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怒り狂うカタルーニャ


 『サナギの中のカオス(その2)』で述べたスペイン社会のカオティックな状態は、2019年の後半になって、より激しい既製秩序の崩壊を導きつつある。予想通り9月17日に社会労働党の政権作りが失敗に終わり、11月10日に、この4年間で4回目の総選挙が実施されようとしている。また「戦没者の谷」にある独裁者フランコの墓(参照:『生き続けるフランコ(1)』、『生き続けるフランコ(2)』)を移転する作業が、この10月24日(木)にようやく実施されることになった。 しかしその以前にスペインは、カタルーニャを中心にして、自らの傷口を自らの手で引き裂いて広げるような末期的な姿を曝しつつある。

2019年10月23日  バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその欄に飛びます。)
 《独立派=テロリスト?お粗末なでっち上げか》
 《カタルーニャ独立派に下った最高裁の有罪判決》
 《荒れ狂う「民主主義の津波」》
 《なぜ「暴力の津波」になってしまったのか?》



【写真:2019年10月16日、独立主義過激派と州警察武装警官隊との激しい衝突:TV3】

《独立派=テロリスト?お粗末なでっち上げか》

 2019年8月には、カタルーニャ独立主義各派に目立った動きは無く、10月に予定されるカタルーニャ独立派幹部たちへの最高裁判決と、11月に行われる可能性が高い総選挙をにらんで、各派の間で小さな駆け引きが行われていただけだった。9月11日の「ディアダ(カタルーニャの日)」にバルセロナで行われたデモも警察発表で60万人と、2012年の「200万人デモ(警察発表では150万人)」(参照:『カタルーニャの9・11』)以後では最低の参加人数で、独立派主催団体が「最も困難なディアダ」と予想したとおりになった。また9月20日には、2017年の同日に起きた州政府職員14名逮捕(参照:《「パンドラの箱」を開けてしまった愚かな中央政府》)の2周年を迎えたのだが、ここでもまた比較的平穏な抗議デモと集会が行われた程度だった。

 しかしその雰囲気を一気に崩したのがグアルディア・シビル(国家治安隊)と検察庁である。9月23日にグアルディア・シビルはバルセロナ近郊の複数の町で、強硬な独立派団体である共和国防衛委員会(CDR)のメンバー9人を、テロ攻撃を準備していた容疑で逮捕し爆発物と見做された多数の物品を押収した。検察庁はすぐさま逮捕者たちを「テロ・グループのメンバー」と決めつけた。そのうち2名は翌日釈放されたが7人は無期限に拘禁中である。ところが逮捕者たちに「反テロ法」が適用されていないことがすぐに明らかになった。スペインでは「テロリスト」として逮捕された者は弁護士や家族との面会を禁止されるのだが、拘置所に彼らを訪ねた弁護士は通常通り面会を許されたのだ。また「テロ容疑」で逮捕された者がすぐに釈放されることもあり得ない。慌てたグアルディア・シビルと検察庁がその後になってこの7名に「反テロ法」を適用したのだが、単なる「当てずっぽう」のでたらめ逮捕に過ぎないことは明白である。

 押収された物品は、どうやら花火と何かのケースのようで、筆者がTVニュースで聞いことだが、物品が押収された建物がある町の町長の話で、その建物では町の祭りに使う花火を置いていたということだ。しかしグアルディア・シビルによると、それらはGoma2と呼ばれる爆発物の材料だという。実際に押収物が何かはまだ公表されていない。釈放された2名によると、花火を使って何かの妨害行為を行おうという計画があったそうだが、それが、破壊や殺人を目指す「テロ」と判断される言われは存在しないだろう。さらには、グアルディア・シビルによると、逮捕者たちは州議会を1週間占拠する計画を立てた、とか、カルラス・プッチダモン前州知事とキム・トーラ現州知事との接触を確立させることを計画した、とか言っているそうだが、後者についてはすでに1年以上も前から接触経路が作られており、珍妙な計画だ。また後者の計画が正しければ前者は意味を失ってしまうだろう。誰が考え出した「自白」か知らないが、これが「テロ」の証拠になるというのだろうか。

 独立反対派である国民党やシウダダノスは、当初こそ「独立派=テロリスト!」を大々的に叫んだのだが、すぐに何も言わなくなった。またこんな場合にはマスコミがこぞって「反テロキャンペーン」を繰り広げるのだが、10月になる以前に「テロ」という言葉が画面や紙面から消えてしまった。誰がどう考えても奇妙な逮捕と言わざるを得ないが、逮捕された7名が刑務所でどんな種類の「取り調べ」を受けているのか誰も知らない。いつでもどの国でも、「テロ事件」は、隠ぺいと偽情報とでっち上げのごった煮なのだ(参照:『シリーズ:まやかしの「イスラム・テロ」』、『シリーズ:2017年バルセロナ「聖戦主義テロ」』)。そしてこの逮捕が冷めかけていた独立派の熱を一気に高めたことは言うまでもない。

 10月1日の独立住民投票(参照:『血まみれのカタルーニャ住民投票(1)』、『血まみれのカタルーニャ住民投票(2)』)2周年は、今年は比較的平穏に終わった。警察発表で、バルセロナでは1万8千人(主催者発表は5万人)、ジロナで1万3千人、タラゴナで4千人、リェイダで5千人とされるデモが平和裏に行われたが、10月10日過ぎに行われる予定の、国家反逆罪などの容疑で逮捕されている独立派幹部に対する最高裁判決を控えて、逆に不気味な沈黙のように思われた。どのみち厳しい判決が下りることは間違いあるまい。その後に何が起こるか。


《カタルーニャ独立派に下った最高裁の有罪判決》

 10月1日の住民投票2周年に、カタルーニャ州政府のキム・トーラ知事、ペラ・アラゴネス副知事は、「独立主義は将来に対しての、とりわけカタルーニャ共和国に向かう不可避な道に対しての、不信感に立ち向かわねばならない。」そして「カタルーニャ共和国に向けて弁解することなく前進しなければならない。」と、分離独立主義の精神を強調した。これに対して中央政府(暫定)の首相ペドロ・サンチェスは、カタルーニャに国家保安法を適用し州警察と地方警察を含む全警察組織を中央で一括して統制する可能性を示唆して、最高裁判決後に高揚することが予想される独立運動を牽制した。サンチェスはそれ以前にも、自治州からあらゆる自治権を取り上げる憲法155条の適用が暫定政権下でも可能だという見解を示していたのだ。

 10月5日、スペイン最高裁は独立派幹部への判決について、同月8日(火)に裁判官の審議を完了し、11日(金)あるいは14日(月)に判決の言い渡しを行うという発表をした。そして8日に内務省はカタルーニャに国家警察とグアルディアシビルの1300人の武装警官を派遣することを発表した。カタルーニャ州内務委員長のミケル・ブックは、州警察が「これらの面倒な日々」に「平和な共存」を確保するため“安全と適法性”の警察として振舞うと語った。しかし、国家警察とグアルディアシビルが独立派集団への弾圧部隊として派遣されることは明らかであり、州警察はそれらに協力して働くのだろうか。

 10月9日にグアルディアシビル派遣隊員の隊長ペドロ・ガリド将軍(グアルディアシビルの組織形態は軍の組織に準じている)は、派遣の目的が政治的な独立運動と対決するものであることを明らかにした。これは警察の政治的中立の在り方から全く外れたものだ。この発言に不快感を示す州警察の幹部は派遣部隊の着任式に欠席した。しかし中央政府内務省は、もし判決後に州警察が中央政府の命令に従わないのなら5千人を「入れ替える」と、州警察を脅迫した。これはもう、実質的な国家保安法適用に他ならない。

 そして10月11日に驚くべきことが起きた。スペイン最大の全国日刊紙エル・パイスが、最高裁判決が下るより先にその内容の一部をすっぱ抜いたのだ。それは、ウリオル・ジュンケラス前カタルーニャ州副知事ら12人の被告に国家反逆罪が適用されない、というものである。すっぱ抜いたというよりも、最高裁が、判決の最重要な点についての情報をエル・パイスに意図的に流して事前に発表させた、ということである。それによって、判決が国家反逆罪の適用を求める側と無罪を主張する側の双方に与えるかもしれない衝撃を弱めようという政治判断からかもしれない。エル・パイス紙やラジオ局カデナ・セールなど多くのマスコミ機関を支配するPrisaグループの総裁フアン・ルイス・セブリアンは、この国のエスタブリッシュメントの一人(少なくとも重要な「使用人」の一人)だ。この情報漏えいが民主国家の中で犯罪とならない方がおかしいのだが、この国はやはり根本的に変だ。

 そして実際に、14日に言い渡された最高裁判決は、最大で25年の禁固という国家反逆罪を誰にも適用せず、それよりも軽い反乱罪と公金不正流用などによる刑を言い渡すものであった。科刑は、ジュンケラス前副知事の13年を筆頭に、前州政府委員ラウル・ルメバ、ジョルディ・トゥルイュ、ドロールス・バサに12年、カルマ・フルカディユ前州議会議長に11年6カ月、前州政府委員ジュアキム・フォルン、ジュゼップ・ルイュに10年6カ月、カタルーニャ民族会議前議長ジョルディ・サンチェスと民族団体オムニウム・クルチュラル前会長ジョルディ・クシャールに9年、前州政府委員サンティ・ビラ、マリチェイュ・ボラス、カルラス・ムンド―に罰金刑と公民権停止1年8カ月だった。

 この判決内容は、国民党やシウダダノス、VOXなどにとってみれば極めて不満の残るものだろう。それらは独立派を「ゴルピスタ(クーデター首謀者)」と呼んできたが、独立派の中心人物たち(外国にいる「逃亡者」を含む)の罪が「国家反逆罪」ではないとすると、今後ちょっとその形容は使いづらくなる。一方でカタルーニャの独立派にとっては、科刑が10年であろうが20年であろうが、有罪判決を受けた者たちは「英雄」であると同時に「殉教者」なのだ。スペインの「バスティーユ」から「英雄」たちを救いだすべく、ますます強固な意志を固めることだろう。

 判決文から「国家反逆罪」を消し去った理由の、おそらく最大のものは、ベルギーにいるカルラス・プッチダモン前カタルーニャ州知事ら5人の「逃亡者」の逮捕を容易にするためだと考えられる。この罪状は、『《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》』で述べたように、他の欧州諸国の司法機関から総スカンを食らったものだ。今までプッチダモンらに発した欧州(国際)逮捕状をことごとく拒否されて散々な恥をかいてきた最高裁判事パブロ・ジャレナが、この最高裁判決の直後に、おそらく胸躍らせて、「反乱罪、公金不正流用」の罪状で、再び欧州逮捕状を発行したことは言うまでもない。

 しかしこの欧州逮捕状の効果はスペイン側が期待するほど簡単に早く現れるものではない。プッチダモンらが在住するベルギーの司法当局は即刻その逮捕状全文のフランス語訳を要求した。そりゃそうだろう。その後、17日にベルギー検察庁は形式的にプッチダモンを「逮捕」したが、一晩で無条件に釈放された。現在のところ、ベルギーの裁判所は10月29日に欧州逮捕状についてプッチダモンの聴取を行う予定だが、ジャレナ判事はあまり朗報を期待しない方が良いのではないか。

 それにしても、判決文の発表のされ方はあまりにも異常だ。その一部が意図的にリークされたことに加え、被告たちへの伝え方も常軌を逸している。14日の午前1時、真夜中に、最高裁の職員が車で刑務所に向かい被告人たちに判決文を手渡したのである。裁判長が最高裁に出勤したのはそれから数時間以上も後のことだった。しかもそれは被告全員にではなく、カルマ・フルカディユには正式な権限を持つ最高裁の職員ではなく、公判でエスコート役を務める職員から手渡された。ジョルディ・サンチェスは朝のTVニュースで判決を知った。ドロールス・バサは昼の12時を過ぎてから判決文を手にしたが、もちろんそれ以前に内容をニュースで知っていた。この国の司法と裁判の在り方もまた狂っているとしか言いようがない。


《荒れ狂う「民主主義の津波」》

 カタルーニャ州知事キム・トーラは判決に抗議し政治犯の解放、赦免を要求したが、同時に独立への道を弁解無しで進むと語った。またジュンケラスら罪状の決まった独立派幹部たちは、この判決をカタルーニャに対する「復讐であり懲罰だ」と見做して、人々に、街頭に出て非暴力の抵抗を行うように求めた。そしてTsunami Democràtic(民主主義の津波)がすぐに始まった。実際に起こったことをすべて書きとめることは到底できないのだが、次のロシア国営RTの記事に、英語での説明と多くのビデオ・写真があるので、そちらで具体的な様子を知ることができる(14日の記事114日の記事215日の記事16日の記事18日の記事19日の記事)。これらで、バルセロナなどの都市でどれほど凄まじい状況が繰り広げられたのか、実際に確認してほしい。またこちらのBBCの18日付記事も参考になるだろう。

 以下、14日(月)~19日(土)に行われた抗議デモと集会の規模についての情報は、21日付ラ・バングアルディア紙の1週間のまとめ記事による。参加者人数は全て警察発表である。

 判決が発表された直後、バルセロナを中心にカタルーニャの幹線道路主要鉄道が独立派の人々によって占拠され、交通が遮断した。またバルセロナのエル・プラット空港には1万人の市民が押し寄せ、空港ターミナルに繋がる道路を封鎖し、空港ターミナルビル内にバリケードを築いて警官隊と激しく衝突した。この空港内での騒動で100を超える便が欠航し、空港に向かう車両の身動きが取れなくなり大勢の人々が空港に向かう高速道路を歩いて行くと異常な光景が繰り広げられた。また独立支持派市民と警官隊との衝突で報道関係者を含む大勢の人々が負傷後の情報で市民115人、報道関係者12人)し、一人が武装警官が発射したゴム弾で片目を失い、また一人が片方の睾丸を失った。

 このTsunami Democràticだが、有罪判決に対する抗議デモと集会を激しく繰り返す運動である。現在も続いているし、カタルーニャ独立運動がある限りいつまでも続くだろう。しかし誰が最初にこの言葉を言い出したのだろうか。筆者は9月後半にはラジオのニュースで、独立派の人々が判決後にこの「津波」を繰り広げようと呼びかけていると聞いた記憶がある。国家警察の情報によると、この戦術は9月の初旬にスイスのジュネーブで行われた独立主義各派の代表者会議で決められたようだ。日本人としてはあまり使ってほしくない名称ではあるが…。

 同じ14日、バルセロナ市内でも国家警察の警察署を中心にして抗議デモが繰り広げられ、6千人が参加した。翌15日にはバルセロナ市内のグラシア通を中心とする幅広い地域で4万人が集まって、平和的な抗議デモの後で夜になって警察武装部隊と独立過激派が激しい「市街戦」を繰り広げ、29人のデモ参加者、7人の報道関係者、45人の警察官が負傷、4人が逮捕された。16日にもバルセロナ市内グランビア通のテトゥアン広場を中心に2万2千人のデモが繰り広げられ、バリケードに使われたプラスチック製のゴミ容器多数に火がつけられた。また投石だけではなく火炎瓶が使われたという州警察の発表があったが、これはでっち上げ、或いはデモ隊に潜り込んだ警察の手先によるものの可能性が高いだろう。その結果、デモ参加者45人、報道関係者12人、警察官12人が負傷、12人が逮捕された。同様に、カタルーニャの他の都市、ジロナ、タラゴナ、リェイダなどでも、判決への抗議デモの市民と警察部隊との激しい衝突が起こった。

 同時に、ジロナやタラゴナ、ビックなど、カタルーニャの5か所から、18日まで3日間かけて、多数のカタルーニャ人が歩いてバルセロナに集結する行進が始まった。18日にはカタルーニャの独立派系労働組合の呼びかけで全州でゼネストが決行されるのである。これについてはまた後で書くことにしよう。

 17日になると、グラシア通りの山側にあるグラシア公園で1万3千人の市民が集まり「平和オリンピック」を行ったが、これは各自でサッカーやバレーボールなどのボールを持ち寄って「スポーツを楽しもう」というものだった。ところがここでいきなり、極右ファシスト団体が登場する。数百名の集団が「ヒトラー万歳!フランコ万歳!」を叫びながら、手には凶器となりうる工具類を持って市北西部の公園に結集したのだ。そこに反ファシスト過激集団が押し掛けて一触即発状態となり、州警察が間に割って入る騒動になった。その後、極右集団は中心部に向かって行進し始めた。

 夜になって市中央のバルメス通を中心に「平和オリンピック」崩れの過激独立派がいつも通りの騒乱を繰り広げたのだが、その日はそこに極右集団が割って入り、何とも複雑な状況を生み出した。結局、ファシスト団体は一人の反ファシスト団体の若者を袋叩きにしただけで帰っていった(後に2人が逮捕された)が、これで過激独立派の騒動がいっそう盛り上がることになり、夜中過ぎまで大暴れした果てに、31人のデモ参加者と8人の警察官が負傷し、4人が逮捕された。

 次の18日はカタルーニャ中でゼネストが繰り広げられた。労働者の参加率は多くなかったと思われるが、何せ、主要都市の道路と鉄道の交通は遮断され、暴動状態を恐れる一般市民は外出を控え、学校も休校となり(相当数の教師と生徒はデモに参加したが)、とばっちりを食らう商店はシャッターを下ろし、実質「ゼネスト」状態が作りだされた。州都のバルセロナには、カタルーニャの各地から100km以上の道のりを3日間かけて自分の足で歩いてきた無数の人々が結集した。独立派組織はこれを「解放のための行進(les Marxes per la Llibertat)」と呼んだが、バルセロナの市民を加えて合流し、グラシア通りを中心に、52万5千人が巨大なデモを形作った。この「解放のための行進」の様子は、こちらのTV3ニュース記事に多くの写真が載せられているので、確かめてほしい。

【写真:2019年10月18日、ジロナ市などから歩いてバルセロナに到着した人々:TV3】

 しかしそのデモと集会が終わった後、今までで最も長く激しい「市街戦」が待っていた。中心部のウルキナオラ広場を中心に起こった騒乱では、独立過激派の「精鋭部隊」が路上にバリケードを築いて火を放ち、舗装の石をはがして「砲弾」にし、おそらく今まで(スペイン内戦集結以来)最大規模の暴動になったと思われる。このバルセロナの騒乱で78人のデモ参加者と74人の警察官、18人の報道関係者が負傷した。また同様の騒乱はタラゴナ、リェイダ、ジロナといったカタルーニャの主要都市でも激しく起こっており、結局カタルーニャ全土で182人の重軽傷者(警察官含む)と54人の逮捕者を出す惨事となった。

 また19日(土)にも、夕方から再びウルキナオラ広場で6千人の参加者で開かれた集会では、血気にはやる若い独立主義活動家たちと警官隊との間に、老人や婦人を含む市民が帯となって割って入り衝突を防いだ。その中には独立派の代表格であるカタルーニャ左翼共和党の中央議会議員ガブリエル・ルフィアンの姿もあった。彼は過激派達から「裏切り者!」の罵声を浴びながら暴力沙汰を必死に防ごうとした。しかし深夜になって再び小規模ながら警官隊との衝突が始まり、7人のデモ参加者と4人の警察官が負傷し、3人が逮捕された。その後、20日(日)と21日(月)にもバルセロナなどで数千人規模の集会とデモがあったのだが、ほぼ平穏に終わっている。

 またこの1週間に、カタルーニャ独立派幹部への最高裁判決に抗議する大規模なデモは、カタルーニャ内だけで行われたのではない。19日には首都マドリードで4千人が参加して激しい抗議デモが行われ、警察官3人を含む13人の負傷者を出した。これにはマドリードに住むカタルーニャ出身者以外にも、地方自治権の大幅拡大を主張するポデモス系の人々も多数参加したようである。また同様のデモは19日にバスク州のサンセバスティアンバスク州都のビルバオ、またバレンシアでも数千人規模で行われ、両方で8人の逮捕者を出した。特にバレンシア(カタルーニャ語圏)ではこの6日の間に3回の大規模デモが行われた。


《なぜ「暴力の津波」になってしまったのか?》

 それにしても、この1週間に起きた騒乱の状態は異常だ。これでは「民主主義の津波」というよりも「暴力の津波」と言われそうである。実際にシウダダノス党首のアルベール・リベラはそう言って独立運動そのものを非難している。月曜日から土曜日までの負傷者は600人近くに達し逮捕者は約200人にのぼる。負傷者のうち約半数の288人が警察官であり、そのうち1名は頭がい骨陥没で重体が続いている。またデモ隊側の4人が警察隊のゴム弾などによって片目を失った。悲劇としか言いようがない。

 国家警察筋の情報によれば、バルセロナでの大規模なデモ隊の中に2千人ほどの「戦闘部隊」が紛れ込んでおり、そのうちの約5百人が「中核部隊」としてデモ隊を暴動状態に導く主導的な動きをしているようである。警察との衝突シーンのビデオを見ればすぐに気づくことだが、普通の市民の格好ではなく、黒装束で黒覆面を付ける者達が先頭に立って警官隊を挑発・攻撃している。この連中だ。またその「中核部隊」には、オランダ人、イタリア人、英国人など、「外人部隊」の若者が相当数紛れ込んでいるらしい。

 実際に、カタルーニャ中でこの1週間に逮捕された者は202人だが、その13%に当たる26人は外国人だった。フランスの「イエロー・ベスト」でもそうだろうが、欧州(東欧を含む)の都市での騒乱状態にはこういった無国籍の「扇動・暴動専門部隊」が関与していることが以前から指摘されている。その背後に何があるのかは、まあ…、あまり言えば「インボーロンジャ」にされてしまうのだが…、英国や米国、イスラエルなどの国の諜報機関の存在が噂される。いずれにせよ「民主主義の津波」はみごとに「暴力の津波」に変換されてしまった。さらに22日早朝に、カタルーニャ北部で国有鉄道が、切り倒された樹木で運行を妨害される事件が起こった。独立主義過激派の犯行と決めつけられかねないが、独立主義者ならアピールのために線路に座り込んで妨害するだろう。いつもながら奇妙なことが多過ぎる。

 いずれにせよ、この1週間で起こったことの市民生活と州の経済に与える影響は甚大だ。暴動で破壊されたゴミ容器や信号機などの市の施設・器具、路上の自動車やバイク、商店や事務所の外装や設備などといった物品の損害は、総額で270万ユーロ(約3億2700万円)に上る。さらに買い物客が警戒して近寄らないバルセロナ市中心部の商店で売り上げが30%から50%減少、中心街のホテルでも予約キャンセルなどで20%の減収を訴えている。またカタルーニャ中の学校が大きな苦悩を抱えている。スペインでは中学生や高校生が政治デモに参加することは普通で、通常は親の政治的主張と同じ側に加わる。したがって、中学校や高校で生徒の約半数が独立派、残りの約半数が反独立派ということになり、同じクラスの友人の親や兄弟が熱心な独立運動の活動家だったり逆に警察官だったりもする。必然的に生徒の間にも感情的な亀裂や大小の対立が起こるだろう。どうやって解決できるというのか。

 もちろんだが、最高裁判決以来の1週間の状態が、カタルーニャとスペイン国の政治状況に与える影響は極めて大きい。11月10日の総選挙を控え、各政党はこの「カタルーニャ暴力の津波」をいかに自党に有利に利用するかに腐心している。詳しいことはまた総選挙が近づいた時点で記事にしたいのだが、一つ言えることは、スペイン全体で国民党やVOXといった右派が大きく議席を増やしそうな様子だという点だ。カタルーニャがスペインを極右ナショナリズムの方向に引きずっている。リベラルを表書きにした中途半端なナショナリストであるシウダダノスは大きく後退するだろう。

 カタルーニャ独立派内部では、国家警察やグアルディアシビルと協力してデモ隊を弾圧した州警察に反発するERC(左翼共和党)やANC(カタルーニャ民族会議)が、州政府を主要に担う民族主義右派JxCATに対して、州警察を監督するミケル・ブック内務委員長の辞任を要求している。独立主義過激派グループはJxCATだけでなくERCにも攻撃の矛先を向ける。しかしその一方で、JxCATとERC、そして過激グループに近いCUPの3党は、州議会で「自己決定権」を擁護しスペインの立憲王政を拒否する決議を採択するための協定を結んだ。

 案外、独立派は一般の市民による平和的なデモと過激な「戦闘部隊」による暴力的な行動を上手に両立させているのかもしれない。あれほどに派手な騒ぎは国際的にも注目を引きやすいし、スペイン中央政府の統治能力の無さを他国に印象付けるだろう。カタルーニャやバスクの離反に加えて、フランコの遺骸の移送への反発から、フランコ主義に似た過激なスペイン・ナショナリズムが復活するならば、それは中長期的にみれば、将来の政治統合を目指すEUの中でスペイン国家の解体を急がせることになりかねない。独立派の思う壺、ということになる。

 しかし逆に、今後もしカタルーニャのどこかで大型の爆破テロ事件などが起これば(起こされれば)、一気にマスコミを総動員した「独立派=テロリスト」のキャンペーンが張られかねない。先ほど書いた鉄道線路に樹木を切り倒して列車を妨害した事件も起こっている。また今回の記事の最初に書いたでっち上げ、あるいはこじつけとしか思えない「テロ未遂事件」が、そのようなことの伏線になるのかもしれない。4年間で4回目の総選挙を目前に、何が起こってもおかしくない状況だと言える。

 次回の記事では、いまのところ、10月24日に予定されるフランコの遺骸の移転(「戦没者の谷」からの追放)を中心に書く予定である。

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