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シリーズ:『カタルーニャ独立』を追う

Gカタルーニャ独立運動を扇動するシオニスト集団


 私は長い間、この事実について日本語で明らかにすべきかどうか、迷い続けていた。それがいわゆる「ネオナチ」と呼ばれる集団が好んで取り上げるテーマかもしれないからだ。しかし私は一外国人としてバルセロナに住む身である。カタルーニャ人たちの中にある、独立に向けた情熱も真摯さも、独立に対する不安や怒りも、ともに客観的・冷静に眺めることができる立場にいる。しかしこの問題は、私自身が在住し今後も住み続けるだろうこの地域で、政治・社会と経済事情の激変として直接に生活にかかわってくるため、嫌でも強い関心を持たざるを得ない。ギリギリの生活すら脅かされかねないことに対して黙っているわけにはいかない。

 カタルーニャ独立運動が、経済崩壊が進行する2010年を過ぎごろから唐突に盛り上がり始めたときに、私はなぜか不吉な予感を覚えた。特に、あたかも旧約聖書の預言者のように独立運動を先導(扇動)するアルトゥール・マス(前カタルーニャ州知事)や、ものに取り憑かれたように巨大な群衆の塊となって動く人々を見るにつれ、とほうもない不自然さを感じるようになってきた。そしてそれを露骨に挑発して反感を搔き立てるマドリッド中央政府(特に前教育大臣のホセ・イグナシオ・ウェルト)、厳正な措置をとると明言しながらいつまでたっても有効な動きをしないラホイ政権の姿に、首を傾げ続けた。(詳しくは当サイトの『シリーズ:「カタルーニャ独立」を追う』を参照のこと。)

 スペインもカタルーニャも、何かに鼻づらを取られ引きずり回されているのではないか、どちらもその意図せぬ方向にズルズルと押しやられているのではないか…。以下に書き留めたことは、そんな疑念に対する一つの可能性ある解答だろう。多くがエル・パイス、エル・ペリオディコ、ラ・バンガルディア、エル・コンフィデンシアルなどの定評のある新聞の報道から手に入れた情報である。《スペイン語→英語→日本語》と二重のフィルターを通してしかスペインを知ることのないほとんどの日本人にとってはショッキングな内容かもしれないが、紛れもない事実である。


2016年10月19日 バルセロナにて 童子丸開

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小見出し一覧 (クリックすればその項目に飛びます。)
《1人のイスラエル人の頭は10人のパレスチナ人より価値がある》
《マス曰く「我々はユダヤの起源を持っている」》
《カタルーニャ自治州政府を支配するシオニスト》
《「イスラエル名誉領事」を巡る綱引き》
《漫画チックだが危険極まりない「片思い」か?》
《かつては三つの宗教が平和共存していたスペイン》


《1人のイスラエル人の頭は10人のパレスチナ人より価値がある》

【画像:イスラエル国旗とエステラダ(カタルーニャ独立旗)を掲げて行進するバルセロナのイスラエル人たち:Parestina. Resistiendo a la Ocupación(占領に抵抗するパレスチナ)誌記事 Catalunya, Israel, Massachusettsより】

 今年1月10日にカタルーニャ州政府が作られたプロセスについては、当サイト記事『暴走するカタルーニャとスペイン:ドタバタ迷走の果てにドンデン返し』に詳しい。独立運動を主導してきたアルトゥール・マスを拒絶する極左政党で独立派のCUP(人民統一候補)が、マスの州知事就任辞退とカルラス・プッチダモン(当時ジロナ市長)の知事就任を、期限ぎりぎりになって無理矢理に飲まされたのだ。

 昨年9月27日に行われたカタルーニャ州議会選挙(当サイト記事)で第1党となったのは、62議席を獲得したJunts pel Sí(「賛成による合同」の意:以下“JxSI ”と略記)だった。これは、民族主義右派政党のCDC(カタルーニャ民主集中、現在はPDC「カタルーニャ民主党」と改名)と左派のERC(カタルーニャ左翼共和党)および複数の民族主義者団体が、独立達成のために糾合した会派である 。しかし過半数の68議席には届かなかった。CUPは独立派だがCDCとマスを忌み嫌いマス主導の独立には頑強に反対したため、州政府を作りたいJxSIとしては、独立の指導者であるマスを切ってでも、CUP(10議席)の賛成を得る以外に方法が無かったのである。

 
CUPはCDCを腐れ切った資本家の手先として糾弾し続けている。それは過激な左翼思想を奉じる政党としては当たり前のことなのだが、しかしそれだけではなかった。 ラ・バンガルディア紙によると、プッチダモンの新州政府が決まった次の日、CUP幹部のアンナ・ガブリエルはあるラジオのインタビューの中でJxSIとの交渉を振り返り、JxSIの交渉役の一人がCUPに対して投げつけた次の言葉を悔しさをにじませながら明らかにした。『1人のイスラエル人の頭は10人のパレスチナ人より価値がある』。

 エル・ペリオディコ紙は、この「1人のイスラエル人」とはアルトゥール・マスを指し、「10人のパレスチナ人」はCUPの10人の議員を意味すると説明する。このJxSIの交渉役はマスを州知事に再任させるために、“お前らなんぞのためにマスを犠牲にすることはできないぞ”と脅したわけである。ガブリエルはその交渉役の名を明らかにすることを拒否したのだが、それにしても、いったいなぜ「イスラエル人」で、なぜ「パレスチナ人」なのか?

 このアナロジーを、CUPの議員たち、ラジオ局のインタビュアーと編集者たち、大手新聞の記者たちとその編集者たちは、一切の説明抜きで直ちに理解できたようである。「カタルーニャ独立=共和国樹立」を語るマスとその一党がイスラエル建国を語ってパレスチナの地に乗り込んだユダヤ人に、カタルーニャ人の組織であるCUPは原住民のパレスチナ人に対比されている。そしてそれが持つ意味はほとんどの人にとって暗黙の了解事項となっているのだ。


 この事実を知ったとき、私の心に貼り付いていた独立運動に対する疑問が朝日に当たる霜のようにとけ始めた。そうして改めてこの独立運動の様々な側面を調べていくうちに、このJxSIの交渉役が語った言葉が単なるアナロジーをはるかに超えるものだと分かり、この独立運動のただならぬ側面も見えてきた。それはひょっとすると、カタルーニャやスペインだけではなくヨーロッパ全土に巨大な変化と災厄を与えることになるのかもしれないものである。
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《マス曰く「我々はユダヤの起源を持っている」》

【2013年にイスラエルを訪問し、キッパを被ってラビたちと話し合うマスとCDC幹部たち】

 1492年にスペインという王国が誕生した際に(参照:当サイト『カタルーニャとバルセロナの歴史概観A』)キリスト教徒に改宗したセファラディ系ユダヤ人たちの子孫は、現在でもスペイン中に数多く住んでいる。カタルーニャでは画家のジュアン・ミロ―(ホアン・ミロ)やサルバドル・ダリ―、音楽家のアンリック・グラナドスなどが有名だが、文学者、芸術家、政治家、企業家などで傑出した人物が大勢いる。加えて、20世紀になってから東欧やドイツでの弾圧を逃れたアシュケナジ系ユダヤ人も住み着いた。

 これらの人々はスペイン人、カタルーニャ人であると同時にユダヤ人としての根とその尊厳を守り続けている。イスラエル建国に並行して、彼らの中に熱狂的なシオニストが登場したことは言うまでもないが、それは多くの非ユダヤ人たちをも巻き込んでいった。社会労働党の重鎮でカタルーニャ人のジュゼップ・ブレイュは「青年時代に社会主義に憧れてキブツに参加した」ことを誇りにしている。

 スペインに住むセファラディ・ユダヤ人の子孫たちの研究によれば、アルトゥール・マスのマス(Mas)という姓の者はセファラディの先祖を持つそうである。また夫人のエレナ・ラコスニック(Helena Rakòsnik)はチェコ人の姓を持つが、こちらはひょっとするとアシュケナージなのかもしれない。そしてマスの大先輩でCDCの前党首ジョルディ・プジョルのプジョル(Pujol)家もまたセファラディ系である。その他にも、この民族保守政党を支える人物にはその祖先に改宗ユダヤ人を持つ者が多いと言われる。

 もちろんセファラディ系の姓はスペインの各地に見られカタルーニャに特有のものではない。また親シオニストのCDC幹部やマスの取り巻き学者やジャーナリストたちには血統的な意味でのユダヤ系ではない者も多い。しかしマスは、CDCの幹部を引き連れて2013年11月10日にイスラエルを訪問した際に次のように語ったそうだ。「我々(カタルーニャ人)はユダヤの起源を持っている 」と。

 全国紙エル・パイスによると 、マスのイスラエル訪問には当時のカタルーニャ州の財務委員長であるアンドレウ・マス‐クレイュやバルセロナ市長シャビエル・トゥリアス、CDC書記長ウリオル・プジョル(ジョルディ・プジョルの息子)などが同行した。彼らは当時の大統領シモン・ペレスや財務大臣のヤイール・ラピドなどに招かれ会談した が、ついにパレスチナ自治政府の要員と会うことはなかった。ホロコースト博物館や嘆きの壁の付近で彼らは常に白いキッパを頭に付けたが、東エルサレムのパレスチナ自治区に足を踏み入れようとせず、そのシオニズムとイスラエルへの賞賛ぶりは尋常ではなかった。パレスチナ自治政府の外交官でPLOの報道官であるシャビエル・アブ・エイドは、「意図的であろうがなかろうが、マスは、国際的なあらゆる機関が占領であると認めるものの正当化を手助けしたのだ」と非難した。

 エル・コンフィデンシアル紙は、カタルーニャの“ユダヤ系企業ロビー”が独立運動の激化に嫌気をきたしCDCと距離を置き始めたことに対する危機感が、この訪問のきっかけになったことを明らかにしている。この訪問に同行したカタルーニャのユダヤ人企業家のはほとんどが中堅以下の企業だった。特にアパレルメーカー大手のマンゴ(Mango)の所有者イサーク・アンディッチの不参加がこの辺の事情を象徴している。どうやらマスたちはシオニズムを賞賛しイスラエルにすがることでその流れを食い止めようと目論んだようだ。

 同新が2016年になって明らかにしたところによると、この2013年のイスラエル訪問時に、マスはイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフと会談する予定だった。しかしスペイン政府は、外務省だけでなく元首相のホセ・マリア・アスナール(ネタニヤフとは旧知の仲)の強い要請と、CNI(スペイン中央情報局)によるモサドへの働きかけで、寸前でその会談を潰したのである。アメリカの大富豪でネオコン・シオニストのシェルドン・アンデルソンにまで頼み込んだとされる。しかし大統領のぺレスとの会談にまでは手が出せなかったようだ。中央政府はカタルーニャとイスラエルとのつながりを非常に警戒している。2015年8月に在マドリッドのイスラエル大使が独立主義者に協力的だったアロン・バールからダニエル・クトゥナーに変わった裏には、スペイン政府の猛烈な抗議があったのだろう。
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《カタルーニャ自治州政府を支配するシオニスト》

 スペイン在住パレスチナ人の著名なジャーナリストであるサイード・アラミは、独立運動を推し進めるジャナラリターッ(カタルーニャ州政府)がイスラエル支持のシオニストたちに支配されていると厳しく非難する記事を、スペイン語圏で幅広く読まれる左翼誌レベリオンに投稿した。彼によれば、1980年以来23年間も州政府の知事を務め文字通りカタルーニャを牛耳ってきたジョルディ・プジョルは、1992年のバルセロナ・オリンピック開催中に行われたアラブ系ジャーナリストたちとの会合の際に自らをシオニストであると認めた。プジョルはその15年後の2007年に、イスラエル議会(クネセット)でシオニズムと「神に選ばれた民」を称賛してみせたのである。

 その弟子で2010〜16年1月まで州知事を務めたアルトゥール・マスはプジョルに倍するシオニストである。彼は、あの「パレスチナ人などは存在しない」と語ったゴルダ・メイア同様に、パレスチナ人の悲劇には目もくれずその存在を無視した。それは彼にとって「民族」ではない。2013年のイスラエル訪問中に、テルアビブ大学での講演で彼はこう語った。カタルーニャは、見習うべき「一つのモデル」そして「改革のための共同出資者」として、イスラエルを選んだのだ、と。

 アラミはまた、イスラエルの中にも積極的にカタルーニャの独立運動を支持する勢力のあることを語っている。イスラエルの日刊紙ハアレツの編集長アダル・プリモルは2012年のバルセロナでの巨大な独立要求デモ(当サイト記事)の後で、「カタルーニャ万歳、イスラエル万歳」と題する社説で次のように述べた。カタルーニャがカタルーニャ民族の国となるのと同じく、イスラエルは何よりもユダヤ民族の国である。多民族国家や連邦制や自治制などに未来はない、…。さらにアラミは、イスラエルの駐スペイン大使(当時)であるアロン・バールが2012年6月にカタルーニャの新聞に対して、周辺の国々との交渉によって独立を実現するように勧めると語ったことを伝える。

 CDC(現在はPDC)とともにカタルーニャ独立運動を進めるERC(カタルーニャ左翼共和党)党首のウリオル・ジュンケラスもまた、アラミによれば、マドリッドにあるイスラエル大使館の補佐官を務めるオレン・バール=エルと「熱のこもった」「肯定的な」会談を持ったそうだ。またバレンシアでカタルーニャ語圏のスペインからの独立運動に携わっているアルフォンス・ロペス・テナもまた、自ら親イスラエル・親シオニストであることを明言している。さらにカタルーニャ民族会議(ANC)の中にはユダヤ人のセクターが作られているが、人口比で言えばユダヤ系(セファラディ、アシュケナジ)の50倍にもなるイスラム系のセクターは存在しない。

 カタルーニャ独立運動のイスラエルに対するすり寄りは、独立への日程表が形をとってきた今年になって、徐々に露骨さを増してきている。5月13日のエル・パイス紙によれば、アルトゥール・マスは、バルセロナのイスラエルコミュニティー(Cib)で、イスラエルの建国記念日ヨム・ハアツマウット(Yom Ha'atzmaut)のセレモニーに出席した際に、現在も歴史的にも「イスラエルと同様に、カタルーニャには自由であると定められた民族がいる 」と語った。彼はその席で、イスラエル朋友カタルーニャ協会(Acai)会長のトニ・フロリドやCib会長のウリ・ベンギギから、イスラエルとカタルーニャの協力関係を推進したことで賞賛を受けた。同記事によるとマスが最初にイスラエルを訪れたのは1986年であり、それ以来の深い朋友関係と言える。

 地元の者にとって、この記事の最初に書いた「1人のイスラエル人」と「10人のパレスチナ人」のアナロジーは、特別な説明抜きで即座に理解できる程度のことである。つまり以上に述べたようなことは大半の人々にとって言わずもがなの事実なのだ。カタルーニャ公営TVの政治風刺番組“Polonia”でもCDCの中でシオニストが巨大な力を持っていることを匂わせるシーンを見ることができる。暗黙の了解になっているからこそ、その茶化しが笑いを取れるのだ。外部からマスコミ報道(主に英語情報の翻訳)を通してしかスペインを知ることのない人たちには、想像を絶することなのだろうが。

 カタルーニャ独立派が親シオニスト・親イスラエルである事実は、おそらく中央政府の腰を引かせる最大の要因になっているのだろう。ひょっとすると中央政府の中に「隠れ独立支援派」が潜り込んでいるかもしれない。当サイトのこちらの記事こちらの記事 で書いたように、「絶妙のタイミング」でカタルーニャ人を繰り返し挑発し中央政府に対する激憤を引き起こした前教育スポーツ相ホセ・イグナシオ・ウェルトが、4年間の任期を全うすることなく2015年6月にいきなり大臣を罷免されパリのOECDに大使として「出向」になったのも、ひょっとすると裏にそのような理由があるのではないかと疑ってみたくなる。
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《「イスラエル名誉領事」を巡る綱引き》

 バルセロナに「イスラエル名誉領事」が置かれたのはジョルディ・プジョルがカタルーニャ州知事を務めていた1994年6月である。国王フアン・カルロスの公式な承認を受けたものであり、名誉領事はメリジャ出身のユダヤ人ダビド・メルル・ベナロックだった。イスラエルの名誉領事自体は現在もカディスやアルメリアなどいくつか都市に置かれており、スペインに多く住むセファラディ系の子孫に配慮した象徴以上の何かの特別な意味合いを帯びるものではない。しかしスペインの中央政府はカタルーニャの首都バルセロナには神経をとがらせた。ベナロックはアスナール政権発足後の1997年に「一身上の都合」で名誉領事を辞任し、それ以来バルセロナにこの機関が置かれていない。

 マドリッドにあるイスラエル大使館は常にバルセロナの名誉領事を復活させようと試みている。昨年(2015年)、新たに赴任したイスラエル大使のダニエル・クツナーは、バルセロナに在住する弁護士のホセ・アントニオ・サエンス・モリーナを名誉領事に推薦した。モリーナはユダヤ系でイスラエル国籍を持つが独立運動とは無縁の人物である。それまでイスラエル大使館は独立主義者とつながりを持つ実業家のリュイス・バサッやカルラス・ビラルビー、ダビド・マディーなどを名誉領事に推薦しようとしてきたが、スペイン中央政府の抵抗に遭って断念せざるを得なかったのだ。クツナーは、このモリーナならスペイン外務省の正式な承認が得られるものと期待したのであろう。ただそれでも現在のところ、スペイン外相のホセ・マニュエル・ガルシア‐マルガジョは色よい返答を拒み続けている。

 そのイスラエル大使クツナーは一度だけ、カタルーニャ州知事のプッチダモンと秘密裏に接触したそうだ。これはジャナラリターッ(州政府)の内部情報によるものなので信ぴょう性の確認はできないのだが、プッチダモンはクトゥナーとサンジャウマ広場にある州政府庁舎で「私的に」昼食を共にした。昼食にはイスラエル側から大使館付政治顧問のイナン・コーヘンが同席したが、州政府の方からは外交委員長であるラウル・ルメバではなくナンバー2でERCのアレシュ・ビリャトル・イ・ウリベーがプッチダモンの隣に座った。ルメバは左翼系の元欧州議会議員でイスラエルのヨルダン川西岸地区占領を非難してきた人物だったのである。

 その昼食の際に何が語られたのかは明らかではない。しかしアルトゥール・マスの親シオニスト路線をそのまま引き継ぐプッチダモンが、独立後のカタルーニャとイスラエルとの政治・経済関係について、突っ込んだ話をしたことは間違いないと思われる。ついでだが、私が日々のテレビニュースや新聞で知る限りでは、先ほど述べた外相のガルシア‐マルガジョだけが、スペイン政府としてこのカタルーニャの独立運動に対して正面切って戦いを挑んでいるように見える。
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《漫画チックだが危険極まりない「片思い」か?》

 プッチダモンは独立カタルーニャがEUから離れることを否定している。しかし、新しい独立国が自動的にEUやユーロ圏に組み入れられるようなことは機構的に不可能である。欧州中央銀行やIMFから切り離された際に、どこからどのように国家の運営資金を調達できるというのか。普通に考えると、EUから離れずに独立を果たして新しい国家を成り立たせることなど、到底ありえない。

 しかし、「カタルーニャ憲法草案」を作成したためにスペイン司法委員会から資格停止の処分を受けた判事サンティアゴ・ビダルは、2014年11月にカタルーニャの地元紙デルタとのインタビューで次のように述べた。一時的にEUのメンバーから外れて欧州中銀の融資を受けることができなくなる際には、その間にイスラエルやドイツが我々の銀行になってくれるように話をしている・・・。何?イスラエルとドイツが独立の資金を提供してくれると? 2014年に「話をしている」ということだから、現在もう「話」はついたのかな? 夢物語としか思えないのだが、独立推進派にとってそれが紛れもない現実のようだ。

 今年の9月23日のラ・バンガルディア紙は、アルトゥール・マスがバルセロナ大学の大講堂でその“地政学的戦略”についてのパネルディスカッションを開いたと報道した。そこには親イスラエルNGOであるCatMón基金の創始者で元CDCの外交部長ビクトル・タラデジャスなどの親イスラエル人士が出席し、講堂は州政府関係者や与党のERCとPDCの関係者で溢れた。そこでタラデリャスは次のようなことを語ったのである。イスラエルとアメリカとドイツが(!?)、未来の独立国カタルーニャにとっての「自然の(本来的な?)同盟者」であり、「大国の間で小国であることを案ずる必要はない」と。

 タラデジャスは同時に伝統的なヨーロッパ主義をも守るように呼び掛けた。なぜなら「ヨーロッパはカタルーニャにとって良い機会となってきたし、またカタルーニャがヨーロッパにとっての良い機会となるだろうからである。」…。何? 今から始まるカタルーニャ独立の歩みが、ヨーロッパにとってどのような「良い機会」になるというのだ? 

 10月7日のラ・バンガルディア紙によると、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者でコロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツがバルセロナを訪れ、記者会見に臨んだ際に「独立カタルーニャは経済的に十分に成り立っていけるだろう」と断言した。彼はユダヤ系だが、以前からIMFを手厳しく批判し、近年の欧州中銀とFRBの超緩和政策に警告を発し、EUがギリシャやスペインなどに義務付ける緊縮財政政策を糾弾している。またTPPなどの貿易交渉にも慎重になるように呼び掛けている。また2011年に15M広場占拠運動が盛り上がった際にマドリッドを訪れ(当サイト記事)15Mを担った人々と親しく語り合ったことがある。

 その10月7日の夜にスティグリッツはバルセロナの地元テレビ8TVに出演したが、その番組のインタビューでも、カタルーニャはユーロ圏の中で成り立っていくことができると彼の主張をくり返した。しかし同時に彼はユーロ圏改造の必要性をも強調した。多くの異なった国々の様々な経済成長のペースの調和をはかることができる形に、ユーロの機構をリフォームしなければならない・・・。

 もちろんだが、ブリュッセルのEU官僚どもが自らその種の「リフォーム」を手掛けるわけもない。ヨーロッパの中枢が危機に陥る事態の中で強烈な政治力が働かない限り、そういった改造など不可能だ。ひょっとしてカタルーニャの独立が、経済危機や難民危機などと並んで、そのユーロ改革のチャンスを作りうる、ということなのだろうか。あるいは逆にそれが、当サイトこちらの記事で書いたように、中央集権化されたヨーロッパ連邦形成を促進する「起爆剤」になるのだろうか。きっとどちらも起こりうることだろう。カタルーニャは18世紀初頭の スペイン王位継承戦争の際に「独立」を餌に利用された。そして惨めに打ち捨てられた。その歴史を繰り返すことになるのか。

 いずれにせよカタルーニャ独立派の人々は、他の誰も逆らうことのできない絶大な権力が自分たちの背後に付いていることを、微塵も疑っていない。この数年間、私が独立運動に対して感じ続けた薄気味悪さは、きっとそのようなところから来ているのだろう。そしてその権力があのシオニスト国家と国際的なユダヤ人コミュニティーから来ているのだろうか。少なくともアルトゥール・マスを頂点にする独立推進派の人たちはそう確信しているようだ。

 しかし仮にそうだとしても、イスラエル内部や国際的なユダヤ人コミュニティーの中にも様々な傾向の違いや利害対立があるはずだ。現に、まぎれもないシオニストであるホセ・マリア・アスナールなどは、(後述するが)国民党内や社会労働党内のユダヤ系・親シオニストの人士とともに、一貫してカタルーニャの独立を阻止しようとしている。アメリカやドイツはシオニスト勢力が強い場所だが、それらの国々にしてもイスラエル自身にしても、現在のところカタルーニャ問題に手も口も出そうとはしていない。

 またイスラエルという国は自国の安全と安定の確保にとって役に立つことにしか興味を持たない。確かに、地中海の東岸にあるイスラエルが西岸のカタルーニャに傀儡国家を作れば、長期的にはイスラエルの安定した存在に寄与できるのかもしれない。しかしそれにしても何百億ユーロもの資金をカタルーニャにつぎ込むような馬鹿げたことをするだろうか? また「カタルーニャ独立」に伴うEU内とユーロ圏内の政治的・機構的なリフォームを主導する政治力を発揮するのだろうか? さらにそれはイスラエル国内にもシオニストの内部にも危機的な対立と亀裂を産みかねないものだ。あえてそれに手を出すだろうか?

 私には到底信じられない。たぶん独立派の人々が持つ強烈なシオニズムと親イスラエルぶりは単なる「片思い」に過ぎないのだろう。しかしあの人たちは本気なのだ。心底本気で、イスラエル他の支援を毫も疑うことなく、来年夏までに制度的な分離の準備作業を終えて最終的な住民投票を9月に予定している。この漫画チックなほどの「片思い」の暴走が、逆に、本当にヨーロッパやイスラエルを予測不能な方向に引きずってしまうことを恐れざるを得ない。それにしても、そんなものに付き合わされる我々下々の者はたまったものではない。しかし大部分のカタルーニャ州民も私のような外国人居留民も、ここを離れて生きる術はないのである。
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《かつては三つの宗教が平和共存していたスペイン》

 先ほど社会労働党の重鎮ジュゼップ・ブレイュが青年時代にキブツに参加したことを誇りにしていることを述べたが、1947年生まれの彼が青年時代と言えばまだ独裁者のフランコが生きていた。フランコはスペイン内戦(当サイト記事)の時にヒトラーやムッソリーニと協力し合っていたことで有名だ。ヒトラーは彼のために(半分はドイツ空軍の実戦訓練だったが)バスクのシンボリックな都市ゲルニカを爆撃してやった。また同様にムッソリーニはバルセロナを爆撃した。そしてそのムッソリーニはヒトラーの要求を受け入れてユダヤ人を弾圧したが、フランコのユダヤ人に対する態度は全く異なっていた。

 ユダヤ人自身による数多くの研究があるのだが、どうやらフランコはヒトラーの要請を断って、大勢の(一説に6万人の)ドイツから逃れたユダヤ人たちをスペインに迎え入れていたようである。名目上はスペインと縁の深いセファラディを保護するということだったが、実際上はその保護がアシュケナジにも拡大されていた。さらに第二次大戦後にフランコはユダヤ人たちを秘密裏にパレスチナに運び込み、イスラエル建国とその住民(ユダヤ人)増加政策にも協力していたらしい。一般的にはファシストと認められているフランコが、なぜそんなことをしたのだろうか。

 独裁者フランシスコ・フランコと、そしてその政権を支えた宗教・政治・経済複合団体オプス・デイの創始者であるホセマリア・エスクリバー(当サイト記事)が、ともにセファラディ系ユダヤ人の子孫であることは、スペインでは言わずもがなの(言わない方がよい)事実として認識されている。またセファラディ系の研究者によれば、現スペイン王家、元首相のホセ・マリア・アスナールやフェリペ・ゴンサレスもセファラディ系とされ、現在副首相を務めているソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアの「サンタマリア」も改宗セファラディの姓である。

 2004年11月1日付のエル・ムンド紙は、アスナール元首相がセファラディの遺産に関するサムエル・トレダノ賞の授賞式に出席するためにエルサレムを訪れたことを伝えている。そのときにアスナールはイスラム原理主義のテロが「我々を破滅させるもの」だと述べた。その年3月に国民党政権を破滅させたマドリッド列車爆破テロ(3・11事件:当サイト記事)をバスク民族過激派ETAの責任と主張するにもかかわらずである。エルサレムで彼が言う「我々」とは「我々ユダヤ人」に他なるまい。当然だが彼は押しも押されもせぬネオコンのシオニストである。

 また、現在スペイン国民党の幹部を務めるアンドレア・レビ・スレーは“Levy”の姓から明らかにアシュケナジ系だろう。また大手建設企業FCCのオーナーであるエステル・コプロウィッツも同様だが、この両名はカタルーニャ出身である。サパテロ社会労働党政権時代に教育スポーツ大臣を務めたハイメ・リサベツキーはマドリッド出身のアシュケナジだ。前教育スポーツ大臣のホセ・イグナシオ・ウェルト(Welt)の姓も明らかにラテン系ではなく、アシュケナジと見なす人が多い。

 いずれにせよ、スペインとユダヤ人は切っても切れない関係にある。歴史的にみれば当たり前のことだ。中世まではユダヤ人の大半がイベリア半島に住んでいた。 当時のイベリア半島の大部分はイスラム教徒の支配下にあったが、イスラム教徒たちは、多少の社会的ハンディを負わせることはあっても、異教を禁止することはしなかった。元々からキリスト教徒だったものはキリスト教徒のまま、ユダヤ教徒の者はユダヤ教徒のままで、数百年の間イスラム教徒と基本的に平和共存を保ってきたのだ。異教徒を絶滅させようとするダエシ(ISIS)などは、本来の伝統的なイスラムとは無縁の、近年になってある「戦略兵器」として発明されたものとしか言いようがない。

 逆に異教に対する不寛容を最大限に発揮したのはキリスト教徒たちだった。1492年に最後のイスラム王国グラナダを滅ぼしたカスティージャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドは結婚してスペイン王国を作ったのだが、その際に強力なカトリックのイデオロギーで統一された絶対主義体制を目指した。同年にカトリック両王はユダヤ教徒に対して、改宗か、財産没収の上で国外追放かの選択を迫ったのである。その際に約5万人が改宗し16万人が国外に追放されたと言われる(諸説があるが)。そしてその10年後にはイスラム教徒たちが同様の運命に見舞われた。さらに改宗した者たちにも異端審問の恐怖が待ち構えていた。

 バルセロナでオリンピックが開催された1992年はユダヤ教徒追放令のちょうど500年目に当たる。ひょっとするとそこにはカタルーニャのシオニストたちの働きかけがあったのかもしれない。それは分からないが、前述のように、その際にジョルディ・プジョルはイスラム教徒たちに対して自らシオニストを宣言した。カタルーニャ民族主義者たちにとって、シオニズムは究極の民族主義(ナショナリズム)のお手本なのだろう。そこには、三つの異なる民族と宗教が共存した中世スペインの姿はない。

 シオニズムだけではないのだが、ナショナリズムは容易に人々の心を引き付け、心を虜にして酔わせ、次に狂わせて他者への憎悪を掻き立て、一つの社会の分裂と解体を推し進める原動力とすらなりうる。来年以降のことを言えば鬼が腹を抱えて笑うだろう。しかし、独立を果たそうが果たせまいが、結果はどうであれ、カタルーニャ民族主義がスペイン内の他の民族を含む他者に対してそのように働かないことを、この地に住む外国人居留民の一人として祈らざるを得ない。
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