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9/11:「合格シール」の彼方に   

                                          ダビッド・モントウト 著

 この拙訳は2006年11月に私(童子丸開)が和訳して季刊『真相の深層』誌(木村書店、廃刊)に寄稿した後、私の旧HPに掲載していたものである。(外部リンク先にはすでに通じなくなったものが含まれているかもしれない。その点はご容赦願いたい。)
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(訳者より)
 この文章は2006年11月にイズラエル・シャミールのHPに掲載されたものである。英語原文は以下。
http://www.israelshamir.net/Contributors/Contributor40.htm
9/11:Beyond the Seal of Approval by David Montoute
 これは、いわゆる「左翼オールタナティヴ・メディア」、およびノーム・チョムスキーやロバート・フィスクなどその「守護神」たちがいかに世界エリート達の『門番』として雇われているのかを指摘・告発する文章である。特に9・11事変で浮き彫りにされたことなのだが、実際に彼らは巨大資本が支える基金から出資を受けて「反体制運動」をコントロールする役を引き受けているのだ。つまり『深層の政治』に仕えその目となり手足となる「情報局」に他ならない。それらに対する弾劾を通して著者は「事実を元にした」「ラディカルなオールタナティヴ」の可能性を模索する。
この論文の著者であるダビッド・モントウト(David Montoute)は、マドリッド高等研究所の自然療法研究員というちょっと変わった人物なのだが、その詳しい経歴は不明である。しかし彼は以前に、元セルビアの指導者ミロセヴィッチに関する次のような興味深い論文をInvestigating New Imperialism誌に寄稿している。
http://www.williambowles.info/guests/2006/0306/milosevic.html
The Real Milosevic  By David Montoute
 現代世界の最もラディカルなジャーナリストの一人であるイズラエル・シャミールが、ジェイムズ・ペトラスやボブ・フィンチ、ジラッド・アツモンなどの錚々たるメンバーと並べてこのほとんど無名の作者による文章を自らのホーム・ページに掲載したのは決して彼の気まぐれではない。現代の危機はリアリティーの危機であるとしその危機を通して逆に真のリアリティーを掴み取ることを呼びかけるモントウトの主張は、その無名さを補ってはるかに余りあるものだろう。
 なお、文中の[1] [2]・・・等は著者による注釈番号であり、文末に脚注を掲げる。

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9/11:「合格シール」の彼方に

                       ダビッド・モントウト 著

『今日のマス・メディアというものは、群集の心理に対して特権階級が押し付ける全体主義的「ゲシュタルト」の基盤、すなわち、物事の真実性に権威を与える「合格シール」なのである。』
ディン・ヴァンタリ

 5年前に起こったニューヨークとワシントンのテロ攻撃、そしてそれらが解き放ったもの――「我々が生きている間には終わらないかもしれない」戦争の宣言と世界的な警察国家化へのアジェンダ――の衝撃を考えるなら、見通しの明るい逆流現象を見て取ること、あるいはそれを引き出すことは、容易ならざる作業である。しかし、そのような流れの一つが現れつつあるのかもしれない。米国人の36%が2001年9/11の公式発表を拒絶しているという報道を見ると、何かの予想外のことが起こりつつあるような感じもする。公式な『対テロ戦争』の語り口に関する大衆的な信頼の崩壊は、エリートによる洗脳と「真実はこうである」とのご託宣に対する集団的な従順さが幅広く崩壊していく、その始まりを表しているのかもしれない。この新しいプロセスが影響を与える対象は企業的メディアだけでない。それは、伝統的な米国左翼にとって居心地のよい「オールタナティヴ」メディアと、事実に従ってより厳しい作業を実行する新たなそしてより多様なコミュニティとの間に、巨大な不和と断絶を作りつつあるのだ。

 インターネット出版という新しい現象に伴って、ネットでつながり、事件に対して即座に反応し、そして自己検閲に拘束されず他からの調整を受けないメディアの大波が押し寄せているのだが、その中で特にこの5年間に独立した研究者達が、『深層の政治』という従来押し隠されていた世界についての覆いを取り去ってしまった。

 ピーター・デイル・スコット(Peter Dale Scott)がこの『深層の政治』という用語を創り出したのだが、彼はそれを「合法的に選ばれた政府と、その政府に敵対するように見せかけられる暴力的権力や犯罪的権力との間にある、恒常的・日常的な相互関係[1]」と定義した。それはウォール・ストリートの金融センターと米国諜報機関との間にある回転ドアから始まり、国家お抱えの私兵と暗殺集団、スカル&ボーンズやP2のような秘密組織、不正選挙と国有財産の私物化、政府に保護されて世界的な金融システムの中で資金を回転させる麻薬取引ネットワークに至るまで、これは我々の近代的な「理性的」世界の薄暗い下半身なのである。しかしながらそれは、少なくとも理論的には、公的な監視の対象となり正式な機能として働く世界的な経済システムの中に包み込まれるものなのだ。

 時の経過と共に、あるいくつかの鍵となる出来事がこの世界に窓を開けてきた。そしてそれらは最も完璧に虚構が施され、それらを調査しようとする者たちに『陰謀論者』の汚名を着せることによって真相の暴露から保護されてきた出来事にほかならないものである。もしこの地下世界に対する探索が主要メディアによるニュースに対して無制限に開かれるとしたら、伝統的な「オールタナティヴ」メディアはそれを取り扱うことに気が進まないどころではなくなるだろう。カナダの経済学者ミシェル・チョスドフスキーによってなされたCIAとISIとタリバンが共謀・結託しているという事実の暴露は、2001年9月11日の事件に関する我々の初期の理解にとって計り知れないほどの貴重な価値を持つものであった。それは以前にMITの教授であるノーム・チョムスキーがチョスドフスキーの本に先立って書いていたことなのだが、しかしこの「米国反体制派のリーダー」は長期間にわたって、チョスドフスキーたちの発見があたかも存在しなかったかのようにふるまった。そして最終的にそれらの共謀関係に対する沈黙について質問されたときに、チョムスキーはこの米国が連座しているという考えを「絶望的なほどに受け入れ難い」ものであり議論する値打ちすら無いと見なした。好戦集団である民主党への草の根的支持を続ける米国の反戦運動について語りながら活動家チャールズ・ショウ(Charles Shaw)はそのような姿勢について、『「コントロールされた抵抗」の拡大パターンの一部』であると見なす。それは、『自己または相互の検閲、否定的な心理学、個人的あるいは専門的な批判と報復への恐れ、そして、選挙で選ばれた公的機関の上にある権力および非営利的な活動分野に巨額の資金を出す基金団体の上にある権力からの圧力によって、反体制活動が注意深く運営され規制されているシステム』なのである。[2]

 チョムスキーが、マス・メディアの彼に対するプロパガンダのパターン、つまり大企業の経営がいかに劇的に暴かれているのかという大宣伝によって有名であるにも関わらず、彼は同時にまた反陰謀論の橋頭堡でもあるのだ。チョムスキーの世界の中では、リー・オズワルド一人がケネディ大統領を殺したのであり、サダム・フセインが1990年にクゥエートに対する米国の姿勢を「誤解した」のであり、そしてオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンでソ連が敗れた後に自分のパトロンとの縁を切ったのである。ハリウッド・スターたちがCNNでおおっぴらに米国テロリズムの自作自演を語るときでさえ、チョムスキーとその仲間達はその姿勢を変えようとしない。彼らにとっては、現在の紛争について以下のことが自明の理となっている。{ (a)「アル・カイダ」として知られる実体があり、それは国際的な規模を持ち米国とは無関係に自らの目的を追求している。 (b)この実体は2001年9月11日の攻撃の犯人であり、 (c) その必然的な結果としての「対テロ戦争」は、その裏に隠された動機があって打ち出されたものかもしれないが、合法的な安全保障への関心から発している。}しかし、こういった説明が完璧に空虚であることは、時には大手の情報媒体によっても為される[3]消耗に満ちた調査と研究によって、明白にされてきているのだ。

 問題の多い諸事件に対する企業的メディアの隠蔽をチョムスキー支持派の左翼たちが黙認する姿、そしてもっと悪いことに、別角度からの解釈に対して絶え間無く悪罵する姿を見て、ボブ・フェルドマン(Bob Feldman)は「オールタナティヴ」メディアの資金源を調査してみた。彼の追究によって、巨大な基金団体に端を発する複雑な資金的つながりが明らかにされたのである。フォード基金、米国民主主義基金、三極委員会、ジョージ・ソロスその他多くが、米国のいわゆる「オールタナティヴ」メディアを気前よく支えているのが発見されたのだ[4]。2002年に9・11究明の独立した動きが大手メディア批判にまで発展する構えを見せた時に、これらの「オールタナティヴ」メディアが9・11真相究明運動の主要人物たちに対する激しい攻撃を展開した[5]。しかしこの左翼の門番は、かつての協力者を切り捨て視聴者の多くを遠ざけてしまっただけで、9・11への疑問を押し潰すことはできなかった。その狂信的集団の外側にいる者たち(例えばマイク・ルパートMike Ruppert)が終りの無い人身攻撃の対象となった一方で、チョスドフスキー教授の仕事は単に無視されるだけだった。この門番どもの塹壕を巡らせた利権構造についてさらにはっきりと言える点は、増大する一方の9・11「自作自演」説に対する一般の注目と認知がこの門番どもの隠蔽工作にほんのわずかの影響も与えてこなかったという事実である。最近起こったパシフィカ・ラジオ(資金源はロックフェラー)での解雇劇からカウンターパンチ(Counterpunch)の「陰謀論野郎」カート・ニンモ追放に至るまで、ラインが明白に引かれているのである。「責任ある」批判が一方に、「陰謀論」が他方に置かれるのだ。

 カウンターパンチでそのレーダーをかいくぐったアニス・シヴァーニ[6]は、左翼の「陰謀論者」追及にはより温和な動機があると考える。それを理性主義の資格証明を保持する努力であると見なすのだ。しかしこれは現在の戦争を可能にした事件に対して許可を与えることを意味したため、シヴァーニによればだが、その運動が敗北したのだ。この門番達は真相解明運動に対して、それが社会の「構造分析」を欠落させていると強調するような対応を続けている。これは人間による陰謀の重要性を矮小化するものであろう。構造分析は、それがメディアに対して適用されるときに、情報産業が単なる社会の一分野ではなく権力の総体的な構造の一部に相違無いことを我々に教えてくれるようなことでその価値を発揮する。皮肉なことだが、構造分析が権威ある左翼に対して適用されるとそれがニューヨーク・タイムズやCNNと大差の無いことを明らかにするのだ。しかし最終的には、今日の世界にある真に決定的な構造、つまり戦争と社会不安を作り出す強大な金融帝国を無視するような分析なら、ほとんど何の役にも立たないのである。

 情報産業に関してこれら左翼の門番どもと対話してみるがよい。彼らがその限界を何倍にも膨れ上がらせてしまうことは言うまでも無い。ここでは己の利益が大きな要素となる。なぜなら彼らにとってマス・メディアにおける情報の運び手がより大きな利益をもたらすものであり、各自に世界の中で遥かに高級な経歴を提供してくれるからである。加えてマス・メディアは、何十年間もの非政治化の作業および非主流的な思考を周辺に追いやる作業によって、その思考が『深層の政治』から絶縁されているのだ。独立した研究家にとって賞賛できるような考え方は、しばしば主流メディアのジャーナリスト達にとっては精神錯乱のうわごとのように聞こえるのである。

 この意味でロバート・フィスク(Robert Fisk)など模範生だろう。この英国インディペンデント紙の恐れを知らぬ寄稿者は、今日の最も恐るべき紛争に対するその即刻の批判的な報道によって正当に幅広い尊敬と賞賛を勝ち得てきている。しかしながらフィスクは、多くのアラブ人たちによって認められている9・11の遠隔操作の飛行機を「子供じみた陰謀論だ」と悪罵しているのだ。もちろんだが、彼が自らの論理を言おうとしないため、どのようにあのアマチュア・パイロットたちが大きくコースを外れた飛行機を操って、自分の目による観察だけを頼りに、一度も飛んだことが無い都市にあるそれぞれの標的のビルを見つけたのか、また彼らが知っていたはずも無い多くの民間航空路の網を潜り抜けて、何の障害も無く何の事故も起こさず、あの世界で最も厳しく飛行制限されている地域に入り込むことができたのかは、我々としては知る由も無い。しかしこれが、折り紙付きの嘘つき政府によってあの問題となる事件の「真実」として述べられているものなのだから、これ以上に信用できないものがあるだろうか。そしてなおかつフィスクが、企業的メディアの中で容認できる少数意見としてのギリギリの範囲を表現していることをくれぐれも覚えておかねばならない。

 湾岸戦争の本当の原因から事前の計画通りに実行されたユーゴスラビアとイラクの解体に至るまで、ウォール・ストリートの資金洗浄からデイヴィッド・ケリーの暗殺に至るまで、ウラニウム情報の捏造から「偽の旗」テロに至るまで、主流メディアと巨大基金に支えられた「オールタナティヴ」メディアが語ってはならないタブーのテーマが、果てしの無いリストを作っているのである。ハーマンとチョムスキーのプロパガンダ・モデルの限界は明らかである。今日の世界で最も深刻な歪は、事件に与えられた「スピン」にあるのではなく、それらの事件の「リアリティー」それ自体にあるのだ。2003年にトビリシで演出されたような「人民革命」(クーデター)を判断する際に、「秘密諜報部員」の驚くような関与ぶりは、我々に無知のままですごす贅沢をもはや許さないのである。あるいはラフィク・ハリーリに起こったような暗殺が自動的に「明らかな」犯人を指定する、といったこともありえないのだ。

 人々の認識と「責任ある」批判との間の分離が進むに連れて、未統制メディアにおける大きな波が、社会の階層的秩序に根本的な挑戦状を叩きつけることができるようになった。それが個々全ての人々に対して、すでに確立されている議論の水路を迂回して真実の輝かしい舞台に侵入することを許すからである。その一方で、基金に支えられた「オールタナティヴ」メディアによる人を愚弄するような議論は、ますます燃えさかる危機の中でその無能力が露呈されつつあり、結局は脇に追いやられることだろう。我々が新しい歴史的な場面に突入しているという警告が新たな世代の活動家達の危機感を高めさせているのだ。指を振ることと道徳的な見地からの採点は、我々の現在の境遇を理解するために要求される道具ではない。トーマス・ハーディーは、最悪の出来事が目一杯につまった目録はより良いものに続く道を清めるために作られなければならないと語ったのだが、まさにその通りで、我々の苦しみに満ちた世界の最も嫌悪すべき現象の蓋が今こそ持ち上げられなければならないのだ。

 偽の旗作戦は今に始まったことではないのだが(グラディオ作戦を見よ)、ユーラシアのエネルギー地域での打ち続く戦争の危機はその利用の度を加速度的に早めてきている。バリからマドリッドやロンドンにいたるまで、諜報機関の作戦による魔の手から逃れうる場所は無いのだ。そして以前から議論されてきた傾向であるにもかかわらず、理解の進み方は未だにのろい。そして以前から議論されていた傾向であるにもかかわらず、孤立したバラバラの騒乱が進行していることは、それらが想像されているようなイスラム過激派というよりも「対テロ戦争」推進にとって無限に大きく役に立っているかもしれない。しかし、マドリッドやロンドンの住民たちが、9・11のモンタージュを理解できるとしても、自分達の街も同様の経験をしたとは断固として認めないだろう。米国の中で実にうまくいったようなことがどうして世界のどこでも繰り返されないと言えるのか。これは決して説明されることが無い。ここにこそ、世界エリート達が基本的に持つ超国家的な特質が理解されなければならないのだ。なぜなら米国での警察国家は孤立状態で機能できないからである。「国家安全保障」に向けての傾斜を激しく加速させている流れは通常の感覚でとらえられる政治とはかけ離れている。1970年代に都市計画技術者ポール・ヴィリリオ(Paul Virilio)はこの変化を検証し、それを世界の合法的軍事支配への差し迫った移行であると結論付けた。[7]

 世界エリートどもが、埋蔵量の減少しつつある石油を奪い合い、各国民の服従を暴力的に迫り、そして今まで以上に破滅的な戦争を勃発させるようなときにこそ、共通の認識となるべきリアリティーに対する本質的な挑戦がかつて無いほどに重要なものとなるのだ。世界の石油生産がたった今ピークを迎えようがそれが15年後か20年後になろうが、そんなことは問題ではない。世界を支配する資本家階級とその配下の人口引き下げ役どもがまさに今そのように動いているのである[8]。「人口の増えすぎ」がその狙い通りのリアリティーであろうが、あるいは新たなマルサス主義者の単なる幻覚であろうが、世界の支配者どもは無遠慮にこの考えに沿って行動するだろう。

 バグダッドからカラカスへとその帝国は退却しつつある。しかしながらそれは、今までに無く過激な「解決方法」を頼みの綱とする。マイケル・ルパートによると、頭を持ち上げつつある米国主導の世界警察国家は、単に法システムに対する私的なコントロールに関するものばかりではなく、むしろ「危機によって誘発される、十分な歩み寄りによって作られた合法的システムから暴力と監視が完全にそれに取って代わる社会への移行[9]」なのだ。

 現在における事態の展開の深刻さは過小評価されてはならない。しかし、それぞれの事件とその説明との間にある不整合が拡大していくにつれて、自分達の思考パターンを作り換えそしてラディカルなオールタナティヴの新たな可能性を切り開いていく人々の数もまた増大するのだ。この展開を作り出し強化するために、事実を元にしたコミュニティは縄張り争いと内輪もめを避けなければならない。今現在、かつて無いほどに、我々の知っていることの全てを我々の知っている全員と分かち合うことが必要をされている。人々の巨大な塊が夢遊病状態のままである一方で現行の「オールタナティヴ」は何もしようとしない。そうだからこそ、それぞれの事件を体系的に解析し神話化から解放することが我々の世界を解放し再建するための大前提となるのである。

 虚構の仮面が最終的にはぎ落とされるときに、リアリティーは我々のものとなりうるのだ。

(脚注)
[1]次から引用した。
 http://www.fromthewilderness.com/free/ww3/061704_conspiracy_union.html
[2]「左翼と呼ばれる門番」(Charles Shaw著、Newtopia Magazine, May 16th, 2005)
[3]  Adam Curtis著「“The Power of Nightmares” The Rise of the Politics of Fear BBC Television 2004」を見よ。
[4]      http://www.questionsquestions.net/gatekeepers.html

[5]     http://www.insteadofwar.org/site/news_more.php?id=A667_0_2_0_M
[6]  「Progressive Irrelevance」Anis Shivani 著を見よ。  
   http://www.counterpunch.org/shivani0829.html
[7]  Paul Virilio著 「Popular Defense and Ecological Struggles and  Speed and Politic, Semiotext(e) 」1990,1986を見よ。
[8]  http://kurtnimmo.com/?p=626  および    http://members.tripod.com/~american_almanac/malthsay.htm を見よ。
・・・「100億の人口を持つ世界を避けるには二つの方法の可能性しかない。現在の出生率が大急ぎで下げられなければならない。あるいは、現在の死亡率が上がらなければならない。」・・・「他の方法は無いのである。」・・・「もちろん死亡率を挙げるための手段は多くある。核兵器の時代では、戦争はそれを非常に早く決定的に成し遂げることができる。飢餓と病気は昔からある人口増加をチェックする自然の道だが、そのどちらも無くなってはいない。」・・・「単純に言ってみよう:過剰な人口の増加は、発展途上世界にある大部分の社会の経済的・社会的な進歩に取っての唯一最大の障害なのだ。」・・・
(Robert McNamara, Oct. 2, 1979)
[9]Michael C. Ruppert, Crossing the Rubicon  (pg.15) New Society Publishers, 2004

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