メニューにもどる  「現代世界:虚実の皮膜」目次に戻る
《お願い》 このページにあるリンク先をそのまま左クリックすると、いまの画面と同じ場所にリンク先のページが現れてくるため、両方を効率よく見比べることができなくなると思います。リンクの部分にカーソルを当て、手のマークが出たら右クリックから「リンクを新しいタブで開く」または「リンクを新しいウインドウで開く」を選択していただいたほうが便利でしょう。ご面倒ですがよろしくお願いします。


復刻版:エリート支配の道具としての「民主主義」

 この拙訳は2007年9月に私(童子丸開)が和訳して、季刊『真相の深層』誌(木村書店、廃刊)に寄稿された後、私の旧HPに掲載していたものである。気付いた限りの誤訳、誤字や脱字などは修正を施し、必要に応じて注釈等を加えている場合がある。またこの文章は長文のため、小見出しごとにリンクを作っている。(外部リンク先にはすでに通じなくなったものが含まれているかもしれない。その点はご容赦願いたい。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(訳者より)

 これは2007年6月にGlobal Researchに掲載された、ステファン・レンドマンによる「少数者のための民主主義(仮訳:マイケル・パレンティ著)」に対する書評である。
Reviewing Michael Parenti's "Democracy For the Few"  by Stephen Lendman

 このマイケル・パレンティは、日本では知る人が少ないかもしれないが、イェール大学出身の政治学者・歴史学者である。米国で数々の大学教授・講師を歴任し、その著作は日本語を含む数多くの言語に翻訳されている。この「少数者のための民主主義(Democracy For the Few)」は彼の代表作の一つである。この作品は米国の国内問題に焦点を絞っているが、国内におけるこの虚構の「民主主義」と国外におけるそれとはぴったりと対応している。パレンティはもちろんその点を十分に理解したうえで国内問題に集中しているのだ。
 たとえばパレンティを際立たせる活動は、彼がNATOによるユーゴスラビア攻撃を徹底非難し「スロボダン・ミロセヴィッチ弁護国際委員会(the International Committee to Defend Slobodan Milosevic)米国支部」の責任者を務めていたことだろう。ここで彼のインターネット・サイトから「スロボダン・ミロセヴィッチの悪魔化(The Demonization of Slobodan Milosevic)」という論文の一部を覗いてみることにしたい。
 『【前略】セルビア人がスレブレンシアで7千人のイスラム教徒を殺したなどと言われるメディアによって膨らまされた話はセル【Louis Sell:元米国外交官】によって無条件に受け入れられる。最も徹底した調査が国籍不明の2千人未満の死体しか発見していないにもかかわらずである。イスラム教徒によって初期に行われた虐殺はスレブレンシア近辺のおよそ15のセルビア人集落で起こったものだが、二つの英国の通信社などによって報道されたにもかかわらず無視されている。俗に言うコソボでのセルビア人によるアルバニア人殺害では、その数が25万人から10万人、5万人、1万人へと変化し続けたという西側法医学チームの大失態があるのだが、これもまた知らされていないのだ。【後略】
 (なお、この元ユーゴスラビア大統領ミロセビッチの獄中暗殺に関してはこの記事をお読みいただきたい。)

 またこの長大な書評を書いたステファン・レンドマンはシカゴ在住のユダヤ系米国人である。パレスチナやハイチなどに対するイスラエルと米国政府の抑圧政策に反対する活動家、また作家として著名な人物である。彼の書評の特徴は今回の書評を見てもお解りのように、もうそれだけ読んでも本のおおよその内容が解るほどに詳しく長い点だ。この作品にしても「書評」という以上に、レンドマンが「書評」の形を借りパレンティの言葉を借りて、自らの「米国民主主義批判」を展開しているように思える。またこの書評にも出てくるのだが、米国連邦準備委員会の仕組みと働きを暴きだすレンドマンの次の著作にもご注目いただきたい。DIRTY SECRETS OF THE TEMPLE (by Stephen Lendman)

 レンドマンはこの書評の最後に、次のようにパレンティの言葉を借りながら新たな社会革命の希望を語る。『それは、「個々の案件に関するばかりでなく(民主的な変化を徹底させるための)運動のために幅広く組織される(方向の)根本的な変化」を伴って起こすことができる。おそらくそのときが来るであろう。』

 なお、訳者としてはこの書評(つまりパレンティの著作)に、今日の米国特権階級の決定的に重要な要素であるシオニスト・ユダヤ組織とそのロビーの役割が描かれていないのが不満だが、それはもはや「自明の理」として受け取っておくべきだろう。しかしもちろんのことだが、この書評にある「民主主義」の擬態を生み出したのは彼らではない。そもそもこの書評で明らかにされるアメリカ革命(日本では「アメリカ独立」と呼ばれる)と合衆国の社会システムの本来的な姿、および今日までの経過を理解するならば、このアメリカの「民主主義的擬態」に最もよく適応できた集団がシオニスト・ユダヤ組織であるといえるだろう。 決して彼らが米国を「乗っ取った」のではない。そうではなく、彼らは米国という現代帝国に最もふさわしいものとして必然的にその支配的な地位に着いたと言えるのだろう。「彼らによって米国が変わった」のではない。米国とは元々そんな国なのだ。

 この作品は拙訳対外戦争政策は同時に国内資産収奪システムの強化である!:貧困の拡大と戦争(ホッセイン-ザデー著)」とあわせてお読みいただきたい。またレンドマンの作品の和訳として『イラン・パッペ「パレスチナの民族浄化」への書評』がある。彼はまた、私のサイトに和訳を掲載中の9・11コンセンサス 9・11ベスト・エビデンス・パネルの元サイトConsensus 9/11: The 9/11 best evidence panelの推薦文をGlobal Research誌に寄せた(「Consensus 9/11: Seeking Truth, Dispelling Lies」)。同誌に掲載されるレンドマンの作品の数々は次でご覧いただきたい。
 http://www.globalresearch.ca/index.php?context=listByAuthor&authorFirst=Stephen&authorName=Lendman

(童子丸開:2012年3月、改)

 【小見出し一覧】 下にある各小見出しをクリックするとそれぞれの項目に移動する。
党派的政治は特権階級に恩恵をもたらす
合衆国の富と貧困の差はより極端になりつつある
我国のカネまみれの文化が名目だけの民主主義を冒涜する
ごく少数の特権階級だけのためにある憲法
我々の生活と世界を支配する企業国家の勃興
政治:誰が何を得るのか?誰が放っておかれるのか?
米国の世界軍事帝国主義は全員を脅かす
保健および人間的サービス―資本主義の犠牲者
今の地球環境は喪失物になりつつある
エリートに有利な法の以前の不平等性
警察国家支配下での政治的抑圧と国家安全保障
誰が統治しているのか?誰のためなのか?誰が発言権を持ってないのか?
恥さらしのマスメディア、それは排泄物だ
我国の腐敗した選挙制度
カネでその多数派を買うことができる最良の議会
ハイル大統領閣下
アメリカ政治の官僚主義
合衆国「最高裁」
少数者のためのアメリカ民主主義

****************************************************************************

マイケル・パレンティ著「少数者のための民主主義」への書評

ステファン・レンドマン
2007年6月26日 Global Research

 マイケル・パレンティは国際的に知られる弁舌家であり20もの著書と数百もの記事で評判をとる作家である。彼は米国と外国の数多くの大学で指導に当たった著名な学者でもある。

 パレンティはまた我国屈指の前進的政治アナリストであり社会評論家でもある。彼は、我々の社会的自由を切り裂き社会的地位を貶める米国帝国主義に、そして、新たな市場と資源と食い物にできる安価な労働力を求める略奪的な資本主義の要求に合わせたブッシュ政権の世界に対する予防戦争政策に強く反対する。

 この書評のテーマであるパレンティの最新作は、最も注目され最も人気の高い過去の作品「少数者のための民主主義」のつい最近アップデイトされた第8版である。その中で、彼は民主主義がこの国で実際にどのように機能しているのかを示している。それは、米国人たちが生まれたときから具体的に身につけさせられ学校で高いレベルにまで教わり、そして支配的なメディアから毎日のように与えられる作り話を白日にさらす。

 パレンティの視点は、主流メディアが「米国政治の影の部分」として隠蔽するようなこととは全く異なる。彼は「現存の社会秩序を支持する者達が米国の政治システムにおけるあらゆる非効率さを実際に強さに変えようとしてきている」と説明する。彼らは次のように我々に信じ込ませたいと願っている。つまり「投票しない何百万の人々は現存の社会的状態に満足しているのであり、(そして)大統領が幅広い国家利益(公共を装うものだが)に対して民主主義的に責任を負うものであるがゆえに上流の者達がますます権力を集中させていくのは良いことなのだ」と。彼らは我々に、「第3の政党を排除すること」は我々のシステムをより良く働かせるし、階級社会が持つあらゆる悪徳は実際には美徳である、と告げる。 それら「第3の政党」や「階級社会の悪徳」といった人気のある見方は、その発端から裕福で権力ある者達の利益に捧げられた国の中でその現実をひっくり返してしまうものである。それは今までに、彼らが草の根的な活動によって強制された場合に、あるいは大恐慌のような社会的危機の時代に、エリート達の最も価値を置く資本主義企業国アメリカの精神と物を守るために、ほんの少し(そしていやいやながら)その登場を許しただけなのだ。

 パレンティは、我々の政治経済システムの鼓動する中心であるアメリカ資本主義の本性を語る。彼は我々の政治制度、「基盤、および米国政治家達の歴史的展開・・・。誰が治めるのか・・・。誰がその対象と時と手段と理由を手に入れるのか」を総覧する。疑問の中心は「誰が得をするのか?」である。誰が利益を得て誰が得ないのかということが、権力、富、階級支配のアメリカ、現実の民主主義理論がいかに純然たる幻想に過ぎないものなのかを示す彼の中心的なテーマなのだ。今日、麗しいアメリカはごく少数の特権階級のためだけに存在し、他の誰のためのものでもない。 しかし、裕福な白人でほとんどの場合キリスト教徒エリート家族に生まれついた者達によって治められる国の中では常にそうであり続けている。パレンティは辛らつで挑発的な19の章の中で我々のシステムをその根っ子からジョージ・ブッシュのネオコン支配の現在にいたるまで解体するのだ。

 この書評は、彼の重要な本の味わいを十分に伝えるために、それらの全てを、熟考され理解される必要のある全ての内容を手短にまとめる。これは必ず読んでいただきたいものあり、将来における確認と見直しのために不可欠な参照の手引きであり続けるべきものである。その内容を知ることは我々自身の私利私欲に変化をもたらすための大衆的な関心を十分に喚起するための鍵となることだ。ジョージ・ブッシュおよびその過激な悪党一味の時代のアメリカで、こういったことが、無謀な政治指導が彼らの富と力と支配への貪欲さのために可能性ある核や環境のハルマゲドンを用いてあらゆる人々を脅迫する時に、緊急なものなのである。

 このようなことをもう続けさせないという大衆の自覚と恐れとそして単純な決心が無い限り、このアジェンダは無視できないほどに激しい連続した潜在的な困難を伴いながら続けられていくだろう。それはもし十分な数の人々がその危険性に気付き、自己防衛しながら力を合わせて危険性を散らし、そしてこの国をみんなのために機能するようにさせるのなら、起こることはありえない。パレンティは次のような人々に彼の本を捧げる。「平和、社会正義、そして真の民主主義のために戦う全ての人々に。その数が増えていくことを祈る。」


党派的政治は特権階級に恩恵をもたらす 【小見出し一覧に戻る】

 特権階級はこの国が創設されたときからほとんど常に存在した。当時も今も広められている作り話は「(18世紀の)ヨーロッパ(および今日の世界の大部分)に特徴付けられる不足と富の極端な格差から逃れた」平等主義の国というものである。それは今日と同様に当時でも真実ではなかった。18世紀の裕福な植民者たちは不相応の巨大な土地を所有し銀行や商業や工業をコントロールしていたのだ。そしてそれ以来それは背後に隠れたようである。

 これらの「裕福で実力ある『ジェントルメン』、つまり我々の建国の祖たち」は1878年に、その11年前に独立宣言が署名されたまさにそのフィラデルフィア議事堂に集まった。彼らは、「子々孫々に」至るまでその利益だけのために存在し続けることを意図した憲法の草案を作るためにやって来たのだ。多数者のための民主主義が1787年に机上に乗ることはなかった。

 しかしながら彼らは形ばかりだがその中に正体の不明確な自由を盛り込んだ。1791年に裁可された権利憲章の中にだが、それはその時期にさかのぼる。彼らは人々に表現の自由、信仰の自由、平和的な集会の自由、不法な捜査と逮捕からの保護、正当な裁判を受ける権利などなどを与えた。それらの概念がその前に2度も拒否された後からの約束でようやくそうなったわけなのだが。上院議員達は最終的に、その文書が署名されて必要なある宣言を行う2回目の会議を避ける必要性があると合意した。そうするためには、彼らは、自らが所有する利益のために権利憲章による保護を求めていた各州の反対派の議員達を打ち負かさねばならなかった。

 それらは「人民」に対する民主的な見せ掛けとしてさえ憲法には加えられなかった。「人民」は当時も以後も視野の中にはいなかったのだ。以後の歴史が繰り返し示すとおり、政府が発足してから憲法の全文は欠陥を帯びていた。当時も後もそれらは、不可侵の自由と同様に、好き勝手にそして意図的に無視され脇に追いやられた。アダムス、リンカーン、ウイルソン、ジョンソン、ニクソン、ジョージ・W.ブッシュその他大勢の大統領が簡単にそうできたし、しばしばそうしたからである。

 結局のところ、「憲法は一つの保存文書として意図的にデザインされた」つまりその立案者たちがそうあれと望んだようにである。彼らはその中の条項を使ってその目的を成し遂げ、あるいは意図的に無視した。それは「人民の圧力の潮流を食い止める」ため、そして「勃興しつつあるブルジョアジー」が「投資し見通し交易しそして富を集積する」自由を守るためである。それは今日資本家の利益のために機能するものなのだ。それは、政治家であり法律家でありこの国最初の最高裁長官であったジョン・ジェイが「この国を所有し・・・(彼らの利益だけのために)国を運営する人々」のためのものであるべきだと言った、そのような方法で運営される国にするための法律として制定されるべきものであった。

 憲法制定議会の終盤で、ベンジャミン・フランクリンは出席した55名の代議員達が作るのは君主国なのか共和国なのかと質問されたと言われる。彼は「もしあなた方が維持できるのなら、共和国だ」と返答した。平等な国家が誕生時に死産していたという明確な意識も無しにである。大多数の人間にとっては実際には常に手の届かない理想化された社会を描いてみせるためにでっち上げられたあらゆる見せ掛けにも関わらず、これが当時も今も変わらぬ真相であった。

 これがパレンティの主要な論理である。つまりその誕生以来、無視され排除された多数者を犠牲にしてごくわずかの特権階級につくす政府である。それは民主主義の教科書的定義とはかけ離れている。我々は誰にでも等しく仕える理想的な政府を持っていると教えられているのだ。パレンティは、我々の社会を良い方へ前進させるように批判的にチェックすることがすべての人々にとっていかに肝要であるのかを示す意図を持ってこの本を書いたと語る。彼は、一つの国の偉大さは「貧困、人種差別、性差別、搾取、帝国主義、・・・、環境破壊」などから逃れていること、および戦争への根本的な反対とあらゆる場所での平和追求によって測られると強調する。ベンジャミン・フランクリンも次のように言った。「良い戦争や悪い平和など存在しない」と。これは今日の我々の指導者たちにとって想像もつかないことだろう。


合衆国の富と貧困の差はより極端になりつつある 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは、社会の支配層と労働者階級の区別を、後者が自らの産みだす価値よりもはるかに低い報酬しか受けないことによってはっきりとさせる。彼は企業を、社会の真の生産者である勤労者達を使って労働を搾取し資本を集積させるための「組織化された道具」と呼ぶ。大規模な私営企業は唯一つの目的のために存在する現在の支配的な機構であり、それは法によって権限を与えられている。その目的とは、販売と儲けを拡大させ、新たな市場を確保し、その規模と支配力を持続的に拡大させるあるいは捨て置くことによって、株主の持ち株の値打ちを最大限にさせることである。それらの成功の判断基準は、それらが今いかに集約され実際上の独占的な規模を誇っているかということなのだ。世界の主要100社のうちで51が米国に基盤を持つものである。ノーム・チョムスキーはそれらを「民間の暴君たち」と呼ぶ。

 それらは富と権力を握る人々によって運営される。彼らは、その他のエリート達と共に、この国の所得上位1%を形作っている。現在彼らは株、債権、土地、天然資源、会社その他の投資対象の形で、我国の富の40〜50%を所有している。それとは対照的に、90%の米国人家庭は、住宅ローンやその他の借金を計算して差し引いた後にはほとんど何の資産も持っていないのだ。米国はすべての先進国の中で最も不平等性の高い国であるとパレンティは強調する。厳格な階級制度によって形作られ、ほとんどの者が生れ落ちたのと同じ階級のままで死んでいくのだ。このことが「誰にでもチャンスを与えられた土地」という言い方の欺瞞を暴くものである。

 それは、現在ビジネスの重圧の中で実際的に隔離されているトップクラスの経営陣のためにあるものだ。彼らはその地位を利用して富を手に入れる巨大な権力を与えられた人物たちである。1965年には平均して勤労者達の24倍を稼いでいたのだが、それが1973年には45倍、1990年には85倍、そして2004年になると驚くことに431倍へと広がった。富の偏在は、経済学者ポール・クラッグマン(Paul Krugman)が「空前絶後」と呼ぶレベルにまで拡大し続けている。今の時代の労働者にとって、労働生産性が上がったのに賃金はインフレに追いつかず、基本的な利益は減少するか消えて無くなりつつあるのだ。企業は経費を削減して利益を上げるために、規模の縮小と生産の国外移転と高給を払う仕事から低賃金労働市場に合わせた転換を果すような手段に頼り切っている。彼らは労働者に寄りかかり、苦しいパートタイムの勤労者を当てにし、労働組合を憎み、そして賃金を抑え続けるために大量の予備失業者あるいは不完全雇用者の軍勢から利益を勝ち取るのだ。

 勤労者はこの結果に苦しめられる。1999年以来、消費者の借金はその収入の2倍に膨らんだ。数百万人が貧困な生活であり、他の数百万人が貧困よりやや上の線にいる。健康保険や他の保険には、はるかに多くが未だに不十分であるか全く加入していない。保護者のいない子供やシングル・マザーたち(その多くが黒人とその他の少数民族)が最も苦しんでいるのだ。パレンティは主要メディアが決して触れないアメリカの暗黒部分をまとめあげる。我国は大多数の者を犠牲にして「国の人的資源を浪費し搾取し労働者に十分な賃金を与えず、そしてごく少数者に仕えながら窮乏を作り出し社会的要求を絶望的な状態にしている」のだ。それは国民全員に使える平等な民主社会の概念を嘲笑い、それを不条理にも要求するということで国を恥ずべきものとするのである。


我国のカネまみれの文化が名目だけの民主主義を冒涜する 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは、アメリカが金権政治国家であると強調する。それは圧倒的に、工業と商業、主要メディアにいる、また同時に学術界、芸能界、宗教界、私的な基金と慈善団体の中にいるような、猛烈に豊かな実業家によって運営されている。彼らは「資本主義が民主主義と繁栄を育てる」という偽の賛美歌を広め、民主的な自由がどこででも多数派への収奪の上で繁栄する強欲な私的企業活動とは両立しないことを無視するのだ。

 パレンティは問う。環境への関心、教養ある博識の市民、廉価な住宅、労働者の権利、世界平和と戦争や紛争の終結とともに「正義、健康、職業と消費の安全、未来の世代への配慮、および政府への信頼に関連する(忘れら去られた)価値についてはどうなのだろう」と。「資本主義的民主主義」においては、我々は支払うことができるなら何でも自力で手に入れることができる。その結果は、持てる者と持たざる者の極端な格差拡大であり、最も欠乏している状態にある者達を援助したがらない無神経な政府である。これが、マイケル・ハリントンが45年前に書いた「もう一つのアメリカ」でありそれはジョン・ケネディの注意を喚起したのだが、このようなことは今日の貪欲と帝国主義的傲慢の時代では想像もつかない。


ごく少数の特権階級だけのためにある憲法 【小見出し一覧に戻る】

 共和主義アメリカの起源は上記のように記述されるものであった。それは、アダム・スミスが言った「貧乏人どもに対して金持ちを守るための機構」である名目だけの民主主義の政府を作ることなのだ。この国の創始者達はそれを強力に成し遂げ、権力を与えて仕えるべき者達のことのみを気にかける歴代の指導者達の連続という遺産を残したのである。この国の誕生時に、白人で資産家の成人男性だけが投票できた。黒人は人間ではなく品物だった。そして女性は子供を産み家庭を守る自分の夫に付属するものだったのだ。

 宗教的な前提条件が1810年まで必要とされたし、1850年に資産と税金の額による制限が無くなるまで、白人の成人男性は全員が投票できたわけではなかった。1913年に第17回憲法改正がその権利を与えるまでは上院議員を各州で選出できなかったし、アメリカ原住民達が自分自身の土地を使用する権利は1924年にインディアン市民法によって回復されたのだが、それまでその権利は最初に奪い取られ誰一人持つことができなかったのである。女性達の要求は1920年に第19回憲法改正が為されてようやく果されたのだが、それまでにその権利を求めるための100年間近くの時を経てのことであった。

 1865年の第13回憲法改正は黒人奴隷に自由を与え、1870年の第15回憲法改正は彼らに選挙権を与えたが、しかし黒人達が実際に投票できるようになったのは1960年代の半ばに市民権・投票権法案の重要な一歩が為され南部のジム・クロウ法が廃止されてからのことである。憲法が何十年も前に語ったことだったのだが。今日、これらの権利は、未だに効力を持つ不平等な法律と、平凡な勤労者やこの国で最も不利な状態にある人々の要求に対してより抑圧的でより無責任になりつつある国家のせいで、著しく弱められている。


我々の生活と世界を支配する企業国家の勃興 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは、一般的な見方とは逆に、いかにアメリカの歴史が「大企業」に偏った「政府を利用する暴力的な階級闘争」によって特徴付けられてきたのかを説明する。原住民達は彼らの土地と資源のために虐殺され、大土地所有者と企業群は奴隷労働力を搾取し、労働者の限られた権利だけが苦痛と闘いを通して勝ち取られたに過ぎない。政府は常に企業的利益の側に付くのだが、それらは「一般国民という飼い葉桶で鯨飲馬食し、その政府の施しと保護を料金や助成金や地代やそして政府契約の形でむさぼり食う」。その結果として一般国民は惨めなほどに少ししか手に入れることができなかった。

 各政権は同様に気前の良い法律と裁判所の決定を裕福で力のある者達に手渡し、一方で一般の人々は低賃金と無きに等しい利潤、失業、危険な労働環境、児童の労働、貧困に縛り付けられた。そして民主的な国なら与えると思われる様々な権利がアメリカでは与えられることが無かった。誰が大統領なのか、民主党か共和党か、テディ・ロウズベルトかウッドロー・ウイルソンか、ウイリアム・ハウワード・タフトかカルヴィン・クーリッジか、などといったことはほとんどどうでも良かった。「無口なカル(カルヴィン・クーリッジの俗称)」は沈黙を破って宣言した。あらゆる大統領が忠誠を誓うことなのだが、「アメリカのビジネスはビジネスだ」と、そして政府の官僚や高官やその他の高い地位にいる者たちはそれを忘れないほうが良い、と。

 フランクリン・ロウズベルト(FDR)のニューディール政策の間、つまり「(FDR自身がこう呼んだ)『忘れられた人々』の利益のために偉大な変化をもたらしたと一般的には信じられている時代」の間でさえも、彼らはそんな結構なことは決してしなかったのだ。ロウズベルトは、1917年のロシア帝国と同じ運命に陥ることからアメリカの資本主義を救おうとする、産業の権益者たちと同盟を結ぶ貴族だった。それは職に関することであり、システムを守るためにわずかなものを与えることは支払うべき小額の価格でしかなかったのだ。

 全国産業復興法(NRA)の中で、生産を抑え必需品の最低価格を定めることによって企業を潤したのは明らかだった。「連邦住宅計画は建設業界と貸付銀行のためのローン補償に助成金を与えた」。価格の安定化と生産の抑制は企業的農業にとって有利となった。大きな不満に直面した唯一のことは、人間的な必要性を満たすために作られた救済計画だった。そこでいくつかの本当に民主的な達成が為されることとなった。注目すべきは基本的な社会福祉法制化である。その要点は、長くは続かなかったのだが、全国労働関係委員会(NLRB)を形作った1935年のワグナー法という重要な里程であった。それは労働者にいまだかつて無かった経営者と同等の関係を団結して交渉する権利を与えたのだ。その成果は抑圧的な1947年のタフト・ハートリー法が無効にし始め現在では何もかも失われているものだが。

 パレンティはこの時代を次のようにまとめる。政府はほとんど資本主義企業の意思と要求に対応するのみであり「ニューディール時代は一般の人々にとって偉大な勝利とは到底言いがたいものだ」と。しかし今となってみればそれでもなお、「産業界自身が自ら提供することのできない補助金とサービスと保護」によってはるかに勝利に近かったと言うことも真実である。現在では多くの企業がそうしようと思えばできるのだが、政府の寛大さが(我々の税金であるドルを使って)企業のためにそれを行うせいでそうする必要が無いのだ。


政治:誰が何を得るのか?誰が放っておかれるのか? 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは、今日我々の前にあるものが多数者(大衆)から税を搾って少数者(支配階層)に助成金を与える政府に特徴付けられる企業国家であると説明する。その行動は、合衆国が立ち残る唯一の支配的国家として登場した第2次世界大戦以来、特に毒々しいものとなっている。「穏健な」共和党員のドゥワイト・アイゼンハワーは、(現在のドルにして)3千億ドルにも相当する国外の石油埋蔵地、公共の土地、公益事業、核施設、その他数多くの資産を私的企業に与えた。パレンティたちはこれを「金持ちのための社会主義」と呼ぶ。我々の残りの者達は自由市場の資本主義の下で自分自身の資産に頼って沈むか浮くかすることになる。それがアメリカ人の生き方だと告げられるのだ。

 現在、巨大企業は我々が支払っているあらゆる種類の無償援助を受けて何百億ドルも手にしている。それらは税金逃れ、価格の高値安定化、ローン補償(その多くは決して払い戻されない)、債務棚上げ、マーケティング・サービス、輸出補助金、R&D助成金、公共放送電波の自由使用などとなって現れてくる。そして巨額の補助金とその他の政府主導の利権は、「大きな政府」が十分に機能して企業活動はそれを喜んでいるということを証明しているのだ。このシステムは、「収入を勤労大衆から富裕な企業家へと上に移動させる巨大な再配分の仕組みの中で」コストを社会化し利潤を私有化することによって機能するのである。

 収税システムですら大企業に有利に働く。大企業は、1950年代の49%に比較して、平均でその収入のわずかに7.4%だけを支払っているのだ。誰がその歳入の欠損を補っているのかなどと聞くまでもあるまいが、もっと悪いことがある。合衆国の大企業の60%が所得税を1セントも支払っておらず、儲けをもたらす者たちの多くがリベートを得ているのだ。これが現代アメリカの現実である。政府は企業に利益の津波を降り注がせ、そして普通の勤労者達が支払ったカネは、収入の上に向けての巨大な再配分の仕組みの中でそれらに向けられる。それは現在年間1兆ドルを越えておりさらに上昇を続けているのだ。


米国の世界軍事帝国主義は全員を脅かす 【小見出し一覧に戻る】

 米合衆国は第2次世界大戦から世界の支配的な超大国として登場した。今日それは唯一の超大国でありその重圧を休み無く投げかけてそのことを見せ付けている。第1に、合衆国は他の国々を全部あわせたよりも多くの資金を軍備に使う。何百もの軍事基地を世界中に持っており、その中には多くの秘密基地があるのだが、それはある非公式の推定によると大中小の規模のものを合わせて千にものぼるのだ。イラクだけでも、2005年5月にペンタゴンは106の軍事基地を持っていることを認めた。その中にはあらゆる軍事設備を持つ一つの小さな町ほどの大きさを持つ恒久的な大規模基地が含まれる。

 さらに、合衆国は絶えず新たな巨大兵器開発計画に力をつくしている。それには軍備抑制や規模縮小その他の条約を一方的に無視した形で開発する核兵器が含まれる。その目的は、あらゆる土地、海洋上と海中、空、宇宙、電波、情報システムなどの「全方位的支配」なのだ。それはあらゆるものの主人であり支配者である地位に対する潜在的な挑戦者に対して攻撃する予防戦争を意図するものである。

 カネはその目的のためには制限を受ける存在ではない。ペンタゴンは年間何十、何百億ドルもの無駄、汚職そして誤用を計算しきれないほどに行い、政府の誰もそれを気にかけない。結局は米国の納税者のカネが、基本的な公共サービスのための資金や環境保護のために回される代わりに、悪徳企業への支払いに使い果たされるのだ。カネは、国内での国家安全保障と、民主主義を国外の持たざる国に広めるために必要とされる休み無い帝国主義のアジェンダに使用されている。実際にそれは、パレンティが「資本主義の世界を社会変革から保護すること」と呼ぶものなのだ。平和的で民主主義的な種類のものですら大企業の利益にとっては脅威と写るのである。

 第2次世界大戦以来それは、侵略戦争、CIAが仕組んだクーデター、政治家の暗殺、そして暴君どものならず者集団を――それが我々にとって憎むべき者たちであるかぎりなのだが――支援することを通して、米国主導の「世界中での流血」が続いている。以前から現在までのこれらのリストは果てしの無いものである。それらは米帝国とその大資本に十分に奉仕し、世界中のあらゆる普通の人々に巨大な犠牲を支払わせる。パレンティは正しくもアメリカをこう呼ぶ。「世界史上最大の帝国主義権力」であると。それは同時に、将来起こるかもしれない核によるまたは環境でのハルマゲドンからやってくる、人類に対する脅威の中で最大のものとなっているのだ。


保健および人間的サービス―資本主義の犠牲者 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは金権体質の支配者でさえも時には譲歩を余儀なくされると言うが、しかしこの近年においては以前に苦しみ抜いて勝ち取った権利が崩されてきているのだ。彼はそれらの一部が次のようなものであると語る。

--女性、幼児そして児童に対する援助計画(WIC)
--クリントンの福祉改革によって取り去られた就学中の児童を持つ困窮家庭への援助(AFDC)
--視覚障害者、心身障害者および低所得者に対する生活保護(SSI)
--食事の配給
--児童への食費援助および給食計画
--貧困な高齢者への家庭内介護
--困窮者のための法的支援
--補習教育
--母子健康ケア
--奨学金などの学生への援助
--麻薬中毒の治癒
--老人医療保障および貧困層への医療補助制度、その他、多く

 結果は、「さらに飢え、孤独になり、病気を放っておかれ」、家を失い、治療を受けられず、そして「最小の収入源と最小の政治的影響力」がますます深刻化している。

 各州と個人によるチャリティーの荒涼とすらしている様子ではワシントンが削るものを埋め合わせることは不可能であり、健康保険のような基本的サービスのコスト上昇は何千億ドルにものぼり全員が受けるはずのものをまかないきれない。金権主義者の解決方法はこうである。最もうまくいっている政府による貧困救済計画や社会保障ですらも含めて、あらゆるものを私営化する、ということだ。今のところはそのようにする努力は引き延ばされているが、その計画は消え去っていない。ウオールストリートは、老人達と「死に損ないたち」と不具者たちが年金および/または収入補填として必要としているものに対する巨額の資金を削減して懐に入れる可能性に、よだれをたらしている最中なのだ。金権主義の鮫どもは自分達がずっと手にすることのできていないものを盗み取るために繰り返し試みることだろう。

 パレンティは、公的に必要な施設や福祉が金権主義者の貪欲のために犠牲にされているその他の分野を一覧する。就労の保証、人間工学的な基準、食物への薬品と添加物の無検査、地下水を汚染する産業的農業、最低賃金のレベルが抑えられこの10年間不当にもわずかしか上がっていないこと、低価格の住宅が消えてなくなったこと、そして教育基金への支出が減ることによる犠牲と、さらに不届きな個人教授によって我々の子供に最低の努力で大きな利益を得ようという欲望を教えさせること。

 そして、パレンティの言う「排泄物の輸送(mess transit)」がある。鉄道による大量輸送(mass transit)が効率良く燃料コストが低いため、大石油企業と大自動車企業はそのシステムを壊滅させた。これが金権主義支配のもう一つの犠牲者である。それによって、汚れた空気、地球温暖化、無駄な高速道路での年間4万2千人にのぼる死者と莫大な数の事故と負傷者、道路の渋滞、市街地の混乱が出ているのである。そして多くの自動車保有者は、大量輸送手段を使えば支払う必要も無い巨額の出費を余儀なくされる。パレンティの結論はこうである。「ここでも再び公共サービスが、進歩すべきものではなく打ち切られるべきものであるように取り扱われた」。結局は大衆が奪い取られるのだ。


今の地球環境は喪失物になりつつある 【小見出し一覧に戻る】

 特権と権力によって金権主義者どもは、自分達がのぞむ「いかなる天然資源でも・・・採掘して利用する」権利を手に入れ、「その一方で不経済(あるいは外部への悪影響)を他者に投げ渡す」。パレンティはこのように言う。これは、巨大な量の有害物質を土地や水や空気の中に捨てることによって得られる最大の利益と最小のコストを指す。巨大企業は飽きることなく鉱物を剥ぎ取り、森林を裸にし、熱帯雨林を不毛の地に変え、野生の種と生態系を傷つけ、有害な化学農業で表土を取り去り、安全でなくまずい食品と薬品を売り、オゾン層を破壊し、地球を温暖化させ、そして人間の健康と福祉に脅威と与える許可を得ている。すべてはより大きな利益を手に入れるためなのだ。 この犯罪については、自分の出した廃棄物を片付けるためのより有利な契約によって「企業的汚染者は刑罰よりも多くの見返りを与えられることの方がずっと多い」のである。彼らは公共の出費を二度にわたって受ける。彼らは環境破壊を許されており、その次に「私的な不経済部門(the private sector's diseconomies)のための」費用を我々に支払わせる。しかしこのような代わりの処置がビジネスにとって都合が悪いなら為されないことは明らかである。そこでパレンティは次のように結論付ける。「資本主義の終わることの無い拡張と脆弱で有限の生態系は、いまや悲惨な衝突の過程にある。我々の生存自体がギリギリの状態である」。しかし企業的捕食者達にとってそのようなことは、自分達が去った後に残る他人の問題なのだ。


エリートに有利な法の以前の不平等性 【小見出し一覧に戻る】

 法律が通常「大金持ちを残りの我々よりも有利にするために」書かれて執行されるため、アメリカでは法廷で彼らの罪は有利に裁かれる。別の言い方をすれば、法による支配は法が誰に有利にそして誰に不利になるように意図されているのか、ということによっているのだ。企業の犯罪は街頭での犯罪よりもはるかに多くの生命とお金を犠牲にする。もっと悪いことに、暴かれるものは氷山の一角であり、最悪の企業犯罪は処罰されることが無い。たとえば、どこででも利益のために人を食い物にする、環境をダメにする、そして破滅的な戦争から巨額の利益を得る。こうして、ネオリベラルの全地球化された取引の結果として貧困層が増大し、麻薬密輸にからむ共謀が無視され、資金が洗浄され、労働者に低賃金が支払われ、組合は破壊され、政府契約企業の廃棄物と汚職と腐敗は幅広く無視され、インサイダー取引はめったに逮捕されたり罰せられたりしない、などなど。

 対照的に、腹をすかせた子供に食べさせるために何個かのトマトを盗めば厳しい懲役刑が待っている。カリフォルニアのような州では、それを3回以上行うと終身刑なのだ。ネオコン支配の時代では、2003年5月に最高裁がそういった厳しい判決は残酷で異常な刑罰を禁止する憲法第8改正条項に違反するものではないと定めたようなことは驚くべきことでもない。パレンティは、87セントを盗んで10年の懲役判決を受けたヴァージニアの男性や、二人から1ドルを盗んで50年という信じがたい懲役刑にふされたヒューストンの若者を例に出す。

 国民をこんなふうに取り扱う国は、民主主義的な正義に対する図々しい挑戦で狂った国なのだ。その民主主義的正義は、普通の人々にとっては夢想でしかないものとして、そしてもっと恵まれない者達、有色人種にとっては不可能事として、そして誰に対してもあのでっち上げられた「対テロ戦争」の時代に住むイスラム教徒に起こったことのように、現れるのだ。こうして次のデタラメな「麻薬に対する戦争」があるのだが、これは不穏な少数者達を通りから追い出して刑務所を満たすための薄汚い計画である。彼らがこれ以上不穏にならないための、そして利潤のための新たな手段としての巨大な刑事裁判システムを構築するためのものなのだ。こういった国内戦争と困窮者や社会的弱者に対する長年の抑圧は、合衆国に世界最高の220万人という囚人の数をもたらした。それは毎週100名ずつの新たな受刑者によって増大しつつある。

 これはこの国の恥さらしであり、「米国の収容所システム(The US Gulag Prison System)」という2006年にこの作者の意味深い著作の副題であったものだ。この題名は祖国での事柄について述べたものなのだ。納税者や放っておかれる母親と子供を含む誰でもが、自分たち自身のためにやりくりするお金を差し置いてこのようなことのためにお金を支払っている。しかし大企業の悪人どもの家族はそうではない。彼らが犯罪を行いもし逮捕されたとしてもほとんど懲役にはならず、もしなっても豪華設備の刑務所であり、刑期も短く支払うことのできる程度の保釈金で早い出獄が簡単にできるのである。

 そして政府にいる犯罪者が逮捕され裁判にかけられ有罪となる場合がある。彼らは大統領の減刑処置の対象、その順番を待つ列に入るだけである。I.ルイス・リビーのように。それは彼らがその種の罪による刑務所に1日でも入る以前にやってくるのだ。アメリカではそれを正義と呼ぶ。この書評ではそれを極悪非道と呼ぶのだが。


警察国家支配下での政治的抑圧と国家安全保障 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティはこれを次のように打ち出す。「企業に支配された国家は組織犯罪に対するよりも反対派に対する戦いにより熱心に携わる」と。その最悪の例が裁判である。ところで我々の国には、FBI、CIA、NSA、IRS、DHS(国家安全保障省)、そしてNORTHCOM(米軍北方軍)があり、もしも我々が「危険思想」を持つ、つまり「平和と社会正義の組織」への支持を行うならば、金持ち達を保護するためにその他のものに対して厳しい扱いを始めることになる。企業は「誤った政治見解」を持つ従業員を首にすることができる。秘密法廷は隠密な調査を命じることができ、秘密の決定を行うことができ、そして公的記録を残さなくてもよい。

 彼らは我々を盗聴することができ、不法に調べることができ、我々の所有物を押収することができ、また「敵の戦闘員である」と宣伝することができ、正当な裁判を拒否することができ、人身保護を求める権利を脅かすことができ、地獄の拷問刑務所に放り込んで無期限に監禁することができ、また異議申し立ての権利も適切な法的保護への合法的な道も無く軍事法廷による裁判に引き立てることができる。これが今のアメリカだ。そこではジョージ・ブッシュに不賛成な者なら誰でも、本来ならそうなってはならないとされる国で、政治犯となるかもしれない。我々はいつでもそれを証明する恥ずべき例を挙げることができる。たとえば捕囚を逃れて国を去ったビッグ・ビル・ヘイウッドなどの世界産業労働組合(IWW)の指導者達である。IWWの他のメンバーでは、社会主義者のリーダーであるユージーン・デブス、過激派のサッコとヴァンゼッティがやってもいない罪を償わされなければならなかった。

 次に、第2次世界大戦と朝鮮戦争への反対者たちがその信条のために逮捕され、そして法に忠実な12万人の日系アメリカ人が米国内にある強制収用所に送られたのだ。彼らの先祖が住んでいた国と戦争中であったためである。彼らの大部分は日本生まれではなかったのだ。弾圧的な法的処置は1798年のジョン・アダムスの外国人・治安諸法(Alien and Sedition Acts)にさかのぼる。これはその時代の少数反対派を犯罪者とするものであった。ウッドロー・ウイルソンの諜報・治安諸法はまさに懲罰的なものだった。1940年のスミス法は資本主義に対する反対者を罪人と定めた。また市民権を求めるアフリカ系アメリカ人指導者に対する投獄があった。そして今日、大規模な魔女狩りが登場し、信仰ゆえのイスラム教徒への不法な逮捕がある。さらにラテン系移民への続けさまの迫害があるのだ。NAFTAのような破滅的な貿易協定が彼らの生活を破壊し、祖国で手に入れることのできない職を求めてここに来ることを余儀なくされたのである。そしてここでもまた彼らは、逮捕されて犯罪者として扱われるか、事実上の奴隷として雇用者に無慈悲に搾り取られるしかないのだ。

 ブラックパンサーの指導者にはシカゴのフレッド・ハミルトンJr.のように就寝中に殺害された者もいたし、その他にもジェロニモ・プラット(現在は不当な20年の刑を終えて自由の身になっているが)のように厳しい科刑によって懲役に処された。やってもいない殺人の罪をでっち上げられたムミア・アブ・ジャマルは、正当な裁判手続きを拒否されて死刑囚とされ、25年もの間、無実を勝ち取るための新たな裁判を求めているのだ。レオナード・ペルティヤーのようなアメリカ・インデアン活動家の指導者もいた。彼もやはり身に覚えの無い殺人の罪をでっち上げられて、30年たった今でも刑務所に収監されている。付け加えるならば、プエルトリコの民族主義者で平和運動・環境保護活動家たちとその他の者達がいまだに彼らの市民権と少数者の権利を求めて戦っているのである。

 上記の例のすべてにおいて、「価値の無い」犠牲者達は他を犠牲にする「価値ある」者たちの犯罪を償わされてきた。

 パレンティはこれらの他に、あえて抵抗する搾取の犠牲者達から金持ち達を保護する抑圧的な国家機関について多くの例を記録している。彼は次のようにまとめる。「米国の利益を守り、我々の安全を保ち、または民主主義を防衛するために『共産主義と戦う』だの『テロリズムと戦う』などといった見せ掛けのもとで、国家権力の使い走りどもは国内外で(無実の)人々に対して恐るべき犯罪を犯し続け人権と憲法を犯し続けている。・・・。それは恵まれた特権的な略奪者達にとって安全な世界にするためなのだ」。それがアメリカ式民主主義と呼ばれているものである。


誰が統治しているのか?誰のためなのか?誰が発言権を持ってないのか? 【小見出し一覧に戻る】

 一体誰が? 社会の富を支配し「教育機関、基金、シンクタンク、出版業界、そしてマスメディアの理事を務め」、同時にこの国のビジネスに政治的・経済的な権力を振るっている者達である。この支配階級は主として裕福な白人、ユダヤ・キリスト教共同体のエリート達であり、「富裕階層の利益を確保する」ことがその使命である。

 つまり、労働者との諸関係においてはまさに敵対者であり、全体で12%、民営部門で7.4%という労働組合組織率で、極めてうまくやっているのだ。その割合は戦後の1950年代の34.7%をピークにして下がっている。今日、労働組合の組織率は1930年代の巨大な労働運動の始まり以来最低レベルであり、民営部門では100年来の最低である。これは民主党と共和党の組織労働者への憎しみのためであり、また企業による工場閉鎖を使った脅し、外部委託による支払いと利益の削減、そして全面的な組合潰しのためである。この状況は富と権力の集中を頑として動かそうとさせないものであり普通の勤労者から奪い取るものである。この問題をいかに固定化するかについては何の不思議も無い。だがその流動化は組織化されたカネと対決する組織化された人々による集中的な行動を通して起こすことができよう。彼らよりも我々の方が圧倒的多数派だからである。

 しかしながら、称揚されたグローバリゼーションの大波が全部の船を持ち上げるかのようなイカサマの思想を振りまいているような時代では、それは簡単ではない。巨大企業の力が莫大なものになるようなときにはその上げ潮はただヨットだけを持ち上げる、とラルフ・ネーダは説明する。その波は彼らが運営して世界を治めるものとしたどんな主権国家の権利をも乗り越えてしまう。彼らはNAFTAやDR−CAFTAのような一方的で不公平な「自由貿易」合意を使ってそれを成し遂げる。彼らと超国家的な世界貿易機構(WTO)は企業資本にとって「負担となると見なされるあらゆる国のあらゆる法律をも無効にするか力を薄めてしまう」権力を持っているのだ。WTOの支配は、それが各国々のために作られた協調的な貿易ルールと衝突するようなときにはそれらの主権を否定する。有害な製品やサービスがあるような場合でさえもメンバー国はそれを禁止することを許されておらず、その独自の権利を脅かされることは無く誰も干渉できない。秘密のWTO役員会だけが貿易上の議論に最終的な発言権を持っているのである。その支配的なメンバーがどこからやってきたのかによって常に偏ったビジネスとなるのだ。

 一方で憲法は、その序文が名目だけは人民に権力を与えているにしても、無視され無力にされる。協調的な貿易主体が隠密の支配を作りメンバーをその土地の法律に超越させるようなことを許していないにしても。パレンティはこれを「国際金融資本によるクーデター、・・・帝国主義の必然的な延長、共和制度に対する帝国の勝利、(そして)民主主義に対する企業資本の勝利」と呼ぶ。それは我々自身の政府が何の反撃もできないものだ。それがこういった行為を支援しているからである。それは我々が学校で学んだようなあれやこれやのものではない。しかしこれが現在あるとおりであり、我々が「自由貿易」を終わらせない限り、そしてそれを「少数者の貪欲のためではなく多数者の利益」にとって「公平な」貿易へと変えない限り決して変わらないものである。我々は何マイルも進まねばならないのだがまだその行程を始めてすらいないのだ。


恥さらしのマスメディア、それは排泄物だ 【小見出し一覧に戻る】

 巨大企業はこの国と世界を支配する。それはその国の支配的な伝達手段を利用するのだが、それは彼らがコントロールする公共の電波と印刷出版を用いたマスメディアを通して人々のところにやってくる。この能力において、彼らはこの国の思想コントロール警察の番人であり、彼らは自分の伝えたいと欲する情報を漉し分け、国家と企業の利益を嫌うものを押さえつける。今日、過去のその時期よりも彼らはこのことに力を発揮している。1983年以来、数多くの企業が新聞や雑誌や出版社や映画制作会社や、そして電子メディアを支配しており、かつての50社から6社の世界的巨大メディアにまでその数を縮めている。タイム・ワーナー、ディズニー、ジェネラル・エレクトリック、ドイツに基盤があるバーテルスマン、そしてルパート・マードックのニュース・コーポレイションである。それに加えて有線の巨大企業、コムキャストがあるが、「7大情報産業」とまではいかないだろう。

 そのオーナー達は、何を電波に流し何を流さないのかを決定し、ニュース・リポーターや解説者、そして俗に言う専門家たちはそのルールを知っている。もし誰かがそれを忘れたなら、彼らはシベリア特派員にでも飛ばされるか、良くいってもカメラに写らない役割となり、もうTV画面に登場することは無い。しかしこの支配による監視の目は、たとえ彼らが我々を欺いたとしても、欺かれることは無い。特にTVでは、多くの者が結構な給料をもらい、十分な利益と良い待遇の講演会を与えられ本が売れる。国家と企業のボスのために嘘をつくことには十分な見返りがあるのだ。これが、大きな稼ぎを得るチャンスを待ち望んで数多くの者達がそこに入ろうと長い列を作る理由なのだ。良心や進歩的な知識を持った者達など採用する必要が無い。企業のイデオローグが傾ける薀蓄に対して勝ち目の無い試合に臨む御人好し以外には、活字にも電波にもそのような者たちの入る余地は無い。そのイデオローグ達は、戦争と企業による強奪の自由は良いものであり略奪は民主主義にとって世界を安全にすると力説するのだ。その仕事は、彼らが無視する普通の人々にとって有害な数多くの醜い物事を締め出した「適切な」メッセージを広めることである。

 しかしここには希望もあり、それはオールタナティヴ・メディアの空間の中に見えてくる。進歩的なウエッブ・サイト、それは今あなたが見ているようなものだが、そして小規模で独立したラジオ局や国中の都市にある一部のTVである。そこではこの本の著者が週に1度、著名なゲストを迎え深いところにある真実を告げる「ニュースと情報の時間」を放映している。それらには支援が必要であり成長するための、そして聴衆が集まるための空間が必要である。同時にそれらとそして我々は、出版の自由にとって最後のフロンティアを守り抜くための闘いに加わっていかねばならない。ネット・ニュートラリティを保存しその空間を支配しようとする企業メディアの肉食獣の手から守らねばならないのだ。彼らがそこに入り込むことは許されないし、もし人々のそれを食い止める団結した力があればそうすることは無いだろう。自由でオープンで独立したメディアを維持することは一つの賭けである。我々に属するものを取り去りたいと願う巨大企業にそれを譲り渡す余裕など無いのだ。


我国の腐敗した選挙制度 【小見出し一覧に戻る】

 我々の「選挙制度は真剣な救済と修理を必要としている」などと言うようなことはこの問題に対するあまりにも控え目な表現である。大きくいえば、それはかろうじてぶら下がっている命綱であり、いまやほとんど支配階級のみに仕える名ばかりの民主主義における劇場以上のものではない。彼らは支配的な2大政党政治の中で支配を続けているのだ。それによってでしゃばり屋の代案を効率よく排除する。両者の間に違いがあるとしても、一つの件でそれらはまとまるのである。両者は共に、労働者を搾り取り、新たな市場を手に入れ、世界の資源を支配し、世界を挑戦者無くコントロールするために、血に飢えた産業資本のための帝国主義戦争をしでかしてきたのである。これが変わらない限り、どちらの政党が選挙に勝っても同じことだ。そのどちらも人民の利益に仕えることなどありえず、ただ支配階級の利益に給仕するのみである。

 我々の選挙制度は両方の支配的政党が驚異的な第3政党に敗れることをほぼ不可能にしているのだ。それは人為的に多数派政党の力を拡大させる「勝者がすべてを取る」選挙である。どちらの当がより多くの投票数(それが国民の多数派ではなくても)100%の代表権を勝ち取り、そして各選挙区を合わせてより少ない得票数に終わった方の党はその支持者のための代表権を失うのである。もし我々が比例式代表制のシステムを持っているのなら、各党が取った得票の割合にそった代議士数になるため、事態は異なってくるだろう。

 10年毎の再指名の機能としての選挙区改変は、特にその極端なゲリーマンダー的な方法が以下に選挙区の線引きをするするかによって党勢を最大にさせるために使用されるときに、そのシステムを十分に準備するのである。次に選挙資金の問題とそれがどこから来るのかという問題がある。それは大衆の中から出てきた候補者の大衆的な支持からやってくるのではない。それは、有力な企業の出資者からその利益を守る候補者のためにやってくるのでありその額は巨大だ。候補者一人について5千ドルの限界があるのだが、その家族や親戚やスタッフや街角の雑貨商でも何でも良いのだが、それらの名義を用いて、政党に向ける際限の無いいいかげんな金額と違反の回避でもって行われる。現在、連邦と多くの州の選挙にとって大富豪達は必要不可欠な存在である。すべての献金はひも付きなのだ。我々は皆それが何かを知っているし勝った候補に何が求められているのかを知っている。

 さて、誰が得票を得るのかという問題ははるか昔に定められたことだと大部分の人々が考えていることなのだが、しかし、貧しい黒人やラテン系住民の地域にいる成人に聞いてみるならばきっと彼らは別のことを言うだろう。2000年の選挙でフロリダに住む多くの黒人の投票者たちが騙されたような方法で、彼らは強引に打ちのめされるのだ。多くの州で同様のことが続けられる。それは違法なのだが、いずれにしてもそうなってしまう。そしてもし過去の事実が明らかになったとしても、もう手遅れなのだ。裁判は閉ざされる。おまけに、450万ものアメリカ人は過去の犯罪暦のためや刑務所にいるために投票することができない。

 次に選挙泥棒の問題がある。狐がいまや鶏小屋の番をするといったような国は、2004年の選挙で80%より多くの投票が大企業に操作された電子投票機で集計されるような私営化された選挙システムの下で存在する。3つの共和党支持の大企業が、紙の投票用紙を全く使わずに、その所有しプログラムを作り操作する機械で票を集計したのである。そのプロセスは最初の総計を作り出すのみの計算で、その得票が真実か偽物かを判断することを不可能にするのだ。それは自由で公平で開かれた選挙を嘲笑するものである。

 現在このプロセスは私営企業の利益によって運営される秘密の信用の置けないものであり、彼らが支持する候補者が勝てば彼らはあらゆるものを手に入れるのだ。明白な根拠に基づいて言うのだが起こっていることはまさにこのとおりであり、その機械が追い出され外部からの影響力から逃れ独立した公務員が選挙を運営しそして紙の投票用紙を手で数えて保存される選挙を行うようにならない限り、それは続くことだろう。現在の選挙の方法では、2大政党の独裁を、民主党の共謀で継続するジョージ・ブッシュの共和党支配の下で起こっているような、「もっと悪い一党独裁」に変えてしまいかねない結果が実に簡単に表れてしまうことになる。


カネでその多数派を買うことができる最良の議会 【小見出し一覧に戻る】

 我が国祖たちは行政府、立法府、司法府に分かれる三権分立のチェック・アンド・バランスのシステムを作り上げたが、その思想は実際にできたものよりも聞こえの良いものだった。パレンティはこう説明する。今日ではそれは、その権力と無法が効果的なチェックされることなしに好き放題のことを行う行政執行部を、他の二つの権力があからさまに支援するために、そのシステムはほとんど見る影も無い。その理由の一つは、誰が議会と裁判所を手に入れているか、ということなのだ。そのほとんどが金権主義のメンバー達であり、そこで自分たち自身のために都合の良い立場にいるのである。上院議員の半分は大金持ちなのだが、ある批評家などは「貴族院」の方が米国下院よりも身分が下であると信じている。

 彼らはビジネスおよび下劣なロビイストの強い影響力と近親相姦的な関係にある。ロビイストは「たっぷりの選挙資金、存分な講演会収入、有利なローン(時々忘れても良い)、長期休暇での無料の旅行、贅沢な休暇、4つ星レストラン」、主要なスポーツ観戦での良い席、そして他の金銭調達と、簡単に買収されてその票を売り省庁の部署を手に入れてしがみつきたいと願う役人への賄賂を、議員達に提供するのである。金品との引き換えであるという明らかな約束が為されていない限りは、それはすべてが合法的なのだ。たとえそれが明らかになったとしても、ロビイストのジャック・アブラモフやデューク・カニンガムのような例外を除いてそのほとんどが逮捕されることは無く、遠い過去のこととして忘れ去られるのである。悪党どもは、議会、政府、州、警察、そして一人の副大統領、・・・、などなどからやってくる

 辞任に追いやられたリチャード・ニクソンは、恥ずべき行為に関与してジェラルド・フォードに道を譲りそれ以上の責任を逃れたのだが、国の最高機関にいる一人の意欲的な調査員によってあらかじめ打撃を受けていたようである。ロナルド・レーガンと彼の副大統領だったGHW.ブッシュのイラン・コントラ事件でも同様であった。将来の法廷は彼の息子をその罪を裁くために待っている。それは父親の罪をはるかに超えている。父親のそれだけをとってみても極めて言語道断なのだが、それはブッシュ犯罪者一家が操ってさらに責任を逃れるやり口の一部分に過ぎないのだ。

 議員たちが彼やその他の容疑者を拘束すると想像するのは難しい。議会が構成されているやり方のためにそれは簡単なことにはならない。20ほどの委員会と数多くの分科会があり、それぞれに議長がいて、議会のコンセンサスに逆らわないかぎり、物事が起こるのを進めたり停止したりさせるのに十分な影響力を持っているのだ。そこで、NAFTAや「福祉改革」や1996年のテレコミュニケーション法疑惑のような件は十分にネタが仕込まれており、どの委員会の議長もあえてそれを阻止しようとはしなかった。

 パレンティは、この「議会の迷宮」がいかに米国議会の作業に悪影響を与えているのか、上院による鈍感な千鳥足の役人言葉がどれほど感覚の変化を追い払っているのか、そして議会の構造そのものがいかに議会を保守的にし、選挙民ではなく特権階級を支援するものにしているのか、ということを説明している。彼は次のように書き記す。「企業による全面的な社会秩序」によって「議会制民主主義は包囲され」事実上の人質として囚われており、国益、マス・メディア、その利益のために働く実力者達の全ネットワークのコントロールを受けている。共和党=ブッシュ・ネオコン支配の下で、今日それは「議会自身の内部の反動勢力」からもっと悪いものに変化している。秘密が世を覆い、公共の利益は投げ捨てられ、法の支配は指導者の言うがままになり、開かれた公平な選挙は富と権力が候補者を選んでしばしば有権者が投票所に向かう以前に当選者を決めるといったシステムの下で一つの幻想となっている。


ハイル大統領閣下 【小見出し一覧に戻る】

 最高参謀司令官としての役割と共に、米国大統領は「全世界的な企業資本主義の推進者かつ保護者」のトップである。我々が信じ込まされている民主主義のそれではない。この能力によって彼は、世界を資本にとって安全に保つための犬どもと共に、産業界、ウオールストリート、その他ビジネスの主要分野から来た企業リーダーやその参謀たちの社交仲間に取り囲まれる。

 大統領が持つもう一つの重要なものは、国の「嘘つき統領」であることだ。たとえば、極度の贅沢を支える一方で緊縮財政を説く。減税が一般の人々に利益をもたらすと言う場合には減税措置の利益は富豪たちや大企業のためのものとなる。平和をもたらすと言いながら戦争準備をする。そして教育的指導者や地球の友となるなどと叫びつつそのための資金をそんな社会福祉のことは気にもかけない企業の友人達への大きな贈り物として分け与えてしまうのだ。

 パレンティはこの章でもっと多くのことに言及する。それには、二人の意見の異なる個人の選挙人が「彼らに対して公約を立てた」候補者に対して自由に投票する場合に実際の得票を覆す「一方に偏った選挙管理委員会」を含んでいる。彼はまた、今日の大統領がいかに「独りよがりの王様」であるかを強調する。彼らは、憲法第1条が対外戦争決定の権限を議会だけに与えているのに戦争を決定するような、憲法が許す範囲をはるかに超えた権力を自分のものにする。大統領はまた同時に、最高命令を出し宣言をうたい非常時の軍を動かすことなどなどを通して幹部の支配階層を自由に使う。ジョージ・ブッシュにとってのそれは、法を無視して彼の願うとおりに「統一執行部(unitary executive)」の権威(それは憲法には書かれていないものだが)を主張することに現れている。

 パレンティはまとめて次のように言う。「行政権は・・・『自由市場の資本蓄積』のプロセスを推し進める」。誰がホワイトハウスの占領者となっても、「同時に巨大な社会的不安定があり(草の根的)基盤での根本的な変革を求める運動が起こらない限り・・・トップからの大きな進歩的改革」など決して存在しないのである。「そうなるまでは、大統領たちはその特権とその(帝国主義)戦争を追及することだろう」。


アメリカ政治の官僚主義 【小見出し一覧に戻る】

 官僚主義が社会、公共の場、個人的な場のすべてに存在する。しかし政府関係の類については非効率的で縮小されるべきであると語られている。それは私的な利益がすべてを動かすことができるようにである。その方が良いと考えられているからだ。無意味なことだ。社会的ではなく私的な利益が無言のうちに姿を表している。このことが、私営企業がその利益を害されるからやろうとしないような方法であらゆる人々につくすような政府を我々が必要とする理由である。このことを告げる次のような記録がある。HOMやその他の健康保険の会社は健康な契約者を好み深刻な病人を排除する。私営化され基準を外れた水道やその他の施設は顧客からむしり取れる限り騙し取る。そしてカネを溜め込む会社が急激に増えたことによって破棄された個人的な年金計画と比べると、政府による社会保険は大多数の人々にとって最も効果的な年金計画なのだ。

 政府はまた、国内のどこにでも第1クラスの郵便物を1オンス41セントで配達する「非常に有害な郵便局」を運営するような、私営企業ができないしやろうとしないことを行う。軍がその中に私営化された仕事を取り入れるまで、政府はより効率的な軍隊を持っていた。そこでは10万人にのぼる多額の給料を受け取る準軍人の傭兵がいるのだ。公表されている3万人などという馬鹿げた数字ではない。この変化によって巨額の税金が、見えないところにほとんどが消え去る何千億ドルもの札束を含んで途方も無く膨らみさらに増え続ける軍事支出として、使い果たされる以外に何の効果も生み出されていないのだ。

 多くのことが秘密裏に行われる。議会は行政が行う不法な戦争と背任行為を支援し、そのすべてを触れることができないようにする責任逃れを助ける。彼らの全員がその計画に乗っかっているからなのだ。それは結局、無責任、無駄、腐敗、無法の文化を育むに終わる。そしてまかり間違って重要な何かが漏れ出すことでもない限り、誰もより良い知恵を出すことは無い。それが内部告発者から出て来るような場合、告発者は非難され脅迫され、誇り高くそうし続けたならその経歴を危険に曝し、悪くいけば反対派がテロを支援しているかのような雰囲気に包まれるのだ。

 パレンティはまた、FDA、FCC、EPA、OSHAなどの番犬機関がどれほど企業を守っているのかを説明する。その企業はそれらの機関がかつて無いほどに監視し調整していると考えられている。そうしてFCCはさらなる企業合併を支援する。EPAは汚れた空気、汚染された水と地球温暖化を無視する。そしてFDAは無試験の薬品や安全ではない食品の消費者への販売を許可する。これらの監視機関は公共の利益や安全ではなく企業の利益を促進するのだが、その人員は我が鶏小屋の番をする企業の狐どもからやって来るのである。

 公共の官庁もまた、利潤のために売り渡された土地や森や水などの資源と一緒に、私営企業の手に握られている。こうしていわゆる連邦準備システムが1913年に議会によって創設されたのだが、それ以来その最も非道で破滅的な法令群の一つを通して、公共の福祉を盗み取り貪欲な銀行家達を太らせているのである。

 このシステムは、ほとんどの人々が誤って信じ込んでいるような国営のものではなく、大企業を利するために私的に所有されているものなのだ。それは違法に銀行家達に権威を与えており、憲法第1条の8が議会のみに与えた、政府が所有する資金を満たすために使われる国の資金供給を生み出し制御する権力である。これが94年近く存在している中で、この銀行カルテルは歴史上かつて無かったほど激しい最大級の資金強奪をやってのけた。この連邦準備法は私人である銀行家達に、税金でまかなわれる公共の資金を政府からその受益者達に移送する権力を与えたのである。2006年に私は「汚い秘密を持つ寺院」という題の記事を書いたのだが、この中で、彼らがどのようにそれを行ったのか、システムがどのように働き、どんな恐ろしい結果が生まれているのかを説明した。

 その中で、ジョン・ケネディのこのシステムに関する不快感についてパレンティが記述する内容が書かれてある。彼はそのために犠牲になったのかもしれないのだ。彼は、紙幣を印刷しそれを政府に貸し付けることによって中心的な銀行家達が作り出す国の借金を根絶するために、連邦準備制度を終わらせようと望んだ。1963年6月4日に彼は大統領命令EO11110を出した。それは大統領に通貨を発行する権限を与えるものであり、連邦準備委員会(銀行カルテル)の紙幣ではなく、手始めに400億ドル相当の銀をベースにした「合衆国(財務省)紙幣」を印刷するように米国財務省に対して命じた。数ヵ月後、彼は死に、そしてリンドン・ジョンソンはこの命令を破棄した。

 エイブラハム・リンカーンは同様の運命に合った。それは彼が1862年に議会に法定通貨法案(the Legal Tender Act)を通させたことの結果かもしれない。これは、米国財務省に「グリーン・バックス」と呼ばれる紙幣を発行し、政府が南北戦争のための資金を発行して、リンカーンが必要とした貸付に24%から36%もの利子を要求する強欲な銀行家に支払わなくてもよいようにするためのものだった。戦争が終わった直後にリンカーンは暗殺され、いわゆるグリーンバック法案はそのすぐ後に廃止された。そして新たな国立銀行法が通過し再びすべてのカネを利子付きのものにしてしまったのだ。


合衆国「最高裁」 【小見出し一覧に戻る】

 パレンティは最高裁を政府の「官僚的な支部」と呼ぶ。そのメンバーが指名され、一生仕え、そして良かれ悪かれ大きな権力を握るからである。彼らは高額を支払われその影響力に取り入って利用するための「高価な贈り物と企業が支払う豪勢な旅行やその他のおびただしい利益を満喫する」。現在、それは以前よりもあからさまである。法廷の思想がビジネスや政府高官の支援の中で保守的で反動的となっているからだ(彼らの中にリベラルはいない)。しかし1930年代のニューディール時代でさえも、「最高裁は自由放任の資本主義の活発な要塞だった」。1937年までにホワイトハウスと世論の圧力が最終的にニューディール法案を最高裁に認めさせたのだ。

 パレンティはいかに最高裁が「(あらゆる方面での)資本家の権力に対する規制に反対し、その権力に反対を叫ぶ人々の市民的自由の規制を支持したのか」を説明する。過去でも今でも、「最高裁は彼らが言うところのラディカルな思想が持つ破滅的な性質を、その破壊的な効果として、そしてその抑圧の正当化として取り扱った」。そしてスミス法案の下では共産主義者や社会主義者たちに、彼らが政府の強制的な転覆ではなく異なる経済システムを宣伝しただけであるのに、有罪の判決を下すことができた。政府転覆ならば犯罪だったろうが。反対派の思想と信条は憲法第1改正条項の下で表現の自由として合法的なものである。しかし過去から現在までしばしばこの合憲的な権利を行使する人々は高い代償を払ってきた。そして最高裁や他の裁判所はずっとそのままである。

 「合衆国における革命の脅威は決して、革命的な思想から我々を『保護する』ために使用される基準としての現実的で有害なものであったことは無い。・・・本当の危険はトップにいる者たちから出てくるのだ。彼らは『受け入れられない』視点から我々を遮断するのである。抑圧の思想ほどに危険な考え方は無い」。パレンティはこのように指摘する。九人の裁判所がその権力の一部であるとき、自由と名目上民主主義の国家は地に落ちることとなる。

 パレンティは、最高裁が「各時代の空気と・・・裁判官達の政治的な構成」を反映していると説明する。大概の場合には最高裁は企業国家と保守的な事柄を支持する右派に寄りかかっているのだが。最高裁は、各件を聞くのか聞かないのかを選択することによって、判定にそのイデオロギーを反映させている。

 ウォーレンが主席判事を務めた最高裁は、今までに始めての「市民的自由」と立法府の再構成と「貧しい者達の経済的権利」の拡張に対して「繰り返しより豊かではない者の側に立って」判断した例外であった。彼の最高裁は異人種間の結婚を禁止する州法を終わらせ、1954年に「分離教育施設は本来的に不平等である」と定める画期的なブラウン・教育委員会裁判を取り仕切った。これは人種によって分離された学校を止めさせる第1歩であり、1960年代までに大きな前進を作る元となったものだった。

 パレンティは続けてウォーレン以後の最高裁は「大部分が右派的な方向」に傾く形に逆戻りした。彼は次のような様々の重要な要件を取り上げている。

--堕胎と性による差別については一部肯定的、一部否定的な判決を生んでいる
--女性や少数民族への雇用促進と市民権は差別を証明することを難しくしている
--刑事裁判はミランダ準則による被疑者の権利を弱め、子供への虐待者に被害者より大きな権利を与え、不当な捜査と拘束に対する禁止を弱めている、その他
--最高裁は1976年に死刑制度を復活させたが、近年は死刑判決の数が「切り詰められて」いる(実際の処刑者に比べての判決は減っている)
--諸法を掲げての経済的な不平等は弱者に対する福祉的援助とその他の措置を減らしている
--ブッシュ対ゴアではっきりした選挙制度の欠陥は、実際には勝っている候補ではなく敗者の方に(判定をひっくり返して)勝利を与えている
--大統領に一層強力な行政権が授けられている
--通常はビジネスに有利でアメリカの勤労者に敵対的な企業的経済の支配
--教会と国家の分離は最高裁による憲法第1改正条項の無視によって、宗教団体への税金の免除など憲法を犯す他の多くの決定によって、現在キリスト教極右過激主義者が国の政策に巨大な影響力を発揮している

 パレンティの本は現行の最高裁による6月決定が成される以前の2007年5月に発表されたが、彼はもしそれを聞いた後のものであったらきっと彼はそれにコメントしていただろう。全体に、最高裁はそれがどれほど頑強なものであるのかを強く押し出し、それは明らかに進歩的な人々が最も恐れた内容であった。表現の自由や堕胎の権利などの基本的な項目について強力に右傾化したと言える。

 一つの例は5対4で可決された判定だが、それは、選挙直前の期間にある特定の候補者の宣伝が現れることを許して、企業の資金による腐敗をより進める政治プロセスを許可するものである。つまりこういうことだ。選挙戦の活動に出す資金がうなぎのぼりになり、より資金の少ない候補者の勝つチャンスが失われる。他の決定で、偽善的にも、公立学校の生徒から表現の自由を奪った。彼らが最高裁の好まないことを色々と言ったからである。

 もっと面倒な例は、公立学校が「憲法第14改正条項が保証する法による平等な保護を黒人の子供に対して」拒否したことを差別であると断定した1954年の記念すべきブラウン・教育委員会裁判判決を骨抜きにしたことである。ロバーツの反動的な最高裁は、最初は公立学校は生徒の人種を明らかに考慮に入れる手段によって生徒の募集を行い維持しようとすることは出来ないとして、5対4で否決した。この決定は保守的な判事ブレイヤーを怒らせた。彼はヒステリックにこれを非難し20分のうちにこの決定を取り下げさせた。彼はそれを「過激な」歩みと呼び、「そんなに少数の者が素早く大きな変化を成し遂げるようなことは、法律の中であまり起こるべきことではない」と言った。判事スティーブンスは同様に怒り狂い、それを「この最高裁の最も重要な決定の歴史を(世論が)書き直す残酷な皮肉であり、(彼が判事となった)1975年のメンバーなら誰一人(それに)賛成しなかっただろう」と言った。

 もう一つの心休まらぬ傾向は、原告が裁判に持ち込む、つまり告訴する能力に制限を貸したことである。これはイェール・ロー・スクールの教授ジュディス・レスニックを怒らせ「彼らは今年法廷を閉ざした」と決め付けるにまで至った。

 パレンティは、最高裁はその時代の政治的な空気を反映すると本に書き判事は憲法だけでなく新聞も読んでいると強調したのだが、彼もまた怒っただろう。今日のように最高裁と大統領が「軍事保守主義者」であり議会が共謀しているようなときでは、判事達は公共の利益に背を向けて法外に活発になりうる。彼らが終身身分を保証されているため、その仕事は安全であり、主要なメディアは彼らの犯罪をもみ消してしまう。パレンティは「判事の野心を摘み取るために連邦判事としての終身雇用を終わらせる」方法を示唆する。それには高等裁判所の判事も含む。しかしそのためには憲法の改正が必要であり、これは極めて達成の困難なことである。


少数者のためのアメリカ民主主義 【小見出し一覧に戻る】

 我が「金権民主主義」においては、ほとんどの政策が特権階級を利して、大多数である一般の人々に敵対して働く。結果として、社会的不平等と不正が広く行き渡り、市民的自由はさっさと消え去り、金持ちはもっと金持ちになり、中産階級は削り落とされ、貧困と不足が拡大し、我々の政府と支配的なメディアはこんなことを言う。我々は米国であらゆる世界で最高の国の中でも最高の生活を送っている、と。これまでの章ではわずらわしい詳細を述べてそのような考えを追い払った。そしていまや実際にどのようなものがあるのか何の混乱も無く理解でき、バラ色の合衆国の描写は我々の大部分にとって何物をも変えないであろう。

 その欠陥の全てについて、その弁護者は言う。「民主的資本主義」(これは自己撞着なのだが)はゆるやかな改革を経て進化した、と。時としてそれは真実であったが、たいていの場合は権力の無い不活発な公衆は政府と軍隊を同盟者とする企業資本の権力とは対抗できない。パレンティは以下のように問う。

--我々は合衆国の政治経済システムを民主的意思(を反映している)とどのように呼ぶことができるのか。
--どんな民主的委任形態が政府をして民衆から金持ちに富を移動させるのか
--巨大企業に助成金を投げ与える
--巨大企業の利潤追求の機会として帝国主義戦争を行う
--我々の環境を危険にさらす
--下々の者どもを犠牲にして特権階級に給仕する
--民主主義を後退させ、余り余っているときにごく少数の特権階級のためにだけ十分になるようにする。アメリカを実際に変えるまでは、またそうしない限り、美であるはずのものが我々にとってジョージ・ブッシュの醜いアメリカであり続けるだろう。

 パレンティは総まとめとして言う。「より平等で民主的な社会をもたらすために何をすることが必要かということに不思議なものは何も無い」。彼は次の事柄を挙げる。

--裕福な企業的農業ではなく、貧しい農民に援助を与える
--環境保護と生態系の回復を促進する
--非能率で汚染の元となる自動車ではなく能率的な公共の交通機関を促進する。自動車の4分の1はガソリンを大量消費し、膨大な温暖化ガスを放出し、道路をほじくり返し、マジソン街のCMの天才たちが大勢の人々にそれ無しでは生活できないなどと吹聴した、あの危険なSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)である。
--公平で進歩的な関税システムを再導入し、富豪だけが得る利益を制限する
--独占禁止取締官を復活させ巨大企業を分割する。小さな地域的なものが良く大きな世界的なものは悪いという観点を促進させる。
--銀行カルテルが所有する連邦準備制を廃止し、政府が自分自身の紙幣を印刷して流通させることができ、私的な捕食者の利子を支払わなくてもよいようにする。
--強大な金銭的利益がコントロールする選挙制度を終わらせる。公的資金を全ての候補者にあてがうことを促進させる。今の選挙管理委員会を廃止し有権者が選んだ候補者が勝利者となるようにする。電子投票を廃止し選挙を運営する公務員の手によって数えられる紙の投票用紙を復活させる。コロンビア地区に州としての資格を与え十分な議会への代議士選出権を与える。
--貧困者に生活できる最低賃金と収入保証を与える制度を作る
--完全な雇用と団結権と経営に対する平等の発言権を促進する
--廃止されあるいは縮小された公共サービスを、その最も重要なものから、そして全員に供給される最大の必要性を持つものから始めて、設置していく
--国民全員に対する医療と歯科医療の平等な質、および老人と困窮者へのケアを保証する
--全員のための高いレベルの自由な教育制度を作り上げる
--それらの費用は、帝国主義戦争を終わらせ平和を促進することで、膨れ上がった軍事と祖国安全保障の予算を削ることで、何百もの不必要な外国にある軍事基地の施設と大部分の国内の基地を閉鎖することで、高額の兵器システムを終わらせることで、軍の規模を帝国的な冒険主義のためにではなく祖国防衛のために必要なレベルにまで規模を切り落とすことによって、まかなう
--性や人種や民族や宗教による差別と不当な法的不平等を終わらせる
--CIAやNSAなどの秘密の、巨額の費用がかかる、無頼漢のスパイ機関を廃止する。それらは国外でどんな民主的国家も許さない無法な行いをしているのだ。また国家ゲシュタポとして機能するDHS(国家安全保障省)も廃止する。
--公共の電波をその正当な所有者に返還する。そうしてあらゆる事柄に対しての企業と政府の検閲無しの、あらゆる視聴者にとって十分に公明で開かれたものとする。
--老人達と貧しい者達と障害者達がインフレ率にあわせた生活に必要な最低限度の収入が得られるようにする。これには進歩的で公平な収税システムによる全員のための公平な社会保障計画が付く。それは現行の、平均的なそして低賃金の取得者の負担で金持ちに甘い退歩的な天引きの収税システムではない。
--真の社会民主主義で、主要な生産手段に対する公的な所有を確立させる。市場の力は、他者を食い物にして自分の利潤を確保するようにコントロールする一部の者のためだけに機能する。これは過激な思想ではない。現実的なプランなのだ。

 パレンティは次のように結論付ける。「我々の目標は平等主義的で、共同主義的で、環境への合意のある、民主的社会主義(つまり真の社会民主主義)である。そこには様々な参加と生産の形態があり、安全と民主主義の両方を提供するものだ」。それは全員のためのものである。いま行われているようなごく少数者だけのためのものではない。「そこに現存のシステムを脅かすものは何も無い」。もし多くの面で失敗した社会があるならば、それは全員のために機能する新しいものに取り替えられるべきである。

 それは、「個々の案件に関するばかりでなく(民主的な変化を徹底させるための)運動のために幅広く組織される(方向の)根本的な変化」を伴って起こすことができる。おそらくそのときが来るであろう。パレンティは言う。過去に起こったように、「(今日)無敵に思える人々がその絶頂から揺り動かされるときに」、それが粘土の足を持っていることが暴かれ白日の元にさらされるときに、である。我々全員はそのときに、彼らが「ごく少数者のための民主主義」を代表していたのであり残りの我々のものではなかったことを知るだろう。そして彼らの時代が過去のものとなり全員のための新たな社会秩序に取って代わられるであろう。もし十分な数の人々がこのことを信じ、そしてそれを実現させるべく効果的に活動していくならば、それは起こるだろう。パレンティによる最新エディションは、そのときに「ごく少数者のための民主主義の終りいかにして多数者が特権階級に打ち勝ったのか」と呼ばれることになるかもしれないのだ。

(翻訳終り)
inserted by FC2 system