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このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」
マドリッド3・11 (4) 「生け贄」と「魔女」たち
(9)死者に対する悪魔化
《下は、4月3日にマドリッド近郊のレガネス市で「爆死した」とされる7名のモロッコ人。》
死んでしまえばもう何の弁明もできない。そして彼らを罪に問う者たちにとっては死者に好き放題の罪状をつけることができる。
たしかに、「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンや「エル・チュネシーノ」ことセルハネ・ベン・アブデルマジッドなどは、あまり行状の良くない者達だった。麻薬の密輸と密売、スペインから鉱山用のダイナマイトなどを盗み出してはモロッコの業者に売りさばくなど、日ごろからスペインやモロッコの警察に目をつけられ小さな犯罪で刑務所暮らしをした者もいることは事実だ。
しかし、前回までにも申し上げたとおり、生きている人間に対してすら、話の筋が通っていなかろうがほとんど何の根拠も無かろうが、強引に「テロリスト」に仕立て上げるのがこの「対テロ戦争」の特徴である。まして永久に口を封じられた者は、いつまでも「憎しみの対象」として悪魔化される運命にある。彼らは「テロ(イスラム)に対する聖戦」のために捧げられた《生け贄》なのだ。
この「爆死事件」1週間もしないうちに、エル・パイス紙とニューヨーク・タイムズ紙が同時に次のような内容の記事を出し、「イスラム・テロに対する恐怖」をこれでもかとばかりに盛りたてた。『マドリッド近郊都市レガネスで爆死したテロリストたちは、その1週間前に「もしスペインがイラクから即時撤退をしないのなら再び攻撃する」という内容の脅迫ビデオを撮影していたことを、捜査当局が発表した。彼らの部屋からマドリッドの地図などの書類が見つかっており、セマナ・サンタ(イースター休暇)の最中に、ショッピング・センターなどの人通りの多い場所での爆破計画を持っていたものと思われる』。
そして4月15日付のエル・パイス紙は『オサマ・ビン・ラディンの声明』
を報道した。その記事をご紹介しよう。
ドバイに本社のあるアラブの衛星テレビ網アル・アラビーヤは、テロリスト網の首領オサマ・ビン・ラディンの声の録音を、本日の番組で紹介し放映した。アル・カイダは、3.11の爆破は「イラク、アフガニスタン、パレスチナへの行動」に対する一つの懲罰である」と断言している。またこの声明では、アル・ジャジーラのようなアラブの他の放送局も同時に受け取ったものだが、このサウジアラビアの大富豪は、「イスラム教徒たちを攻撃しない」条件でヨーロッパとの「和平」を提案しており、また、パレスチナのアーメド・ヤシン師の暗殺への報復を必ず行う、としている。 |
フランスの哲学者アンドレー・グルックスマンは、彼の新著「西欧に対抗する西欧」(タウルス)の中で、政治的に不正確な物事を検証し率直に熟考することを勧めている。この本で彼はイラクへの侵攻を正当化するためにワシントンのタカ派たちと同様の論理を弁護している。 【中略】 グルックスマンはハンチントンの文明の衝突の論理を示し「文明(民主主義的西欧)に対抗するニヒリズム(テロリズム)」というパラダイムを作っている。 【訳注:以下はグルックスマンの発言の中から】 「ヨーロッパに集中するはずのものは反米主義ではなくテロリズムだ。これがアトーチャの教訓である。」 |
「ジプシー小僧」は罪を認め6年間の服役を受け入れる エル・ムンド(11月16日) PALOMA D. SOTERO マドリッド:3.11事件のテロリストによって使用されたGOMA2【ダイナマイトの一種:訳注】の20キログラムをアストゥリアスからマドリッドまで運んだ罪に問われている未成年者「ジプシー小僧」は、爆発物を運んで武装勢力に協力した件で有罪を問われ、検察によって求められた刑を受け入れた。それは6年の拘束、その後5年の監視付き釈放、そしてさらに6年間の資格停止である。 予想に反して、3.11の最初の公判は「合意の下での裁判」となり、開始から20分で終了した。16歳の未成年者であり「ジプシー少年(El Gitanillo)」あるいは「Babi」「El Guaje」と呼ばれるG.V.M.【氏名の頭文字:訳注】に対する告訴状が読み上げられた後、少年はその罪状を認め検事ブランカ・ロドリゲスの求刑を受け入れた。 公判は最高裁の求刑室で大きな期待の中で行われた。被告は母親に付き添われ、ついたての後ろに傍聴者に背中を向けて座った。傍聴席には50名以上の報道関係者と数名の3.11犠牲者の遺族がいた。 当初はロドリゲスはG.M.V.に対して8年間の拘束を求刑する予定であったが、最終的に6年を求めた。なぜなら、8年の求刑なら少年刑務所の年齢制限を越してしまうからだ。6月15日に彼が逮捕されて以来収容されていた少年刑務所の職員の忠告を受けた上で、減刑がなされた。 その少年刑務所の所長は判事に、この少年の収監が「彼にとって良い結果とならない社会と家族からの隔離」をもたらしてきたこと、したがってこのような方法は「彼の罪にかけられるものではない」と説明した。しかし一般刑務所に入ることは「ふさわしくない」と告げた。 もしG.M.V.が8年の刑を受けたとしたら、23歳を過ぎたなら残りの期間は大人の刑務所に入ることになる。少年法によると、この方は実際には改定作業が続けられているが、刑期の半分を満たしたときに残りの期間は再検討できるようになっている。 被告が彼の罪状を認めたため、少年裁判所の判事ホセ・マリア・バスケス・オンルビアは口頭陳述の必要性を認めず、少年に6年間の拘束という刑を提示し2度にわたって彼はこれを受け入れた。最終判決は近日中に行われることになっている。 【後略】 |