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1)アメリカはなぜ降伏に関する日本の唯一の要求(天皇の地位保全)の受け入れを拒否したのか。第2次世界大戦のすぐ後で、軍事アナリストのハンソン・ボードウィンは次のように書いた。
そして
2)太平洋戦争ですでに勝利が確実だったときにどうして原子爆弾が使用されたのか。
「軍事的な意味からいえば、(日本の無条件降伏を求めた)ポツダム宣言が1945年6月26日に為された時点までに、日本は絶望的な戦略的状態に陥っていた。」トルーマン大統領の主席軍事補佐官ウイリアム・リーヒ大佐は、その戦争回顧録「I Was There」で次のように述べた。
「ヒロシマとナガサキにこの残虐な兵器を使用したことは、我々の日本に対する戦争の中で何の実質的な助けにもならなかった、というのが私の意見だ。日本はすでに、効果的な海上封鎖と通常兵器を用いる爆撃の成功によって打ち破られていたのだ。その初めての使用の中で、我々は暗黒時代の野蛮さに共通する精神性を採用してしまっていた、というのが、私自身の感覚である。」
そしてドワイト・D.アイゼンハワー将軍は、原爆投下の2週間前にトルーマン大統領を訪れて、彼に原爆を使用しないように求めた。
「そんな恐ろしいものを使って彼らに打撃を与える必要はなかった…。(交渉の)試みすら行わずに、原爆を使うこと、市民を殺し脅迫することは、二重の犯罪だった。」
原爆を使用するというトルーマン政権の決定に寄与したいくつもの要因がある。
1)アメリカはすでに3つの原爆製造に膨大な時間と頭脳と(1940年代の価値で2百万ドルという巨額の)資金を投資しており、その勢いを止めようとする傾向も意図も無かった。
2)アメリカの軍事的・政治的な指導層は ― 多くの一般の米国人も同様だが ―
パール・ハーバーの復讐を求める強い願望を持っていた。米軍あるいは戦争に厭きた大衆の思考の中には情け容赦など存在せず、ヒロシマとナガサキへの攻撃は何の疑問も無しに受け入れられた。掃き清められた国家安全保障的な観点のみを知る大多数の民衆によってである。【訳注:最後の部分は、検閲されプロパガンダ化された情報のみを聞かされていた民衆、という意味であろう。】
3)ヒロシマの原爆で使われた核分裂物質はウラニウムだった。ナガサキの原爆ではプルトニウムだった。科学的な好奇心はその完成に向けての計画を推し進める重要な要因だった。マンハッタン計画の科学者たち(そして米陸軍でこの計画を指揮したレズリー・グロウヴェス将軍)は「もし一つの都市全体が1個のウラニウム爆弾で破壊されたら何が起こるだろうか」「プルトニウム爆弾ならどうだろうか」ということに好奇心を抱いていた。
この二つの爆弾を使用する決定は1945年8月に十分に先立って行われていた。科学的な実験が先行している以上は、日本の降伏を受け入れることなど選択肢には無かったのだ。もちろんだが、2つの爆弾の間にある3日の間隔は、もしヒロシマの爆弾が即時の降伏を探るものとして計画されていたとすれば不当に短いものだった。日本の情報伝達と運輸の能力は無茶苦茶な状態になっており、日本軍司令部はもちろん米軍ですら、誰一人として、ヒロシマで何が起こっていたのかを十分に理解した者はいなかったのである。(マンハッタン計画は、太平洋戦争の総指揮を執ったダグラス・マッカーサーですらヒロシマの5日前になるまでつんぼ桟敷に置かれていたほどの、最高機密だったのだ。)
4)ロシアは、V-E
Day(5月8日の欧州戦線勝利)の90日後に対日戦争を開始する意図を主張していたのだが、それは8月8日、つまりヒロシマの原爆投下の2日後だった。実際にロシアは8月8日に日本に対して宣戦を布告し、ナガサキに原爆が投下されたときには満州の東部にまで軍を進めていたのだ。アメリカは日本がロシアに対して降伏すること、つまり戦争の分捕り品をロシアと分け合うことを望まなかった。
ロシアはじきにアメリカ以外の唯一の超大国と ― そして未来の敵と ―
なるはずのものであり、核による冷戦の最初の脅迫「メッセージ」がロシアに送られ、実際に予想していたよりもはるかに少ない戦争の分け前しか手に入れなかった。そしてその二つの超大国は即座に終わり様のない冷戦の泥沼にはまった。それは背負いきれない核兵器開発競争と人類絶滅の可能性を導くこととなった。起こったことは、続く軍事的な狂気の2世代に渡って両国で現れた道徳・経済両面での破産だった。
ヒロシマの原爆で、8万人の一般市民と2万人の武器を持たない若い日本人徴集兵が即死したと推定される。それに加えて何万もの人々が、ひどい火傷、放射線障害、白血病、貧血などの治療不可能な病気で、残りの短い生涯の期間、ゆっくりと訪れる死に苦しんだのである。生存者の子孫の世代もまた、恐ろしい放射線障害、癌、そして早すぎる死によって苦しんだ。それはいま現在まで引き続いているのだ。
隠蔽されたもう一つの恥ずべき事実は12人の米海軍パイロットがその運命の日に広島刑務所の中で瞬時に灰にされたことである。米軍司令部は彼らの存在を十分に知っていたのだ。
そしてアメリカ戦争省が公認した太平洋戦争終結の筋書きは新たな神話の一群を含んでいた。それは、アメリカ国民が現在もなお自国の企業や軍や政治やメディアのオピニオン・リーダーたちによって吹き込まれ続ける長々しい神話の一覧表の中に配置された。その過程で戦争の無残さが栄光に書き換えられたのである。検閲を受けて隠されているその他の真実には、北朝鮮、イラン、ベトナム、ラオス、カンボジア、レバノン、グレナダ、パナマ、フィリピン、チリ、エルサルバドル、ニカラグア、グァテマラ、ホンジュラス、ハイチ、コロンビア、クウェート、イラク、アフガニスタン、などなどの国々に対する米軍の侵略と占領の中で実際に起こった事柄が含まれる。この一覧表はペンタゴンとCIAによる数知れない隠密作戦や世界のその他の場所で起きた暗殺策謀を採り上げないのだが、それらの場所では150にのぼる国々が(賄賂によってか経済制裁の脅迫を使ってその認可が贅沢に支払われる)米軍基地を抱えているのだ。【訳注:日本は逆に膨大な額の「思いやり予算」をアメリカに支払って米軍に駐留してもらっているのだが。】
しかしどういうわけか我々の大部分は相変わらず「我が国は正しいか否か」のいかがわしい愛国主義にしがみ続け、ずるがしこく編集された神話を必死になって信じたいと願っている。その神話は、超富豪の戦争受益企業エリート(および彼らに雇われた政治家、軍指導者とメディアの解説者たち)が肉食獣たる資本主義にとっての平和、正義、平等、自由そして「世界の安全」のために作業しているだけだ、と語っているのだ。
米軍がいままで、時として現れる独裁指導者を、死亡する米軍兵士と(肉体的・精神的に)重傷を負う退役軍人という犠牲を払いながらにらみ据えてきたことは事実なのだが、その一方で、戦争に向かう筋の通った理由よりももっと多く語られることは、「無神論の共産主義者」、反アメリカの「暴徒」、そして我々ヤンキーに自分の国に帰れと説教したがる「自由の闘士」などといった類のものである。
1945年の8月6日と9日は「全面戦争」の政治アジェンダの中で進行する洗脳の例を2つだけ付け加えたものだが、その政治アジェンダには「付帯的な損害」や「友軍の砲撃」と婉曲に名付けられる不可避の虐殺が常に伴うものだ。
人道的で平和を作るという我々の知る愛するアメリカを救い蘇らせるにしては、もうすでに手遅れなのかもしれない。アメリカのリベラルな民主主義に対する組織的なハイジャックと効果的に対決するにしては、余りにも遅いのかもしれない。利己的に我々を引きずって破壊の道に陥れる傲慢で貪欲な支配エリートどもをうまく引きずり下ろすにしては、遅すぎるのかもしれない。「親しみ深いアメリカ・ファシズム」と私が呼ぶクーデターの轟音は、もうすでにその目的を達してしまったのかもしれない。
しかし、いくらかの希望は残っているだろう。戦争屋どもが(ペンタゴンや兵器産業や議会内のその飼い犬どもの熱心な支持を受けて)地球のいたるところで挑発する戦争について黙っているのではなく、意識ある人々は歴史の全面的な真実を学び始める必要がある。真実がもはや無視できなくなるときに我々が感じる不快(認知的不協和)があったとしても。
我々は、我々自身の名において組織的に行われてきた数知れないアメリカの戦争犯罪への告白を始める必要がある。そして次に、我々は街頭に出て、アメリカを、ナチスドイツやファシズム日本に起こったことと同じく国境の外で膨大な犠牲者を作りながら結局は没落の方向に向かうという、犯罪的なならず者国家に変えつつある者たちに、おおやけに抵抗し勇気を持ってこの者たちへの協力を拒絶する必要がある。
あまりにも特権を与えられあまりにも消費的で持続不可能なアメリカ人の生き方にとって有益で有利なことだけを行うのではなく、人類全体にとっての変化のために正しいことを行うのが、本物の誇りであり、本物の愛国心であり、そして本当の平和へと向かう根源的な出発なのだ。
【翻訳ここまで】