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このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」

マドリッド3・11 (6)  固められた《筋書き》



:3・11事件を計画・指示した「アルカイダ」の主犯としてイタリアからスペインに移送された「エル・エジプシオ」ことラベイ・オスマン・エル・サイェド

:「スペイン・アルカイダ支部長」として逮捕され、9・11直前にモハメド・アッタらと「最終会議」を持ち、その後、3・11にも関わったとされた「アブ・ダーダー」こと
イマッド・エッディン・バラカット・ヤルカス
 

 
(15)「アルカイダ重要参考人」の茶番

 スペイン議会の「3・11調査特別委員会」が日程に上り始めた6月8日、スペインの各新聞の第1面は「エル・エジプシオ(エジプト人)」ことラベイ・オスマン・エル・サイェドの記事で埋められた。彼は当時33歳のモロッコ人であり、3・11担当判事であるフアン・デル・オルモによって逮捕命令が出されていた。しかし彼は在住していたイタリアで別の容疑の「テロリスト」として逮捕されたのだ。

 ここで少し長くなるが、6月8日付のエル・ムンド紙の記事を抄訳してみよう。
 「エジプト人モハメド」は3.11で頭脳として機能した
 「殉教者としてマドリッドで死んだ者達は私の最も愛する兄弟たちだった。あれは私の計画だった。大変な辛抱と研究を私に強いた計画だった。私は2年半かけた。」これがミラノで逮捕された『エル・エジプシオ』ことラベイ・オスマン・エル・サイェド・アーメドの言葉であった。これはイタリア警察が彼の電話の盗聴から得た内容だった。
 イタリアの新聞にもたらされた警察の盗聴内容は「エジプト人モハメド」とその友人のモウアド・モハメド・ラジャフとの間のもので、この盗聴によって3.11のマドリッド列車爆破の最大の「頭脳」の一人が逮捕されることとなった。
 イタリアの内相ジュセッペ・ピサヌは、「イタリアでの逮捕者の一人は、思想的にも作戦面でも極めて重要な人物でマドリッドでの大量殺人の重要容疑者だが、他の襲撃もまた予定していた」と明言した。
 この会話は5月26日に録音されたもので、小さい声ではあるがイタリアの対テロ捜査班が録音し『エル・エジプシオ』がマドリッド大量殺人で果たした容疑を確認するには十分である。
 「マドリッドの攻撃に道をつけたのは私だ。その当時は私はそこにいなかったが。君には本当のことを言う。その計画の前、(3月)4日に彼らと連絡をつけた。君は誰にも何も言わないでほしいが、私は一人で動き彼らはグループで動いた。」オスマン・エル・サイェド・アーメドはこのように語った。
 一方、ヤヒア・モウアド・モハメド・ラジャフは次のように尋ねた。「全員が殉教者なのか。」そしてラベイの返事はこうだった。「5名は殉教者だったし、逮捕された8人は最良の心からの信頼に足る友人だ。4日にはすでに高いレベルで計画を開始した。忘れがたい出来事にすることを目指した。私にとってもね。[…]しかし彼らは私を止めて、我々は神の意志に従ったのだ。」
【中略】
 イタリアの新聞ラ・リプブリカは『エル・エジプシオ』が聖戦を弁明するこの会話のもっと詳しい引用を発表している。「我々青年はまず最初に自らを犠牲にしなければならない。[…]なぜなら神は我々全員の信仰を試しているのだ。解決方法は一つだ。アル・カイダに加入することだ。」と言った。
 この会話のあるときに、ヤヒア・モウアド・モハメド・ラジャフは、自分自身が『エル・エジプシオ』の求める犠牲のための用意ができていることを告白している。「君の情熱はすばらしい。しかし落ち着いてくれ。[…]君はジハードは別のメカニズムを持っていることを知らねばならない。[…]我々の兄弟たちはヨーロッパでの領事館についての情報を必要としている。」
 『エル・エジプシオ』として知られるラベイ・オスマン・エル・サイェド・アーメドは33歳のモロッコ人であり、スペイン大法院によると、マドリッド列車爆破事件とアル・カイダのネットに関与した疑いで、デル・オルモ判事によって逮捕命令が出されている。スペインはすでに身柄引渡しを要求している。
 『エル・エジプシオ』は、レガネス市で爆死した7名のうちの一人『エル・チュネシーノ』とマドリッドで1年間いっしょに暮らしていた。そして共に一つのテロ・グループを形作った。エル・ムンド紙は、そのためにスペイン警察が、第7の死体はまだ誰とも判明しないが、『エル・エジプシオ』の可能性があると信じてしまったことを報道している。
 スペインの捜査当局の情報は、彼が同時に、欧州のアル・カイダの軍事責任者とみなされるアメル・アズィズィとの関係も持っている。彼もまたデル・オルモとバルタサル・ガルソンの二人の判事からの捜査・逮捕の命令を受けている、と説明した。
【後略】

 この「エル・エジプシオ」に対しては、さらに秋になってからも『オサマ・ビン・ラディンの知り合いであるサウジアラビアのイマムであるモハメド・イブン・サウドが2001年から2003年にかけて、彼の在住していたマドリッドで大量の資金を与えており、この間に3・11を計画した、などというイタリアからの情報が新聞をにぎわせ(エル・ムンド、10月6日)、完全にアルカイダの一員として、2年半をかけて計画を練り、テロ実行を指揮したというイメージが定着させられた のだ。ただ、今までにも書いたように、その割にはあまりにもズサンで方々にまるで見せ付けるように証拠を残しまくっているのだが。

 スペイン判事局は7月以来イタリア警察に身柄の移送を申し込んでいたのだが、イタリアでの取調べが長引き(あるいはまとまらず?)、結局、一時的にスペインにやって来たのは12月7日になってからであった。そして事件担当判事デル・オルモによる取調べを受けたのだが、彼は「盗聴電話」の内容を全面否定した。

 実際には彼はミラノに在住しており、スペインには旅行で来たことはあっても住んだことは無かったのである。マドリッドで「エル・チュネシーノ」と1年間住んで「テロ・グループ」を作ったなど、大嘘に過ぎない。そして判事局による取調べと裁判の過程で、以上のように報道された「電話盗聴」の内容がことごとく何の根拠も持たない作り話に過ぎなかった ことが明らかになった。 そして結局は2007年11月の判決で、これは後に最高裁で追認されることになるのだが、このラベイ・オスマン・エル・サイェドは3・11事件とは無関係であるとされることになったのである。

 この2004年の「アルカイダ」乱痴気騒ぎはいったい何だったのか? どこかから湧き出る偽情報が新聞やテレビで垂れ流され、政治関係者の薄汚い思惑とバラし合い、隠し合いが続く中で、数多くのイスラム教徒たちが身に覚えの無い「テロ容疑」で逮捕された。 その中には自分の娘を事件で失ったモロッコ人すら含まれている。彼らは弁護士を呼ぶ権利、家族と面会する権利すら否定された。
(参考)
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/1345.html
ひしひしと近づく「魔女狩りの時代」(バルセロナでの10名の逮捕について)
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/129.html
魔女狩りに継ぐ魔女狩り:極悪判事が3・11で死亡した少女の父親を逮捕・収監
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/727.html
やっと出た!3.11逮捕者への人権侵害の報道:ただしHuman Rights Watchの指摘だが(IBLNEWS

  この「3・11=アルカイダ」という筋書きでのもう一人の主人公がエディン・バラカット・ヤルカス、通称「アブ・ダーダー」というモロッコ人である。

 10月24日の3・11委員会の証人喚問で証言台に立った『 警察の国外情報部(UCIA)の責任者で、20年に渡るアラブ・テロの専門家であるラファエル・ゴメス・メノルは、3.11委員会で、エディン・バラカット・ヤルカス、通称「アブ・ダーダー('Abu Dahdah')」が頭脳トップである、という認識を示した。さらに彼はスペインでのイスラム過激派の脅威は「現実のものであり増大している」と述べた(エル・ムンド、10月24日)』。そしてこの「アラブ・テロの専門家はその具体的根拠として次のように語る。『スペインにおけるアルカイダ・ネットワークに対する2001年11月でのガルソン判事の報告書を取り上げた。その中で、すでに「アブ・ダーダー」と3.11の犯人とされる者たち、たとえばジャマル・ゾウガム(逮捕)や、モラタ・デ・タフーニャの家の所有者であるアメル・エル・アズィズィ(指名手配中)などとの接触が確認された。同時に、カサブランカ爆破事件の犯人であるムスタファ・マイモウニは「アブ・ダーダー」の支持者であったことを強調した。(同)』

 
ジャマル・ゾウガムは例の「不発弾となったカバン」から発見された携帯電話から、事件わずか2日後に逮捕されたモロッコ人である。またアメル・エル・アズィズィは「アルカイダの欧州における軍事責任者」という触れ込みでFBIとスペイン判事局が指名手配していた。彼が3・11テロの「頭脳」であったという筋書きはスペイン各紙より先にウオールストリート・ジャーナルによる「ニューヨーク発の情報」で指定されたものである。しかし彼らと「アブ・ダーダー」との「接触」が具体的にどのようなものであり、「ダーダー」がゾウガムにいつどのように指示を与えアズィズィとどのように共謀したのかという、最も肝心なデータが明らかにされたことは無い。単に「接触した」という言葉があるのみである。

 エル・ムンド紙の記事をもう少し続けよう。『ゴメス・メノルは、アフガニスタンやチェチェンで「ムジャヒディン」として訓練を受けた若い過激派たちがますますスペインに集結しつつあり、彼らに対して「法律は何かの犯罪を犯さない限り逮捕を許していない」と言葉を強めた』。注目すべきは、この「法律は何かの犯罪を犯さない限り逮捕を許していない」とメノルが強調する言葉である。つまり彼は《犯罪を犯す前に逮捕しなければならない》という予防拘禁を主張しそのための法改革を促しているのである。しかし、3・11事件の犯人として有罪とされた者やレガネス市で「爆死」し永久に口を封じられたものの中に《アフガニスタンやチェチェンで「ムジャヒディン」として訓練を受けた若い過激派たち》はいない。

 また、この「アブ・ダーダー」は「
アルカイダのスペイン支部 長」として、2001年7月16日に、バルセロナに程近い地中海岸の都市タラゴナで、『WTC特攻隊長』モハメッド・アッタ や先ほどのアメル・エル・アズィズィなどと会合を開き『9・11アタックの最終打ち合わせを行った』と、まことしやかに報道されていた のだ。

 このアメル・エル・アズィズィについては次の阿修羅投稿をご参照いただきたい。この種の情報が基本的に米国発であること に注目すべきだろう。
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/539.html
米国、アメル・アズィズィを指名手配:9.11と3.11両インチキ「テロ」を結び付けるキーパーソン

 この「9・11最終会議」の話は、「アルカイダ・スペイン支部」掃討作戦である「ナツメヤシ作戦」を率いた全国管区裁判所判事バルタサル・ガルソンがでっち上げた作り話 にすぎず、2007年6月1日に最高裁によって完全に否定されたものである。しかしこれほどのデタラメを作り上げても、判事は逮捕されないのだからこれ以上の摩訶不思議はあるまい。そして2004年の時点ではこの「ダーダー」が「3・11の頭脳トップ」、つまり最高責任者とされたのである。当然だが、エディン・バラカット・ヤルカスと3・11事件の関連は裁判の対象にすらならなかった。始めから全部作り話に過ぎないのだ。そしてこのUCIAの責任者メノルが偽証罪で逮捕されたという話も聞かない。

 あらゆる物事が「合法的な虚偽」、「合法的な談合」そして「証拠抜きの合法的な逮捕・監禁」で推し進められた のである。そしてその責任と苦しみは、何の力も持たないイスラム教徒とスペイン人小悪党が、すべて一手に引き受けさせられた。その虚構作りに関わりそれに踊った者達は、すでに一切の痛みを感じる神経を持たず、一切の批判を「陰謀論」としてはねつけるまでに、あらゆる良心も思考能力も知的誠実さも、ことごとく失っているのだ。


(16)「偶然に発見された」証拠テープ

 先ほどの国家警察国外情報部(UCIE)部長によれば『この3.11襲撃は3つの柱によって成り立った。まず以前からのイスラム原理主義のリーダー、次に彼らによって引き込まれ思想教育を受けたものたちの集団、そしてアストリアスの爆薬密売人たちである』。この《イスラム原理主義のリーダー》と《彼らによって引き込まれ思想教育を受けたものたちの集団》の実体は今までにご紹介したとおりである。もう一つの「柱」である《アストリアスの爆薬密売人》 についてはどうか?

 例の「不発弾となったカバン」に入っていたダイナマイトのみを根拠として事件後わずか6日で逮捕されたホセ・エミリオ・スアレス・トラスオラス の罪状を固め、さらに彼を”極悪人”に仕立て上げる計略が実行されつつあった。事件3年前の2001年夏に、シビルガード(内務省所属の「治安維持軍」)が雇う一人の内通者が、担当者にある「重大な事実」を密告している声を録音した音声テープが、11月になってスペイン北部アストゥリアスの小さなシビルガード分署で『偶然に発見された(!!) 』のである。
 仕立て上げられた「魔女」の一人。
スペイン人ホセ・エミリオ・スアレス・トレスオラス

長年、警察の内通者(密告人)として小金をもらいながら、麻薬密売やダイナマイト窃盗・密売などの小犯罪に手を染めていた。
彼の妻とその兄弟も逮捕され「テロ幇助」犯として懲役刑に処せられている。
 

 この「発見の事実」とテープの内容が11月10日付のスペイン各紙によって1面トップで発表された。各TVニュースはそのテープの音声を大々的に報道した。

 その内通者の話は、3.11の爆薬として使われたダイナマイトを調達したとされるしトラスオラスが、2001年に同じ密告屋仲間で彼の妻の兄弟であるアントニオ・トロと組んで、携帯電話を時限装置にする爆弾(つまり3.11で「不発弾」として発見されたものと同じ仕組みの爆弾)を製造しようとしていた、という筋書きである。

 先ほどの国家警察国外情報部部長ラファエル・ゴメス・メノルが「3・11委員会」で証言をした2週間ほど後のことだ。そのときに3年前の「内通者(密告屋)の密告テープ」が、3年間以上の「行方不明」の後に、突然、「偶然に発見された 」わけである。

 偶然にしては余りにもできすぎだろう。このテープに録音されている内通者「ラバンデロ」の話によると、トラスオラスはモロッコ人のために爆弾製造を準備しようとしていた、そのために当時麻薬密売の罪で刑務所に入っていたトロの出所を待っていた、トラスオラスは自分(「ラバンデロ」)が10年かかっても稼ぎきれないほどの札束を持っていた、ということである。シビルガードはこの「偶然の発見」をきっかけに《アストリアスの陰謀》についての「本格的な捜査を開始」したのである。

 そして3・11担当判事フアン・デル・オルモは直ちにこの密告屋「ラバンデロ」ことフランシスコ・ハビエル・ビジャソン・ラバンデラの身柄を隔離し、「身の安全のためにあらゆる政治関係者や新聞記者などとの接触をさせないように」命令した厳重な「保護」の元に置いた 。よく言ったものだ! 要するに、ど素人の「俳優」にしゃべられてボロを出されて、「新証拠」でっち上げがバレることを恐れただけ、としか受け取れまい。

 その「密告テープ偶然の発見」から3週間ほどたった12月3日、内通者「ラバンデロ」の内縁の妻が、スペイン北部の海で溺死 した。地元警察の発表では、彼女は友人に海岸から「自殺する」という電話をかけ、その友人が救助隊に連絡し、救助隊と地元警察、国家警察が、緊急救助用の数台の車両からヘリコプターまで動員して夕方の4時に遺体を発見した、ということになっている。

 しかし「ラバンデロ」の身辺は厳重に見張られていたはずである。自殺の理由などは一切明らかにされていない。彼女はブラジル生まれであり、「ラバンデロ」との間に幼い子供があり、ブラジルにも2人の子供がいるといわれる。幼い子供を残し、厳重な「保護」をかいくぐって海岸の断崖にたどり着き、わざわざ友人に電話をかけてから自殺するか? なぜ夫である「ラバンデロ」には何も告げなかったのか? 何らかの「口封じ」の臭いが紛々と漂う。

 そしてその後、この《偶然に発見された》密告屋「ラバンデロ」の音声テープが、トレスオラスを「極悪人のテロリスト」にしていくための最重要の「動かぬ証拠」 とされていくのである。その後数ヶ月間、マスコミはそれに尾ひれを付けるさまざまなフレームアップ記事を連発していった。その具体的な経過については次の阿修羅投稿をご覧いただきたい。
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/977.html
大規模集団洗脳の現場報告(3)こうやって「魔女」が作り上げられていく

 そして、繰り返すが、最大の物証であるべき爆破された列車の車体は、事件直後に最高裁の決定によって破壊されていた。わずかに残された1個の小さなサンプルの分析は、トレスオラスが盗んだとされるダイナマイトを否定するものだった。にもかかわらず、トレスオラスは4万年の無期懲役とされた。


(17)「アルカイダ」から単なる「テロリスト」へ

 その後、2006年4月11日に担当判事フアン・デル・オルモによって立件・起訴の手続きが為された。しかし、その起訴状の中で、具体的な犯行に関して『アルカイダ』の『ア』の字も無い!

 確かに「思想的な影響を受けた」というような内容は書かれている。しかし「アルカイダ・メンバー」の誰が、実行の計画を練り、実行犯の誰に指示し、資金をどこからどのように動かし、具体的な実行をさせたのか、という、『アルカイダによるテロ』の筋書きが完全に抜け落ちているのだ!

 
エル・ムンド紙(2006年4月11日)の記事から引用しよう。
 最高裁判事フアン・デル・オルモは、191名の殺害と1755名に対する障害の容疑で、ジャマル・ゾウガムとアブデルマジッド・ボウチャルを起訴した。同時にこの犯罪に関連する「陰謀」の容疑で、ラベイ・オスマン、ヨウッセフ・ベルハジ、ハッサン・エル・ハスキを起訴した。合計で、116名の容疑者の中で29名が裁判にかけられることとなった。うち9名はスペイン人である。116名の容疑者の中で、わずかに2名のみがあの大量殺人に直接に関わっている。ジャマル・ゾウガムおよびアブデルマジッド・ボウチャルである。
ジャマル・ゾウガム(モロッコ人)
マドリッドのラバピエス地区で電話販売業を営んでいた。そこで、起爆に失敗しバジェカス駅で不発処理をされたカバン爆弾で発見された携帯電話のカードを売った。多くの証人が3月11日の朝に電車の中で彼を目撃したと証言しているが、ゾウガムはその時間には寝ていたと否定している。また彼の指紋が、爆弾を製造したモラタ・デ・タフーニャの家で発見されている。
アブデルマジッド・ボウチャル(モロッコ人)
7名のテロリストが自爆したレガネス市のアパートから逃亡し行方をくらませていた。彼はそのアパートにいて(警官が踏み込んだとき)ゴミを捨てるために下に降りていた。実行犯の中でレガネス市で死亡しなかった唯一の者である。彼は2005年8月にセルビアで逮捕され後にスペインに移送された。
被告の中に9名のスペイン人がいる。爆弾に使用された爆発物をテロリストに売ったことで起訴されている。
元鉱山労働者のエミリオ・スアレス・トラスオラスは、同様に191名の殺人と1755名の傷害について「必要とされた協力者として」起訴されている。また彼は実行犯たちが自爆したレガネス市のアパートで巻き添えで死亡した警察官への殺人容疑でも起訴されている。トラスオラスは被告の中で最も多い11の罪状で起訴されている。

【後略】

 『当シリーズ(4)「生け贄」と「魔女」たち』でも書いたが、アブデルマジッド・ボウチャルは結局は「幇助」という形で、直接の「テロ犯人」とされず、その代わりにオトマン・エル・グナオウイが「魔女役」を引き受けさせられた。そして警察の内通者、つまり密告屋であったトラスオラスが起訴された者たちの中で最多の罪状をかぶせられたのである。彼への罪状決定に、あの「ジプシー小僧」の供述とともに、先ほどの「3年間行方不明になっていて偶然に発見された密告者のテープ」が重要な役を果したことは言うまでもない。そして彼の関与を示す確実な物証など何もなかったのである。

 エル・ムンドの記事はこの後に起訴された29名の氏名と容疑の概略を書き、続いて3・11を起こした者たちを「モロッコのイスラム武装グループ」として紹介している。しかしスペイン最大の発行部数を誇る「進歩的新聞」エル・パイス紙の見出しは『判事は3・11で、アルカイダに影響を受けた国内の組織を2名の主犯格と共に起訴』である。このシリーズでもたびたび書いたことだが、この新聞は主要に現サパテロ社会労働者党政権の支持者によって読まれている。ここまで明らかに「アルカイダ」の実体の無さが表に曝された時点でさえ、何とかして「3・11=アルカイダによるイスラム・テロ」の印象を読者に失わせないでおこうとする意図がありありと見える、まさしく悔し紛れの見出し であろう。

 最も重要なことは、この起訴状が、確実といえる物証とその分析を全く欠いたまま、ただ単に「反テロ」のコンテキストに沿ってきわめて文学的に作られている ことだ。これは『
当シリーズ(3)バーチャルリアリティの事件捜査』および『(5)「3・11委員会」の無能』でも取り上げてきたことである。その矛盾はその1年半後に出された判決文でも解決されなかった。そしてエル・ムンド紙が同時に行った世論調査で、スペイン国民の66%が「いまだにあの事件で何が起こったのかわからない」としているのである。

 2003年5月に起こったモロッコの
カサブランカ爆破事件で逮捕された本物の(自他共に認める)イスラム原理主義者で、モロッコ当局によってモロッコ・イスラム戦士団(GICM)のメンバーとされているサラヘディン・ベニァイチは、レガネス市で「爆死」した「エル・チノ」や「エル・チュネシーノ」らが3・11の実行犯であったことを明確に否定する。彼は「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンについて次のように語る。(証言中の「3・11の犯行声明のビデオテープ」は爆破されたレガネス市のアパートから「発見された」とされるもの。また「ラマリ」は同じアパートでいっしょに「爆死」したとされるモロッコ人。)強調は私からである。

 『私は「エル・チノ」にはマドリッドで会っている。彼はハッシッシの密売人であり、断じてイスラム戦士ではない。スペイン警察は我々に3・11の犯行声明のビデオテープを見せた。ビデオの声はイスラム活動家のものではなかった。コーランの祈りには間違いが多かった。聖戦主義の演説は無かった。その発音はモロッコ人移民のものではなかったし、犯行声明には複数の文法的なミスがあった。(テロリストの教育レベルが低い者がやった、と説明できないか、という質問に対して)もしレベルが低いのなら、あんな大きな攻撃を組織することはできない。声明を読み上げた者はモロッコ人ではない。アラブ人ですらない。アラブ語を知っている欧米人だ。イスラム戦士なら決してやらない重要なコーランの祈りの句を間違えたのだ。「エル・チノ」は小学校すら出ておらず、その文章は読めない。ラマリは知らないが、あれはアラブ人の声ではなかった。
 また彼はモロッコの秘密諜報部員がこの事件に絡んでいると主張する。

 「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンについては次のようなすばらしい情報もある。これは2004年9月13日に警察によって発表されたものだが、エル・ムンド紙によると次のような内容である。『4月3日にマドリッド近郊の都市レガネスのアパートで爆死した、3.11の首領格とみなされている「エル・チノ(中国人)」ことジャマル・アーミダン(モロッコ人)が、昨年(2003年)12月31日にビルバオの飲み屋で、同じモロッコ人の麻薬密売人をピストルで撃っていた。そのピストルは彼が死んだアパートで発見されていたものと一致した。

 もはや語るに落ちたという以外には無いのだが、「アルカイダ」から密命を受けて重大な「テロ事件」を極秘裏に計画するグループの首領格の人間が、事件の2ヶ月ちょっと前に、わざわざ人目に触れる酒場でピストルで同胞の密売人を撃つような行動をすると、いったい誰が想像できるだろうか。しかもアーミダンは、例の
「ジプシー小僧」の「供述」によると、年が明けてすぐに爆薬の入手と運搬を始めているのだ。それにしても、麻薬密売にいそしみ酒場に入りびたる「イスラム原理主義者」とは、何たるおとぎ話!

 しかし、観察力と思考力と失っている「3・11=イスラムテロ」説信奉者なら、このような記事を読むと「アルカイダとは何と残忍で暴力的な連中なのか!」と、改めて驚き怒りに燃えることになるのだろう。冷静になってみるとこれほどに馬鹿げた筋の通らぬ話は無いのだが。

 しかし、この2004年の時点から2007年の判決に至るまでの過程で明らかになったことは、どのような屁理屈をこねて「イスラム」と「テロ」、「アルカイダ」と「3・11」を結び付けようとしても、結局どうにも筋の通しようがなくなってくる という、きわめて単純で明白な事実である。結果として「アルカイダ」を消して単なる「テロ」にせざるをえなかったのだ。しかし逆に考えると、このいわゆる「対テロ戦争」の中で、たとえ「アルカイダが壊滅」したと発表されても「別のテロ組織」が次々と発明され、永久に「戦争」は終結しないことにもなる 。ある意味でもっと恐ろしい事態へとつながっていきかねないだろう。

 そういった馬鹿げた危険な動きに警戒を保つためにも、この事件に対する正確な認識が必要 なのだ。


マドリッド3・11
(7:最終回)  3・11とは何だったのか?  
  同上    
(5) 「3・11委員会」の無能  に戻る


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