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※ この記事は、当サイト「復刻版」の中にある『いつまでも続くチェルノブイリの傷跡 ニューヨークタイムズ記事:和訳』と併せてお読みいただきたい。このニューヨークタイムズ記事にある冷酷な「予言」が、福島でも徐々に実現しつつあるのだ。


(和訳)エル・ムンド紙記事:

フクシマの傷跡、あの災厄から5年


 これは2016年3月7日付の、スペインの代表的日刊紙エル・ムンドに載せられた次の記事の和訳(仮訳)である。
http://www.elmundo.es/ciencia/2016/03/07/56dc7dc346163f13128b459b.html
La secuelas de Fukushima, cinco años después de la catástrofe  MAKIKO SEGAWA Koriyama (Japón) 07/03/2016 02:50
フクシマの傷跡、あの災厄から5年 セガワ・マキコ 郡山(日本) 2016年3月7日 2時50分

 この記事の著者となっている「MAKIKO SEGAWA」は、きっと
瀬川牧子氏であろう。もちろん瀬川さんがスペイン語で記事を書いたのではなく、日本語の記事を翻訳したもののはずだ。瀬川さんは、次の「週刊金曜日」誌の記事を書かれている。
   『国、東電、学者らの集団無責任体制を問う――福島住民が原発責任者を告訴』
    
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=1818  
 また次の過去の著述を参照のこと。
     http://apjjf.org/2011/9/16/Makiko-Segawa/3516/article.html
     http://apjjf.org/2012/10/19/Makiko-Segawa/3752/article.html

 このエル・ムンド紙の記事にある「Naoya Kawakami」は川上直哉氏と思われる。次を参照してもらいたい。
    
http://togetter.com/li/808910  川上直哉『被ばく地フクシマに立って』
 また記事中の「Maki Iwaji」は、2014年9月に不審な死を遂げた 岩路真樹氏に間違いない。
    http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3057.html
    http://tocana.jp/2014/09/post_4893_entry.html  


 この記事の内容は、日本で核と放射能の被害を告発する人々にとっては常識的なこと、しかしおそらく大半の日本人にとっては聞いたことすらないことかもしれない。その中身は読んでいただくことにしても、311「5周年」の直前にこの紛れもない日本の現実を表わした記事が、ユーラシア大陸の西の端にある代表的な日刊紙に登場したことを、ぜひともご記憶いただきたい。この記事を掲載したエル・ムンド紙には心からの敬意を表したいと思う。

 瀬川牧子さんがお書きになった(と思われる)文章のとおりに翻訳できているかどうか、少々自信が無いのだが、大きく外れていることはないだろう。なお翻訳の中で、「
centro nuclear」は「原子力発電所」、「accidente」は「事故」としたが、「catástrofe nuclear」には「核の災厄」と、そして「desastre nuclear」には「核災害」という訳を充てた。また原文中の日本人の氏名は、明白なものを除き、カタカナで表記した。また訳文の後に私の方から【翻訳後記】 を付け加えておいたので、ご笑覧いただきたい。


2016年3月9日 バルセロナにて 童子丸開

▼▼▼▼▼▼▼(翻訳開始)▼▼▼▼▼▼▼

あの災厄から5年、フクシマの後遺症
セガワ マキコ  郡山(日本)  2016年3月7日 02:50

 「あの災害が起こったとき、私はこの町を捨てることができませんでした。いま私は娘の鼻血を心配しています。咽頭にできたのう胞の一種だと診断されています。泣くときに呼吸がうまくできないほど痛がるのです」。マキコは6歳の娘を持つ母親で、福島原発から50キロメートル北にある郡山市に住むが、娘を苦しめ続ける健康上の問題を語るときには絶望的になるのだ。

 マキコの証言は、郡山であの核の災厄の後遺症に苦しむ子供を持つ母親たちへの経済的・精神的な援助を行うNGOを立ち上げた日本キリスト教協議会の牧師カワカミ・ナオヤが毎日のように聞いている、多くの証言の一つにすぎない。
福島原子力発電所を襲った津波から5年経ち、カワカミは、甲状腺癌、鼻血、頭痛、腫れ物、眼球陥没、血便など、放射能の恐ろしい影響を被り苦しみ続けているおよそ600人の子供たちについてのレポートを公表した。

 去る2月のある朝、記者はカワカミとともに、福島の母親たちと呼ばれるグループの集まりに参加した。10畳敷きほどの小さな部屋は、木のおもちゃにあふれ小さなピアノが置かれてあり、そこにこの40を過ぎたばかりの牧師の柔和な落ち着いた声が響いた。彼の前には、30過ぎや40台やより年上の5、6人の女性たちが座っていたが、カワカミの語る話を聞きながらその表情を緩めていった。彼女たちはみな、5年間の困窮と苦痛の当然の結果として、硬直し緊張しているように見えていたのだ。

 「あの事故が起こったとき、私の息子は放課後のブラスバンドのクラブ活動に参加していました。彼は激しい鼻血に苦しんで、ティッシュペーパーの一箱を使いきるほどでした。いまは学校に歩いていくときに鼻血を出します。その鼻血があまりにひどいので、私はブラスバンド部の退部を願い出ました。」と、郡山で13歳の息子を持つ母親のマキコは嘆く。また一方で、6歳の娘を持つ母親のユキエは「2012年以来、私の娘は奇妙な皮膚の病気に悩み始めました。皮膚が赤くそして黒く変わっていきます。同時にひりひりと痛むのです。それが現われたり消えたりします。」と語る。

 これらの女性たちは子供たちのことを説明するたびに涙がほおを伝う。長い間ずっと我慢したまり続けてきた涙が、この牧師の前に座ることで与えられた安心感のおかげで、静かに、音も無く流れ落ちる。「あの災害の間、夫は私が娘と一緒にこの街から逃げることを許してくれませんでした。いま、娘にはのう胞ができ、私にはのう胞と甲状腺癌を持っています」。8歳の娘を持つ母親のユウコはこのように語る。


子供の癌の急増
【写真:http://estaticos02.elmundo.es/assets/multimedia/imagenes/2016/03/06/14572930502163.jpg
【キャプション:カワカミ・ナオヤ牧師は郡山のNGOで様々な「福島の母親たち」の集まりに出席する ― セガワ・マキコ】


 2014年と15年に実施された甲状腺機能に関する第1回と第2回の公式追跡調査の結果によれば、福島県内のすべての都市の中で郡山は、甲状腺癌を持つ、あるいはその疑いのある子どもの人口が最も多い所である。福島県立医科大学は年ごとにそれぞれの地域で甲状腺癌の発生を研究しており、先の12月末に郡山で新たに16件の発生を確認し、それによって癌を患う子供の数が115人にまで増えた。これらの患者たちは、あの災厄が発生したときに6歳から18歳の間の年齢だったのだ。

 大学と福島県庁は2月15日に「県民健康調査」検討委員会が最新の分析結果を発表する目的で開催したある会議で、そのように公表した。にもかかわらず、当局者たちは原発事故と癌発生との関係性を否定するのだ。実際に、検討委員会の座長である星北斗は、その情報のデータを示した後で、「今の段階では、放射能と甲状腺癌罹患との間に関係性は認められない」と断言したのである。

 2月15日の会議には約60家族の被災者も出席していたが、しかしここでもまた、当局者たちによって全く無視されたように感じた。「会議の間、福島の母親たちは、ただの1回たりとも医者たちに質問することを許されなかったのです。ただ政府寄りの主要な日本の報道メディアにだけ、その権利が与えられました。日本の政府とメディアは私達を無視し私達を侮辱するのです! 」福島に住む5人の子供の母親である64歳のサトウ・サチコは、会議の後で激しい怒りをぶちまけた。

原発事故の後、サチコは25歳の長男を除く子供たちを、福島から160キロメートル離れた山形県に避難させようと決意した。3月11日まで彼女は川俣町で自給自足の自然農園で生活していた。40キロメートル離れた山間地である。しかし、放射能への恐怖のためにその地を捨てて、同じ町の精神障害を持つ人たちのためのNGOを運営している。


母親たちの孤立無援

 「福島の母親たち」の孤立無援さはすべての面にわたる。権威者たちが彼女らの声を聞いたことはなく、公的にはそれは存在しない、あるいはとるに足らないものと見なされている。「その状況は極端なまでに耐えがたいものです。誰一人助ける者はいないと感じてしまいます。」このように、カワカミ牧師は嘆く。彼はあの災厄の後6か月たってからこれらの女性たちへの援助を始めた。2011年の9月である。「私は、県庁のある責任者がこれらの女性の一人に対して激怒し、次のように非難するのを聞いたことがあります。『母親であるお前が放射能をあんまり怖がっているから、お前の息子が放射能に負けたんだ!』と。」

 郡山市はこの地域の重要な商業の中心地であり、現在34万人の人口を持つ。この5年間に化学工業の分野で成長を遂げており、政府が後押しする「福島再建キャンペーン」の公式な呼びかけは、2015年の2月から、約6600人の住民を市に呼びもどすとしている。同時にまた、そこは企業によって東京から派遣される社員を非常に多く抱える都市でもある。そこに日本の代表的な企業の工場と支社が数多くあるからだ。東京の中心にある駅から新幹線でわずか1時間で到着できる。一見したところ、近代的なビル、先進的な商店、大きな街路と、首都圏の地域にある他の都市と異なるところは何もない。市の外見を前にすると、誰でも放射能のことなど忘れてしまう 。実際のところは、ここは日本で最も甲状腺癌が多く発生している都市なのだ。
【写真:http://estaticos04.elmundo.es/assets/multimedia/imagenes/2016/03/06/14572932578739.jpg
【キャプション:子供が甲状腺癌にかかっているかどうかを調べる小児科医 ― セガワ・マキコ】


 我々が郡山を訪れた日、地元紙である福島民報の金曜日トップの見出しは次であった。「福島の繁栄に微笑み」。2ページにわたる記事は、何よりもまず、県にある全ての都市の食品とグルメの世界に関連するあらゆるタイプの活動が載せられていた。郡山については「郡山市の美味に満ちた華やかな祭り」と書かれていた。

 「この記事は許すことができない!堪忍できません!」ノグチ・トキコは怒りの告発をする。彼女は51歳の母親だが、その長男は現在11歳であり、あの核災害の直後に全ての髪の毛が抜け落ちてしまった。しかし実際のところは、日本の大部分の報道メディアは政府の公式な見解を擁護しているのだ 。それによれば、癌の発生の増加とあの核の災厄との間に何の関係も認められない、というのである。


あるジャーナリストの不可解な自殺

 福島での災害で被害を受ける子供たちについて本気で真実を調査しようと試みた数少ない日本のジャーナリストに、朝日テレビ放送局の岩路真樹がいた。しかしながら彼の仕事は断ち切られてしまった。自宅での練炭の排気の吸引による自殺とされる、彼自身の死によってである。真樹は、甲状腺癌を患う子供たちの母親へのインタビュー・ビデオの放映を決行した日本で初めてのTVジャーナリストだったのだ。トキコのような郡山市の母親たちは、温かく真摯な性格の真樹に対する熱い思いを込めて振り返る。「彼はすばらしい温厚で正直なジャーナリスト、心を開いてくれる人でした。当時6歳だった甲状腺癌を患う男の子の所在を突きとめようとしていたのです。その小学校の管理職と話をつけてその学校を訪問しようとしていました。でも彼は私に、その学校の管理職たちが『生徒の誰一人として扁桃腺の手術すら受けたことなどない』と言い逃れしてその生徒の存在を否定した、と言いました。」

 カワカミ牧師のNGOに集まる母親のほとんどは臨時雇いの仕事をしているか家庭の主婦である。毎日、放射能を恐れて福島県産以外の野菜と水と米を買っており、そして、近所の人々や自分自身の親族からの彼女たちに対して投げかけられる非難に立ち向かうのに、多くのエネルギーを費やしている。福島の学校が「地元の食品を食べよう」というスローガンのもとに地域の野菜や米を給食で使い始めたことに注意を向けなければならない。

 しかし、母親たちが自分の子供たちを守るためにどれほど一生懸命になろうとも、巨大な圧力と反発に耐え忍ばねばならない。とりわけ最も身近にいる夫や両親たちからのものだ。実際にこれらの女性たちの大多数は、夫との夫婦関係が悪化したと告白する。その恐れと心配を話せば話すほど、配偶者との摩擦はどんどん激しくなる のだ。


夫婦間の軋轢
【写真:http://estaticos04.elmundo.es/assets/multimedia/imagenes/2016/03/06/14572944721136.jpg
【キャプション:3月5日、あの災害の被害者となった子供たちの保護に動こうとしない政府を告発する東京でのデモ AFP】

 「夫は全く私を助けてくれません。日本の政府やマスコミが言うことを盲目的に信じて実行するタイプの男なんです。他人が事実を示してどれほど説得に努めても、全く目もくれません。自分自身が目で見て五感で分かったことですら信用しようとしないのです。ものすごく石頭でものすごく頑固です。ご主人と一緒にここを離れることのできた友人がうらやましいです。そのご主人は自分の妻の心配を理解して移住を受け入れました。この市で新しいマンションを買ったばかりだったのですが。」41歳のムロイ・ユウコはこのようにこぼす。

ユウコばかりではなく、他の母親たちのほぼ全員もまた牧師に、夫たちとの関係の悪化を涙ながらに説明する。その原因は、放射能の影響を受ける郡山のような地域でどのように子供たちを育てるのかについての食い違いなのだ。

 「あの災害以来、大変な量の夫婦間の問題を抱えたご夫婦のことを、ものすごい数で耳にしてきました。妻と夫の間に大きな考え方の違いがあるように思います。その中の何組かはついに離婚しました。」こう語るカワカミは悲しみの表情を浮かべた。

 「その最近の例ですが」と牧師は述べる。「ちょっと前にその女性たちの一人が私に言いました。『牧師さん。私、とうとう離婚を決意しました。夫の一言が原因です。』彼女が言うには、その夫は、息子が自分の目の前でひどい鼻血のために気を失って床に倒れたのを見て、こう言ったのです。『何でもない、何でもない。放射能が原因じゃないんだ』 と。」

 しかし母親たちの多くは、子供たちの健康を案じながらも、離婚にまで思いきることができないため夫と共に過ごすことを選択している。ユウコには発達障害を抱える8歳の娘がいるが、福島原発の爆発の後で夫に他の町に行って生きたいという希望を語ったときに、夫が彼女に言った言葉を決して忘れないだろう。「行きたいなら行ってしまえ。お前一人で出て行け。娘はここに残る」。目に涙を浮かべながらユウコは、5年経ったいま、住む町を変えるという考えを棄てたことを認めて次のように述べた。「もし離婚することができたのならそうしたでしょう。でも、それはできません。もし私が、小さい体の娘と一緒に私だけで見知らぬ場所に引っ越しするなら、生きていけるとは思えません。」

 政府も、福島原発に責任を負う東京電力も、この地域を出ていきたいと望むこれらの女性たちに対して、何一つ補償を与えようとはしない。事故を起こした発電所から半径20キロメートル以内に位置する集落にあるような、放射能による明らかで目に見える被害が無いからなのだ。カワカミのようなボランティアグループが提供するわずかな援助を除いて、「福島の母親たち」は助けになるものを何も持っていない。 「いまとなっては」と牧師は嘆く。「これらの哀れな女性たちがどれほど大声を出しても無駄なのです。『私の息子の鼻血が』といくら叫んでも、人々は無視して言うのです。『それがどうした?』と。」

▲▲▲▲▲▲▲(翻訳ここまで)▲▲▲▲▲▲▲


【翻訳後記】

 恐ろしい国だ…。

 私の住むスペインも恐ろしい国なのだが、その凶悪さとデタラメさがあからさまになる。マスコミはそれを書きたて、人々はてんでに公然と大声を上げる。怒りや願望が爆発して、何十万、百万を超えるデモ隊で街があふれる。もちろんこの国にも、311マドリッド列車爆破事件の原因のような、タブーはある。しかし多くの場合、国家を動かす者たちの愚かさや凶暴さや誤魔化しがむき出しにされ、民衆のむき出しの怒りがそれに向けられる。日本のような「みんなの絆」で周囲から包み込まれるような閉塞感は無い。(以上、こちらにある私のサイトの記述を参照のこと。)

 訳文中に、目の前で起こる明白な事実を見てすら、国や学者たちの言うことを盲目的に信じ込み、その事実と放射能との関係に対する疑いを持とうとしない夫たちの姿が描かれている。かつてドイツの悪党ヒトラーは、その著作「わが闘争」で次のようなことを述べたそうだ。『…素朴なために、人々は、小さな嘘よりも、デマ宣伝の犠牲になりやすいのだ。彼等自身些細なことで、小さな嘘をつくことは多いが、大規模な嘘をつくのは気が引けるのだ。彼等は壮大な嘘をでっちあげることなど決して思いもよらず、他の人々がそれほど厚かましいとは信じられないのだ。たとえそうであることを証明する事実が、自分にとって明らかになっても、彼等は依然、疑い、何か他の説明があるだろうと考え続けるのだ。』

 確かに、世界中のどこでも、人々は素朴であるがゆえに愚かで盲目的なのだろう。しかし、この福島、そして日本の場合にはそこにもう一つの要素があるように思えてくる。その夫たちも、心の奥底のどこかに「これは放射能の影響ではないのか」という疑念を持っているのではないか。しかし、それを口や態度に表わすことによって、仕事を失い社会的立場を失い、場合によっては(あのTVリポーターのように)命を失うかもしれない恐怖感がそれを包み込み覆い隠している、というような…。

 そしてその疑念を強める事実を目の前にするとき、一方の恐怖感もますます膨らみ、より強くその疑いを否定する。ビンの中身が溢れそうになればより強く巨大な蓋で抑えつけなければならない。こうして、その否定の態度はますますかたくなになっていく。いま、福島と日本を覆っているウルトラ楽観的な外見は、そのような膨れ上がる恐怖感の、単純な裏返しなのかもしれない。

 こういったタブーと恐怖による心理的な拘束は、昔から日本の全体主義の特徴になっているのだろう。この国では、全体主義は単に上から押し付けられるものではなく、同時に下から、民衆の心の内から現われてくる。自分を規制する精神の乏しいラテンの国に住みなれると、そのような、自分が去った国と国民の特性が改めて感じられてくる。この記事を掲載したエル・ムンド紙の編集者は、いったいどんな思いでこの国を眺めているのだろうか。

 いま欧州のマスコミでは、政府に批判的なジャーナリズムを弾圧するトルコに対してのキャンペーンが開始されつつある。テロ支援と石油の略奪を続けながら「難民問題」を利用して欧州を脅迫し巻き上げようとするトルコ政府に、ちょっとでも対抗したいと思っているのだろう。日本では、トルコに対してはどうか知らないが、シリアやイランやロシアでのジャーナリズム抑圧に抗議する人々や集団があるようだ。しかしその前に、自分の国のジャーナリズムの実態に対して声を上げることはないのだろうか。

 しかし、結局はその人たちも、この訳文の中に登場する夫たちと一緒なのかもしれない。カナリアは死んで、そして人々は何事も無かったかのようににこやかな外見で坑道に降りていく。しかし、その足下にいる妻子たちの苦痛と嘆きを照らす光はあまりに乏しい。内からでは難しいのなら、外からでも良い。もっと光を当ててほしい。その意味で、わずかな分量かもしれないが、このエル・ムンド紙に載せられた記事が、いずれ大きな光源になっていくことを願わざるを得ない。

【翻訳後記、ここまで】

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