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復刻版: ベネズエラにおけるブッシュ・ファミリーの

    いかがわしい商売

レベリオン誌;エドガー・ゴンサレス・ルイス著

 この拙訳は2005年6月に私(童子丸開)がスペイン語から和訳して季刊『真相の深層』誌(木村書店、廃刊)に寄稿した後、私の旧HPに掲載していたものである。(外部リンク先にはすでに通じなくなったものが含まれているかもしれない。その点はご容赦願いたい。)
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【翻訳者より】
 この論文は2004年6月23日付のインターネット情報誌レベリオン(スペイン語)に掲載されたものである。レベリオン誌は、レッ・ボルテールと並んでスペイン語圏で最もよく読まれている左翼系情報誌の一つであり、またこの文章の作者エドガー・ゴンサレス・ルイス(Edgar González Ruiz)はメキシコ人で、現代ラテンアメリカで最も人気のあるジャーナリストの一人である。
 この論文に書かれてある事実は日本ではほとんど知られていないことばかりだろう。ブッシュ息子政権はベネズエラとキューバの政権転覆と新しい形態のラテンアメリカ支配を目論んだが、この論文にはそれまでラテンアメリカの利権・権力構造の中にブッシュ・ファミリーがいかにあくどく食らい込んできたのか、の実態が描かれている。特にジョージ・W.ブッシュの弟でフロリダ州知事のジェブ・ブッシュがベネズエラとキューバ人(亡命者)を相手に繰り広げる「いかがわしい商売」が存分に暴露されている。
【なお、ここに登場する中南米の資本家たちの《終りの無い利益追究》はスペインの同類たちのそれと瓜二つである。その結果、2007年から始まったいわゆる「経済危機」によって事実上国家の機能を喪失したスペインの惨めな姿については『シリーズ:「中南米化」するスペインと欧州』、『シリーズ:『スペイン経済危機』の正体』をご覧いただきたい。】

 本文中の『 』は著者が他の記事や論文から直接に引用した部分を表しており、また[1][2]等は翻訳者による注釈のナンバーである。

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(原文)http://www.rebelion.org/noticia.php?id=925

2004年年6月23日 レベリオン

腐食構造、テロリズム、そして石油利権

ベネズエラにおけるブッシュ・ファミリーのいかがわしい商売

エドガー・ゴンサレス・ルイス著


 ブッシュJr.政府はイラクへの血みどろの侵略を推し進め、さらに軍の反乱から「民主主義への道」に至るまでのあらゆる手段を動員して、ベネズエラのウゴ・チャベス政権を突き動かしている。この二つの国は共通して大量の石油資源を持っているのだ。

 ブッシュ大統領の弟でフロリダ州知事であるジェブ・ブッシュは、チャベス政権転覆を最も熱心に推し進めた者の一人である。彼はチャベスに対して「気違いの一種」と呼ぶに至り、その政府を「国際社会から孤立させることが重要である」というほどであった。この問題の多い知事によると「チャベスがフィデル・カストロから受ける援助とカストロがチャベスから受ける援助は互いに力づけ合っている。彼らを孤立させることは、この地域にとってまたラテンアメリカにとって、重要な意味を持つだろう。」ということらしい。

 しかし、ベネズエラの転覆を正当化する「民主主義の擁護」という信じがたいレトリックから離れてみると、ブッシュ一味はずっと以前から、ジェブも含めて、この国の利権構造に食らい込んでいるのである。そこにはまた独占的利益を上げる巨大資本とベネズエラに渡った亡命キューバ人たちが絡む。

 2000年11月19日にマイアミで発表されたジェラルド・レイエス記者[1]の記事に次のように書かれている。ジェブは1977年、父親がCIA長官に任命された年に、ベネズエラにコマース・バンクの代表として就任した。このテキサスの銀行はジェイムズ・ベーカーが率いており、ベーカーはブッシュ父の友人、そして後に米国の国務長官となる人物である。それ以来ジェブは、メキシコ人の妻コルンバ・ガルニカと関係を持ったおかげでスペイン語を流暢に話し、それによって『彼の家族はベネズエラの石油富豪たちに急速に受け入れられていった』。1980年、父親が副大統領に選ばれると、彼は『この国で最も国際的な都市』マイアミに居を構えた。その後の年月でジェブは大富豪になっていくのだが、キューバ人の都市デザイナーで在米キューバ国家基金[2] の反カストロ主義指導者であるアルマンド・コディーナと親交を結ぶ。そして大きな影響力を持つコディーナに保証された投資家を周りにつけることによって、5万ドルにのぼる巨額の手数料を稼ぐことになる。また彼は同時にミゲル・レカレイとも関係を持つが、この男はキューバ系米国人の企業家で、マイアミにある自分の総合病院に対する多額の国庫補助を着服した罪で刑を受けた。レカレイはその資金をマイアミの公衆保健機関に迂回させ、自分の署名で国際医療センター[3]を組織させた。それはニカラグアのコントラにいる傭兵たちのための医療サービスであった。ジェブもまた同様にこの企業から75000ドルを受け取った。尽きることの無い新たな仕事の場をそれに得させるためである。

 この種の商売で、41才になる1994年にはジェブは200万ドルを超える財産を持っていた。その3年後にレカレイは、ジェブ・ブッシュと80年代の有力政治家たちの『影響力を買っていた』と語った。そして連邦調査員たちが彼の事業を営業停止にすることを防ぐために、ジェブ・ブッシュや、元大統領ロナルド・レーガンと当時の副大統領ジョージ・ブッシュ周辺の人間に対して、相当の金額を払った、とも語った。国庫補助金から約3億ドルを引き出した後、レカレイは、後でスペインへ飛ぶためだが、まずベネズエラに逃げた。これらの悪事の告発を聞いたときジェブは全面否定した。レカレイから受け取った小切手は正当な資産を売ったことによる手数料の結果である、と言ってである。

 フロリダを治めるようになってから後、ジェブ・ブッシュが過激な亡命キューバ人の友人や支持者たちを援助してきたことはよく知られている。その連中がベネズエラであらゆるタイプの作戦に参加しているのだ。2001年にジェブ・ブッシュと、リンカーン・ディアス・バラートやイレアナ・ロス・レシーネン、そしてヘリティジ基金と極右共和党員の上院議員ジェシー・ヘルムズは、黒い過去を持つ極右主義者で亡命キューバ人のオットー・レイヒ[4]を支援して、国家西半球局[5]の副事務局長に指名させた。レイヒはロナルド・レーガンの政府で国務省の中南米外交室[6]長であり、1986〜89年の間ベネズエラの米国大使を務めた。同時に、失敗した2002年のチャベス政権転覆を手助けしたと非難されている。その首謀者は、企業主でベネズエラ経済連合フェデカマラスの会長であり石油部門の利権を握るペドロ・カルモナであった。わずか48時間しか続かなかった彼の政府で、つかの間の独裁政権を宣言して最初にとった手立ては、ベネズエラで生産する石油の量を2倍にすることとキューバへの輸出を禁止することであった。これは明らかに、チャベスに対するクーデターの第一推進者であったブッシュ政権によって言い渡された政策だったのだ。

 同様に2002年には、民主党上院議員のクリストファー・オッドは次のように語った。レイヒは自分がベネズエラ大使であったときに亡命キューバ人のテロリストとして非難されているオルランド・ボッシュ[7]を米国に逃がす手伝いをした、と。ボッシュは、1976年にバルバドスで起こったキューバ航空の飛行機爆破事件の犯人としてベネズエラの刑務所にいたのである。1978年の1月、オルランド・ボッシュはベネズエラの刑務所を抜け出して、レイヒが発行したビザのおかげで、そこから米国に向けて違法出国した。そして米国で、条件付の釈放が考慮されずにすぐに逮捕されてしまった。それに対して、在米キューバ国家基金とイレアナ・ロス・レシーネン[8]、および後に彼女と共に仕事をすることになるジェブ・ブッシュが、彼の釈放のために激しい運動を組織した。[9]

 ボッシュに加えて、反カストロ主義者ルイス・ポサダ・カリレス[10]もまたそのテロに加わった。コロンビアのジャーナリストであるエルナンド・カルボ・オスピノの論評によると、カリレスは1967年以来ベネズエラでCIAのために『左翼組織抑圧のために雇われた部隊の顧問』として働いていた。カルボ・オスピノは、この爆破事件の容疑者に対する裁判は『弁護側の妨害の連続で多難なものであった』と強調する。予審を軍事法廷に回さねばならず、この事件を担当した裁判所の判事は殺害の脅迫を受けてこれを投げ出してしまった。マルシアル裁判所の長官であるエリオ・ガルシアは、やめようとしなかったため息子を殺された。『このような経過を見れば、CIAの関与がどこかにあると感じないとすれば余程天真爛漫であるにちがいない。米国政府がポサダとボッシュの裁判に対して一言の情報も入れないことを決めた時に、大きな疑問が沸き起こった。』

 しかし他のブッシュ・ファミリーのメンバーたちもベネズエラには重要な関係を持っている。チャベス政権に対するクーデターの失敗の後、その推進者の一人としてグスタボ・シスネロスの名が取りざたされた。テレビ業界の重鎮で元大統領ジョージ・ブッシュ父の友人でもある。シスネロスは表向きにはクーデターへの関与を否定している。しかし週刊誌ニューズ・ウィークは、ペドロ・カルモナが臨時政府大統領として政府公舎に向かう前に『シスネロスの事務所から出て行くのを目撃された』と指摘した。ニューズ・ウィークによると、ベネズエラの国会議員ペドロ・パブロ・アルカンタラは同誌に対し、カルモナの短い独裁政権はシスネロスの事務所で組織され、彼こそがこの謀略の『最高責任者である』と語ったのである。この雑誌は同時に、この無謀な企ての最中にオットー・レイヒがシスネロスに『2回か3回の』会話をした、と報道した。それらの電話での会話の一つは13日の土曜日にシスネロスの方から行われたもので、その日には激怒した無数のチャベス支持者たちが彼のテレビ局であるベネビジョンの建物を取り囲んでいたのだ。

 ベネズエラの情報源の一致するところによると、チャベス支持者と反チャベス派が衝突し25名ほどの死者(その多くが親チャベス派だった)を出した2002年4月11日木曜日に、ペドロ・カルモナはそのデモの中におらず、シスネロスに招かれて、カトリック教会会議議長のバルタサル・ポラスや新聞社社長ラファエル・ポレオなどと一緒に、居心地良く作られたベネビジョンの重役室の中にいたのだ。

 したがって、シスネロスがブッシュの宣伝係として将来の大統領選挙にチャベスに対抗する人物と目されるとしても不思議ではない。それは、米国に支援された大統領罷免の国民党票で反対派が勝つのなら実現へ向けて前進するのかもしれない。[11]

 57才のグスタボ・シスネロス・レンディレスは約50億ドルもの資産を持ち、ラテンアメリカではメキシコのカルロス・スリムに次ぐ大富豪の一人である。シスネロスは雑誌フォーブスによれば世界の大富豪500名中64番目に位置する。

 キューバ人の子孫であるシスネロスは米国最大のスペイン語放送局ユニビジョンの筆頭株主であり、ベネズエラのベネビジョン、チリビジョン、コロンビアのカラコル・テレビジョン、カリビアン・コミュニケーションズ・ネットワークなど、いくつかの国のチャンネルと、同時に飲料メーカーであるパナムコを所有し、現メキシコ大統領ビセンテ・フォックスが雇われていた国際企業コカコーラの株主でもある。彼の同僚パトリシア・フェルプスと一緒に、彼はホワイトハウスの重要招待者リストの中に、ロナルドとナンシー・レーガンと共に挙げられている。[12]ブッシュ父とシスネロスの親愛に満ちた関係の中で、彼らは米国企業がベネズエラの国営石油企業ペトロレオス・デ・ベネスエラの経営に参入する計画をテキサスでの交渉リストに盛り込むことを、何よりも重視していると言われている。(Noticias. Com:2004年6月6日)

 グスタボ・シスネロスはフロリダでと同様にベネズエラでも彼の友人であるジョージ・ブッシュと魚釣りの旅行を楽しんでいる。[13]そして、資本には良心も思想も無い、と語り、そしてまた深い親交を結んだビル・クリントン政権の国務長官サイラス・バンスは彼の相談相手であった。

 シスネロスは、「終わりのない利益」追究の組織であるアメリカ大陸諸国国際投資協会(The Americas Society)に影響力を及ぼしている。この組織にはまたデイヴィッド・ロックフェラーとチリのメディア企業社主アグスティン・エドワーズが加わる。このエドワーズは、CIAの支援を受けてサルバドール・アジェンデの合法的な政権を倒した陰謀の鍵となる人物の一人でもあった。

 1985年1月にベネズエラで米国人リンドン・ラルーシュのシンパが数多く逮捕され、「麻薬密輸会社(Dope, Inc.)」[14]という題名の本のコピーが200冊押収された。その本にはシスネロス家が資金洗浄に携わる人物や組織と関係を持っていることが書かれていた。何年も後になってその本の編集者たちは、シスネロス家が経営するある企業に雇われたペプシコーラ株式会社所有の飛行機が、1985年1月14日にフロリダのホリィウッドで麻薬取締官の捜査を受け、その中で50グラムのコカインが入った袋が見つかった、ということを証明する文書を公表した。シスネロスはその飛行機での事件を認めたが、取締官たちがそれを犯罪とはしなかったと主張した。

 グスタボの弟でファミリー帝国経営のナンバー2であるリカルド・シスネロスはベネズエラの歴史上で最も衝撃的なスキャンダルを引き起こすこととなった。1994年のバンコ・ラティノ銀行の大損害はこの男が原因だったのだが、ベネズエラのある判事が、この銀行の重役の地位を利用した不正行為であるとして、リカルドを逮捕する命令を出した。告発によるとこの銀行の重役たちが、そのいくつかは自分たちが経営している企業群に、安全な貸し出しの限度額を超えた融資をしたためこの銀行の資金は底をついてしまった。リカルドは逮捕の命令から逃れて国外へ脱出し外国暮らしを続けた。

 一方で、大統領ブッシュ息子のベネズエラにおける協力者はルイス・ヒウスティである。彼はエネルギー関連のブッシュの代理人として仕事をしている。ルイス・ヒウスティは、1994年から1999年までペトロレオス・デ・ベネスエラ(PDVSA)の社長だったのだが、この国営石油企業の民営化を図った。石油エコノミストのラファエル・キロスによると、ヒウスティは常に愛国主義、国民主義、国家の主権に対して疑問を発し、これらの言葉を『現代世界の現実に合わせなければならなかった』と強調していた。それはPDVSAを放棄しなければならなかった、という意味に理解できる。ヒウスティはこのように声をあげた。『この場で主権だの愛国心だのという概念が振りかざされる。もうたくさんだ。』(El Nacional紙、1998年7月7日、E/2ページ)その後、同年(1998年)8月に、第54回通常国会の期間に彼は強調した。『私は、この企業はその投資を市場の中に出していかねばならない、と思っている』。PDVSAの仕事から去るときにヒウスティは米国に移住しようとしていた。『シェル石油会社に再就職するために、である。それまでも彼はほぼ間違いなくシェルのために仕事をし続けていたはずだ。今ではそこで優秀な「シェル・マン」として彼の元々の雇い主のために働き、そして今日「ブッシュ・マン」、つまり米国大統領ジョージ・W.ブッシュの代理人に変身して、西半球のためのエネルギー計画の中で働いている。』

[脚注]
[1] ジェラルド・レイエス(Gerardo Reyes)は、マイアミに本拠地を持つ新聞社エル・ヌエボ・ヘラルド(El Nuevo Herald)の記者、作家。
[2] Fundación Nacional Cubano Americana(FNCA)。本部をマイアミに置き全米に支部を持つ亡命キューバ人組織。一九八一年創設。
[3] the International Medical Centers(IMC)。本文にあるとおりニカラグアのコントラに対する援助機関。ジェブ・ブッシュとの関係については次の資料に詳しい。  http://www.informationclearinghouse.info/article3335.htm  ‘Frauds-R-Us’  The Bush Family Saga
[4] 亡命キューバ人Otto Reichは本文にもあるように常に米国の共和党政権中枢部に食い込んでおり、中南米各地での政治謀略やイラン・コントラ事件に深い関わりを指摘されている。
[5] State Department-Western Hemisphere。日本語ではラテンアメリカ局ともいわれる。
[6] Department of State Office of Public Diplomacy for Latin America and the Caribbean
[7] Orlando Bosch。亡命キューバ人で反カストロ主義テロリスト組織「革命組織連合共同委員会」(CORU)に所属していた。

[8] Ileana Ros Lethinen。フロリダ選出の共和党米国下院議員。ピーター・ゴス現CIA長官などとも親交が深い。
[9] 米国へ違法入国の後で司法省はボッシュを国外追放にしようとしたが、結局は父ブッシュが1990年にその動きを握りつぶし、ボッシュは現在もマイアミで生きている。
[10] Luis Posada Carriles。本文にもあるように、73名が死亡した1976年のキューバ機爆破事件ではボッシュと共に主犯と見なされている。また1997年にイタリア人観光客1名が死亡したハバナでの爆破事件を起こし、ボッシュ同様にイラン・コントラ事件への関与も指摘され、2000年にパナマでカストロ暗殺未遂事件の犯人として逮捕された。パナマはおそらく米国の圧力で彼を釈放し、カリレスはフロリダに隠れ住んでいた。度重なるベネズエラとキューバの抗議の末、2005年5月に米国当局はカリレスを不法滞在の名目で逮捕、キューバ機爆破事件裁判を進めようとするベネズエラは米国に対して身柄引き渡しを要求している。またレベリオン誌は米国当局がこのキューバ機爆破事件を事前に知っていたにも関わらず、キューバに知らせなかったことをCIAの文書資料を提示して暴露している。
(参照:Rebelión 20/-5/2005  http://www.rebelion.org/noticia.php?id=15439 )
[11] 実際には、2004年8月に行われた国民党票は圧倒的なチャベス派の勝利だった。
[12] この記事が発表されたときにはロナルド・レーガンはまだ生きていた。
[13] レッ・ボルテール誌によると、シスネロスの釣り仲間の中には、スペイン元首相で社会主義者のフェリペ・ゴンサレスもいる。
[14] リンドン・ラルーシュ(Lyndon Larouche)がこの米国国家がらみの麻薬密輸の実体を暴くDope, Inc.の初版を出したのは1978年。このときロンドンとウォール・ストリートの有力な銀行家がもみ消しにかかり、ユダヤ人組織ADLは大金を使って米国政府を動かしラルーシュの社会的抹殺を図った。この本は1985年と86年に再版が出された。

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