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シリーズ:『カタルーニャ独立』を追う

⑩血まみれのカタルーニャ住民投票(1)


 2017年10月1日にカタルーニャでは独立の可否を問う住民投票が、スペイン中央政府の不承認と犯罪指定にもかかわらず、実行された。しかしその住民投票とそこまでの過程で起こったことは、スペインだけではなく欧州全体にわたる巨大な変化の開始を告げているように思える。私は以前から、スペイン崩壊の危機が欧州の大変化を誘引するのではないか、「カタルーニャ問題」がその中で決定的に重要な意味を持っているのではないかと感じてきた(当サイトのこちらの記事を参照)。それがカタルーニャと欧州の住人にとって、さらには私のような外国人居留民にとってどんな意味を持つものか、いまのところ何とも言えない。いずれにせよ、我々は歴史の一つの転換点に立っているのだろう。

 昨日(10月3日)カタルーニャ全土で、10月1日に起きた武装警官による激しい暴力とそれを命じたスペイン政府に抗議するゼネストが決行され、各地で大規模な集会とデモが行われた。警察との新たな衝突こそ起きなかったが、カタルーニャとスペインはいままさに「殴り合い寸前」の雰囲気に立たされている。平常に戻った4日の朝になってもグアルディアシビル(国家警備隊)のヘリコプターがバルセロナの上空を、あたかも市民を威嚇するように低空飛行を繰り返しながら、飛んでいる。

 この10月1日の出来事(および9月20日以降に起こったこと)は、1回の記事でまとめるには内容が多すぎるため、2部に分けることにした。近日中に続編を出したいと思っている。また、今後近いうちにカタルーニャの一方的な「独立宣言」、州政府と州警察幹部、独立派幹部の大量逮捕がなされるのなら、それをきっかけに、はるかに大規模な流血の惨事が起こされる可能性が高いと思われる。日ごとに状況が変化するのだが、できるかぎりその変化を追って記録を続けていきたいと思っている。

2017年10月4日 バルセロナにて 童子丸開

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小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
《一皮むけばフランコ独裁時代》
《警察の暴力を賞賛し負傷者を嘲笑う中央政府》
《スペイン政府は初めから「やる気」だった!》
《住民投票直前に起こったこと》




《一皮むけばフランコ独裁時代》

 2017年10月1日にカタルーニャ中で繰り広げられた惨劇は、スペインが1978年以来うわべを取り繕ってきた西欧型民主主義の薄皮を吹き飛ばし、その下にあるフランコ独裁政権時代の姿そのままに残された社会と国家の構造を鮮やかに浮かび上がらせた。私は当サイトでこの国の真の姿について方々で採り上げてきた(『スペイン現代史の不整合面』、『終焉を迎えるか?「78年体制」』を参照)。そしてその本来的なファシズム国家の姿が全世界の人々の目に曝されることとなった。決して独裁時代の政治が「復活」したのではない。元からそれは「民主主義」の皮の下に隠れて横たわっていただけのことだ。人間でも国でも追い詰められたときに本性を現す。10年前に始まった経済危機とともに「カタルーニャ問題」がこの国を追い詰めてしまったのである。

 小雨の降る10月1日の早朝、私はカタルーニャの独立を問う住民投票の投票場の一つとなっている自宅近くの学校に出かけてみた。そこには2日前から子供たちを含む大勢の住民が泊まり込み、警察当局による投票場の閉鎖を阻止していたのである。カタルーニャ州警察は国の内務省から投票場閉鎖の命令を受けていたのだが、州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロは「騒乱状態が予想される場合には強制的な撤去はしない」と明言し、州警察の警察官は人々が集まっている様子を見回りに来るだけだった。

 しかし、バルセロナとその周辺には全スペインから集められた1万8千人近い国家警察とグアルディアシビル(国家警備隊)が配備され、マドリードの中央政府はすでに、武装警官隊を使って投票場を閉鎖し投票箱と投票用紙を没収して住民投票を阻止することを決めていた。10月1日当日、泊まり込み部隊に加えて数百人の住民が、まだ真っ暗な朝5時から学校の入口付近の道路に集まっていた。人々は自分たちの投票場を武装警官隊による強制的閉鎖から守るために身を張る覚悟を決めていたのだ。

 投票が開始される予定は午前9時だったが、8時前に投票箱と投票用紙が運び込まれた。警察に見つからないように用心深く乗用車の中に隠して運んできたのだ。9時近くになっても、集まった住民に占拠された道路に自動車が入れないように整理する市警察の女性警官以外には、警官の姿は見えなかった。しかし国家警察とグアルディアシビルの武装警官隊がいつ襲ってくるか分からない。9時近くになって、少し離れたところの道路を10数台の国家警察の車両が走っていくのが見え、人々に緊張感が走ったが、それらはそのまま通り過ぎていった。たぶん他の投票場を襲撃する予定なのだろう。しかしここも次に来る部隊の標的になっているかもしれない。緊張が続く。

 投票場が開かれる時間になってもなかなか投票が始まらない。実は、前日に中央政府の命令で州政府のコンピューター通信網が強制的に停止させられ、有権者の名簿が手に入らない状態になっているのである。しかしどうにかして他の通信回線とデータベースを使えるようにしたらしく、9時30分くらいに何とか投票が可能になった。まず車いすや杖をついてやってきた高齢者たちに優先的に入ってもらう。高齢者たちが投票場に入るたび、そして出るたびに、人々から大きな拍手が起こる。その後に整然と投票が続けられた。投票を済ませた人々は、高齢者と幼い子供を除いてほとんどがその場に残った。いつ襲ってくるかもしれない国家警察やグアルディアシビルから投票箱を守るためだ。もし武装警官隊が襲ってくれば、私もまた暴力的な引き剝がしの対象になるだろう。

 緊張が続いたが、11時近くになっても武装警官隊は姿を現さなかった。そこで私はもう一つの投票場に行ってみることにした。カタルーニャで最大の投票場となった工業学校である。ここでの投票者数はおそらく5万人を下らないだろう。十数個の投票箱を置いた机が用意されており、これらを没収されるわけにはいかない。おそらく五千人を超えると思われる人々が武装警官隊の襲撃に備えて周辺を固めていたが、ここもまた特別な困難の起こることなく夜8時の投票終了をむかえることができた。しかしカタルーニャ全体で約50か所、バルセロナとその周辺だけで30か所以上の投票場に国家警察とグアルディアシビルの武装部隊による激しい襲撃が起こっていたのである。(夜間に無人だった個所を含めると92か所が強制的に閉鎖されたそうである。)

 もう、言葉が出ない。投票場に集まった人々はテロリストでもなければ何かの運動の活動家ですらない。大多数が老人、子供を含む大勢の一般の市民である。人々は投票箱と投票用紙を守るためにスクラムを組み、2~3の例外を除いて暴力もふるっていない。次の写真を見てもらいたい。写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12写真13写真14は投票者を投票場から排除しようとする武装警官隊である。次に、写真15写真16写真17写真18写真19写真20写真21写真22写真23写真24(この女性は掴まれて指を一本一本折られたうえに胸を触られた)、写真25(この男性はゴム弾で目を負傷して入院中)を見れば分かる通り、武装警官隊は老人も女性も子供も、見境なく殴り蹴り引きずり押し倒し、大勢を傷つけた。

 さらに、 カタルーニャ州ではゴム弾の使用が禁止されているにもかかわらず、国家警察は無防備な人々に至近距離からゴム弾を発射し多くの重軽傷者を作った(写真24写真25写真26)。またこちらこちらの写真は投票場に押し入って投票箱を押収する国家警察の武装部隊である。こちらの写真は市民を守って武装警官隊とにらみ合うカタルーニャ州消防隊員たち。2日の州政府の発表によれば、この武装警官隊の暴力によって893人が重軽傷を負った。

 次にビデオだが、これは既にYouTubeにアップされているものから選んだ。たとえばビデオ1(5分11秒)、ビデオ2(8分26秒)、ビデオ3(13分24秒)、ビデオ4(10分57秒)、ビデオ5(16分01秒)・・・。もう十分だろう。カタルーニャ中でここで見るような武装警官の蛮行が繰り広げられたのである。もちろんだが、無事に投票日を過ごすことができた投票場も多い。なお、ビデオ5は途中からCNNニュースの映像になり、英語でのアナウンスがあるので分かりやすいだろう。カタルーニャ州政府が昼過ぎに行った発表によると、この朝に警官隊による攻撃を受けなかった投票場にある投票机の数は、予定していた数の73%に当たる4561だった。これが正しければ、約4分の1以上の投票場が強制的に閉鎖させられたことになる。

 スペイン外相アルフォンソ・ダスティスは、バルセロナの現場に立った英国スカイニュースのレポーターが“このようなことは21世紀のEUでは受け入れられない”と詰め寄った際に、武装警察部隊の行動を“相応なことであり、暴力は全く無かった”、“君は人々が平和に投票の権利を行使していると思っているだろうが、問題は、いわゆる住民投票が憲法裁判所で違法と定めたものだということなのだ”と述べた。「憲法裁判所が違法と定めたことをやっている犯罪」だから武装警官隊の行動は「暴力には当たらない」ということにでもなるのだろう。

 いまのスカイニュースのリポーターは、20世紀後半に消えて無くなったと思われていたフランコ独裁主義が、21世紀になっても生きていることを目の当たりに見せつけられたのだろう。今後、彼の言うような「(スペインは)21世紀のEUでは受け入れられない」という世論が、この10月1日の出来事をきっかけに欧州の各国で盛り上げられていくかどうか、この点が注目のポイントになりそうだ。カタルーニャ以外のスペイン国内でも、50年か60年前にいきなり引き戻されたような気持ちを抱いている人が意外に多いのではないか。
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《警察の暴力を賞賛し負傷者を嘲笑う中央政府》

 票の集計は困難を極めた。州政府の住民投票用のデータとともに集計用の通信網が破壊され、警官隊による襲撃・強制閉鎖を受けなかった場所でも、計算や連絡に非常に手間取っていたからである。翌朝の未明にようやく出た集計結果によれば、カタルーニャ州全体で2,262,424票であり、その約90%の2,020,144票が「独立賛成」だった。州政府によれば約77万票が国家警察とグアルディアシビルの襲撃のために失われたそうである。また州政府は全有権者数を5,343,358人と発表していたので、これらの数字が正しいのなら、投票率は42.34%となるはずだ。

 ただし、これらの数字はどこまで信用して良いものか分からない。中央政府の妨害のために正式な選挙管理委員会を置くことができず国家統計局のデータを基にした正確な有権者名簿を作ることができなかった。さらにインターネットによる通信網を妨害されたために集計や確認などの作業がどこまで正確にできたのかわからない。実際に、発表された「賛成、反対、白票」の数字を足すと全人数を超えてしまう。おまけに、警察力によって投票を妨害された地域の人々のために、身分証明書を持っていけばどこででも投票できるようという措置をとったのだが、この措置を利用して複数の投票場で投票した人たちの存在が確認されている。どこまで「誤差」とできる範囲を広げるかにもよるだろうが、これらの数字は「仮のもの」と考えた方が良いだろう。

 中央政府の首相マリアノ・ラホイは1日夜の会見で、“住民投票を止めさせるために厳正な措置を取った”ことを語り、武装警官隊の暴力について“唯一の責任者は法を犯した者たちにある”と、違憲判決を受けながら投票を強行した州政府および独立主義者を非難した。同時に彼は国家警察とグアルディアシビルを“法の執行と自らの任務を果たした”と賞賛した。さらに、“住民投票は存在しなかった”と断定したのだが、これはなぜかスペイン国内の大新聞が見出しにしなかった言葉である。確かに、正式な選挙管理委員会も正式な有権者名簿も無く(作らせず)、投票箱は透明な正式のものではなく(規定通りのものは没収した)、数字や投票者の確認ができず(インターネット回線を遮断した)、おまけに多数の投票場で投票できない(警察の暴力で不可能にした)状態が起こったわけだから、「(正式な意味での)住民投票は存在しなかった」ことになるだろう。しかしいずれにせよ、200万を超えるくらいの規模の投票が実際に行われたのである。

 翌日のマドリード系の主要新聞にある一面大見出しは次のようなものである。El País「政府は不法な住民投票を実力で阻止」、El Mundo「プッチダモンは2,3日内に独立宣言をするだろう」、La Razón「クーデターに断固たる対応」、Abc「スペインを傷つける住民投票は失敗」等々。警官隊の暴力に対する言及はただの一語も無い。なおLa Razón紙が言う「クーデター」という言葉は、カタルーニャの独立住民投票に対して、政府与党の国民党やしれを支持するシウダダノス、そして保守派の論客から社会労働党の一部の幹部に至るまで、常に使用する用語だ。普通に使う「クーデター」の意味とはずいぶん食い違っているように思えるのだが・・・。

 要するに、マドリッド政府に逆らう者は叩き潰すのが当然だ、という論調である。大勢の無実の市民が負傷したことについて、政府与党国民党の広報担当者フェルナンド・マルティネス・マイジョは次のように語った。“800人も負傷者が出たというのはすべて全面的にでっち上げであり嘘である、怪我をしたと言っている者たちは次の日に街を歩いている、入院しているのは4人だけだ”と。先ほどの写真とビデオを確かめてほしい。国民党に言わせると、傷を縫い、内出血の場所に湿布をし、包帯をして街を歩いていると「負傷者ではない」ということらしい。逆にスペイン内務省は、国家警察とグアルディアシビルの隊員に431人の負傷者が出たと主張している。はて・・・、あれだけ武装していてそんな怪我をするほどスペインの武装警官は弱いのだろうか??
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《スペイン政府は初めから「やる気」だった!》

 もちろんだが、スペイン政府は初めから流血事件を起こしてでも住民投票を潰す予定だったと言える。マドリードの連中にとって、「投票するぞ!」で凝り固まっている人々を投票箱から引き離すためなら手段を選ばない、ということだろう。国家警察とグアルディアシビルはすでに10日ほど前にはスペイン全国から集まり始めていた。カタルーニャには通常で7500人ほどの国家警察とグアルディアシビルが常駐しているのだが、これに加えて、国家警察の5300人、グアルディアシビルの5000人を全国各地から召集してカタルーニャに配備することになった。したがってこれら中央政府の法強制執行官たちが17800人も集結することになる。これに、地元の州警察と地方警察の約17000人が加われば、日本の関東地方と同じくらいの面積で東京よりもずっと少ない750万人が住むカタルーニャに、35000人もの警察力が注がれることになる。

 国家警察はカタルーニャ各地で宿泊施設を確保できず、やむなく大型フェリー2隻を借り切ってバルセロナ港とタラゴナ港に停泊させ、それを「宿舎」として使うことにした。ところが、バルセロナ港に停泊する客船には側絃にデカデカと子供用の漫画(写真写真)が描かれていた。これはアメリカの漫画シリーズ、バックスバニーの中で登場する黄色いカナリアのトゥイーティー(スペインではPiolin:ピヨリン)や猫のシルベスターなどのキャラクターである。これがまた、カタルーニャの中でさんざんに馬鹿にされたことは言うまでもない。

 9月25日、住民投票の1週間前に、国家警察の最後の部隊がカタルーニャに向かったのだが、国家警察部隊を送りだす各地の人々の様子がTVに映されたときに、私は思わず背筋が寒くなった。こちらの写真にある通りだが、これはアンダルシア州カディスの様子である。他の地方も全く同じで、こちらはガリシア州コルーニャの様子である。国家警察部隊を送り出す地元の人々が、まるで戦場に向かう出征兵士を送り出すように、スペイン国旗を振り「万歳」を叫び「奴ら(敵)に立ち向かえ」と激を飛ばしていたのだ。そしてそれが、スペイン各地に住む人々の、カタルーニャに対する感情を正直に現しているだろう。

 それが、フランコ独裁政権時代に「スペイン人は(バスク人を例外として)単一民族」であると植えつけられた支配民族カスティーリャ人のナショナリズムなのだ。何十年たとうが変わることはない。スペイン人はフランコ時代に「カタルーニャ語はスペイン語の一方言である」と信じ込まされた。「カタルーニャ民族」など地上に存在しないと徹底的に刷り込まれたのだ。それが完全に否定されても、人々の感情の中ではいつまでもそうなのである。私は以前TVでアンダルシア出身の有名サッカー選手が「カタルーニャ語なんて方言じゃないか!」と吐き捨てていたのを思い出す。理屈などいらない。無前提にそうなのだ。人々はその理屈抜きのナショナリズムをベースにして行動する。現在では完全に別民族として認識されているカタルーニャ人とガリシア人は、バスク人も含めて「スペイン人」という強力な統一体の一部に過ぎず、カスティーリャに逆らうものはスペイン国内に存在してはならないのだ。

 ヒトラーやムッソリーニとは異なり、フランコは何かの社会的なイデオロギーを持つことがなかった。先輩の独裁者プリモ・デ・リベラにしてもそうだが、「統一された強いスペイン」という国家観がその独裁体制のベースになっていた。強力に統一されたスペインで全てがマドリードを向くべきであり、必然的に、そのスペインの統一性を崩そうとする者は敵だ!クーデターだ!やっつけろ!ということになる。カタルーニャ独立問題についても、当サイトこちらの記事で述べたような冷静な判断や計算などどこにもない。ただしこの点はカタルーニャ人も同様だが。

 国民党やシウダダノスといった保守政党も、そして社会労働党の半分以上も、フランコ時代のナショナリズムをそのまま引き継いでいる。彼らが絶対的な根拠とする法律など、そのナショナリズムに色と形を与えるものでしかない。1970年代後半に、社会の構造と実態を何一つ変えることなく、「法から法へ」の「移行」を経て「民主主義国家」になった(とされる)スペイン国家(当サイトこちらの記事参照)で、法を振りかざすことはその隠されたナショナリズムを振りかざすことに他ならない。法による縛り付けを厳しくすれば、覆い隠されていたファシズム性が必然的に色濃く表面に現れてくる。当たり前のことだ。(当サイトこちらの記事、またこちらの記事を参照)
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《住民投票直前に起こったこと》

 当サイトこちらの記事で述べたとおり、9月20日にマドリード中央政府は「パンドラの箱」を開けてしまった。そしてそれ以降、中央政府は10月1日の住民投票を不発に終わらせるべく次々と手を打っていった。スペイン内務省は州警察に住民投票を実力阻止する気が無いことを見てとり、9月22日に国家警察とグアルディアシビルの増派を決定した。バルセロナの最高裁判所支部は州警察署長のトラペロに住民投票阻止を厳命したが、それは命令に従わなかった際には厳重な法的処置があることを認識させるためである。そのうえでスペイン内務省は、国家警察とグアルディアシビルに加えカタルーニャ内務委員会と州警察の責任者を9月25日にカタルーニャ高等検察庁に集めて、治安行動の指揮の一元化を図ろうとした。しかし州警察はこれに反発し、この会合に州警察は署長のトラペロではなくナンバー3を出席させることで、内務省を無視する姿勢を明らかにした。同じ25日、中央検察庁の検事総長がカタルーニャ州知事カルラス・プッチダモンの逮捕の可能性を示唆した。

 ウイキリークスのジュリアン・アサンジ氏はスペイン政府を「世界最初のインターネット戦争を仕掛けた」と非難しているが、間違いなくこの住民投票に対する攻撃はそういった面を持っている。26日にグアルディアシビルは最高裁支部の命令で、独立運動の中心になっているカタルーニャ民族会議(ANC)のインターネット回線を止めたほか、住民投票関連の州政府のサイトを閉鎖し、そのコピーして広めていた140ものウェッブサイトも強制的に閉ざした。さらに投票前日の30日に、最高裁支部は州政府に対して投票集計用の情報手段を用いないように命令し、そしてグーグルは裁判所の求めに応じて投票場の情報や集計の連絡などに使用するappとそれに付随するサービスをブロックした。そのうえでグアルディアシビルが州政府の情報通信技術センターに押し入って、電子投票を可能にする通信システムを止めたのである。

 一方、最高裁支部は9月26日に州警察を含む警察力に対して公的な建物を封鎖して住民投票を阻止するように命令した。これに対して州警察は、騒乱状態が予想される場合には投票場の閉鎖は不可能だとして、命令に従わない可能性を述べた。しかしバルセロナ市警察は裁判所と検察庁の命令に従って28日に市内のバルセロナ市が所有する工場で大量の透明プラスチック製の投票箱を発見して押収したと発表。さらにグアルディアシビルがバルセロナ近郊都市のイグアラダで100個の投票箱と250万枚の投票用紙を押収した。これで、公的な選挙の規定を満たす投票箱の大部分が押収されたと思われる。投票用紙にしてもすでに1000万枚が押収されており、追加印刷しても10月1日に間に合うのかどうか疑問視された。だが投票当日の様子を見ると、どうやら印刷は様々な個所で大規模に行われていたようだ。

 28日に「カタルーニャ治安委員会」の会議が行われたのだが、これは元々カタルーニャ州政府と州警察の会議だったものに、中央政府が「俺たちも参加させろ」と割りこんできたものだ。州政府は州知事のプッチダモンとトラペロ州警察署長の他にジュアキム・フォルン州内務委員長、セサル・プッチ州内務部書記、そして中央政府から来たのは内務大臣ではなく内務省ナンバー2のホセ・アントニオ・ニエトだったのだ。この会議の後で州警察署長のトラペロは今までの態度をもっと進めて“州警察は住民投票を阻止することよりも市民の安全を図り市民との共存を優先する”と語った。そして政府内務省を代表するニエトが極めて重大な発言をした。“警察は住民投票を阻止するが、「パーティーを楽しむ」ことや「ピクニック」を禁止しない”と。TVニュースで見ると「パーティー」「ピクニック」を繰り返してやけに強調していたように思えた。

 そしてこの中央政府内務省のニエトの一言が、奇妙なことに、独立派住民にとって極めて重大な「ヒント」となったようだ。裁判所は州警察に9月29日(金曜日)の夜から10月1日(日曜日)まで投票場に予定されている場所を閉鎖するように命令していたのだが、その29日の夕方から投票場に予定されている学校や市民センターに近所の独立派住民が集まって「パーティーを楽しむ」ことが計画されたのである。そのうえで、州内務委員会は州警察に「投票場を監視する」ように指示を出し、州警察署長トラペロは警官に「投票箱を押収して投票場を閉めよ、ただし暴力を使わないように」と命じた。トラペロの命令は事実上実行不可能だ。

 29日夕方に多くの学校や市民センターを「占拠」した市民たちは、そのまま10月1日の朝まで「2泊3日」でその場に居座り、食べ物や飲み物を持ち寄り、音楽や劇などを企画して、老人も子供も交えて「パーティーを楽しむ」ことになった。「パーティー」を取り締まることはできない。「中央政府のお墨付き」である。同じく29日に州政府は住民投票の投票箱を披露した。それはこちらの写真に見る驚くべきものだった。正式な選挙で使う透明な箱ではなく、中国製の不透明なプラスチックの衣装箱であり、その蓋の部分を改造して投票用紙を入れることができるようにしたものだ。実はこれは、州政府が秘密裏に中国の会社に注文して輸入し、何と!国家警察が宿泊しているバルセロナ港に停泊するフェリーの目の前にある倉庫に保管していたものだった。そういったことを踏まえて29日に州政府は、警察が投票場を閉めようとするかもしれないが投票はできると保証したのである。

 しかし中央政府の執拗な攻撃は続いた。まず、国家機関のデータ保護局が“州政府の使おうとしている有権者名簿は国家統計局の個人情報データを不正に使用したものであり、住民投票をそのまま実行するなら、投票机一つにつき60万ユーロ(約8千万円)の罰金を求める”、と言いだした。次に中央政府は、10月1日と2日にバルセロナの上空を「飛行禁止」にすると発表した。これは要するにマスコミ報道用のヘリコプターや軽飛行機をバルセロナ市上空から締め出す措置で、マスコミに監視されると警察が困るということだが、10月1日には実際にそうなった。国家警察とグアルディアシビルがどの投票場を襲撃するのか、警察以外に知ってもらうと困るわけである。

 そして先ほども書いたとおり、投票前日の30日には州政府の住民投票用のインターネット回線がほぼ全面的にブロックされ、電子投票も不可能にされてしまった。中央政府としては、おそらくこれで住民投票の息の根を止めたと思っただろう。しかし実際には、カタルーニャ中でそれらの措置の裏をかいくぐった別の通信手段が使用されたようである。どうやら、世界中の様々なハッカーがこの住民投票実施に協力していたのではないかと思われるふしがある。スペイン第一の日刊紙エル・パイスは「ロシアのハッカー」を非難したが、カタルーニャ独立への協力は欧州の各国で行われているのだ。

 それにしても奇妙なことである。州政府は正式な選挙管理委員会を作ることができず、最新の住民台帳を基にした有権者名簿を作ることもできなかった。そして投票箱は正式な選挙用と定められたものではなかった。しかもあらゆるインターネットによる通信手段を妨害された。これでもう十分に「住民投票阻止」ができたはずである。どう見ても「正式な投票」にはなりえなかったのだ。にもかかわらず中央政府は、スペイン全土からカタルーニャに派遣した警察力という大規模な「侵略部隊」を、どうして、しかもわずか4分の1ほどの投票場で、無抵抗な住民に対してあれほど激しく使う必要があったのか?

 政府内務省は国家警察とグアルディアシビルを少なくとも来週水曜日(10月11日)まで駐留させる気のようである。必要とあればそれをさらに延長するだろう。考えられることは次のようなものだ。数日内に州政府が「独立宣言」を行った場合に、即刻、州政府幹部や州警察幹部を逮捕する可能性が高い。特に最も厳しい標的とされるのは州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロだろう。その際にそれを阻止しようとする、あるいはそれに抗議する住民たちを排除する必要が起こるだろう。もちろんそうなったら武装警官と民衆の大規模な衝突が予想され、10月1日の比ではない惨劇がバルセロナとカタルーニャ中で繰り広げられることになるだろう。ひょっとすると10月1日の蛮行は単にその「予行演習」に過ぎなかったのだろうか?
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【『血まみれのカタルーニャ住民投票(1)』はここまで。『血まみれのカタルーニャ住民投票(2)』を近日発表の予定】
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