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カタルーニャ名物、ウンコタレ人形
※ これは2003年12月10日に阿修羅サイトに投稿した文章に加筆・訂正を施したものである。
http://www.asyura.com/0311/war44/msg/440.html

 もうじきクリスマスで、バルセロナのカテドラル(カトリック大聖堂)付近ではさまざまな出店でにぎわっています。そこで売っているものの中にちょっと面白いものがあります。陶器製の、伝統的には農夫のなりをした男がズボンをめくってしゃがみこんでいて、そのむきだしの尻の下には、金茶色に光る巨大なウンコがとぐろを巻いているのです。この人形をカタルーニャ語で「カガネー」つまりウンコタレ人形といいます。中には女性の姿も、政治家やスポーツマン、芸能界など各界の有名人を模したものもあり、大きく開けた目を空中に向けて必死に腹の中にたまったものを出し尽くそうとしている表情で、思わず吹き出してしまいます。

 クリスマスの時期に神聖なるカテドラルの前で何たる下品な!、と思って地元の人に聞くと、「これこそ、大地の恵みと来年の豊作を保証してくれるカタルーニャの『聖なるウンコ』である」と神妙な顔で教えてくれました。

 つまりこういうことです。化学肥料の無かった昔は、洋の東西を問わず、人間の排泄物は土壌の栄養分の供給源として使用されていました。そもそもクリスマスの起源は、ヨーロッパ各地にあった冬至のお祭りで、最も乏しくなった太陽の光が再び成長を開始する時期を祝ったのですが、これがやがてキリストの誕生祝いに変わったわけです。その時期に、太陽の光だけでなく大地の豊かさも増すように願うことは、実に自然なことでしょう。

 人間が土から取れたものを消化してまた土に返す、これは自然界の物質循環の中ではごく当たり前のことでしょう。自分の出したものを水に流してそれがどこに行くのかすら意識に上らない現代の生活の中で、土から生まれたものは土に返す、こんな世界中の人間が太古から持っていた感性を、カタルーニャ人たちは実におおらかに、そして実に下品に「カガネー」にたくして表現しています。

 私も、子供のころ、便所の下の甕からウンチやオシッコを、今は亡きオヤジが大きなひしゃくでドボドボと肥え桶(私の地方ではコエタゴと呼びます)に入れて、竿の両側にかけて畑まで運んでまいていたのを思い出します。もちろんあたり一面すばらしい臭いが立ち込めるのですが、しばらくすると鼻も慣れてきて、別に飯を食うのに困ることはありませんでした。その畑から採れた豆やキュウリやキャベツを食って育ってきたわけで、カタルーニャ人が「聖なるウンコ」をたたえる気持ちは非常によく分かります。

 ついでに、ですが、昔はトイレットペーパーなどというものは無く、新聞紙を切ってお尻を拭いていました。ですから畑にまいたウンコにはコゲ茶色に染まった新聞紙の切れっ端が混じっており、それが育ちかけの豆の茎や野菜の葉っぱに絡みついてそのまま垂れ下がっていました。それが2週間たち3週間たちすると、太陽の光と雨風によって白くさらされてきて、書いてある文字までよく見えるようになるのです。「お天道様が清めてくれる」とはこのようなことか、と子供心ながら納得したことが思い出されます。

 まことに汚い話で、ご飯を食べている人には申し訳ないことをしました。すいません。


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