総合メニューにもどる  幻想のパティオ:目次に戻る
画面中央のタグの「閉じる」をクリックしてください。
※ このページにあるリンク先をそのまま左クリックすると、いまの画面と同じ場所にリンク先のページが現れてくるため、両方を効率よく見比べることができなくなると思います。リンクの部分にカーソルを当て、手のマークが出たら右クリックから「リンクを新しいタブで開く」または「リンクを新しいウインドウで開く」を選択していただいたほうが便利でしょう。ご面倒ですがよろしくお願いします。

このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」

マドリッド3・11 (5)  「3・11委員会」の無能


(12)最も肝心な資料無し

 スペイン議会は「3・11事件真相究明」へ向けての調査特別委員会を開催した。まず6月16日に準備作業を開始し、22日から各政党から要求のあった資料を関係団体に提出を要請する作業を始めた。証人喚問は7月の6日から行なわれ、その最初は国家警察の担当者であった。この委員会は7月27日にいったん休会し9月からまた続けられたのだが、それは最初から「真相究明」とはかけ離れた地点で行わざるを得ない、単なる儀式となることを運命付けられたもの でしかなかった。

 準備作業開始の6月16日、スペイン「統一左翼(旧共産党を中心とした議会会派)」は、この委員会聴聞会で公開される資料として米国CIA、イスラエル・モサド、スペインCNI(中央情報局)という、各国諜報機関の資料を公開するように求めた。当然のことだが、もしアルカイダが関与しているのならCIAとモサドからの情報が最重要になることは誰にでも予想されたことである。またETAを含めスペイン国内と周辺の過激派の動向を知るためにはCNIの情報が必要不可欠となる。

 しかし7月2日エル・ムンド紙の記事によると、政府閣議は、次の資料は『国内外の機関の活動に差し障りがある』という理由 で機密を解かないことに決定した。

1.2004年3月11日以前の、スペインにおけるETA以外のテロリストによる攻撃の可能性についての、
  警察と外国情報機関によってまとめられた複数の情報。
2.カサブランカ爆破事件後に警察とモロッコ情報局によってまとめられた複数の資料。これはこの事件と
  関連付けてジャマル・ゾウガムを追跡していたかどうかを確認するためのものである。
3.他の国々の情報機関によってまとめられた3.11事件の容疑者の関係者についての複数の資料。
4.スペイン内のアルカイダの存在についてのモサドの情報のうちスペイン政府が入手したもの。
5.スペイン内のアルカイダの存在についてのモサドの情報
6.米国と英国の情報機関の、2001年米国9.11事件と関連があるとされているテロリストの存在に関する
  情報。

 同時にスペイン政府は『311調査委員会に対し、CNIの資料公開をすべて拒否』 (7月3日、エル・ムンド紙)した。その「理由」がふるっている。《議会の委員会にCNIからの文書が届けられるのが提出期限である午後8時に4分遅れた、ということで議会に届かず、すでに登記所が閉まっており、政府はもうこれらの資料を公開しないことを急遽決定した》ということらしい。なお、この資料を運んだのは社労党員で上院の総務会長であるホセ・ルイス・デ・フランシスコである。

 米国で行われた同様の茶番である9・11委員会は、一応は軍や諜報機関への喚問を行った。もちろん議長と副議長を含む委員自身が、情報が隠された、活動が妨害されたと後で不満を述べている。しかし、このスペイン議会の調査委員会は、その始めから最も肝心な源からの情報が入手できないことを約束されたもの であり、ほとんど無意味としか言いようのない代物だったのだ。

 先ほどのリストをご覧になれば、「機密を解かない」と決定されたものは、これが欠けたら事件の背景は全く知りようがないというものばかりであることが一目瞭然だろう。そしてこの決定には、CNI、MI6、CIA、モサドといった諜報機関の姿勢ばかりではなく、スペインの政治党派の思惑が様々に絡んでいる。それぞれ、自分たちに都合の悪い情報は公開したくないし、逆に政敵に都合の悪い情報の公開を強く要求する、といった具合で、結局はどの政治党派にも当たり障りの無い情報のみ が公開されたのである。

 このことは、誰を証人喚問するかについてのゴタゴタでもすぐにわかることである。たとえば、社労党政権と閣外協力関係にある統一左翼連合や民族派諸政党は前首相アスナールの喚問を要求した。そして旧与党で最大野党である国民党は現首相サパテロの喚問を求めた。これはともに、311爆破事件そのものというよりはそれ以前のETAを出汁にした国民党の左派攻撃、およびアスナールの対米協力が「テロ」を呼び込んだのかどうか、という点に関するものである。ところがサパテロはアスナールの喚問を望まなかった。そして他の会派は社労党と国民党の間に秘密協定があったものと見て攻撃し、両党はこれを否定しはねつけた。また国民党は統一左翼代表のリャマサルスなどの喚問を要求したが、これは総選挙前日の3月13日に起こった国民党本部へのデモ、
「デマクラシー」 に関するものである。また国民党は、「警察内通者」で爆薬の入手を手伝ったとされるトレスオラスに関して、彼が密告屋として内通していた警察の麻薬係からの資料を要求した。一方の与党社会労働者党は徹底的に「イスラム・テロリスト」に関するCNIやシビルガード、警察、ユーロポル(欧州警察)などのデータを求めた。

 こういった具合で、もはや「真相究明」とは無縁の地平で物事が動き始めた のである。さらに、国民党が政権を明け渡す際にいくつかのデータを抹消したのではないか、という疑いも広まった。6月29日までに各政党から要求のあった75の資料のうち5つが政府の資料の中に存在していなかったのである。

 ここまでくると、あまりの馬鹿馬鹿しさに唖然となるばかりだが、もはや誰一人として「真相の究明」など望んでいないのではないか、と疑わざるを得ない。それぞれが自分達の政治的立場に有利なように筋書きを書きたいのである

 その間に新聞では、『311実行犯はユダヤ人の娯楽施設への襲撃を計画していた』(7月1日ベインテ・ミヌートス紙)、『311コマンドは、英国系小学校への攻撃を予定していた』(7月1日メトロ紙)、『マドリッド市内のある住宅の門衛は、3.11事件の直前に、後にその中で起爆装置とコーランが見つかったのと同じバンが走っているのを目撃した』(7月1日エル・ペリオディコ紙)、『3.11当日に警察官の一人が、爆破された列車内に残されたカバンを開けると、コーランが入っておりその下に釘とねじくぎが入っていたため、爆発物係りに連絡した、と証言した』(7月1日ABC紙:ただし、そのコーランがその後どうなったのか、どうしてその警察官はそれをコーランだとわかったのか、などは書かれていない)、『311犯人のパスポートを調達したアルジェリア人を逮捕』(7月2日エル・ムンド紙)、『アルカイダに配布されていた文書が、イラク占領の「もっとも弱い環」であるスペインを攻撃するように求めていた』(6月30日エル・ムンド紙)等々、根拠があるともガゼネタともつかない情報が垂れ流され、「イスラム・テロ」に対する恐怖感ばかりが煽り立てられていった

 こうやって、議会と政府のドタバタ劇、諜報機関の知らんぷりの一方で、マスコミによって「イスラム・テロ」への不安だけが深められたのである。この点は、3・11事件ばかりではなく、その他のいわゆる「イスラム・テロ」事件に共通する特徴の一つでもあろう。 要するに茶番 である。


(13)『盗難車の白いバン』の謎

 その茶番劇を最も象徴するのが、このマドリッド列車爆破3・11「イスラム・テロ」事件で最大の物的証拠の一つとされる『盗難車の白いバン』 だろう。これはこのシリーズの第2回『「ザマミロ!アスナール!」で済むのか?』でも触れたものだが、3月11日の11時、つまり事件発生からわずか3時間半もたたないうちに「市民の通報」によって、サンタ・エウヘニア駅付近のアルカラー・デ・エラネスの駐車場で「発見された」ものである。


 当初の警察発表によると、このバンの中から「使い残しの起爆剤」や「コーランが録音されたテープ」などの「物的証拠」が発見されたとされ、これがCNIと国家警察によって爆弾となったダイナマイト入りのカバンを運んだ自動車であるとされたのである。もちろんだが、後の裁判でも「最も有力な物的証拠」 となったものだ。そして、7月6日から開始された証人喚問の第1日目ですでにその矛盾が暴露された。

 このバンは「怪しい車がある」という《市民の通報》を受けたアルカラー警察によって午前11前に見つかり、一部始終を見ていた門衛は「正午までにはバンから起爆装置とテープを警察が取り出していた」と証言した。ところが、アルカラーの警察署所長は「車をマドリッドに運んでから調べたので午後5時まで起爆装置は見つかったとは知らなかった」と証言した。さらに門衛は「警察署員の一人が犯人はETAではないと言っていた」と証言したが、警察署長は全く逆に「警察はETAと推定していた」と証言した。この門衛だが、事件担当判事フアン・デル・オルモの前では、この証言にあった「起爆装置」に関しては確信を持っていなかったことが、判事から調査委員会に出された唯一の資料 で明らかにされた。判事の前であいまいだった門衛が、調査委員会で自信を持って断言する、これもまた奇妙な話である。それにしても、判事局からたった一つしか資料が提出されていない のだ。これでどうやって「事件の真相を究明する」というのだろうか?

 さらに7月14日の証人喚問で決定的な矛盾が明らかにされた。、3月11日当日の昼過ぎにこのバンを検分した警察犬係が、警察犬を使って車を調べた時に犬は爆発物の臭いを全く感じなかった、という証言をしたのである。またこのバンは午後にはマドリッドの国家警察の本部に持っていかれたのだが、その前にバンに入った唯一の警官であるマドリッド地方警察のルイス・マルチン・ゴメスは、バンの中には何も怪しいものは無かった、と証言 したのだ。

 これは大変な話である。まさに「爆弾証言」であろう。3・11事件が「イスラム・テロである」とされたほとんど唯一の物証が、根本的にその証拠能力を失う可能性が出てきたのだ。(下の写真はエル・ムンド紙による。左がCNIによる主張を元に再現されたバンの車内、右は最初に検分したマドリッド地方警察による主張を元に再現された車内である。)


 もちろんこの地方警察官は爆発物探知犬が反応を示さなかったので安心して車の扉を開けて中に入ったわけである。しかし裁判では彼らの主張は一切気にも留められず判決文にその記述すらなく、一方的に無視されたのみだった 。

 どう考えてもこれほどの「証拠物件」を車の中にほったらかしにして逃げる「テロリスト」など存在しないわけだが、とにかく「誰かを犯人にしなければならない」者達はそんな常識的な考え方など最初から投げ捨てているのだ。「コーランのテープ」にしても、「犯行声明」ならもっと別の手段があっただろう。そしてこのバンを「通報」した「市民」とはいったい誰なのか? しかし委員会はこの謎を追及しようとはしなかった。

 そして、その証言があった10日後、7月24日に、国家警察がとんでもない発表を行った。同日付けのエル・ムンド紙は次のような内容を伝える。(強調部は私から)

 『6月13日にアルカラー・デ・エレナスのある住民が、ルノー・カングーの白いバンが駐車していた場所から30メートルほど離れた場所に、フォードの白いバン型の車が3ヶ月間放置されていると警察に訴えた。 警察はそれが盗難車のレンタカーであることを突き止め、311と関係があるとは考えずにレンタカー会社に取りに来させた。そしてレンタカー会社がその車を掃除した後で、その中から一つのカバンが発見された。そして車は洗車され掃除されて指紋や爆発物のにおいなどはすべて取り除かれてしまった。 警察は、そのカバンの中から衣類とピストルの弾薬入れの他にイスラム聖戦・殉教・占領地の回復を称える言葉が録音されているテープ、小さな電話メモ帳、手書きのメモ、列車爆破に参加したと思われる者への伝言、洗面道具、およびパレスチナ人が使う被り物の布が発見された、と発表した。またそこからDNAが検出されたのだが、それはレガネスで4月3日に爆死したテロリストのうちの2名のものと一致した。 警察の分析係は、爆弾はこのフォードの車で運ばれルノー・カングーはテロリストたちを運んだ、と見ている

 委員会の証人喚問で、捜査当局や諜報局にとって都合の悪い証言が出たとたんに「発見された新たな物証」である。そしてその「物証」はあらゆる証拠能力を失った形で「発見」されたわけだが、レンタカー会社が徹底的に掃除した後で「発見された」カバンはありとあらゆる「イスラム・テロの証拠」に満ち溢れていた ! しかもこれにパレスチナ人が絡んでいるかのように偽装されている。
このシリーズ第3回『バーチャルリアリティーの事件捜査』で詳しく説明した「不発弾のカバン」でも、検分した警部がその爆弾の作り方がパレスチナ過激派のものとよく似ていると発言して、イスラエル大使館を大いに喜ばせたのである。

 最重要な資料をほとんど拒否されたうえに、「イスラム・テロ」という規定の筋書きに都合の悪い証言がなされるとすぐさま、明白なでっち上げ以外には考えられない新たな「物証発見」 のニュース。しかも委員会閉会の3日前である。これで委員会が『盗難車の白いバン』について何の見解も出せなくなってしまったことは言うまでもない。とことん馬鹿にされた「真相究明のための特別委員会」である。


(14)そして結局、何の「究明」も無し

 そのほかに、この証人喚問では、旧アスナール政権幹部がETA犯行説にこだわり続ける一方で警察からのダイナマイトの種類についての発表が様々に錯綜していたこと、にもかかわらずマドリッド警察幹部が事件2日後には「不発弾」となったカバンから発見された携帯電話のSIMカードを手掛かりにしてイスラム・テロリストの犯行とほぼ断定して捜査を進めていたことが明らかにされた。しかし、事件発生から48時間も経たないうちに最も重要な物証である爆破された列車の車体が解体処分されたことに関して、一切の追究は為されなかった

 一方ではマスコミによって次々と別の動きが作られた。7月12日付のエル・ムンド紙は、逮捕されているシビルガード密告者のモロッコ人、ラファー・ゾウヒエルから同紙宛に届いたとされる「手紙」を発表した。それによると、彼が以前に内通者として働いていたシビルガードの隊員が複数回、拘置されている刑務所にやって来て、事件に使用された爆薬の販売について知っていることを、判事にも弁護士にも新聞にも一切言わないようにと「忠告」を受けたこと、さらに彼は、テロが起こる可能性をシビルガードに警告していたのだが無視されたことを明らかにした。この「手紙」の内容が正しいのかどうかは知りようが無いが、同紙によると、ゾウヒエルの情報を買っていたシビルガードやトレスオラスの情報を買っていた国家警察は、3・11の1ヶ月ほど前から彼らからの連絡を受けていないと話している。本当にその間にこれらの密告屋たちが情報を売らなかったのか、あるいは買ったほうで握りつぶしたのかは分からない。さらにこのラファー・ゾウヒエルというモロッコ人内通者は9・11委員会委員長にも手紙を送りつけ、事前に2度にわたってテロの可能性を警告していたことを告げたのである。

 それ以前にも、
このシリーズ第3回『バーチャルリアリティーの事件捜査』でも書いたことだが、マドリッド近郊の田舎町モラタ・デ・タフーニャにある「証拠残しまくりの隠れ家」について、警察やシビルガードが事前にチェックしておきながら捜査しなかったことが報道された。また4月3日にマドリッド近郊レガネス市で「爆死」した「エル・チュネシーノ」ことセルハネ・ファルクヘトや「エル・チノ」ことジャマル・アーミダンなどを警察が事前に長期間見張っていたとも報道された。さらには『CNIは3.11の2ヶ月前にイスラム・テロを予告していた(エル・パイス、4月9日)』、『警察が事件2日後に逮捕したジャマル・ゾウガムを以前から盗聴していたが、内務省が翻訳家を派遣しなかったためアラブ語を翻訳できなかった(エル・ムンド、5月9日)』といった見出しが大新聞を飾った。

 こうして事件からこの「3・11委員会」開催までの間に、マスコミが「防げたはずなのに防がなかった!」という論調と、「誰がその責任者なのか?」という問いを広めていたのである。当然、その「責任」は総選挙での敗者である国民党に向けられることとなった。

 もう一方で、国民党が再三要求している逮捕者の喚問は担当判事が頑強に拒否して握りつぶされた。特に、ダイナマイト入手の鍵を握る警察内通者トラスオラスとラファー・ゾウヒエルの喚問は、与党の社会労働者党が拒絶した。なぜか? 「判事局の捜査に対する妨害になる」というのが表向きの理由だが、前回までにも書いたように、この事件で逮捕者の供述内容が公表されたのは例の
「ジプシー小僧」のものだけであり、判事局は全くの《密室》なのだ。そして判事局を中心とする法務当局こそがスペインという国家の最高権力を握っているのである。そこで作られた筋書きが全てなのだ。

 先ほども述べたように、この委員会では列車の残骸を廃棄処分にした理由と責任を問う声が上がらなかった。これは米国の9・11調査委員会とも共通した態度だが、どうやら各国の国会議員たちにとって、またマスコミや言論界のヒーローたちにとって、物証や事実など結局どうでもよいものなのだ。要は「物語の筋」が全てなのだ。それが自分達にとってどう有利に働くのかで、どの筋を選ぶのかを決めるだけである。 

 結局、この委員会に集まった資料と喚問された証人は、事件の本質や背景を明らかにするものではなく、そのほとんどが「初期捜査が適切であったのかどうか(つまりETAなのかイスラムなのかの判断がどのようにつけられたのか)」および「国内でのイスラム過激派に対する認識と警備が適切であったのかどうか」に関するものであった。その結果、アスナール国民党が「ETA犯行説」にこだわり続けたことに根拠があったのかどうか、3.11以前のイスラム・テロに対する警備体制に抜かりが無かったのかどうか、に焦点が絞られてしまった 。マスコミの報道を見ても、国民党(特に前内相アセベスと前報道官サプラナ)が3.11以来主張し続けている「国民党は一切嘘をつかなかった」が嘘なのかどうか、に多くの紙面と時間を割いている。

 要するに、事件そのものではなく、それぞれの政党が事件をどのように取り扱いどのように対応したのか、それは誰の責任なのか、ということだけ がこの「3・11調査特別委員会」の調査目的にすり替わってしまった。そしてマスコミが積極的にそのすり替えを推し進めていった

 せっかく出てきた「盗難車の白いバン」の矛盾も、警察発表の矛盾も、いつの間にかその流れの中にかき消された。いくつかの新聞だけがそれを取り上げたが、特に社会労働者党を支持する言論界の流れは一切の矛盾を押し隠し、「あの事件は何だったのか」という当初の目的意識は影も形も見えなくなった

 そして委員会は何一つまとまった結論を出すことも無く7月27日にいったん休会し、9月に再開されることとなった。後は、何もかも忘れ去る夏のバカンスが待っているだけである。


マドリッド3・11
(6) 固められた《筋書き》  に続く
  同上    (4) 
「生け贄」と「魔女」たち に戻る


総合メニューにもどる
幻想のパティオ:目次に戻る

inserted by FC2 system