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ウクライナ空軍機によるマレーシア航空MH17撃墜:残骸の検証

 これは3月5日付Global Research誌の記事“How the Malaysian Airlines MH17 Boeing Was Shot Down. Examination of the Wreckage”の和訳(暫定訳)である。Global Research誌記事のUrlは次の通り。
http://www.globalresearch.ca/how-the-malaysian-airlines-mh17-boeing-was-shot-down-examination-of-the-wreckage/5435094
 またその記事の元資料“How the Malaysian Airlines MH17 Boeing Was Shot Down”は次だが、これはロシア語原文からの英訳である。
http://cassad-eng.livejournal.com/133434.html 

 この記事は昨年(2014年)7月17日にウクライナ東部で起こったマレーシア航空機MH17機「墜落」を取り扱っており、その結論として、同機がウクライナ空軍のジェット戦闘機Su-25からの銃撃とミサイル攻撃によって撃墜されたと述べる。文章中にはそれを裏付ける多くの写真資料が掲げられる。このテーマに関しては当サイトにある次の記事を参照のこと。
ロシアがウクライナに返答を望む10の質問(2014年7月20日アップ)
突然変更されたマレーシア航空MH17の航路(2014年7月23日アップ)

 この事件以来、西側の政府と報道機関は、何一つ具体的な根拠を掲げることなく、ただ何となく漠然と、「ロシア(プーチン)が責任を負う」かのようないい加減な論調を掲げ続ける。そしてその「何となく」の憶測に基づくロシア非難が、『《ネオコン=ネオナチ=ユダヤ・マフィア》ユーロ・マイダン革命』を支持する左や右の人士たちによって増殖させられてきた(ウクライナの政治情勢については「現代世界:虚実の皮膜」 にある2014年2月以降の記事を参照のこと)。この「墜落」に何が関与したのかは、その残骸を調査し、そのさまざまな特徴を測定して記録し、それを誰の目にも明らかにすることによって、簡単に突き止めることができるはずだ。しかし残骸を集め管理する者たちからのそのような調査結果の発表は、現時点で全くと言ってよいほど存在しない。

 21世紀に入って米欧で起こった大型テロ事件(米国東部9・11事件、マドリッド3・11事件、ロンドン7・7事件、等々)では、物証が即座に破壊・隠匿され、極めて限られた一部分を除いて、その正確で詳しいデータが捜査当局の手で公開されたことは無かった。このマレーシア航空機MH17機「墜落」事件でも、例にもれず、ブラックボックスを始めとする飛行機の残骸はことごとくウクライナと西欧当局の手に収められた。しかし、同機の残骸についての具体的な写真やビデオなどの情報を添えた実証的な分析結果が、それらの諸国の当局者によって明らかにされたことはない。また、マレーシアとロシアを含めた関係ある諸国によって組織される「国際調査団」が作られることはなかった。なぜか? それは読む人に考えていただきたい。

 この記事の元となった論文には、現在インターネットを通して手に入れることのできる最も良質な写真資料を用いての、その分析と検証が書かれている。ただ、訳の冒頭でGlobal Researchの編集責任者であるミシェル・チョスドフスキーも述べている通り、読解には注意を要する。ここには数多くの軍事技術の専門用語がつかわれており、また60点以上もある写真や図表への言及がどこまで正確であるのかを判断することは、軍事技術の非専門家にとってはほとんど不可能だろう。ロシア語原文の著者はロシアの軍関係者、あるいは軍事技術に精通した人物と思われるが、その正体はもう一つはっきりしない。私が今回、そのような論文を敢えて和訳して日本に紹介するのは、豊富な写真資料とそれに基づいた分析の例をご紹介したかったからである。その「結論」だけを読んで賛同してもらいたいという理由からではない。

 この論文に掲げれられた写真資料についての著者の分析と見解がどこまで正しいのかは、正直言って私にも分からない。しかし、映像資料と突き合わせてその判断を読む限りでは、その見解を否定する理由を見いだせない。そうである以上、《MH17機はウクライナ空軍のジェット戦闘機によって撃墜された》という著者の「結論」を否定する理由はない。もし著者の最終判断に対する反駁があるのなら、それは著者以上に具体性と客観性と実証性を持つ根拠を、物証かそれに準ずる価値を持つ資料とその測定に基づく科学的で明確な理由を添えて、掲げるべきであろう。「言葉に対する言葉による反駁」は単なる暇つぶしか観念的空回り、「空論の自由」に過ぎまい。

 なお、訳文中で、訳者にとっては専門的すぎ、適切な訳になっている自信のない個所については、英語の記述を添えておいた。ただこの英語の論文にしても、もともとロシア語からの訳であり、それがどこまで正確に英訳できているのか、私には判断がつかない。また各写真や図表には、元資料にある写真と図表にリンクが貼られており、その一部では高精度の拡大画像を得ることができる。これらの画像とその説明を突き合わせての判断は、見る人にお任せしよう。

2015年3月19日 バルセロナにて 童子丸開

●関連する他サイトへのリンク
(マスコミに載らない海外記事)   アメリカ諜報機関: ロシアがやったという証拠は皆無  ウクライナ国家のスローモーション崩壊とラダ(議会)降伏
(ROCKWAY EXPRESS)  
ロシア軍:ウクライナ・アメリカへの10の質問 −その1−  ロシア軍:ウクライナ・アメリカへの10の質問 −その2 最終章−  ウクライナはマレーシア機墜落の重要な証拠を隠している   MH17便についてプーチンは何を知っているのか?−その1−  MH17便についてプーチンは何を知っているのか?−その2−  MH17便についてプーチンは何を知っているのか?−最終章−
(田中ニュース)  ウクライナの対露作戦としてのマレー機撃墜

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マレーシア航空MH17ボーイングはどのように撃ち落とされたのか

― 残骸の検証 ―


Global Research News  より
グローバルリサーチ 2015年3月6日
(原文:
cassad-eng.livejournal.com by Colonel Cassad ロシア語からの翻訳)

次の文章は技術的な面を持つ。読解には注意を要する。この論文は、機首と操縦室の検証に関する既存の記述的な論文と関連付けて検証されるべきものである。(グローバルリサーチ編集者 ミシェル・チョスドフスキー)

 マレーシア航空「ボーイング」墜落が起こったその日以来、この飛行機がウクライナのSu-25戦闘機によって撃ち落とされたという見方にこだわっているため、私は新たな研究の公表を我慢できないのだ。その研究とはこの件についての論点をまとめるものである。



空対空ミサイルR-60Mから飛び出したロッドがMH17の残骸に混じって発見された。(下)


 オランダで一つのモデルが、ドネツクで撃ち落とされた「ボーイング」残骸の破片を用いて組み立てられた。墜落地点から運ばれた破片の写真を使って、機体をおおよそ再現することは可能である。写真の中には、「BUK」ミサイルを用いての同機への攻撃による【訳注:ロシアあるいは親ロシア派軍事組織による】 という見解を覆す少なくとも二つの点があった。

 その一つでは一つの物体を見ることができるが、それはAAMミサイルR-60Mから飛び出したロッド(棒状の物体)のように見える。もう一つの写真には
右エンジンの空気取入口にある丸い穴が写っている。外装には少なくとも九つの穴があり、それは「空対空」ミサイルの結果として特徴的なものである。

ボーイングを襲った円形、四角形、棒状の物

 来週、つまり2015年3月3日、5日そして6日までにはすでに、ドンバスでの「ボーイング」の悲劇で亡くなった人々の親族や友人たちである、ほとんど5千人の人々が、マレーシア航空ボーイング777型機のモデルを見ることだろうが、それはオランダのGilze-Rijen空軍基地で残骸から組み立てられたものである。トラック1台分の最後の主要な破片は、いまだにペトロパブロフカに置かれているのだが、オランダのジャーナリストたちが2015年2月22日に何とかそれらのところにたどり着いたばかりである。

UPD
倉庫で撮影された写真:15年3月3日

 
SourceSource

再現

「ボーイング」左側面

「ボーイング」右側面


 操縦室の左側面が即座に注意を引いた。飛行機が最もダメージを受けていた場所である。破片にある最大の穴は周囲がめくれて外側に曲がっており、それは内部の爆発あるいは急激な圧力変化による減圧に特徴的なものだ。

 

 さらに写真では20以上の大きな丸い穴が見える。それはとりわけガラス窓枠と操縦室の左側を貫通していた。この部分の外装の材質は最大の密度を持っており、強化アルミニウムで作られている(他のデータによるとチタンの板が使われる)。それは、可能性ある鳥との衝突に備えて操縦室をダメージから守るため2層に設計されている。あるデータによれば、最初の層は厚さ1.8mmで第2の層が0.8mmである。

 また、ボーイング777型機の胴体の外装の大部分が厚さわずか2mmであることが分かっている。

 写真を拡大すれば、膨大な数の細かい斑点である「あばた」と、操縦室の外側に煤の黒いまだら模様、また内向きに曲げられた外装の縁を見ることができる。これは、弾頭が外装のすぐ近くで爆発したことを示している。いくつかの推定によると、操縦席と爆発の中心との距離は50cmから4〜5mの間でありうる。同時にまた、BUKが衝撃を与える距離が17mであり、このミサイルが上昇して標的の上方と前方で爆発すれば、6千個の榴散弾から成る巨大な雲を作る。( source)

mh17webtalks からの引用:起爆の生成物は ― 操縦室に膨大な数の痕跡を残したのはまさにそれらだったのだが ― 爆発からの距離が爆発物の塊の半径の15…20倍に等しければ物理的なダメージを与える能力を失う(運動エネルギーを失う)。したがって、爆発物の塊の半径が10‐15cmとするなら、距離は1.5‐3.0mということになる。爆発の開始後に衝撃波がまずやってくる。次に高熱のガス。そしてよりサイズが大きいために、その次に 榴弾の破片がやってくる。しかしガスは極めて速く減速するので、その痕跡は爆発地点に隣接した場所でのみ見出される。

 「BUK」は、爆発地点からの距離について言えば、写真に合ってはいない。では、ひょっとしてそれは穴の大きさに合っているだろうか?

 操縦室に空いた穴の直径を知るためには、標準的な航空機用リベットのヘッドの直径を知る必要がある。それは0.488インチ、つまり11mmに等しい。



 パラメータと関連付けることによって、我々は穴のサイズがおよそ20‐30mmであると分かる。操縦室の外装板に開いた丸い穴の直径は、航空機用リベットの傘の直径の2‐3倍である。

 


 

 最初の写真でいくつかの穴では黄色と赤の輪郭の線がかすかに見えるが、これはおそらく、これらの穴を作った弾丸の銅のケースの跡だろう。

(弾丸がある障害物を貫通する際に、その障害物を為す材質の一部を前方に押してそれを広げ、弾丸の表面にあった粒子をそれが作る穴に残していく。こすった跡の帯は、数ミリの広さなのだが、発射の際に作られた煤の粒子、銃のグリース、薬きょうや弾丸自身の金属の粒子を留める。)

 しかしながら、「BUK」から発射される榴散弾には銅は存在せず、それは航空機関砲の弾丸に存在する。
 

航空機関砲の装甲を貫通する高度に爆発性の弾丸のリボン、榴弾となる構成物は円筒状の形を持つ。

 これはこちらで明らかに示される。 How the aircraft cannon GSh-30 shoots

 円形のあるいは楕円形の何十もの穴の他に、「ボーイング」の前方部にはあと少なくとも5個の穴があり、それは長方形と正方形の形を持っている。ところが、それらのどれも外装の板に穴をあけていなかった。したがってそのサイズを突き止めることは困難である。しかし我々はそのサイズが1cmを超えると言うことができる。
 


 R27ミサイルの特性についての記述で、たとえば(それはまたSu‐25戦闘機に搭載可能だが)、ミサイルの弾頭にあるロッドの上側に備えられる立方体状物体の存在が述べられている。ロシアとウクライナの空軍の元兵士たちは、彼らのフォーラムで、タングステンのロッドに加えて既成の榴弾物が装備されていると書く(同様の榴弾とロッドを備えた弾頭が記述は他のウエッブサイトでも公表されている)。(R‐60訓練ミサイルの弾頭の拡大写真。)それ以外には、操縦室の壁を含む飛行機の外装板にある穴で、最後に示した物体(タングステンのロッド)と合うものは一つとして知られていない。

 操縦室の横側の外装板には注意を引かれる。粉砕され激突する弾頭は「ボーイング」の様々な表面に様々な角度で入り込むかもしれない。穴の形はそれによって異なることだろう。例えば、それは丸いかもしれない(もし球状の発射物片が垂直に当たった場合)し、あるいはそれは長円形かもしれない(鋭角で当たった場合)。通常の弾丸が金属に当たるときの見え方は次のようである。


 おそらくこのことが、操縦室側面の板の一片(ボーイングの左側面の見取り図4)に様々な大きさの穴が存在することを説明するだろう。

 リベットのヘッドと穴を比較することで、我々はその穴の幅が3cmから10cmの間であることが分かる。これらの破砕物が貫通した角度は25‐30度に当たるのだろう。



「BUK」はどのように爆発するか

 9M38M1ミサイルは「BUK‐M1」設備で使用されるが、70kgの重量を持つ9H314破片弾頭からできている。その基部には32kgの榴散弾(4500個の榴散弾はそれぞれ8gの重さを持ち“I”字形の切り口[あるものは“H”字形と“X”字形の間の形]および1500個の立方体状で重さは4g)がある。  The source

 インターネットでこのミサイル設備の弾頭の一つが見られる。“I”字形榴弾は13mmである。立方体状のもののさしわたしは10mm未満である。 Source 、 another source

 もしこのタイプの「地対空」ミサイルが「ボーイング」への攻撃に使用されているのなら、大部分の榴散弾の穴が、特徴的な長方形状の痕跡を(“I”字形榴弾は立方体状のものより貫通能力が高い)を残していることだろう。

 “Livejournal”ユーザーの一人がある実験を行った。それは、もし4500個の榴散弾の中から少なくとも相当数が直角かそれに近い角度で当たった場合に、「BUK」が「ボーイング」の外装板に次のような痕跡を残したはずである、というものだ。

実験の詳細な記述はこちら


発見された「ボーイング」の残骸の外装板にはこのサイズの穴は1個も無い

 さらには、この実験報告の著者が言うように、秒速1200mで飛ぶ榴散弾は、アルミニウム層が強化されているキャビンの外装板によりも胴体の薄い材質の方に、より明らかな痕跡を残すはずである。HEチャージと貫通の角度のための修正を加えると、「BUK」の榴弾は外装板に18‐20mmの直径を持つ痕跡を残すことだろう。その破片の突進によって残される実際のサイズについてはこちら。hereherehere


 キャビンで発見された2個の小片が明らかにされた。一つはセラミックで作られているという結果に終わり、他方は斜めの角度のために一致しなかった。


「BUK」を使って撃ち落とされた飛行機はどのように見えるか

 インターネットには最近15年間に「BUK」SAMミサイル装置を使って撃ち落とされたとみられる飛行機の残骸の写真がある。3つのケースのすべてで、ミサイル攻撃後のある時間内には乗員は生きていた。全てのケースで飛行機の外装板はおおよそ同様に見えた。多くの小さな丸い、あるいは十字型の穴である。More detail here


An26型機の残骸。これはウクライナで2014年6月14日に、高度6500mで撃ち落とされたもの。

 2014年6月29日にドネツクで、武装戦士たちが1402部隊を捕虜にしたことはよく知られているが、そこでは1台の故障した「BUK」用車両があった。しかしながら、DPR(ドネツク人民共和国)の代表者たちはそれを修理するつもりの無いことを語った。同様に、ウクライナに存在する「Osa」ミサイル装置が高度6000mでAn‐26やSu‐25のような標的を撃墜する能力を持つことは知られている。


棒状形の穴:ロッドの一つが発見された

 我々は残骸の中に少なくとも3カ所の切り開かれた穴を見ることができる。左主翼、左の第2ドア、尾翼の部分である(「ボーイング」左側面の図を見よ)。たとえば、左の第2ドアの外装板にある穴は10cmほどの長さを持っている。

 
左主翼
 
左の第2ドア付近のキャビンの床

 この穴とそれに沿って「切られた」枠の傍に、細長い物体を見ることができる。これは「空対空」航空機用ミサイルR‐60Mから飛び出す棒状の榴散弾の破片に極めてよく似ている。The original photo

左側第2ドアに隣接した胴体下部の外装板 Source

左:ウクライナのジェット戦闘機で使用されるロッド装備の弾頭がどれほど類似しているかということである。(Source) 右:R‐60ミサイルの弾頭


打撃用の部品を除くロケットの内部 Source


Su‐25M1ジェット戦闘機とR‐60Mの参照資料

弾頭のロッドの材質はジルコンとモリブデン/タングステンの合金である。弾頭の威力は比較的低く、標的の航空機の機体内部に貫通することで最大の効果を発揮する。起爆装置は非接触型の電波起爆装置「Kolibri」(1971年に開発)で、同時に接触型のバックアップ起爆装置も持つ。電波起爆の半径は5m。ダメージの半径は2.5m。
Source

 ここにR‐60M弾頭(62Mモデル)の記述がある。使われているロッドは従来の薄く細長い矢状のロッドとはやや異なっている。輸出される別形では「疑似ロッド」のセットが使用される。これらの榴散弾はタングステンで作られているが、それは鋼鉄より重い。「外を包む榴散弾はタングステンで作られており、合金の鋼鉄の2倍の重さである。パワーウイング・セット、機体、エンジンを切断。」R‐60M弾頭の記述にはこのように書かれている。

 一部の資料はロッドの質量を3gであると述べる。弾頭の質量は3kgである。ロッドは三角形の枠組みを持ったケースの中に割りつけられており、おそらくロッドは三角形の断面を持つのだろう。「ケースと棒状の榴散弾との間にある空間はTNTで満たされているが、その空間は予め据え付けられたケース中の各榴散弾に隣り合うピラミッド状の穴である。榴散弾は3gで、秒速7.5kmに達する。」(
Source)

 「垂直に割りつけられるタングステン・ロッドを持つR‐60M(62M)のロッド型の弾頭は、直線的ではなく大きな三角形とダイヤモンド型の穴を残すことだろう。

 R‐62と、80年代から始められたものだが、R‐62Mだけが輸出された。両方のミサイルの70%はロッド装備の弾頭というよりはむしろ榴弾(あるいは「疑似ロッド装備」)を持っていた。」

Source and HERE - http://vkjournal.ru/doc/3501214

 我々は、たとえば第2客室の外装の右側に、大きな内側に向かって裂けた三角形の穴を見ることができる。その一つには煤の跡が見られる。加えて、二つの類似した穴が前方貨物室の床に見られるが、ここは操縦室から離れていない。

 たとえば、6個の三角形 ― およびダイヤモンド型 ― の穴と3個の切り裂かれた穴が、左主翼と第2ドアに隣接する外装の下部にある。

Source 

Source

 穴の形は、R‐60Mの弾頭から予測されるダメージと一致しているが、それはSu‐25M1ジェット戦闘機に搭載されている。

 このミサイルが「ボーイング」エンジンを標的にし、かつその横5mで爆発するなら、それは左主翼と左の第2ドア付近の床に隣り合う範囲を含んでいるかもしれない。そこにはそのロッドの特徴的な2個の穴が見つかった。ウクライナのPO “Arsenal”がこのミサイルの近代化に携わった。ミサイルにはほぼ完全な遠近赤外線誘導システムOGS‐75T「Komar-M」が装備されていた。 (それは視野を2/4にまで、あるいは1/4までにすら拡大させる(ある特定の方角に置かれる標的の前方の半球内に届く可能性)のだが、それは標的探知型の弾頭の受光装置の冷却(the cooling of the photo-receiver of the target-seeking head)によって可能になる。継続的な製造がNPK “Progress” (キエフ市、 source )によって為された。標的探知の範囲は34度の扇型。標的の位置の最大速度は毎秒35度)

 また、「ボーイング」に向かう最接近した距離で起爆剤(lifting charge)を起爆させた後に弾頭が開きR‐60キャリアが「ボーイング」のエンジンに近い離着陸用脚部付近一帯の外装に当たったということも、可能である。

 「榴散弾‐ロッド弾頭は、そのコンパクトなサイズのために、典型的に「空対空」ミサイルに使われる。標的への最接近の瞬間に、起爆剤が爆発しロッドのビームが標的に対してほとんど宇宙的な速度で向かっていく。もし激突が起これば、そのようなロッドは、運動エネルギーのためだけでほとんど全ての飛行機でも十分に貫通し、飛行機内部の基本構造を破壊し、機内の装備を無茶苦茶にすることができるだろう。ロッドの運動はチタンの棒(?longher)を真っ二つに切ることができるほどである。そのような弾頭はもう一つの利点を持つ。ミサイルは完璧に正確である必要が無く、標的に接する前に爆破されロッドが円錐状に飛行機に向かって広がるのだ。これらのロッドの2‐3%が標的に当たっても、その飛行機の運命は終わってしまう。」 Source


MH17「ボーイング」はどのように撃ち落とされたのか

 MH17機の乗員からの最後の応答があって後に、飛行機との接続が途絶えるまでに、わずか7秒しか経たなかった。乗員は運航管理者にいかなる危機的な状況についてすら知らせるだけの時間を持たなかった(もし我々がドネプロペトロフスクの航空管制当局の「行方不明の」記録の確実さを信じるならば)。したがって、操縦室での出来事はあっという間に起こったのである。

 衝撃の後に、「ボーイング」は回転し、飛行速度を一気に ― 時速900kmから400kmに ― 落とし、そうして高度を10000mから2000mにまで下げながら滑空した。グラヴォボとトレズの住民たちは二つの大きな爆発音を空中に聞いた。雲の下にまで降りた後、「ボーイング」は分解し始めた。胴体の大きな残骸は植林した森に落ちたが、そこは本体が地面と激突した地点のすぐそばだった。それはビジネスクラスとエコノミークラスの第2客室の一部だった。それらはペトロパブロフカで見つかった。その隣にあるラッセイプノイエで切り離された操縦室と40人以上の遺体が発見された。尾翼と胴体の中央部は、ランディングギアや他の翼とともに、もっと遠くまで、グラヴォボ村の畑の中に飛ばされた。

 2014年6月から2015年2月までの間にボーイングの残骸の多くが発見された。右主翼とビジネスクラスの右側、そしてまた「ボーイング」の機首は行方不明である。今現在までに3人の旅客の身元が突き止められていない。全員で298人が搭乗していた。マレーシアの新聞によれば、パイロットの胴体から金属片が発見された。調査委員たちに疑惑を引き起こした全部で25個の金属片が発見された。

 キャビンの左側、キャビンの床の表層材が榴散弾の物体から最も激しいダメージを受けていた。数多くの穴を機長座席に見ることができ、また副機長の座席にいくつもの穴が見られる。少なくとも4つの穴が機長の死体に見られる。これらの穴は全て円形をしている。

 
副機長席の後ろ側:横と後ろに数々の穴が見られる。

 煤の名残と膨大な数の黒い斑点 ― それは爆発の生成物による衝撃の名残だが ― を考えるならば、ミサイルの打撃はまさにこの区域で、操縦室の外側の間近な場所で、起こったのだ。

 1万mというこの飛行機の高度を考えれば、キャビンはSAMミサイル装置(S‐300、BUK)あるいは「空対空」ミサイルのどちらかが届くことができただろう。

 そして操縦室の中に棒状の榴散弾の衝撃を示す跡が無く、ギザギザの端を持つ多くの穴がある以上、そこで爆発したものはフラグメンテーション・チャージ(fragmentation charge)だった。そのような丸い形の接触をする物体を持つ弾丸はGSh‐30航空機関砲で使用される。それらはまたS‐200やS‐300SAMに特徴的なものだ。

 十字型の痕跡はBUKミサイルの主要な榴散弾のものだが、それが存在しないため、また実際の爆発が5mを超えない距離で起こったため、我々はBUKが使用されたとする見解をはねつけるだろう。このS‐200ミサイル装置は2001年以来ウクライナでは「使われておらず」、この地域でS‐300ミサイルの発射を記録した者は誰もいない。


右舷からのボーイングへの襲撃、「追撃で」

 こうして、1機か2機のSu‐25M1ジェット戦闘機による襲撃という見解が浮上した。それは最新鋭のジェット戦闘機で、ウクライナに存在する(この悲劇の時点までにはウクライナ空軍はこのジェット機を5機所有していたが、元々6機あったウクライナのSu‐25M1のうち1機は「ボーイング」惨劇の前日に撃墜されていたのだ)。

 最新鋭型Su‐25M1はデジタル照準装置を持っているが、それは従来のアナログのものと比較して命中精度を30%も向上させる。Su‐25M1の実質的な上昇限界は高度1万mである。最高速度は時速975km。

 「衛星ナビゲーション・システムを装備しているため、この飛行機は、たとえパイロットが目で標的を識別していなくても、その座標上の位置を知るならば標的を打ち当てることが可能である。この機は、昼間でも夜間でも、視界の悪い状況のもとでも、また雲の中から出ること無しに、地上にある標的に対して標準装備の武器を使う能力を持っている。武器を使うことのできる高度は、実質的にほとんど“因数3(a factor of 3)”にまで向上されていた」

 残骸に混じって見つかった物体 ― R‐60Mミサイルの棒状榴散弾に類似するもの ― 以外に、この見解は「ボーイング」の右エンジンの空気取入口の破片によっても確証されるものである。

 この破片は上下さかさまになって見えているのだが、左側に引き裂かれた内部の表層材の一部を見ることができ、右側はかすかな「RR」の文字を持つもう一方の面がある。この破片をひっくりかえすならば、右エンジンの空気取入口の一部であると分かるだろう。

 この小さな穴は「ボーイング」の右エンジンに発見されたと、ウォールストリート・ジャーナル紙の貴重な情報によって述べられている。穴の端は外向きに引き裂かれているので、このケースでは榴弾のかけらが尾翼側からの流れによって空気取入口を貫通したのである。

 エンジンのもう一つの破片がある。内側に曲がる穴の跡を持つタービンの縁枠だが、しかしこれがどちらのエンジンのものかを決定するのは不可能だ。ペトロパブロフカのはずれでこの破片が発見されたことが知られているが、そこには右の空気取入口があった。ところが左側のドアもまたここで発見されており、そのドアは左エンジンの前方にあるものだ。


 もしこれが本当に右エンジンの一部ならば、砲撃は右側と後ろ側から航空機関砲を使って行われ、その後に右側からの側面と右エンジンへの射撃を経て操縦室に向けられたものである。接近した距離(およそ500‐700m)で砲撃が行われた可能性が最も高い。

 キャビンと右側第2ドアの間にある「ボーイング」の外装の右側面は発見されていない(少なくとも自由にアクセスできる写真は存在しない)。ウォールストリート・ジャーナル紙はビジネスクラスの左側の荷物棚の写真を公開した。Gilze-Rijenの空軍基地では、これらの物体が調査の興味深い対象となっているため格納庫に集められ、ジャーナリストたちはまさにこれらのビジネスクラスの破片に近づくことを許可されなかった。




Source Source


Su‐25(Rook)

 この飛行機には、胴体前方下部の機体の左側に2連式の固定されたGSh‐30機関砲が装備されている(口径30mm、弾薬は250個の砲弾)が、それは軽装の装甲兵員輸送車(APC)を破壊するためであると主要に見なされている。加えて、4基のGSh‐23L機関砲が装備されていると思われるが、それはすべて30度まで下に方向を変えることができる可動式の銃身を持ち(弾薬は260個の砲弾)、同時にまた、「空対空」ミサイルR‐60あるいはR‐27を備える。R‐77ミサイルを搭載できる改良型もある。


 ここに、「追撃して」右側と後方から航空機関砲を用いて最初の攻撃をどのように行ったのかを示す。弾丸はエンジンの外装材とビジネスクラスの右側面を貫通し、そして後ろからパイロットに命中した。この見解はこちらでより詳しく述べられている。

 口径30mmの装甲貫通つまりフラグメンテーション弾薬を持つGSh‐30航空機関砲(上を見よ)、または口径23mmの弾薬を持つ4基のGSh‐23航空機関砲のどちらかが、射撃に使われたのだろう。発見された操縦室の表層材の破片に、そしてまた副機長席の後ろ側にある数多くの穴は、大部分が20‐30mmより大きくない榴散弾によって傷つけられた可能性が最も高いが、それは尾翼の側から流れてきたものだ。このことは数々の情報源から同時に読みとることができる(link and another link )

 パイロットたちは目の前に戦闘機を見なかった。彼らは背後から致命的な傷を負った。「ボーイング」がきりもみ状態になってしまったのは、このSu‐25がすでにキャビンに前方から攻撃をかけた後になってのことだった。これが操縦室の外装板にどのようにして弾丸の突入と飛び出しの多くの穴が作られたのかを説明する。

操縦室に作られた弾丸の突入と飛び出しの穴


 
パイロット座席の背。布と金属を貫くことによる穴の作られ方と比較することは可能である。 here and here


胴体に穴のあいた機長の遺体


(注記:本文には無いが、上の写真の部分拡大を掲げておく。)


結論:Su‐25M1戦闘機からの複合的な攻撃が、マレーシア航空のボーイングに対して為された。Su‐25M1からの最初の攻撃は「ボーイング」機の航路上で追撃して行われた。戦闘機がマレーシア航空機の右尾翼側に位置しそして右エンジンに向けて移動しながら発射した可能性が最も高い。この方向で戦闘機はその23mmあるいは30mmの機関砲を使って多くの砲撃を行った。

 パイロットは最初の攻撃の後で死亡し、キャビンに大規模な気圧の減少が起こり、電子機器は機能を失った。機体は右に旋回し、「ボーイング」はおそらく再び戦闘機の攻撃を受けたが、今回は左側からであり、機長席の横からキャビンにかけて航空機関砲を用い、左エンジンと左側ドアの領域ではR‐60Mミサイルが使われたが、ここには棒状の榴散弾による貫通の跡が残された。


P.S. 写真の撮影者は、RTL(訳注:ルクセンブルグに本拠地を置くラジオ・テレビ局) のオランダ特派員Jeroen Akkermansであり、私は彼に敬意を込めてその作品に言及させてもらったのだが、彼はこの話題を無視した。不幸なことだが、我々は写真に基づいてしか判断できないのである。

http://evanesce-girl.livejournal.com/79977.html (in Russian) — linkOriginal article: http://colonelcassad.livejournal.com/2077046.html (in Russian)

【翻訳・引用ここまで】

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