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最後に笑うやつは誰だ?

バルセロナの「テロ政治」(その1)


 8月17日から18日未明にかけて起きたバルセロナとカンブリルスでのテロ攻撃(当サイト『バルセロナ・テロ:湧き上がる疑問の数々』)は、様々な方向を向いた思いがけない顔を見せ始めている。このテロが本当に何だったのかの結論に達するには早すぎるのだが、少なくとも、単純に「イスラム聖戦主義者がヨーロッパを攻撃しています」というようなものではありえない。いまは、今回の事件が持つ多くの顔をここで丹念に記録しておくことにしよう。

 内容的に相当に重いものになりそうで、これは2回に分けて書いて公開することにしたい。


2017年8月28日 バルセロナにて 童子丸開

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小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
《「政府・王室吊るし上げデモ」と化した反テロ大デモ》
《躍り出たヒーロー:モッスス・ダスクアルダ(カタルーニャ州警察)》



2017年8月26日、バルセロナ市のグラシア大通り。17日に起こったテロ攻撃に怒る、参加者50万人の「反テロ大デモ」の様子(エル・パイス紙より)


《「政府・王室吊るし上げデモ」と化した反テロ大デモ》



バルセロナ反テロ大デモにて、中央:国王フェリーペ6世、左男:首相マリアノ・ラホイ、右男:カタルーニャ州知事カルラス・プッチダモン(El País紙より)


デモの最先頭:「私は恐れない」の横断幕を掲げるのはテロ当日にランブラス通りで被害者の救助に力を尽くした人々
(CNN Español紙より)

 上の2枚の写真で、「主人公」と言えるものは何だろうか? まず目に入るものは、前に立ち並ぶ面々よりも、後ろで大量にひらめく黄色地に赤の縞が入りブルーの三角形に白い星が付いた旗の群れではないだろうか? これらはアスタラダと呼ばれるカタルーニャ独立を願う旗なのだ。これらの写真は2017年8月26日に、カタルーニャ州政府とバルセロナ市が主催してバルセロナ中心部で行われた反テロ大デモ「No tinc por!(ノ・ティン・ポー:私は恐れない)」の先頭部分を記録したものである。このデモには50万人(バルセロナ市警察の発表)が参加したが、スペイン政府はこのデモに国王と首相、ほとんどの政府閣僚、全ての自治州知事と政党党首を参加させ、スペインの統一性を強調するつもりだったと思われる。しかし残念ながら、それはカタルーニャ独立派を一層際立たせる結果に終わったようだ。

 さて、このデモの様子をもう少し詳細に見ていくことにしよう。そこには数多くの「メッセージ」がある。下の2枚の写真(エル・ペリオディコ紙)ではブルーの紙や布が最も目立つと思う。カタルーニャ語で「La millor resposta : la Pau(最良の返答は平和)」、「No a la islamofòbia(イスラム嫌悪に反対)」などが書かれていたものが多かったように思うが、他にも多くの言葉が書かれていた。

 上の写真で最も目立つものはブルーの大きな布に書かれたメッセージだろう。左の写真の横断幕には、右端にブッシュ、ブレアー、アスナールという2003年イラク戦争を開始した3人の国家元首の写真が印刷されている。左端にはスペイン国王フェリーペ6世とサウジアラビア国王サルマン、おそらくスペインの最大手建設企業OHL会長のフアン・ビジャル=ミルと思われる人物が描かれる。そしてその間に、「Les vosotres politiques, les nosotres morts.(お前たちの政治は我々の死だ)」と書かれている。上の右側の写真には、巨大な布に「Felipe VI i govern espanyol, Còmplices del comerç d'armes(フェリーペ6世とスペイン政府、武器取引の共謀者たち)」と書かれている。これらの人物や言葉の持つ意味は、以下を読み進めていけばおのずと明らかになるだろう。

 このような大きなものでなくても、デモに参加したバルセロナ市民とカタルーニャ州民の大半が様々なスローガンの書かれたプラカードを手にしてデモに参加した。その一部をご紹介しよう。手書きのプラカードも多かったが、様々な色の地に印刷されたものは10万枚をはるかに超えていたのではないかと思われる。

  左の写真(El Diario紙より)にはムスリム達の声を代弁する言葉が書かれる。左手側にスペイン語で「我が名でも、イスラムの名でもなく」、右手側に「戦争をやめろ、排除をやめろ、暴力をやめろ、テロをやめろ!」、そして中央の赤文字はカタルーニャ語で「彼らの戦争は我々の死だ」。右の写真(撮影筆者)にはスペイン語で「聖戦でもなく、十字軍でもなく」。「聖戦」はもちろんイスラム原理主義者によるテロ攻撃、「十字軍」は9・11事件をで始まった21世紀の「対テロ戦争」を意味する。

 上の3枚の写真(撮影筆者)で、左の写真にはスペイン語で「マリアノ(ラホイ)よ。我々は平和を望む。武器を売ることではない」。中央の写真ではカタルーニャ語で、黄色のプラカード「フェリーペよ、(人々は)平和を望む。武器の取引ではない」、緑色のプラカード「武器を売らない国を思い浮かべよう」。そして左の写真には、青い地のプラカードにはカタルーニャ語で「マリアノ(ラホイ)よ。我々は平和を望む。武器を売ることではない」。赤い地のプラカードには英語で「我々は平和を望む。武器を売ることではない」と書かれている。
 
 ところで、これらのプラカードに繰り返し書かれる「武器を売る」「武器の取り引き」とは何のことか?

 スペインはサウジアラビアに武器を輸出する国々の中で、米国と英国に続く3番目に位置しており、ラホイ政権が続く2013~2016年に13億6100万ユーロ(約1770億円)の売り上げを作っているが、これは2009~2012年の29倍にも膨れ上がっている。この期間にISIS(別称イスラム国、IS、Daesh、etc.)がシリアとイラクを席巻し難民の群れを作り始めていた事実に注目する必要があるだろう。また同時にサウジアラビアはイエメンを攻撃して何万もの人々を殺しているが、それにスペイン製の兵器が使われていることはよく知られている。また、サウジアラビアがISISやアルカイダに大量の資金を与えて支えていることはもはや国際常識である。(カタールも同様だが、先日どうやらISISへの支援をやめたようだ。)

2014年に国防大臣(当時)パブロ・モレネスとともにサウジアラビア王家を訪問したフェリーペ6世

 その間、フェリーペ国王は何度もサウジアラビアに足を運んで、武器の輸出だけではなく、ACS(欧州最大級の建設会社、会長はレアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレス)やIndra(情報テクノロジーの大手、重役のマヌエル・ブルファウの兄弟はスペイン最大の石油企業Repsolの会長)、そしてOHL(大富豪のビジャル=ミル家の所有)など、スペインの最大手企業の商談取りまとめにも一役買っている。そのサウジアラビアがイスラム原理主義の温床であり、豊潤な資金と西側諸国から買い付ける武器でアルカイダやISISを援助していることはすでに多くの人が知る事実である。

 つまり、間接的にだが、スペイン政府と王室は聖戦主義テロリズムの拡大に手を貸してきたことになるのだ。ここでもう一度、先ほど来の写真に写っている横断幕やプラカードの内容を考えれば、それらが何を意味しているのかすぐに理解できよう。また先ほどの横断幕に描かれたブッシュ、ブレアー、アスナールというBBA三馬鹿大将は「21世紀の十字軍」を率い、それが「聖戦」を、つまり「イスラムテロ」を世界中にばら撒いたのである。そしてその聖戦主義テロに資金や武器を供給してきた重要な一つにサウジアラビアがある。それらのプラカードは明らかに、『聖戦主義テロを世界にもたらし、バルセロナまで犠牲にしたのはお前たちだ』というメッセージなのだ。

 それはポデモスのパブロ・イグレシアスが以前から強く指摘してきたことであり、またカタルーニャでは強硬な独立派CUPがマドリッド政府と王室を非難する際に取り上げてきた。CUPは、もし国王が参加するのなら自分たちは26日のデモに加わらないと言ってきた。しかしその後に考えを変え、国王から遠く離れた一般の人々のそばでなら参加すると8月23日に表明した。同じ日にイグレシアスは、聖戦主義テロと闘うのならサウジアラビア、カタールそしてアメリカがそれを支えてきたことを念頭に置かねばならないと表明した。そしてCUPやERC(左翼共和党)とその支持者たちが26日までの2~3日の間に準備したものが、これらの大量のプラカードとアスタラダだった。

 「テロへの反対」と「マドリード政府・王室への反対」が結びつく必然性があったわけである。この日のデモで国王と首相はその横断幕とプラカードを背後に負わねばならなかったのだ。中央政府と王宮のあるマドリードに対して、バルセロナがこれほど強烈なパンチを放ったことはいままでになかっただろう。

 このデモは、単にカタルーニャの分離独立の意思をより強固にしたばかりではない。聖戦主義テロリストを裏で誰が支えているのかという、主要なマスコミが好んで取り上げることのない、へたに口にすると「陰謀論」扱いにすらされかねなかった事実が、8月26日のデモを通して、小学校の子供から街のおっちゃん・おばちゃんまで、誰でも普通に知っている常識となったのである。これはある意味、単なる「独立」ということ以上の大きな意味を持っているのかもしれない。

 こんな中に国王や首相、政府閣僚などがのこのことマドリードからやってきたわけだから、圧倒的な罵声と口笛、「帰れ!帰れ!」の大合唱の対象となったことは言うまでもない。50万人の反テロ大デモは、あっという間に「政府・国王吊るし上げデモ」に変わってしまったのである。ただ、このこと自体は「テロの結果の政治利用」と言える範囲のものだ。実際に8月17日にバルセロナとカンブリルスで起こったことは、どうやらそこまで単純な話ではなかったようである。
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《躍り出たヒーロー:モッスス・ダスクアルダ(カタルーニャ州警察)》

 8月17日にこの事件が起こってから21日に最後の容疑者ヨウネス・アボウヤアコウブがスビラッツで射殺されるまで、事件捜査と犯人の逮捕(射殺)のほとんど全てを行ったのは、カタルーニャ州警察、正式名称モッスス・ダスクアルダ(Mossos d'Esquadra)である。前回の『バルセロナ・テロ:湧き上がる疑問の数々』で「警察」と書いたのは全てこの機関、「警官」はモッス(男:mosso)またはモッサ(女:mossa)を指す。

 事件の詳細、被害の状況、捜査の進展と犯人の特定などの情報は、ほとんどがカタルーニャ州政府の内務委員会を通して出された。スペイン国家の内務省は完全に脇に追いやられ、TVでもプッチダモン州知事と一緒に必ず州内務委員長のジュアキム・フォルンと州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロの二人が登場し、捜査の内容と進展を説明した(写真)。そして事件発生後に犯人を射殺または逮捕し、様々な「隠れ家」を暴いて紹介し、事件の概要と筋書きを公表したのはすべて州警察だった。こうしてモッスス・ダスクアルダは一躍「カタルーニャのヒーロー」「救世主」として躍り出たのである。

 この8月17日の事件に関しては、あたかも州警察だけがこのテロの捜査と解決に当たったかのような印象を与えるべく、州内務委員会による演出が行われていた。中央政府の内務省に属する国家警察とグアルディアシビル(国内治安隊)、CITCO(対テロ・組織犯罪中央情報局)の存在は露骨に無視された。中央政府とカタルーニャ州政府は18日に事件捜査に関して立場の違いは無いとしたが、しかしこの州警察だけにスポットライトを与えるやり方は、カタルーニャ州政府の強い政治的判断による意図的なものと思われる。

 当然だが、州警察はいままで、国家警察やグアルディアシビルとテロに関する情報交換とお互いの協力を保ってきた。しかし今回の事件で州内務委員会と州警察は国家機関が立ち入る隙を与えなかった。たとえば8月16日と17日に爆発を起こしたアルカナーの空き家の捜査で、グアルディアシビルの爆発物処理班が現場に近付けないようにされた。また「テロリストたちの居住地」とされたリポイュでも国家警察は捜査に加わることを拒否された。この州警察が捜査を独占しようとする露骨なやり方に、国家警察とグアルディアシビル隊員の組合が州内務委員会と州警察に対して抗議を行った。さらにはバルセロナ市の市警察さえもが、17日にランブラス通りでの暴走テロの犯人を逃亡させないための道路封鎖の際に州警察が十分な情報を与えなかったことに抗議したのだ。 そして逆にCITCOが州警察への情報提供をボイコットする事態にまで進展してしまった。

 筆者自身も17日の事件が起こって以来、TV番組で事件捜査の進展を見続けていたが、少なくとも21日に最後の「実行犯」が州警察によって射殺されるまでは、捜査の現場や経過の発表で国家警察やグアルディアシビルの担当者の姿を1度も見ることが無かった。常にプッチダモン、フォルン、トラペロの3人による記者会見が映し出されていた。この様子に首をかしげていたのはどうやら私だけではなかったらしく、友人と話していても「モッススだけが表に出ていたのは奇妙だよね」「あれは露骨だったよな」という意見ばかりだ。誰が見ても、事件捜査に名を借りた「政治アピール」だったように思える。

 8月26日に全国紙エル・ムンドは『カタルーニャ州警察、それは独立主義の先兵だ』と題する記事を掲げ、単に今回の事件捜査についてだけではなく、詳しくは次回以降の記事で説明したいが、マドリードの国家組織からの離脱の準備を開始したとも思える在り方について指摘している。実は州政府は今年の7月に内務委員会と州警察の上層部を一新し、カタルーニャを治安面でも自立させる動きを開始していたのである。エル・ムンドはマドリードの中道右派系の新聞で独立運動には常に厳しい目を向けるのだが、この指摘に関しては当たっているように思える。
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次回『バルセロナの「テロ政治」(その2)』は、以下の見出しの内容で、近日中に書いてみたい。

《「テロ実行犯」たちの奇妙な動きと深まる疑惑》
《カタルーニャ州政府はテロを予測していたのか?》
《見え隠れするアメリカとEUの姿》

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