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突然現れたサンチェス社会労働党政権の謎


 当サイト『スペイン最後の「78年体制」政府か?』の中で述べたように、今年6月1日、2012年初頭から約6年半続いたマリアノ・ラホイ国民党政権が、社会労働党の提出した不信任動議案可決によって、あっさりとその幕を閉じた。代わって政府与党となったペドロ・サンチェス率いる社会労働党は、350議席中84議席という“超軽量与党”である。ポデモス系党派が協力しても161議席と、とうてい過半数には届かない。

 しかも、「とりあえず国民党政権は終わらせる」ことで不信任動議に賛成したカタルーニャなどの地方の民族政党は、国民党と手を結んでカタルーニャ州に憲法155条を適用して自治権を奪ったことで、社会労働党を深く恨んでいる。このサンチェス政権は、過半数に近い169議席を持つ右派勢力(国民党、シウダダノスなど)と民族政党の間で板挟みになり短命政権に終わるか、または右派勢力と手を組んでその言いなりになるしかないのではないか、という観測が強かった。

 だが実際には、この“超軽量与党”は驚くべきスピードで、しかもほとんど誰もが予想しなかった大胆な政策を、次々と打ち出して実行に移している。『スペイン権力中枢の雪崩現象』に書かれている国民党政権の末期症状に加えて、ラホイ政権に引導を渡した政治腐敗事件の判決(《ラホイ国民党に致命傷を負わせたギュルテル判決》参照)、そしてこのサンチェス政権の誕生とその動向の全てが、まるで予め綿密に計画され準備が整えられていたかのように次々と実現されていく。もうじき誕生から4カ月になるこの新政権の動きをまとめて見ていきたい。

2018年9月26日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
 《サンチェス政権の予想外に大胆な政治姿勢》
 《深刻化する欧州とスペインの不法移民(難民)問題》
 《ドイツ、フランス、スペイン:EU内の「三国同盟」》
 《「腐肉の清掃」が始まるのか?》



【6月28日、EU首脳会議に臨むペドロ・サンチェス(前列右):はて、ラホイが首相のときにメルケルのこんな幸せそうな顔が見られた?

《サンチェス政権の予想外に大胆な政治姿勢》

 サンチェスが首相就任後に最初に行ったことは、カタルーニャ州政府との関係の修復と安定だった。《トーラ州政府の誕生と自治権の回復》でも述べたように、カタルーニャ州政府は、キム・トーラを長として、サンチェス政権発足と日を同じくして前閣僚をそろえ正式なスタートを切った。ラホイ政権は新州政府が成立して憲法155条の適用を止め自治権を回復させても、カタルーニャ州の財政は中央政府の管理下に置く予定だった。しかしサンチェスは全面的な自治権回復へ向けての措置を採った。最初は中央政府が州財政に干渉できる余地を残したが、じきにその財政コントロールも終了させることにした。

 また6月4日に、カタルーニャ独立派にとって「天敵」ともいえるジュゼップ・ブレイュが外務大臣になった。当時まだドイツに滞在していたカルラス・プッチダモンは激怒し、「憎しみが膨らむ」と嫌悪感をあらわにした。さらに独立派に敵対し続けるカタルーニャ人のマリチェイュ・バテッを地方政治担当大臣に据えるなど、サンチェス政権は一見すれば、強硬な「独立派潰し」を継続させるように思われた。しかしその一方で、サンチェスはトーラとの討論を申し込み、バテッは「地域の危機を解決するための憲法改正」を提案するなど、自決権は論外だとして除外する一方で独立派へ徐々に歩み寄る姿勢を見せた。これに対してキム・トーラ州知事もまた社会労働党政権の姿勢を一定程度は評価し、振り上げた鉾をとりあえず収めた。

 カタルーニャ問題については、この秋~冬の住民投票と「独立宣言」の1周年でまた様々な動きが起きそうなので、後日に別の記事にまとめる予定だが、サンチェス政権のカタルーニャ問題についての基本姿勢は、国家的な統一を堅持する一方で、政治的な解決法を対話で探っていこうとするものである。ここでは、社会労働党政権が実行した懐柔政策の一例を採り上げたい。カタルーニャ州政府の前幹部と前州議会議長ら9人がマドリードにある刑務所で拘束中だったが、独立派からは、せめてカタルーニャ州の刑務所に移せという要求が絶えなかった。それに応えるように、6月14日に中央政府は拘束中の政治家たちをカタルーニャに移送する方針を打ち出し、それは7月3日から4日にかけて実現された。

 このような「柔軟な」政策は、必然的に国民党とシウダダノスが主張する強硬策と衝突せざるを得ない。国民党党首パブロ・カサドシウダダノス党首アルベール・リベラは、サンチェスがカタルーニャ独立主義者と協定を結んでいるとして、激しく非難し続けている。さらには『生き続けるフランコ(2)』で書いたように、独裁者フランコの墓を戦没者の谷から撤去するという、スペインの保守勢力が最も嫌がる大胆な政策を打ち出した。サンチェス政権は、右派勢力に敵対し、民族派政党を用心深く懐柔しながらポデモスを主要な同盟者とするというやり方で、政権を維持し続けている。

 サンチェス政権はフランコの墓の撤去を今年中に実現させると言っているが、とうてい一筋縄ではいかないだろう。またカタルーニャ独立派も次々と中央政府攻撃を行うだろう。それらと並行して次年度の予算案の取りまとめを行わなければならない。これはEUに厳しい調子でせかされているのだが、各勢力の合意が得られないうえに国民党とシウダダノスからの執拗な妨害を受けている。そのうえで、国民党政権によって停止させられていた医療保険の拡大適用の再会、議員や閣僚、王族、法務官などに極めて幅広く適用されている刑事犯罪免責特権を廃止するための憲法改正作業、などなど、大変な量の作業をこなさなければならない。

 しかし、当初100日ももてば良い方だろうと思われていたこの“超軽量与党”は、各種世論調査で第1党に躍り出るなど、左派~中道の有権者から強い支持を受けている。9月25日に公表されたCIS(国立社会学センター)の調査で、社会労働党は30.5%の支持率となり、国民党の20.8%を大きく引き離している。案外と1年、あるいは総選挙の年である2020年まで続くのかもしれない。そしてサンチェス政権最大の特徴として、欧州の「移民政策」を巡っての外交の場での活躍が挙げられる。


《深刻化する欧州とスペインの不法移民(難民)問題》

 フランスのNGO組織SOS Méditerranéeが所有する「難民救援船」Aquariusがリビア沖で「救助」した629人のアフリカからの「難民(欧州への移住希望者)」がイタリア政府から上陸を拒否されたのは、サンチェス新政権が発足して間もない今年6月10日のことだった。しかしその翌日、サンチェス政権はこの「難民」受け入れとバレンシア港の使用を提案したのである。Aquariusは強風で荒れる海上をバレンシアまで人々を運ぶ能力を持たず、イタリア海軍が2隻の軍艦を提供した。「難民」たちがバレンシアに入港したのは6月17日のことだったが、その前日にフランスがAquariusの「難民」たちの受け入れの意思を表明した。バレンシア港に到着した「難民」達は、とりあえず45日間はスペインにいることができ、その後の処置は各国の受け入れの調整次第とされた

 ところが、Aquariusの「難民」到着に合わせるように、6月15日から16日にかけて982人ものサハラ以南のアフリカ人「難民」がモロッコからジブラルタル海峡を渡ってスペイン南部のアンダルシアに押し寄せたのである。またセネガルなどアフリカ大陸の西海岸からカナリア諸島に漂着した人々を合わせると、「難民」の数は18日までに1500人に膨れ上がった。スペインとEUからの要請を受けたのだろうが、モロッコ政府は16日に、サハラ以南の国々からやってきた人たちが固まって住んでいる地域を封鎖する措置を開始した。

 20年以上前からスペインにはモロッコや西アフリカを経由して密入国者が押し寄せている。車両の荷台や床の下などに隠れ、また小船で海を渡ってくるのだが、途中で船がひっくり返りアンダルシアの海岸に遺体が打ち上げられる様子は日常的となっている。これらのほとんどがモロッコなどの国々のマフィアによる人間の「密輸」であり、スペイン国内にもマフィア組織による「受け入れ態勢」があるようだ。

 これらの事態を受けて6月19日に欧州評議会の議長ドナルド・タスクは、同月28日と29日にブリュッセルで開かれる欧州首脳会談での決議案の草稿で、不法移民の流入をコントロールするための「欧州外の難民収容所」の創設を採り上げた。同様の施設はすでにトルコに存在するのだが、その創設と維持のためには膨大な費用が必要となるだろう。またこの草稿には二次的な移動、つまりEUのどこかに密入国して「難民」として登録された後に他の国に移動するケースを防ぐための措置についても盛り込まれている。

 欧州委員会のジャン・クロード・ユンケルは、欧州首脳会談に先立ってEUの主要国による「ミニ首脳会談」をパリで開くことを提唱した。そして6月23日にパリを訪れたサンチェスは、フランス大統領エマニュエル・マクロンと「移民」問題について突っ込んだ話し合いを行い、EU内での「閉ざされた収容所」の創設というアイデアで一致した。その「収容所」で、不法入国者を難民として受け入れるか送り返すかを決断する、というもので、彼らはドイツ首相アンゲラ・メルケルの賛同も得ることができるという確信を持った。しかし翌日パリに到着したイタリア首相(閣僚評議会議長)ジュゼッペ・コンテはこのアイデアを「受け入れられない」と即座に切り捨てた。

 6月28日からの欧州首脳会議ではこの「移民問題」が重要課題の一つとされ、予想通りの大激論が交わされた。そして、細かい詰めはともかく、共通の収容所を作って「難民」として受け入れるか否かの審査をすること、また二次的な移動の制限や国境管理の強化、不法移民の「中継国」となっているトルコやモロッコ、リビアなどに対する支援(つまりそれらの国で収容所などに放り込んでおくためのカネ)の強化など、基本的な方針は何とか調整することができた。ただ具体的な点でEU内の亀裂を埋めることはできず、同時にまた合意した国々にしても国内的な不信や対立に直面することになるだろう。

 欧州首脳会議での激しい議論の後にサンチェスはベルリンに向かい、ギリシャ首相アレクシス・ツィプラスと共にメルケルと再会して、スペインやギリシャで登録されたが実際にはドイツに在住する「難民」の両国への返還、それに対する経済的な援助、「難民」の家族の再会の場合にはドイツが受け入れること、など、さらに突っ込んだ条件について話し合いを行った。サンチェスは、ドイツで苦境に立つメルケルの立場を危うくさせずに、EUとユーロ圏の安定を最重要視する姿勢を見せたようだ。話し合いの後、メルケルは「予想よりもはるかに多くの成果を手に入れた」とご満悦そのものだった。

 しかしその一方で、アフリカからスペインへの不法移民の波は続いた。7月の20日から22日までの間だけでも1180人のアフリカ人たちがジブラルタル海峡を渡ってやってきた。さらに、サンチェスとマクロンが「移民問題」についてマドリードで「合意」を発表した7月の26日にも、アフリカにあるスペイン領セウタ市で、黒人を中心とする800人ほどの人々が高い鉄条網の塀を乗り越えて不法入国してきたのだ。その際に、それを阻止しようとしたスペインの警察官に様々な暴力をふるって15人にけがを負わせる事件までが発生したのだ。政府は後の8月23日になって、警察官に暴力をふるった116人の「難民」をモロッコに追い返すことを決定した。

 7月26日にアンダルシア南部海岸の都市アルヘシラスの市長は、際限なく押し寄せてくる不法移民に悲鳴を上げ、政府とEUに救いを求めた。この人たちをどこに収容せよというのか?田舎町にそんな施設すらない。そして食料は?医薬品は?衛生管理は? 小さな地方都市に一体何ができるというのか? 「人道」だけを叫ぶ人たちは、一度、自分の家に「難民」が入り込んできて、寝どころも水も食料も薬も衣料もトイレも、すべての面倒をみなければならない状況を思い浮かべるとよい。もはや、ただでさえ貧しく設備の乏しいスペインの田舎町では、「人道」の限界を超しているのだ。とりあえず陸軍がテントと簡易ベッドを提供したが、そんなもので収まるわけもない。

 恐ろしいことに、モロッコには、サハラ以南の国々から5万人を超える人々が集まっており、スペインに密入国するチャンスを伺い続けているのだ。もちろんだが、それぞれの国のマフィア組織が、おそらく間違いなく腐敗しきった各国の役人や政治家たちとつるんで、「人間の密輸」を行っているはずだ。そこでスペイン国民党の党首パブロ・カサドは、少々誇張した表現でだが、「スペインが何百万人ものアフリカ人を受け入れるのは不可能だ」と語った。するとたちまち人道主義の信奉者たちから「難民受け入れを拒否する差別主義者、極右主義者」の非難を受けることになった。しかし、こればかりはカサドに同情せざるを得ない。実際に「何百万人」も受け入れることは不可能である。

 複数のNGOの調査によると、今年に入って7月までに地中海を渡ってヨーロッパにやってきた不法移民のうち38%がスペインに来ている。それは欧州で最大の数だが、すでに24000人を超えている。ただしこれはサンチェスが「難民受け入れ」の方針を明らかにしたから、というわけでもないだろう。「難民引き受け」をのらりくらりと渋り続けていたラホイ政権のときに比べて、サンチェス政権誕生後に急増したとは言い難い。政府はEUに対して3500万ユーロの難民対策の緊急援助を要求し、ブリュッセルは「難民対策の費用は限られている」としながらも、スペインに対して5500万ユーロの援助を決めた。

 7月31日には、モロッコに受けの良いサパテロ元首相が、サンチェスのモロッコ公式訪問の道をつけるためにモロッコ国王モハメド6世と会って仲介役を果たした。この腐敗しきったアフリカの米国同盟国は、EUからの「難民対策協力」の見返りに舌なめずりをしていることだろう。8月2日にモロッコ政府は「EUからの難民対策費用は不十分だ」という認識、つまりもっとよこせという要求を出した。同日に公表されたスペインの社会学研究センター(CIS)の統計によると、「主要な心配事」の中で「移民問題」が11.1%に跳ねあがり、スペイン国民の間で第5位の心配事になった。カタルーニャ問題とフランコの墓移転問題を通して先鋭化しつつあるスペイン・ナショナリズムが、今後はこの移民問題が加わってますます膨らみ強固になっていくのではないか。


《ドイツ、フランス、スペイン:EU内の「三国同盟」》

 サンチェスはこの短期間で実に多くの外交に携わっている。彼が首相に就任した直後の6月4日に、マドリードに訪れたウクライナの大統領ペトロ・ポロシェンコと初めての首脳会談を持った。これは元々予定が組まれていたものだろうが、その時にTVニュースを見て私が驚いたのは、サンチェスが通訳をつけずに直接に英語でポロシェンコと話し合っていたことだ。今までのスペインの首相に関してこんな光景は見たことがなかった。こんな面もまた外国の首脳との付き合いをスムーズにさせているのだろう。また7月11日と12日にはブリュッセルでのNATO会議に出席し、米国大統領トランプと初めて顔を合わせたのだが、この国がNATOにGDPの0.93%しか負担していない以上、大した発言力もあるまい。

 しかし先に書いたように、この6月以降の過程でマクロン、メルケルとサンチェスの間に「盟友関係」が生まれたことは重要な意味を持つだろう。『欧州の難民政策は劇的に変化するのか?』にも書いたとおり、7月26日にマクロンとの会談で欧州の移民(難民)政策についてもう一歩先に進んだ共同声明を発表した。だが特に、前の項目でも書いたとおり、メルケルのサンチェスに対する信頼は並大抵ではないようだ。

 非公式の形でだが、夏季休暇中の8月11日から2日間、サンチェスはスペインのドニャーナ国立公園にメルケルを夫婦で招待し、イタリアに対する「共同戦線」を張りつつ、欧州全体の「移民(難民)政策」を中心に今後のEUとユーロ圏の在り方などについて話し合った。ドイツ国内でこの問題で追い詰められるメルケルだが、サンチェスと一緒にいるときの幸せそうな顔が実に印象的である。まあ、武骨さの固まりだった前任者ではなく、若くてイケメンのサンチェスのそばでは確かに幸せかもしれない。ただそれ以上に、ラホイが移民の引き取りを独特の粘り腰でのらりくらりと実質的に拒否し続けてきた、その「重し」がとれた安心感なのだろう。

 またメルケル訪問以前の8月7日には、スペインのブレイュ外相が、不法移民をアフリカの出身国に送り返す代わりに、その国の若者を合法的に受け入れて3年間の教育を施してから戻し、本国の社会的発展に尽くすようにさせるという「ユーロアフリカン・エラスムス」を提唱した。これが欧州各国とアフリカ諸国に受け入れられるかどうかは疑問だが、7月26日のマクロンとサンチェスの合意にある『(移民の)出身諸国の発展に対する、また社会的・政治的・経済的な安定の必要性に対する協力』に沿った具体的な提案として注目される。

 もちろんマクロンやメルケルにとっては「上手に手なずけた」という程度のことかもしれない。しかしいずれにしても、ドイツ、フランス、スペインの3国が「難民問題」をきっかけにして同盟関係を形作ったことは確かである。英国が脱落寸前、イタリアが独仏の「欧州中央」にそっぽを向き続けている以上、ドイツ・フランスが欧州大陸を横に貫く枢軸を求めるのは必然だろう。この「同盟」はまた、将来に予想されるユーロ改革と欧州の政治的統一でも中心的な働きを担うだろうと見做されている。ただし、それぞれの国の政権が現在の通りに続けば、だが…。

 サンチェスはまた、8月27日から31日にかけて、チリ、ボリビア、コロンビア、コスタリカの中南米4カ国に飛んで、それぞれの国で首脳会談を持った。彼はスペインをEUとラテンアメリカ諸国との「架け橋」にすることを望んでいる。これもまた、従来の「旧宗主国」としての付き合い方とは異なる姿勢と言える。さらに彼は9月23日に、スペイン同様にケベック州の独立問題に悩んだカナダを公式訪問し、ジャスティン・トルドー首相と会談した。カタルーニャ問題だけではなく気候変動問題、EUカナダ包括的貿易投資協定(CETA)の在り方についてなどがテーマである。そしてその後に国連総会に出席した。

 それにしても、新しく首相になって4カ月に満たない期間に、国内で極めて困難な作業を次々とこなしながら、しかも議会内の少数派で保守派野党からの激しい攻撃と妨害を受けながら、実に活発な外交活動を行っているものだ。サンチェス政権の「同盟者」は国内のポデモスだけではなく、きっと欧州の支配的な勢力の中にもいるのだろう。その「お膳立て」がなければ、現実的な政権基盤が無いのに降ってわいたように登場した政権担当者が、ここまでの外交を次々とこなすことは難しいのではないか。サンチェス政権の登場を最も望んでいたのはメルケルとマクロン(というよりも、その政権を裏から支える者たち)だったはずだ。


《「腐肉の清掃」が始まるのか?》

 振り返って考えてみると奇妙な話だ。タイミングがそろい過ぎている。今年5月初旬までに腐れ落ちる寸前になっていた(『スペイン権力中枢の雪崩現象』参照)ラホイ国民党政権が、同月下旬にギュルテル事件で「最後の一刀」を下され、その1週間後にサンチェス新政権が誕生した(『スペイン最後の「78年体制」政府か?』参照)。そのわずか後に「難民救援船」Aquariusがイタリア入港を拒否され、サンチェスはこれを受け入れた。その後は前の項目で書いたとおり、雪崩のような勢いで続いた「難民」流入と大荒れの欧州外交、そして「三国同盟」結成である。

 独仏の欧州中央(というよりも欧州統合を目指す勢力)は、EU加盟国で頭を持ち上げるナショナリズムを最も警戒している。その中でも、潜在的にもっとも強力なものになりうるのがスペイン・ナショナリズムだろう。ここには未だに「フランコのいないフランコ主義」がしっかりと生きている。『生き続けるフランコ(1)』で書いたように、それは決して「20世紀の亡霊」ではなく、スペイン国内にはっきりした実体を持つものである。そして弱小勢力に過ぎないサンチェス政権がその解体を手掛けている。ほんの数か月前には誰も予想しなかったことだが、舞台の上で展開する「劇」を見れば、舞台裏の演出家や大道具係などのスタッフの動きが感じ取られる。

 スペイン・ナショナリズムは、2000年来のバブル経済と2008年のその崩壊(シリーズ:『スペイン経済危機』の正体シリーズ:「中南米化」するスペインと欧州)、それに続く社会的大混乱と国民の意識変革(シリーズ:515スペイン大衆反乱 15M)、そして政治腐敗(マフィア国家)の暴露(シリーズ:スペイン:崩壊する主権国家)、およびカタルーニャの分離独立運動(シリーズ:『カタルーニャ独立』を追う)によって、そのコアを形作っていた頑丈な仕組みの構造物を破壊された。ちょうど巨大なビルを解体する際にその最も頑強なコアの鉄骨構造を最初に破壊するような具合だろう。なんとなく、2001年9月11日にニューヨークで起こったWTCツインタワーと第7ビルの「崩壊」(『911エヴィデンス』)を連想してしまうが、こちらは十数秒ではなく20年以上の時間をかける「解体」となるだろう。

 マリアノ・ラホイは案外とそのあたりの動きを理解して覚悟を決めていたのかもしれない。6月25日にサンチェスが不信任動議を出したときに、彼はほとんど抵抗らしい抵抗をせず、実にあっさりと社会労働党に政権を渡した。そして首相経験者としての特権も自ら放棄して、静かに政界から立ち去った。ラホイの懐刀で副首相を務めたソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアは、その後、7月21日の国民党総裁選挙で右派のパブロ・カサドに敗れた後、これもあっさりと下院議員を辞職して(一時的に?)政界から身を引いた。2012年以来、ビルダーバーグ会議に頻繁に出席しているサンタマリアには、すでにスペインと国民党の未来が見えていたのだろうか。

 この政権交代劇はもう何年も前から準備されていたような気がする。《ブリュッセル直属?新ラホイ政権》で述べたとおり、ラホイ政権は初めから従来通りの国民党の政権とは言い難かった。とくに2期目ではその傾向を一段と強めた。サエンス・デ・サンタマリアは副首相であると同時に、バルセロナに特別の事務所を作ってカタルーニャ問題担当者となった。しかし彼女は、2017年10月1日の住民投票と「独立宣言」を食い止めることができなかった(食い止めなかった?)ばかりか、カタルーニャ問題を欧州の中でのスペイン国家の信頼と地位を失墜させる方向に引きずっていったように見える。

 今後、「移民」の流入とその処理がスペイン国内で益々重大な問題になっていくだろうが、それにつれ、またサンチェスが推し進めている「三国同盟」が強化されるにつれ、さらにフランコの墓の移転とカタルーニャ独立派の動きが活発化するにつれ…、スペインの中ではイタリアやオーストリア、ドイツに続いてナショナリズムの熱が盛り上がっていくだろう。この9月25日に公表されたCIS(国立社会学センター)の調査によると、2013年に国民党から分かれた「極右」と見做されるスペイン主義政党Voxが、総選挙での議席を得る寸前にまで支持を延ばしているようだ。この背後にはホセ・マリア・アスナール元首相もおり、現状に不満を持つ国民党の一部が加わっていけば相当の勢力になるかもしれない。

 今後、数年間、ひょっとすると10年以上、欧州全土でナショナリズムと欧州統一主義の激しい闘いが繰り広げられると思われる。統一主義者にとって、フランコ以後のスペインのナショナリストとその存在基盤は、すでにその生命維持装置を失った「腐肉」に過ぎない。私は2012年に『シリーズ:『スペイン経済危機』の正体』にある『「銀行統合」「国営化」「救済」の茶番劇』の中で次のように書いた。
 《このときにすでに「生命危篤」を宣告されたわけだが、より厳しい運命が2年後にラホイにやってきた。そして今回は「支援」という名のさらなる膨大な借金を背負い込まされたうえで「脳死状態」にさせられ、「生命維持装置」を取り付けられた。後は「腐肉」を取り除いたうえでの「解体処分」が待っているだけだろう。》

 さほど遠くない将来、おそらく数年のうちに、「腐肉の処理」と本格的な「国家解体」が始まるのではないだろうか。米国の一極世界支配が崩れようとしている中、欧州が多極構造の一つの極として生き延びるには、ナショナリズムを排斥して統一するしかないのかもしれない。しかしその中で、我々個々人の命と生活がどのように変化するのかは、全く分からない。覚悟を決めて生きるほかはあるまい。


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