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ウクライナ:戦線は“ノヴォロシア”へ

民族紛争の対極にある「ロシア世界」の新たな展開


 今回は、 ウクライナのファシズム革(2014年2月28日アップ)に続いてイズラエル・シャミールの作品をご紹介したい。原典は、
Crimea: Putin’s Triumph. Now the Confrontation Moves East to “New Russia”
Novo Rossia: The Eastern and Southeastern Mainland Provinces of Ukraine
http://www.globalresearch.ca/crimea-putins-triumph-now-the-confrontation-moves-east-to-new-russia/5374710
 この記事はクリミアのロシア併合が決定し東部ウクライナに戦線が拡大しつつある3月21日の日付であり、事態の展開を告げる情報としてはやや古い。しかし、人間が歴史的で多元的な視野を自分のものにしなければこの世界を破滅に追いやりかねない現代という時代に、この著者の存在は最も貴重なものの一つになるだろう。ユダヤ人としてロシアに生まれ育ち、イスラエルを経て(日本にも在住したことがある)、現在は北欧に本拠地を持つイズラエル・シャミールの、この広大なユーラシア大陸の内と外から、そして歴史のあらゆる時点から、悠然と現代を見通す卓越した視点は、皮相で近視眼的、イデオロギーと利害得失の観点からしかものを見ようとしない現在西側の支配的論調を打ち破るための、大きなヒントを我々に与えてくれるのかもしれない。

 今回の拙訳(仮訳)についての私の考察は、本文訳文の後に
【翻訳後記】 として掲げることにして、まずはシャミールの文章に触れていただきたい。ただその前に、著者が本文の中で使っているいくつかの用語とその訳語について、若干の説明をさせていただく。翻訳の専門家や社会学、歴史学の専門家たちは異論をお持ちかもしれないが、さんざんに頭を悩ませた結果であり、どうかご容赦願いたい。

●「ethno-nationalist」については「民族主義的ナショナリスト」と訳した。nationalism、nationalistの訳にはいつでも頭を悩ませる。「国家主義」「民族主義」「国粋主義」「愛国主義」等々の様々な訳し方が可能だからだ。nationは確かに「国家」と訳せるだろうが、この言葉は元々ラテン語の「出生」の意味から来ており、スペイン語の「生まれる」という動詞nacerはそれと同根だ。したがって民族や種族の意味でもつかわれる。「国家主義」は本来ならstatismあるいはestatismの訳語であるだろうが、それは制度としての国家であり、nationalismの持つ「ある人間にとって制度的・社会的にだけではなく心情的・感覚的にも持っている所属の認識」を失うだろう。そこで一般の日本語訳ではこの幅広いニュアンスを持つ言葉を、英語の発音に準じて「ナショナリズム」「ナショナリスト」とすることも多い。私もそれに倣うが、それに「ethno-」という、これは明らかに血統的、種族的なつながりを持つグループを思わせる言葉が接頭辞としてつけられているため、「民族主義的ナショナリスト」と訳すことにしたわけである。なお単に「nationalist」とある場合には本文の文脈から「民族主義者」と訳した。
●次に「tribal」は「種族の」「種族的」と訳すことにした。「ethnic:民族の」よりももっと狭義の血族関係のニュアンスが強いと判断したからである。また「ethnic Russians」などの言葉には「民族的な意味のロシア人」等と訳した。単に「ロシア民族」でもよかったのだろうが、この文章ではそんな単純な言葉では捉えられない広大な「ロシア」が描かれているため、少し回りくどいがこのような表現にした。
●また「Russian World(world)」はシャミールの造語かもしれないがこれは単純に「ロシア世界」と訳した。「ロシア」という膨大な多元性・多様性を内に含み持つ(アメリカの多様性とは本質的に異なる)一つの世界(あるいは文明の在り方)については、本文をお読みになってご理解いただきたい。
●最後に「Ukrainian dialect」だが、これには困った。この訳文で私は「ウクライナの地方語」と訳している。言語学的にはウクライナ語をロシア語の「方言」とは言えないだろう。どういう意味合いで著者が「dialect」という言葉を使ったのかは不明だが、他の箇所(引用だが)では「Ukrainian(ウクライナ語)」という言葉を使っているので、ウクライナ語がロシア語の一部分であるという認識はしていないだろうと思う。またこれは
【翻訳後記】 の中でスペインの言語事情と比較しながら述べることにしたい。

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クリミア:プーチンの勝利 …いま戦線は東部「ニューロシア」へ移る

ノヴォロシア:ウクライナ本土の東部と南東部


イズラエル・シャミール  Global Research, March 21, 2014

 こんな目を見張るような速さで物事が動いていくなど誰一人予想しなかった。ロシア人たちは時をかせいだ。塀に腰をおろして見つめた。その間に、茶シャツならず者部隊がキエフを制圧し、米国国務省のヴィクトリア・ヌーランド女史と仲間のヤツェニュック(ヤッツYats)はその素早い勝利をお互いの背を叩いて祝福し合った。

 
 ロシア人たちが見つめている間に、大統領ヤヌコヴィッチは命からがらロシアに逃れた。そして茶シャツ集団は南部のロシア語地域を脅迫するべく移動した。牢獄から飛び出したばかりのムメ(Mme)・ティモシェンコがロシアとの条約を無効にしてセヴァストポルの大きな港からロシア黒海艦隊を放り出すと誓う声に、ロシア人たちは耳を傾けた。

 新しい政府が東部地域を統治するために寡頭支配者どもを指名したときに、ロシア人たちは注意を払わなかった。彼らは、ウクライナの学校の子供たちが「ロシア人を太い枝に吊るせ」と歌うように命じられ、クリミアの反抗が平定されるや否や寡頭支配知事の副官が
ロシア人不満分子を吊るすと誓約したときですらも、反応しようとしなかった。これらの恐ろしい事々が次々と現れてくる間、プーチンは沈黙を守った。

 彼、プーチン氏は、実に冷静なやつだ。著者を含む誰もが、彼はウクライナの崩壊についてあまりにも無頓着だと考えた。彼は辛抱強く待った。ロシア人たちはゆっくりとしたためらいがちな、ほとんど目立つことのない動きを少しだけ行った。ロシア海軍は国際的な合意のおかげで(アメリカがバーレーンに海兵隊基地を持っているのと同様に)クリミアに基地を持ち、空港と道路封鎖用のブロック、そしてクリミア武装部隊(自衛軍と呼ばれるが)のボランティアによる必要な援助を与えられていたのだが、なりを潜めたままだった。クリミア議会は自治権を主張し1か月以内に住民投票を行うと約束した。するといきなり、ものすごい速さで事態が動き始めたのだ!

 投票は3月16日の日曜日にまで前倒しで設定された。それが行われる前にもう、クリミア議会はクリミアの独立を宣言した。投票の結果は目を見張るようなものであった。投票者の96%がロシアへの編入に賛成したのだ。投票率は驚くべき高さ、84%を超えていたのである。血統的なロシア人だけではなく、民族的な意味のウクライナ人とタタール人さえもまた、ロシアとの再統合を支持したわけである。同時にロシアで行われた投票で、国民の90%がクリミアとの再統合を支持したことが明らかになった。リベラル派による恐怖感の押し売りにもかかわらず(彼らは「それは犠牲があまりに大きく、制裁はロシア経済を崩壊させ、アメリカはモスクワを爆撃するだろう」と言っていた)なのだ。

 その時になっても、専門家と言論人の多数派は、状況が相当に長い期間変わらずにとどまるだろうと予想した。一部の者は、プーチンが、ちょうど2008年のトビリシとの戦争の後でオセチアやアブクハジアに対してそうしたように、最終的な状況を先延ばししながらも結果としてはクリミアの独立を認めるだろうと考えた。他の者たちは、特にロシアのリベラルたちだが、プーチンがウクライナにあるロシアの資産を守るためにクリミアを明け渡すだろうと確信していた。

 しかしプーチンは次のロシアのことわざ通りのことををやってみせたのだ。ロシア人は馬に鞍を置くために時間をかけるが、飛び乗るのは恐ろしく速い。彼は月曜日に、住民投票の結果を伝えるインクが乾かないうちに、クリミアの独立を認めたのである。翌日の火曜日には、帝国時代の栄光を贅沢に復元したクレムリン最大の最も豪華で優雅な聖ゲオルギー国家ホールに、ロシアの上級閣僚と議員の全員を集めて、クリミアの再統合の努力に対する承認を宣言した。彼の演説の直後にクリミアとロシアとの間で条約が調印され、クリミア半島は1954年以前にそうであったように、ロシアに戻ってきた。その年には、共産党指導者だったフルシチョフがこの半島をウクライナ・ソヴィエト共和国に引き渡してしまったのだ。

 これは集まった政治家たちと家庭でテレビ中継を見ている人々にとって、最大級に意気揚々たるイベントだった。巨大な聖ゲオルギー・ホールは、プーチンをかつて無かったほどに、ちょうど
アメリカ議会がネタニヤフを称賛したのと同じくらいの音量と力強さで、称えたのだった。ロシア人たちは大いなる誇りを感じた。彼らは1991年の苦痛に満ちた敗北をいまだに覚えている。そのとき彼らの国は引き裂かれたのだ。クリミアの奪還は彼らにとって素晴らしい逆転だった。ロシアの国中で、とりわけ喜びに沸くクリミアで、その栄誉をたたえる民衆の祭りが行われたのだった。

 歴史家たちはこの出来事を1870年に失われたクリミアに対するロシアの主権回復に等しいと見なしている。クリミア戦争がロシアの敗北で終わったおよそ20年後のこの年に、勝ち誇るイギリスとフランスによってクリミアにおけるロシアの権利への厳しい制限が押し付けられたのだ。今後は黒海艦隊は拡大し再び自由に航行できるようになるだろう。ウクライナ人が海軍基地の施設を衰退させバラクラヴァの最新鋭の潜水艦基地をめちゃくちゃにしたのだが、そこには潜在的な力がある。

 この喪失した巨大な土地を取り戻した嬉しさの一方で、敵を出し抜いたというもう一つの喜びが加わった。アメリカのネオコンがウクライナでのクーデターを準備し、この不幸な国に倒壊をもたらしたのだが、この解体劇の最初の具体的な果実はロシアに行ってしまったのだ。

 このときに新しいユダヤ・ジョークが作りだされた。

   イスラエルの大統領ペレスがロシアの大統領に質問する。
         「ウラジミール、君はユダヤ人の祖先を持っているのかい?」
   プーチン 「いったい何でそう考えるんだ? シモン。」
   ペレス  「君はクリミアのロシアへの引き渡しでアメリカに50億ドルを支払わせただろ。そりゃユダヤ人にとってさえずうずうしいものだよ!」

 50億ドルはヴィクトリア・ヌーランドがウクライナの民主化(不安定化の意味)のために支払ったと認めた金額を指している。プーチン大統領は敗北の淵から勝利を奪い取り、アメリカの支配は苦い後退を味わうこととなった。

 ロシア人たちは自国の国連大使ヴィタリィ・チュルキンがサマンサ・パワーのほとんど襲撃ともいえる行動を
上手にあしらう様子を楽しんだ。このアイルランド生まれのアメリカ代表は、年長の白髪交じりのロシア外交官に詰め寄り身体的な攻撃をかけながら「ロシアは敗北した(注記:おそらく1991年のことを指す)のだからその結果に我慢すべきだ…。ロシアはアメリカを核兵器で脅迫している」と告げたのだが、その間チュルキンは彼女の手を彼から離すように、そして口角泡を飛ばすのをやめるように頼んだ。これはこの二人の間で起こった初めてのいさかいではない。1か月前にサマンサはプッシー・ライオットの二人組を歓待し、そしてチュルキンは彼女もそのグループに加わってコンサート・ツアーを行うべきだと言ったのである。

 国連ネオコンのキエフ・クーデターでの役割は、二つの独立した暴露によって明らかにされた。秀逸なマックス・ブルメンタールとラニア・カーレックは、最近数ヶ月間の反ロシアキャンペーン(ゲイの抗議、ウォールの件など)は、ヴィクトリア・“ファックEU”・ヌーランドの亭主であるロバート・ケーガン氏率いるシオニスト・ネオコンのPNAC(今はFPIと名を変えているが)によって組織化されたものであることを
明らかにした。ネオコンどもはどんな手段を使ってでもロシアをぶち壊そうと必死になっている様子だ。一方でヨーロッパ人たちはそれよりはるかにフレキシブルである。(実際には、アメリカ軍がいまだにヨーロッパに駐留しており、この旧大陸は望むほどには自由に行動できないわけだが。)

 次なる暴露は、ウクライナのシークレット・サービス(SBU)長官で大統領と同じくロシアに逃れた
アレクサンダー・ヤキメンコとのインタビューだった。ヤキメンコは現在の安全保障のツァーであるアンドリィ・パルビィを、アメリカ人と取引したとして非難した。アメリカのそそのかしで、彼は武器を配給し2,3時間の間に70人ほどを殺した狙撃手を導き入れたのだ。彼らは抵抗者たちと同様に武装警察官達も殺害した。

 合衆国ネオコンが主導したキエフでの陰謀はヤヌコヴィッチ大統領との合意に到達しようとするヨーロッパの試みがその標的だったと、このSBU長官は語った。彼らはあらゆる点でほとんど合意できていたのだが、ヌーランド女史はこの合意を脱線させようと願った。そこで彼女はそうしたのだ。何人かの狙撃手の手を借りて。

 これらの狙撃手はクリミアで再び使われた。一人の狙撃手が銃を撃ちウクライナ人の兵士を殺した。クリミア自衛軍が彼らを追跡し始めたときに、狙撃手は彼らを狙って一人を殺し一人に傷を負わせた。これは同じパターンである。狙撃手は応戦を挑発し、望むべくは撃ち合いを開始させるために、使われるのだ。


ノヴォロシア

 クリミアは楽勝だったのだが、ロシア人たちは目的達成からは遠く離れている。いま、戦線はウクライナ本土の東部と南東部の地域に移動している。そこは1917年の共産主義革命の以前にはノヴォロシア(ニューロシア)と呼ばれた場所なのだ。アレクサンドル・ソルジェーニツィンはその晩年に、レーニン以前には決してウクライナに属したことのない工業地域によって、つまりロシア語圏のノヴォロシアによってあまりにも多くの負担をかかえることからウクライナの没落がやってくるだろうと予言した。この予言が現実のものとなっているようだ。

 そこでは誰が誰に対して戦っているのか。この紛争をロシア人とウクライナ人という種族間のものと考えるのは大変な間違いだ。お人好しの老パット・ブキャナンは次のように言ってこの間違いをやらかした。「ウラジミール・プーチンは血と大地、祭壇と王座の民族主義的ナショナリストで、自らをロシアの守護神と見なし、イスラエル人たちが外国にいるユダヤ人を見るのと同じやり方で、つまりその安全が自らの正当な関心事であるような人々として外国のロシア人を見つめるのだ」と。これほどに真実からかけ離れたものはあるまい。これと対等に張り合えるのはたぶん、プーチンがロシア帝国を再建したがっているというとんでもない主張くらいのものだろう。

 プーチンは帝国の建設者でも何でもない(ロシアの共産主義者や民族主義者にとっては実に残念なことだが)。彼の素早いクリミア奪還ですら、クリミアの人々の強い意志によって、そしてキエフ政権の騒々しい挑発によって、そうせざるをえなかった行動だったのだ。プーチンがそんな決断をしなくてもよいように願っていたということを、私は確かな筋から聞いている。しかしその決断をしたときに彼は行動した。

 民族主義的ナショナリストというブキャナンの非難は誤誘導するものですらある。ロシアの民族主義的ナショナリストこそプーチンの敵なのだ。それらはウクライナの民族主義的ナショナリストを支持し、モスクワの街頭デモでユダヤ人リベラルと一緒になって行進する。民族主義的ナショナリストは、それがイギリス人にとって奇異なものであるのと同様に、ロシア人にとって奇異なものなのだ。ウェールズやスコットランドの民族主義者に出会うことは期待できるのだが、しかしイングランドの民族主義者というのは不自然で奇妙である。イングランド防衛同盟(the English Defence League)すらシオニスト・ユダヤ人によって作り上げられたものだ。同様に、ウクライナやベラルーシやコサックの民族主義者を見つけることができても、実際上はロシアの民族主義者など決して見つけることはできない。

 プーチンは非-民族主義的ロシア世界の提唱者であり代弁者である。ロシア世界とは何だろうか。


ロシア世界

 ロシア人は、モンゴル人やカレル人からユダヤ人やタタール人に至るまでの、様々な背景を持つ多くの種族的な単位を抱えてその広大な宇宙に居住している。1991年までは、彼らはより大きな土地(ソヴィエト連邦でありその以前にはロシア帝国)に住んでいた。そこではロシア語が共通言語であり、その言語は大部分の国民にとって日常言語だった。ロシア人たちは差別をせず成果を一人占めしようとしなかったがゆえに、この巨大な帝国を蓄積できた(多くの異なる土地と人々を抱合できた)のである。ロシア人たちは驚くほどに、ちっぽけな西ヨーロッパの国々では見当もつかないほどに、非-種族的なのだが、そのことは、中国の漢民族や青年トルコとアタチュルク以前のトルコ人たちのような東方帝国の人々にとっても同様だったのである。ロシア人たちはその隣人たちを同化しようとはしなかったが部分的に文化的な適応をさせ、彼らにとってはロシアの言語と文化が世界に通じる出入り口となった。ロシア人たちは、その多様性を楽しむがゆえに、自腹を切ってでも地方の文化を保護し支えた。

 1991年以前には、ロシア人たちは普遍主義的で人間主義的な世界観を推奨した。ナショナリズムは、何よりもまずロシア民族主義は、実質的に抑えつけられた。誰もその種族的な出自のゆえに迫害されたり差別されたりすることは無かった(そう、ユダヤ人たちは不平を言ったが、しかし彼らはいつでも不平を言うのだ)。それらのソヴィエト共和国の中ではいくつかの積極的に行われる差別があった。たとえばタジク人はタジク共和国の中で、ロシア人やユダヤ人よりも優先的に医学を学ぶ権利を持っていた。そしてタジク人は党と政治家の内部での地位をより早く上ることが可能だった。その差が小さなものだったとはいえ。

 1991年以後になって、この普遍主義的世界観は、ロシアとベラルーシを除くすべての元ソヴィエト共和国の中で、教条主義的で民族主義的なナショナリストの世界観によって攻撃を受けた。ロシアの中ではソヴィエトが廃止されたのだがその普遍主義は残された。だが複数の共和国の中でロシア文化を持つ人々は激しい差別にさらされた。しばしばその職場を解雇され、最悪の事態になると追放されるか殺された。それらの共和国で生まれた何百万ものロシア人が難民となった。彼らといっしょに、「自分たち自身」の民族主義的で教条的なものよりも普遍主義的な文化を好む何百万人の非-ロシア人たちもまた、ロシアへと逃れた。それが、現在のロシアが膨大な数のアゼルバイジャン人、アルメニア人、グルジア人、タジク人、ラトビア人、そして多くの共和国から来た少数の民族集団を抱えている理由である。元の国々では彼らの先祖たちが代々暮らし、そしてロシア語があらゆる非-民族主義権力の共通の土台となっていたのだ。

 もしイスラエルと比較したいというのなら、パット・ブキャナンがそうしたようにだが、それはウクライナ、グルジア、ウズベキスタン、エストニアのような共和国のことであり、それらは自分たちの「少数民族」を差別し迫害するイスラエル・モデルにまさしく従っているのである。一方でロシアは平等という西ヨーロッパ・モデルに倣っているのだ。


フランス vs オキシタニア

 ロシア-ウクライナ問題を理解したいなら、それをフランスにたとえてみればよい。フランスが北と南に分かれたとしよう。北はフランスの名を残し、南は自らを「オキシタニア」、自国民を「オキシタニア人」、自国語を「オキシタニア語」と呼ぶとする。オキシタニア政府は国民に、プロバンス語を話すこと、その源としてフレデリック・ミストラルの詩を学ぶことを強制し、子供たちにフランス人を憎むように教育するだろう。フランス人たちは1220年のアルビジョア十字軍の際に彼らの麗しい国土を荒廃させたのである。フランスはまさに歯ぎしりすることだろう。そしてその20年後をイメージしてほしい。「800年間のフランクの支配」を根絶させたいと熱望しヴィクトル・ユーゴとアルベール・カミュの言葉を話すことを好む人々を差別しようとする空想主義的な南部のファシストたちによって、オキシタニアの権力が暴力的に奪取された。必然的に、フランスは介入とフランス語圏の人々の防衛を、少なくとも難民の殺到を食い止めるために、行わざるをえなくなるだろう。おそらくマルセイユやトゥーロンのフランス語圏の人々は「自分たち自身」の政府に反対して北を支持することだろう。彼らがノルマンジーからの移住者ではないにしても。

 プーチンはロシア語圏の人々全員を、民族的な意味のロシア人だけではなくガザウズやアブカハズのようなあらゆる少数民族を、防衛する。彼はロシア世界を、彼の保護を求め必要とするあらゆるロシア語圏の人々を、防衛する。このロシア世界は、ノヴォロシアとキエフの中で、ウクライナ住民の多く ― おそらくは多数派、そして民族的な意味でのロシア人、ユダヤ人、少数民族と民族的な意味でのウクライナ人を、明らかに内包している。

 実際にロシア世界は昔も今も魅力的である。ユダヤ人たちはシュテットル(ユダヤ人集落)とイーディッシュ語を喜んで忘れた。その最高の詩人であるパステルナークやブロドスキィはロシア語で書き自分自身をロシア人と見なしていた。それでも、一部のマイナーな詩人たちは自己表現としてイーディッシュ語を使った。ウクライナ人たちもまた長い間、家庭内では自分たちの方言を話したが文学にはロシア語を使った。ニコライ・ゴーゴリはウクライナの起源を持つロシアの偉大な作家だが、ロシア語を書き、ウクライナの地方語を使う文学への反対者と位置付けられたまま死んだ。タラス・シェフチェンコやレシャ・ウクラインカのような、地方語を創造的芸術のために使用するロマン派のマイナーな人々も何人かいた。

 ソルジェーニツィンは次のように書いた。「民族的な意味でのウクライナ人たちですらウクライナ語を使わないし知らない。その使用を推進するために、ウクライナの政府はロシア人の学校を廃止し、ロシア語のTVを禁止し、自由主義者さえもその読者とロシア語で話すことを許されない。ウクライナでのこの反-ロシア主義の立場は、まさしく、ロシアを弱めるためにアメリカが望んでいることである。」

 プーチンはクリミアでの演説で、ウクライナのあらゆる場所でロシア世界を保証したいと望んでいることを強調した。ノヴォロシアではその必要性は緊急のものである。民衆とキエフ政権が差し向けたギャングどもとの間で毎日のように衝突が起こっているからである。プーチンはそれでもまだ(ソルジェーニツィンに反対し一般的なロシア人感情に反して)ノヴォロシアの奪取を望んでいないのだが、クリミアでそうだったように、彼はそうせざるをえなくなるかもしれない。そんな巨大な変化を避ける道が一つある。ウクライナはロシア世界に再加入しなければならない。その独立を保ちながらも、ウクライナはロシア語を話す人々に完全な平等を保障しなければならない。彼らはロシア語の学校、新聞、TVを持つことができるべきであり、どこででもロシア語を使う権利を与えられるべきである。反-ロシア・プロパガンダは終わらなければならない。そしてNATO加入の幻想もまた終わらなければならない。

 これは突拍子もない要求ではない。アメリカにいるラテンアメリカ人たちはスペイン語の使用を許されている。ヨーロッパでは言語と文化の平等が必要欠くべからざるものだ。旧ソヴィエトの共和国内だけでこれらの権利が踏みにじられている。ウクライナばかりではなくバルト海諸国でも同様だ。20年の間ロシアは、バルト海諸国でロシア語を話す人々(その多数派が民族的な意味でのロシア人ではない)が差別を受けたとき、弱々しい反対を行っただけだった。それは変化しそうである。リトゥアニアとラトビアはすでに、ロシアとの中継ぎ貿易の利益を失うことで、その反-ロシア的な姿勢に対する代価を支払っている。ウクライナはロシアにとってはるかに重要だ。現政権が変化できないのなら(ありそうにもないことだが)、この非合法な政権はウクライナの人々によって変化させられるだろう。そしてロシアは、権力を握る犯罪的な諸要素に対して、「保護する責任」を使って対処するだろう。

 ウクライナ国民の多数派はたぶん、その民族性とは無関係に、プーチンに同意するかもしれない。実際にクリミアでの住民投票では、ウクライナ人もタタール人もロシア人たちと共に一丸となって賛成票を投じたのだ。これは明るいきざしである。アメリカの逆向きの努力にもかかわらず、ウクライナ東部に民族間の争いなど何もない。決定の時は素早くやってくる。一部の専門家たちは5月末までにはウクライナの危機は我々から立ち去るだろうと予想している。

【訳出、ここまで】

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【翻訳後記】

 一つの空間の中におおよそ平等な形で、さまざまに異なった極めて多くの要素を含んで存在する、「生態学的」と言ってもよい社会は、おそらく人間社会の最も自然な在り方のはずだ。いま「おおよそ平等な形で」と言ったのは、ある特定な要素が他の多くの要素に向かって、圧倒的に、生殺与奪権すら握って支配するような、そんな在り方ではなく、という意味である。これは本来のアジア的な、そしてロシア的な社会の在り方なのだろう。比較の対象として、世界の歴史で見られる次のような文明の在り方を考えてみればよい。

 アングロサクソンはブリテン主要部からケルト人をほぼ完全に駆逐した。スペインのキリスト教徒支配者はそれまで何百年間もイベリア半島で共存していたイスラム教徒とユダヤ教徒を追放し、残虐な異端審問で残った者たちの同化を強制した。北米大陸に渡った西ヨーロッパ人たちはネイティヴ・アメリカン(俗に言う北米インディアン)たちを絶滅にも近い状態に追いやり、文化と生活を破壊し尽くし、そのほとんどの土地と資源を奪った。ヨーロッパからパレスチナに移住したユダヤ人たちはアラブ人たちを残虐にたたきだしてその土地を略奪した。そして日本人は北海道のネイティヴ(アイヌ人)たちをその生活の場から徹底して追い払い、見世物として以外の文化的要素を全て奪い取った。オーストラリアでは…、いや、もう十分だろう。

 一方で、中国の各王朝は確かに敵対する周辺の国々と民族を攻撃し支配したが、完全に滅ぼすようなことはせず朝貢を求め権威に従わせることで満足し、またその地の文化を破壊し奪い去るようなこともしなかった。そもそも「中国」あるいは「漢民族」とされるもの自体が広大な地域に散らばる多数の文化と言語のおおらかな集合体であり、共産主義の政府が登場するまでは一つのイデオロギーで塗りつぶすような試みは行われなかったし、それも決して成功していない。小アジア半島を中心に東ヨーロッパから北アフリカ、中東一帯を支配したオスマン帝国も同様である。そもそも、20世紀後半にアメリカが積極的に介入工作を行う以前には、イスラム教徒たちは他の宗教を根絶させるような発想を持たなかったのだ。そして、イズラエル・シャミールがこの文章で述べているように、ロシアもまた、その東方世界の一つなのである。著者はそのようなロシアの在り方を「ロシア世界」と呼んでいる。

 「弱肉強食」という言葉を自然法則ででもあるかのように吹聴する人々がいるが、自然界に対するこれほどの無知と悪意は他に存在するまい。自然界には食物連鎖があり生産者(光合成をおこなう生物)、第一次消費者(草食性の動物)そしてプレディター(捕食動物)が存在する。それを人為的にピラミッド型に積み上げた、あたかもその最高の位置にあるプレディターが生物界に君臨するかのような図解は、自然に対する重大な誤解を誘うだろう。現実にはわずかな環境の変化で真っ先に滅んでしまうのがその最高位にあるプレディターの方であり、彼らこそ自然界で最もひ弱な生き物なのだ。「弱肉強食」とは、人間が己のあくなき貪欲と無知蒙昧によって行う残虐行為を自己弁護するために発明した、徹底して反自然的な認識なのだ。他者・異質なものを絶滅させようとする先ほど述べたような文明の在り方は、この記事で著者が「ロシア世界」と呼ぶ、そして広く東方の世界に存在する文明の在り方の、まさに対極に位置するものなのだろう。あのアメリカのユダヤ人を中心とするネオコンは「文明間戦争」を提唱した。彼らがどちらの文明に属するのか、もはや言うまでもあるまい。

 シャミールのロシアとウクライナ、旧ソ連圏の共和国群に関する見方が、あらゆる点で正確なのかどうかまでは、私には断定する自信が無い。しかし、現実の政治の動きに具体的に次々と現われてくる殺伐とした光景を、深い歴史的な視座と豊かな文明観の中に置いてじっくりと捉えていくシャミールの視点にはいつもながら舌を巻く。次の文章(拙訳)にも見られる通りである。
    アメリカ:あるユダヤ国家 
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/a_jewish_state.html
    パラダイス・ナウ あるいは ある秘密諜報員の告白 http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/paradise_now.html

 ところで、私はこの記事を訳しながら、いま私の住むカタルーニャの運命について考え込んでしまった。
スペインからの分離独立に向かって一直線に突っ走ろうとしているこの南欧の民族地域は、このウクライナ東部「ノヴォロシア」とは非常に興味深い対比をなしている。

 いま、カタルーニャの分離独立を目指す政治勢力はウクライナ情勢について沈黙しているが、明らかに、どう言うべきか戸惑っているように見える。スペイン政府は西側世界の一員として、クリミアや東部ウクライナのキエフからの離別を非難し、カタルーニャ独立の動きもまたこれと同様のものと見なして「不法であり断じて許されるべきではない」という姿勢を保っている。では独立派はというと、民族自決という名目と、EUの一部として西側世界にとどまりたい意図の間で立ち往生している様子だ。少し前にロシアはコソボを引き合い出してアメリカとEUのダブルスタンダードをからかったのだが、カタルーニャ独立派もまたコソボを例にとって「民族自決権」を振りかざしている。しかしこれはロシアとは逆にアメリカとEUの権威を借りるためであり、前のサパテロ左翼政権以来のスペイン政府はいまだにコソボを正式には承認していない。

 独立派は昨年9月11日にカタルーニャを南北に貫く「人間の鎖」を演出したのだが、その際に、同様に「人間の鎖」でロシアとの離縁の意思を明らかにさせた
ラトビアとリトアニアの首相はEU構成国として真っ先にカタルーニャ独立への支持を表明した。そのバルト海沿岸諸国で独立後に起こったことは「ロシア排斥」「民族浄化」であり(この点はシャミールもこの文章で触れている)、カタルーニャが独立すると仮定した場合には同様の事態が発生しかねないように思う。「純粋さ」は、適度にいい加減でおおらかな共存の仕方を拒絶し、結果として自らを破滅させかねないのだ。それが人間社会の自然なあり方に反しているからである。いまバルト海諸国はルーマニアやブルガリアなどの東欧諸国と並んで、膨大な借金を抱えながら貧富の差を拡大させ国家破産への道を歩みつつある。

 またシャミールは上の記事の中で、意図的にか無意識的にかは分からないが「Ukrainian dialect」というように書いている。思わず、かつてのフランコ独裁の時代にスペインでカタルーニャ語が「スペイン語(カスティーリャ語)の一方言」であるとみなされていたことが私の頭に浮かんだ。

 カスティーリャ語とカタルーニャ語は、同じラテン系言語でありながら明らかにその成立過程が異なる。前者はローマ帝国内の貴族や上級軍人が用いた「上ラテン語」の系統である。後者はフランス語やイタリア語、ポルトガル語などと並んで、一般庶民と下級兵士が用いた「俗ラテン語」系統であり、元々は語彙的にも文法的にもスペイン語(カスティーリャ語)よりフランス語やイタリア語との共通点が多いと言われる。また南フランスのプロバンス語とは「姉妹言語」と言ってもよいだろう。ただし18世紀のマドリッド・ブルボン王朝による圧政と「言語狩り」以来、カスティーリャ語からの語彙が数多く抜きがたく入ってきており、今では「イタリア語とフランス語とスペイン語を足して3で割った」というような言い方もされる。いずれにせよ、カタルーニャ語をスペイン語の一方言とするのは明らかな間違いであり、こういったデマはフランコ独裁時代の独自文化圧殺政策の一部分だったのだ。

 ウクライナ語が、カタルーニャ語がカスティーリャ語とは異なるのと同じくらいに、ロシア語と異なっているのかどうか、私には分からない。またシャミールの文章にはロシア帝政時代の多くの作家がウクライナ語ではなくロシア語で作品を書いたことが述べられているが、これは事実だろう。スペインでも、フランコ政権終了後にカタルーニャ語の使用が公に認められた以降ですらスペイン語で作品を作り続ける複数の著名な作家がいる。これは「政治的に保守」ということではなく単純に市場の問題であろう。カタルーニャ人もスペイン語を何の苦も無く読み書き話すことができるわけで、スペイン語で書いた方がはるかに多くの読者層を確保できるのである。歌や映画でも同様なのだが、近年では積極的なカタルーニャ語での製作が政治面から推し進められている。例えば外国映画の吹き替えで、以前ならスペイン語への吹き替えだけで済んだのだが、今はカタルーニャ語への吹き替えが強制され映画配給会社と映画館は四苦八苦している。

 またカタルーニャにもスペインの他地方や中南米から移住してきた人々とその子孫が数多く住んでいる。学校でカタルーニャ語を習う子供たちはともかく、大人たちにとってこの新しい言語の習得は非常に難しい。バルセロナ都市圏ではカタルーニャ語を話す人々とほぼ同数か、ひょっとすると多数派かもしれない。しかしいま独立派が主導権を取るカタルーニャでは、公立学校でも私立学校でもスペイン語で授業を受ける権利はほとんど保障されていない。公的機関が資金を出す半官半民の企業にはカタルーニャ語をあまり理解できない中南米出身者などが多く働いているが、社内の通達や連絡には全てカタルーニャ語の使用が強制されている。いくら自民族の言語を大切にすると言っても、少々行きすぎではないのかという気すら起こる。

 私は長年バルセロナに住み、カタルーニャ語のTVやラジオにむしろスペイン語よりも長い時間耳を傾け(マドリッドからの放送が面白くないせいもあるのだが)、カタルーニャの味わった歴史的な悲劇を研究して、その民族としての誇りを十分に尊重しているつもりだ。しかし、昨今の独立派の動きを見るにつけ、(年金の支給や健康保険の適用がどうなるのかの心配以外に、)シャミールが苦々しい思いで見つめる旧ソ連圏の共和国と似たような「純化」が始まるのではないかと心配になってしまう。民族的な純粋さを振りかざして共存共栄の思想を打ち棄てるとすれば、その発想は、シオニズムと同様に、外部の人間にも内部の人間にとっても極めて危険なものとなるだろう。かつてスペインがキリスト教への純化のためにイスラム教徒とユダヤ教徒を追い出した愚かさを、カタルーニャが繰り返さないように願うばかりである。
 
2014年4月21日 バルセロナにて 童子丸開

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