しかし、このフランコの墓移転に怒ったのはフランコ家と極右人士だけではない。正反対の立場、フランコ独裁主義を告発し続ける「歴史記憶回復協会(la Asociación
para la Recuperación de la Memoria Histórica)」の会長エミリオ・シルバ氏もまた、犯罪人の独裁者が国有の施設から国有の施設にVIP待遇で移されることなど許されてはならない、と激しい怒りをぶつける。いま「国有の施設に」と書いたのは次のような理由によるものだ。
続く10月4日、VOXの総書記でマドリード市役員のハビエル・オルテガ・スミスが、フランコ政権誕生直後に起きた悲惨な事件を否定する発言を、国営放送TVの番組で行った。1939年に、フランコ政権によって拷問され無残に処刑された18歳から29歳までの13人の女性たちのことで、「13のバラ(las
Trece Rosas)」として有名である。彼女らの半数が社会主義青年連合(Juventudes Socialistas
Unificadas)に属しており、内戦終了後、大勢の共和国支持者の若者たちと共に逮捕された。オルテガ・スミスは「“13のバラ”についての嘘がある。彼女らはひどい犯罪を行ったのだ」と述べ、フランコ支持者に対する暴力や拷問や殺害に加わったと断罪した。しかし彼女らの「犯罪」の証拠は全く出てこず、当のフランコ政権側の資料にすら述べられていないことが知られている。それ以降、各方面からの多くの非難を浴び法的措置すら準備されているオルテガ・スミスだが、「謝罪など絶対にしない」、「誰も我々にその歴史観を押し付けることはできない」と開き直っている。
ここでもう一人、注目されている人物がいる。こちらの1970年代前半のものと思われる写真に、当時では珍しい長髪で粋な格好をした男は、本名アントニオ・ゴンサレス・パチェコ、“ビリー・エル・ニーニョ(Billy
el Niño:神の子ビリー)”の通称で知られる、フランコ時代の国家警察の拷問担当官なのだ。この、小柄でベビーフェイスの男が、独裁体制に反対する活動家(と目を付けられた人物)に対する凄惨な拷問で人々に恐れられた、とんでもない「神の子」なのである。1946年生まれでもちろん今でも元気に生きている。