し流していくナショナリズムの高揚については次の当サイト記事を参照のこと。
《スペイン政府は初めから「やる気」だった!》《「調停者」にならなかった国王》《ナショナリズムに囲い込まれるスペイン社会》《高まるスペイン・ナショナリズム》《スペインは「欧州の鬼っ子」になるのか?》

 カタルーニャ・ナショナリストもまた『カタルーニャ州政府と独立派のあまりにも非現実的な現実』、《具体性抜き…独立を巡る議論の空しさ》《2014年の「住民投票」を振り返る》に書いたように、傲慢な小学生そのもののように思える。しかし欧州で展開される「スペイン包囲」の動きは、カルラス・プッチダモンらカタルーニャ独立派の者たちだけの知恵と力によるものではあるまい。エル・パイス紙の被害者意識に凝り固まったロシア陰謀論は論外だが、今までに欧州の表舞台に現れた様々な現象を俯瞰してみるならば、将来の欧州の在り方を巡る水面下での激しい動きが起こっているように感じられる。
 

【『カタルーニャを巡るスペインの外交的敗北』ここまで】 inserted by FC2 system