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英国でブレア糾弾:イラク開戦の大嘘がいま再び…

よみがえる「ダウニングストリート・メモ」の価値


 2016年7月になって、EUからの離脱に関する国民投票で離脱派が勝利したばかりのイギリスを、また一つの激震が襲っている。イラク戦争についての独立調査委員会(委員長はジョン・チルコット卿)が、2003年に始まったイラク戦争への参加を決定した当時の首相トニー・ブレアを厳しく批判する結論を出したからだ。

 イギリスの報道を、見出しだけだが、掲げておこう。7月6日付BBCニュース‟
Chilcot report: Tony Blair's Iraq War case not justified (「チルコット・レポート:トニー・ブレアのイラク戦争の件は正当化できない」)”、翌7日付BBCニュース‟ Chilcot report: US 'pushed UK into Iraq War too early', says ex-ambassador ”(「チルコット・レポート:米国はあまりにも早く英国をイラク戦争に押しやったと、元国連大使は語る」:注記:この「元国連大使」はSir Jeremy Greenstock)。また7月6日付ガーディアンは‟ Chilcot report: key points from the Iraq inquiry ”(「チルコット・レポート:イラク調査委員会報告のキーポイント」)という記事を掲げている。

 これは日本でもすぐに報道されたようだ。たとえば、「
英独立調査委 イラク戦争でのブレア政権判断を批判(7月7日付NHKニュース)」、「「ブレア氏に法の裁きを」 英軍兵士の遺族ら告発へ 英独立調査委報告(7月7日付毎日新聞)」、「誤ったインテリジェンスで参戦」ブレア政権の判断を正当化できず イラク参戦の経緯を検証(7月6日付産経新聞)」。産経新聞の「インテリジェンス」には思わず吹き出した。「(諜報部からの)情報」を一般の日本人に分かりにくいカタカナ語で書いたのだが、「誤った知性」つまり頭がおかしくなったと受け取れないこともあるまい。案外とこちらの方が正しいのかもしれないが。

 一方、我がスペイン国では、当時の首相ホセ・マリア・アスナール が国民の70%以上の猛反対を押し切って開戦に突っ走っただけに、やはり関心は高い。ブッシュ、ブレア、アスナール「BBA三馬鹿大将そろい踏み」のイラク戦争旗揚げ式が、ビルダーバーグ会議の常連でこのたび晴れてゴールドマンサックス銀行の重役になったドゥラン・バローゾの仲立ちで、ポルトガル領アゾレス諸島で華々しく行われた。そして戦場で複数のスペイン人ジャーナリストや諜報部員が殺害された。スペイン国民は苦々しく2003年のことを思い出す。

 見出しだけだが、7月6日から8日にかけての代表的な新聞によるいくつかの報道を見よう。さすがに開戦当事国の一つだけあって、上っ面を撫でたような日本の報道とは少々違って、なかなか手厳しい。
Blair arrastró al Reino Unido a la guerra de Irak "injustificadamente"
    (ブレアーは英国を長いイラク戦争に‟不当にも”引きずり込んだ:6日、エル・ペリオディコ紙)
Una carta revela el apoyo incondicional de Blair a Bush ocho meses antes de la invasión de Irak
    (イラク侵略の8か月前の手紙が、ブッシュに対するブレアの無条件の支援を明らかに:6日、エル・ペリオディコ紙)
Blair prometió apoyo incondicional a Bush para invadir Irak
    (ブレアはブッシュに、イラク侵略のための無条件の支持を与えた:6日、プブリコ紙)‟
Aznar y Blair pactaron una estrategia para mostrar que intentaban evitar la guerra
    (アスナールとブレアは、戦争を防ごうとしたように見せるための戦略協定を結んだ:6日、エル・パイス紙)、
Tony Blair acepta que la "inteligencia" sobre Iraq era "errónea" y pide disculpas
    (トニー・ブレアはイラクに関する「情報」が「誤っていた」ことを認め謝罪:6日、ラ・バンガルディア紙)
La guerra de Iraq lanzada por Bush y Blair, la antesala del actual estado de terror
    (イラク戦争はブッシュとブレアによって、実際の脅威の状況以前に開始された:6日、ラ・バンガルディア紙)
Aznar "presionó a EEUU" para que no retrasara la invasión de Irak
    (アスナールは、イラク侵略を遅らさないように「米国に圧力をかけた」:6日、エル・ムンド紙)
Federico Trillo niega que España participara en la guerra de Irak
    (フェデリコ・トゥリージョはスペインがイラク戦争に参加したことを否定:7日、エル・ディアリオ紙)  ※注
(※注:トゥリージョはイラク戦争当時の防衛大臣。確かに実際にスペインが軍隊を派遣したのは米英軍によってイラクの大部分が制圧された後だった。しかし開戦決定に参加したことは戦争責任の一端を負っていると言えるだろう。)
Por qué en España los políticos evitan responsabilidades
    (なぜスペインでは政治家が責任を避けるのか:8日、エル・パイス紙)

 ただ、この「チルコット・レポート」自体は、物事の真相を追求するという点では、せいぜい「911委員会報告(参照『
崩壊する《唯-筋書き主義》:911委員会報告書の虚構』)」程度のレベルに過ぎまい。斜め読みをした程度だが、「情報の誤り」と、精々「判断の誤り」を表に飾って世論を納得させるために、決定的な中身を慎重に避けながら練り上げられたようだ。

 これについて、スペインの報道の中で注目されるのは「イラク侵略の8か月前の手紙」に触れるエル・ペリオディコ紙である。これは7月6日付のBBCニュース‟Key lines from the Blair-Bush memos ”にある、ブレアがブッシュに対して「何があろうとも、私はあなたと共にいる」と述べた2002年7月28日付のメモを指している。6日付のプブリコ紙も同様にこれに触れており、さらに2002年4月にテキサス州クローフォードのブッシュの牧場を訪れたブレアがブッシュに「血の盟友」として政権転覆工作への全面的な加担を約束した事実を語っている。

 この特別委員会では、すでに2009年にブレアー政権の顧問を務めたデイヴィッド・マニング卿がブレアは2002年に米国による政権転覆を支持する用意があったことを証言している。‟Blair 'ready to back regime change in 2002' - adviser(2009年11月30日付、BBCニュース)”にはこのマニングの証言の他に、元駐米大使クリストファー・メイヤー卿がこの委員会で、2002年4月のブッシュとの会見でブレアが政権転覆についての見通しを固めたと思うと証言したことが書かれている。つまり、現在に至るまで延々と続くアメリカ帝国の、中央アジア〜旧ソ連圏〜中東〜北アフリカでの(南米を加えるべきかもしれないが)政権転覆・地域流動化の戦略に、イラク戦争開戦の以前にイギリスがしっかりと組み込まれたこと、ブレアがその中心にいたことを示しているだろう。

 ここで、2002年7月にダウニングストリート(英国首相官邸)で行われた秘密会議のメモ、「ダウニングストリート・メモ」を思い出す人がいるかもしれない。このメモは、イギリスの代表的日刊紙の一つタイムズ紙が公表し、ダウニングストリート自身が「本物である」と認めたにもかかわらず、「チルコット・レポート」はそれについて触れていない。(こちらにはイラク開戦にまつわる他の様々な資料が紹介されている。)

 いずれにせよここで、この「独立調査委員会」の報告書がともかくも公表されたことを記念して、私のサイトにある古い二つの資料の中から、「ダウニングストリート・メモ」に関する部分を再掲することにしよう。
 最初は『
アフガン・イラク戦争開戦の大嘘と911事件』からブレア政権によるイラク参戦決定の真相が書かれている箇所。
次に『
「ダウニング・ストリート秘密メモ」の巧妙な心理作戦 』から「ダウニングストリート・メモ」本文の全訳である。

2016年7月9日 バルセロナにて 童子丸開

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(引用開始)


●明らかにされた英国イラク参戦のとんでもない事実

 「いやしくも国民によって選ばれた国家指導者が、自国民に対して意図的に嘘をつき、だまして殺すようなことはありえない」というのが、現代の民主主義の世界では「常識」なのかもしれません。きっと日本人の多くがそのように信じているのでしょう。

 2003年3月に始まったイラク戦争について、大雑把に言えばきっと次のような理解が「常識」的な受け取り方と思われます。

《アメリカ政府は以前から大量破壊兵器の保有を理由にイラク攻撃を主張していた。当初は慎重姿勢を見せていたイギリスは、イラクが国連の査察を拒否したことや大量破壊兵器の疑惑が深まったことを理由に、最終的に参戦を決定し、両国が主体となって攻撃を開始した。しかし後にその大量破壊兵器の情報は誤りであったことが明らかにされた。》

 はたしてそれは事実なのでしょうか。イギリスのブレアー政権が参戦を決意し準備を始めたのは2003年になってから、とされているのですが……。

 2005年5月1日、イギリス紙タイムズ(日曜版)は、一つの驚くべき記事を掲載しました。それは、2002年年7月23日、イラク開戦の8ヶ月も以前に、ロンドンのダウニング・ストリートにある英国首相官邸で行われたある秘密会議の様子を記録したメモの全文でした。そこには、首相トニー・ブレアー以下イギリス政府首脳が、アメリカの戦争計画を受け入れて、すでにその時点でイギリスのイラク参戦を決定していたという、とんでもない事実が書かれていました。

 そしてブレアー首相は、その秘密会議以後の8ヶ月間、素知らぬ顔をしてイラク攻撃計画に反対するそぶりを見せながら、国民の反戦感情をかわし続けました。イギリス政府は意図的に自国民と世界を欺き、侵略戦争へと引きずっていったのです。戦争は、国民の資産を大量に消費して敵国民と同時に自国民をも死地に追いやる政治行為です。つまり彼らは、意図的に国民をだまして資産を奪い殺害したことになります。
 「敵を欺くには味方から」と言う人もいるでしょう。しかし、アメリカやイギリスにとって、サダムフセインのイラクが「騙して攻めなければ勝てない」ほどの相手だったのでしょうか。フセインもイラク国民も、両国の攻撃意図は分かっていたのです。このイギリス政府の嘘は、もっぱら「味方」をだましたのみでした。違うでしょうか。

 このタイムズ紙の暴露は秘密会議出席者の一人である外交政策顧問デイヴィッド・マニング卿筋を通して行われたようですが、入手の過程につい同紙は何も語っていません。しかし同日のタイムズ紙によると、首相官邸はこのメモが「本物である」と認めたうえで「ここには何一つ目新しいものは含まれていない」と語りました。つまりイギリス政府はこのメモの内容を確認しており、それが事実であると認めたわけです。

 この「ダウニングストリート・メモ」の全文訳(仮訳)は
こちらのサイトで【引用注記:下の方にその全訳が再掲されている】ご覧いただくとして、この場では重要な箇所だけを引用してご紹介し、説明を施しておきます。まずその出席者から見てみましょう。
 トニー・ブレアー(首相)、ジェフリー・フーン(国防大臣)、ジャック・ストロウ(外務大臣)、ピーター・ゴールドスムス(法務大臣)、リチャード・ウイルソン(内閣官房長官)、フランシス・リチャーヅ(通信本部長官)、ジョン・スカーレット(統合情報委員会議長)、リチャード・ディァラヴ(MI6長官)、マイケル・ボイス(統合参謀本部議長:メモの中では「CDS」となっている)、ジョナサン・パウエル(主席補佐官)、アラステアー・キャンベル(報道政策補佐官)、サリー・モーガン(政治戦略補佐官)、マシュー・ライクロフト(外交政策補佐官)、デイヴィッド・マニング(外交政策顧問)。

 メモの作成者は特に書かれていませんが、発信者はライクロフトです。受取人はデイヴィッド・マニング卿であり他のメンバーにもコピーが送られました。ただしこの宛先の中になぜかブレアーの名は入っていません。

 私の仮訳に過ぎないものですが、この中から重要なポイントをいくつか具体的に取り上げてみることにしましょう。訳文中の「C」はディァラヴMI6長官です。
 Cが最近ワシントンで行われた会談について報告した。明らかに米国政府の態度の変化があった。武力行使はもはや不可避だと見なされている。ブッシュは軍事攻撃によってサダムを排除したがっており、それはテロリズムと大量破壊兵器を結びつけることによって正当化される。しかし、情報と事実はその政策に合致するように調整されつつある。NSC(アメリカ国家安全保障会議)は国連を通しての解決には我慢しないし、イラク政権の記録に関する資料を公開する気は無い。ワシントンでは、軍事攻撃終了後に残る影響についての議論はほとんどなされていない。

 MI6長官が語るには「武力行使はもはや不可避」つまり開戦はすでに決定事項となったということです。その理由は「ブッシュは軍事攻撃によってサダムを排除したがっており」と語られるのみで、他にはありません。また、それは「テロリズムと大量破壊兵器を結びつけることによって正当化され」ます。要するに「後出し」の正当化です。もちろん「テロリズム」は911事件を含む「アルカイダのテロ」以外にはありえません。つまり「大量破壊兵器を保持するフセイン政権が911事件などのイスラムテロの黒幕であるということなら、正当化が可能である」という意味ですね。後でも申しますが、実際に、イラク戦争と911事件が事実上結び付けられた形でイラクでの戦闘が開始され、延々と続けられました

 「情報と事実はその政策に合致するように調整されつつある」とは、最初に戦争政策の決定があり、「情報と事実」はそれに「合致するように調整」、つまりねじ曲げられつつあるということに他なりません。

 さらに「国連を通しての解決」を拒否したうえで「イラク政権の記録に関する資料」を隠す、というアメリカ政府の姿勢が披露されます。彼らは最初からそのつもりだったのです。そのうえで米国は、「軍事攻撃終了後に残る影響」をほぼ何も考えていない、つまりイラクを潰すことしか考えていないことが明らかにされます。しかしイギリスの首脳部もまた、それを何の問題にもしていません。続けましょう。
 外務長官が次のように言った。自分は今週これについてコリン・パウエルと協議する予定である。開戦の時期は決まっていないにせよ、ブッシュがすでに武力行使を決断したことは間違いないと思われる。しかし攻撃を正当化する根拠は薄い。サダムは近隣諸国の脅威にはなっておらず、大量破壊兵器開発の能力はリビア・北朝鮮・イランよりも劣る。我々はサダムに、国連の武器査察団を再び受け入れよとの最後通告を突きつける計画を練るべきだ。これが軍事力使用に対する法的な正当性を得る助けともなるだろう。

 ストロウ外相の発言(コリン・パウエルは当時の米国国務長官)です。「攻撃を正当化する根拠は薄い」そして「サダムは近隣諸国の脅威にはなっておらず、大量破壊兵器開発の能力はリビア・北朝鮮・イランよりも劣る」。極めて重大な発言です。MI6長官を含め、他の政府高官たちも、このストロウの発言に異議を唱えません。

 アメリカが握っていた「大量破壊兵器」の情報を知らなかっただけでしょうか。それはありえません。MI6はそこまで無能じゃないですよ。彼らは最初から、イラク開戦の理由とされた「大量破壊兵器」なんか、どこにも存在しないことを知っていたのです。何もかもが意図して作られた嘘とこじつけでした。

 2004年に入って、元イラク大量破壊兵器捜索責任者デビッド・ケイ氏がイラクに「大量破壊兵器」が存在しなかったことを明らかにしましたが、ケイ氏はそれを諜報の「誤り」と説明しました。以後、アメリカ政府はこの問題の責任をすべてCIAに押し付けています。しかし、現在の我々がこのケイ氏の認識にとどまるなら、それこそが致命的な誤りでしょう


●自国民と世界をだまし通したアメリカとイギリスの指導者
  

 いま外相のストロウは「国連の武器査察団を再び受け入れよとの最後通告を突きつける計画を練る」ことが「法的な正当性を得る助け」になると発言しました。それに答えるゴールドスムス法相の言葉です。
 法務大臣が次のように言った。政権交代が望まれるとしてもそれは軍事行動にとって法的な根拠とはならない。考えられる法的根拠は三つある。正当防衛、人道を守るための介入、UNSC(国連安全保障理事会)が認めた攻撃。第一と第二のものはこのケースの根拠にならない。3年前の安保理決議1205に基づく攻撃も難しいだろう。この状況は変わるかもしれないのだが。

 法相は、イラクに対する軍事行動に何一つ明確な法的根拠の無いことを認めています。そして先ほどのストロウの「計画」が状況を変えるかもしれないことを示唆します。彼らは、誇り高いサダム・フセインが、度重なる国連の武器調査団という屈辱を、結局は受け入れなくなると確信していたのでしょう。実際にイギリス政府はこの手を使ってイラクを破滅へと追い詰めていきます。

 次はブレアー首相の番ですが、これは決定的な発言です。彼はストロウ外相の「計画」を具体的に説明しています。
 首相が次のように言った。サダムが武器査察官の受け入れを拒絶すれば、政治的そして法律的に、大きな違いが生まれるだろう。大量破壊兵器を作っているのがサダム政権であるという感覚で政権転覆と大量破壊兵器が結びつけられるのだ。リビアやイランに対処するのには違う戦略がある。政治的なコンテキストが正しいのであれば、国民はイラクの政権転覆を支持するだろう。

 何と「大量破壊兵器を作っているのがサダム政権であるという感覚で政権転覆と大量破壊兵器が結びつけられる」のだそうです。これは明らかに、プロパガンダによって人々に「大量破壊兵器を作っているのがサダム政権である」と信じ込ませる策略を示唆しているでしょう。それが「政権転覆と大量破壊兵器」を「結びつけ」ます。これが「政治的なコンテキストが正しいのであれば、国民はイラクの政権転覆を支持するだろう」という意味です。アメリカ政府もイギリス政府も、最初からその意図を隠して情報操作によって自国民と世界をだます画策をしていたのです。

 そのうえでブレアーは次のように述べます。
 重大な問題が二つある。まずこの軍事作戦がうまくいくのかどうか、次に、軍事作戦をうまく機能させるための政治戦略を我々が持っているかどうかだ。

 つまり「勝てる戦争ならやろう」ということですね。彼の判断基準はそこだけです。そしてこのダウニングストリート・メモは次のように結論を下します。
 我々は、英国がいかなる軍事行動にも参加することを前提として活動しなければならない。

 これが、アメリカとイギリスがいまだもって「イラクを独裁者から救った正義の戦争」と叫び続けていることの実体なのです。お分かりでしょうか?


●ものの見事にたぶらかされた世界

 まとめてみましょう。まずアメリカ政府によるイラク戦争の意志があり、それが正式な政治日程の上に載せられました。その理由は何一つ語られず、イギリス政府もまたそれを全く問題にしていません。戦争という一つの国家にとってきわめて重大な政治行動を決定するに際して、これは異常としか言いようがないでしょう。そしてこのことは、両国首脳にとってフセイン政権を潰す本当の理由など「言わずもがな」の了解事項だった、ということを意味します。そしてイギリス政府は「うまくいく」と算段をつけたうえで参戦を決定しました。2002年7月23日のことです。

 ここで我国の朝日新聞の、同年8月31日付の報道を見ましょう。
 ブレア英政権がイラクへの対応をめぐり、ブッシュ米政権と距離を置き始めた。大量破壊兵器に関する査察をイラクのフセイン政権が受け入れるなら、軍事行動をとらなくても問題は解決できる、との柔軟な姿勢を示唆し……。

 その時点でイギリスの世論調査ではイラクへの軍事行動に反対が50%、支持が33%でした。イギリス国民と世界は完全にたぶらかされました。こうして2003年3月16日、ポルトガル領アゾレス群島で、アメリカのブッシュ、イギリスのブレアー、スペインのアスナールという三国首脳による、このでたらめな戦争の旗揚げ式が挙行される運びとなりました。これが事実です。一説に百万人を超えると言われる死者を出し、その何倍もの負傷者と無数の生活を破壊された人々を作り出している悲惨な戦争、右のグラフに見る通り日本人から天文学的な財産を奪い取ったこの殺人と破壊は、こうやって、隠ぺいとねつ造と大嘘によって始められたのです。

(引用ここまで)
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引用開始:ダウニングストリート・メモの全訳)

 2005年5月1日の英国サンデー・タイムズは、イラク戦争が開始される8ヶ月前の2002年7月23日にダウニング・ストリートにある英国首相官邸で行われたある「秘密会議」の記録メモの全文、およびその解説記事を掲載した。
The Sunday Times – Britain:May 01, 2005
(※ 残念なことにこのサンデー・タイムズ紙の記事は現在は見ることができない。しかしこのメモの全文は多くのウエッブサイトでコピーされ残されている。たとえば
こちらで読むことができる。)

 この会議の出席者は次の通りである。

 トニー・ブレアー(英国首相)、ジェフリー・フーン(国防長官)、ジャック・ストロウ(外務長官)、ピーター・ゴールドスムス(法務長官)、リチャード・ウイルソン(内閣官房長官)、フランシス・リチャーヅ(通信本部長官)、ジョン・スカーレット(統合情報委員会議長)、リチャード・ディァラヴ(MI6長官:メモの中では「C」となっている)、マイケル・ボイス(統合参謀本部議長:メモの中では「CDS」となっている)、ジョナサン・パウエル(主席補佐官)、アラステアー・キャンベル(報道政策補佐官)、サリー・モーガン(政治戦略補佐官)、マシュー・ライクロフト(外交政策補佐官)、デイヴィッド・マニング(外交政策顧問)。

 「メモ」の作成者は特に書かれていないが、マシュー・ライクロフトによって発信された。受取人はデイヴィッド・マニングであり他のメンバーにもコピーが送られた。ただしこの宛先の中にブレアーの名は無い。

まずその内容に目を通していただこう。翻訳においては、このメモのオリジナルな形をできるかぎり生かし、不必要な意訳は避けた。

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極秘であり厳重に親展とせよ―英国人の目のみ
デイヴィッド・マニング
発信:マシュー・ライクロフト日付:2002年7月23日
S 195/02

コピー送信:国防長官、外務長官、法務長官、リチャード・ウイルソン卿、ジョン・スカーレット、フランシス・リチャーヅ、CDS、C、ジョナサン・パウエル、サリー・モーガン、アラステアー・キャンベル

イラク:7月23日、首相による会議

 コピーの送信者とあなた方は7月23日にイラクについて討論するために首相と会った。

 この記録は高度な機密情報である。コピーは厳禁。この内容を知る必要がある人物にのみこれを閲覧することが許される。

 ジョン・スカーレットが、イラクに関する情報とJICによる最新の分析を次のように要約した。サダム政権は残虐であり極度の恐怖によって支配している。政権を倒す唯一の方法は大規模な軍事攻撃を行うことであるように思える。サダムは空と陸からの攻撃を予測し恐れてはいるが、それが間近で全面的なものであろうとは考えていない。彼の政府は近隣諸国が一斉にアメリカに味方すると予測する。サダムは一般兵士の志気が低いことを知っている。一般国民からのサダムに対する支持はおそらく限られたものであろう。

 Cが最近ワシントンで行われた会談について報告した。【訳注:テネットCIA長官との会談と思われる】明らかに米国政府の態度の変化があった。武力行使はもはや不可避だと見なされている。ブッシュは軍事攻撃によってサダムを排除したがっており、それはテロリズムと大量破壊兵器を結びつけることによって正当化される。しかし、情報と事実はその政策に合致するように調整されつつある。NSC(アメリカ国家安全保障会議)は国連を通しての解決には我慢しないし、イラク政権の記録に関する資料を公開する気は無い。ワシントンでは、軍事攻撃終了後に残る影響についての議論はほとんどなされていない。

 CDSが次のように言った。米国作戦担当者が、8月1日と2日にCENTCOM(米中央軍司令部)に対して、8月3日にラムズフェルドに、4日にはブッシュに、その要点を報告することになるだろう。

米国のとるべき選択は大まかに言えば二つ。それは:
(a)準備を整えた上の開戦。兵士25万をゆっくりと配備、短期(72時間)の空爆。その後南方からバグダッドへ侵攻。戦闘開始までに必要な期間は90日(準備に30日、およびクウェートへの配備に60日)。
(b)急激な開戦。すでに中東にいる米軍兵力(3×6000)、連続する空爆、これはイラクの挑発軍事行動によって開始される。戦闘開始までに必要な期間は60日で空爆は早めに開始。危険を伴う選択。

 米国は英国(およびクゥエート)が必要不可欠であると見ている。どちらの選択にとってもディエゴ・ガルシアとキプロスの英軍基地を使う。トルコと他の湾岸諸国も重要だが、意味はより小さい。英国参戦に対して三つの選択肢がある。それは:
(1)ディエゴ・ガルシアとキプロスの基地に加えて、特殊部隊による三つの飛行中隊を提供。
(2)上に、海軍と空軍を加える。
(3)その上に、陸軍4万の兵を加える。おそらく米軍とは別個に、北部にトルコから入りイラク軍の2個師団を押さえつける。

 国防長官が次のように言った。米国はすでにサダム政権に圧力をかけるための「活発な活動」を開始している。決定はまだなされていないが、彼の考えでは、米国議会選挙の30日前をめどに来年1月に武力行使を開始する、というのが米国の意図である可能性が最も高い。

 外務長官が次のように言った。自分は今週これについてコリン・パウエルと協議する予定である。開戦の時期は決まっていないにせよ、ブッシュがすでに武力行使を決断したことは間違いないと思われる。しかし攻撃を正当化する根拠は薄い。サダムは近隣諸国の脅威にはなっておらず、大量破壊兵器開発の能力はリビア・北朝鮮・イランよりも劣る。我々はサダムに、国連の武器査察団を再び受け入れよとの最後通告を突きつける計画を練るべきだ。これが軍事力使用に対する法的な正当性を得る助けともなるだろう。

 法務長官が次のように言った。政権交代が望まれるとしてもそれは軍事行動にとって法的な根拠とはならない。考えられる法的根拠は三つある。正当防衛、人道を守るための介入、UNSC(国連安全保障理事会)が認めた攻撃。第一と第二のものはこのケースの根拠にならない。3年前の安保理決議1205に基づく攻撃も難しいだろう。この状況は変わるかもしれないのだが。

 首相が次のように言った。サダムが武器査察官の受け入れを拒絶すれば、政治的そして法律的に、大きな違いが生まれるだろう。大量破壊兵器を作っているのがサダム政権であるという感覚で政権転覆と大量破壊兵器が結びつけられるのだ。リビアやイランに対処するのには違う戦略がある。政治的なコンテキストが正しいのであれば、国民はイラクの政権転覆を支持するだろう。重大な問題が二つある。まずこの軍事作戦がうまくいくのかどうか、次に、軍事作戦をうまく機能させるための政治戦略を我々が持っているかどうか、だ。

 CDSが第1の問題について言った。アメリカの作戦計画がうまくいくかどうかはまだ分からない。軍としては現在、数多くの問題点を検討している最中である。

 国防長官が付け加えた。例えば、もしサダムが開戦初日に大量破壊兵器を使用したらその結果はどうなるのか、あるいは、もしバグダッドが陥落せず市街戦が始まったらどうなるのか。サダムは大量破壊兵器をクゥエートに、あるいはイスラエルに対して使うかもしれない、とあなた方は話している

 外務長官が次のように言った。米国は、成功する戦術であるとの確信がない限り、軍事作戦を遂行しないだろう。この点に関しては米国と英国の利害は一致する。しかし政治戦略に関しては米英に違いが出るかもしれない。米国は抵抗するかもしれないが、我々はサダムに最後通告を出すことを慎重に模索すべきだ。サダムは国連に対して強硬な対応を貫くだろうから。

 ジョン・スカーレットは、サダムは攻撃を受ける恐れが高いと確信した時にのみ武器査察団を再び受け入れるだろう、との判断を示した。

 国防長官は次のように言った。もし首相が英国の参戦を望むのなら早く決断を下す必要がある。また彼は次のように注意を促した。米国政府内の多くは最後通告の手間をかけることに値打ちは無いと考えている。首相がブッシュに対して政治的なコンテキストをきちんと説明することが重要だ。

結論

(a)我々は、英国がいかなる軍事行動にも参加することを前提として活動しなければならない。しかし、断固とした決断を下す前に、我々には米国による作戦計画のより完全な具体像が必要である。CDSは、とるべき選択の幅について我々が検討していることを米軍に伝えなければならない。

(b)首相は、この作戦の準備に必要な経費が確保できるかどうかという問題について、もう一度考えることになるだろう。

(c)CDSは今週の終りまでに、米軍が提案した軍事作戦および予想される英国の貢献に関する詳細かつ十分な報告を、首相に送る予定である。

(d)外務長官は、国連の武器査察官たちが行った今までの経過について首相に報告書を送り、サダムに対する最後通告を国連に慎重に働きかける。
また同時に、中東地域の諸国、とりわけトルコや、EU主要国の立場についての助言を首相に送るであろう。

(e)ジョン・スカーレットは最新の十分な情報分析を首相に送るだろう。

(f)我々は法律的な諸点を忘れてはならない。法務長官は、FCO(外務省)およびMOD(国防省)の法律顧問と共に、法律に関するアドバイスを十分に検討することになるだろう。

(引き続いて行われるべき作業を委託するために私はすでに別個に書き送っている。)

マシュー・ライクロフト

【翻訳終り】
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(引用ここまで)
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