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シリーズ: 515スペイン大衆反乱

15-M(キンセ・デ・エメ):第7話


カタルーニャ語の横断幕『市場の独裁主義に反対! 新たな世界が不可欠だ!』
2011年10月15日 バルセロナにて
(Nara Ikumi撮影)

 「15-M(スペイン語でキンセ・デ・エメ)」は5月15日を指す。日本語的には「515」といった方が分かりやすいかもしれないが、この日付は永遠に世界の歴史に残るだろう。もし我々に未来があるのなら。
 
2011年10月15日、世界82カ国1000もの都市で「世界を変えよう」という大衆運動が行われたが、この「街頭占拠」運動の出発点は同年5月15日のスペインの首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場だった。それは燎原の火のようにスペイン中に広まった。バルセロナで、バレンシアで、セビーリャで…。そして世界中で、もはや止めることのできない巨大な流れに成長した。
 正式には「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real, Ya!)」と呼ばれる。それは、20世紀後半に中南米を実験台として荒らし尽くし、日本とアジアを食い散らし、2001年の911事件以後、その毒牙を世界に突き立てる泥棒資本主義、ネオリベラル経済の国家支配に対する反乱である。


【第7話:5月15日から10月15日への「長征」】

 前回(第6話)で申し上げたように、6月19日にはスペイン全土の都市を巨大なデモンストレーションが覆った。それは、金融市場の数字を「経済」と呼び、カネ縛りにすることで政治を動かし、政治を動かして世界の国々とそこに住む人々の生活や社会を破壊しながら利益を独占していくネオリベラリズム実態を、幅広く人々に明らかにしようとするものだった。いま世界を襲っている困難は「経済危機」などと呼べるものではない。それは詐欺であり泥棒であり、破壊であり略奪である
 あれこれと面倒な経済理論を掲げるまでもあるまい。「小盗は拘(とら)われ大盗は諸侯となる」という荘子の言葉があるが、この2千年以上、人類は根本のところで進歩も発展もしていない。ネオリベラルとは、要は大盗人(おおぬすっと)どもによる最も能率の良い詐欺・破壊・略奪のシステムの稼動に過ぎない。また今の選挙制度は「大盗人が見せるどっちの顔がちっとはマシか」を選択するものに他ならない。
 真実は最も単純な形で存在する。単純すぎるから逆に見えなくなる。「それを言っちゃあ身も蓋もない」ということだろう。大衆の反乱は、単純に苦痛と困難を身に受けている者たちがその単純な事実と真相を最も単純な形で表にするものである。あれこれと複雑怪奇に解釈する余地は無い。同時にこの15Mの運動は、あらゆる暴力に反対しあくまで自らの体を張った平和的な行動で、その真実を明らかにして社会と世界の変革の必要を訴えていくものである。その運きに特別の「指導部」というようなものは無い。現在の世界に住むあらゆる人々を巻き込んでいる以上、誰もが指導部でありうる。

 その「インディグナドス(怒れる人々)」の行動は6月以降、スペインの各地からマドリッドに向けて歩いて行進し、15Mの原点であるプエルタ・デル・ソル広場に結集するという前代未聞の形を取ることになった。バルセロナからは約200名が6月25日に出発して、途中でリェイダ、サラゴサなどの都市を通って新たな参加者を加え、500人を超える人数で7月21日にマドリッドに到着した。600kmを超える行程を、1日に平均25km歩いたことになる。

バルセロナから600km以上を歩いてマドリッドまでやってきた「インディグナドス」。
『人々の怒りの行進に加われ』の横断幕を掲げる
エル・パイス紙)

 マドリッドはおよそ正方形の形をしたイベリア半島のちょうど中央部にある。最も周辺部からの距離は各方位で似たような距離になる。カタルーニャからだけではなく、ガリシア、アンダルシア、バレンシア、アストゥリアス、バスクなど、スペインの各地から、続々と行進の人々がマドリッドに到着してきた。中には500km以上を歩いてきた70歳を超える老夫婦もいる。

マドリッドのプラド通を行進する、全土から集まった人々。
「これは危機じゃない。その体制なのだ」の横断幕
エル・ムンド紙)

 プエルタ・デル・ソル広場は、6月13日以降も一部のアカンパダ(泊り込み)が続いて警察の排除と再占拠が繰り返されていたのだが、この7月20日から数日間は再び15Mの熱気に包まれた。

プエルタ・デル・ソルに戻ってきた15Mの熱気
エル・ムンド紙)


公園などにテント村を作って泊り込むスペイン各地からやってきた人々
エル・パイス紙)

 そしてそこでまた実に奇想天外な決定がなされた。「インディグナドス」の一部、50名ほどが、EUとユーロの首都であるベルギーのブリュッセルまで、パリを経由して自分の足で歩いて行くというのである。そうしながら途中の各地で今の世界の真相と変革の必要性を訴え、また他の欧州諸国から来る人たちと出会うことになる。
 その多くは7月26日にマドリッドから、そして一部がバルセロナから出発した。彼らは、フランスやイタリアなどの同志たちとパリで合流してブリュッセルへと行脚する。その目的は、7月24日に採択された
ユーロプラス協定への抗議である。あれやこれやと美辞麗句に包まれてはいるが、この協定は各国の主権をないがしろにした、IMFや巨大金融機関による泥棒経済の徹底化である、というのが彼らの主張だ。

7月26日、マドリッドを出発するブリュッセルへの人民行進。横断幕には
『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』
エル・パイス紙)

 ここで話は2ヶ月ほど飛ぶことになる。その間にマドリッドはローマ教皇ベネディクト16世を迎えて、世界中から100万人のカトリック信徒の若者が集まる「世界青年の日」が開かれたために、スペイン中が大騒動ぎになっていた。これはこれでいろいろと興味深い話が山盛りなのだが、残念ながら割愛する。

 『
第5話:世界に広がる「スペイン革命」』でも説明したとおり、9月17日に米国で「ウォール街占拠」の運動が開始されたが、それに合わせるようにマドリッドでも中央証券取引所の前で抗議行動が行われた。その2日後の9月19日、7週間をかけて1200km以上を歩き続けパリに入城したスペインの「インディグナドス」たちに、フランス警察の手荒い歓迎が待っていた。大勢のフランス人支援者たちと一緒にサンジェルマン通を行進していたところに警官隊がなだれ込み、スペイン人全員を含む117人が逮捕され数名の負傷者を出した。理由は「無届デモ」だったが、彼らは普通に歩道を歩いていたのである。明らかに、彼らの行動に対するフランス政府の恫喝に他ならない。この様子は次のYouTubeビデオで確認できる。
    
http://www.youtube.com/watch?v=y7JDFR7HZR4
 逮捕者たちは全員が1日か2日で釈放されたが、スペインではマドリッドのフランス大使館とバルセロナの領事館の前でこの弾圧に対する抗議集会が開かれた。「行脚隊」は本来ならば10月8日にブリュッセルに到着するように、フランスやイタリアなど多くの国から来た人々と共に21日にパリを出発する予定だった。しかし急遽それを変更して、ノートルダムの広場でフランス警察の弾圧への抗議集会を行おうとしたが、これは多数の機動隊の装甲車を繰り出した警察によって阻止された。欧州ネオコンの代表格であるサルコジにとって、ユーロプラス協定への反対はよほど気に食わぬものらしい。
 仲間を増やした「インディグナドス」はパリからブリュッセルまでの道を歩き続けた。そして予定通りに10月8日にブリュッセルに到着した。約50名のスペイン人たちは、疲れきった体と途中での激しい暴力にもめげず、およそ2ヵ月半をかけて1千数百kmを、単純に自らの2本の足で歩き通したのだ。その間、フランス各地に変革の種をまき、マスコミを動かしてその行動が欧州各地に伝えられた。中国紅軍の長征には及ばないかもしれないが、これは「21世紀の長征」として歴史に刻まれるべきであろう

それはマドリッドとバルセロナから1千数百kmを歩きとおした歴史的な「長征」だった。
終点ブリュッセルのエリザベス公園で各国の同士と集う。
エル・ムンド紙)

 彼らはブリュッセルのエリザベス公園で、地元のベルギーはもとよりオランダやドイツからやって来た大勢の人々と落ち合うことができた。しかしここでもまたベルギー警察の襲撃が待ち構えていた。夕闇に包まれた7時過ぎ、ブリュッセルのエリザベス広場で27人のスペイン人を含むベルギー人、フランス人、イタリア人など48名が逮捕され、そこでの泊り込みは不可能となった。その多くが次の日に釈放されたのだが、「長征戦士」たちはベルギーの支援者たちと共にブリュッセルで過ごし、その週の土曜日、10月15日の世界的な抗議活動、「都市占拠」の運動に備えることとなった。

 10月15日という日付は、もちろん15M(5月15日)に始まったプエルタ・デル・ソル広場アカンパダ(泊り込み)にちなんだものだ。インターネットを通して欧米各国の間で飛び交う無数の対話と意見交換の中で、この「15日」という日付が次第にシンボリックな意味を帯びていき、いつの間にか「15日の週末に世界で一斉に『チェンジ』を求めて立ち上がろう」という話にまとまっていったという。それは、日本や韓国、フィリピン、香港、インドネシアなどのアジア各国を含む80を超える国々の都市でデモや集会が繰り広げられた。次のスペインの無料配布新聞20minutosの
ギャラリーから、各国で作られたこの日のためのポスターをご覧いただきたい。  http://www.20minutos.es/galeria/7908
 ここには17種類のポスターの写真が収められているが、ポスターの右側にカーソルを持っていくと「>」マークが出るので、次々とクリックしていってもらいたい。あるいはポスター写真の下側に番号が書かれているのでそれをクリックすれば全てを見ることができる。7番目に東京のポスターが現れる。

10月15日のポスターの一つ(20minutos紙ギャラリーより)

 10月15日当日のもようは、ここではスペイン国内の写真だけをご紹介するが、次のエル・ムンド紙で世界中で行われた運動の写真を見ることができる。
  http://www.elmundo.es/elmundo/2011/10/15/espana/1318669970.html
 この記事の最初にある写真の下に一列に並ぶ正方形のマークを次々とクリックしていくか、「< >」をクリックして写真を進めていけば、全ての写真を見ることができる。スペイン語が分からなくても、場所の名前くらいは見当が付くだろう。東京、ソウル、香港、フィリピンでの集会の写真もある。
 ここに見られる写真を含めて、10月15日に行われたスペイン各都市でのデモの様子をお目にかけたい。


マドリッドのアルカラー通からプエルタ・デル・ソルに向かう巨大なデモ
エル・ムンド紙)


10月15日、1万人近い群集に埋め尽くされたプエルタ・デル・ソル広場(同上)


15Mの魂が5ヵ月後によみがえるプエルタ・デル・ソル(同上)


10月15日、巨大な人間の川と化したバレンシア市の目抜き通り
エル・ムンド紙)


アンダルシア州セビーリャ市でも
エル・ムンド紙)


これはガリシア州ビゴ市の大通り
エル・ムンド紙)


そして夕闇迫るマジョルカ島パルマ市
エル・ムンド紙)

 バルセロナでの参加者は、主催者(Democracia Real, Ya!)発表で35万人、警察発表で6万人となっているが、12万人前後というところが最も近い数字だろう。第6話でご紹介した6月19日のデモよりもひと回り大規模で、予算削減と人員整理が進む大学・教育関係、医療関係の労働者・専門家・学生、そして子どもを抱える若い夫婦や、健康に不安を感じる老人たちと中年夫婦の大幅な参加増が目立っていた。

カタルーニャ広場を出発してグラシア通りを進むバルセロナの大デモ隊
「公共医療システムを!人々は生きているのだ!」
エル・ムンド紙)


思い思いの工夫で作ったプラカード。「もし人が世界を変えることに賛同しないなら、世界が人を
変えてしまう(左)」、「もし新聞が我々を載せないなら、歴史の本が我々を載せるだろう(右)」
(同上)


夕闇迫るアラゴー通をいっぱいに埋めるデモと、それを眺める老人たち
エル・ペリオディコ紙)


バルセロナ証券取引所には紙つぶての山とステッカーのプレゼント(Nara Ikumi撮影)


終点の凱旋門広場付近を歩く子どもづれの母親たち。教育コストの大幅カットには誰でも
怒りの声を挙げざるを得ない。子供にとっても他人事ではないのだ。
(Nara Ikumi撮影)

 サンバと器楽バンドのリズムに乗って、子供連れ、犬を連れた散歩スタイル、杖をつく老人たち、小学生や中学生の集団までがぞろぞろと歩く、一見すると行楽と見間違えそうなデモ行進で市民の「まつり」といった様相を帯びる。それは5月15日の「まつりごと」で始まり、ひとつの「まつり」として盛り上がった。そしてそれがどんな拍子に再び「まつりごと」になるか、全く予測がつかない。人々にとって政治(まつりごと)は常に日常生活に隣りあっている。日本のように政治の話が「生臭い」として日常生活から敬遠される社会の方が、むしろ異常なのだ。
 この10月15日が終わった直後、バルセロナの一角で一部の「インディグナドス」が、入居者が無いままで何年もほったらかしになっているアパートを占拠し、そこに銀行ローンが払えず家を追い出された老夫婦を招きいれた。このアパートは、家主が老朽化した建物を修理したり建て直したりする手間とカネをケチって単純に放っておいただけなのだが、近所の人たちにとっても不安と苦情の種だった。この突然の占拠が逆に近所の人たちの支援を受けたことは特筆すべきだろう。もちろんそれは違法行為であり、家主は告訴し裁判所はすぐに警告を出したが、いまだに追い出しの強制執行は行われていない。マドリッドでも同様に、老朽化して使用されなくなりそのまま放置されているホテルの建物が占拠され、行き場の無い人々を住まわせる運動が起こった。
 そしてこれらのことが全てのTVニュースと新聞報道で全国の人々に伝えられた。どのマスコミも特別に非難めいた調子で報道してはいない。「法律違反であるかないか」よりも、「使われておらず持ち主に使う気も修理する気も無いままで放置されている建物なら、住む場所を失った人がそこに住む方が筋が通っている」というのが大方の世論である。バブル景気のとんでもない銀行ローンを背負わされた状態で失業し、挙句に家を追い出されようとしている人が何千人もいる。その方がよほど筋が通らない。スペイン人はそう考える。そして15M以降、人々はもう黙っていない

 15M(キンセ・デ・エメ)がスペイン国内と欧州各地に種をまき、世界に広まった変革への願望と意思が、すぐに花開くことは無いだろう。現在社会の泥棒システムを動かす力はあまりにも巨大であまりにも暴力的である。さらに、人々の視野を狂わし思考を捻じ曲げる大規模情報媒体(マスコミ、マスメディア)の問題はもっと大きい。大部分の人々の意識に根本的な変化が訪れるのは、もしそのようなことがあるとしても、何十年か何百年か先のことかもしれない。それは、世界の公正と平和と正義を目指す遠い行脚、人類の「長征」なのだろう。その一つの出発点として《2011年5月15日》という日付と《プエルタ・デル・ソル》の名は永久に歴史に刻まれるべきである。ブリュッセル「長征」に向かう横断幕に次のように書かれてあった。
 『ゆっくり行こう。道は遠いのだから。』

(2011年11月17日 バルセロナにて 童子丸開)

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