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生き続けるフランコ(2)


 これは『生き続けるフランコ(1)』の続編である。今回はこの数日間に起こった変化を中心にするものだが、このシリーズはこの後、何回か間を置きながら続いていくと思う。いま欧州全体に訪れようとしている巨大な変化の中で、スペインで起こりつつあることは、第二次大戦終了時から現在まで続いてきた欧州の一つの時代の終了を象徴するものになるのではないかと思える。

2018年8月28日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
 《フランコの墓移転の政府決定》
 《スペインを引き裂く大激震が始まるのか?》

 《欧州全体の変化の中で》


【写真:フランコの墓がある「戦没者の谷」で、“フランコばんざい!”を叫ぶ人々】

《フランコの墓移転の政府決定》

 ヒトラー、ムッソリーニと並んで、20世紀の欧州を代表する独裁者フランシスコ・フランコは、肉体を持つ個人としては1975年11月20日に死亡した。彼の死以降、あくまでも現代史の公式としてはだが、1978年の新憲法の下で立憲王政国家となり、1982年の社会労働党政権誕生、86年のEC(現在のEU)加盟によって、スペインは本格的な欧州型民主主義国家に変貌したとされる。確かに西欧型の福祉国家制度は整えられた。文化的にも自由が広がり、少数民族の言語教育も行われるようになった。

 しかし『生き続けるフランコ(1)』で書いたように、フランコ独裁政権が作り上げ固めてきた社会の仕組みとその動き方、人々を内から動かす思考のパターンは、21世紀の現在まで、表面的な化粧を変えながら基本的に変化を受けていない。スペイン内戦で死亡した両軍兵士の遺体が眠る集団墓地に置かれるフランコの墓が、いままで40年間、国内でほとんど大きな議論になってこなかったことをみても、この点は明らかだろう。その意味で言えばフランコはいまだにスペインで生き続けているのである。

 しかしどうやら今年6月になって、そのような現代史に大きな転換点が訪れたようだ。『スペイン最後の「78年体制」政府か?』で書いたように、2012年から6年半続いてきたマリアノ・ラホイ国民党政権はあっけなくその幕を閉じ、6月2日にペドロ・サンチェスの社会労働党新政権が正式に誕生した。その翌々日の6月4日、国民党の下院議員フアン・アントニオ・モラレスは、このサンチェス政権の誕生をスペイン内戦直前の人民戦線内閣の成立(1936年)と比較する発言を行った。このモラレスは、ファシスト団体フランシスコ・フランコ財団から「名誉騎士」の称号を授与されているのだが、同日、この財団の会長チチャロ・オルテガ(退役した将軍)は、社会労働党政権を「マルクス主義の性格を持つ」ものであり「スペイン国家のあらゆる足跡を抹消するだろう」と断じて、この政府と対決する行動を起こすように国民に呼びかけたのである。

 このフランシスコ・フランコ財団は私立の団体であるにもかかわらず「国立フランシスコ・フランコ財団(La Fundación Nacional Francisco Franco)」を名乗っており、その名誉会長は、昨年(2017年)まではフランコの孫娘カルメン・フランコ、現在はカルメンの長男でビジャベルデ侯爵・メイラス領主のフランシスコが務めている。2000年から2003年の間に、当時のホセ・マリア・アスナール国民党政権が15万ユーロもの公費を用いてこの財団に物品を寄付していたことが知られているが、アスナールと国民党は私立と国立を区別する感覚を持っていない。というよりも、この財団が「国立である」と固く信じているのかもしれない。

 このファシスト集団の関係者、モラレスとオルテガは、おそらくサンチェスの社会労働党政権が打つ手を予測していたのだろう。6月19日に政府は、「戦没者の谷」からフランコの墓を撤去する計画を「早急にというわけではないが」という注釈つきで発表した。続いて7月11日にサンチェス政権は、全国の市町村からフランコ独裁のシンボルを、たとえその自治体の長の反対があっても、全て撤去するように法制度を改革する意向を告げた。さらに7月18日には、フランコの墓の撤去についてはフランコ家と既に話がついているという政府の発表があった。しかし、その後にフランコの遺骸をどこに移すのかについては触れられなかった。フランコ家はガリシア州フェロル市に墓を持っているのだが、フェロル市は遺骸の引き取りを拒否している。

 「戦没者の谷」からフランコの墓を撤去するというサンチェス政権の発表は、この共同墓地の訪問者を激増させている。この7月には39269人がこの集団墓地を訪れたが、この数字は昨年7月の来訪者25532人に比べて49%も増加している。それも、最初の写真にあるように、熱狂的なフランコ主義者の来訪が目立つ。今後、この地からフランコの遺体を取り出すための作業日程が具体的になってくれば、この数字はさらに増加するものと思われる。また、こちらのビデオのように、フランコの墓の前で結婚式を挙げるカップルもまた増えているようだ。いまのビデオには同時に、墓の撤去計画が発表された後に急増する訪問者と「撤去反対」を叫ぶフランコ支持者たちの姿も映されている。

 ところでこの「戦没者の谷(集団墓地、付属教会、宿泊施設など)」は“国家遺産”とされており、一般の来訪者は9ユーロ(約1170円)を払って敷地に入場する。埋葬されている戦没者(ただし氏名も分からない共和国軍兵士を除く)の遺族や団体、高齢者には割引サービスがあり、幼児や特別の研究者の入場は無料である。もちろん付属の宿泊施設やレストランは別料金で、付属の教会で結婚式を上げるための費用は500ユーロ(約65000円)(食事などの費用は別)とされる。ここの維持費は年間で180万ユーロ(約2億3400万円)を超えるが、収入との差の約40万ユーロは国費で補てんされる。

 そしてこの8月24日、社会労働党政府は正式に、今年の年末までにフランコの遺骸の取り出しと墓の撤去を行うという政令を発表した。この「政令」は“decreto ley”の訳だが、これは議会でその内容を審議する必要の無い法律で、その発効には議会(下院)の承認を必要とする。サンチェス政権は、議会での承認のために嫌でもカタルーニャやバスクの民族政党の賛同を得なければならない。そのためには、独裁政権時代の法律で有罪として処刑された人々の罪状の取り消しを行う必要がある。これはカタルーニャ左翼共和党(ERC)が以前から強く要求してきたものであり、特に1940年に銃殺刑に処せられた「カタルーニャ共和国大統領」リュイス・クンパンチに科せられた汚名を消しさることだ。

 この、過去の罪状取り消しは憲法解釈上の問題があるとして一部の法曹関係者は警戒している。さらに、右派政党や保守派の国民だけではなく、カタルーニャ独立運動を警戒・敵視する多数派の人々からも、おそらく非常に厳しい目で見られることに間違いはないだろう。それでもサンチェス政権が本当にそこまでやる力と自信を持っているのかどうか、ちょっと分からない。ただし、ファシスト政党ファランヘの創設者ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラについては、彼がスペイン内戦初期に共和国軍に逮捕されて処刑されたため、間違いなく「戦没者」の一人であり、遺体を現在の「特等席」にある墓から出して、共同墓地内の一般の兵士たちが眠る場所に移すとされている。


《スペインを引き裂く大激震が始まるのか?》

 フランコの墓を「戦没者の谷」から移転する政策決定をしたスペイン社会労働党政府は、遺体をどこに移すのかという点について、フランコ家に15日以内に返答を求めている。この政令を発表したカルメン・クラボ副首相は、もしフランコ家から移転場所についての提案が無い場合には、政府がどこか適切な場所を探して決定すると語った。ただ8月24日の政府発表の際には、過去の罪状を取り消すという歴史記憶法の改正事項については何の発表も無かった

 もちろんだがフランシスコ・フランコ財団は、名誉会長のフランシスコ・マルティネス‐ボルディウー(フランシスコ・フランコの孫)の話として、この社会労働党政府の決定は背任罪でありうると警告を発した。国民党はこのペドロ・サンチェスの「暴挙」に反対する運動を起こす、そして憲法裁判所に訴え出ると息巻いた。シウダダノスは、「フランコの墓移転」の政令に対して、承認を求める議会では棄権、つまり賛成も反対もしないと語り、またもし政府が「戦没者の谷」を歴史記憶のためのセンターに変えるというのなら社会労働党を手助けするという態度を示している。またバスクの民族主義保守政党PNVは、この共同墓地が政治犯の労働力で建設されたことを理由に墓地と教会の取り壊しを主張した。ただこれはさすがにすぐ引っ込められたが。

 翌8月25日にマルティネス‐ボルディウー・フランコ公爵家は声明を発表し、カトリック教会の僧侶たちが遺体の取り出しと墓の移転を禁じることを確信していること、移転阻止のためにありとあらゆる法的手段を採り尽くすことを発表した。これに対して政府は、即日、カトリック教会が反対しようが墓の移転を行うと断言した。《「戦没者の谷」に葬られる独裁者》でも書いたことだが、フランコは自分の権威をスペイン中にそびやかすために、各地にある戦死者たちの墓を遺族の許可なしに暴いて遺体をこの谷に移したのだ。そのうえで、本人も望まなかったとされるこの集団墓地に墓を作り、そのうえで移転に徹底抗戦するのだから、厚かましいにも程があるだろう。

 いずれにせよ、この墓の移転問題がスペインの社会と国民を真っ二つに引き裂く“超巨大地震”の震源となるのかもしれない。スペイン人たちは、今までほとんど意識しなくて済んできた「スペイン(人)とは何か」という問いに正面から曝され、いやでも自分なりの「答」を見出さざるを得なくなるのだ。フランシスコ・フランコ財団の関係者たちが今年6月の社会労働党政権誕生をスペイン内戦前夜にたとえたのも決して大げさではあるまい。


《欧州全体の変化の中で》

 今年の秋は、この問題に加えてカタルーニャが相当に荒れそうである。《ベルギー、ドイツ、スコットランド:スペイン国家をダウンさせた3連続パンチ》に書いたように、スペインでの逮捕を逃れてベルギーに在住するカルラス・プッチダモン前州知事ら3人が、ベルギーの裁判所に対して、スペイン最高裁が公正で偏りの無い裁判を受ける権利を侵害しているという訴えを起こしており、最高裁判事パブロ・ジャレナの証人喚問が9月4日にベルギーの裁判所で行われる。

 サンチェス社会労働党政権はこの問題に関して、おそらく「司法への政治介入」と見られることを避けたのだろうが、最初のうちはスペイン政府からの弁護人を立てない方針だった。しかし、野党の国民党やシウダダノスに加え判事や検察などの法曹界、そしておそらく党内からも突き上げがあったのだろうが、この8月25日にジャレナの弁護団をベルギーで雇うことを決定した。そして28日にラテンアメリカ諸国に訪問中のサンチェスはその決定に対して、ジャレナ個人あるいはスペインの司法界だけの問題ではなく、「これは国家の問題だ」と述べた

 さらに、ジャレナの喚問が行われる前日の9月3日には、《脅かされる表現の自由》で触れたが、ベルギーに滞在しスペインから欧州逮捕状を出されているラップ歌手バルトニックに対する措置がベルギーの裁判所で言い渡される。もしここで、カタルーニャの「亡命政治家」たちに続いて欧州逮捕状が拒否されるなら、サンチェスには悪いが、スペイン国家の面目は何重にも丸つぶれにされてしまうだろう。そのうえでスペイン最高裁まで「有罪」とされるなら、「国家の問題」も何も、もう欧州の中でスペイン国家の立場が無くなってしまうかもしれない。

 カタルーニャについてはまた記事を改めて書くことにしたいが、今年の「カタルーニャの日」の9月11日と「住民投票弾圧」1周年の10月1日およびその前後には、独立賛成派と反対派の民間人同士による暴力的な衝突が続発する可能性がある。フランコ問題でも政界と司法界での激しい論争の他に、墓撤去の賛成派と反対派、というよりフランコ派と反フランコ派住民の衝突も起こりうる。それに加えて、アフリカ大陸からの「難民」が遠慮容赦なくアンダルシアの海岸セウタ、メリージャになだれ込んでくる。スペインはどうなっちゃうんだ?

 この2018年の秋はスペインにとって、1932年のスペイン革命‐第2次共和制樹立以来の「パニックの季節」になるのではないかと思われる。それが新たな「スペイン内戦」に繋がっていくのだろうか。墓を移すだけでフランコが無事に成仏してくれるとは思えない。スペイン一国内の論争や紛糾だけでは、おそらく荒れ果てるだけで何も変わるまい。外部からの有無を言わさぬ力が加わり、カタルーニャとバスクを含めてスペインの徹底した機構改革に加え、人々の意識の変革が起こらない限り、フランコは生き続けるだろう。

 最後にもう一つ。『欧州の難民政策は劇的に変化するのか?』でも書いたことだが、スペイン首相ペドロ・サンチェスとフランス大統領エマヌエル・マクロンは7月26日に、難民問題を通して従来のEUが文句なしに付き従ってきた米国好戦勢力と政治的・軍事的に決別する方向性を示してみせた。そのマクロンは続く8月27日に、もはやEUの安全保障と主権の確保を米国に頼ってはならず、全ての欧州のパートナー(ロシアを含む)と共に、EUの安全保障について徹底的な見直しを行わねばならないと語った。同日、ドイツのハイコ・マス外相は、ドイツが、大西洋を横断する米国とのパートナーシップを、真剣な、検証的な、そして自己検証的なやり方で、再検討する必要があると述べた。

 もちろん、だからといっていきなりNATOが解体されるようなドラスティックな話にはならないにしても、もう既に欧州全体が“冷戦⇒米国一強時代”に続く“新しい時代”へ向けて、後戻ることのない道を進み始めているのだろう。その中でスペインとカタルーニャがどうなっていくのか…。ひょっとするとスペインの“国家分裂”が欧州再編成の引き金になるのだろうか…。 どう転んでも私自身の生活が決定的に左右される。私は「安全地帯」から眺めているわけではないのだ。


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