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日本人には理解不能?スペイン・サッカーの内幕

スペインとカタルーニャの「代理戦争」


 今回はいつもとはちょっと変わった話題について述べてみたい。サッカーに興味のない人がいるかもしれないが、スペインの国と社会のより深い理解のためには、どうしても触れざるを得ないことだ。サッカー・ファンは? ひょっとしたら見ない方が良いかもしれない。夢が崩れるかもしれないので。

小見出し一覧
《「代理戦争」とピッチ外の戦争》
《メッシ脱税訴訟とその背後にいる「法の女」》
《三権分立?》
《スペイン・サッカー雑感》
《サッカーを通して分かる日本人》


《「代理戦争」とピッチ外の戦争》 【小見出し一覧に戻る】

 スペインというとサッカーを思い浮かべる人も多いだろう。特にバルセロナともなれば、メッシやネイマールなどの名選手を抱え世界で最も有名なサッカークラブの一つであるバルサ(FCバルセロナ)の名前が即座に出てくるのではないかと思う。しかしそれは単なるスポーツクラブではなく、カタルーニャの巨大産業の一つであると同時にカタルーニャの象徴―カタルーニャ魂の顕現―でもある。ここまではまだ、他の国の巨大なスポーツクラブにある程度は共通している点だろう。しかしバルサは、その好敵手であるレアル・マドリードと共にだが、世界中の他のどこにもない特徴を備えている。

【注:以下、「マドリード」という言葉は、マドリードの中央政権を求心力の中心としてスペインの強力な統一を望む人々と勢力を意味する、と考えていただきたい。必然的にマドリード(州)に住む人が多いわけだが。】
 「クラシコ」と呼ばれるバルサとレアル・マドリードの試合は文字通りの「代理戦争」なのだ。18世紀初期の王位継承戦争の一部として起きた独立戦争(
こちらの記事およびこちらの記事を参照)以後、バルセロナとマドリード、つまりカタルーニャとスペインが、血で血を洗う戦争をすることはなかった。しかしその代わりに20世紀以降は彼らの「傭兵軍団」がピッチの上で勝敗を競うことになった。カタルーニャ人にとってFCバルセロナがレアル・マドリードに勝つことは、カタルーニャが暴虐を極める支配者のマドリードに勝って自らを解放することなのだ。

 もちろん逆もまた真である。マドリードにとってクラシコにおけるレアル・マドリードの勝利は、傲慢な反逆者のカタルーニャを叩き潰し足下に従えることの象徴に他ならない。「スポーツに政治を持ち込んではいけない」などと言われても困る。これは最初から「政治の一部」である。アルバニア対セルビアといった国際試合ならともかく、国内リーグでこんなとんでもない関係を100年以上も続けてきたのは、世界でもこの2球団だけだろう。その争いがピッチの上だけで行われるならまだ良いのだが、必然的に、球団の背後にあるもの同士の戦いにもなる。

 2年ほど前からバルサの中心選手、特にバルサに数々のタイトルをもたらしてきた世界ナンバーワンのFWリオネル(レオ)・メッシ(アルゼンチン代表)や、レアル・マドリードとの争奪戦を制してバルサが獲得したブラジルの至宝ネイマールJr.といった中心選手が関わる脱税事件が大きな話題となってきた。前者ではメッシ自身と父親が被告席に座ることが決定されている。また後者ではバルサの現会長と前会長が裁かれることになっている。さらにアルゼンチン代表選手でディフェンスの中心であるハビエル・マスチェラーノまでが脱税を疑われる身となっている。加えて、バルサが十数年前から力を注いできた年少者からの専門的なサッカー教育システムの運営がFIFA(国際サッカー連盟)の規則に抵触したため、同球団は1年間の補強禁止処分を受けているのである。どうしてFCバルセロナにこのような不都合が集中するのか。

 スペインや中南米では、「脱税」といえばちょっとした資産家や有名人なら多かれ少なかれ誰でもやっている、というのが普通の認識だ。スペインの政治家や実業家については私のサイトにあるシリーズ『
スペイン:崩壊する主権国家』、『「中南米化」するスペインと欧州』、『『スペイン経済危機』の正体』の中で触れている。もちろんそれは氷山の一角に過ぎず、国家内外での利権争いや政治的な圧力を産むために「ばらされた」ものに他ならない。こういう形で政治・経済の腐敗構造で表に出たものは、「不透明カード事件(こちらの記事を参照)」の担当判事エルピディオ・ホセ・シルバの言葉を借りるなら「0.001%に過ぎない」のである。

 洗浄されて国外のタックスヘイブンに逃れている大富豪や著名人士の資産に、本来かかるはずの税金の合計は、想像を絶する金額になるだろう。脱税に加え、公金の略奪や背任が疑われる「無駄遣い」などの政治・経済の腐敗、不動産バブル期に広大な廃墟や役にも立たない多くの施設の建設によって失われた国民と社会の資産は、おそらく国家予算並みとなっている公的債務の大きな部分を占めている。さらに、「不況」のときほど金満がさらに肥え太るネオリベラル資本主義の「合法的犯罪」によって盗まれる資産は、その何倍にもなるだろう。そしてこの問題は、スペインを超えてEUから世界中にまで広がっていくことになる。

 しかし脱税や腐敗の発覚は、要は、国税当局や法務係官たちが「誰に眼を付けて熱心に調べるのか」だけにかかっている。「自然にばれる」などということはありえない。当然だが、中央政府と官僚組織に太い人脈を持つ者が、自分や身内に対して有利に物事を進めさせることができるだろう。特にメッシの脱税告発の経過には非常な胡散臭さが付きまとう。


《メッシ脱税訴訟とその背後にいる「法の女」》 【小見出し一覧に戻る】

 リオネル・メッシが脱税の嫌疑をかけられたのは2013年だが(英語版BBCニュース)、その以前、2004年以後の10年間で、バルサは国内リーグ優勝6回、国王杯優勝2回、UEFAチャンピオンリーグ優勝3回と、世界のどこにも前例のないほどの輝かしい記録を作ってきた。その間にライバルのレアル・マドリードは国内リーグで3回、国王杯1回の優勝と、カタルーニャをあくまで足下に踏みつけておきたいマドリードにとって屈辱的なほどに大きく水をあけられていた。もちろんだが、バルサの数々の勝利で常に中心にいたのがレオ・メッシである。彼の活躍がなければ国内でも国際試合でもこれほどの勝利は不可能だっただろう。

 2013年6月に、スペインの国税当局は、マネジメントを行うメッシの父親が膨大な額のCMなどの収入を処理する会社を作り、ベリーズやウルグアイなどのタックスヘイブンを利用して2007〜2009年に約410万ユーロの脱税をしたという容疑で、メッシ親子を裁判所に告発した。それ以降、裁判所がこの告発を受理するかどうかを巡って激しい攻防が繰り返されたのだが、今年2015年10月6日にスペイン検察庁はメッシに対する容疑を取り下げ父親のみを告訴すると決定したのである。もちろんこの両名には膨大な額の追徴金が科せられることになるのだが、とりあえずメッシ本人は懲役刑を科せられる可能性からは解放された…、…かに見えた。

 その2日後である。10月8日になって国税庁の意向を受けた国家弁護士(abogados del estado)がメッシに22ヶ月半の懲役を求刑し、裁判所は彼を被告席に座らせる決定をした。このFCバルセロナ勝利のカギを握る選手は、今後、たとえ国内リーグやUEFAチャンピオンリーグで非常に重要な試合がある時でも、裁判所に召喚されれば出廷する法的義務を負わされることになる。場合によっては「逃亡の危険あり」ということで逮捕命令すら出されかねまい。「戦争中」のライバルにとってこれほどに嬉しいことはないだろう。

 この国家弁護士だが、他の国の公務員にこんな役職があるかどうか、私は知らない。それは裁判所や判事局、検察庁のような司法権委員会にではなく、スペイン法務省に所属する部局Abogacía del Estado(国家弁護局:仮訳)の法務官である。責任者は国家弁護総局(仮訳:Abogacía General del Estado)長マルタ・シルバ・デ・ラプエルタ(Marta Silva de Lapuerta)である。これは法務大臣(現在はラファエル・カタラー)直属の機関だが、それを含む機構の最高責任者は首相(現在はマリアノ・ラホイ)である。つまり日本風にいえば内閣に属する政府機関であり、現政権の意向に沿って動く機能なのだ。そしてそれは検察庁や判事局よりも大きな権力を持っているのである。

 ここで10月13日付のボスポプリ紙の記事、『メッシへの鞭打ち役は、レアル・マドリードの元職員で、国民党の元会計係アルバロ・ラプエルタの姪(El azote de Messi es una ex empleada del Real Madrid y sobrina del tesorero del PP Álvaro Lapuerta)』をご紹介したい。

http://vozpopuli.com/deportes/69739-el-azote-de-messi-es-una-ex-empleada-del-real-madrid-y-sobrina-del-tesorero-del-pp-alvaro-lapuerta

 この新聞の本部はマドリードにあり「バルセロナ寄り」というものではない。どちらかというとやや左翼的ではあるが、特に何かの政治的主張を売り物にする新聞でもない。しかし政財界の腐敗に対する突っ込みと追及には定評があり、全国放送のTV局セクスタなどと組んで政治や経済のスキャンダル暴露に実力を発揮している。

 なにはともあれ、記事の日本語訳(仮訳)をお目にかけたい。( )内の注記は訳者からだが、スペインの政治・社会について知識の少ない人にとって、少しでも理解の助けになるだろう。なお太文字強調 はスペイン語記事原文に従っている。

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【引用、訳出、開始】
メッシへの鞭打ち役は、レアル・マドリードの元職員で、国民党の元会計係アルバロ・ラプエルタの姪

VOZPÓPULI  2015年10月13日

 フランコ独裁時代(注1)の大臣の娘マルタ・シルバ・デ・ラプエルタは、現在スペインの法務機関の責任者であり、アスルグラナ(注2)の選手に対する告訴を維持させる組織の背後に控える人物である。そして、第1期フロレンティーノ・ペレス会長時代を通してレアル・マドリードの幹部を勤めた人物なのだ。
   (注1)1975年のフランコ死去まで続いた。
   (注2)FCバルセロナの愛称。

【写真と説明:「ベルナベウ会館で、フロレンティーノ(・ペレス)やアスナールの後ろにいるマルタ・シルバ・デ・ラプエルタ」】
http://estatico.vozpopuli.com/imagenes/Noticias/1380B259-F11C-516B-C211-CCCDA58C91CA.jpg/resizeCut/789-0-630/0-0-325/imagen.jpg

 バルセロナの選手であるレオ・メッシは、脱税の罪に問われて裁判を受けることになっている。国家弁護士がこのサッカー選手に22カ月半の懲役を求刑したからである。検察庁が彼への告訴を取り下げ、父親だけを告訴したにもかかわらず、国家弁護局がこのアルゼンチン人に対する告訴の維持を決定したために、結局メッシは被告席に座ることになるだろう。

 同選手に対する告訴を維持させた組織の背後にいる人物が、国家弁護士マルタ・シルバ・デ・ラプエルタ、この法務機関の現在の総責任者である。1969年生まれのシルバは、フランコ時代の公共事業大臣フェデリコ・シルバ・ムニョスの娘である。このムニョスは1965年から1970年まで大臣を務め、後にCAMPSA(注3)の総裁となり、さらに後には国民同盟 (注4)のための基金に資金を投入した。マルタ・シルバはCEUサン・パブロ大学(注5)で学び、1996年(注6)に国家弁護士に抜擢されたが、その年の国家弁護士への抜擢は「ラ・グロリオサ(注7)」の名で知られている。その年に抜擢された人物集団の大多数がスペインの公的機関や民間企業の高い地位に就いているからである。その中には、テレフォニカ(注8) の重要な顧問の一人であり現政府副首相ソラヤ・サエンス・デ・サンタマリア(注9) の夫であるイバン・ロサがいる。
   (注3)フランコ独裁時代の国営石油会社で石油の取り扱いを独占していた。現在はいくつかの民間会社になっている。
   (注4)Alianza Popular:フランコ独裁政権を支えた勢力によって作られた政党で、現在のスペイン国民党の前身。
   (注5)オプス・デイ系のカトリック大学。(オプス・デイについては
こちらを参照。)
   (注6)第1次アスナール国民党政権発足の年。
   (注7)神の栄光:聖母マリアを指す。
   (注8)元国営企業でスペインと中南米で幅広く事業を広げる通信企業。情報産業として「モビスタール」の名でも有名。
   (注9)彼女自身もまた国家弁護士としての経歴を持つ。


 しかし、シルバ・デ・ラプエルタの経歴には特別に物議をかもしそうなデータがある。彼女は、2000年から2006年まで続いた第1期フロレンティーノ・ペレス会長時代にレアル・マドリードの幹部の一員となっていたのだ。この時代にレアル・マドリード会長に信任の厚い人物となったのだが、ペレスは再び会長に選ばれて、彼女を頼りにするようになったのである。

 国家弁護総局長となる以前に、彼女はまたSacyr Vallehermoso
(注10)の重要な役職にいた。そこでルイス・デル・リベロの下で2003年から2009年まで事務総責任者を務めていたが、このリベロもまたレアル・マドリードの元会計係であり、国民党の秘密会計事件
(注11)で起訴されている。さらに、シルバは国民党の元会計係アルバロ・ラプエルタの姪である。端的に言えば、「バルセナスのメモ(注12)」が明らかにしたことだが、シルバ・デ・ラプエルタがSacyrに努めている期間に同社は国民党の裏帳簿に48万ユーロの黒いカネを献金したと見られている。国家弁護局の誰も、このヘノバ(注13)の政党といっしょに秘密会計事件の被告の一部として挙げられることが無かったのが、シルバ・デ・ラプエルタの指示によるものだったことは、特筆すべきである。
   (注10)マドリッドに本社のある国際的な巨大総合建設会社。現在はSacyrとなっている。
   (注11)国民党が長期にわたって二重帳簿によって大量の裏金を党員に渡していた大型政治腐敗事件。
こちらの記事を参照。
   (注12)元国民党会計係のルイス・バルセナスが書き残したメモ書き、国民党二重帳簿事件の裁判で重要な証拠物件となっている。
   (注13)国民党の総本部がある場所。

 この司法機関の最高責任者として彼女が見せたバルセロナの選手たちへの容赦なき追及の中では、ネイマールの契約によるFCバルセロナに対しての告発と訴追を担ったことが挙げられる。このシウダッ・コンダル(注14)に響き渡る彼女の行動はそれだけではない。国家弁護総局長の実力を発揮し、憲法裁判所においてカタルーニャ住民投票条例と9・N
(注15に対する訴訟手続きを行ったのは、やはり彼女なのだ。この訴訟は後にアルトゥール・マス(注16)、ジュアナ・ウルテガ(注17)およびイレーナ・リガウ(注18)の起訴を導いている。
   (注14)バルセロナ市の別称。
   (注15)2014年11月9日に行われたカタルーニャ独立を問う住民投票。
こちらの記事を参照。
   (注16)前カタルーニャ州知事。
   (注17)前カタルーニャ州副知事。
   (注18)現カタルーニャ教育委員長。


【引用、訳出、ここまで】
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《三権分立?》 【小見出し一覧に戻る】

 現代スペインの歴史と社会、政治に詳しくない人にとっては分かりにくいかもしれない。しかしこの記事の内容から、マドリードにいる勢力、特にオプス・デイとフランコによる独裁時代から変わらずに続く支配勢力にとって、カタルーニャの象徴であるFCバルセロナがいかに憎むべき対象であるかがよく分かるだろう。そしてそのライバルであるレアル・マドリードが、スペインの財界と共に国家の政治中枢・権力中枢にしっかりと結びついている事実が明らかになる。レアル・マドリードは実質的に「国策球団」なのだ(現会長でスペイン支配層の一員であるフロレンティーノ・ペレスについてはこちらの記事を参照のこと)。

 この記事に登場するCAMPSA、テレフォニカ、Sacyrは、すべて元々は国営企業であり、後に民営化されたが実質的な国策会社である。特に1996年にフランコ政権与党の末裔であるホセ・マリア・アスナールの国民党政権が誕生して以降、政府機関を牛耳る国民党中枢がこのような企業との間に盤石のコネクションを作っていった。そしてこれらの企業と同時にあのマドリードのサッカー球団とも、である。フランコ独裁政権の大臣の娘マルタ・シルバ・デ・ラプエルタは、アスナール国民党政権と共に国家の権力中枢に入り込み、同時に、大富豪で国際企業オーナーであるフロレンティーノ・ペレスと共に、ロナウド、フィゴ、ジダン、ベッカムなどを擁し「銀河軍団」と呼ばれたレアル・マドリードの活動を支えた。

 ところが2004年の3・11マドリード列車爆破テロ(こちらの記事 を参照)の余波で政権が社会労働党に代わり、また、カネ儲けには精通してもサッカーを知らないペレスがチームを弱体化させ、散々の非難を浴びて2006年に会長職を去った。そしてこのネオリベラル資本家は、バブル経済を通して巨額の利益を手にしたうえで、2009年に再びレアル・マドリードを取り仕切ることになった。同時に国民党政権の時代も2011年に戻ってきたのである。いま、シルバ・デ・ラプエルタは、今度は法務を操る国家権力の一員として、憎むべき敵カタルーニャとFCバルセロナを窮地に追いこむべく牙を剥いている。フロレンティーノ・ペレスは再びこの「法の女」の力を得たのだ。

 メッシの脱税が本当なら(たぶん本当だろうが)、罰を受け追徴金を払うべきだろうと私は思う。そうしないと、タックスヘイブンを利用して彼の何十倍、何百倍も脱税した本物の極悪人どもが処罰される道が閉ざされるのである。現在のところ、アスナール国民党政府の副首相で経済大臣、IMFの理事長をも務めたロドリゴ・ラトが、バンキア銀行破産を巡る不正事件や脱税などの様々な容疑で取り調べられており(こちらの記事を参照)、何人かの国民党の政治家とその関係の実業家、カタルーニャを支配してきたプジョル家などが裁判にかけられているが、とうていその程度で済まないことは明白だ。この国と欧州の腐れ果てた資本主義のシステムはきれいさっぱりと掃除されなければならない。

 しかし、告発・告訴の対象をある部分に偏って選択する権利を持つ法務担当者がのさばる限り、その掃除がうまくいくはずもあるまい。最もゴミを散らかす者たちの代理人が法の操作を牛耳っているからである。マルタ・シルバ・デ・ラプエルタは、メッシが「敵の武器」だから破壊しようとしているのだ。巨大産業の代表者でスペイン政界を手のひらに載せるフロレンティーノ・ペレスがそれを望んでいるのである。「民主主義」の経本にある「三権分立」などという呪文の空疎さは、わざわざスペインの例を引くまでもない。日本の原発訴訟を見ればとうの昔に明らかだろう。国家を支配する者たちにとって都合のよいときにだけ、そんな呪文が呟かれるわけだ。

 この10月15日に、バルセロナの裁判所で上の記事にあった9・N「住民投票事件」で起訴されているカタルーニャ州知事アルトゥール・マスの尋問が行われた。この日は、スペイン内戦前に一方的に独立を宣言した「カタルーニャ共和国」の「初代大統領」となったリュイス・クンパニスがフランコの軍事政権によって銃殺された75周年に当たる。マスの公判をこの日にぶつけたのが意図的かどうかは知らないが、記事にもあったように、マス、ウルテガ、リガウの3人の起訴の背後にも、あの政府機関と「法の女」の力が働いていたのである。

 その日、ムンジュイックの丘でのクンパニスの慰霊祭を終えた数万人の群衆が、マスを支援するために裁判所前に押し寄せたのだが、同時にカタルーニャ州の市町村長300人も駆けつけ、その場は3人を起訴した検察に対する抗議集会へと変わった。実はスペインの中央検察庁とカタルーニャの地方検察庁は、2014年11月9日に行われた住民投票について違法性を認めず起訴しない方針を打ち出していたのだ。しかしその後になって検事総長が「一身上の都合」でいきなり辞任し、地方検察庁は最終的にマスら3人の起訴の方針を固めた。そこにマルタ・シルバ・デ・ラプエルタの力が働いたことは上の記事に書かれてある通りである。人々はその経過を十分に知っている。民衆の怒りがよほど怖かったのだろうが、検察庁はこの抗議集会に対して「司法の独立性を侵害するものである」として法的手段に訴えることを示唆した。

 「司法の独立性?」これを聞いて私は思わず笑ってしまった。しかしこの「法的手段」とはおそらくあのファシスト「さるぐつわ法」(こちらの記事 を参照)の強引な適用を指すもかもしれない。やな世の中だ。


《スペイン・サッカー雑感》 【小見出し一覧に戻る】

 ここから以降は、「雑感」の形で気楽に書くことにしよう。以上のように書いたからといって、またバルセロナに住んでいるからといって、私は特別にバルサのファンというわけではない。まあバルサが勝つと街が賑やかになって活気づくので悪い気はしないのだが、スペインのサッカー球団ではむしろ、財政難と借金に苦しみながら頑張っている球団を応援したく思っている。たとえば、バルセロナ近郊に本拠地のあるエスパニョール、ガリシアのデポルティーボやセルタ、バスクのエイバル、マドリードのラジョ・バジェカノなどだ。他に2部リーグにも良いチームが多くある。広大な裾野を持つピラミッドの中で、メッシの何十分の1、何百分の1の収入で、懸命に上に這いずりあがろうと苦労する選手たちが大勢いる。

 また私は別に、レアル・マドリードというチーム自体が嫌いなわけではない。昔からラウル、ロベルト・カルロス、イエロ、サルガドなど、心に残る名選手たちが輩出した。今でもC・ロナウド、モドリッチ、ベンセマなど、目を見張るようなプレーをするすばらしい選手たちがいる。ただ、レアル・マドリードという球団の体質はまた別だ。あの白い旗の陰からフランシスコ・フランコの顔がニュッと現われそうな、国家主義権力者集団の体質である。バルサはバルサでまた地方ブルジョアの凝り固まった嫌な体質を持っているのだが、クラシコではどうしてもバルサを応援、というよりも、レアル・マドリードの敗北を願いたくなってしまう。

 それはともかく、先ほどのエイバルには日本人の乾選手が所属している。この数試合で「そこそこ」の活躍をしているので、使ってもらっている間にリーガ・エスパニョーラのレベルに対応できるように成長してほしいと願っている。日本人と言えば、2009年にバルセロナのエスパニョールに日本代表(元)でイタリアのセリエAやスコットランドリーグで活躍した中村俊輔選手が加入した。その当初はデ・ラ・ペーニャやタムードなどの中心選手とも意気が合いそうで、ファンを大いに期待させたのだが、残念なことにほとんど活躍できなかった。

 その年のクリスマスに、バルセロナのカテドラル前で中村選手の「ウンコたれ人形(こちらの記事を参照)」が売られていた。カタルーニャでこの人形のモデルになることは著名人の仲間入りを表わす大きな名誉なのだが、その1カ月後に彼は退団して日本に帰ってしまった。翌年の1月、私はたまたま偶然にラジオのカデナ・コペの深夜放送で、当時エスパニョールの監督だったマウリシオ・ポチェティーノ(現英国プレミアリーグのトッテナム監督)が中村選手を戦力外にする理由を語るのを聞いた。ポチェティーノは次のように語った。「三つの理由がある。一つはスペインのサッカーに適合しないこと。二つ目はコミュニケーションに問題があること。そして三つ目は文化が異なることだ。」

 一つ目の理由は何となくわかる。スピードと技術がずば抜け、プレミアリーグほどではないが接触プレーも激しいスペインのサッカーでは、日本人選手は難しいだろう。二つ目は明白だ。スペイン語が分からない場合、監督やチームメイトとのコミュニケーションが取れずチームの中では機能しないだろう。しかし三つ目の「文化の違い」には首をひねった。文化の違い?どういうことだ?それが戦力外にする理由にまでなるとは?

 私は最初は食事や生活習慣のことなのかなと考えた。それが原因でチームの中に溶け込めないということだろうと思ったのだ。少し前に、サッカー指導者になるための勉強でこちらに来ている人と話す機会があったので、この点について語り合ってみた。彼の答えは意外だった。「ええ、それは私もよく分かります。日本とスペインではサッカーの文化が違うのです」と。サッカーの文化が? 


《サッカーを通して分かる日本人》 【小見出し一覧に戻る】

 どうやらこんなことらしい。たとえば、三角のコーンを並べてドリブルしながらジグザグに進む基本練習がある。日本人の場合、あたかもその練習を完ぺきにこなすことが目的であるかのように、実に熱心にそれに取り組む。しかしスペイン人はそうでない。決していい加減にこなすわけではないが、彼らにとって練習の以前に実戦での苦い経験があるのだ。実際の戦いの中でこの基本が必要だと肌身で知っているからそれに取り組む。日本の場合、練習のための練習になりかねないが、スペインの場合、まず、でたらめだろうが基本無視だろうが、実戦での経験とその反省がある。一つ一つの基本練習の取り組み方が正反対の方向を向いている。…。

 また、接触プレーにしてもそうらしい。日本では少年サッカーの時代から指導者に「接触プレーはいけない」と教わる。激しい接触プレーは常に非難の対象となり、選手も条件反射的に相手の体から離れてしまう。特にディフェンスではこの点が致命的な弱点になる。スペインでは、おそらく中南米を含む世界中でそうだろうが、まず勝つためなら何でもするというところから出発して、次に「やるべきではない」ことを学ぶ。だから、反射的に相手に体をぶつけて反則ギリギリのプレーでボールを支配し、あるいは奪う。日本人にはそれができない。…。

 私はサッカーの専門家ではないので細かいことまでは分からないが、何となく「なるほど」と思ってしまう。ここには「サッカーの文化」という以上に、日本の文化の特徴が如実に現われているようだ。日本人にとって、はじめに「決まり」がある。まず「規律」や「秩序」があり、それからはみ出すことは厳重なタブーとされる。そういえば、ラグビーのワールドカップで南アフリカを破り史上初の3勝を挙げた日本代表チームの前ヘッドコーチ、エディー・ジョーンズ氏も次のように語っていた。「日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない」。なるほど。

 スペイン人、あるいは中南米人は全く逆だ。はじめに「なんでもあり」の世界、つまり「規律・秩序」外の世界があるのだ。規則と反則の「境界線」に近づく方向性がまるで逆である。日本人は始めから「境界線」に取り囲まれた「内側」にいて「どこまで境界線に近寄ることができるのか」を考える。しかし彼らは初めに「境界線」の外から「どう境界線に近寄れば反則ではないと認められるか」を考える。だから審判の見ていないところで反則をしたり審判を誤魔化したりするのが当たり前だし、決してそれが「悪いことだ」とは考えないだろう。要は見なかったり騙されたりする方が馬鹿なのだ。そして頭に血が上れば一気に「境界線」の外で大暴れする。

 よく考えてみると、先ほどの脱税でも政治・経済の腐敗でも、やはりそうなのだろう。ヨーロッパ人でもアメリカ人でも中南米人でも、たぶん日本人以外のアジア人でもそうだろうが、「ばれない限りやる」のが当たり前なのだ。ここに住んでいるとそれはよく分かる。決して自ら進んで規則の内側に自分を縛ることはしない。誰でも、法の束縛性は基本的に自分にとっての「悪」であり、それといかに上手に付き合っていくか、あるいはそれをいかにして無力に、平たく言えば誤魔化せるのか、ということになる。

 だから法務官が徹底的に調べていけば、誰であろうと大なり小なり必ずいくつかの違反に行きあたる。問題はそれを、誰に、いつ、どのように適用するか、ということになる。マルタ・シルバ・デ・ラプエルタのような優秀な法務官なら、法を武器にして「敵」と見なす者を屈服させることができるし、法を隠れ蓑にして身内を追及から逃がすこともできる。彼らにとって、それができる権力を持っている以上は、そうするのが当たり前なのだ。これは陰謀でも何でもない。単純に権力の問題である。

 逆にカタルーニャ独立派にしても同様で、まず「民族の自由」があり、次に自分たちをマドリードに縛り付ける鎖として憲法などの法律がある。だから「法を守る」が先にあるのではなく、法の外からいかにして法の拘束性を崩すことができるのかを問題にすることになる。後は論理でも倫理でも正義でもない。「パワー(力、権力)」の問題があるのみだろう。それだけのパワーが無いのなら(あるいはそのパワーを誰かから借りないのなら)「独立」など夢物語に過ぎない。

 民主主義のルールにしても、決してそんなルールが先にあるのではない。それは支配者と被支配者の力と力のせめぎ合いの中から、近代になって妥協点として見出されたものに過ぎない。まず「なんでもあり」の世界があり、それでは自分たちの生存が成り立たないから、ルールを作った。支配者にしても被支配者にしても、本音を言えば全員が「ルールの埒外」にいたいのである。だからちょっとでも権力のバランスが崩れるなら、パワーの弱い者たちはルールの内に閉じ込められ、強い者たちが「なんでもあり」の場に居座って、それを「民主主義だ」と主張することになるだろう。(実際にスペインではそうなっている。)こうして民主主義のルールは、文面そのまま、あるいはちょっといじくったり書き足したりするだけで、簡単にファシズムのルールへと変身することになる。(近年、今年の日本で、実際にそうならなかったか?)

 「規律・秩序」の枠内からしか眺めることを許さない日本の文化を通しては、こんな現実の世界をあるがままに見ることは難しいのかもしれない。しかし、幸せかどうか、好きか嫌いかは別にして、世界の文化を知って外国と付き合い渡り合うことができなければ、世界の中で自らを成り立たせていくことは難しいだろう。サッカーやラグビーだけの話ではあるまい。

 …いやはや、サッカーから出発して、どんどんと、とんでもない方向に話が進んでしまった。もうこの辺で止めておこう。


2015年10月17日 バルセロナにて 童子丸開

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