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シリーズ: 515スペイン大衆反乱

15-M(キンセ・デ・エメ):第2話


「今こそ真の民主主義を!」「我々は政治家と銀行家が扱う商品ではない!」
(テネリフェ市でのデモ:tecnofans誌より)

 「15-M(スペイン語でキンセ・デ・エメ)」は5月15日を指す。日本語的には「515」といった方が分かりやすいかもしれないが、この日付は永遠に世界の歴史に残るだろう。もし我々に未来があるのなら。
 
2011年10月15日、世界82カ国1000もの都市で「世界を変えよう」という大衆運動が行われたが、この「街頭占拠」運動の出発点は同年5月15日のスペインの首都マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場だった。それは燎原の火のようにスペイン中に広まった。バルセロナで、バレンシアで、セビーリャで…。そして世界中で、もはや止めることのできない巨大な流れに成長した。
 正式には「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real, Ya!)」と呼ばれる。それは、20世紀後半に中南米を実験台として荒らし尽くし、日本とアジアを食い散らし、2001年の911事件以後、その毒牙を世界に突き立てる泥棒資本主義、ネオリベラル経済の国家支配に対する反乱である。


【第2話:プエルタ・デル・ソルへ!】

 2011年5月22日はスペインの統一地方選挙の投票日だった。これは11月20日に行われる総選挙と新首相の決定に極めて重大な影響を与える。前年に行われたカタルーニャ州議会選挙では8年間続いた社会労働党を中心とする左翼政権が倒され、カタルーニャ民族主義右派が州政府の実権を握り、同時に同州で長年ほとんど相手にされることもなかった右派の国民党も躍進した。このカタルーニャの選挙結果は中央政権与党のサパテロ社会労働党に大きな衝撃を与えた。そしてこの統一地方選挙でも、かつてのフランコ独裁の流れを受け継ぐ国民党が各地域の行政権を握ることがほぼ確実視される。
 しかし、前回の『第1話:バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ』でも明らかにしたとおり、現実に苦痛と不安を味わいつつある大衆にとって、そのような政局のゴタゴタはしょせん頭の上を通り過ぎる嵐にすぎない。国民党はこの国に巨大金融資本による泥棒経済を押し付けた者たちであり、社会労働党は無為無策のままに泥棒たちの跳梁跋扈を許してきた者たちである。さらに、UGT(スペイン労働総同盟)やCCOO(スペイン労働者委員会)などの大きな労働組合も財界と政府との馴れ合いの中で既得権を確保するのに精一杯であり、大量に生み出されつつある新たな貧困階層にとって何の助けにもならない。
 そもそも地方選挙でも国政選挙でも、スペインで行われている小選挙区比例代表制では45%程度の得票率もあれば議会の圧倒的多数を確保でき、30%台後半でも政権を握ることが可能なのである。どこをどういじくったところで、国民党か社会労働党かという2大政党の政権交代が続くのみである。その間に、大量の中間層の国民が貧困層へと転落していき、家族を抱え職を失う中年たち、年金支給の無い退職者たち、治療を受けるすべの無い病人たち、学校を卒業しても職場も無く路上をさまようしかない若者たちが日を追って増えていくだろう。かつての南米の独裁政治の下でも、今日の欧米の「民主政治」の下でも、多数派の国民に対して起こることは同じなのだ。


2011年5月15日のマドリッド。いざ!プエルタ・デル・ソル広場へ!(国営TV1より)
 
 5月22日の統一地方選挙が近づくにつれ、もはや我慢の限界に来た人々の動きが始まった。スペイン人の自分勝手さと気まぐれさには定評があるが、このいい加減さがプラスに働くこともある。年長者はフランコ独裁政権時代からの反体制運動に慣れているので、この種の呼びかけがあれば何を放ってでも集まってくる。首切り反対の闘いをしている労働者たちは、組合の動員がなくてもお構いなく個々人の考えで行動する。社会経験の少ない若者たちはお手の物のツイッターやフェイスブックで次々と意見をぶつけ合って各人で適当に行動を決めていく。何か有力な主催団体など無くても別に構わない。
 マドリッド、バルセロナ、バレンシアなどの都市で、選挙1週間前の5月15日にとにかく広場に集まろう、こんな腐り果てたイカサマ民主主義はもうごめんだ、あんな奴らに投票するな、集まって意思表示をするしかない…、このような声がいつの間にか膨大に膨らんでいった。バルセロナで初めからその活動に関わる大学院生の青年は語る。「最初に言い出したのはほんの少数の者たちだった。これほどの大規模なものになるとは夢にも思っていなかったよ。」
 そして2011年5月15日、マドリッド市では何万人とも知れない巨大なデモ行進がシベレス広場から始まり、市中央部にあり観光の名所でもあるプエルタ・デル・ソル(太陽の門)広場へと向かった。またバルセロナでも1万5千人を超える若者から老人に至るまでの幅広い階層の人々が、カタルーニャ広場からシウタデーリャ公園まで、思い思いの格好で広い街路を埋めた。さらに地方政治家と特定業者による汚職が常習化するバレンシアでも大勢の人々が駆けつけた。その他、大小の別はあるがスペイン各地の50以上の都市でデモと集会が繰り広げられた。その合言葉は「今こそ真の民主主義を!(Democracia Real Ya!)」であり、現行の選挙制度に対する拒否を呼びかけた。

2011年5月15日のカタルーニャ広場(バルセロナ)(エル・ムンド紙より)

 しかし実際には、それは単なる「制度改革要求」といった類のものではなかった。この運動は何かの統一されたイデオロギーや特定の集団に率いられるものではない。右派もいれば左派もおり、学生も公務員も年金生活者も、工場労働者も商店主も店員も失業者も、主婦から子供連れの夫婦までごっちゃ混ぜ、環境保護主義者から反グローリズム団体、かつての「スペイン共和国」の旗を振る70歳台の歴戦の闘士から10台の若者まで、一人ひとりがそれぞれの立ち位置と考えを持ってやってきたのである。運動に加わる者たちは言う。「我々と交渉する? そりゃ、無理だよ。だって我々には代表者なんかいないのだから」。というか、発言したい者がそれぞれ勝手に「自分が代表者だ」と思っている、という方が正確なのかもしれない。
 「第1話」でも申し上げたように、種々雑多に集まる人々に共通するものは各自が自分の身で味わう苦痛と惨めさ、そして巨大金融資本とその利害を代弁し擁護する政治家に対する抑えがたい怒りである。プラカードには参加者各自でそれぞれ工夫した次のような言葉が躍る。「我々は政治家と銀行家が扱う商品ではない!(No somos mercancia en manos de politicos y banqueros!)」、「泥棒どもにくれてやる金は無い!(No tengo pan para tanto chorizo!)」。
 右の写真(ppmadrid.netより)にあるプラカードには「家が無い、仕事も無い、年金も無い、恐れも無い」と書かれる。もう失うものは何も無い。自らの声を直接に上げるのみだ。…。実際にみな、そう言うしかないほどに危機を感じ追い詰められているのだ。この日以来、このような大衆運動に参加する人々は、スペイン語で「インディグナドス(indignados)」、つまり「怒れる者たち」と呼ばれている。直接には何に対して「怒る」のかは人それぞれで異なりありとあらゆる要素を含むものだが、その怒りの対象がある範囲の共通点で一致し、それがスペイン全土でおよそ13万人(democraciarealya.comによる)ほどの街頭意思表示にまとまったということだ。(以下、写真をクリックするとYouTubeビデオを見ることができる。)

「手を挙げよう!」に応えるバレンシアのデモ参加者

 ただしその程度の数のそれだけのことなら、この国ではさほど珍しいことでもない。スペイン人はとにかく街に出たがる。言いたいことがあれば街に出て叫ぶのが当たり前なのだ。ちょっとした呼びかけでもすぐに1000人や2000人が集まってくる。私の記憶にある限り、最も大規模なデモは2004年の3月12日に行われたものだが、これはその前日の311マドリッド列車爆破事件に抗議し犠牲者への追悼を行うものだった。全国規模で200万人を軽く超える人々が参加したと思われる。バルセロナでは2003年のイラク戦争開始前に反戦デモも極めて大規模だった。これは当時の市政を握っていた社会労働党や大手労働組合などが、戦争支持に走るアスナール政権に対抗するために呼びかけたものだが、主催者発表で100万人、自治体警察発表では50万人、国家警察発表になると13万人というように立場の違いで極端な数字の差がある。しかし道路の使用状況を見る限り、実際には自治体警察の発表が最も近いのではないかと推測される。また社会労働党の元閣僚で経済学者のエルネスト・リュックが2000年11月21日にETAに暗殺された後にバルセロナで行われた追悼デモもそれらに負けず劣らず大規模だった。また数多いETAのテロに対する抗議デモの中で、国民党員ミゲル・アンヘル・ブランコ殺害の時には、これは政府与党の国民党が中心になって動員したものだったが、マドリッドで数十万人規模の抗議デモと集会が行われた。
 しかしながらこの2011年5月15日の抗議行動は、それらよりもはるかに小規模であったにもかかわらず、こういった今までのデモや集会とは明らかに様相を異にしていた。一つには、それが既成の強力な支持基盤を持つ団体に主催されたものではないことがある。しかしそればかりではない。

デモが終わっても参加者たちはプエルタ・デル・ソル広場から動こうとしない

 普通なら最終地点の広場なり公園なりに着いたらそこで解散して、人々は三々五々自宅に向かう。せいぜい1時間程度の集会が行われる程度だ。しかしこの日のマドリッドではデモが終わっても参加者のうち数千人がプエルタ・デル・ソル広場から去ろうとしなかった。この季節のスペインは夜9時になってもまだ明るいのだが、10時を過ぎて薄闇が辺りを包むころになっても人々は舗装の上に座り込み、深夜まであちこちで「講演」や「会議」が行われ、自分たちがなぜここに来ているのかという意見をぶつけ合い、これからここで何をするのかの話し合いが延々と行われた。そしてついに大勢の人々が広場で思い思いに雑魚寝を始め泊り込んでそのまま広場に居座ってしまったのだ。最初の日は1000人ほどだったろうか。これが「広場占拠」の始まりである。

深夜、「経済的・政治的システムを変えよう」という声に耳を傾ける

 「占拠」はスペイン語でオクパシオン(ocupación)と言う。この国では、空き地などにどこかから拾ってきたような建材で家を建てて住み着いたり、長い間空き家のままになっている家や使われていない施設に勝手に住み着いて居住権を主張する人々が跡を絶たない。その一部はルーマニアなどから流れ込んでくるヒタノ(ジプシー)たちだが、それ以外に、使われていない建造物を意図的に占拠する集団の運動が昔から続いている。特にバルセロナやその周辺でよく見られるのだが、彼らは伝統的なアナーキスト・グループの流れを汲んでおり通常「オクパ(okupa)」と呼ばれる。
 この15Mの流れを受けて行われた10月15日の大集会の後でも、マドリッドでは倒産して長年放置されていたホテルが、またバルセロナでは入居者が無いままほったらかしにされていた古いアパートが、「オクパ」運動を進める人々によって「占拠」され、そこにローンや家賃が払えず家を追い出された人々を招き入れた。これらについてはいずれこのシリーズでも触れることにするが、バルセロナでアパート周辺の住民たちが積極的に協力していることが注目される。いずれにせよこういった施設の「占拠」は別に珍しいことではない。
 しかしこの5月に起こった大都市中央の広場の占拠は、さすがのスペイン人でもおそらく始めて見る度肝を抜くような光景であろう。キャンプや野宿のことをスペイン語でアカンパダ(acampada)というが、広場でのアカンパダが2011年のスペインを最も特徴付けるものになってしまった。これはおそらく、ツイッターやフェイスブックなどで交流する少数グループの中であらかじめイメージが作られていたものだろう。5月15日の夜に突然決まったものとは考えられない。もちろんこのような行為は「違法」である。かつてのフランコ与党の流れを汲む国民党が支配するマドリッド市当局と国家警察が黙って見ているはずはない。しかしそのあまりの唐突さと人数の多さに、警備当局者もさすがにその夜は手が出せなかったようだ。

アカンパダ:この広場をどう使ってどのように過ごすのか話し合う人々

 2007年以来欧州を襲い続ける経済不況と国家破産の危機の中で起こった激しい大衆行動は、別にこれが初めてではない。アイスランドで、ギリシャで、アイルランドで、公的教育や医療、社会福祉と公営企業の縮小への抗議運動が連続して起こっていた。特に破産寸前に追い込まれているギリシャでは過激なデモが何度も武装警官隊と衝突を繰り返してきた。しかしそれら他の欧州諸国で起こった大衆行動とこのスペインの15M運動では決定的な違いがある。
 他の国々では人々の抗議活動は基本的に労働組合によって主導されてきた。ギリシャなどで見られた過激な行動も、労組主体のデモにくっついてきた過激なグループによる、言わば「はねあがり」的なものである。しかしこのスペインの運動は最初から労働組合や政党とは決別している。また15M運動は「徹底非暴力」を掲げてきた。大多数の参加者が、ガンジーやキングがそうであったように「非暴力のみが暴力と対決できる」ことを信じている。

 「キンセ・デ・エメ(15M)運動」はこうやって開始されたのだが、これに驚愕する内務担当者のとった行動がその動きを決定的に巨大化させ、世界的にその姿を広めることとなった。これについては次回以降にご覧いただこう。

(2011年10月25日 バルセロナにて 童子丸開)

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