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ワルシャワ労働歌、インターナショナル等、
スペインでは

※ これは2004年10月04日に阿修羅サイトに投稿した文章に訂正・加筆を施したものである。
http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/1052.html

 私がもう8年以上前にバルセロナにやってきまして、こちらのテレビを見ていくつか「ギョッ」としたことがありました。まず、テレビを買って朝スイッチをひねってみたところ、いきなり飛び出したのがなんと「ウルトラマン」。こんなユーラシア大陸の西の果てで毒蝮三太夫の顔が拝めるとは思いませんでした。ま、これはどうでも良いのですが、次に「ギョッ」としたのは、テレビのスピーカーから「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」が響いてきたときです。思わず「間違ってキューバに来てしまったのかな」と思いました。(冗談ですが。)
 よくよく見ると、スペイン内戦のときの記録フィルムなんですね。当時スペイン語はほとんど分かりませんでしたが、一応スペイン内戦の予備知識がありましたので、何とかおよその筋はつかめました。1990年代の終わりころまではテレビで内戦のドキュメンタリーがかなりの数で放映されていました。2000年の総選挙で国民党の単独過半数による第2次アスナール政権ができて以来、それがぐっと減ってしまったのですが、恐らく1982年に社会労働者党のゴンサレス政権ができて以来、それまで全く封印されていた内戦時(1936〜39)の映像が様々に編集されて、フランコ時代の名残の払拭という政治目的もあって、何度も放映されたのでしょう。
 そしてその放送で、共和国軍の場面になると、決まってBGMとして「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」が流れるわけです。この二つの歌は共産主義者(スターリニスト)、社会主義者、アナーキスト、そして「国際義勇軍」のすべてで高らかに歌われていたわけで、一種の「戦時高揚歌」です。あるドキュメンタリーを見ていると、共和国軍がフランコ軍に追い詰められて敗走する場面で、チェロの低音で「ワルシャワ労働歌」がゆっくりと重々しく演奏されていて、実に場面によく似合っていました。
 スペイン語の歌詞は知らないのですが、「ひるまず進め我らが友よ」が逆に敵の銃弾に追い詰められ敗走するわけで、もしこれをテルエルやエブロ川の激戦で生き残った人が聞いたなら思わず目をつぶり耳を押さえるのではないか、と思いました。「砦の上に」築き上げたはずの世界が「聖なる血にまみれ」た死体だけを残したわけです。この番組を作った人は内戦を知らない世代か、あるいは知っていても安全地帯で見ていた人でしょう。もっともこのような番組を見る人のほとんどは、内戦を知らない世代でしょうから、ただ「つらく悲しい」というイメージしか持たないかもしれません。
 チェロといえば、カタルーニャのチェリスト、パウ・カザルス(日本ではカスティーリャ語のパブロ・カサルスとして有名ですが)が、フランコ独裁に抗議して、国連総会でカタルーニャ民謡「鳥の歌」を演奏したのは有名です。カタルーニャ人にとっては、「インターナショナル」「ワルシャワ労働歌」よりも「鳥の歌」の方が抵抗のシンボルとしてはふさわしいかもしれません。(余談ですが、私はカタルーニャ人の名前はカタルーニャ語で表記するようにしています。フランコ独裁の下でカスティーリャ語への「創氏改名」がなされたわけで、日本にはそちらが伝わっているのです。例えば画家のジュアン・ミローはホアン・ミロ、ガウディのパトロンのグゥエイュはグエルに、同じくガウディの建物バッリョー邸はバトリョ邸、テノール歌手のジュゼップ・カレラスはホセ・カレラスに、といった具合です。)
 スペイン内戦はテレビのドキュメンタリー番組ばかりではなく、映画のテーマとしてもよく使われています。いくつか見ましたが、やはりこの二つの歌は重要なテーマソングになっています。もっとも「インターナショナル」の方は現在の社会労働者党の党大会などでも必ず歌われるくらいのもので、スペイン人が特に違和感を持って聞いているわけではありません。しかし「ワルシャワ労働歌」となりますと、やはり内戦の思い出と重なってくるわけで、どちらの立場に立っていた人も苦い思い出を抜きには聞くことができないでしょう。もちろんフランコ側にも「戦時高揚歌」はあったわけで、こちらは「勝ち組」の歌ですから、フランコ側で自分は安全地帯にいた人なら、きっといつ聞いても心地良いは思いますが。
 オーウェルの「カタロニア賛歌」にも書いていますが、当時のバルセロナでは共和国側が四分五列の状態にあり、特に、これを「革命戦争」ととらえるアナーキストと「反ファシズム戦争」ととらえる共産主義者の対立は、市内各所で銃撃戦を行うほど、激しくなっていました。一つの通りをはさんで、右側にアナーキストが立てこもる建物、左側に共産主義者の建物があって、それぞれの窓から相手の窓を狙って狙撃を繰り返す、という実にばかばかしい話が事実だったわけです。その他に社会主義者(右派と左派)、カタルーニャ民族主義者(これも右派と左派)に分かれ、お互いに厳しく対立しており、これじゃフランコ軍に勝てるわけはない。なお、バルセロナはフランコ軍と共和国軍の市街戦のほか、イタリア空軍によって数度の空爆を受けています。
 スペイン内戦は従軍記者となったヘミングウエイや「国際義勇軍」に参加したオーウェルなどによって、ややロマンチック、センチメンタルに伝えられてしまった感があるようです。これは先日の私の空耳板への投稿
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http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/133.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 9 月 22 日 07:39:40
Buenas noches :ちょっと事情は複雑ですね
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にも少し書いたことですが、特にアナーキストたちは混乱と分裂を招くために突っ走った感が強いですね。共和国軍の精鋭部隊はソ連の支援を受ける共産党が支配していたわけですが、ソ連にしても対独戦開始を引き伸ばすだけが目的でしたから、言ってみれば最初から見殺しです。どの陣営でも内部で粛清された者も数多くいたようです。(この時代の統計資料などが余り残っていないため、生き残った人間たちの証言以外は分からないことが多いのです。フランコ側も統計資料を作らず、何人が実際に政治犯として殺害されたのか、いまだ正確にはわかっていません。)
 「ヒトラーとムッソリーニに後押しされたファシストのフランコと戦った」というイメージが強いだけに、共和国軍がすっかり美化されてしまったように思います。いずれにせよ
「国家」などというものは昔から「馬鹿が悪党を支えるシステム」として拡大再生産されてきたわけで、「上に立つ悪党」としては、その社会体制に関わらず「下で支える馬鹿」を常に馬鹿なままにしておく必要があるわけです。特に「民主主義」は下手をするとそのもっとも効率の良いシステムになりかねないですね。ヒトラーもその中から出てきましたし、今の米国や日本を見てもよく分かります。
 今は無き深沢七郎が見抜いたとおり、左翼は「左慾」、右翼は「右慾」で、「右や左の旦那様」です。どっちにせよ政治運動は結局のところ「権力への意思」が中心になってきますから、やはりこの「下で支える馬鹿」をどう動かすか、が問題になってくるでしょう。「戦時高揚歌」もその一つで、「右の戦時高揚歌」はだめで「左の戦時高揚歌」なら良い、と言えるはずはありません。もちろんその逆も、です。
 要は「下で支える馬鹿」が賢くなるしかないと思います。そのためには、先日の投稿
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http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/286.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 01 日 09:35:49:
スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:メイン号事件から9.11へ
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でも申しましたが、「馬鹿」を拡大再生産させるために働く右や左の「田吾作痴識人」を、言論の世界で叩き潰すのが、第一の作業だと考えます。
 「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」という歌をテーマにして考えたことをつづってみました。おやすみなさい。

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