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このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」
マドリッド3・11 (6) 固められた《筋書き》
左:3・11事件を計画・指示した「アルカイダ」の主犯としてイタリアからスペインに移送された「エル・エジプシオ」ことラベイ・オスマン・エル・サイェド 右 :「スペイン・アルカイダ支部長」として逮捕され、9・11直前にモハメド・アッタらと「最終会議」を持ち、その後、3・11にも関わったとされた「アブ・ダーダー」こと イマッド・エッディン・バラカット・ヤルカス |
「エジプト人モハメド」は3.11で頭脳として機能した 「殉教者としてマドリッドで死んだ者達は私の最も愛する兄弟たちだった。あれは私の計画だった。大変な辛抱と研究を私に強いた計画だった。私は2年半かけた。」これがミラノで逮捕された『エル・エジプシオ』ことラベイ・オスマン・エル・サイェド・アーメドの言葉であった。これはイタリア警察が彼の電話の盗聴から得た内容だった。 イタリアの新聞にもたらされた警察の盗聴内容は「エジプト人モハメド」とその友人のモウアド・モハメド・ラジャフとの間のもので、この盗聴によって3.11のマドリッド列車爆破の最大の「頭脳」の一人が逮捕されることとなった。 イタリアの内相ジュセッペ・ピサヌは、「イタリアでの逮捕者の一人は、思想的にも作戦面でも極めて重要な人物でマドリッドでの大量殺人の重要容疑者だが、他の襲撃もまた予定していた」と明言した。 この会話は5月26日に録音されたもので、小さい声ではあるがイタリアの対テロ捜査班が録音し『エル・エジプシオ』がマドリッド大量殺人で果たした容疑を確認するには十分である。 「マドリッドの攻撃に道をつけたのは私だ。その当時は私はそこにいなかったが。君には本当のことを言う。その計画の前、(3月)4日に彼らと連絡をつけた。君は誰にも何も言わないでほしいが、私は一人で動き彼らはグループで動いた。」オスマン・エル・サイェド・アーメドはこのように語った。 一方、ヤヒア・モウアド・モハメド・ラジャフは次のように尋ねた。「全員が殉教者なのか。」そしてラベイの返事はこうだった。「5名は殉教者だったし、逮捕された8人は最良の心からの信頼に足る友人だ。4日にはすでに高いレベルで計画を開始した。忘れがたい出来事にすることを目指した。私にとってもね。[…]しかし彼らは私を止めて、我々は神の意志に従ったのだ。」 【中略】 イタリアの新聞ラ・リプブリカは『エル・エジプシオ』が聖戦を弁明するこの会話のもっと詳しい引用を発表している。「我々青年はまず最初に自らを犠牲にしなければならない。[…]なぜなら神は我々全員の信仰を試しているのだ。解決方法は一つだ。アル・カイダに加入することだ。」と言った。 この会話のあるときに、ヤヒア・モウアド・モハメド・ラジャフは、自分自身が『エル・エジプシオ』の求める犠牲のための用意ができていることを告白している。「君の情熱はすばらしい。しかし落ち着いてくれ。[…]君はジハードは別のメカニズムを持っていることを知らねばならない。[…]我々の兄弟たちはヨーロッパでの領事館についての情報を必要としている。」 『エル・エジプシオ』として知られるラベイ・オスマン・エル・サイェド・アーメドは33歳のモロッコ人であり、スペイン大法院によると、マドリッド列車爆破事件とアル・カイダのネットに関与した疑いで、デル・オルモ判事によって逮捕命令が出されている。スペインはすでに身柄引渡しを要求している。 『エル・エジプシオ』は、レガネス市で爆死した7名のうちの一人『エル・チュネシーノ』とマドリッドで1年間いっしょに暮らしていた。そして共に一つのテロ・グループを形作った。エル・ムンド紙は、そのためにスペイン警察が、第7の死体はまだ誰とも判明しないが、『エル・エジプシオ』の可能性があると信じてしまったことを報道している。 スペインの捜査当局の情報は、彼が同時に、欧州のアル・カイダの軍事責任者とみなされるアメル・アズィズィとの関係も持っている。彼もまたデル・オルモとバルタサル・ガルソンの二人の判事からの捜査・逮捕の命令を受けている、と説明した。 【後略】 |
仕立て上げられた「魔女」の一人。 スペイン人ホセ・エミリオ・スアレス・トレスオラス 長年、警察の内通者(密告人)として小金をもらいながら、麻薬密売やダイナマイト窃盗・密売などの小犯罪に手を染めていた。 彼の妻とその兄弟も逮捕され「テロ幇助」犯として懲役刑に処せられている。 |
最高裁判事フアン・デル・オルモは、191名の殺害と1755名に対する障害の容疑で、ジャマル・ゾウガムとアブデルマジッド・ボウチャルを起訴した。同時にこの犯罪に関連する「陰謀」の容疑で、ラベイ・オスマン、ヨウッセフ・ベルハジ、ハッサン・エル・ハスキを起訴した。合計で、116名の容疑者の中で29名が裁判にかけられることとなった。うち9名はスペイン人である。116名の容疑者の中で、わずかに2名のみがあの大量殺人に直接に関わっている。ジャマル・ゾウガムおよびアブデルマジッド・ボウチャルである。 ジャマル・ゾウガム(モロッコ人) マドリッドのラバピエス地区で電話販売業を営んでいた。そこで、起爆に失敗しバジェカス駅で不発処理をされたカバン爆弾で発見された携帯電話のカードを売った。多くの証人が3月11日の朝に電車の中で彼を目撃したと証言しているが、ゾウガムはその時間には寝ていたと否定している。また彼の指紋が、爆弾を製造したモラタ・デ・タフーニャの家で発見されている。 アブデルマジッド・ボウチャル(モロッコ人) 7名のテロリストが自爆したレガネス市のアパートから逃亡し行方をくらませていた。彼はそのアパートにいて(警官が踏み込んだとき)ゴミを捨てるために下に降りていた。実行犯の中でレガネス市で死亡しなかった唯一の者である。彼は2005年8月にセルビアで逮捕され後にスペインに移送された。 被告の中に9名のスペイン人がいる。爆弾に使用された爆発物をテロリストに売ったことで起訴されている。 元鉱山労働者のエミリオ・スアレス・トラスオラスは、同様に191名の殺人と1755名の傷害について「必要とされた協力者として」起訴されている。また彼は実行犯たちが自爆したレガネス市のアパートで巻き添えで死亡した警察官への殺人容疑でも起訴されている。トラスオラスは被告の中で最も多い11の罪状で起訴されている。 【後略】 |
『当シリーズ(4)「生け贄」と「魔女」たち』でも書いたが、アブデルマジッド・ボウチャルは結局は「幇助」という形で、直接の「テロ犯人」とされず、その代わりにオトマン・エル・グナオウイが「魔女役」を引き受けさせられた。そして警察の内通者、つまり密告屋であったトラスオラスが起訴された者たちの中で最多の罪状をかぶせられたのである。彼への罪状決定に、あの「ジプシー小僧」の供述とともに、先ほどの「3年間行方不明になっていて偶然に発見された密告者のテープ」が重要な役を果したことは言うまでもない。そして彼の関与を示す確実な物証など何もなかったのである。
エル・ムンドの記事はこの後に起訴された29名の氏名と容疑の概略を書き、続いて3・11を起こした者たちを「モロッコのイスラム武装グループ」として紹介している。しかしスペイン最大の発行部数を誇る「進歩的新聞」エル・パイス紙の見出しは『判事は3・11で、アルカイダに影響を受けた国内の組織を2名の主犯格と共に起訴』である。このシリーズでもたびたび書いたことだが、この新聞は主要に現サパテロ社会労働者党政権の支持者によって読まれている。ここまで明らかに「アルカイダ」の実体の無さが表に曝された時点でさえ、何とかして「3・11=アルカイダによるイスラム・テロ」の印象を読者に失わせないでおこうとする意図がありありと見える、まさしく悔し紛れの見出し
であろう。
最も重要なことは、この起訴状が、確実といえる物証とその分析を全く欠いたまま、ただ単に「反テロ」のコンテキストに沿ってきわめて文学的に作られている
ことだ。これは『当シリーズ(3)バーチャルリアリティの事件捜査』および『(5)「3・11委員会」の無能』でも取り上げてきたことである。その矛盾はその1年半後に出された判決文でも解決されなかった。そしてエル・ムンド紙が同時に行った世論調査で、スペイン国民の66%が「いまだにあの事件で何が起こったのかわからない」としているのである。
2003年5月に起こったモロッコのカサブランカ爆破事件で逮捕された本物の(自他共に認める)イスラム原理主義者で、モロッコ当局によってモロッコ・イスラム戦士団(GICM)のメンバーとされているサラヘディン・ベニァイチは、レガネス市で「爆死」した「エル・チノ」や「エル・チュネシーノ」らが3・11の実行犯であったことを明確に否定する。彼は「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンについて次のように語る。(証言中の「3・11の犯行声明のビデオテープ」は爆破されたレガネス市のアパートから「発見された」とされるもの。また「ラマリ」は同じアパートでいっしょに「爆死」したとされるモロッコ人。)強調は私からである。
『私は「エル・チノ」にはマドリッドで会っている。彼はハッシッシの密売人であり、断じてイスラム戦士ではない。スペイン警察は我々に3・11の犯行声明のビデオテープを見せた。ビデオの声はイスラム活動家のものではなかった。コーランの祈りには間違いが多かった。聖戦主義の演説は無かった。その発音はモロッコ人移民のものではなかったし、犯行声明には複数の文法的なミスがあった。(テロリストの教育レベルが低い者がやった、と説明できないか、という質問に対して)もしレベルが低いのなら、あんな大きな攻撃を組織することはできない。声明を読み上げた者はモロッコ人ではない。アラブ人ですらない。アラブ語を知っている欧米人だ。イスラム戦士なら決してやらない重要なコーランの祈りの句を間違えたのだ。「エル・チノ」は小学校すら出ておらず、その文章は読めない。ラマリは知らないが、あれはアラブ人の声ではなかった。
』
また彼はモロッコの秘密諜報部員がこの事件に絡んでいると主張する。
「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンについては次のようなすばらしい情報もある。これは2004年9月13日に警察によって発表されたものだが、エル・ムンド紙によると次のような内容である。『4月3日にマドリッド近郊の都市レガネスのアパートで爆死した、3.11の首領格とみなされている「エル・チノ(中国人)」ことジャマル・アーミダン(モロッコ人)が、昨年(2003年)12月31日にビルバオの飲み屋で、同じモロッコ人の麻薬密売人をピストルで撃っていた。そのピストルは彼が死んだアパートで発見されていたものと一致した。
』
もはや語るに落ちたという以外には無いのだが、「アルカイダ」から密命を受けて重大な「テロ事件」を極秘裏に計画するグループの首領格の人間が、事件の2ヶ月ちょっと前に、わざわざ人目に触れる酒場でピストルで同胞の密売人を撃つような行動をすると、いったい誰が想像できるだろうか。しかもアーミダンは、例の「ジプシー小僧」の「供述」によると、年が明けてすぐに爆薬の入手と運搬を始めているのだ。それにしても、麻薬密売にいそしみ酒場に入りびたる「イスラム原理主義者」とは、何たるおとぎ話!
しかし、観察力と思考力と失っている「3・11=イスラムテロ」説信奉者なら、このような記事を読むと「アルカイダとは何と残忍で暴力的な連中なのか!」と、改めて驚き怒りに燃えることになるのだろう。冷静になってみるとこれほどに馬鹿げた筋の通らぬ話は無いのだが。
しかし、この2004年の時点から2007年の判決に至るまでの過程で明らかになったことは、どのような屁理屈をこねて「イスラム」と「テロ」、「アルカイダ」と「3・11」を結び付けようとしても、結局どうにも筋の通しようがなくなってくる
という、きわめて単純で明白な事実である。結果として「アルカイダ」を消して単なる「テロ」にせざるをえなかったのだ。しかし逆に考えると、このいわゆる「対テロ戦争」の中で、たとえ「アルカイダが壊滅」したと発表されても「別のテロ組織」が次々と発明され、永久に「戦争」は終結しないことにもなる
。ある意味でもっと恐ろしい事態へとつながっていきかねないだろう。
そういった馬鹿げた危険な動きに警戒を保つためにも、この事件に対する正確な認識が必要 なのだ。
マドリッド3・11(7:最終回)
3・11とは何だったのか?
同上 (5) 「3・11委員会」の無能
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