サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル(San Lorenzo de El
Escorial)はマドリード州の北西部グアダマラ山脈にある町だが、ここにある「戦没者の谷(El Valle de los Caídos)(参照:Wikipedia日本語版)」は、1936年からおよそ3年間続いたスペイン内戦の死者を葬る共同墓地である。スペイン内戦についてはWikipedia日本語版およびこちらの当サイト記事『「スペイン内戦」の幻想と傷と癒し』を参照のこと。この「戦没者の谷」には、【写真1】に見るように、谷の崖を掘り抜いて作られた34000に近い数の遺体を収める墓地と付属の教会、そして丘の上には世界最大と言われる巨大な十字架がある。この施設は、スペイン内戦の勝利者フランシスコ・フランコの肝入りで、1940年から約18年かけて建設されたものだ。(こちらの写真は1940年にこの共同墓地建設を視察するフランコ。)
フランコが1939年にスペインの独裁者となってスペイン各地で行ったことは他人の資産の略奪だった。故郷ア・コルーニャにある夏を過ごす別荘「パソ・デ・メイラス(Pazo
de Meirás)【写真】」と呼ばれる豪邸は、フランコが「民間からの寄付」によって手に入れたとされる。しかしながら19世紀末に建設されたこのロマネスク風の豪邸は、地元の貴族パルド‐バサン(Pardo-Bazán)伯爵家の所有だったものを、1938年、フランコがすでにガリシア州を支配下に置いていた時期に、ア・コルーニャ市のフランコ主義の当局者たちが「公的資産」として強制的に買い取り、その後にフランコに「寄贈」されたものだった。その買い取りの資金を作るため、当局者たちは多くの市民を脅し上げてその資産を「寄付」として徴収し、また公的な仕事をしていた者たちから給料の一部を強制的に巻き上げた。