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「戦時体制下」のスペイン:その1


 前回『21世紀の「人民戦線」』以来の久しぶりの記事だが、もちろんこの間、世界中があのとんでもないウイルスに襲われて大変な状態になっている。スペインでも、もう当分はカタルーニャ独立どころではなくなった。「新たなスペイン内戦」どころか、突然「世界大戦」が始まったような状態である。スペインのコロナウイルス感染者は26日夜の段階で56279人で、中国(82034)、イタリア(74386)、米国(60194)に続いて第4位。死亡者は4158人でイタリア(7503)に次ぐ第2位。そして回復者は7015人となっている。もっとも感染者数は国によって調査の仕方が異なるため比較しても無意味だろう。しかしスペインがイタリアと並んでこのパンデミアの震源地になっていることに間違いはない。

 当面はこの話題になることだろうが、とりあえず、今のスペインの状態をできる限り正確に記録しておきたい。たぶん来週にはリリースできるだろうが、次回には、スペインでの進展状態とともに、この疫病がスペインと欧州と世界の政治・経済に与えそうな影響、日本への思いなどを中心に書いてみるつもりだ。

2020年3月26日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその欄に飛びます。)
《国家非常事態のスペイン》
《スペインにおけるコロナウイルス禍拡大の足取り》
《スペインでなぜここまでの感染者数の爆発が起こったのか》
《高齢者を襲うパンデミック》

コロナウイルス禍で非常事態が宣言され空っぽになったバルセロナの街路
【写真:コロナウイルス禍で国家非常事態が宣言された後のバルセロナの街路(ABC紙)】

《国家非常事態のスペイン》

 2020年3月20日、スペイン軍参謀総長ミゲル・アンヘル・ビジャロヤ将軍は、マスコミの質問に答えて「戦時下に金曜日は無い」と述べた。明日は休日だと言えるときは無い、という意味である。スペイン軍は、猛威を振るうコロナウイルスの感染者がすでに2万人に近づき死者も千人を超すという中で、仮設病棟の設置や医療用物資の運搬、施設の消毒などを通して医療現場を援助し、ウイルス禍から国民を守る任務を政府から命じられていたのである。この「戦時下」という言葉が決して大げさでも何かの隠喩でも無いことは、この3月14日にペドロ・サンチェス首相の口から国家非常事態が宣言されて以来1週間を過ごしたスペイン在住者にとっては明白なことだ。今はまさに国家の非常事態、戦時下なのである。

 スペインの国家非常事態突入に続いて、3月16日に隣国フランスでも厳しい(スペインよりは多少緩いが)外出規制がエマニュエル・マクロン大統領によって発表された。その際、マクロンは「我々は戦争のさ中にある。犠牲を払ってくれ。」と、「戦争」という言葉を何度も使いながら国民に呼びかけた。そしてスペイン首相サンチェスも3月22日にEUに対して「いま欧州はコロナウイルスに対する戦争をしているのだ」と強調して、医療装備にカネを出し惜しんではならないと主張した。

 このコロナウイルス禍は単なるパンデミア(世界的流行病)ではなく、ある意味で「世界大戦」であるように思える。その前線は中国から始まって、韓国とイラン、そしてイタリア、スペインなどの欧州諸国へと広がり、いま米国で激戦が続いているようである。ではその戦争の「敵」は何か、誰か? 目に見えず所かまわず出没するウイルス? それともそのウイルスを兵器として作りばらまいた勢力? だとしても、我々がその真相を知ることはおそらく無いだろう。しかし現実に我々の目の前にあるのは、紛れもない戦時体制下の社会なのだ。それにしても、あれよあれよという間に、目の前の現実がここまでドラスティックに変化するとは! 

 筆者は人口約160万人のバルセロナ市の中心部に住んでいる。バルセロナには「都心」と「郊外」の明確な区別が無い。中心部は商店街、オフィス街であると同時に住宅街でもある。したがって、普段なら筆者の住む集合住宅付近の道路は車と人であふれている。それが、3月15日の国家非常事態の施行以来、その前々日にカタルーニャ州のキム・トーラ知事によって発せられた州全土の「封鎖宣言予告」からわずか2日の間に、ほとんど砂漠と化してしまった。いつもなら市内で最も交通量の多い道路の一つであるアラゴー通では、いつもなら近所にある交差点で赤信号時に数十~百台の停車した自動車で埋まるのだが、いまでは昼間でもゼロ~数台しか見ることができない。

 全ての種類の学校が閉鎖されている。スーパーマーケットを含む食料や基本生活物資を売る商店、薬局、病院など、住民の最低限の生活と健康に必要な場所以外はすべて閉じられている。その他のあらゆる店舗は、バル(喫茶店)、レストランを含め、ことごとくシャッターが下ろされている。映画館やディスコなどの娯楽施設、スポーツジム、宝くじ売り場も営業・運営を禁じられた。イベントやコンサート、演劇は中止。各都市にある主要な公園は閉鎖され、美術館や遺跡、重要建築物などの観光施設もすべて扉を閉ざしている。3月23日から1週間は全国でホテルも閉鎖されている(延長される可能性が高い)。またプロ・アマを問わずスポーツ活動は禁止され、すべてのスポーツ施設、公民館などの市民活動施設、高齢者デイケアー施設、養護施設は閉ざされ、老人ホームへの新規入所は禁じられる。営業・活動を許されるのは、病院などの医療施設、役所・行政関係の施設、郵便局、マスコミ・情報関係、水道・電気・ガス関係、銀行などの金融機関、製造業では医療関連と食品関連など、ごく一部に限られている。バスや地下鉄、鉄道は動いているが便数は大幅に減らされている。

 我々住民は、生きるために必要不可欠な場合以外の外出を厳しく禁じられている。許される外出は、食料と基本生活物資の買い物、医療施設への通院、身動きの取れない老人や身障者などの世話、その他、緊急のやむを得ない(と認められた)場合以外は、とにかく自宅に閉じこもっていなければならない。何らかの事情で外出する場合、他の人と1.5メートル以上の間隔を保つ必要がある。商店では、店舗の広さに応じて一度に店内に入ってよい人数が限られる。それ以上の人たちは外の道路に1.5メートル以上の間隔を保って並ばなければならない。店内に入ると入り口に置かれるビニル手袋をはめて、手で直接に商品に触ってはならない。自宅を出て親族や友人の家を訪ねることはダメ、街路を自転車に乗ることも運動のために走ることもダメ、(犬の散歩に付き添う以外の)散歩すらダメ、外の街路にあるベンチで日向ぼっこをするのもダメ、休日に田舎のセカンド・ハウスに行ってはダメ、パーティーも、結婚式や葬式もダメ…。もちろん集会を開くこと、デモをすることは厳禁である。街では外出禁止令違反を見張る警察官があちこちで目を光らせる。

 違反者には100ユーロ(約1万2千円)~60万ユーロ(約720万円)の罰金と、場合によっては1年間の禁固刑が待っている。おそらく欧州で最も厳しい、たぶんコロナウイルス禍最盛期の武漢に次ぐ厳しさだろう。これらの措置はすべて、この信じられないほど伝染性の強いウイルスから自分の身を守り、他人の身も守るためなのだ。「一昨日は全国で350人が死んだ。昨日は450人が死んだ。今日は550人。明日は…。」カタルーニャだけでも「一昨日は感染者が前より500人増えた。昨日はさらに700人増えた。今日は1000人も増えている。明日は…、ひょっとして俺の番か?」といった状態である。ここは戦場なのだ。何の比喩でも誇張でもない。

 目に見えない砲弾やミサイルがいつどこに飛んでくるかもしれないこの戦場で、自分と他人の身を守るには今のところこれしかないと理解しているからこそ、大部分の国民はこれらの禁止令に従っている。しかしこんな生活がいつまで続くのか。14日にサンチェスは「15日間」と言ったが、その国家非常事態宣言に先立つ3月11日に、保健省に属する緊急非常事態協力センターの責任者フェルナンド・シモンは、この事態に対する処置が2か月から4か月は続くだろうと語った。たぶん誰が考えてもそんなところだろう。大人ですら耐えがたさを感じるのに、子供たち、若者たちにとってこの日々がいったいどんなものになるのだろうか?

 さらに、休業に追い込まれた商店や事業所、企業への影響は極めて甚大だ。経済と産業、労働問題に対する影響については次回に回したいが、3月17日にサンチェスは2千億ユーロ(約24兆円)をコロナウイルス禍の経済的な補償に振り向けると発表した。しかし、小規模経営の企業や一般の商店やバルやレストランなど、さらには零細な自営業者や文字通り日銭を稼ぐ臨時雇いの労働者など、その日、その週の稼ぎが無いと生きていけない状態だ。3月25日に首相はこの非常事態を(とりあえず?)15日間延ばして4月11日まで続けると発表した。2008年のリーマンショック・バブル崩壊以降、正規雇いの労働者ですらその半数が月末になると生活できなくなる状態が続いてきたのだ。もしこの状態が3か月も4か月も続くならば、コロナウイルスで死ぬか生活苦で自殺するかという「地獄の二者択一」が始まるのかもしれない。


《スペインにおけるコロナウイルス禍拡大の足取り》
 (※以下、数値データでリンク先の無いものは、バングアルディア紙エル・ディアリオ紙の統計記事を参照している。)

 私は日本人だからもちろん1月中から中国、韓国、日本での新型コロナウイルス性肺炎の広がりを常に気にかけていた。故国とその隣人たちだけの話ではない。いかにも異様な拡散の仕方、過剰なまでのマスコミの反応を見ながら、とんでもなく不吉な予感に駆られていたのだ。しかし欧米では、特にもともとから能天気なスペイン人やイタリア人たちにとって、それは対岸の火事どころか他の惑星で起こる出来事でしかなかったようである。

 スペインの領土内で感染者が初めて見つかったのは1月30日のこと、カナリア諸島でドイツ人観光客の陽性が確認された。2月9日になるとバレアレス諸島のパルマ・デ・マジョルカで英国人観光客の感染が明らかになった。続いて2月13日にはネパールで感染した男性がバレンシア市に運ばれてきた。しかしここまではスペイン本土、イベリア半島内での発症例ではない。一般の人々はもちろん医療関係者や福祉施設関係者もほとんど危機感を持つことがなかった。しかしこの後にイタリアのロンバルディア地方を中心に、少しずつだが新型コロナウイルスの感染が広がった。そしてそのロンバルディアから休日を過ごすためにカナリア諸島テネリフェにやってきた医者夫婦が陽性反応を示したのは、北イタリアで感染が爆発的状態になり始めていた2月24日のことだった。

 そのイタリア人医師夫妻が泊まっていたホテルで約千人の宿泊客全員が2週間の「缶詰」生活をおくり、翌日3月25日にはさらに2名の感染者が発見されたが、イベリア半島で最初にコロナウイルスの感染者が確認されたのはその日のことである。まずバルセロナで同市在住のイタリア人女性1人の感染が確認され大学病院に隔離された。彼女はその数日前に北イタリアのミラノとベルガモ(ともにイタリアの爆発的感染増大の中心地)を訪れてバルセロナに戻ってきたのだ。同時にこの女性と一緒にバルセロナ市内でパーティーを開いた者24人が隔離された。また同じ25日、バレンシア州カステジョン、そして首都のマドリードでも感染者が発見され、翌日未明にアンダルシア州セビージャでまた一人患者が出た。すべて、北イタリアのミラノ付近を旅行して戻ってきた人たちである。

 間の悪いことに、その1週間前の2月19日にサッカーのUEFAチャンピオンリーグ決勝トーナメント第1回戦のアタランタ対バレンシアの試合が、ミラノのサン・シロ競技場で行われたのだが、アタランタはベルガモにあるチーム…、最悪! その“コロナのかたまり”みたいな場所にバレンシアから2千人ほどの応援団がノコノコ出かけて行ったのである。こりゃ、あかんワ! バレンシアは4対1でぼろ負け。もっと悪いことに、その1週間後の2月26日にこの試合を取材に行ったフリー・ジャーナリストがウイルス付きで帰ってきたことが判明した。後は推して知るべし。

 これらが、スペインでの感染の爆発の出発点だった。最初のうちはこの国の保健当局も医師も、日本の保健当局がいまだに血道をあげているのと同様に、感染ルートを追うことに必死になっていたようだ。しかし、イタリア旅行から戻ってきた全てのスペイン人、北イタリアからやってきた全てのイタリア人、イタリアを経由してスペインに入ってきた他の国の全ての人を突き止めるなど、最初から不可能だった。なにせ、陽性の人が発症していなくても他人にうつすことができるという、人類がほとんど初めて経験するとんでもない敵なのだ。本来ならこの時点で戦術切り替えを検討すべきだったのだろう。2月28日に保健当局は国内の感染者が32人になったと発表。そしてそのわずか2日後の3月1日には84人を記録した。その後も感染者は等比数列的に恐ろしい勢いで増えていくことになる。

 そして3月5日に恐ろしいニュースが現れた。マドリードにある老人ホームで10人の集団感染が起こっていることが明らかにされたのだ。中国でのデータから見ても、高齢者の症状が重くなりやすく死亡率も高いことが明らかであるにもかかわらずこのような事態が発生したのは、その施設はもとより国とマドリード州保健当局の重大なミスだろう。この日には全国ですでに237人が陽性と診断され、3人目の死亡者が出ていたのだ。翌日の3月6日にも、またマドリードにある高齢者デイケアー施設でコロナウイルスによる1人の死者と15人の感染者が出たことが分かった。慌てふためいたマドリード州は州内に213ある高齢者デイケアー施設の閉鎖を命じた。しかしこのような公営・私営の高齢者施設での悲劇は以後次々と起こった。

 同じく3月6日にバスク州アラバ県とナバラ州で明らかになった事実も戦慄すべきものである。ここでは60人を超える集団感染が起きたのだが、その感染源はアラバ県ビトリア市で2月20日過ぎに行われた一つの葬式だったのだ。そこに参列した人の相当部分が、誰からなのかは明らかになっていないが、コロナウイルスをうつされていたのだ。しかもその亡くなった人物が入院していたビトリア市のチャゴリチュ病院で多くの医療関係者の感染が明らかにされたのである。

 3日後の3月9日、感染者は全国で959人、死亡者は16人に達した。感染者の半数を超える469人はマドリード州で明らかになったものだ。このマドリード州とバスク州のビトリア市、ラバスティダ市では、感染がもはやコントロールのきかない状態に陥っており、中央政府は慌ててこれらの地域の学校に休校を要請したのである。またバルセロナではある保育所の職員が感染者であると判明し、その保育所は即座に閉鎖された。さらに、カタルーニャ州ではこの日までに101人の感染者が出ていたがその4分の1にあたる25人が医療関係者であったことも明らかになった。

 注意すべき点だが、ここまでに起こったことがこれから始まる巨大な悲劇の「ひな型」となっているのである。スペインでの爆発的なコロナウイルス感染者増にははっきりした理由があるのだ。しかしそれは次の項目で述べるとして、ここでは経過を追ってみよう。

 3月12日、感染者はすでに全国で2677人、死亡者は47人に上った。感染者のうち、過半数の1388人はマドリード州で、カタルーニャ州はこのときまだ260人だったが、同州政府はバルセロナ県の地方都市イグアラダなど合計で約7万人が住む4つの地区の封鎖を命じた。これは現在スペイン全土で行われている非常事態の小型版で、もちろん現在でも引き続いて行われている。その中で起こっていることはいまバルセロナに住む我々が味わっているのとほぼ同様で、それらの地区への出入りは禁止され道路は州警察によって厳しく見張られた。

 重大な点は、単に感染者の大きなクラスターが明らかになっただけではない。イグアラダ市にたった一つある病院で、一人の医師が58人(うち36人が医療従事者)もの感染者の元になっていたことなのだ。その医師が誰からどのように感染させられたのかは明らかではないが、もう感染の広がりがコントロールのきかない状態になっていることがはっきりした。しかも、この「戦争」にとって最も重要な基地、医療機関が感染源となって地域全体に広がっている実態が誰の目にも明白になったことは、この危機のとんでもない重大さを物語っている。

 翌3月13日、カタルーニャでの感染者が316人に上昇(全国では3900人)、このままでいけば翌日には500人を超えそうな勢いとなった。前日に同州内で起こった事態を踏まえて、州政府のキム・トーラ知事は同州全土の非常事態を告げ、翌14日以降、現在我々の目の前にあるのとほぼ同様の厳しい外出・活動の規制を行うと発表した。そして全国の感染者が5100人に達した14日に、中央政府首相サンチェスが「来週には1万人を超すと思われる」と語って国家非常事態を宣言、15日からそれは開始された。しかし時すでに遅し。

 国家非常事態体制が開始された15日の全国の感染者は6948人(マドリード3544人、カタルーニャ715人)、その2日後の17日には全国で1万人目前の9659人(マドリード4871人、カタルーニャ1394人)、19日に全国15273人(マドリード6777人、カタルーニャ2702人)、そして非常事態開始から1週間たった22日に全国の感染者は27277人(マドリード9702人、カタルーニャ4704人)で、死亡者は1720人にまで増加したのである。1週間で感染者が4倍に増えたのだ。

 もちろん外出禁止や人と人との社会的距離(1.5メートル以上)の維持が徹底されてそれが効果を出すまでには、最低でも3週間~1か月はかかるだろう。その以前に感染して症状が出ずに検査を受けていなかったり、症状が出ていても検査を受けなかったりする人々が非常に多いことが予想されるからだ。またそのような人たちが他人にうつせば感染の拡大はコントロールできない。さらに悪いことに、厳しい外出禁止令に違反して友人の家に集まったりパーティーを開いたりする例が跡を絶たない。3月21にはバルセロナの集合住宅の部屋で20~30人の集団がドラッグを服用しながら乱痴気騒ぎをしていたとして摘発され、中心となった8人が逮捕された。内務省によると、非常事態が始まって以来3月24日までに、全国で10万2千人が様々な禁止令違反で罰金を科され、926人が逮捕された。

 イタリアやフランスでも同様だが、自由を奪われるくらいなら死んだ方がましだ、コロナウイルスなんぞどこが怖いのか、といった調子で跳ね回る輩が多い。ラテンの民族性もあるだろうが、自由と平和が当たり前の中で生きてきた惰性が大きいのだろう。死ぬなら一人で死んでくれたらいいのだが、他人を巻き添えにはしてほしくないものだ。またイスラム教徒が多い国々でもコロナウイルス禍が広まりつつあり礼拝所が閉鎖される例が多いのだが、礼拝できないくらいなら感染して殉教した方がましだなどと言って反発するムスリムたちが増えているという。身についた生活習慣や考え方を一気に変えることはやはり難しいようである。

 間の悪いことに、スペインでは感染者が500人を超え爆発的増大が予想され始めた3月8日に、フェミニスト団体が主催する集会とデモがマドリードやバルセロナなどで盛大に行われた。特にマドリードでは政権党のポデモスが積極的に応援しており(ポデモス副党首で平等化大臣のイレーネ・モントロは発病)、また極右政党VOX以外の各政党も女性議員(後に閣僚を含む数名が発病)を中心に参加者を出し(ただしシウダダノスは幸運にも主催者から追い出されたが)、警察発表で12万人という大人数が狭い道路と広場にあふれた。この集会とデモがその後の感染者数の爆発に無関係とは思えない。その1週間後に非常事態宣言が発令され、それから感染の割合が爆発的に増えた。EUの保健機関がすでに3月2日にこのデモと集会の危険性を訴えていたにもかかわらず、スペイン政府はそれを禁止しようとしなかった。フェミニスト団体の中からは、男たちの女性に対する暴力はコロナウイルスより危険だ、という叫びすら上がっていたのである。

 その大デモから2週間経った3月23日に感染者数がついに3万を超して33089に、死亡者数は2182になった。その2日後、3月25日にはスペインの感染者は累積で47610人、死亡者が3434人とついに中国の死者数3293人を追い抜いた。しかしこれらは氷山の一角であり、実際の感染者数が78万に達しているだろうという研究結果もある。裁判所の中ではすでにこのデモを犯罪として立件を試みる動きすらあるが、もちろんそのデモと感染拡大の因果関係を科学的に証明することはほとんど不可能だろう。法的な意味での犯罪性は無いのかもしれない。しかし今現在の状況を見て、そのフェミニストたちはどんなことを言うだろうか。確かに3月8日の行事がこの疫病の広がりの第一原因ではない。しかし、最も危険な時期に、非常に危険な行為をしてしまったことに間違いは無いのだ。


《スペインでなぜここまでの感染者数の爆発が起こったのか》

 先ほどスペインで国家非常事態が宣言される以前の様子を紹介したが、ここにこの国の感染者数爆発的拡大の要因がすべてそろっているように思える。これはイタリアにもほとんど共通していることだと思う。

 もちろん人々の生活習慣の問題もある。外出から戻っても手を洗わない、握手はもちろん、抱き合う、挨拶のキス(といっても頬を引っ付けて「チュッ、チュッ」と音を立てるだけだが)を交わす、群れ集まることが大好きで、顔を近づけて大声で唾を飛ばしながら激しくしゃべりあう、などなど、このウイルスの「大好き」なことばかりやっているから、無自覚の感染者が一人でもいたらたちまち多人数に広がるだろう。日本では幸いにもそのような習慣が無いのだが、それ自体はどうしようもないことで、この災厄をきっかけに少しはそういう習慣に変化が起こるかもしれない。

 しかし医療現場と社会福祉現場の問題こそが、圧倒的に重大だろう。イタリアと同じく、2008年以来の大不況の中でもっぱら公的医療と公的福祉、公的教育が徹底的に切り捨てられたことが感染爆発の最大の原因となっているように思える。特に腐れはてた国民党の支配下にあったマドリードの状態はでたらめとしか言いようがない。ちょっと強い雨が降るたびに雨漏りがして廊下が洪水になる、また冬季のインフルエンザ流行期に病室からあふれた大勢の患者を簡易ベッドで廊下に寝せている公立病院の姿は、毎年何回もテレビ・ニュースで見てきた。医者も看護師も医療技術者も恒常的に不足して過重労働が続く。新たな病原体がやってきても研究する余裕などあるまい。おまけに公費で建てられた病院が腐敗した政治家の手で投機筋に叩き売られて私立病院に早変わりし、優秀な医師や看護師や技術者は給料の高い私立病院に引き抜かれる。医療サービスを受ける市民は、ちょっとした検査や手術を受けるのに1か月、2か月、ひょっとすると半年以上も待たされる。そんなことが2008年から10年間以上も当たり前のように続いてきたのだ。

 スペインがすでにコロナウイルス相手の戦時体制に入っていた3月17日に、Bloomberg紙は「欧州は武漢で犯された失敗を繰り返している」という複数の中国人医師の警告の声を伝え、それはすぐにエル・ディアリオ紙によってスペイン語ニュースになった。その失敗とは、このウイルスの性質についての無知、そして医療従事者を守る装備の欠如である。それは武漢の大勢の市民と医療従事者が命をかけて明らかにしたことであり、この教訓を活かしてくれなかった欧州の政治家や保健当局者、医療関係者に対する無念の思いが語られている。

 このウイルスが極度に感染力が強く無症状の感染者からすら容易に伝播すること、したがって経路不明の感染が多発する可能性が高いこと、高齢者が感染した場合、特に既往症を持つ場合には非常に致死率を上げること、医療用マスクや防御服などの装備が不完全な場合には大勢の感染者と接する医療従事者が大変な危険にさらされること、したがって病院の病室数やベッド数、人工呼吸器を持つ集中治療室、そして何よりも医師や看護師や技術者がすぐに不足してしまい、ほぼ確実に医療システムの崩壊を招くこと、…。こういった中国人が大きな犠牲を払って残してくれた貴重な教訓が、イタリアでもスペインでも、フランスでも英国でも、ほとんど生かされることなく欧州がこのパンデミアの新たな中心になってしまったのだ。

 イタリアやスペインの場合、感染者が増えたから医療システムが崩壊したのではない。絶対に違う!逆だ。それらの医療システムはネオリベラル経済の毒牙にかかってすでに崩壊の淵にあったのであり、現場の医師や看護師たちの懸命の努力でどうにか維持できていたが、今年になってコロナウイルスがその実態を明らかにしたまでである。前の項目で述べたスペインの2月後半~3月初旬の出来事を振り返ってほしい。このウイルスの悪魔のような感染力について大声で警告を発した政治家や保健当局者は皆無だった。医療現場の危機を予見して良質な医療装備や器具を準備する動きは全くなかった。現場の医師や看護師は感染者に対する扱いを知らなかったし、中国人同業者たちの尊い犠牲から学ぼうとしなかった。というか、現場にいる医療従事者たちにはそれだけの余裕もなく、またそれだけの知見と危機感と決断力を持つ医療関係者、保健当局者、政治家がこの国にいなかったのである。

 中国での爆発的拡大を知ったときに「これは戦争だ」と分かり有事(非常事態体制)を覚悟しなければならなかったのだ。このウイルスが自然に現れたものか人工的に作られた生物兵器なのかは知らないが、スペインやイタリアの公的医療システムと医療現場は、このウイルスの以前に、すでに原爆に対して竹槍しか持っていない状態にさせられていたのである。マドリード州が医療システムを再編成しなければならないと気づいたのは、もはや手遅れ状態になっていた3月9日のことだった。そして国が「医療の崩壊を防ぐために」国家非常事態を宣言し人々と社会の動きを制限しウイルスを封じ込めようと決めたのがその5日後だった。全てが後手後手に回った。その時点ですでに「医療の崩壊」は約束されていたのである。マドリードはもう「新たな武漢」になるしかないのだろう。

 2月半ばになって市民がぼちぼち不安を感じ始め、スーパーマーケットや薬局からマスクと手袋が姿を消しても、政府も自治体もそれらの量産体制を取ろうとせず、医療現場も市民も丸腰であの恐ろしい敵に立ち向かわされたのだ。3月19日になって政府は、退職した70歳未満の医師と看護師、また医学部の最終学年を終わろうとしている学生を現場に動員することを決めた。しかし病室やICU、医療設備と装備という物量を圧倒的に欠いたままで、マドリードの医師はICUに入る優先順位、つまり平均寿命未満の患者を優先すると決意せざるを得なくなった。また医師や看護師など医療現場の労働者の感染は、3月24日(全国総感染者数39673)の段階でその13.6%に当たる5390人になっている。イタリアでは感染者の8%、中国でも4%未満なのだから、スペインの医療現場がどれほどひどい状態になっているのかよくわかる。

 医療用のガウンが無いため、ビニルのゴミ袋を切り開いて絆創膏で貼り合わせて体にまとっている看護師たち(写真:エル・ペリオディコ)の姿には痛ましさすら感じる。感染の危険を知りながら病室に向かうこれらの医療従事者たちは、この戦争の最前線に立つ特攻兵士なのだ。またこちらの、マドリード州バジェカス市のインファンタ・レオノール病院の廊下の床に寝かされる大勢のコロナウイルス感染者の姿(写真:ディアリオ・ホルナダ)はマドリードでどれほど病室が不足しているのかをありのままに物語っている。これらが、ネオリベラル経済に食いつぶされ何の対策もなされないまま放置され崩壊した公的医療の現場の姿なのだ。お分かりだろうか。医療システムの崩壊はコロナウイルスとは別の次元で起こっていたのだ。単に感染者の数が増えたからではない。絶対に違う!

 3月25日にスペイン政府は、中国から医療用マスク、手袋、防御服、人工呼吸器などの大量の医療の装備と器具を4億3千2百万ユーロ(約518億円)かけて購入すると発表した。しかしそれらがスペインにやってくるのは1か月か2か月後になるだろう。世界でいち早く「終息宣言」をした中国は全力を挙げてそれらの品物の生産を開始しており、中国の製品を世界中の国々がどこもみな欲しがっている。当然だが激しい奪い合いと投機筋による介入が始まっている。闇市場も膨らんでいるようだ。その状況の中で、各国の弱みを見透かす中国の業者から約束通りに品物の輸入を確保することは容易ではあるまい。

 現在、国内の一部のテキスタイルや化学薬品の工場が医療装備の生産にあたっている。中には靴の製造業者が手持ちのミシンを使ってマスク生産を開始した例もある。政府は最初から中小の製造業をストップさせてはならなかったのだ。医療システムの維持に役に立ちそうなありとあらゆる手段を総動員して、医療従事者と市民を守り医療崩壊を防ぐ手段を講じなければならなかった。しかし何よりも場所、つまり病室と集中治療室の確保が重要であろう。

 国家非常事態が開始した3月15日、スペイン政府保健相のマドリードがサルバドル・イジャは、地方自治体に私立の医療機関をコロナウイルスとの戦いに動員させる権限を与えた。また17日にマドリード州がホテルを軽度の症状を示す感染者のための「病院」として利用すると発表し、19日には四つ星ホテルのアイレ・グラン・オテル・コロンに初めての患者が入った。また同時に、陸軍の工兵隊の協力を仰いで同州にある体育館やホールを病院として改造する作業を進め、3月22日に市営の展示会場の仮設病院に患者の入院が始まった。ここには1300のベッドと96の集中治療室が準備されている。またホテル地上階の大きな駐車場スペースを利用して軍のテントによる野戦病院が作られたところもある。3月21には複数の公立病院から初めて私立の病院にコロナウイルス患者が移動した。

 マドリードに比べるとまだ余裕のあったバルセロナ市もホテルの病院化を進めており3月20日にその最初の候補のホテルが決定された。そしてもし病院での医療が崩壊しそうなら複数のホテルを病院に転用する準備が3月25日に完了し、これによって一般病棟を50%、集中治療室を42%増やすことができるとした。さらにバルセロナのムンジュイックの丘の麓にある大きな展示会場の一つを、マドリードと同様に陸軍の協力を仰いで仮設病院に改造する作業が全力で進められている。そしていま、バルセロナにある4つの大きな病院の近くにある体育館などの建物を仮設病院に改造する作業が始まっている。

 しかしそれでも、現在のペースで入院を要する患者が増えていくならとうてい処理できない事態になるだろうし、何よりも現場に立つ医師、看護師、医療技術者の数が圧倒的に不足するだろう。最初のころに感染した医療従事者が回復し、いま闘病中の5千人が次々と現場に復帰できれば何とかなるかもしれない。幸いにして現在までにこのウイルスによって死亡した医療従事者は、3月19日に亡くなった52歳の看護婦の一人だけである。しかしそのためには何よりも良質の医療装備が大量に必要である。輸入や生産が間に合えばよいが。


《高齢者を襲うパンデミック》

 またもう一つ、スペインのコロナ対策の前に立ちふさがる巨大な問題は高齢者の保護である。3月22日時点での集計で、スペインのコロナウイルス死亡者の63.6%が80歳以上だ。イタリアの49.6%、中国の20.3%、韓国の44.3%に比べると圧倒的に大きい。スペインでは死亡者の95.4%が60歳以上である。一方で、感染者数の中で80歳以上の占める割合になると、中国は3.5%、韓国は4.5%と小さいが、スペインが16.4%、イタリア18.2%と、高齢者が感染する割合の高いことがこの2国の特徴として挙げられる。ただし80歳以上の死亡率(感染者中の死亡者の占める割合)は15.7%で、中国の14.8%、韓国の13.9%とさほど変わるものではない。しかしイタリアは23.7%で高齢者の死亡率が非常に高い。

 スペインとイタリアで高齢者の感染者が多いことの最大の原因は、以前の項目で実例を述べたように、高齢者福祉施設内での感染が拡大したことだろう。国家非常事態が宣言されて以降、3月18日までの4日間に全国6か所の老人ホームで合計80人の死者が出たことが判明した。最もひどい例はマドリードにあるモンテ・エルモッソ養老院で、約200人の入所者の中から死亡者17人、感染者が少なくとも70人出たのだ。これはさすがに検察庁が刑事事件として告発を検討し始めた。翌日19日にはマドリードではさらに別の老人ホームが11人の死者と34人の感染者を出していることが分かった。事態を重く見た(遅すぎる!)政府は、軍の救急部隊に、全国の老人ホームの消毒作業を行うよう命じた。スペイン陸軍は、施設の消毒作業や医療物資運輸の安全確保、仮設病院の設置など、医療への補助活動で大車輪の活躍をしているのだが、いずれは軍の中からでもウイルス感染者が出るかもしれない。

 現に国内治安隊であるグアルディア・シビルは、国家警察と共に非常事態の違反者を取り締まったり患者を運ぶ救急車の移動を助けたりしているのだが、3月25日までに5人のコロナウイルスによる死亡者を出している。国家警察とグアルディア・シビルの隊員にはすでに320人もの感染者が出ているのだ。違反者の取り締まりの際に、場合によっては顔を寄せて大声で食ってかかかる違反者に口頭で注意を与えながら罰金を提示したり、時には激しい取っ組み合いをしながら逮捕したりするため、無自覚の感染者からうつされることが多いはずだ。おおよそそんな違反者に限ってウイルス付きが多いのだろう。その事態に防衛相は3月22日、イラクに派遣している部隊の一部に帰還命令を出した。軍の兵士からも大量の感染者や死亡者が続出する可能性があるのだ。

 そして3月23日、恐ろしい出来事が起こった。全国で老人ホームの消毒作業を行っている陸軍救急部隊が、2か所の老人ホームで、何の世話も治療も受けることなくベッドに寝たまま死亡している老人を発見したのだ。しかも他の数名の老人たちは遺体と一緒に同室でベッドに横たわっていたのである。もちろん検察庁が事件として調査し始めたのだが、この悲惨な事件がこの国を襲った福祉切り捨ての激しさを物語っている。確かにその老人ホームの職員と責任者が非難されてしかるべきだろうが、しかし老人ホームや高齢者と身障者のデイサービス施設などで働く社会福祉士・介護士の数も介護に必要な設備や装備も、圧倒的に不足している。さしたる災難の無い通常の毎日でも、その激しい労働はほとんど限界に達している。さらに医者や看護師を呼ぼうにも、その人たちとて病院で手に負えないほどの患者を相手に悪戦苦闘しているのだ。

 公的な援助を受けて低料金サービスを行う福祉施設がこのように崩壊する一方で、入所に月々3000ユーロ(約36万円:勤労者の半数が月収1000ユーロ以下)が必要な私立の高級老人ホームが崩壊を起こすことは少ないだろう。広い敷地と余裕のある部屋、豊富な人員と行き届いたケアが売り物だからだ。1990年代の後半から国民党アスナール政権が導入しネオリベラル経済による社会改造で進められた公的機関と資産の民営化(資本による私物化)と、その結果であるバブル崩壊⇒大不況の中で推し進められた公的教育、公的医療、公的福祉の切り捨ての実態が、コロナウイルス過によってそのありのままの姿を暴露されたのである。

 マドリード州の老人ホームで最初にコロナウイルスによる死者が出た3月8日から25日までの間に、マドリード州だけで100人以上の死者を記録した。そして州内にある425の老人ホームのうち100か所が、いま軍の救急部隊による援助を求めている。3月22日と23日の2日間で救急部隊は全国300か所の老人ホームの消毒作業を行ったのだが、兵士たちは自分たちの祖父・祖母にあたる年代の人たちがどんな残酷な運命を味わっているのか、身をもって知ったことだろう。

 最後に、ことのついてにだが、かつて公的資金で建てられたマドリード州の病院の民営化(資本家による私物化)に血道をあげた元マドリード州知事エスペランサ・アギレが、3月19日にコロナウイルスにやられて夫と共に入院したというニュースが流れた。入院したのは公立の病院で(その時にはまだ私立の病院ではコロナウイルス患者を扱っていなかった)、アギレは公立病院の民営化に反対する医療関係者たちを小馬鹿にしてせせら笑っていたのだ。今では夫婦ともどうやら回復に向かっているらしいが、ウイルスがこの罰当たりをもう少し苦しめてくれたらよいのに、などと、あらぬことをついつい考えてしまう。

 一方で、スペインをネオリベラルの餌にして破壊した挙句に「福祉国家はまかないきれない」とうそぶいたホセ・マリア・アスナール(『ネオリベラル経済による福祉国家の破壊』参照)は、国家非常事態が宣言される直前の3月13日に、一家でウイルスの蔓延するマドリード州から逃げ出し、妻のアナ・ボテジャらと一緒にアンダルシアの高級保養地マルベージャの豪華な別荘に籠っているらしい。悪党の頭目は逃げ足が速い。女房のアナ・ボテジャと言えばマドリード市長時代に前出のエスペランサ・アギレと共に散々の悪事を働いたのだが、一つだけ良いことをした。市長時代に東京と争って2020年のオリンピック誘致に失敗した(『「五輪誘致3連続失敗」の悲喜劇』参照)ことだ。もし2020年オリンピックがマドリードに誘致されていたなら、今ごろは医療崩壊どころか国家崩壊の危機に曝されるはめになっていただろう。まあ、この貧乏くじをうまく東京に押し付けてやった、ということで留飲を下げているかな?


【「戦時体制下」のスペイン:その1 ここまで】
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