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失われた全ての命に祈りを (2004年3月11日、バルセロナ、カタルーニャ広場にて)


まやかしの「イスラム・テロ」


マドリッド3・11 (7:最終回)  3・11とは何だったのか?


(18)前首相、現首相、証人喚問のドタバタ喜劇

 2004年の12月まで続けられたスペイン議会「3・11委員会」のクライマックスは、11月と12月に行われたアスナール前首相とサパテロ現首相に対する証人喚問だった。前職と現職の国家最高指導者が証人として喚問されるというのは、おそらく世界の歴史の中でも初めてのことだろう。さてその内容は?

 まず11月29日に、休憩時間を差し引いても10時間半をかけて行われたホセ・マリア・アスナール の証人喚問だが、その長大な内容を全て伝えるわけにはいかない。彼の発言の要点をまとめると次のようになる。

(1)3.11は市民を殺すだけでなく選挙で国民党政権を倒し社会労働者党を勝たせる目的で、ETAとイスラム過激派を使って、仕組まれたものだった。
(2)それを仕組んだ勢力はスペイン国内にいる。(明らかに社労党を指している。)
(3)いくつかの報道機関がその策謀に加担している。
(4)「イスラムテロの可能性を軽視していた」との指摘を否定する。
(5)3.11に関する国民党とアスナールの責任を否定し謝罪を拒否する
(6)イラク戦争と3.11の関係を否定する

 アスナールは国民党とその支持者の中に根強い「社会労働者党による陰謀説」に基づいて話を展開しているのだが、(3)では特に
総選挙前日の「デマクラシー」に対して激しくその「陰謀」を非難する。しかしイラク戦争を、「イラク国民がサダム・フセイン抜きでより良く生きるためであったと弁護したうえで、それと3・11との関連を否定するなど、そのネオコンぶりを遺憾なく発揮した。さらにそのうえで、この事件をやはり「イスラム・テロ」と規定する。ETAを出汁に使って実際にはイスラム・テロリストに行わせたのだが、それを背後にいたのが国内の勢力(明らかに社会労働者党を意味する)であるという内容である。

 もちろんだが、ここでアスナールはテロの物的証拠とされているもの(盗難車の白いバン、
不発弾のカバン 、証拠残しまくりの隠れ家、レガネス市の爆破されたアパートの遺留品)に対する疑問などは一言も述べていない。こうして一方で判事局の筋書きを追認しながら、他方で事件への疑問を政敵に向ける攻撃として利用しようとするハラがありありとうかがえる。

 一方のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ だが、12月13日に証言台に立った彼は12時間を越える証言の中で次のような点を強調した。簡単にまとめてみよう。

(1)3・11事件がスペイン人を「縮み上がらせた」ことを否定し、自分の証言の目的は何が起こったのかの真実を知ることであり、同時に再発を防ぐためのものである。
(2)イスラム過激派の脅威が国民党幹部によって明らかに過小評価されていた。現在我が国が「よりよく守られている」と確信している。そして将来に対して執るべき手段を、他の国々にも模範となり一つのモデルや「触媒となるべき」国会決議案を提案した。
(3)前政権幹部は3月11日午後から大量の嘘をついた。そしてアルカラー・デ・アレナスでバンが発見された後には、捜査の方向はたった一つしか無かったはずだ。つまりイスラムテロの方向である。
(4)自分が就任した際に、首相府には一枚の書類も無く、コンピュータの記憶装置に一つのデータも無かった。公共省によって支払われるべき大量の消された資料の請求書だけが残されていた。
(5)現政府が3.11の調査を行っていないと非難する国民党は無責任である。犯人達はラバピエス、レガネスそしてモラタ・デ・タフーニャにいた。
(6)社会労働者党幹部は、3月13日に国民党の本部の前で起こった騒動には、誰一人として認知も計画も参加も扇動も援助もしなかった。

 なお、(1)は、米国ネオコンや、アスナールを含めるその追随者達が「スペイン人はテロに縮み上がってイラクから逃げた」ように非難していることに答えたもの。(3)にある「バン」は、
起爆装置とコーランのテープがあったとされる例の盗難車である。(4)について、国民党の総書記であるアンヘル・アセベスが「重大な虚偽に満ちた言いがかり」であると述べた。(5)は、アスナールは「犯人たちは砂漠にも山にもいない(つまりスペイン国内にいる)と語ったことをもじったもの。また。『ラバピエス』はトラスオラスが「エル・チノ」らに盗んだダイナマイトを売りさばいたとされる場所。『レガネス』は「実行犯」7名が爆弾で自殺したとされる場所。『モラタ・デ・タフーニャ』はマドリッド近郊にある「証拠残しまくりの隠れ家」を指す。

 一見して分かるとおり、サパテロは完全に判事局の筋書き通りに語っている。自分の「証言の目的は何が起こったのかの真実を知ること」とはよく言ったものだ! アスナール同様に「物的証拠」とされた数々の疑惑物に対する言及はまるで現れない。そのうえで政敵をこき下ろすために長大な時間をかけて「3・11=イスラム・テロ」を強調しまくったのである。それにしても『将来に対して執るべき手段を、他の国々にも模範となり一つのモデルや「触媒となるべき」国会決議案』とは何なのか? 予防拘禁や盗聴などを含む「対テロ対策」の全面合法化なのか?

 この前首相、現首相の「証人喚問」はきわめて巧みなワナになっている。「イスラム・テロ」に疑問を持てば「アスナールの回し者!」と呼ばれ、ETAに疑問を持てば「社労党の回し者!」とされる。そのどちらにも同時に疑問を持てば、「反ユダヤ主義の陰謀論者!ネオナチ!」とされる。つまり、いかなる方向ででも疑問が許されない巧妙な論理的な仕掛けが施されている。そしてその両者共に一致しているのは、9・11事件以来、常に強調され続ける「テロとの戦い」なのだ。スペイン・ネオコンの代表格であるアスナールがイスラエルでは語気を強めて「イスラム・テロとの戦い」を叫んでいることは言うまでもない。

 アスナールとその支持者のヒョットコ踊り、サパテロとその支持者のタコ踊り・・・。どちらもまやかしの「対テロ戦争」のチンドン屋に過ぎない。

 
事態はそんな表面的な政治ショーとは無関係に動いていた。裁判所自らが最大の物的証拠である爆破された車両を即刻破壊し、それを大部分のメディアが無視することで容認した。捏造としか考えられない数々の「物的証拠」をちりばめて「3・11=イスラム・テロ」の文脈でそれらをつないでみせた判事局と裁判所の作文だけが確固たるものとされているのである。2007年に判決が下ったとき、サパテロが「満足の意」を表したことは言うまでもあるまい。

 ただ、スペインの裁判所が「9・11事件最終会議」を完全否定し、3・11でアルカイダの直接関与を否定したことは、欧州が米国ネオコンの流れとはやや異なる道を歩き始めていることを示すものかもしれない。この点だけは注目される。


(19)北アフリカ石油利権と3・11

 この3・11事件は、その前に起こった9・11ニューヨーク・ワシントン「同時多発テロ」事件といくつかの点で非常に対照的な特徴を見せる。

 一つは、後者が様々な映像や写真に満ち溢れているのに比べて、3・11ほど映像資料の少ない事件も珍しい。その当時でも各鉄道駅には監視カメラが取り付けられていた。そして一つで20kgの重さがある13個もの大きなカバンを持った大勢の男達がホームを歩き列車に乗り込む映像は、事件以来、唯の一つとして公表されていない

 また、スペイン国家警察やシビルガードは過去から現在に至るまで、ETAの隠れ家や車両が見つかるたびに報道陣に公開し、そこにある武器や用具や書類の数々をテレビで全国に放映させている。ところがこの3・11に限っては完全な密室状態が貫かれた。例の「証拠残しまくりの隠れ家」の中を発見当時に記録した写真の公開は全くなかった。もちろん、例の「盗難車の白いバン」の荷物台にしても発見当初の記録写真は無い。単に「コレコレの発見があった」という言葉のみが発表され、後からビニール袋に入った品々が「これだ」として見せられたのみである

 次に、9・11が戦争開始の理由として使われたのに対して、3・11は逆にスペイン軍がイラクから撤退するきっかけを作った。もちろんこれを文字通り受け取ることはできない。イラクの中でさしたる役にも立っていなかったスペイン軍や一部の中南米各国軍が引き揚げたところで、米国にとっては大したことではなかったのである。むしろサパテロはその後にアフガニスタンへの増派を決めた。「配置転換」と考えられないことも無い。しかしやはり9・11とは異なりそれが大きな侵略へとつながったわけではない。

 3・11事件の背景には、9・11の背後にあったネオコンの戦争と社会改造ほどには単純に理解できない状況があったようだ。少し時間を遡り、場所も移ってみよう。

 この事件の裏には、欧米支配層の世界戦略上の思惑、つまり「反イスラム・テロ戦争」の新たな局面を作り出す意思があったと思われるが、もう一つ重要な要因として、アフリカの石油資源 を巡る動きがあったことは間違いない。その中でも、モロッコおよび西サハラ(旧スペイン領サハラ)の石油資源問題が絡んでいる可能性がある。

 モロッコおよび西サハラの石油資源については日本ではほとんど知られていないだろうが、アルジェリアとの国境地帯、および大西洋岸の海底でのモロッコの石油推定埋蔵量は100〜120億バーレルに達するといわれる。そして西サハラ沖の海底からスペイン領カナリア諸島付近にかけて相当に優良な石油鉱床が見込まれている。モロッコは以前から西サハラを自分の領土であると主張しており、西サハラの独立勢力は主としてスペインの保守派、つまり国民党とつながっている。スペインが領有権を放棄して以来、モロッコと西サハラ独立派、つまりスペイン保守派との間で深刻な対立が続いているのだが、国連が仲介に入ってとりあえず武力衝突は抑えられている。そこに近年になって石油利権が絡み始めたのである。

 1997年から2004年6月まで西サハラ問題国連特使として事務総長(当時)コフィ・アナンの命を受けて派遣されたのが、米国ブッシュ政権と結びつきの強い世界規模の投資会社カーライルの重鎮ジェームズ・ベーカー である。また石油資源開発などをめぐってアスナール政権がモロッコやフランスと厳しい対立を続けていたこと、サパテロが野党党首の時代から親フランスでモロッコに対しても柔軟な態度であったことは事実だ。モロッコは近年、北アフリカ諸国の中では最も親米色の強い国であり、2004年の3月始め、つまり3.11の直前にアメリカ・モロッコ間の「自由貿易協定」が結ばれた。また軍事的にもつながりは強く、3.11直後に「テロ防止」の名目で米軍特殊部隊をさっさと受け入れているのである。

 その米国は、3.11が『アルカイダ系組織のモロッコ人の仕業であったことを理由』に、「北アフリカにおける対テロリスト行動」と称して事件のすぐ後に軍の特殊部隊を、モロッコだけではなくモーリタニア、チャド、マリ、ナイジェリアにも送った。当然だがそれが「テロ後に急遽決定された」はずもあるまい。軍派遣のような行動は一つの事件を見ただけで軽はずみに決定できるようなものではないのだ。これは米国が3・11を「見越していた」、というよりは「予定済みであった」証拠だろう。さらにイラク戦争のはるか以前からアフリカがターゲットになっていたことは明白であり、この米国の行動は石油利権確保の策略以外の何物でもない。

 さらには、3・11事件のわずか4日前、2004年3月7日に、アフリカ中央の産油国で「ギニア湾のクェート」とまで言われる旧スペイン領赤道ギニアで「クーデター未遂」事件が起こった。この国はテオドロ・オビアング・ンゲマ・ムバソゴ(以下、オビアングと表記)大統領が反対派を武力で抑え独裁体制を引き、オビアング自身は常に350人のモロッコ人(!)兵士に身辺を守らせている。このクーデター計画には南アフリカの傭兵達が参加したのだが、事前に発覚し、傭兵達はジンバブエで逮捕された。そして彼らの資金を渡して動かしていた最重要人物がサッチャー元英国首相の息子マーク・サッチャーであり、彼はその年8月に南アフリカで逮捕された。この英国ネオコンの息子は次の年に多額の補償金を払って釈放され米国に逃げた。そればかりではない。

 以前から国民党スペイン政府はマドリッドにある赤道ギニアの「亡命政権」に資金を提供していた。そしてこのクーデター決行予定日の3月8日に5百名の海兵隊員を乗せた軍艦を赤道ギニア沿岸に送っていたのである。さらにその以前に、スペイン政府が国境警備の名目でスペイン軍派遣の受け入れを赤道ギニアにしつこく迫り、警戒したオビアングが国連に書簡で訴えた、という経過すらある。そしてそのクーデター計画が失敗した後は、スペイン旧政権を担当した国民党も新政権の社会労働者党も、あたかもそんなことは起こらなかったようなふりをして口をぬぐって知らん顔をしている。そしてサパテロは野党党首時代からモロッコには受けがよく、モロッコとその背後にいる米国やフランスの石油資本は石油利権をめぐってアスナール派とは対立していたわけである。

 この3・11事件の背景には、欧米ネオコンの政治日程以外にも、欧米石油資本の複雑な利害関係が絡んでいる可能性がある。それぞれの思惑がもつれ合い非常に分かりにくい様相を示しているのだが、同時にまたこのような事情が、3・11と「アルカイダ」が引き離されたことや、スペインが「スペイン・アルカイダ組織」と9・11事件との関係を否定したことの背後 にあるのかもしれない。

 3・11の結果、サパテロの社会労働者党が誕生して胸をなでおろしたのは間違いなくモロッコとフランスなのだ。サパテロが首相になって真っ先にやったことがモロッコとの関係改善だった。米国や英国では内部に対立と駆け引きが渦巻いていたことが十分に考えられる。サッチャーを代表とする英国ネオコンがアスナールと背後で手を組んでいたことは明らかであろう。そして労働党のブレアーはネオコン派にガンジガラメにされていたのである。しかしそれぞれの国の内部は決して一枚板ではない。

 3・11事件の背後はいまだに闇の中である。しかしはっきりといえることがある。191名の人々が亡くなり、1500名以上が負傷し、そして大勢のイスラム教徒たちが不当に逮捕・拘禁され、何名かのモロッコ人とスペイン人の小悪党が膨大な無実の罪を一生涯背負い続けることとなった。この事実だけは消えることが無い。


(20)そして「イスラム・テロ」だけが残った!

 この3・11マドリッド列車爆破事件から1年と4ヵ月後、ロンドンで交通機関連続爆破事件、いわゆる7・7事件が起こる。その両方に共通する重大な要素がある。

 2005年7月7日にロンドンで、2004年3月11日にマドリッドで起きた二つの「爆破テロ」事件には、ほとんど誰にも気付かれること無い、「テロ」と「イスラム」を永遠に結び付けるすばらしい手品が世界に向かって披露されていた。ここでその手品の紹介とその種明かしをやっておこう。

 マドリッド3・11直後に、当時の国民党政府は「ETAのテロ」と断定した。自分達がイラク戦争を熱心に支持し、党首のアスナール自らがブッシュやブレアーと共にアゾレス諸島でイラク戦争の「旗揚げ式」を敢行しただけに、3・11とイラクを結び付けられると、3日後に迫った総選挙での命取りになりかねないからである。その上に、数ヶ月前からETAによるテロとテロ未遂事件がこれでもかこれでもかとばかりに続いていた(ETAは昔からCIAと密接なつながりを持っており3・11の「狂言回し」としての役割は明白であろう)。国民党はもはやETAテロ説にしがみつく以外に選択の余地が無かったのだ。

 そしてスペイン国民はこの見え透いた嘘に怒りを爆発させ、3月14日の総選挙で、「イラク撤退」を公約にするサパテロ政権を誕生させた。つまりこういうことである。スペイン国民の、特に「左翼」の「進歩的」な多くの人々は、《自らの意思と判断で!》テロとイラクを結び付け、『3・11=イスラム・テロ』と断定し、反戦意識の高い人ほど進んで『反テロ世界戦争』に組み込まれていったのである。

 《自らの意思と判断で》!  そして同じことが繰り返された。7・7事件後、ブレアは明らかに故意に!7・7とイスラムを結び付ける発言を控えたのである。外相のストロウはイラクからの撤退計画を否定し、ブレアはイラク戦争の内幕を描いた前国連大使の回想録の発刊を差し止める措置を取ることすらした。このような英国首脳の言動を報道する英国各紙は「政府はイラク戦争への批判を避けている」という論調を煽り、野党自由民主党も「イラク隠し」への批判を強めていったのである。

 そしてそのうえで、7月18日にガーディアンによる世論調査が行われ、『英国国民の3分の2がイラク戦争を7・7の原因と考えている』ことが大々的に報道された。(スペインでは選挙、英国では世論調査!)

 駄目押しとして、6月半ば以前にすでに英国諜報機関の合同テロ対策チームが『イラク戦争がテロの主要な動機として作用し続けている』とブレアに忠告していた、という内容の「機密文書」が19日のニューヨークタイムズ紙ですっぱ抜かれた。

 これは言うまでも無く英国政府とガーディアン、ニューヨークタイムズが息を合わせて演じて見せた茶番劇なのだが、英国国民は《自らの意思と判断で!》、自国政府への不信と怒りに燃えて、「7・7はイラク戦争に反発したイスラム・テロである」と固く信じ込むに至ったということになる。
 またしても《自らの意思と判断で!》!
 こういった心理作戦のシナリオ・ライターは複数の諜報機関の合同チームだろうが、ものの見事に世界をペテンにかけたわけである。見事な演出! まさに完全犯罪だ! 
 英国首脳がこの「機密漏洩」に対して涼しい顔をし続けたことは言うまでも無い。そしてマスコミは『対テロ世界戦争』の実戦部隊として行動したというわけである。
 これらの事件の真犯人たちはどこかの豪邸で腹を抱えて笑ったことだろう。彼らにとっては、スペインに何党の政府ができようが、どうせ大した役には立たないスペイン軍がイラクから引き上げようが、何の問題でもなかった。西側世界の国民の心に「テロ=アルカイダ=イスラム」神話が定着することこそ、彼らの最大の願望だったのだ。
 
 そしてそれ以後も世界中で「イスラム・テロ」が起こり続ける。「テロ」があれば必ず、間違いなく「アルカイダ」、「イスラム」が添えらる。繰り返し、繰り返し、まるでパブロフの犬を条件反射付けするように。そしてそのたびに、死と、苦しみと、悲しみと、怒りと、恨みと、憎しみが、計ったように作られていく。そしてそれがイスラム教徒たちへの虐殺と虐待に対する無感覚と無関心を、人々の間に広げさせ深めさせようとしているかのようである。

 2004年4月に3・11事件に関する『オサマ・ビン・ラディンの声明』なるものが発表された際にエル・パイス紙記事に載ったフランスのネオコン哲
学者アンドレー・グルックスマンの発言を再掲しよう。
グルックスマンはハンチントンの文明の衝突の論理を示し「文明(民主主義的西欧)に対抗するニヒリズム(テロリズム)」というパラダイムを作っている。
 「ヨーロッパに集中するはずのものは反米主義ではなくテロリズムだ。これがアトーチャの教訓である。」

 私はグルックスマンの言う「文明(民主主義的西欧)」の本当の姿を見つめ続けてきた。
 ヘドが出るほどに!

最重要な物証は最初から意図的に破壊された。
そして、犯人を写す監視カメラの映像は1枚も発表されなかった。

筋書きに都合の悪い物証の分析や重要証言は意図的に無視された。

筋書きに都合の良い「逮捕者の供述」だけが何の裏づけも無しに発表され、それが真実とされた。
全く筋の通らない「物証発見」を元にして何の裏付けも無く人々が逮捕された。
不都合な証言が登場したり新しい筋道の展開が必要になるときに、新しい「物証」が「たまたま偶然に」発見された。その近辺にいる人物が「たまたま偶然に」何の理由も無く自殺した。
どこか知らないところから湧き出る何の根拠も無い情報が、新聞やテレビで好き放題に垂れ流された。

その中で数多くのイスラム教徒たちが身に覚えの無い「テロ容疑」で逮捕されていった。

そして、政治関係者や「言論人」たちの薄汚い思惑とバラし合いと隠し合いが、現在までも延々と続く。


 このネオコン哲学者グルックスマンのパラダイムは単なる詐欺のレトリックに過ぎない! 
 はっきり言おう。

このような「文明(=「民主主義的」西欧)」こそが

 まぎれもないニヒリズム(テロリズム)、虚構の文明
なのだ!


 それに疑いをはさめば「進歩的な人々」から「陰謀論者」と罵られるにもかかわらず、スペイン国民の3分の2が事件への公式な説明に納得していない。いつになればこの霧が晴れるのか? 

 いつになればあの犠牲者達が本当に浮かばれるときが来るのか?

(了)


まやかしの「イスラム・テロ」  マドリッド3・11

このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる




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