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最後に笑うやつは誰だ?

バルセロナの「テロ政治」(その2)


 8月17日から18日未明にかけて起こったバルセロナとカンブリルスでのテロ攻撃(当サイト『バルセロナ・テロ:湧き上がる疑問の数々』)が持つ思いがけない面について、先日『バルセロナの「テロ政治」(その1)』をアップしたが、今回はその続編である。このテロが本当に何だったのかの結論に達するには早すぎるのだが、少なくとも、単純に「イスラム聖戦主義者がヨーロッパを攻撃しています」というようなものではありえない。いまは、今回の事件が持つ多くの顔をここで丹念に記録しておきたい。しかし、話が複雑で長くならざるをえず、この(その2)では収まりそうにないので、(その3)に続けるようにしたい。

2017年9月3日  バルセロナにて 童子丸開

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小見出し一覧(クリックすればその項目に飛びます)
《「テロ実行犯」たち》
《「爆弾製造工場」の空き家の謎》
《不可解な点の多い「犯人像」》

(前回第1回の記事の小見出し)
《「政府・王室吊るし上げデモ」と化した反テロ大デモ》
《躍り出たヒーロー:モッスス・ダスクアルダ(カタルーニャ州警察)》



《「テロ実行犯」たち》

 今までにカタルーニャ州警察から発表された犯人像は以下のとおりである。下の写真に紹介される12人が、犯人としてテロ事件発生の3日間以内で特定された。2001年の9・11事件を彷彿とさせる見事な「早技」である。その他、アルカナーの空き家で一人の死体(残滓)が見つかったとされたが詳細は不明。下の図表(エル・パイス紙:クリックすれば元の図表の全体を見ることができる)で“Muerto”は「死亡(射殺含む)」、“Detenido”は「逮捕(仮釈放含む)」。

(以下、人物名にはこの図表の番号を付けておくことにする。)

 以下が、警察発表による、特定された犯人たちとその行動のあらましである。

 すべてモロッコ系の者達で、左端アブデルバキ・エス・サッティ(44歳、死亡)は8月16日にアルカナーの空き家の爆発事故で死亡したが、この事件の首謀者とされている。リポイュ市(上の地図参照)に住んでいた自称イマム(イスラム教聖職者)で、この人物がリポイュに住む若者たちを洗脳しテロを企てた。ヨウネス・アボウヤアコウブ(22歳、射殺)はバルセロナのランブラス通りでバンを暴走させ、逃亡の途中で自動車を盗みその持ち主を殺し、21日に州警察によって射殺された。ホウッサイン・アボウヤアコウブ(17歳、射殺)はヨウネスの弟で18日未明のカンブリルでのテロ実行犯。モハメド・ヒチャミ(24歳、射殺)はカンブリルスのテロ実行犯で、ビックの駐車場とカンブリルス付近の路上で発見されたバンを借りた。オマル・ヒチャミ(17歳、射殺)はモハメドの弟でやはりカンブリルスでのテロ実行犯。

 モウッサ・オウカビル(17歳、射殺)もカンブリルスでのテロ実行犯。その兄であるドゥリス・オウカビル(28歳、逮捕、拘留中)はバルセロナでのテロに使われたバンを借りた。バンの中に彼の身分証明書が残されていた。モハメド・アアルラア(27歳、逮捕、仮釈放)はカンブリルでのテロで使われた黒塗りのアウディの持ち主。サイド・アアルラア(18歳、射殺)はモハメドの弟。またカンブリルでのテロ実行犯で、バルセロナからカンブリルス向かう国道に乗り捨てていたレンタカーのバンの中で彼のクレジットカードが発見された。ヨウッセフ・アアルラア(年齢不詳、死亡)はモハメドの弟だが、アルカナーの空き家の爆発事故で死亡した。モハメド・ホウリ・チェムラル(20歳、逮捕、拘留中)はその爆発事故で負傷した。最後ののサルフ・エル・カリブ(34歳、逮捕、仮釈放)はリポイュ市で「ロクトリア」と呼ばれるコンピューターや電話を使用させる店を経営しており、エス・サッティのためにモロッコ行きの航空券を手配した。

 以上の者たちが警察発表の「テロリスト」なのだが、ホウリ・チェムラルは逮捕後に犯行を認め「悔い改め」を語っており、この人物の「証言」が「テロ計画」の概要のほとんどを決めることになりそうだ。彼が爆発事故で負傷したアルカナーの空き家だが、もうひとつ理解できないことが多い。8月16日夜に爆発を起こして完全に崩れてしまった(写真写真)後、翌日17日に、バルセロナでの暴走テロの時間後に、キノコ雲(写真写真)を高く吹き上げるほどの大きな爆発を起こした。17日朝のTVニュースで最初は、空き家に正体不明の男たちが数ヶ月前から出入りしており、合成麻薬の製造でもやっていたのではないかという地元民の推測を報道したが、その後、消防局と州警察からボンベから漏れたブタンガスの爆発という発表があった。この空き家について、少し詳しく述べていこう。
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《「爆弾製造工場」の空き家の謎》

 もちろん、当サイトこちらの記事で書いたように、彼らは最初からガス爆発ではないことを知っていたはずである。あまりにも状況が異なりすぎる。その後の現場の捜索で、120本のブタンガスボンベ、500リットルのアセトン、過酸化水素水や炭酸といった製品(警察発表のスペイン語をそのまま載せておくと「120 bombonas de butano, 500 litros de acetona y productos como agua oxigenada y bicarbonato」)が発見され、テロリストたちがこの空き家で、「悪魔の母」と異名をとる爆発物TATP、過酸化アセトンを合成していたと断定された。破壊された空き家の跡からは同時に「散弾」として爆弾に詰めるための大量の物体(釘やナットなど?)も見つかったとされる。さらに自爆用のベルトが爆発物を装填された形で発見されたらしい。なお、カンブリルスで警官に射殺された1名と最後に射殺されたヨウネス・アボウヤアコウブは偽の(爆発物が入っていない)自爆ベルトを着用していた。

 TATP(過酸化アセトン:日本語Wikipedia)は非常に不安定な物質で、ちょっとした衝撃や熱で簡単に爆発するようだ。またアセトンと過酸化水素を酸触媒のもとで反応させるとできるらしいが、酸として普通は硫酸や塩酸が使用されるようで、非常に弱酸性の炭酸が使用されるだろうか? それは私の知識の範囲外なのだが、それにしても「500リットルのアセトン」というと相当な量があると思う。これを全部爆薬にするつもりだったのだろうか? また過酸化水素水がどれくらいあったのかは発表されていないが、「500リットルのアセトン」と反応させるためにはものすごい量が必要だろうと思うが・・・。

 先ほどの爆発の生き残り、⑪ホウリ・チェムラルが証言したところによると、テロリストたちは元々、サグラダファミリア教会やランブラス通りなどバルセロナの有名観光地で爆破テロを起こす予定だったとされている。その「500リットルのアセトン」でどれくらいの量のTATPが作られるのかよくわからないのだが、本当に500リットルも必要なのだろうか。どうみても工業化学の専門家はいないようだし、製造のための設備がどんなものだったのか、それでその大量のアセトンを加工することが可能だったのかも、いまのところ明らかにされていない。またブタンガスのボンベは、その中にTATPを詰めて爆弾として使用する予定だったそうだが、それにしても、120本のボンベは多すぎるような気がする。なお、それらのボンベはトラックに積まれた形で空き家の近くで発見された(写真)。TVや新聞の写真で見る限り、空き家の瓦礫の中で発見されたボンベですら、警察官や消防士が爆発物処理用の装備無しで、手でそれらを扱っており(写真)空のボンベばかりだったようだ。

 このチェムラルを取り調べている全国管区裁判所が8月23日に発表したところによると、そのアセトンは8月1日か2日に購入されたことになっている。しかしどこでどんなふうに購入されたのかは現在のところ発表されていない。他の過酸化水素水や炭酸製品(?)の入手に関しては何の発表もない。また、爆破で破壊された家の残骸の中から、そのアセトンや過酸化水素水や炭酸製品が未使用で発見されたのか、空き容器があっただけなのか、どこでどんな状態で発見されたのか・・・、などの詳しい様子もいまのところ未公表だ。いずれ裁判の過程で明らかにされるだろう(と期待する)が、アセトン自体は爆発物ではないが非常に引火しやすい物質で、もし未使用のまま置かれていたアセトンがあったとしたら、2度の大きな爆発で蒸気が漏れて燃え上がらなかったのはなぜだろうか? さらに、TATPのような非常に不安定な爆発物を詰めた自爆用ベルトが爆発のショックに耐え抜いたのだろうか?

 カタルーニャ州警察の発表によれば、テロリストたちは8月17日に爆弾テロを予定していたのだが、その前の晩に爆発事故を起こしたため急きょ予定を変更したらしい。レンタカーで借りた3台のバン(ランブラスを暴走したもの、ビックの駐車場にあったもの、アルカナーから数km離れた路上に乗り捨ててあったもの)は本来なら「自動車爆弾」として使用されるはずのものだったそうだ。ということは、それまでに爆弾を準備し終えていたことになる。崩壊した空き家の瓦礫の中でブタンガスのボンベが20本ほど発見されたそうだが、そのうち何本にすでに爆薬が詰められていたのかは発表がない。残った爆発物の処理が19日に1日かけて行われたらしいがその詳しい様子は分からない(少なくとも映像では報道されていない)。最も奇妙なのはトラック積みで発見された120本のボンベだ。爆破テロを実行した後、スペイン中に厳戒態勢が敷かれた状況の中、みんなでこの空き家に戻って120個の新しい爆弾を準備するつもりだったのだろうか?

 何ともよく分からないことだらけだが、この倒壊した空き家からはまた、先ほどの自称イマム、アブデルバキ・エス・サッティの名前が書かれた緑色の本が見つかり、そこにエス・サッティのアラビア語の自筆で書かれたISISの戦士宛てのメモ書きが挟まれてあったそうだ。つまり、彼自身ISISメンバーであり、リポイュの若者たちをISIS戦士に仕立て上げた、という解釈になるそうだ。同時に、彼の名前の書かれたブリュッセル行きのヴエリング航空の航空券が発見された。このエス・サッティのベルギーとフランスでの行動に関しては、また後の項目で説明することにしたい。

 また全国管区裁判所は8月23日に、カンブリルスから14kmほど離れた村リウデカニェスにある1軒の廃屋に関する情報の公開を許可した。州警察の捜査によれば、この廃屋から、カンブリルスで射殺されたモハメド・ヒチャミと、バルセロナで暴走バンを運転して後に射殺されたヨウネス・アボウヤアコウブのパスポートが発見された。そのパスポートは破られたうえで焼かれていたのだが、なぜか顔写真の部分はバッチリと残されていた(写真)。2001年の9・11事件でも、ペンタゴンに突っ込んだ大型飛行機の機体が残らないほどの灼熱の中での顔写真をばっちり残して「生き延びた」プラスチック製の「テロリストのIDカード」だとか、ペンシルバニア州シャンクスビルの草原に突っ込んで主翼や尾翼を「霧消」させながら機体が地下10mまで潜り込んだ場所から発見された「テロリストのパスポート」(当サイト:こちらの記事参照)などの、摩訶不思議な「発見」があったので、驚くには当たるまいが・・・。

 それにしても、テロ攻撃の前に自分のパスポートを焼こうとする連中が、自動車の中に身分証明書を置きっぱなしにするとは・・・(!?)。単なる与太話にしか聞こえないのだが、どうだろうか??
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《不可解な点の多い犯人像》

 カタルーニャ州警察の捜査によれば、アルカナーの空き家で死体で見つかった45歳の自称イマム、アブデルバキ・エス・サッティがリポイュ市で若者たちを洗脳して聖戦戦士に仕立て上げ、犯行を計画したということだ。ただし「軍事訓練」をどこでどう行ったのかについての情報はない。この男はかつて麻薬密輸・密売の罪で逮捕され懲役刑の判決を受け、2010年から14年までバレンシア州カステジョンの刑務所にいた。2014年に釈放されたさいに国外退去命令を受けたが彼は退去することなく自由にスペインに住んでベルギーやフランスを行き来した。ある裁判所判事が彼を危険人物ではないと判断したためだそうだ。しかしエス・サッティは刑務所で、2004年3月11日のマドリードの列車爆破事件(当サイト:こちらのシリーズ)に関与したとして18年の懲役刑に服しているラチド・アグリフと同室であり、その際に彼から聖戦主義の洗礼を受けた、という話になっている。

 ふむふむ、なるほど、と言いたいところだが、何せ本人が死んでしまったので詳しいことは確認のしようがない。それについてアルカナーの空き家爆発で生き残ったホウリ・チェムラルが全国管区裁判所のフェルナンド・アンドレウ判事の前で自供したところによると、エス・サッティは殉教者として死ぬつもりだったらしい。またチェムラルは8月17日に予定されていた爆弾テロ用に15本の「ガスボンベ爆弾」を準備したと語ったらしいが、それならますます120本のトラック積みのボンベや500リットルのアセトンについて訳が分からなくなる。大掛かりな爆弾テロを実行した後、バルセロナからさほど離れていない場所で、のんびりと次の爆弾テロの準備をするつもりだったのだろうか?

 テロリストたちを映した映像がある。紹介するのは8月24日付のSextaTVのニュースサイトのビデオで紹介されている(開いて少し下がったところ)ものだが、他のマスコミでも一斉に報道されたものだ。ニュースビデオ8秒~26秒に映るのは、8月17日午後4時50分、バルセロナでのテロの約1時間前、カンブリルス付近のガソリンスタンドの監視カメラにとらえられたモハメド・ヒチャミで、1本の水を買っている。TVニュースの説明によると、彼は乗っていたレンタカーのバンが途中の国道でアクシデントを起こし、バンを乗り捨てて何kmかを歩いてきたそうである。ビデオ31秒~42秒は、17日午後6時、バルセロナでのテロの約1時間後、同じガソリンスタンドで、のホウッサイン・アボウヤアコウブが映っており、落ち着いた様子で紙幣を両替してもらい携帯電話のカードをリチャージして出ていった。

 ビデオ48秒~1分3秒にホウッサイン・アボウヤアコウブ、オマル・ヒチャミ、モウッサ・オウカビルという17歳の3人が登場し、和やかに冗談でも言い合っているように笑いながらライターと煙草を買っていった。ニュース解説によれば、彼らはそこを出てリウデカニェスの廃屋に向かい、買ったライターでパスポートを焼いたらしい。私はこの映像を見てふと12年前に起こったロンドンの地下鉄・バス爆破テロ事件を思い出した。その犯人とされた者たちも、爆弾の入ったリュックサックを背負って自爆テロに出かける際に、まるでピクニックにでも行くかのように固まってのんびりと電車の駅に入る姿が写真に残されている。しかも彼らは往復切符を買って電車に乗り込んだ。どうやら自殺攻撃から生きて戻るつもりだったようだ・・・(?!)。

 それはともかく、ビデオ1分9秒~1分48秒では、中国人経営のスーパーマーケットの監視カメラ映像(静止映像)が紹介されている。時刻は9時26分、カンブリルスでの自動車暴走・ナイフ殺傷の4時間前である。ここに映る2枚の写真と店員の証言などから、この店に来たのはホウッサイン・アボウヤアコウブ、モハメド・ヒチャミ、オマル・ヒチャミ、モウッサ・オウカビル、サイド・アアルラアであり、店の記録から4本のナイフ(包丁?)を購入したことが明らかにされている。(スペイン語ではナイフも包丁も“cuchillo”で言葉だけでは区別がつかないが、街のどこにでもある中国人経営のスーパーマーケットでジャックナイフが売られているとは考えられない。)

 ビデオ1分30秒~1分48秒で、午後10時に先ほどのガソリンスタンドでトルティージャ(スペイン風オムレツ)、チーズ、パン、ジュースなどの食料品と飲料を買い込むオマル・ヒチャミの姿が映される。そして今までの5人がカンブリルスで車を暴走させて通行人を負傷させ、車がひっくり返ってしまいそこから這い出してナイフで一人の女性を刺し殺し、そして全員が警官によって射殺された。TVニュースの解説では、彼は犯行前の「最後の晩餐」用の食料を買ったということになっている。今のヒチャミは5人の中で最後に射殺され、そのシーンが映像に残された。この映像は英国人観光客によって撮られ英国スカイTVで最初に放映されたものである。彼以外の4人については転がっている死体だけが映像で残されている。またひっくり返って乗り捨てられた車の中には、キャンピング用品、ブタンガスボンベ用の取り付け金具(家庭用ボンベ用なのかキャンプ用の小型ボンベ用なのかは分からない)などの物が残されていたという。車を暴走させるテロの後でキャンプしながら逃げるつもりだったのだろうか? たまたま車の中にキャンプ用品が置かれていただけで、それは犯行自体とは無関係なのかもしれない。現在のところはこれ以上のデータが無い。

 また、8月21日にバルセロナから西に45kmほど行った町スビラッツで警官に射殺されたヨウネス・アボウヤアコウブだが、射殺された際の服装はバルセロナの市場の監視カメラに写っていた姿とは異なっていた。つまりどこかで服を着かえたことになる。またバルセロナでは偽の自爆ベルトは身につけていなかった。これも逃亡中にどこかで手に入れたことになる。彼が、17日にパウ・ペレス氏の自動車をどこでどのように奪ったのかは明らかにされていない。またバルセロナ近郊のサンジュストからスピラッツまでどのようにしてやってきたのか? 食べ物や飲み物はどうしたのか? 謎は多い。カタルーニャ州警察の話では、彼は4日間、昼間は隠れて夜に歩いて移動したということだ。しかし、服装や偽の自爆ベルトについての説明はない。それらを渡して逃亡に手を貸した他の人物がいたのではないかと疑う人もいるが、州警察はいまのところ自分たちの筋書きを変えようとしていない。

 8月17~21日の彼らの行動と死について、いろいろと想像を凝らして疑えばきりがないのだが、この射殺された6人がどんな形であれ犯行に関与したことは間違いないだろう。ただ、どうしても割り切れなさが残る。予定していた爆弾テロが予定日の前夜の爆破事故で不可能になり、急きょ方法を切り替えたのなら、いったい誰が新しい計画を決めて指揮をとったのか? そもそも、17歳とか20歳過ぎの若者たちが、テロ決行の直前に絶対的な指導者を失う、爆弾テロの大量殺人計画がいきなり他の方法に変更される・・・、というような事態に、落ち着いて日常的な様子で対応できるのか?

 近年、欧米で起こった「テロ事件」には、あまりにも不可思議な点が多い。しかし今回の「バルセロナ・カンブリルス連続テロ事件」で最も大きなミステリーは、5月25日に直接(マドリードの国家機関を通さずに)送られてきたという「CIAのテロ警告文書」だろう。しかし話が込み入っているうえに、現在、カタルーニャとマドリードのそれぞれの政治的思惑が絡み極めて面倒な様相を示している。次回にまわすことにしたい。
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●次回『バルセロナの「テロ政治」(その3)』の小見出しの予定
 《州警察に直接届いた?「CIAからの警告」のミステリー》
  《カタルーニャ州政府はテロを予測していたのか?》
  《見え隠れするアメリカとEUの姿、「カタルーニャ独立」への影響》

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