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シリーズ: 515スペイン大衆反乱

15-M(キンセ・デ・エメ):第5話



米国で続く「ウォール街占拠」運動(11月2日、ニューヨーク:occupywallstr.orgより)

 「15-M(スペイン語でキンセ・デ・エメ)」は5月15日を指す。日本語的には「515」といった方が分かりやすいかもしれないが、この日付は永遠に世界の歴史に残るだろう。もし我々に未来があるのなら。
 
2011年10月15日、世界82カ国1000もの都市で「世界を変えよう」という大衆運動が行われたが、この「街頭占拠」運動の出発点は同年5月15日のスペインの首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場だった。それは燎原の火のようにスペイン中に広まった。バルセロナで、バレンシアで、セビーリャで…。そして世界中で、もはや止めることのできない巨大な流れに成長した。
 正式には「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real, Ya!)」と呼ばれる。それは、20世紀後半に中南米を実験台として荒らし尽くし、日本とアジアを食い散らし、2001年の911事件以後、その毒牙を世界に突き立てる泥棒資本主義、ネオリベラル経済の国家支配に対する反乱である。


【第5話:世界に広がる「スペイン革命」】

 2011年5月15日にマドリッドのプエルタ・デル・ソルで始まった広場占拠の動きは、たちまちのうちにスペイン国内で広がると同時に、欧米各国にその波が広がっていった。5月21日付のエル・ムンド紙を見てみよう。この日までにスペインの運動を支援し、あるいは自ら「アカンパダ(泊り込み)」を始める人々が現れたのは、プラハ(チェコ)、ブダペスト(ハンガリー)、パリ(フランス)、ベルリン(ドイツ)、リスボン(ポルトガル)、ワルシャワ(ポーランド)、ウィーン(オーストリア)、ロンドン(英国)、ラバト、タンジェ(以上モロッコ)、東エルサレム(パレスチナ)、イスタンブール(トルコ)、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、マイアミ(以上米国)、メキシコシティー(メキシコ)、その他にアイスランド、カナダ、エジプト、台湾の名前が挙がっている。
 そのほとんどでは、行動を起こしたのは在住スペイン人の若者たちで、地元の人々も幾分混じるという程度であり、各都市のスペイン大使館や領事館の前で、当局者による警察を使った排除を非難する形のものが多い。しかし、参加者こそ少数だったが、世界の各地で人々の関心を引き確実にこの大衆運動が世界に広がる種を撒いたと言えるだろう。

イスタンブールのスペイン領事館前での抗議行動。書かれているのは
「我々が反体制なのではない 体制が『反我々』なのだ」
(エル・ムンド紙)


東エルサレムで連帯の行動をするスペイン人とパレスチナ人。書かれているのは
「あなたが銀行を信用するなら、それは夢に終わるだろう」
(エルムンド紙ビデオより)

 米国4都市での抗議・連帯行動について、ガリシアのエル・コレオ紙の特集を見てみよう。5月20日にワシントンスクェア公園に「Democrasia Real Ya! New York」のメンバーおよそ300人ほどが集まった。ほとんどが在米スペイン人であり、米国人が少し混じる程度で、この時点では米国人自身の動きは起こっていなかった。

5月20日、ニューヨーク:「Democrasia Real Ya! Indignados NYC」の文字(エル・コレオ紙)


5月20日、ニューヨーク:「スペイン革命、欧州革命、全世界革命」(エル・コレオ紙)

 5月26日のバルセロナ・カタルーニャ広場への武装警官襲撃以後、欧州各国での反応が大きくなった。スペイン各地の行政当局への抗議と同時に、排除されるたびに巨大に膨れ上がり広場を取り返す大衆運動の力に賞賛を送る支援活動が増えてきた。次の写真は5月29日付エル・ムンド紙からのものでパリのバスティーユ広場で行われた連帯集会だが、この紙面でビデオと写真を見ることができる。ビデオでは「スペイン人たちの運動は、特にバルセロナでの警察の弾圧以降、広がりつつある」、「我々もここで新たなフランス革命を作ろう」というフランス人の声が伝えられる。また同紙は同じ日付で、エジプトのシャラフ首相が「スペインの政治家たちは民衆の声を聞くべきだ」と語ったことを伝えている。

パリ、バスティーユ広場に集まる千人以上のフランス人とスペイン人(エル・ムンド紙)

 これ以降、英国やドイツやイタリアなどの欧米各国で、自前の「インディグナドス」による経済的矛盾のしわ寄せに対する抗議活動が拡大し、米国の「ウォール街占拠」から10月15日の世界規模での運動につながるのだが、その前に少しだけ、他の地域の動きを見ておこう。
 6月15日付のエル・ペリオディコ紙によると、国家破産寸前状態の中、人員整理と福祉切捨てへの抵抗が続くギリシャで、驚くような光景が見られた。連日激しいデモが議会の前で繰り広げられる中に、スペインの国旗が振られスペイン語で「NO PASARAN」と書かれた横断幕が登場したのである。この「ノー・パサラン」というのは「通さないぞ!」という意味で、スペイン内戦のときにフランコ軍と戦う共和国の兵士と民兵の合言葉である。ギリシャ人の激しい闘いの中でスペインでの運動は大きな励みになっているようだ。

アテネの議会前で「NO PASARAN」のスペイン語横断幕が。(エル・ペリオディコ紙)

 そして「インディグナドス」の行動はトルコへも飛び火した。エル・パイス紙によると、「奇跡の経済成長」の一方で若年層失業率が20%に高まっている現状に対する若い世代の抗議である。

イスタンブールのタクシム広場に集まるトルコの「インディグナドス」(エル・パイス紙)

 しかし、その規模の大きさと意外さで世界を驚かせたのは何といってもイスラエルだろう。7月14日から始まった「社会的公正」を求めるこの国の「インディグナドス」たちの運動は、8月6日には32万人(エル・ムンド紙)の規模に膨らんだ。ただ、この国の「不公正」の原因は、経済的余裕を失いつつある米国からの「援助」が限られてきたことだろう。その配分を巡ってその「甘い汁のおこぼれ」が下の方にまで行き届かなくなったのである。この国は、こういった民衆の不満をテコにして、欧米各国を道連れにしながら、一気にイランとの戦争路線に突っ走る可能性を高めているので、注意が必要である。

テルアビブの街頭を埋めるイスラエルの「インディグナドス」(エル・ムンド紙)

 さて、2011年秋以降、このような直接的な大衆の意思表示で中心となっているのが米国の「ウォール街占拠運動(Occupy Wall Street)」であるため、どうしてもこの動きとスペインでの運動とのつながりに触れないわけにはいかない。先ほども述べたように、5月や6月の段階では、米国人の中に特別な動きは存在しなかった。しかしAdbuster Blogに7月13日の日付で次のような声明が発表された。

  #OCCUPYWALLSTREET 
  A shift in revolutionary tactics. Adbusters 13 Jul 2011
     
 #OCCUPYWALLSTREET

       Are you ready for a Tahrir moment? 
   On Sept. 17, flood into lower Manhattan, set up tents,
   kitchens, peaceful barricades and occpuy Wall Street.

 この「革命の戦術転換」と題する呼びかけで、エジプトのタハリール広場での民衆蜂起とスペインの広場占拠・泊り込み運動の融合という、新しい戦術を用いた米国での運動が宣言される。詳しくは下記のサイトをご覧いただきたい。
http://www.adbusters.org/blogs/adbusters-blog/occupywallstreet.html
 このAdbuster Blogの正体はよく分からない。またここで述べられる「革命」がどのような性格を帯びたものなのかも明らかではない。しかしこのブログは、「2万人以上」を期待して「9月17日にテントや調理器具やバリケードを持ってきてウォール街を占拠しよう」という呼びかけを行っている。上の呼びかけ文のすぐ下に次のようなスペインからの声が紹介されている。

 "The antiglobalization movement was the first step on the road. Back then our model was to attack the system like a pack of wolves. There was an alpha male, a wolf who led the pack, and those who followed behind. Now the model has evolved. Today we are one big swarm of people."
                        — Raimundo Viejo, Pompeu Fabra University 
                                         Barcelona, Spain


 この声明はバルセロナのポンペウファブラ大学の、おそらく大学院生と思われるライムンド・ビエホからのものだ。この大学は特に生物化学や医学の研究ではスペインでも有数のレベルを誇る大学院と研究所を持っており、その学生や院生たちはバルセロナの「インディグナドス」の中心にいる。この声明がいつ出されたのかは分からないが、5月27日のカタルーニャ広場での攻防戦の後であることに間違いはあるまい。
 ここでビエホは「反グローバリゼーションの運動は(革命への)道の第1歩だった」と述べ、従来のカリスマ的な指導者(an alpha male)に先導される革命ではなく、大衆の巨大で激しい動き、大規模な直接行動による革命のイメージを打ち出している。またこのブログに書かれている「COOPORATOCRACY(『企業』主主義)ではなくDEMOCRACY(『民』主主義)を」という表現は「Democracia Real, Ya!(今こそ真の民主主義を!)」というスペインでのスローガンに対応するものだろう。
 occupywallst.comによるとこの呼びかけの後、8月2日に第1回の「人民総会」が福祉予算カットに抗議する形で召集されている。8月9日の第2回目の「総会」では、今ではすっかり有名になった「1%と対決する99%」のイメージが大きく打ち出され、その後も多くの「総会」と9月17日に向けての宣伝が着実に行われてきた。実際に9月17日になってウォール街に集まった者はせいぜい200人か300人だったのだが、それが日を追うごとに膨らみ、ワシントン、シカゴ、カリフォルニア諸都市へと拡大していった。

9月17日のウォール街占拠開始を呼びかけるポスター(occupywallst.com)


ニューヨーク:9月17日、ウォール街占拠運動の本格的な開始(エル・ムンド紙)

 このウォール街占拠運動とスペイン15M運動の関係について、これ以上のことはよく分からない。共通点もあるが相当に異なっている面もある。直接の人的なつながりは実質的にほとんど無いと思われるが、米国の活動家がスペインの運動から「インスピレーション」を受けたことは間違いないだろうし、先ほどのバルセロナの声明が米国で卓越した戦術という形で紹介されていることは注目される。
 また英語を共通言語にしたツイッター、フェイスブックなどで世界中で飛び交う情報交換は想像以上に大量で幅広い。マドリッドやバルセロナで活動の中心にいる者の話によれば、欧米各国を結ぶインターネット上でのやり取りの中で、プエルタ・デル・ソル広場占領が開始された「5月15日」という日付がしだいにシンボリックな意味を帯びていき、いつの間にか「15日の週末は世界中で広場や街頭を占拠する日にしよう」というプランが出来上がってしまったという。それがこの「10月15日」に最初の実現を見たわけである。
 世界の「都市占拠運動」は、様々な波動がお互いに影響しあって一つの大きなうねりを作るように動いた。スペインの「広場占拠」は8月初旬までには実質的に全ての都市で終了しているのだが、それ以降、「反ネオリベラル経済」という基本的な考え方については米国のそれに近づいていった。

 しかし各々の波は再び自らのパターンに戻っていくことだろう。「インディグナドス(怒れる人々、抵抗者)」とはいっても、スペインのそれと米国のそれとでは、いくつかの点で大きな違いがある。10月8日付のエル・ムンド紙は「ソルとウォールストリート:5つの違い」と題する興味深い記事を掲げた。その要点を同紙が挙げた順に書いてみよう。
(第1)ソル(プエルタ・デル・ソル広場)での運動は、飽和状態に達した様々な種類の怒りの爆発であり、きっかけとなったのは政治の腐敗と不公平な選挙制度であった。一方でウォールストリートでは、最初から経済的な格差に的を絞っていた。
(第2)マドリッドでは最初から非常に多くの人々が参加して市民が主導権をとり行政の対応は後手に回った。その規模の大きさにあらゆるメディアが初めから注目した。ウォールストリートでは最初200人ほどが参加したのみで、メディアはほとんど無視した。しかしブルックリンの大量逮捕の後で運動は全米に広がり巨大化した。
(第3)スペインでの運動では2大政党政治そのものに対する反発が大きな要素となっているが、米国ではオバマ政権の政策に対する失望と不満が運動の根底にある。
(第4)スペインのアカンパダは最初から労働組合を拒否しその指導者に対して大政党に迎合していると非難を繰り返した。しかし米国の「インディグナドス」は労働組合の支持と協力を得ている。さらに労組はその運動を米国民主党に「左旋回」を求めるために利用しており、民主党内部では彼らにウインクを送る動きが出ている。オバマ自身も彼らに「理解」を示している。
(第5)米国での民衆の街頭活動は、オバマ政権誕生以来「右側」から巻き起こって共和党を「右旋回」させた「ティーパーティー」運動によく似た要素がある。「今度は左から」ということになる。

 スペインでの「15M」運動と米国での「ウォール街占拠」との違いについては大体こんなものだろう。スペインの場合には11月20日の総選挙で中道左派の社会労働党が大敗し中道右派国民党への政権交代が確実視されている。しかし15Mの運動はそんな「国論が右に振れるか左に振れるか」などはほとんど問題にせず、むしろそのような「振れ」や「旋回」を作る政治システム自体に疑念と怒りをぶつけている。右に振れようが左に振れようが富は一方的に下から上に吸い取られていくのだ。
 米国では先ほどのAdbustersの呼びかけでも街頭占拠戦術によってオバマ政権を動かすという方向性が語られている。また米国での運動には大富豪で世界的な投資家のジョージ・ソロス氏が支持を表明している。ソロス氏はウクライナやグルジアなど旧ソ連圏の「カラー革命」に資金を提供したことで有名だが、米国での運動に対する資金提供について本人は否定している。また、これは例によってというところだが、マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授などの「左翼」人士も支持を表明している。一方でスペインの「インディグナドス」をまともに評価して支持や支援を送る著名人士は思いのほかに少ないし、大政党に対する「インディグナドス」の直接の影響は見られない。
 こういった各々の動きが持つ特徴については今後また触れていくし、このシリーズの最後に2011年に起こったこの種の運動について気付いた点をまとめてみたい。

 次回は、再び舞台をスペインに戻し、この運動が巨大な盛り上がりを見せながらも内部に様々な亀裂と分裂を露呈させ、同時にまた今まで傍観していた人々を巻き込むより広がった動きに変化していく過程を記録しておこう。そしてそこに、同時に進行するユーロ危機の影響や、ノーベル賞受賞者でネオリベラル経済を厳しく批判する米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツのスペイン「インディグナドス」への接近など、重要なポイントを見ることができるだろう。
 
(11月6日 バルセロナにて 童子丸開)

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