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サナギの中のカオス(その2)


 前回の記事『サナギの中のカオス(その1)』の中で、私は、中央議会で社会労働党の単独政権を目指すペドロ・サンチェスと、連立政権に固執して入閣を目指すポデモス党首パブロ・イグレシアスとの確執について書いた。今回、その後のスペイン政治の様子に加え、その混迷の背後にあるもの、また欧州議会選挙と新たなEUの中でのスペインとカタルーニャの位置関係、そしてこの欧州とスペインのカオティックな状況の中から現れるかもしれない姿についての若干の考察を添えてみたい。

2019年8月1日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその欄に飛びます。)
 《「賭け」に敗れたサンチェス》
 《スペイン・ナショナリズムの呪縛》
 《シウダダノスがだいなしにした欧州リベラル主義者の思惑》
 《カタルーニャ・ナショナリズムの皮肉なあり方》
 《欧州が現すかもしれない「成虫」の姿は?》


【バルセロナ市議会選に立候補した元フランス首相マヌエル・ヴァルス(バイュス)だが… :エル・パイス紙】

《「賭け」に敗れたサンチェス》

 前回記事の《濃霧の中にさ迷う社会労働党政権》の続きになるのだが、結論から言えば、サンチェス社会労働党の新政権は誕生のチャンスをほぼ失ってしまった。その過程を簡単に振り返ってみたい。中央議会で首相を選出する首班指名投票は7月23日、再投票は25日に行われた。

 社会労働党のサンチェスとポデモスのイグレシアスとの会談と折衝は選挙以降十数回にわたって続いたが、あくまで単独政権を望むサンチェスと、連立政府を主張するイグレシアスの溝は埋まらなかった。7月12日になってサンチェスはようやく閣僚の椅子をポデモスのために用意する姿勢を見せたが、あくまで政治的な方向性を持たない、つまり政府の重要な政治決定に影響を及ぼさない範囲で、ということだった。イグレシアスがそれを跳ね付けたことは言うまでもない。そして、お互いに「交渉を破談にさせようとしている」として非難をぶつけあった

 イグレシアスが地位を求めていた閣僚の中にある労働大臣の椅子が交渉を不可能にしていたのである。労働大臣の作業には労働政策、移民政策、社会保障政策がふくまれるのだが、どちらの党にとっても譲ることのできない、国の政策の方向性を根本的に支えるものなのだ。他の省庁とは異なり、社会労働党としては、外務、防衛、内務、法務、経済、財務と並んで、こればかりは絶対に他党に渡すことができない、国家の根幹を成すものである。逆に言えば、だからこそイグレシアスはそれにこだわっているのだ。彼は、閣僚の地位を譲ろうとしないサンチェスに対して、IBEX35(スペイン一部上場の大企業群)からの圧力を受けているとして非難した。

 16日になってサンチェスは国民党とシウダダノスに対して、社会労働党単独政権を誕生させるために協力を要請することにした。つまり首班指名の際に棄権に回ってほしいというのである。そうすればポデモスの賛成抜きでサンチェスの首相就任が決定するのだ。国民党のパブロ・カサドとシウダダノスのアルベール・リベラが、嘲笑いながらこの要請を拒否したことは言うまでもない。この、ポデモスと同時に右派政党にも協力を呼び掛けるという「二股がけ」が、ますますポデモスの態度を硬化させることになるが、それでも2党の協定締結を最後まで諦めることはできない。19日になってポデモスは党首のイグレシアス自身が閣僚に入らない、という譲歩案を出した。しかしこれで交渉が前進することはなかった。

 22日の下院総会でパブロ・イグレシアスは、政権のお飾り的存在になるつもりはない、として、政権成立の「数合わせ」にだけ利用しようとする社会労働党を激しく非難した。そして23日の投票では、社会労働党と一人の地方政党代表だけの賛成を得たのみで、ポデモスは棄権に回り、サンチェスは過半数の賛成を得ることなく敗退した。ただ、これは予定通りである。問題は25日の投票だった。ここでポデモスの賛成が得られなければ、政権は不成立になる。24日に最後の交渉を持った両党だが、社会労働党はポデモスに副大臣の地位と、住宅、青少年という新設の省の大臣の地位を提案した。しかしこれらは到底ポデモスの要求を満たすものにはなりえない。

 物別れのまま臨んだ25日本会議、投票前の最後の質疑応答でイグレシアスは、労働大臣を諦める代わりに雇用政策を別にして取り扱う省を提案したが、サンチェスはこれを否定した。こうして臨んだ最後の投票の結果は、賛成123、反対155、棄権67で、サンチェス政権は議会によって拒否された。棄権に回ったのはポデモスの他、カタルーニャのERC、バスクの民族派政党などである。こうして、2月13日にサイコロが振られた「賭け」の勝者は、結局どこにもいなくなった。国民党は政策協定を結ぶことのできないサンチェスの無能力を嘲笑ったが、自分たちは極右VOXとの協定を成立させる自信があるのだろう。シウダダノス党首のリベラは、ならず者集団は注文書の配分で合意できなかったのだと、口汚く罵った

 スペイン憲法によれば政権成立の最後の手段が残されている。国王が各政党と会談して、首相への立候補と交渉を再開するように要請することだ。もし交渉が成り立つ見込みができれば、9月23日にもう一度議会での投票が行われるだろう。同様のことは過去に1度だけ、2016年にマリアノ・ラホイ国民党政権の際にあった(参照:『果てしなく続くのか?スペインの「無政府」状態』)。ただしこのときにはどの党からも国王に対する返答が無く、結局、総選挙のやり直しが行われた。

 もし9月23日までに首班指名をできる状態でなければ、国王の命令で23日をもって現在の議会は解散し、24日に総選挙実施が発表される。その可能性が非常に高そうだ。「やり直し総選挙」は10月25日に公示され、11月10日に投票が行われるだろう。その後に次の首班指名が行われるのが、最短でも来年の1月になる。そこで首相が決まったとしても、組閣を経て本格的に機能するのは2月からということになるだろう。サンチェスは「まだタオルを投げない。総選挙を避けるために、国民党、シウダダノス、ポデモスと向かい合う。」と語っているが、ここまでこじれた状態では、何らかのポジティヴな合意ができる可能性は極めて小さい。こうしてスペインは、マリアノ・ラホイ国民党政権の際の2015~16年に続いて、1年間近くにわたる「無政府状態」となるのだろう。

 この状態で深刻な問題となるのは国家予算だ。かつてのラホイ政権の財務相クリストバル・モントロが作った2018年度用の予算を、2019年度の予算ができないままで議会が解散されたために、そのまま引き継がざるを得なかった。そしていまの情勢では2020年度もまたそれを繰り返すことになりかねない。その予算が組まれたときとは、国際的な経済環境、環境問題や移民問題、年金問題や労働・雇用環境などが大きく変化しており、やはり各年度の問題点を解決できる予算編成が必要になる。特に財政の逼迫する地方自治体の苦悩は大きい。

 もちろん今から何が起こるか分からない。ポデモスの内部から何かの変化が起こるかもしれない。「ポデモス」と一言で言っても、実際にはパブロ・イグレシアスが指導するポデモス以外に、旧スペイン共産党である統一左翼党、カタルーニャのアン・コムー・プデム、ガリシアのマレアなど、同様の傾向を持ついくつかの集団の集合体である。それらの中では、連立政権ではなく、いまは社会労働党を戦術的に支持してサンチェス政権に賛成すべきだという声が強い。

 それにしても、なぜイグレシアスは連立政権と閣僚就任にこだわったのだろうか。2015年にポデモスが統一地方選挙で華々しい躍進を遂げた際に、私は対談記事の翻訳『パブロ・イグレシアスが語る』の中で、連立の形で政権を握るイグレシアスの意欲を紹介したが、おそらく今がその千歳一隅の機会だと考えたのだろう。しかしやはり、最大党派となった社会労働党に比べて圧倒的な少数派でしかない今の立場では、どう考えても無理があったのではないか。ポデモスが「連立」という考え方を捨てて、野党として協力関係を持つというように切り替えることができれば、ひょっとすると、サンチェスにとっての最後のチャンスが9月に訪れるのかもしれない。「奇跡」に近いことだろうが。

《スペイン・ナショナリズムの呪縛》

 私は昨年の『生き続けるフランコ(1)』の冒頭で次のように書いた。

 『…スペインでは「ナショナリスト」というとカタルーニャやバスクなどの分離独立主義者を指す。我々外国人の目から見ると明らかにスペイン人の思考を支配しているスペイン・ナショナリズムは、スペイン人にとって存在しないものだ。この国の大部分の政治家や評論家、ジャーナリストたちはそれを「センティード・コムーン(sentido común)」つまりコモンセンス(常識)と呼ぶ。
 この国の政治的右派である国民党やシウダダノス、左派を代表する社会労働党は、この「センティード・コムーン」が西欧型民主主義と全く一致するものと固く信じている。何よりも、世論形成で最も重要な役を果たすジャーナリズムと現代史の解説者の間で、この「センティード・コムーン=西欧型民主主義」の公式が疑いをはさむことの許されぬ真実とされてきた。
 しかしこの公式に対する信念はカタルーニャ独立運動が激化するこの2~3年、特にそれが国際化してきた今年に入って、ようやく崩れ始めているようだ。…』


 私は長年この国に住み続けているが、少なくとも私がこちらの新聞やTVを見てきた限りでは、『スペイン・ナショナリズム』という言葉を見たり聞いたりした記憶がない。どこかの紙面の隅っこや誰かが書いた本の端にでも書かれていたのかもしれないが、スペインに住む人々の注意を惹く形ではなかったはずだ。『スペイン・ナショナリズム』という言葉は、歴史的・文化的な、あるいは哲学的な概念としては、確かに存在する(参照:Wikipedia英語版同スペイン語版)。しかしそれが、現在的な政治的な話題や議論のテーマとして、全国的な形で取り上げられることが全く無かったのである。それは既に、フランコの遺体と共に戦没者の谷に葬られた(参照:『生き続けるフランコ(1)』)ものであり、マスコミや論壇や政治家集団にとってタブー、「触れてはならないこと」であり続けてきた。

 その言葉がエル・パイス紙(電子版)の見出しに登場したのは、この7月19日のことだった。『フランセスク・デ・カレーラス:シウダダノスはその基本的思想とは逆方向に、スペイン・ナショナリズムに向かって、進化してきた』である。カタルーニャ人のデ・カレーラスは、2006年のシウダダノス結党以来この党を率いてきた15人の創始者のひとりだったが、7月18日に党籍を離脱した。シウダダノス(カタルーニャ語ではシウタダンス)は「市民たち」の意味であり、本来なら、それまでスペインに存在しなかったリベラル思想に基づいた政党である。必然的にナショナリズムとそれに基づいた国家主義とは敵対する。したがってカタルーニャの中では独立主義のナショナリストに対する強力な反対勢力となってきた。

 それがいきなり全国政党として華々しく登場したのは、2015年5月の統一地方選挙からだ(参照:《ポデモスとシウダダノス》)。シウダダノスの支持率は、2014年に嵐のように登場したポデモス(参照:《ポデモスの台頭と新たな政治潮流》)にたちまち追い着き、2015年12月の中央議会総選挙では全国で40議席を獲得する躍進を示した(参照:『カオス化するスペイン政局』)。その、カタルーニャの地方政党から全国党派として巨大な存在となる過程で、TVを中心とするマスメディアの果たした役割は計り知れない(参照:『スペインの政治動向を演出するTVショー』)。

 その急激な進展の背景として、2007年まで続いたバブル経済が破裂して以降、国民党の悪徳と腐敗が全国規模で暴露され続け、この国の保守政治を任せることが危険な状態となった事実があるだろう(参照:『シリーズ:『スペイン経済危機』の正体』、『シリーズ:「中南米化」するスペインと欧州』、『シリーズ:スペイン:崩壊する主権国家』)。シウダダノスの全国展開の背後に、国民党に代わる中道右派政党を早急に作り上げる必要性に迫られたこの国の支配階級の思惑があったことに、間違いはあるまい。そしてそれが逆に、シウダダノス本来の思想基盤であるリベラリズムを自らの手で破壊してしまうことになった。デ・カレーラスはこの状況に絶望を感じたのだ。同党ではこの春以降、幹部の離党や役職の辞任が相次いでいる。

 フランコ独裁終了後の、社会労働党と国民党による「二大政党制」は冷戦時代の産物であり、親ソ化(共産化)を防ぐために、ナショナリズムの上に「民主主義」の仮面を被せただけのものであり、このスペイン左派とスペイン右派は、ともにスペイン・ナショナリズムその根を下ろしていた。冷戦終了後、社会労働党による政治・経済の運営が機能しなくなるにしたがって表面に現れてきたのが、プリモ・デ・リベラとフランコの独裁時代に打ち固められた右派ナショナリズムだった(参照:『生き続けるフランコ(1)』)のである。このスペイン・ナショナリズムは、大部分のスペイン人の心理と行動基準の根底から縛り付ける、極めて強力なものだ。民主主義だのリベラリズムだのといった化粧を施しても、何かあればすぐに「地金」がむき出しになってしまうだろう。

 前回の記事『サナギの中のカオス(その1)』で書いたことだが、シウダダノスは、先ほどのデ・カレーラスが言う通り、スペイン・ナショナリストの政党になってしまった。その最大の原因はカタルーニャ・ナショナリズムの盛り上がりである。リベラリズムの観点と立場からカタルーニャ独立派を攻撃するのなら、まだ筋が通っている。しかし独立派攻撃に凝り固まったシウダダノス幹部のアルベール・リベラやイネス・アリマダス達は、リベラリズムを通り越してスペイン・ナショナリズムにはまり込み、脱出不能になってしまった。

 しかし逆に言うと、カタルーニャやバスクの過激なナショナリズム・独立主義もまた、スペイン・ナショナリズムの単なる「裏返し」だろう。カタルーニャ人の半数近くは、「スペイン(エスパーニャ)」と聞いた瞬間に反発し嫌悪感を抱く。その姿は、「カタルーニャ」と聞いた瞬間に条件反射的に身構えるスペイン人たちの、鏡に映った姿のように感じられる。カタルーニャ・ナショナリズムの滑稽なまでの偏執ぶり(参照:カタルーニャ州政府と独立派のあまりにも非現実的な現実》)は、スペイン・ナショナリズムの偏執の強さと深さ(参照:《スペイン政府は初めから「やる気」だった!》《スペインは「欧州の鬼っ子」になるのか?》)を、逆の形で反映しているように思える。

 本来ならばそんなスペインの在り方にこそ、シウダダノスが新風を吹き込む余地があったように思うのだが、どうやらミイラ取りがミイラになってしまったようだ。それほどにこのナショナリズムの呪縛力は強いのである。その姿は、昨年来のサンチェス社会労働党政権が火種を付けたフランコの墓移転問題や歴史記憶法改正問題などによって、この国の内と外で、徐々に光を当てられつつある(参照:『生き続けるフランコ(2)』)。それがまた、欧州の政治統一を目指す勢力にとっては、何としても取り除くべき最大級の障害物となるだろう。


《シウダダノスがだいなしにした欧州リベラル主義者の思惑》

 ここで5月26日に統一地方選と同時に行われた欧州議会選挙の結果を見てみよう。(エル・パイス紙のこちらの資料による)。スペインの割り当ては54議席。以下、数字は議席数、【 】内は前回2014年の同じ政党の議席数(今回と組織構成が異なる場合には書いていない)である。
 社会労働党 20【14】、  国民党 12【16】、  シウダダノス 7【2】、  ポデモス6【5】、  VOX 3【-】、  カタルーニャ・バスク独立派(左派) 3、  JXCAT(カタルーニャ独立派右派) 2、  他 1
 前回の記事中の《4月28日、スペイン議会選挙:この「賭け」の勝者は?》を参照してほしいが、各党が、総選挙とほぼ同様の割合で議席を確保していることが分かる。

 欧州(EU)全体ではどうだろうか。こちら、およびこちらの資料を参照した。スペイン国民党が加わる中道右派EPP(欧州人民党)は182【221】と、大きく議席を減らした。またEPPと大連立を組む中道左派のS&D(社会民主進歩連盟、スペイン社会労働党が所属)にしても154【191】と激減し、以上の2グループを合わせても751議席中の過半数に届かず、中道政党の大連立は消えた。一方でフランスのマクロン与党共和国前進党やスペインのシウダダノスも参加するリベラル派リニュー・ヨーロッパは108【67】と躍進した。これに緑の党グループの74【50】とその他の左翼グループの41【52】を加えるなら、欧州統合を促進する勢力が圧倒的多数となる。問題はその主導権をどの勢力が握るのか、という点だ。

 欧州議会選挙の翌日、5月27日に、社会労働党党首で現(暫定)首相のペドロ・サンチェスは、フランス大統領のエマヌエル・マクロンと会談するためにパリに飛んだ。マクロンはサンチェスと会うまでに、オランダ首相のマルク・ルッテ(中道右派)、ポルトガル首相のアントニオ・コスタ(中道左派)とパリで会談しており、26日の夜にはドイツ首相のアンゲラ・メルケル(中道右派)と電話会談を行っていた。どうやらマクロンは、やる気満々だったようだ。左翼の緑の党はともかく、今後はEPPとS&Dにリニュー・ヨーロッパが加わって3会派によるEUの運営が必要になるが、その中でマクロンは、左派とリベラル派の協力関係を強めて、右派を牽制していきたかった様子である。

 しかし左派はドイツ、フランス、イタリアで壊滅状態であり、最も頼りになるのがスペインのサンチェス社会労働党だ。以前に『突然現れたサンチェス社会労働党政権の謎』、『欧州の難民政策は劇的に変化するのか?』で書いたように、マクロンは最初からサンチェスとの良好な関係を作ろうとしていた。したがって、マクロンの党(共和国前進党)と友好関係にある(あった?)シウダダノスとの連合政権か、少なくともシウダダノスの援助を受ける形でサンチェスが政権を握るならば、理想的だったのかもしれない。ところが肝心のシウダダノスが、先ほども述べたとおり、スペイン・ナショナリズムの泥沼に沈んで極右VOXと手を組むに至ったことが、このマクロンの思惑をぶち壊してしまった。

 前回記事の中にある《5月26日、スペイン統一地方選挙:普遍化したカオス状態》で少しだけ触れたが、前フランス首相マヌエル・ヴァルス(カタルーニャでは「バイュス」と呼ばれるが、世界的に知られた名前なので「ヴァルス」を用いることにする)が、5月26日のバルセロナ市議会選で、シウダダノスの候補者名簿筆頭として立候補した。もしシウダダノスが第1党となればバルセロナ市長になる可能性もあったはずだ。だが現実にはシウダダノスを中心とする右派勢力は惨敗し、現職のアダ・クラウを筆頭とするBeC(バルセロナ・アン・コムー:ポデモス系)、ERC(カタルーニャ左翼共和党:独立派)とPSC(カタルーニャ社会党:社会労働党系)がほぼ拮抗した状態だった。統一地方選翌日の5月27日、ヴァルスは、BeCとPSCが、クラウを市長として再選させる協定を結んで左派連合市政を作るつもりなら、それに無条件に賛成票を入れると述べて、他の政党を驚愕させたと同時に、シウダダノス内部に激震を引き起こした。

 もちろんPSCとシウダダノスで過半数が取れる状態ではない。一方で、アダ・クラウのBeCは、カタルーニャ独立には反対するが民族自立権と独立住民投票の合法化、起訴・拘留中の独立派幹部の即時保釈を要求する。それでもなお、ERC(カタルーニャ左翼共和党;独立主義左派)やJXCAT(ジュンツ・パル・カタルーニャ:独立主義右派)がBeCと手を組んで、バルセロナ市政を独立派に牛耳られるよりはマシだ、というのが彼のスタンスだった。そしてこれは、前回記事中の《濃霧の中にさ迷う社会労働党政権》にある中央議会でのシウダダノスの動きにも示唆を与えるものだった。つまり、シウダダノスの力で社会労働党政権を誕生させよ、たとえそれがポデモスとの左派連立政権であっても…、ということである。

 ヴァルスは、昨年12月のアンダルシア州議会選挙後にシウダダノスが極右政党VOXとの政策協定を否定しなかった際に、また今年1月にVOXの協力を得て国民党とシウダダノスの右派州政府が成立して以降、激しい調子でシウダダノス幹部を批判してきた。それが、リベラリズムのナショナリズムに対する屈服を意味するからである。今後の欧州の在り方を考えるなら、リベラリストとしては、スペインにせよカタルーニャにせよ、ナショナリストと手を組むくらいなら、左翼を手助けする方がはるかに良い。バルセロナ市議会選挙と市長選出の過程は、シウダダノスがリベラリストであり続けるのかどうかの試金石であり、ヴァルスの言葉はシウダダノスに対する「最後通告」だった。彼をバルセロナのシウダダノスの元に送り込んだのは間違いなくマクロンだったのだろう。

 このヴァルスの発言は、マドリードの党中央、特に副党首のイネス・アリマダスを激怒させた。スペイン・ナショナリズムにとり憑かれた彼女にとって、スペイン国内の少数民族地域の自治権拡大を主張するポデモスなどの左翼主義者はもちろん、憲法155条の無条件適用・カタルーニャ自治権の永続的剝奪を行おうとしない社会主義者たちは、分離主義者を手を結ぶ断固として許すべからざる国家の敵、国の裏切り者でしかない。シウダダノスは結局アダ・クラウの市長就任を支持せず、クラウはBeC、PSCとヴァルスとその部下3人だけの支持で市長に再選された。同じ16日に、シウダダノスはマドリード市で国民党、VOXと組んで右派市政を発足させ、翌17日にシウダダノスはヴァルスとの決別を宣言したが、これはマクロンの試みとの決別でもある。

 その前の14日に、マクロンは、VOXに接近するシウダダノスに対して「二面的な態度は許されない」、「それは協力関係を打ち壊すだろう」と警告を発し、その一方でサンチェスの社会労働党に対する親和感を明らかにしていたのである。もちろんVOXはこれに「スペインに対する許容しがたい干渉だ」と強く反発した。シウダダノスの副党首イネス・アリマダスは、ヴァルスとの決別を発表した17日に、同党とVOXとの協定を欧州のリベラル派が受け入れないという見方を否定した。つまり、欧州リベラル派とマクロン政権が、シウダダノスと極右政党とのつながりを容認してくれるはずだという認識である。

 そして6月20日、新たな欧州議会の勢力図に基づいて、今後のEUの政治体制を決めるために、ブリュッセルの欧州議会会議場に欧州各国から政府と主要な政党の幹部が集まった。その際、シウダダノス党首のアルベール・リベラはフランス大統領らと会談した(とされる)後で、集まった記者団に対して、バルセロナでアダ・クラウに反対したこと満足していると言った。続いて彼は、マクロンとフランス政府が、シウダダノスと国民党&VOXとの協力関係を祝福し支持していると、喜色満面で語った。しかしその直後に、エリゼー宮関係筋(誰かは明らかにされていない)の情報が、リベラの語った内容を全面的に否定した。

 シウダダノスの党首は、国際的に最も注目を集める場で、最大級の赤恥をかいてしまったわけである。リベラは、極右と手を結びサンチェスを拒絶していることで、フランス大統領と政府の反応を非常に気にしていた(ビビっていた)と思われる。おそらくだが、まずエリゼー宮でマクロン周辺の誰かが「心配するな。我々はみな君たちを称賛して支持しているよ。」とか何とか語って安心させ、喜んだお人好しのリベラがそれを記者団にぺらぺらとしゃべったすぐ後で、「えっ?そんなこと、言ってないよ!」と発表することで、彼を惨めな曝しものにしたのだろう。それがマクロンとフランス政府の、シウダダノスに対する「返答」だった。なお、マクロン自身はこのことについて一言も語っていない。またリベラも、その後、この件について一切口をつぐんでいる。

 スペイン・ナショナリズムの虜になってマクロンの逆鱗に触れたシウダダノスは、リベラリズムのシンボル的な運動であるフェミニズムやLGBTI(性的少数者:レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・インターセックス)運動からの激しい攻撃に曝されている。6月27日に、バルセロナのゲイ・プライド・フェスティバル主催者はシウダダノスの参加を拒否すると発表した。そして6月29日には、拒否されたにもかかわらずLGBTIの祭りに強硬参加しようとしたシウダダノスのバスが、「通さないぞ!」と叫ぶゲイやレズビアンの集団に取り囲まれて「ファシスト!」の落書きを施された。シウダダノスは「我々は黙っていない」と語って法的措置を講じる構えを見せるが、他の欧米諸国での例を見ても、相手は少々手強そうだ。

 さらに、7月6日に行われたマドリードで行われたLGBTIフェスティバルのデモ行進で、アリマダス副党首を先頭にしたシウダダノスのデモ参加グループが、主催者側の人々によって追い出される事件が起こった。シウダダノスの幹部たちは「我々にとって屈辱的な日だった」と怒り狂い、攻撃の矛先を見当違いにも社会労働党(暫定)政権のフェルナンド・グランデ-マルラスカ内相に向けて辞任を要求した。どうやら彼女はその「屈辱」の原因を理解しなかったようで、恥の上塗りをしただけに終わった。おそらく今後、シウダダノスは、国民党とVOXに追随して、マドリード州、ムルシア州などの自治州でも、アンダルシア州やマドリード市と同様に右派州政府の与党となっていくことだろうが、そうしながら、リベラル政党としての墓穴を自らの手で掘ることになる。

 なにせVOXは、及び腰になるシウダダノス党首リベラに対して「臆病者!」「恥知らず!」、さらには「お前はマクロンのケツをなめるのか!」と罵って脅し上げるのだ。7月10日にリベラは突然「入院」した。「食中毒」ということだが、信用する者はおるまい。その後、22日に下院での首班指名に出席した彼の顔は、頬が削げ落ち目が落ちくぼんで見えた。マクロンもヴァルスも、スペイン・ナショナリズムの強さと根深さに驚嘆しているのではないか。

 なお、EU内では、おそらくマクロンとメルケルは次期委員長としてオランダの社会主義者フランス・ティメルマンスを推そうとしたと思われるが、モメにモメたあげく、PPEの抵抗によって諦めざるを得なかった。欧州統一主義者のマクロンとしても、各国の情勢を見ながら困難(時期尚早)と判断したのかもしれない。このマクロンの方向転換によって、欧州の保守勢力は5年間EUの主導権を保つことになった。EU委員長はドイツ防衛相のウルズラ・フォン・デア・ライエン、欧州理事会委員長はベルギー首相のシャルル・ミシェルが内定している。その代わり、EU議会議長はイタリアの社会主義者ダヴィド・サッソーリ、「外務大臣」である外務・安全保障政策上級代表にはスペインの社会主義者で現(暫定)外相のジュゼップ・ブレィュが就くだろう。またマクロンとは昵懇のクリスティーヌ・ラガルデ現IMF理事長が次期欧州中央銀行委員長となる。マクロン、メルケル、サンチェスの「同盟」は当面欧州内で影響力を行使しそうだ。


《カタルーニャ・ナショナリズムの皮肉なあり方》

 この3つの重要な選挙(総選挙、統一地方選挙、欧州議員選挙)の間、カタルーニャ独立派の動きにもまた注目が集まる。独立派が、国内で法廷と街頭での闘いを進める一方で、国外で欧州の機関と国連を利用して運動を進めているからだ。今年2月12日から、2017年10月1日の「独立住民投票」を中心にする「プロセス」と呼ばれる一連の独立運動の首謀者に対する裁判(公判)が最高裁で開始された。告訴人は、中央検察庁、国家弁護局、そしてなぜかVOXの三者で、被告は、ウリオル・ジュンケラス前カタルーニャ州副知事ら12人の前州政府と民族団体の幹部だ。この公判が終わったのは6月13日、4カ月に及ぶ長大な裁判だったが、その一部始終はTVやインターネットを通して世界中に公開され、「民主主義のテスト」として欧州各国のマスコミの注目の的になった。判決が出るのは今年の秋、おそらく10月になると思われる。

 この公判の期間中、中央議会総選挙の独立派ERCとJXCATの候補者名簿で、ジュンケラスら4人が下院、そして前カタルーニャ州外交委員長ラウル・ルメバが上院の上位候補者として名を連ね、全員が当選した。選挙期間中、最高裁と中央選挙管理委員会は、選挙運動のために候補者たちが出獄することは禁じたが、TVを通して獄中から選挙演説や支持者への呼びかけを行うことは許可した。さらに当選後、5月21日に行われた初登院と議員登録の手続きに公判出席を中断して参加することが許可され、ジュンケラスら5人が刑務所から国家警察の警備を受けながら議会場に入るという大変な事態となった。

 さらに翌22日、一人一人の議員が憲法に忠誠を誓う儀式が行われたが、5人の「政治犯」たちが模範的な宣誓を行うはずもない。下院議長団(議長は社会労働党のメリチェル・バテット)は彼らの宣誓を正式なものとは認めず彼らの議員資格の停止を決めた。しかし、その5人はすでに議員として登録されており、彼らが辞表を提出して名簿の繰り上げを行わない限り、他の議員と置き換えることができない。現在、上院と下院では、彼らの議席は「空席」扱いとなっている。

 さらに、5月26日の統一地方選のバルセロナ市議会選挙で、「政治犯」の一人ジュアキン・フォルン前カタルーニャ州内務委員長がJXCATの名簿上位者として当選を果たした。また欧州議会選では、ベルギーに「政治亡命中」のカルラス・プッチダモン前カタルーニャ州知事とトニ・コミン、および「政治犯」のジュンケラス(こちらにも立候補していた)が当選した。しかし、スペインからの議員団に押されるEU議会議長アントニオ・タイヤーニは、プッチダモンらの議員登録を拒否した。これに対して、欧州議会の副議長団のうち4人がこの措置に疑問を唱え、各国の76人の欧州議員がタイヤーニを取り囲んで抗議したが、結局プッチダモンとコミンは会議場に入ることすらできなかった。彼らは欧州司法裁判所にこの不当性を訴えっており、欧州司法裁判所は、ジュンケラスの欧州議員としての「不逮捕特権」を審議するために10月14日に事情徴収を行う予定だが、現在のところ、彼らが欧州議員となることは困難だと思われる。

 一方、国連に対する独立派の働きかけもある。5月29日には、国連人権理事会に属する恣意的拘禁に関する作業部会が、ウリオル・ジュンケラスとジョルディ・サンチェス、ジョルディ・クシャールの即時釈放をスペイン政府に要求した。しかし政府は、この作業部会の構成員とカタルーニャ独立派との関係を疑い、その要求を拒絶したばかりか、そのうちの2名の構成員の活動を停止させるように国連に要求した。さらに、ジュンケラスらの弁護士で国際的な人権活動でも有名なベン・エメルソンは、彼らの釈放を国連人権理事会に重ねて訴えているが、スペイン政府は無視している。また次期EU委員長になるフォン・デア・ライエンは、プッチダモンらの扱いに対して、「これは政治の問題ではなく、法の問題だ」として取り合おうとしない。スペイン国内と欧州内でのカタルーニャ独立派の動きに、当面は劇的な進展は望めなさそうだ。

 話は変わるが、長期的・大局的な眼でカタルーニャ独立派の動きを眺めていると興味深いことに気付く。それは、カタルーニャ独立派の使っている論法が、人権や自立権、表現の自由などについて、常に「欧州の基準」あるいは「国際的な基準」を主張していることだ。スペイン国家の対応を批判する場合に「欧州の価値観に反している」という表現をよく使用する。つまり、スペインの国家権力を無力化するために、「欧州」や「世界」の普遍性を持ち出してスペイン国家の「特殊性」を攻撃するわけだし、それしか方法が無いだろう。そうやって今までも、ベルギーやドイツの司法機関、欧州司法裁判所や欧州人権裁判所、国連などの機関を上手に利用してきた。

 しかし、そのように彼らが「国際化された独立運動」を推し進めれば進めるほど、民族主義を基盤にした国民国家よりは、EUや国連といった超国家的な存在の価値を高めることになる。つまり、国民国家の主権の喪失と欧州の統一、つまり「ヨーロッパ合衆国」に向かう汎ヨーロッパ主義の道を歩まざるを得なくなるだろう。独立派は、独立国家としての「カタルーニャ共和国」を目指しているのだが、皮肉なことに、その運動を進めれば進めるほど自らが独立国家から離れていくことになる。仮に将来の世界でカタルーニャがスペインから分離できる時が来たとしても、せいぜい、スペインともども欧州内の「自治共和国」となるだけだろう。まあ、独立派は「スペインが嫌い」なのだから、ちょっとでもマドリードと距離を置くことができれば満足するのかもしれないが、その代わりに今度はブリュッセルから支配されることになる。

 ところで、今年の欧州選挙で決まった欧州議会内で、カタルーニャ独立派はどのグループに入っているのだろうか。こちらの資料こちらの資料を見てみると、ERCを中心にバスクやガリシアなどの少数民族・地方独立主義者の議員は3人(ただしその一人は刑務所から出ることのできないウリオル・ジュンケラスであり実際には2人)は、ベルギー北部、スコットランド、フランスのコルシカなどの独立主義者と共に「欧州自由同盟」を形作っているが、欧州議会内では微小派であり、スコットランド民族派が英国の離脱で抜けるとさらに少数になる。またJXCATの2人(いまだ議員としては認められていないが)はどのグループにも属していない。

 カタルーニャ独立派と他の欧州諸国の政党の関係を見ると、これまた興味深いことに気付く。イタリアの同盟(北部同盟)は《VOX台頭の背後に蠢く国際的な力》でも書いたとおり、米国ドナルド・トランプの元戦略顧問スティーブン・バノンが「私的に」相談役を務める反欧州主義極右政党ということになっているが、実はカタルーニャ独立派を強く応援していることで有名だ。こちらの記事には、党首のマッテオ・サルヴィーニがエステラダ(カタルーニャ独立旗)を誇らしげに手に広げている写真、エステラダとバスク民族旗をあしらったTシャツを着るサルヴィーニ、またイタリア議会内でエステラダを広げる同盟の議員たちの写真も見られる。一方でこの党は欧州議会内で、マリーヌ・ル・ペン率いるフランスの国民連合やネオナチと言われる「ドイツのための選択肢」党などとともに、反欧州主義のグループを形作っている。さらにはスペインの極右政党でカタルーニャ独立派を目の敵にするVOXを称賛する。

 もう一つ言えば、ベルギーでプッチダモンらを熱心に支援するフランデレン地域政党(独立主義)のN‐VA(新フラームス同盟)は、欧州議会内でVOXを欧州自由同盟に受け入れることを望んだ。ただしこの情報は、反独立プロパガンダが得意なエル・パイス紙の記事からなので、半分眉に唾を付ける必要がある。しかしこのN‐VAは、イタリアの同盟とは手を組んでいないが、どちらかと言うと極右に近い立場にあると言われている。しごく単純に、イタリアの同盟にしてもこの党にしても、要するに、カタルーニャであれバスクであれスペインであれ、ナショナリズムなら何でも素晴らしい!ということなのかもしれない。ところがカタルーニャ独立派は汎ヨーロッパ主義の罠にはまらざるを得ないのだ。

 ちなみに、VOXの欧州議員3人は現在のところ「無所属」だが、思想的にはどちらかというとポーランドの与党「法と正義」なんかに近いのだろう。こちらはサルヴィーニの党やル・ペンの党とは異なり、アンチ欧州主義ではない。19世紀末までにほとんどの植民地をはぎ取られた没落帝国スペインは、大国の覇権の傘下に収まる以外に、イベリア半島にある統一国家の姿を維持する方法がないのである。フランコ自身、それを十分に理解していたからこそ、米軍基地と米国資本を受け入れたのだ。しかし、将来もし西ユーラシアの地域覇権国家「ヨーロッパ合衆国」が誕生するとしたら、現在の立憲王政国家「統一スペイン」は、言語や文化財や芸術などを名残として消え去るだろう。スペイン・ナショナリストたちはこの点をどのように考えているのだろうか。


《欧州が現すかもしれない「成虫」の姿は?》

 新しいEUの体制の中で、欧州合同軍の現実的なプランが練られるだろうと言われている。米国のトランプはこのような欧州の自己防衛の方向に強い不快感を示してみせた。しかしそれに答えるように、フランス大統領マクロンは、7月14日の祭典(日本では「パリ祭」と呼ばれるが)で、自国の軍隊の行進に欧州の複数国家からの軍人を加え(スペインからも100人以上が参加)、この祭りを欧州の共同防衛の祭典にしてしまった。欧州は、表面的には対米従属的な態度をとりながらも、極めて慎重に、時にはやや露骨な形で、米国の支配の糸を一本一本外しつつあるようだ。

 その少し前の話だが、米国がイランとの緊張を急激に高めていた5月14日、スペイン防衛相マルガリータ・ロブレスは、スペインのフリゲート艦メンデス・ムニョスに対して、紅海からホルムズ海峡に向かっていた米国の空母エイブラハム・リンカーンを中心とする合同艦隊から離脱するように命令した。ペンタゴンからスペイン軍離脱の報告を受けたワシントンは、マドリードの米国大使館を通して遺憾の意をスペイン政府に伝えたが、スペイン防衛大臣のマルガリータ・ロブレスは、メンデス・ムニョスを離脱させた理由について、そのホルムズ海峡での作戦が「想定外の米国のミッションだった」からであると説明した。

 たかがスペインの軍艦一隻が抜けたくらいで合同艦隊の戦力が大きく落ちるわけもないのだが、このスペイン軍の動きは重大なことを意味しているだろう。これはスペイン政府の単独の判断ではあり得ない。スペインがフランス政府やドイツ政府に無断でこんな行動を起こすはずはない。これはむしろフランスやドイツの意思、また欧州合同軍創設の意思を持つ者達の判断、米軍とNATO軍に対するメッセージだろう。中東で米国の覇権獲得の戦略に積極的に参加してきたフランスがやるわけにはいくまい。戦力的にも政治的にも比較的軽い役割を持つスペイン程度なら、「メッセンジャー」としてちょうど良いのかもしれない。

 もちろん、どの報道機関もこの件に関しては明らかな形で論評を述べてはいないが、EUが米国の中東支配政策とイランへの戦争挑発から距離を置きつつあることは明らかだ。英国は欧州よりもむしろ米国と太い根でつながっている。イランの石油を積んでシリアに向かうタンカーがジブラルタル海峡で英海軍に拿捕された7月4日の事件は、イランへの挑発とともに、スペインと欧州に対する警告の意味も含んでいたかもしれない。何となくの感じでしかないのだが、スペインの主要なマスコミは実にそっけなくこの事件を報道していたようである。

 10月31日に起こる可能性が高い英国のEUからの合意なき離脱が、このような欧州の「米国離れ」を加速させるのではないか。将来形作られるかもしれない「欧州合同軍」が、どこまでの「欧州」を含むのか分からないが、スペインは間違いなくその「欧州」の一部になる。ユーロ圏も、現在のところうまく機能しているとは言い難いし、ひょっとすると経済的な格差を計算に入れた柔軟な仕組みが作られるかもしれない。いずれにしてもスペインはそこに含まれることになる。また「難民」や「テロ」への対策として欧州全体の「国境警備」にあたる合同の警察機構が作られる可能性がある。経済、軍事、警察の統合が進めば、次には必然的に政治統合が待ち構えるだろう。それがどんな姿なのか、想像するのはちょっと早すぎるのかもしれない。

 最後に、我が街バルセロナの未来について少しだけ。この6月10日、欧州委員会はバルセロナに欧州最大のスーパーコンピューターを設置すると発表した。ここにある国立スーパーコンピューティング・センター(BSC-CNS)に置かれ、2021年1月に完成予定で、「マレ・ノストゥルム5」と名付けられることが決まっている。マレ・ノストゥルムはラテン語で「我々の海」つまり地中海を意味しており、地中海を中心にして東西ヨーロッパ、北アフリカ、中近東を支配した古代ローマ帝国を想起させる命名だ。このBSC-CNSではすでにマレ・ノストゥルム4が稼働しているが、同5はその17倍の能力を持つと言われる。

 欧州はスーパーコンピューターの分野で米国や中国に一歩後れをとってきたが、このマレ・ノストゥルム5で一気に世界の最先端に並ぶことができる。医学や工学の研究で米国の施設に頼る必要が無くなり、欧州独自の研究開発が可能になるわけだ。これは、欧州の科学と産業、情報技術の発展にとってだけではなく、政治的・経済的・軍事・安全保障的な意味においても、欧州で最も重大な意味を持つ施設の一つと言える。

 さらにバルセロナ近郊には、ALBAと呼ばれる欧州で最大級のシンクロトロンが作られており、2007年に稼働して以来、欧州各地から来る科学者や研究科に利用され、多くの科学研究や産業利用で活躍している。バルセロナはすでに、スペイン第二の都市、カタルーニャの州都であると同時に、欧州全体にとって最も重要な都市の一つになっているのだ。そこに「カタルーニャ共和国」の幻影が入る余地は無いのだろう。それが、そこに住む我々にとって良いものか悪いものかは、いまだ知ることができないが。欧州(どこまでを含むのかは問題だが)の未来は、やはりローマ帝国をその原型とするイメージで語られるのだろうか。欧州は結局、2000年前の呪縛の中で生きることになるのだろうか。


【『サナギの中のカオス(その2)』 ここまで】
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