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このシリーズを、2004年3月11日にマドリッドで失われた全ての命に捧げる
まやかしの「イスラム・テロ」

マドリッド3・11 (2)

「ザマミロ!アスナール!」で済むのか?


(3)3月11日朝、列車爆破

 以下の記述の元となった情報は、私が全国紙エル・パイス、エル・ムンド、カタルーニャ地方紙エル・ペリオディコなどといったスペインで購読数の多い著名な新聞から集めたもののみである。

 
 3月11日(木曜日)。7時37分、マドリッドの中心でスペイン最大の鉄道駅であるアトーチャ駅に入ろうとした電車で1回の大きな爆発。その1分以内に同じ列車で2つの爆発が起こった。それとちょうど時を同じくしてマドリッド市内にあるエル・ポソ駅に停車中の電車で2つ、サンタ・エウヘニア駅では1つの爆発で客車が破壊された。そして7時39分にマドリッドの中央駅アトーチャ駅から500mの地点で他の列車で4つの爆発が起こった。合計で10回の爆発である。満員電車の車内に仕掛けられた時限爆弾だった。各現場は阿鼻叫喚の地獄と化し、合計で191名の死者、1500名を超える負傷者を出す大惨事となった。今でも後遺症に苦しむ被災者は多い。現在までスペイン政府は犠牲者遺族や負傷者とその家族を支援するために多額の援助を行い続けている。


(4)ETA? イスラム?

 午前中の段階で捜査陣は「ETAの手口とは異なる」との認識を示した。そして、「市民の通報」により正午までにコーランが録音されたテープと7つの起爆剤(普段ETAが使用するものとは異なる)が、マドリッド近郊のアルカラー・デ・エラネスにあるサンタ・エウヘニア駅付近に放置された『盗難車の白いバン』の中で「発見」された。しかし午後1時に内相アセベスは、「ETAがその目的を達成した。政府は何の疑いも持たない」と発表。以前から、ETAが数ヶ月にわたってマドリッド攻撃を準備しており12名から30名のETAメンバーがマドリッドにもぐりこんでいる、という情報が警備当局からもたらされていたうえに、午前中には「ダイナマイトがETAの使用しているものと同タイプ」という情報も受け取っていたからである。なおこの『盗難車の白いバン』は後に大きな問題を引き起こすこととなる。これについては稿を改めよう。

そのすぐ後で、ETAの合法政党であるバタスナ党の党首オテギが「ETAではなく『アラブ・テロ』だ」と発言。さらにロンドンのアラブ系新聞、アル・クッヅ・アル・アラビは「アブ・ハフス・アル・マスリ旅団(自称アルカイダ系)」の署名の入った「犯行声明」を受け取った、と発表。その後、アセベスの発言は「ETAが第1容疑者であるが他の可能性も捨てない」と変化。しかし政府報道官サプラナは「ETAに焦点を絞っている」と固執。また首相のアスナール自らが各新聞に「ETAの犯行」と書くように電話で圧力をかけたとされる。諸政党は選挙戦を中止して12日に全国で「反テロデモ」を主催することに合意。

 翌12日午後7時から全国で1千万人を超える(主催者発表)国民がスペイン各地で「テロ反対」を訴えるデモ。捜査当局は「コーランのテープが発見された盗難車の白いバンは爆発物を運ぶために使用された」と発表。また「不発弾」となったダイナマイト入りのカバンの存在が公表された。爆薬が今までETAが使用していたものとは異なることが分かる。

 しかし政府は「あらゆる可能性を排除しない」としながらもETA説にこだわりつづける。アセベスは「英国の内相デイヴィッド・ブランケットと話をしたが彼もアブ・ハフス・アル・マスリ旅団の犯行声明はあてにならないと話していた」と発言。夕方にはETA自ら犯行を否定。国連安保理でスペイン代表のごり押しで「ETA非難決議」が採択される。夜になり欧州の情報機関筋は「イスラム・テロが唯一の適切なヒント」という認識を示したが、政府首脳はETA説に固執。
 次の13日になっても政府・国民党の姿勢に変化は無く「ETAは200名の死に最も責任がある」と言いつづけた。しかし「アルカイダによる犯行声明」のビデオが「発見」された。エル・パイス紙によると、このビデオは匿名の電話で見つかったとされるものだが、「アルカイダの欧州の軍事スポークスマン」を名乗るアラブ人風の服装の男がモロッコなまりのアラビア語で「事件は我々の責任だと宣言する」と語っていた。この男は2002年にスペイン裁判所の判事によって尋問されたことがあるという。 また「不発弾」に使用された携帯電話から3名のモロッコ人と2名のインド人が逮捕される。そして総選挙当日、スペインで最大の購買部数を誇る「進歩派新聞」エル・パイス紙は「総ての物証はアルカイダを示している」という1面記事を大きく載せた。

 このような事件発生初期の経過を、それ以降に続く事件捜査の過程に、国会の「311委員会」での調査に、事実上アルカイダとは無関係で犯行の「頭脳」とはなりえない者達だけに無期懲役を科した311裁判判決に、それぞれ重ね合わせてみた場合には、どうにも釈然としない不自然さばかりが残る。このテロを計画し実行したのは、要するに「アルカイダでもなくETAでもないある勢力」としか言いようがないのだが、2007年の判決は実質的に「首謀者不在」としてしまったのだ。

 計画し、組織化し、資金を与え、指示を与え、実行させ、その効果を確認し享受する首謀者なしで、どうやってこんな大規模な犯罪が可能だというのか? 裁判所が「不在」にせざるを得ないような首謀者 とはいったい誰なのか?


(5)「デマ・クラッシー」と選挙結果

 総選挙前日13日の夕方6時30分、ラジオ局SERが、インターネットや携帯電話で呼びかけられた数千人の群集がマドリッドの国民党本部前でデモ(無届)をしている、と伝えた。「国民党が軍事クーデターを起こそうとしている」というデマが大々的に飛ばされたのだ。このデマは国際的に有名な映画監督のアルモドバルがすっかりひっかかったほど煽情力を持っていた。特に左翼的な人々は興奮し、大勢のデモ隊が国民党本部を取り囲みほとんど暴徒と化していた。CNN+テレビはすぐにカメラを持って駆けつけ、CNNインターナショナルや他のヨーロッパのテレビ局も中継を始めだした。ラジオ局COPEもサッカー中継を中止してこのデモを中継し始めた。この「違法デモ」が社労党の電話によって引き起こされた、という説もあるが明らかではない。また「違法」にもかかわらず警察当局による強制排除が強力に行われた形跡も無い。
 最初に扇動した者が誰なのかは分からない。しかし「政府は嘘をついている」「イラク出兵のためにテロが起こった」、果ては「クーデター」の《情報》までが駆け巡ったことは事実である。インターネット、携帯電話という瞬時に大量の情報を大勢の人間に伝える道具が実に有効に働いた。総選挙の結果から見ると確かにこの「直接民主主義」は功を奏したのだろう。しかしこれは「デモクラシー」というよりも「デマクラシー」 と言った方が正確なのではないか。しかもマスコミははやしたて警察当局も手を出さなかった。私はあのちょび髭の小ヒトラー、カルト政経集団オプス・デイの重要関係者アスナールなどにはむしろ嫌悪感を感じるし、しょせんはフランコ与党ファランヘ党の成れの果てでしかないスペイン国民党には冷ややかな感情しかもてないのだが、このような不自然な動きには強い警戒を感じる。そしていくつかのマスコミは翌日の選挙で「社労党の逆転勝利」の可能性を示唆し始める。
 3月14日の総選挙の結果は以下の通りである。
【※ PPは国民党、PSOEは社労党、CiUは「集中と連合(カタルーニャ民族主義右派)」党、ERCはカタルーニャ左派共和党、PNVはバスク民族主義党、IUは統一左翼(共産党系)を表す。】
●スペイン全体の主要政党の当選議員の数を前回2000年の選挙と比較すると、
PP:183→148、 PSOE:125→164、 CiU15→10、
ERC:1→8、 PNV:7→7、 IU:9→5、 その他
●投票総数と得票数を万単位で見ると、
全体:2318(68.7%)→2573(+255:77.21%)
PP:1032→963(−69)、 PSOE:792→1091(+299)、 
CiU:97→83(−14)、 ERC:19→65(+46)、 
PNV:35→42(+7)、 IU:138→127(−11)、 その他

 国民党の得票数は減ってはいるが議員数の減少ほどには減っていない。逆に社労党は投票者総数の上昇以上に議員数を伸ばしている。上記の党以外の地方政党、弱小党派は現状維持か議席を失っているので、投票総数の上昇と他の政党からの鞍替え分が社労党に乗っているようだ。統一左翼が減った分は恐らくほとんどが社労党に流れているだろう。しかし国民党から社労党への鞍替えはさほど多いとも思えず、他の小政党に流れたことも考えられず、国民党が失った69万人の過半数は棄権または白票の可能性が高い。(白票総数は約41万。)
なお「集中と連合」およびカタルーニャ左翼共和党の二つの地方政党が3,4位につけているが、これはスペインの総選挙の制度が各州にある県を単位とする完全比例代表制だからであり、各地方で万遍なく票を集めている統一左翼は得票数の割には当選議員は少なくなる。

 しかしこれを地方別に見てみるとまた異なった姿が現れる。スペインの土地勘の無い人には理解が難しいだろうが。

 最も変化の激しかった地方が北東部カタルーニャ、アラゴン、南部アンダルシア、北西部ガリシア、そして北部のバスクの各州である。
 カタルーニャでは投票率が13%も伸び、保守系総崩れ。
PSOE:17→21、 CiU:15→10、 ERC:1→8、 PP:12→6、 ICV,EUiA(IU系):0→2
 アラゴンは元々国民党の票田だが
PSOE:4→7、 PP:8→5
 アンダルシアは元々社労党の地盤だが、今回は特に
PSOE:30→38、 PP28→23
 ガリシアは元々国民党の絶対的牙城なのだが、
PSOE:6→10、 PP:16→12、 BNG(ガリシア民族主義):3→2
 バスクは民族主義勢力のほかに国民党も強かったのだが
PNV:7→7、 PSOE:4→7、 PP:7→4、 EA(民族左派):1→1
 強力な国民党の地盤である首都マドリッドでは国民党が何とか勝ったが、
PSOE:12→16、 PP:19→17、 IU:3→2
 他のスペイン中央部の地方ではほとんど変化なしという例が多い。

 こうしてみると、国の周辺部、特に中央のカスティーリャ民族と異なる少数民族の地域ほど激しい変化が起こっている。アンダルシアは言語こそカスティーリャ語の方言だが歴史的な成り立ちも人の意識も文化も中央部とは全く異なり「少数民族」と言っても良い。またアラゴンは中世はカタルーニャと連邦を築いておりこれも中央部とは歴史基盤が異なる。したがって今回の選挙はアスナールが推し進めた中央集権的な方向に対する「周辺部・少数民族の反乱」という面も見逃せない。
 先ほどの13日夜の騒乱状態もマドリッドの一部で起こったくらいで、他の地方にはさほど影響しなかったのではないか。もちろんテレビニュースでも流されたので緊張感は高まっただろうが、周辺部の少数民族地区で一気に地殻変動を起こすたちのものではない。むしろヨーロッパの他の国々向けの「ショー」の要素が強いだろう。

 そして、ここが肝心な点だが、果たして「イラク出兵のためにテロが起こったという国民の意識」がこの「地殻変動」の最大の原因なのだろうか? 当時、日本も含めて世界の報道はどうやらその辺に落ち着いていた。しかし私はそれには強い反発を感じる。「3.11以来の政府の対応がまずかった」というような報道も的が外れているだろう。国民党政府はむしろ、これは報道官のサプラナが後日ちらりとぼやいたのだが、「はめられた」と言ってよいようだ。

 そうではなく、アスナール政権が数ヶ月かけてETAを出汁にして「臭い演出」を行ってきたことが3月11日から13日の間に一気に暴露されてしまい、それまで中央集権的な国民党政府に対して押さえに押さえていた民族感情・地方感情と合わせて、「そこまで俺たちを馬鹿にするのか」という憤りを爆発させた人が大挙して投票所に向かい「国民党No!」の票を社労党に入れた、というのが真相ではないだろうか。国民党支持者にしても社労党支持者にしても、「槍が降ろうが刀が降ろうが」無条件に投票所に向かうような基盤を持っているのだが、浮動票の20%程度の移動があれば十分この程度の結果は出る。前の総選挙でETAのテロを実に上手に利用してアスナールの国民党は絶対多数を獲得した。しかし多くの国民が伝統的な反米・反戦意識との矛盾を感じながらも国民党を支持してきた複雑な意識、そして特に周辺部の人間の民族的・地域的な反発が、限界に近づいていたことは事実なのだ。

 しかしスペイン国内の主要な論調、特に「進歩的」「左翼的」な識者は 「イラク出兵のためにテロが起こったという国民の意識」を強調し、外国のマスコミも積極的にそのような見方を固定させていった。そしてこれが各国国民に確実に「テロは怖い」意識を植え付け「テロ対策の必要性」「テロ対策のためなら自由の制限は仕方がない」という言い様が容易に受け入れられるようになった。そしてそれは《テロ=アルカイダ=イスラム》の『無謬の恒等式』と結び付けられ、すでに明らかになっていたイラク戦争の大嘘に対する懐疑と追求の意識を吹き払い、米国ではブッシュ再選に道を開く大きな力となった。

 結果として4月終りにはスペイン軍がイラクから引き揚げたが、最初からほとんど大して役に立っていた部隊でもない。そして首相となったサパテロはアフガニスタンへの派兵増強に踏み切った。要は「配置転換」に過ぎないのである。イラク戦争「旗揚げ」に尽力したアスナールが痛い目に遭ったわけだが、米国としては「小を捨てて大を取った」ともいえる。

 面白い後日談がある。3月25日に自分にとって最後になるEU首脳会議に出席したアスナールは、フランスのシラク、ドイツのシュレーダーという以前から仲の悪かった首脳たちばかりではなく、「対テロ戦争三馬鹿軍団」の盟友である英国のブレアーとも、顔を合わせた際に挨拶すらせず一切口をきこうともしなかった。彼が親しく話し合ったのはイタリアのベルルスコーニのみで、昼食会にも出席せずに帰国した。いくら大恥をかいたからといってもあまりにも不自然な態度のように思える。

 もっとも、赤恥をかかされたアスナールには、米国議会からこれまでブレアーにしか与えられなかった名誉ある「金メダル」が授与されたうえに、多くの政治家を輩出するニューヨークのジョージタウン大学に客員教授として招かれるという「ご褒美」が待っていた。また彼の閣僚達は、たとえば財務長官のロドリゴ・ラトはすぐにIMFの総裁に抜擢され、EU議員だったロヨラ・デ・パラシオ(外相アナ・パラシオの姉、姉妹そろってオプス・デイ会員)はEU議会の副議長に昇進した。ただし、件の「金メダル」はアスナールが事前に200万ユーロのカネを使って「買った」という噂もあるし、彼は英語がほとんどダメで大学の客員教授が無事に務まったかどうか保証の限りではない。これについては以下の阿修羅投稿をご参照いただきたい。
http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/949.html

マドリッド3・11(3) バーチャル・リアリティの事件捜査 に続く
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