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このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」

マドリッド3・11 (3)  バーチャル・リアリティの事件捜査




(6)矛盾だらけの警察発表

 最初の逮捕者がでたのは3月13日、事件のわずか2日後だった。そしてこの日に爆破された車両の解体処理がマドリッド市内の国有鉄道車両工場で開始され、その夜には「デマクラッシー」としか言いようのない国民党本部前の騒動が起こったのである。

 それにしても、スペイン国家警察は近年まで毎年のように起こっていたETAのテロリストですらこれほど早く逮捕したためしがない。それはマドリッド市内に住んでいたモロッコ人ジャマル・ゾウガムら3人のモロッコ人と2名のインド人である。逮捕の「決め手」となったのは時限装置として使われた携帯電話だが、それは古いタイプのSIMカードを用いたもので、ゾウガムらは自分の店でその種のカードを取り扱い、あるいは路上で販売していたのである。逮捕の理由はただそれだけだった。他には何も発表されなかった。

 奇妙な話だ。2004年にはそのような古い型の電話はもう普通の店では売っておらず、その種のカードを取り扱う者は非常に限られていた。いくらでも新しい型の電話が手に入るのに、なぜ「テロリスト」はそんなすぐに足がつくような古いタイプの電話を使わなければならなかったのか? さらに、本物のテロリストが事件を起こしてから2日間も現場に近い自宅にのんびりと住んでいるのか? ゾウガムは事件後もそのカードを売っており、それを隠そうとも処分しようともしていなかった。しかも彼には近所に住む年老いた母親がいたのだ。

 上が警察の発表した「爆弾」だが、Aが携帯電話、Bは10kgのダイナマイトの入った箱、Cは殺傷力を強めるための釘やネジ、Dは起爆装置で、全部で約20kgである。警察によれば、このカバンはエル・ポソ駅で「発見」された不発弾、つまり爆発しそこなったものである。この事件では全部で13個のこういった爆弾が使用されたが実際に爆発したのは10個で、残りの3個のうち2個は警察の爆発物処理係が爆破処理した。そして1個だけが「証拠として警察署に持ち込まれた」とされるのだが、その経過には非常に不自然な点がある。

 翌年2005年5月16日のエル・ムンド紙の特集によると、このカバンはエル・ポソ駅に近いバジェカスの警察署に運ばれたとされるのだが、しかしそれは駅でマドリッド自治体警察の警察官が目撃した不発弾とは異なるものだった。そしてそのカバンを誰が不発処理をしどのようにして警察署まで運んだのかの記録は全く無い。それはいきなり警察署に現われたのだ。そこから誰かの指紋やDNAが発見されたというような記録もない.そもそもそれはDNA鑑定のような科学的捜査はもとより指紋を調べたかどうかすら定かではないのだ。そしてそれが「証拠」とされているのである。そのカバンからスペイン北部アストゥリアスの鉱山で使われているGOMA2という種類のダイナマイトが「発見」された。ETAが常に使用するTitadyneという種類のものとは異なる。

 時限装置代わりになった携帯電話はアラームがセットされ時間が来るとスピーカーに電流が流れるわけだが、どうしてそのカバンが爆発しなかったのかという点について、警察の発表が二転三転した。エル・コンフィデンシアル紙(2004年4月7日)によると、3月12日に国家警察は、テロリストが時間をセットする際に「午前7時40分」を「午後7時40分」と間違えた、つまり「AM」と「PM」を取り違えたせいだ、と公式発表した。しかしその旧式の携帯電話は「AM」と「PM」の表示を出すことができなかったのである。疑問の声が広がった。すると15日になって「7時40分と19時40分を間違えたのだ」と変更された。「7」と「19」を見間違える? 報道陣にも疑惑と不満の声が沸きあがった。そして3週間後の4月6日になって「実は携帯電話と起爆装置がつながっていなかった」と再び訂正 の発表があった。この警察発表の変化はスペインの各大手全国紙に記録されている。

 この種の事件で捜査当局の公表が変わるのは珍しくも無いのだが、いくら混乱していたとしてもあまりにも馬鹿馬鹿しい変わりようである。エル・ムンド紙によると、この事件で爆発物を担当したマンサノ警部は事件当日からすでにX線の検査で携帯電話と起爆装置がつながっていないことに気付いていたのだが、その後4ヶ月間もそのことを隠していて、事件主任判事のフアン・デル・オルモを激怒させたそうである。しかし最初からそうと知っていてそのうえで「AM」と「PM」を間違えただの「7」と「19」を間違えただのとデタラメを公表するのだろうか? またその点を意にも介さない主任判事もどうかしているうえに、この矛盾を指摘しないマスコミは単なる「大本営発表垂れ流し機関」 に過ぎまい。ちなみに、エル・ムンド紙によればこのマンサノ警部は、その爆弾の作り方がパレスチナ過激派のものとよく似ていると発言してイスラエル大使館を大いに喜ばせたそうだ。

 なお後日になって、逮捕されたジャマル・ゾウガムが事件当日に「爆破された列車の中で数名の生存者から目撃された」という公表があった。この種の事件では「いつもどおり」である。「目撃者証言」ほどあてにならないものはない。日本の冤罪事件を引き合いに出すまでもなかろう。


(7)証拠残しまくりの「隠れ家」

 そして事件から2週間たった3月26日、マドリッド近郊の田舎町モラタ・デ・タフーニャにある1軒の農家から「爆弾製造」の多数の「証拠」が「発見」された と発表された。 3月27日付け(エル・ムンド紙は、『3.11で使われたものと同じ爆薬が発見される』と題された記事で、この家から「不発弾」となったカバンに入っていた爆薬と同じ種類の爆薬、起爆剤および書類が発見された、と報道している。警察当局によるとこれは2.11事件に使用された爆薬の「使い残し」だ、ということである。

 この家は廃屋となった農家を誰かが購入して別荘代わりにしていたものだが、2004年4月8日付のエル・パイス紙には次のように書かれている。
 通報者たちは、エル・パイス紙に対して匿名を希望しているが、彼らの疑いは2001年の9.11にまでさかのぼっている。「一人のシリア人が妻と3人の子供と一緒に約4年間ほどその家に住んでいたが、周囲を塀で囲っていた。【注1】そしてツインタワーに飛行機が突っ込んだ事件の後、彼らは姿を消した。我々がそのテロに関与した容疑者の写真を見たとき彼の顔を思い出した。しかし特徴に決め手が無かったため我々はそれについてそれ以上のことは言わなかった。なにせ我々にとっては指名手配写真はみな同じような顔に見える。」 
 そのシリア人がいなくなった後、その家は今年の1月まで公式には住人がいなかった。見かけだけはそうである。通報者によればそこには人がいたような形跡があったからだ。たまたまその家は空家であるように見えたが、一方で何回か門や窓が開いており干している毛布が見られ子供の声も聞こえた。
【注2】去る1月半ば、人がいる姿がはっきりと確認された。北アフリカ人と思われる5名が住み始めたのだ。しかしその時期は非常に寒くマフラーかターバン、あるいはスキー用のマスクで顔を隠すことは不思議とは思われなかった。彼らはその建物の上に小さな屋上の部屋を作った。それは部屋の増築のように見えたが、しかし同時に見張りのためのもののようでもあった。
【注1】 スペインの田舎では外から家の敷地内が見えないように高い塀で囲うようなことはあまり普通ではない。もちろん日本を含めて他の国ではそれが当たり前だろう。
【注2】 当然だが、その家のガス、水道、電気はすべて切られている。後にマドリッドの近郊都市レガネスで爆死した「テロリスト」の一人が、2004年1月にその家の持ち主として登録していた。

 スペインで最大の発行部数を誇る「進歩的新聞」エル・パイスは「イスラム・テロ」キャンペーンの牽引車の一つでもあり、あらゆる「情報」と「証言」を、いかなる矛盾や奇妙さがあろうとも、それがマスコミの「任務」であるかのように、「9・11=アルカイダ=イスラム・テロ」に強引に結び付ける (この点は大部分のテレビや新聞も同様だが)。ETAのようなローカル・テロリストでさえ、何百回も行ったテロでここまであからさまでミエミエの証拠を残しまくって「隠れ家」から去るようなことは一度もない。もし「隠れ家」を作っても決して付近の住民に怪しまれないような万全の注意を払っている。しかしエル・パイスはそのような点の考慮は微塵にも出さない。同紙は続ける。

 3月5日、午前10時、一組の男女がフォルクスワーゲン・ポロに乗って出て行った。彼らはいっぱいに荷物を積んだもう一つの車に乗った2名の者と共に正午頃戻ってきた。彼らはおそらく3.11の爆弾にした青いスポーツバッグを持ってきたのだろう。ただし住民たちは盗品か麻薬の取引ではないかと思ったわけだが。そして「これは奇妙だ。警察が見た方が良いのでは。」と感じた。
 3月7日、10時50分、彼らは通報した。最初は国家警察に電話したが、警察はシビル・ガードに回し
【注3】
、彼らがその通報を引き受けることになった。警察と住民との会話は録音されていた。しばらくして通報した住民たちにシビル・ガードから電話がかかり、その建物についての詳しい確認が次のようになされた。
「屋根の上に小部屋のついた家ですか。周囲が緑の塀で囲われていますか。」
「そのとおりです。」
そしてようやくシビル・ガードの車がやって来た。
 通報者たちはその電話以上のことは知らなかった。3.11の後も、その家の住人が住みつづけていたことが確認された。そして3月26日の午前中、シビル・ガードの広報車が現れた。そしてその家の近所の人に質問し、通報者たちの証言を求めた。その捜査官が明らかに驚いている前で、彼らはその家に着いての詳細を述べただけでなく、3月7日の通報について覚えている事も語った。数時間後、国家警察の係官が司法当局の許可を得てその家に入った。
「もしその家を見張ってくれていたらあんなことは起こらなかっただろう。事件の後で動きが始まったのだ。誰がこの家の存在について彼らに知らせたのだろうか。警察は、何をどう言おうが、連絡を受けていたのだし、住民たちは協力したのだ。」と通報者たちは不満を述べた。
 シビル・ガードの広報担当者は、その通報が問題にされなかったのではない、と断言した。語るところによると、その家はパトロールの制服警官が訪れていたし、私服警官によって通報から後2日間にわたって見張られていた。「司法当局の許可が無いので、ただ自動車の登録を確認しただけだった。何の問題も無かった。3.11の後、不法移民の存在が疑われただけなのだが、警察と行き違いにならないようにその捜査を終えたのだ。」と強調した。
 【注3】スペインではテロや麻薬取引のような広域重要犯罪については基本的にシビル・ガード(Guardia Civil: 国防省に所属する国内警備軍)が担当する。もちろん国家警察と地方警察も協力して動く。

 
3月11日の後も住み続けていた!? そして26日の以前にその家を引き払う際に後片付けもせず様々な「証拠」を残しまくった!? 素晴らしい陰謀論である!

 もしこれが「アルカイダ」だとするのならそれは単なる愚か者の集団でしかあるまい。世界に冠たる米軍とCIAが全力を投じて探しまくるほどの秘密陰謀組織などではないはずだ。そしてこの記事のような論調が警察による市民の日常生活監視体制と予防拘禁を容易に合理化するだろう。このスペイン1の「進歩派新聞」は社会のファシズム化を積極的に推し進めているのである。

 スペイン大手紙による珍妙な「事件捜査報道」は続く。次は5月7日付のエル・ムンド紙の記事からである。
 『ヨーロッパのアルカイダ軍事責任者の指紋が3.11を準備した家から発見された』
 警察は、モロッコ人でヨーロッパのアルカイダ軍事責任者とみなされているAmer Aziziが、3.11列車爆破の爆発物を準備した人物と接触していた確証を掴んだ。彼の指紋が、事件を計画し準備した家から見つかったのである。その家には22から26名の人物の指紋が得られたが、その中にAziziのものがあった。彼は、3.11に関連してフアン・デル・オルモ検事から国際手配を受けているSaid Berrajと、2001年にイスタンブールで会合を開いたことが知られている。そのモラタの家はテロリストたちが1年前に借りたのだが、そこで3.11で使用した爆発物を製造し、事件のすぐ後で宴会を開いた。
 3月22日にその家から小型トラックで、サンタ・エウヘニア、エル・ポソ、アトチャの3つの駅で使わなかった爆薬を積んで出て行ったのだが、それは後でレガネス市で7名のテロリストたちが死亡したアパートの爆発で使われた。捜査員によると、その爆発物の移送は困難で、途中でトラックが故障して動けなくなりいったんその家に戻った。そこで、レガネスで爆死したSerhane Ben Abdelmajid  Farkhet通称「エル・チュネシーノ」はオートバイで仲間に助けを求めに行き、次の朝にトラックを引っ張り出して運ぶことができた。このモラタの家はその4日後の3月26日に突き止められ、その中で起爆装置と爆発物の残り、レガネスで死んだテロリストの中の4名の者の遺留品が発見された。
 レガネス市で爆死したうちの6名は身元が確認されたが、残りの一人分の死体は、イスタンブールで2001年に会合したSaid Berraj と Amer Aziziの一人と推測されている。両者とも2001年9月にアルカイダのスペイン細胞が捜査され解体された際に、居所がつかめず逃げていたのだ。いずれにせよ、 BerrajはAziziと共謀した3.11の唯一の容疑者ではなく、その電話番号は、バルタサル・ガルソン判事によって2001年の8月にフランスの要請によって見つかっており、爆破された列車で多くの人に目撃され13日に逮捕されたJamal Zougamのマドリッドの住居に登録されていた。
 さらに、事件後の捜査当局の情報では、2002年の終わりか3003年の初めに「エル・チチュネシーノ」がAziziに、モロッコイスラム戦闘団がスペインを攻撃するように要請した。Aziziはスペイン女性と結婚しており通称「エル・アンダルース」だが、「エル・チュネシーノ」に対して、この「戦闘団」員の多くががキューバのグアンタナモの米軍基地に囚われているため、この要請には不満であったが、彼の計画を認め、アルカイダの援助をあてにできると語った。

 まさに唖然呆然とするような当局発表だ。子供だまし以外の何ものでもあるまい。「テロリスト」たちは、人目につく野原の一軒家で大量の爆発物を準備し、事件直後に宴会を開き、指紋とか爆発物と起爆装置とか個人の身の回りの物とか、数々の証拠を好き放題に残しまくって、トラックの不調で大騒ぎまでして出て行った、そしてそれらすべてが住民に好き放題に目撃されまくったというのである。警察発表によると、そのトラックに「次のテロ攻撃で使う予定の爆薬」を積んでいたのだが、そんな大切なものを故障するようなトラックで運び、挙句に爆薬を積んだまま一晩そのままにしておくのだろうか? しかも事件後でマドリッド市付近に警戒体制をひいていたはずの警察にも全く不審尋問されずに。

 しかもそこに「国際指名手配中のアルカイダの重要人物」を登場させる。こんな程度の不注意な馬鹿なら「国際指名手配」するまでもあるまい。しかしこのアメル・アズィズィはいまだに「行方不明」である。

 そしてこのような馬鹿げた「大本営発表」を見るものに信じさせようとするマスコミの報道ぶりもまた素晴らしいものだ。ただ「進歩派新聞」エル・パイスと異なりこの全国第2の発行部数を持つ「保守派新聞」エル・ムンド紙は、極めて不十分なものながらも、3・11の「公式見解」に疑問を発する特集をたびたび組んでいる。


(8)実行犯全員爆死:死人に口無し

 4月1日、サラゴサ(アラゴン州)の郵政局で、マスコミ機関(に宛てた3通の手紙爆弾が発見され、警察によって不発処理された。ただしこれは「アナーキストグループによるものと思われる」ということで「イスラム・テロ」とは無関係とされたが、「テロへの恐怖」をかきたてる演出として十分なものだろう。そして同時に、スペイン内務相が翌2日に、セビージャとマドリッド間(マドリッド付近)の国鉄の高速鉄道の線路に約10キログラムのダイナマイトが仕掛けられているのを発見した、と発表した。爆薬入りの包みには136メートルのケーブルと起爆剤がついていたそうである。今回は無線や時限爆弾ではなくて、わざわざ事件後にあからさまな証拠を残す「電気のケーブル付き」というあまりにもクラッシックなスタイルである。

 そしてその日、3・11事件担当判事フアン・デル・オルモは「エル・チュネシーノ」を事件の首謀者の一人であると認定して指名手配した。新聞によれば、彼は2003年に「ジハードの一環としてマドリッドで『暴力的行為』を計画した」のだがそれが具体的に何かは述べられていない。また国家警察当局は数百名規模の「イスラムテロリスト」の組織がスペイン国内にある、と発表した。

 その翌日の4月3日に国家警察はマドリッド近郊の都市レガネス市にある集合住宅の1室が「エル・チュネシーノ」の隠れ家であると「発見」し、国家警察による「大捕り物」が行われた。どうやら「テロリスト」たちはあのモラタ・デ・タフーニャの「隠れ家」を大騒ぎしながら引き払った後、秘密裏にここに移り住んだらしい。警察は昼過ぎごろからその周辺を包囲し付近の住民には避難命令を出した。

 その様子はテレビ中継されたのだがもちろんアパートの中は誰も知ることができない。外側の様子と、時々アナウンスされる警察発表があるのみである。数時間銃声が響き渡り、時々大声のアラブ語によるコーランの斉唱が聞こえた。そして夜の9時ごろに突然その部屋で大爆発が起こった。そこで国家警察の1名、そして「テロリスト」7名が死亡した。警察は「自爆死」と発表。何名かが逃亡したかもしれないという発表もあったが今日に至るまで詳細は不明。結局は事件「実行犯」が全員死亡。死人に口無し・・・。

 なお後日になって、この大捕り物で死亡した警察官の墓が荒らされ遺体が焼かれるという事件まで起こった。その犯人は分からなかったのだが、「きっとイスラム教徒に違いない」という無責任な憶測が飛び交い「反イスラム感情」が強引に掻き立てられた。

 要は、警察や内務省の発表と、それに尾ひれをつけて流すマスコミの情報だけが、この事件の全てである。いったい何が本当のことなのか、何一つ確かめようが無い。しかし明らかなことがある。あまりにも筋の通らない当局の公表内容と、ただそれを垂れ流すしか能の無いマスコミ、ジャーナリズムの姿勢である。9・11事件も同様なのだが、このマドリッド3・11は我々の「リアリティ」のあり方が本質的に問われる事件であった。我々はただ誰かによって準備されたスクリーンに映されたものを見せられスピーカーから流れるものを聞かさるだけである 。そしてそれが「真実である」とされる。疑う者は「テロリストの仲間」「陰謀論者」なのだ。それがどれほど方々で食い違い歪みまくり空白だらけになっていようが・・・。


マドリッド3・11
(4) 「生け贄」と「魔女」たち に続く
  同上    
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