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アメリカ:あるユダヤ国家       イズラエル・シャミール著
(2006年9月〜2007年3月)

(訳者より)

 この翻訳文の原文“A Yiddishe Medina(イーディッシュ語で「ユダヤ国家」)”は、反体制イスラエル人イズラエル・シャミールが2001年の9/11事件直後に発表したものだが、2006年に米国でユダヤ・ロビーに関する論争が開始された際に、作者自らのサイトで再掲されたものである。
  (原文Url:http://www.israelshamir.net/English/Medina.htm

 作者のイズラエル・シャミールは、いままでユダヤ人以外にほとんど知られることのなかったユダヤ社会内部の事柄およびユダヤ社会と外部との関係について――その大部分は非ユダヤ人が口にすれば確実に「ネオナチ」扱いされるものだが――身の危険を顧みず我々に示してくれる、同様にユダヤ人のジェイムズ・ペトラスやギラッド・アツモンなどと並ぶ、現代社会で最も貴重な作家の一人である。この文章に書かれてあることは極めてデリケートな問題なのだが、あえて作者の文意の通りに翻訳してお目にかけることにしたい。

 ご注意いただきたいことだが、彼は決して「911の犯人はユダヤ人である」などと語っていない。そしてもちろんそれは事実ではない。彼が語るのは実質的にアメリカ合衆国を支配すると自他共に認めるシオニストを中心としたユダヤ人組織とその社会的・精神的・経済的・政治的影響力がアメリカを戦争や虐殺へと駆り立てる巨大な力の重要部分になっている現実であり、ユダヤ人の一人としてのその現実に対する嘆きと怒り、そして彼の同胞達が1日も早く平和と自由の方向に向かって歩を進めることを願う祈りである。また911事件と対テロ戦争の中でむき出しにされた、ユダヤ人自らを縛りつける破壊的・悪魔的なJewryに対する告発である。(この点はJ.ペトラスなどとも軌を一にしている。)

 我々非ユダヤ人にとっては非常に理解のしがたい部分を多く含み、特に旧約聖書の知識の無い人にとっては極めて難解な部分に多々出くわすことになるだろう。しかしそのような部分はいったん斜め読みにしていただいて、あえて自民族の恥部と暗部を白日の本に曝しながら同胞達がそこから離れて本当の平和と栄光を手にすることを希求するシャミールの祈りを、注意深く読み取っていただきたい。

 この文章の中には、日本語ではその違いやニュアンスが非常に翻訳しづらいJew, Jews, the Jews, Jewish, Jewry, Judeo-, Judaismなどが多く出てくる。普通に「ユダヤ人」と訳す場合はa Jew や(the) Jews、また形容詞的に「ユダヤの」「ユダヤ人の」は、紛らわしい場合には原文の表現を添えておくこととする。なお[1][2]…は作者による注釈の箇所で対応する脚注がある。また(a)(b)…は訳者による注釈であり作者の脚注の後に対応する注記を施してある。
 人名や地名などはできる限り近いカタカナで表記したが原文の綴りをご参照いただきたい。

下記は区分けの番号 :クリックすればその部分に飛ぶ。数字の順が乱れているが作者自身の意図による。)
     II  III  IV  VI  VII  VIII  IX  XIII      XI  XII  XIV  XV  XVI
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  私の文章集の読者諸氏はいつも十分に時間を先回りしておられる。時には数年の先を。つい最近、米国の主流派が「ユダヤ・ロビー」についての議論を始めたばかりなのだが、このサイトで我々は2001年にそのテーマを表面化させていた。実際のところそのとき我々が語ったことは現在もなお適切なままである。そこで2001年の私の論文A Yiddishe Medina(イーディッシュ語:あるユダヤ国家)を再掲しよう。これは拙著「ガリラヤの花(a)」に収められた文章だが、この本の中で私は次のように問いかける。

 米国のイスラエル支持は、イスラエル・ロビーのためなのだろうか、あるいは「米国企業の真の利益」のためであろうか? ドンピシャリの答はこうだ。ユダヤ・ロビーはイスラエル右翼の支持基盤が外にあふれ出たものであり、一方で米国は、要するに中東の外にも利害関係を持つより大きな「ユダヤ(Jewish)」国家なのだ。

ある意味で、この論文は私の著述の集大成である。
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あるユダヤ国家                               2001年 イズラエル・シャミール著

T
 米国は長い戦争に向かおうとしている。それは「対テロ戦争」と呼ばれるが、しかしその名前は「敵に対する戦争」という以外の意味は持たない。ノーム・チョムスキーが面白い定義をしてくれた。「テロリズムとは我々に対して為されることをいう」と。しかしながらこの戦争の只中で、何万人もの我々のアダムとイブの兄弟たちが爆撃を受けナパームに焼かれ核攻撃で死ぬだろう。少年たちも少女たちも、まだ生まれていない子供たちも老人たちも、復讐の神の祭壇に捧げられ儀式として屠られるだろう。

 ブッシュ大統領はその企てを「十字軍」と呼んだ。その呼称は我々の記憶の中から、十字架を手に持ち、唇で我々の主の名を唱え、長く苦しい巡礼の冒険に出るアキテーヌの騎士たちや信心深いフランクの戦士たちのことを思い起こさせる。実際にはもっとひどいものだった。十字軍は西欧のジハードであり数多くの流血を引き起こした。十字軍兵士たちは乱暴で見境が無く、世界で最も美しいキリスト教の都市であるコンスタンチノープルを略奪した。そしてエルサレムの聖なる土地を血みどろにしたのだ。十字軍の年代記家であるカエンのラドゥルフは自分の戦友たちについてこう書いた。シリアのマアラの街では「鉄串に刺し貫いた赤ん坊を火で炙って貪り食った」。彼らは野蛮な連中だったが、私は、これらの殺し屋と肉食獣どもの名がブッシュの十字軍の連合によってこれ以上汚されることの無いように願うものである。彼らはこのほとんど非キリスト教的な、というより反キリスト教的な感覚に、復讐ではなく、栄光を求めていたのだ。

 そもそも福音の精神は復讐を拒絶するものである。これが教会とシナゴーグの非常に大きな違いなのだ。この二人の姉妹は2000年前に生まれた。この内蔵された違いはこれら二つの信仰の間にある分離として受け継がれている。キリスト教徒が敵のために祈れと呼びかけられるのに対して、ユダヤ人は復讐を夢見るように期待されるのである。
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U

 
旧約聖書のユダヤ教(Judaism)はユダヤ人とキリスト教徒の信仰の祖形なのだが、「メシア」に対して二つの異なった解釈を含んでいた。共に旧約聖書の中に見出すことができる。キリスト教徒とユダヤ人の間にある分離は、それぞれの新しい信仰がその二つの解釈の片方を取り上げて支配的にしたものである。キリスト教徒にとってキリストは救済するためにやって来たが、ユダヤ教徒にとってメシアは復讐するために来るのである。この点は、ヘブライ大学のイスラエル・ジャコブ・ユヴァル教授による最新の著書「子宮の中の二つの国 [1]で説明がなされている。ユヴァルが呼ぶ「復讐に満ちた救済」が、アシュケナジ・ユダヤによって昔のパリサイ派のテキストから取り出され、そしてシナゴーグの支配的な教義となったのである。

 イスラエル・ユヴァル博士がエルサレムで復讐の神学に関する彼の洞察にあふれた本を出版したときに、イスラエルの学会の同僚たちには大きな熱狂で受け入れられたのだが、米国のユダヤ人学者はこれを嫌った。エツラ・フレイシャー博士は強烈な批判を書いた。その中には次のような言葉がある。『そのような本は出版されなかったらよかったろうに。しかし出版されてしまったからには、忘却が宣告されるべきである。』[これは2006年6月に英語訳が出版されたばかりだ。]

 ユヴァル教授は数多くの古いユダヤ教の教本をこの見地の根拠として引用する。『終りの日(メシアが来るとき)には、神は破壊し、殺し、そしてイスラエルの民以外のあらゆる国民を絶滅させるだろう。』これは13世紀ドイツのユダヤ人によって書かれたセフェル・ニツァホン・ヤシャンによるものである。典礼詩人であるクロニムス・ジュダは『ゴイムの死体であふれる神の手』の幻影を見た。

 それよりももっと恐ろしい血と破壊に満ちた夢は、11世紀の終りに起こった最初のユダヤ人への襲撃より以前のものである。十字軍によるユダヤ人への猛攻の100年前に、R.シモン・イツァークは神に『あなたの剣を取ってゴイムを皆殺しにする』ように呼びかけている。彼らの破滅を急がせるために、欧州に住むユダヤの賢人たちはキリスト教徒とキリストに対して新たな恐るべき呪いの文句を採用し、過越の祭やヨム・キップールの典礼の中に導入した。それは2世紀にそこに組み込まれた呪いに付け加えられたものである。

 その「復讐のメシア」はキリスト教神学の中で実際には別の名前を持っている。彼は「反キリスト」と呼ばれる。キリスト教神学者たちはこの黙示録の登場人物の性質を詳しく探求しようとしてきた。ダマスカスの聖ヨハネは、反キリストはキリスト教徒とキリストに敵対して、ユダヤ人の元にユダヤ人のために現れるだろう、と預言した。(ダマスカスの聖ヨハネはイスラムの友人であり、永遠のコーランに関するイスラムの教義をロゴスについてのキリスト教的な教えの形として解釈した。)教父たちは「反キリストの出現」をユダヤ教の一時的な勝利と見なした。10世紀にはビザンチンの聖アンドリューが、イスラエルの王国は再建されそれが反キリストにとっての飛躍台となるだろう、と預言した。こうしてユダヤ教とキリスト教の神学者たちは、彼らのメシアがテーゼとアンチ・テーゼ、つまりキリストと反キリストとしてお互いに敵対しあう点において、一致しているのである。

 
黙示録とイスラエルの親近性は米国にいる何百万人もの敬虔なキリスト教徒によって感じさせられる。彼らは反キリストの登場がキリスト再臨の前段階であると教えられている。しかし彼らは牧師たちによって誤誘導され、不合理な結論を描いて反キリストの側に立つことを決意している。彼らは次の言葉を忘れている。「人の子は己につきて録(しる)されたるごとく逝(い)くなり。されど、災いなるかな」反キリストの側につく者よ。(b)

 ユダヤ人は反キリストではない。しかし「復讐のメシア」の思想は非常に危険なものだ。そしてそれは対決し論破すべきものである。それは、旧約や新約の手段を用いて、あるいは普遍的な人間的コンセプトを用いて為されることが可能だろう。そうしなければこの思想は我々の論調に毒を盛ることになるだろう。
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V

 米国の満ち満ちた復讐心を米国のユダヤ(Jewry)のせいにするのは間違っているだろう。米国はそこに住むユダヤ人にとって特別なものであり、キリスト教徒たちは取りとめも無くまとまった「ユダヤ-キリスト教徒(Judeo-Christians)」、もっと正確に言えば「ユダヤ-アメリカ人(Judeo-Americans)」なのだ。彼らの大部分がキリストの精神をほとんど全くと言って良いほど持っていないからである。カール・マルクスはこのように言った。『キリスト教世界を覆うユダヤ精神の実質的支配は、北アメリカで二律背反的ではない完全な実現を成し遂げている。』

 多くの米国の公的な人士たちは、ユダヤ人も非ユダヤ人も、復讐を叫んでいる。

『このような連中に対する取り扱いを始めるためのたった一つの方法がある。それは、たとえ直接に即座にはそのことに関わっていないとしても、その中の一部を殺さねばならない、ということなのだ。[2] (c)

 これは元国務長官のローレンス・イーグルバーガー(Lawrence Eagleburger)の言葉である。彼はドイツに対する要求(毎年30万ドル)のためのユダヤ人組織を率いている。

『この想像を絶する21世紀のパール・ハーバーに対する返答は、それが即断できるほどに単純であるべきだ。クズ野郎どもを殺せ、である。両目の間に銃弾をぶち込み、やつらを木っ端微塵に吹き飛ばし、必要なら毒殺する。これらの虫ケラどもを飼っている都市や国については、それらを爆撃してバスケット・ボール・コートの大きさにバラバラにしてしまうこと。』

 こう語ったのはニューヨーク・ポスト紙のスティーヴ・ドンリーヴィー(Steve Donleavy)である [3]。リッチ・ロウリー(Rich Lowry)はワシントン・ポスト紙に書いた。

『もし我々がダマスカスやテヘランの一部を平らにしてしまうなら、何かそのようなことなら何でもよいのだが、それは解決の一部分である。[4]

 最も引用のしがいがあるのはアン・コウルター(Ann Coulter)のものだろう。彼女はワールド・ジューイッシュ・レビューの人気の高い著者であった。

『この特別なテロ攻撃で直接に関与する正確な個々人の居所を完璧に突き止めているようなときではない。・・・。我々は彼らの国に侵攻し、そのリーダーを殺し、そして彼らをキリスト教徒に(!?)改宗させるべきだ。我々はヒトラーやその高官たちでさえ居所を突き止めて罰することに完璧さを求めてはいなかった。我々はドイツの都市を絨毯爆撃した。我々は民間人を殺した。あれは戦争だったのだ。そしてこれも戦争なのだ。(d)

 この記事を書いたあと、彼女は正しくもその新聞社をクビになり、そしてネオコンのユダヤ雑誌コメンタリーに席を置いている。

 米国の新聞に見えるこの復讐心に満ちた精神は、西側の論説の中では常軌を逸脱している。もしあなたがキリスト教やイスラム教の地にある文学を綿密に調べたなら、あなたは復讐が重要な本の主題としてはまれであることに気付くかもしれない。ニコライ・ゴーゴリは「恐るべき復讐」と呼ばれる中世風の短編を書き、プロスペル・メリメはコルシカの盗賊団に関する「コロンバ」という短編小説を書いた。お好きなように。英国人たちは復讐というものを非常に非英国的な傾向と見なした。確かにそれはクリケットとは違う。「復讐心に満ちた」というのは、あらゆるキリスト教やイスラム教の文化の中では否定的な言葉なのだ。対称的に、ユダヤ教の文化は復讐の観念で充満している。旧約聖書から真っ直ぐつながっているからである。それは新約聖書やコーランによる補正のためのフィルターを通さないのである。

 我々ユダヤ人が誰よりもよくそれを知っている。輝かしい米国ユダヤ人のジャーナリストであるジョン・サックはその「目には目を」の中でこれを記した。この本は、第2次世界大戦の後でドイツの一般市民に対して行われたユダヤ人の恐ろしい復讐に関する背筋の凍るような本である。この本は、拷問、「法の外での殺人」、集団毒殺、その他のホラーを語っているのだ。あなたはこの本を手にできないかもしれない。ユダヤ支配者がその出版を抑え本屋から締め出すことに成功したからである。

 
驚くほどのことでもないが、イスラエルは日常の政策の中に復讐を導入している。パレスチナに対するイスラエルの攻撃はpeulot tagmulつまり復讐の行動と呼ばれた。これらの行動の一つが、(後に首相となる)アリエル・シャロン将軍によって1953年10月14日に遂行された。その時に彼とその兵士たちはおよそ60名の農民、女性、子供をギビヤの村で殺害した (e)のだ。1982年のレバノン侵攻は、そこで2万人ものレバノン人、パレスチナ人、キリスト教徒とイスラム教徒を殺したのだが、それはロンドンのイスラエル大使に対する殺害の試みに対する復讐の行動だったのである。最近のインティファーダの期間に、イスラエル・テロのあらゆる行動は、イスラエルと米国のユダヤ人所有(Jewish-owned)のメディアによって、「報復」あるいは「仕返し」と呼ばれた。

 このユダヤ人の復讐熱は厳しい大西洋の渡航にも生き抜いた。米国ユダヤ人はハリウッドを創出した。そしてハリウッドは復讐をそのメイン・テーマにしたのである。最近の「三銃士」のアメリカ再映画化では、ダルタニャンは復讐の精神で動かされている。そんなモチーフが原作やフランス映画ではほとんど表れないにも関わらずである。実際には、レイディー・ウインターの息子であるモードレッドは悪いやつで、彼こそが復讐の夢をあたためているのだ。しかし新しいアメリカ映画にとっては、それはユダヤ系米国人によって作られたものだが、復讐は正当な感覚なのである。ある意味ではアメリカ映画はユダヤ人の集団的深層意識の表現であり、そしてそれが創造におけるアメリカ的心理の主要なファクターだったのだ。ハリウッドから復讐に満ちた精神が地球の上にあふれ出た。そして間違いなく我々が今住んでいる世界を作り上げる補助となったのである。

 言い換えると、ユダヤの陰謀など何の必要もなかったのである。トライヤー・ラビの孫であり自身は教会の中で育ったカール・マルクスは、すでに1840年代(!)に、米国が(人種的な意味でユダヤ人が一人でもいたのかどうか)「ユダヤ的」精神を持つ国になっていたことに、そして貪欲と不和の「ユダヤ的(Jewish)」イデオロギーを抱いていたことに気付いた。マルクスの弟子であるワーナー・ソンバートは米国のユダヤ精神に関して類似の結論に達した。彼の意見によると米国はユダヤ人とともに育ちそのごく初期からユダヤ人に作られていたのではあるが。比較的未熟な米国はユダヤのメンタリティーの衝撃に耐えることができず、そうしてユダヤ国家(Jewish State)であるイスラエルの姉となったのである。【注記追加:この点はこちらの文章に書かれていることと関係があるだろう。】

 このことは米国ユダヤ人の成功を説明する。「ユダヤ」国家で本物のユダヤ人がより成功しやすいことはまさに当然と言える。その突然の栄光と豊かさへの上昇をのぼせ上がりと自画自賛の原因とすべきではない。他に求めるべきだ。偉大な米国の哲学者インマニュエル・ウォーラースタインの論理に沿うならば次のように言える。今の時代において物質的な成功は道徳的な欠損の印である。「成功」と富は神の恵みの印ではないのだ。いずれにせよ貧乏人を祝福する神のものではない。泥棒の集団で成功する人間が神の目にかなうことはない。飢え死にしつつある何百万人もの人々と恵まれすぎる少数者のいる我々の世界は不道徳的であり反キリスト教的である。ユダヤ-アメリカの「十字軍」と同じくらいに反キリスト教的である。

 この説明によって先に我々が掲げた疑問に答えることができる。米国のイスラエル支持はイスラエル・ロビーのためなのだろうか、あるいは「米国企業の真の利益」のためであろうか? ドンピシャリの答はこうだ。ユダヤ・ロビーはイスラエル右翼の支持基盤が外にあふれ出たものであり、一方で米国は、結局は中東の外にも利害関係を持つより大きな「ユダヤの」国家なのである。

 この仮定は多くの疑問を説明し尽くす。それはイスラエル支持が驚くべき99%という投票結果であることを説明する。それはホロコースト博物館、ホロコースト研究、およびホロコースト映画を説明する。それは米国の生活でユダヤ人が中心になっていることを説明する。現在の米国は世界的な出来事を伝統的なユダヤの位置から見ているようにである。「それはユダヤ人にとって良いことなのか?」と。

 
それはダーバンでの米国の退場(f)を説明する。G.W.ブッシュは欧州や日本との軋轢など気にもかけずに京都条約を無視した。彼はその戦略兵器条約を破棄する一元的な決定でロシアと中国を困らせることに何の遠慮もしなかった。しかしここで彼は彼の主人の声を聞いたのである。アフリカとアジアへの激しい拒否、アフロ・アメリカン社会への侮辱的な拒絶、人種主義に対する偉大な戦いの拒否は、米国がイスラエルの姉妹国家となっているさらなる証拠である。

 
最近になって、ウラジミール・プーチン大統領は、ニューズウイークとのインタビューで、チェチェン人に対する攻撃を正当化しようとした[5]。彼は、チェチェンの指導者が「ユダヤ人の絶滅をおおっぴらに呼びかけた」と語って、アンチ・セミット(anti-Semite)の隊列に対する彼の戦いへの批判を追い払ったのである。現在チェチェンにはユダヤ人はいない。そしてもしアンチ・セミティズム(anti-Semitism)が本来の意味の「反ユダヤ的(anti-Jewish)偏見や人種主義」を保つものであるとしたら、チェチェン人指導者のユダヤ人に対する見解は不適切である。我々が他の所で議論したように[6]
、もはやこのような形ではアンチ・セミティズムは存在していない。しかし今やその言葉は新しい意味合いを持っている。それはマッカーシー時代の「反アメリカ主義」に、あるいはブレジネフのソ連での「反ソヴィエト」に相当するものになってきたのだ。

 ユダヤ人に対する忠誠心を問われていると感じるときに米国人たちはいつでも緊張し縮こまる。米国であろうがどこであろうが、新しい米国のパラダイムを拒否する者は、誰かれ無しに定義どおりのアンチ・セミットなのだ。これが、ユダヤ起源の善良な者達が――ノーム・チョムスキーでもウッディ・アレンでも、聖パウロでもカール・マルクスでも――「アンチ・セミティット(anti-Semites)」と呼ばれる理由なのだ。彼らはいつもユダヤ人社会から拒絶される。しかし彼らの名前は彼らが攻撃した構造を守るために利用されているのだ。

 ユダヤ人社会に対する攻撃を人種主義の一形態と見なすことはできない。通常の人種主義は極めて簡単に許されるからだ。もしそれがアラブ人(ユダヤ人の新しい敵)や黒人(ユダヤ人の旧敵)に対して向けられるものならば特にそうである。それは「不敬罪」として取り扱われるのである。ソヴィエト連邦でユダヤ人の権力が上昇した時期(1917〜1937)には、人々は反ユダヤ主義の非難を受けると銃殺された。ストラスブールのマンフレッド・ストリッカーはその地の大学をシュヴァイツァー博士にちなんで名前を付けるキャンペーンを行ったが、その一方でユダヤ人社会はその都市とほとんど縁の無いユダヤ人学者の名前を好んだ。結果として、マンフレッド・ストリッカーは6ヶ月の懲役刑に処せられたのだ。アレキサンダー・キャンセラーはガーディアンに(“It is not Black and White”という見出しをつける約束で)オランダの右翼主義者の殺人について書いた。そう、彼はイスラム教徒たちの敵だったが、彼はユダヤ人たちとはうまくやっていた。そしてそれゆえに彼は悪い奴ではなかったのである。

 ハーヴァードやエモリィなどのアイヴィー・リーグの大学で学生に語ったときに、私は、彼らが「アーノルド・トインビー」の名を知らないことに気が付いた。この英国最大の20世紀の歴史哲学者は一つの間違いをしでかしたのだ。彼はパレスチナ人の悲劇について語ったのである。彼はまたアフリカ人の奴隷をユダヤ人のホロコーストに匹敵する悲劇として引用した。結局、彼は米国人の意識から消され姿を消した。G.K.チェスタートンによって書かれたノンフィクションを米国や英国の本屋で探すことは決して不可能というわけでもない。この素晴らしいエッセイストは書店でほとんど存在しない「キリスト教部門」であると見なされ、彼の数少ない再版本が「悪い教皇」と「ラビ・イエス」の間に挟まれている。

 言論界におけるその影響は米国の(そして欧州の)知識人の従順さを説明している。ユダヤ-アメリカ国家の中で、ユダヤ人たちはその「教会」、つまりその思想的な支配体制を形作る。一人の知識人にとってアンチ・セミットと呼ばれるよりは小児性愛者と呼ばれる方がまだましなのだ。
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IV

 米国はユダヤ-キリスト教国家(a Judeo-Christian state)になったのだが、ユダヤ人、イスラエルそして米国の三角関係の中で『誰が誰を支配しているのか』という問題は単純なものではない。この3名の人間ドラマはバーミューダのそれよりも不可思議で間違いなくずっと危険な三角形を形作る。半年前に、ある怪しげな情報源が、シャロンが閣議で次のように語ったと伝えた。「米国については心配するな。そこは我々のコントロールの下にある」。この言葉は否定されたのだが、パレスチナでの襲撃が急激にヨシュア・スタイルの絶滅作戦に転化していき、その一方で米国はその「テロに対する戦争を支持する」のだ。疑念は膨らむ。

 「ユダヤ民族(the Jewish People)」(あるいはユダヤJewry、またはユダヤ人)として知られる共同体的実体の存在自体がたびたび否定される。200年ほど前にはユダヤ(Jewry)はフランスや教会と同じくらいに明確な形で存在していた。我々の先祖はこの超地上的な国家のメンバーだったのだ。それは一つの権威主義的な擬似犯罪組織であり、富豪やラビたちによって運営されていた。その指導部であるカハル(ヘブライ語で共同体)が重要な決定を行い、普通のユダヤ人(Jews)は彼らの指示に従った。その指導部は、ちょうどあらゆる封建領主がそうだったように、ユダヤ人の生命と財産を奪い取ることができた。ゲットーの壁の中には意見の自由は存在しなかった。反抗的なユダヤ人は死をもって罰せられた。解放の時代がやってきたときカハルの権力は内と外から打ち破られた。ユダヤ人たちは自由になりそれぞれの国で国民となったのだ。

 現在、ヨセフを知らない新しい世代のユダヤ人が現れてきている。長年の言い訳がましい洗脳によって彼らは、どうして我々の父祖たちがユダヤ共同体の鉄の壁を破りたいと望んだのかの理由を忘れさせられた。ユダヤ(Jewry)の概念は未解決の点となっている。我々ユダヤ人(Jews)の子孫は我々が住む国の国民なのか、それともユダヤ族(the Jewish People)の国民なのか? 「ユダヤ(Jewry)」はあらゆる国家が存在するのと同様に存在しているのか、あるいは単に言葉のあやに過ぎないのか?

 ここにパラドクスがある。ユダヤの(Jewish)指導者はユダヤ(Jewry)をステルス・ジェット機のようであるように望んでいる。あるときあなたはそれを見るが次の瞬間には見えない。爆撃を受けるときにどこにも高射砲は無い。彼らは言う。「それはヒトラーが言ったことだ」、あるいは「それはあの偽書であるユダヤ長老の議定書の作者が発明したものだ」と。そして彼らはイスラエルの建国宣言にもまたそれが書かれていることを言い忘れる。イスラエルは実際に「ユダヤ民族の国家(the State of the Jewish People)」として描かれている。そしてそれが、目に見える(そして国境線に囲まれた領地を持つ)ユダヤ(Jewry)の一部として不相応な注意と影響を引き付けている理由なのだ。 それが、テル・アヴィヴの大使としての地位が各国の外交官としてのキャリアにとって最も高く最も望ましいものであることの理由となっている。「ユダヤ民族(the Jewish People)」というコンセプトは国際法の中でユニークな認識を受けた。それはユダヤ民族(the Jewish People)が1950年と1991年に、現在のドイツによって遺言の無いユダヤ人たちの残余資産の受取人であると宣言されたときだった。イスラエルの刑法は、ユダヤ人個人、その健康、生命、財産および尊厳に敵対する行為を行った地球上に住むあらゆる人間を裁いて罰することを許可している。たとえそのユダヤ人がイスラエル国家と何らの関係も持たない場合でも同様である。

 我々は解放された世代のユダヤ人の両親を持つ者達だが、その我々が誰よりも驚いている。ユダヤ(Jewry)の奇跡的な復活に対して何の準備も無かったのだ。つい最近にそれは消え去ったばかり、実際に死刑を宣告されて、そして我々は自らを自由な人間と見なすようになったばかりなのだ。我々の生きている時代に物事は根本的に変わってしまった。現在、我々はこの実体に忠実であることを宣言するように呼びかけられている。あるいは追放と屈辱、またはもっと悪い運命に悩むのか、である。ユダヤ(Jewry:どうかこの言葉を数百万人の中世ユダヤ人Jewsの子孫と混同しないでもらいたいのだが)は世界政治にその場を回復させ、唯一の超権力である米国の精神を征服したのである。

 イサァク・ドイチャーはユダヤ人のマルクス主義者でトロツキーの伝記作家なのだが、この現象に気付いたほとんど最初のユダヤ人であった。彼は「ユダヤ人とは誰なのか:(the Jewish Quarterly, London 1966)」の中で、ユダヤ人(Jews)とユダヤ(Jewry)を区別するように提案した。ユダヤ人(Jews)が様々な意見と生き方を持つ個人である一方で、ユダヤ(Jewry)は国家機関に準ずるものであり独自の指導部とアジェンダを持っている。彼の意見では、ユダヤ(Jewry)は姿を消しつつあったが、第2次世界大戦の灰の中から『ユダヤ(Jewry)のフェニックスが起き上がった』のである。『私はユダヤ人(Jews)が生き残ってユダヤ(Jewry)は死んでもらいたかった』と彼は書いたのだが、『ユダヤ人の絶滅がユダヤに新しい寿命を与えたのだ』。

 よみがえったユダヤ(Jewry)の自己推薦による指導部は、超富豪のマモン崇拝者たちとつながりを作り権力の絶頂を成し遂げた。彼らはそのカルトと反対者の欠如に酔いしれている。彼らは戦争犯罪人シャロンを支持はするが余りにも弱いと見なす。彼らは米国の超タカ派であるポール・ウォルフォヴィッツをも不満に思った。イスラエルの政治家たちは誰でもこれを知っていて気にかける。米国にもどこにでもパレスチナでの終りの無い戦争を望むユダヤ人権力者たちがいる。彼らは第2次世界大戦にロシアと米国の軍隊によって救いがもたらされたことを理解している。それはキリスト教世界に対する彼らの個人的な勝利として、またユダヤ(Jewry)の新たな世界的超権力の時代の印としてであり、タルムードとカバラの教えの中で約束されていたものである。

 イサァク・ドイチャーはイスラエルにおける変化を彼らの影響であるとする。

『富豪の米国ユダヤ人は、ニューヨーク、フィラデルフィア、あるいはデトロイトで、キリスト教徒である仲間や友人たちに混じる「世界的な資本家」なのだが、心の中で「選ばれた民」のメンバーであることを誇っている。そしてイスラエルでは彼は宗教的な反啓蒙化と反動に都合よく影響力を行使する。彼は種族的・タルムード的な排他主義と優越性の精神を生かし続ける。それがアラブ人に向かっての敵対心を養い増殖させるのだ。
[7]

 この「富豪のユダヤ人」が遠く離れたイスラエルだけに影響を与えるとするのは奇妙だろう。彼の影響力はむしろ自分の国、米国の中でより強いのである。そこで彼は同じ『種族的・タルムード的な排他主義と優越性』の思想を、アメリカの「ユダヤ的(Jewish)」精神と十分に調和させて、推し進めるのだ。

 これらの富豪たちはパレスチナの土地など必要としない。彼らがイスラエルに移住してブドウ畑で働くことはない。彼らはイスラエルとその国民を、世界規模のゲームの中で取替えの効く道具として利用する。彼らはキリスト教徒たちの同情を弱さの印であると誤解する。彼らは彼らの親愛の情を服従であると誤解する。ネズミをくわえた猫のように、彼らはキリスト教が終に死んでしまうときを、それが反応をやめてしまうかどうかをチェックするために生誕教会を弄ぶ。同時に彼らはエルサレムのモスクを脅かし、そして米軍の巡行ミサイルをバグダッドに導く。キリスト教とユダヤ教の代りに、彼らは新たな信仰を導入する。彼らは十字架の地位をホロコーストに置き換え、キリストの復活をイスラエル国家の創設で置き換える。彼らにとっては、キリスト教徒とイスラム教徒の聖地に対するユダヤのコントロールが、彼らの支配の目に見える証拠なのだ。両者の破壊が全面勝利のサインなのかもしれない。ある意味で彼らは正しい。一つの社会はその神聖な価値を失えば滅亡に追いやられるだろう。

 多くのユダヤ人(Jews)とユダヤ人(Jews)の子孫たちはユダヤ(Jewry)の観念に脅かされている。彼らは通常は「十把一絡げなとらえ方」や「民族全体に対する非難」つまり「ヘイト・モンガー」に反対する。最初のうち私は彼らの反応にびっくりした。後になって私は彼らの反応が他の人々によっても同様に使うことができるくらいに良いものであると思った。良いものを打ち捨てるのは残念である。例を挙げよう。

――あなたはどうしてアメリカ人が広島に原爆を落としたなどと言うのだ? 私はアメリカ人だが私は広島に原爆を落とさなかった。

――あなたは「イギリス人がインドを支配した」という。ナンセンスだ! 私はインドを支配しなかった何百人もの貧しいイギリス人を知っている。

――あなたはアルジェリアの解放を求めている。これは反フランス主義だ! 本当に違いがあるのはフランス人とアルジェリア現地人の間にではなく、文明化された人々とイスラム過激主義の間だ。

――「ロシアの帝国主義政策」? それはロシア人たちへの嫌悪を引き起こす人種主義的な難癖付けだ。


 たぶんあなたはこれが馬鹿げているというように受け取るだろう。ポリシーはエリートたちによって考案され、多かれ少なかれ意識的な多数派によって実行され、アウトサイダーはその結果に苦しむ。ユダヤ(Jewry)は他のあらゆる国家や国際企業と変わるものではない。ユダヤ(Jewry)の指導部はポリシーを持っておりそれを変更できる。当然、普通のユダヤ人たちはそれに従うことも拒否することもできるのである。
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VI
【訳者より:原文ではV章が抜けているが原文の通りに訳を続ける。】

 次のことはそれほどの機密情報とは思えないが、あなたはあまりこれを大声で言うべきではないだろう。ユダヤ(Jewry)の指導階層はブッシュに自分たちを「叔父さん」と言うように命令することができるし彼はそれに従うだろう。これはフランス語で言うところの「a Polichinelle secret(公然の秘密)」である。世界の他の場所は、極東から北欧に至るまで、これを十分に知っている。そして時として不注意な首相か議会の演説者がつぶやいてしまう。米国議会は常にそのような危機を切り抜け、そしてその攻撃者のつぶやきに対する強烈な反論を行う。ちょうど飲み友達の前では女房の怒りが怖いことを認めようとしない恐妻家のように。

 あなたは、アフリカ人だのWASPsだのフリーメーソンだのあるいは灰色のエイリアンだのによって米国が動かされている、と言うことができるし、それに対して何の反応も起きないだろう。あなたは大企業群やスタンダード・オイルやボーイングによってこの国がコントロールを受けていると言うこともできるが、誰もそれには反対しないだろう。ところがである。一言でも「ユダヤ人が米国を動かしている」と言ったが最後、あなたは大変なトラブルに放り込まれることになるのだ。さてそれでは、実際に米国でのユダヤ人はどのような地位にいるのだろうか?

 これはいろんな方法で表現することができる。彼らは新しいユダヤ-アメリカ的信仰の教会(つまり思想的装置)を代表する。彼らは米国のバラモン階級である。彼らは、もし支配的少数種族でないというのなら、むしろ極めて卓越したものと呼んでもよい。この点は奇妙に聞こえるかもしれないがしかし唯一というわけではない。つい最近まで英国はイートン卒業生の小さなカーストによって運営されていた。どんなユダヤ人と比べてもひけをとらぬほど排他主義的で、彼らは自分たちのグループ内で婚姻関係を結ぶことすらした。

 これが、どうしてパウエルとブッシュがシャロンに命令を下すことができずまたしようとしないのか、の理由である。彼ら米国人指導者は何らかの自由な役割を持っている。ただし、ユダヤ民族(the Jewish People)が2つの心を持っている限り――つまりその単一の実体がまだ自分の欲するものを決めていない間なら――なのだが。今や明らかに、そのユダヤ人たち(the Jews:ユダヤ人Jewsに対抗するものとしての)が、一つの共通意思、単一の目的と権力への意識によってまとまっている。権力中毒と統一性がこの用心深い民族の仮面を落とさせ見せ掛けの素振りをやめさせているのだ。この新しい開けっぴろげさが、ユダヤ人たちの精神とその貨幣神崇拝者に対する前例の無い洞察を我々に提供するのである。

 
本物の言論人であるシカゴ・トリビューンのロン・グロスマンは次のように書いた[8]。『自称ヒューマニストとして、私は、戦車が都市を、それが誰の都市であろうとも、蹂躙すると考えただけで恐怖に震え上がってしまう。私の頭は、ベツレヘムとラマラでの市街戦(というより虐殺)のテレビ映像に悲しみで垂れ下がってしまう。しかしちょっと言いたいことがある。講義も説教もしないでくれ。我々の善意に訴えかけるようなことはもう一切諦めてくれ。』

 そのとおり。彼らの善意に訴えかけるようなことは一切諦めてくれ。彼らが善意など何も持っていないからである。「良心」は単なる偽装に過ぎなかった。そして今、彼らの本当の姿がそのあらゆる残忍な権力の中に現れ出ているのだ。
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VII

 
映画の台本に話を移そう。そしてこの映像の分野から、BBCによって提供されるいくつかのスナップ・ショットを交互に出すこととしよう。パレスチナでは、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の主任であるピーター・ハンセンがこう語った。『我々は全くの恐怖についての報告を手にしています。ヘリコプターが一般市民の居住地区を砲撃しています。戦車によっての組織的な砲撃が何百人もの負傷者を作り出しました。ブルドーザーは難民の家を倒壊させ、食料と医薬品はじきに尽き果てるでしょう。』数十名分もの死体がジェニン難民キャンプの通りに横たわっている。生誕教会は火に包まれている。614年(g)にそうであったように。

 その一方で、何万人ものユダヤ人たちがニューヨークに集まってイスラエルによるパレスチナ人虐殺への支持を見せ付けている。15万人のユダヤ人デモ隊がパリの通りを占領してイスラエルへの連帯を表している。イスラエルの旗をひらめかせ彼らの国旗の色である青と白に身を包み(三色旗は投げ捨てられ忘れられている)、デモ隊は共和国広場からパリのバスティーユ広場まで行進した。フランス語とヘブライ語で歌いながら「昨日はニューヨーク、今日はエルサレム、明日はパリ」と読めるプラカードを掲げていた。

 
イスラエルでは、『この首相のように大部分のイスラエル人の熱望を実現させる者は誰一人いない。これは「戦争屋」シャロンによって起こされた戦争ではない。これは我々全員の戦争なのだ。』と、心と自覚のある人物、ギデオン・レヴィ(h)が書いている。『イスラエル人の大部分によって与えられた圧倒的支持を考えると、シャロンをこの戦争の結果によって非難することもまた非常に難しいだろう。およそ3万人の人間が一個の人間としての義務感に駆り立てられて報告を行い、無関係な容疑で刑務所にいる21名の兵役拒否者と共に、戦争反対運動を起こしている。保守主義者たちは「我々は理由を問わなかった。我々はただ集まって来ただけだ。」と首相に語った。このような時期のイスラエルを特徴付ける症状である「みんないっしょに」を表現しながらである。何万人もの人間がその故郷を離れ普通の生活を捨て去り、そして殺し殺されるために配置された。そうして彼らは「なぜ?」と問うことすらしない。これは群れの行動なのだ。』このようにレヴィは結論を出す。

 レヴィは思い違いをさせられているようだ。この巨大な粘結力とずうずうしいまでの自民族中心主義こそが本当のユダヤ(Jewry)の強さなのだ。たとえば、マーク・スタインという男がナショナル・ポストに書いている。『あらゆる文明化された民族はユダヤ人を殺すことは悪いということに同意する。』(「殺すこと」が悪い、というのではないのだ。それならパレスチナ人を殺すことは悪いということになってしまう。ひとえに「ユダヤ人を殺すこと」だけが悪いのである。この言い様は十戒のユダヤ的解釈に基づいている。「汝ユダヤ人を殺すなかれ」なのだ。キリスト教徒の「汝殺すなかれ」ではない。)

 
デイヴィッド・D.パールムッター教授はLAタイムズに書いている[9]。『私は白日夢を見る――こうであってくれさえすれば! もし、1948年、1956年、1967年あるいは1973年にイスラエルがほんの少しだけ第三帝国のようにふるまったとしても、現在は、イスラエル人たちはピザを売ったり食べたりし、楽しみ、そして聖日を心置きなく楽しんでいる、というような。そしてもちろん、シーク教徒たちではなくユダヤ人たちが湾岸の石油を手にしている、というような』。そのような白日夢は教育システムから注意深く取り去るべきである。ナチスを再建させないために。だが心配は無用! ユダヤ-ナチズム(Judeo-Nazism)は米国では勝利のイデオロギーなのだ。

 
もし英国の週刊誌スペクテイターの俗物タキが次のような新しいユダヤ人の熱意と一本気に関する逸話的な事象を広めてくれるのなら愉快なのだろうが。『復活祭の日曜日、昼食をとっている最中に、イスラエルで最も金持ちの女性であるイリット・ランド[10]が、急に私の家に飛び込んできて、アダム・シャピロ(i)
について私の友人たちと家族に向かって熱弁をふるい始めた。彼女が私の妻の古い友人で昼食後に立ち寄るように招待されていたにもかかわらず、私は非常に気分を害した。私はイリットに、私の家はイスラエルの占領地にあるのではない、そして今日は復活祭だ、と念を押した。すると、パレスチナ人たちの苦境について私がどのように感じているのか分かったと見えて、彼女は話題を変えた。彼女がその代わりに主題としたことは、新聞を開き、彼らがどのようにあの憎たらしい裏切り者のアダム・シャピロを宣伝しているか、ということだった。』

 アダム・シャピロのような少数のユダヤ出身の異端者がますます隅に追いやられつつある一方で、塊となったユダヤ人たちがシャロンとイスラエルを支持するために再結集している。米国の高官たちはその指示のままになるしか選択の余地が無い。米国のキリスト教徒たちはその点をはるか昔に了解した。もしあなたが政治やメディアの中でキャリアを積もうと思うのなら、あなたはひたむきにユダヤ人を支持しなければならないのだ。さもなければあなたは、気が付いたときには犬に投げ与えられているだろう。もし一人の人間が米国権力の高い階級への道を見つけたというのなら、彼は自分を引き上げてくれるロープについて学びそして彼の力の限界を知っているわけである。
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VIII

 ザ・ネイション誌のエリック・アルターマンは無制限にイスラエルを支持する知識人のリストを公表した。これはエキサイティングな読み物である。

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反射的にそして無条件にイスラエルを支持すると判断できるコラム著者と解説者
【訳者より:以下このリストは原文のまま取り上げる。強調文字は人物名であり、寄稿している新聞・雑誌名が続く。ただしこの原稿が書かれた2001年当時である。】 George Will, The Washington Post, Newsweek and ABC News/
William Safire
, The New York Times/  A.M. Rosenthal, The New York Daily News, formerly Executive Editor of and later columnist for, The New York Times/Charles Krauthammer, The Washington Post, PBS, Time, and The Weekly Standard, formerly of the New Republic/Michael Kelly, The Washington Post, The Atlantic Monthly, National Journal, and MSNBC.com, formerly of The New Republic and The New Yorker/Lally Weymouth, The Washington Post and Newsweek/Martin Peretz, The New Republic/Daniel Pipes, The New York Post/Andrea Peyser, The New York Post/Dick Morris, The New York Post/Lawrence Kaplan, The New Republic/William Bennett, CNN/William Kristol, The Washington Post, the Weekly Standard, Fox News, formerly of ABC News/Robert Kagan, The Washington Post and The Weekly Standard/Mortimer Zuckerman, US News and World Report (Zuckerman is also Chairman of Conference of Presidents of Major American Jewish Organizations )/David Gelertner, The Weekly Standard/John Podhoretz, The New York Post and The Weekly Standard/Mona Charen, The Washington Times/Morton Kondracke, Roll Call, Fox News formerly of The McLaughlin Group, The New Republic and PBS/Fred Barnes, The Weekly Standard, Fox News, formerly of The New Republic, The McLaughlin Group, and The Baltimore Sun/Sid Zion, The New York Post, The New York Daily News/Yossi Klein Halevi The New Republic/Sidney Zion, The New York Post, formerly of The New York Daily News/Norman Podhoretz, Commentary/Jonah Goldberg, National Review and CNN/Laura Ingram, CNN, formerly of MSNBC and CBS News/Jeff Jacoby, The Boston Globe   Rich Lowry, National Review/Andrew Sullivan, The New Republic/Seth Lipsky, The Wall Street Journal and The New York Sun, formerly of the Jewish Forward/Irving Kristol, The Public Interest, The National Interest and The Wall Street Journal Editorial Page/Chris Matthews, MSNBC Allan Keyes, MSNBC, WorldNetDaily.com/Brit Hume, Fox NewsJohn Leo, US News and World Report   Robert Bartley, The Wall Street Journal Editorial Page/John Fund, The Wall Street Journal Opinion Journal, formerly of The Wall Street Journal Editorial Page/Peggy Noonan, The Wall Street Journal Editorial Page/Ben Wattenberg, The Washington Times, PBS/Tony Snow, Washington Times and Fox News/Lawrence Kudlow, National Review and CNBC/Alan Dershowitz, Boston Herald, Washington Times/David Horowitz, Frontpage.com/Jacob Heilbrun, The Los Angeles Times/Thomas Sowell, Washington Times/Frank Gaffney Jr, Washington Times/Emmett Tyrell, American Spectator and New York Sun/Cal Thomas, Washington Times/Oliver North, Washington Times and Fox News, formerly of MSNBC/Michael Ledeen, Jewish World Review/William F. Buckley, National Review/Bill O'Reilly, Fox News/Paul Greenberg, Arkansas Democrat-Gazette/L. Brent Bozell, Washington Times/Todd Lindberg, Washington Times/Michael Barone, US News and World Report and The McLaughlin Group/Ann Coulter, Human Events/Linda Chavez, Creators Syndicate/Cathy Young, Reason Magazine/Uri Dan, New York Post/Dr. Laura Schlessinger, morality maven/Rush Limbaugh, radio host.
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『おそらく最も興味深いものはイスラエルを反射的にそして無条件に支持する非ユダヤ人の長いリストだろう。』――このようにカリフォルニア州立大学のケヴィン・マクドナルド教授は書いた[11]―― 『イスラエルに対する無条件の支持は米国の主要メディアによって受け入れられる決定的なリトマス・テストである。有望な知識人たちはイスラエル(そしておそらく他のユダヤ人関連の事柄)への献身を示すことによって「業績を上げる」のだ。個々人の態度の結果としてのある種の巨大な選抜要因が無い場合にはこのイスラエルに対する大変な偏りを説明することは困難に思える。そして、このリストに挙げられたユダヤ人は人種的な俳優たちと見なされなければならないが、その一方で、非ユダヤ人たちは間違いなくその地位を手に入れるのに非常に上手な実績作りを行っているだろう。この有力なオピニオン・メーカーに対するリトマス・テストは、ジョー・ソブランが、米国の外交政策は「何がイスラエルにとって最良なのか」によって検討されるべきものではないと無謀にも示唆したために、ナショナル・レヴューをクビになった事実によってもさらに明らかになるものである。』

 この立身出世主義者たちは米国国民の利益を無視する能力によって選び抜かれたのである。エリートの構成と態度を計るための良い指標はアイヴィー・リーグの大学に入学を許される者たちの中で発見できる。伝統的な米国エリート、つまりWASPが占める割合はかつての85%から今や35%に縮んでおり、一方でユダヤ人(人口の2%)の割合はすでに40%に届いている。言い換えると、非ユダヤ人がエリートの中で地位を見出すチャンスは大幅に減っているのである。

 このようにして、長期間の選抜過程の後に、親ユダヤ勢力が米国の中で権力と影響力を持つ地位に上ってきたのだ。このすべては次のように告げる。米国はそのイデオロギーの効力によって、ネオ・ユダヤ国家(Neo-Jewish state)になるように、ほとんど運命付けられている。アンソニー・ジャッジは次のように書いた。『「神が所有する国」としての米国の異常な排他主義的な見解と、「選ばれた民」への神の贈り物としてのイスラエルのそれとの間には、一つの尋常ならざる相似性が存在する。こういった自己認識が、多国の土地に侵入し現地人たちを追い出し殺し‘居留地’に閉じ込め他の文化を持つ場所に「西欧文明」拡張の戦略的枠組みを発達させる、といったことを正当化してきたのは、一体なぜだろうか?』

 米国の創設者であるピルグリム・ファーザーたちは自らを「新しいイスラエル」と呼んだ。ところがサタンはそのWASPの子孫たちと残酷な取引を行った。彼は彼らを新しいユダヤ人とすることを約束し、そして自らの約束を良いものとしたのである。しかしながら、彼らはユダヤ-貨幣神崇拝者同盟(the Judeo-Mammonite alliance)の中でマイナーなパートナーとなってしまい、日々その忠誠を誓うように運命付けられてしまったのである。
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IX

 しかしながらマクドナルド教授は、キリスト教徒がユダヤ人を支持する理由をあまりに単純化しすぎるという間違いを犯している。ブッシュやラムズフェルドは別として、あるいは立身出世主義者は別として、ユダヤ人を支持する善良な非ユダヤ人たちがいる。ちょうどイサック・ドイチャーの定義による、異端者のユダヤ人や「非ユダヤ的ユダヤ人(non-Jewish Jews)」がいるのと同様である。これはユダヤ共同体の内部にある遠心的な傾向と求心的な傾向という矛盾した本性のためである。非ユダヤ人と出くわす際の個々人の反応によって、ユダヤ人は遠心ユダヤ人(Rim Jews)と求心ユダヤ人(Core Jews)というように分類ができる。遠心ユダヤ人は、結婚することによって、キリスト教や共産主義や他の信条を受け入れることによって、神との霊的な交わりを求めることによって、共同体から去っていこうとする。求心ユダヤ人はゴイムに対する永久の戦争の中で共同体の優越性を宣言する。千年間続く綱引きの中で、キリスト教徒はこの求心性を無効にしようとし、その一方でユダヤは遠心性を破棄しようとする。

 それが、どうして2種類の「セム族愛好者」がいるのかの理由である。その一つである善良なキリスト教徒は新しい精神的な安らぎを期待する。彼らは聖書のポジティヴな部分、「汝の隣人を愛せ」に影響を受けている。彼らはユダヤ人たちがかもし出す共同体、所属、伝統の精神を好む。彼らは詩的な本性を魅了する「アウトサイダー」の松明を好む。多くの人々がおり、彼らは自分たちが直接に触れる環境の窒息しそうな退屈さを打破したいと望んでいる。アイルランド人の作家ジェイムズ・ジョイスはブリテン人との血まみれの争いから離れる道としてユダヤ人を見た。マリナ・ツヴェタエワはロシアの詩人で、その安定した中間階層の家族の中で自分自身をアウトサイダーであると感じそして書いた。「この大部分のキリスト教世界において、すべての詩人はユダヤ人である」と。ウッディ・アレンの初期の喜劇に出演する魅力的な女優たちは、この内なる異邦人、ユダヤ人に魅惑されているものである。

 このような人々がユダヤ共同体の外周部にいる遠心ユダヤ人と常に会っているのは偶然ではない。ジョイスにとってのユダヤ人はイタリアのユダヤ人作家イタロ・スヴェヴォ、ツヴェタエワにとってのユダヤ人はロシア共産主義者のスパイ、セルゲイ・エフロンであった。ダイアン・キートンとミア・ファーロウにとってのユダヤ人は愉快なアウトサイダーであるウッディ・アレンだった。ユダヤ共同体の外周部は極めて大きく、そこには常により善良な種類のキリスト教徒異端者との混在がある。

 
同盟の第二のセットは、ユダヤ・イデオロギーの実際的な面の真価を認める熱心な資本家たちによって作られている。彼らはマフィアの思想とカネの追求を好み、モラルと他人の財産や生命にすら必然的にもたらす社会的な結果を無視する。あらゆる人間を敵と見なし人生を終りの無い戦争と見なす人々は、ユダヤ・イデオロギーの中で、見知らぬ人間は誰も「隣人」ではないと発見する。それが、最も残虐な支配者、領主、王たちが顧問や大臣としてユダヤ人を選んだ理由なのだ。彼らはユダヤ人たちから自分の臣民をどのように無視すれば良いのかを学んだ。ネロやペドロ残酷王(j)、コンラッド・ブラック(k)やマーガレット・サッチャー、マフィアのゴッドファーザーたちと第三世界の独裁者たちは、求心(遠心に敵対する)ユダヤ人たちを好んだ。

 このようにして善良な人々は彼らのユダヤ人と付き合い、邪悪な人々は彼らのユダヤ人と付き合う。ここに問題がある。善良な人々のユダヤ人はアウトサイダーであり、彼らはほとんどユダヤ人として評価されない。一方で邪悪な人々のユダヤ人はパワフルなユダヤ人指導者たちである。そしてこのユダヤ友愛団は構造的に支配階級の団体であり、その権威主義的なリーダーシップに強く影響されている。無自覚のうちにだが、善良なユダヤ人たちは邪悪なユダヤ人たちに利用されてきた。アルバート・アインシュタインはユダヤ共同体を拒絶し、シオニズムに反駁し、決してシナゴーグに行かず、そして彼自身は魅力的な人物だった。しかし彼の研究成果は邪悪なユダヤ人たちによって彼ら自身のコンセプトを推進するのに利用されたのだ。

 このようなことは、次の点を理解しようとする人があまり多くないために起こるのである。ユダヤ人は民族でもなく、宗教でもなく、人種でもないのだ、彼らは準宗教的組織である。ブラウザーとメール発信人がウインドウズの中で一くくりにされるようにカトリック教会がIMFと共に一くくりになっている、それと似たようなものだ。あらゆる種類のカトリックを見出すことができるだろうが、しかし決定はローマで為される。あらゆる種類のユダヤ人が見出されるだろうが、しかし決定はウォール・ストリートで為されるのである。

 
求心ユダヤ人に対する戦いの間には、遠心ユダヤ人に対するサポートが大切だ。これはキリスト教会の伝統的な手法だった。ユダヤ人(Jews)の精神のためにユダヤ(Jewry)と戦うのである。ユダヤ・ゼロテ党(l)である‘マッド’・ゴールドハーゲンは彼の本の中で、教会は「アンチ・セミティック」でありその方針がユダヤ・ホロコーストを導いた、と主張した。これほどに誤っていることは無いだろう。教会は精神を正そうと望んだのであって、肉体を殺そうと望んだのではない。実に、ユダヤ人の真の利益とユダヤ人が対立しあっているのだ。

 ユダヤのエリートたちは人々が選択権を与えられるべきであると知っているが、彼らはどれを選んでもそれが確実に誤った選択になるようにしようと努めている。そのことが、貨幣神崇拝ユダヤ人がシオニスト・ゼロテ党を支持する理由だ。彼らは我々ユダヤ人に、二つの邪悪のどちらかを選ぶように望んでいるのである。ゼロテ党か、あるいは貨幣神崇拝者か。しかし「第3の哲学」も同じく存在する。その熟達者たちは人類の偉大な友愛団体を信奉しており、ゼロテ党の憎悪と世界支配を目指すパリサイ人の指導のどちらをも拒絶する。彼らは様々な政治的・宗教的な学派に固執して、政治地図の中で左翼になるか右翼になるかでき、キリストやアラー、レーニンやチョムスキー、ニュー・エイジやブッダ、芸術や愛を信じ込むことができる。彼らはイスラエルの半端布(はぎれ)であり、聖パウロによって宣告されたものである。それらが人類に浸透していく中で、キリストの次の言葉が実現されるだろう。一粒の麦は死んで、そして生きる。一粒の麦が生きるなら、それは死ぬのみである。

 
死と復活の物語は次のような神話的な意味を持っている。死と消滅を恐れてはならない。それが生命へと続く道だからである。ユダヤ人として死んだユダヤ人は生き続けた。スペインでユダヤ共同体が終りを告げた後に、アビラのサンタ・テレサやサン・フアン・デ・ディオス(m)
はユダヤ人として死に永久にその生命を残した。アムステルダムやモロッコに行った被追放者の名は消え去り忘れられている。彼らはユダヤ人として生き続けた。そして永遠に死んだ。それは1917年にロシアで繰り返された。ユダヤ人として生き残った者達は永遠に死んだ。革命に加わった者達は永遠に生きる。
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XIII
【訳者より:ここで章番号IXとXの間にXIIIが入っているが原文通りの順番で翻訳しておく。】

 9・11の直前に、米国議会の一グループがパレスチナを訪れ、その中の一人の言葉が新聞の見出しになった。それはシェリー・バークリー議員(ネヴァダ選出、民主党)であり、彼女はパレスチナの長官サエブ・エラカトにこう言った。『ここは私たちの国です。私たちは戦争に勝ったのです。もしパレスチナ人たちがユダヤ人の支配の下に生きることを望まないのなら、ここから出て行くことを妨げないでしょう。』

 シェリー・バークリー先生の言う「私たち」とは誰のことか? 彼女は明らかに『我々米国人』の意味で言ったのではない。あるいは彼女をワシントンに送った『ネヴァダ州民』でもない。私の知っている限りでは、ネヴァダは中東戦争を行わなかったはずだ。一部のナイーヴな人なら、たぶん「イスラエル」と答えるだろうし、そして彼女を「二枚舌の忠誠」で非難さえするかもしれない。手厳しい評論家先生たちは、彼女の忠誠心をある外国に切り替えたことで彼女への投票者の信頼を裏切ったとして、彼女に不信任を突きつけるかもしれない。しかしそれは不誠実な誤読解であろう。ミス・バークリーは決して忠誠心を切り替えたのではないのだ。下院と上院の他のメンバーと同様に、彼女はたった一つの忠誠心を持っている。それはユダヤの大義(the Jewish cause)に対するものである。

 
ミス・バークリーの言う事は筋が通っている。もしネヴァダ州民や他の米国人たちが激しいユダヤの影響の下に生きることを気にかけないのなら、どうしてパレスチナ人がそれを気にすることがあろうか? 米国人たちは明らかに、彼らの富がグリーンスパン氏の連邦準備委員会の傘の下で複数の巨大な投資銀行によって運用されていることに対して、全く気にしていないのだ。イエスは救うがモーゼは投資する。ユダヤの影響はその掛け金が止まる場所で終わることはない。米国人の理想はハリウッドによって、その貪欲と成功のカルトをもって形作られている。彼らの思考は大学とメディアの中にいるユダヤの賢人たちによって与えられる。慰めを求めて彼らは「ニューヨーク・タイムズ」チキン・スープをすする。彼らの歴史はホロコースト研究の方向に押し縮められてきた。彼らの本はベロウとマラムッド(n)によって書かれている。米国人たちは自国の政治家たちがユダヤの大義のみに心をそそぐ人々の手中にあることを気にもかけないのだ。

 彼らがそれを気にしないというのなら、一人のイスラエル・ユダヤ人である私が、どうしてそんなことを気にかけるだろうか? 我が兄弟である米国ユダヤ人たちの偉大な成功に対する誇りの感情などどうでもよいのである。結局、一発の銃声も無しに唯一の超権力を支配することは何ら偉業ではないのだ。これは修辞学的な問題ではない。それは一つの解答を持っている。そしてそれは「自虐的」ではない。私は身分自身に、そして私が出会うユダヤ人の少数派に、完璧に満足している。自虐どころか我々は素晴らしくそして愛すべきものである。そう、他の誰もが素敵であるように。しかし同時にまた、我々は恐るべき強圧的な貪欲で強欲な権力に闇雲に突っ走る社会的マシンを形作る。私は、偉大な米国人ヘンリー・ソロウがアメリカ帝国を愛し、ヴォルテールがカトリック教会を愛し、オーゥエルがスターリンの党を愛したのと同程度に、「ユダヤ人(the Jews)」を好んでいるのである。

 ユダヤ(Jewry)はイスラエルのユダヤ人たちの敵となっている。パレスチナ人の隣人たちと、教会やモスクと、平和に共存したいと望んでいるイスラエル人たちは、米国ユダヤ人指導部のむき出しの筋肉に対抗できないのだ。善良なイスラエル人たちとそのパレスチナ人の同盟者は、そうするだけの力を持たない限り、勝つことができない。ノルゥエーの物語で、英雄神トールがその力を試すためにウッガルドにやって来た。ウッガルドの神々は彼に一本の角に入った水を飲み干してみろと注文した。彼はやってみたが失敗した。その角は井戸につながっていたのだ。その連結を断ち切ることによってのみ、彼はその注文に応じることができるだろう。もし、海外に住む私の読者たちであるあなた方がユダヤの支援の海をその場所で食い止めるなら、我々イスラエル人とパレスチナ人はこの地で物事を変化させることができるだろう。あなた方の中にいるユダヤ国家の支援者たちは、あなた方と我々の利益のために、封じ込められるべきである。
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X

 
数ヶ月前のこと、私は旅行でアマゾン盆地のマドレ・デ・ディオス川によって深く刻まれた場所にあるペルービアン・ジャングル(o)に行った。この離れた地に、果てしなく続く森の中に小さなカヌーでないと渡ることのできない小さな川のある湿地帯が、何マイルも広がっている。プエルト・マラドナドからの長い船旅の後、私に付いた現地人のガイドが色とりどりのインコと私の肩に座る人なつこい猿たちのいるロスト・ワールドに連れて行ってくれたのである。私はそこで細い小道の縁に一本の巨木があるのに気付いた。それはジャングルにある他のどの木よりも大きく、その巨大な根は何ヤードも広がっていた。これが「電報の木だ」と、私のガイドが教えてくれた。彼がその化け物のような木の幹を叩くと音がジャングル中を響き渡った。その巨木はがらんどうだったのだ。

 私はそれを間近で眺め、そして今まで見逃していた奇妙な特徴に気付いた。地上およそ7ヤードほどのところに、もう一つ別の幹が、部分的に飲み込まれてしまっているヤシの木が、取り巻いている滑らかな樹皮の中から突き出していた。この「電報の木」は怪物じみた寄生生物であり、ヤシの木の表面で育つ。この寄生生物は自分自身の幹を持たないが、宿主の木を取り囲んでその表面で大きくなる。そして次第にそれを覆い尽してしまいその命を支える樹液を飲み込んでいく。取り付かれた木はその殻の中で枯れて腐っていき、そして空洞の幹が新たに高く伸びて、地元のインディオたちにとっての完璧な太鼓を作り上げるのだ。

 これはアメリカ合衆国の生き生きとしたイメージであった。この巨大で空っぽの幹は国々の森の上にそびえ立っているが、中は死んでいるのだ。アメリカ帝国は没落の時期に入っている。ドルはまだ世界の通貨だし、米軍はまだ手の付けられない戦争マシンであり、株式市場は何兆ドルを動かすのだが、しかし、この西側の偉大な国は精神的には取るに足らないものである。米国の政治的な生命はメロヴィング王朝の最後の日々を髣髴とさせる薄暮の状態に入っている。一人のアウトサイダーにとって、この2億7500万人が住む国が、二人の阿呆、ブッシュおよび/またはゴアよりもましな指導者を見つけることができない、など、ほとんど理解できないことである。両者とも意志薄弱と基本知識の欠如、そして政治的意思の全面的な空白をあらわにする。たぶん平均的な都市ならこの二人よりもましな人物を市長の候補者に立てるだろう。

 全面的な政治的沈滞は心の弱さに付き添われる。マス・メディアと出版界で見る米国は馬鹿である。第2次大戦前に出されたものと比べると、新しい本にロクなものは無い。米国のテレビは人間の知性を侮辱する。劇場は腐ったカスに満たされ、ビデオテープがアメリカ芸術でございと称している。このユダヤ-貨幣神崇拝者による乗っ取りは米国の生命力を断ち切り、人々を浪費の中に導き入れた。
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XI

 
米国の「ユダヤ」精神は、マルクスによって告発されたものだが、ユダヤ系米国人のジャーナリストであるフィリップ・ワイスによって輝かしく讃えられたものである。[12]

誰も、我々が密かに知っているあることを口にすることは許されていない。それはユダヤ人が米国を変えたということである。公民権運動はユダヤ人の正義についての価値観を反映したものである。フェミニズムはリベラルなユダヤ人の女族長主義の価値観を反映したものである。メディアの中で空前絶後の権力を握ったユダヤ人たちは情報化時代の到来を告げた。心理学がお手の物であるユダヤ人とハリウッドのユダヤ人は、コメディ番組サインフェルドやアニメの登場人物であるワインシュタインなどで民衆文化の言葉を変えた。そして我々の社会全体を通して教育的成功を新たに強調したことはユダヤ人の学習への愛情を反映している。私は財政や法律についてはあまりよく知らないが・・・。こういった流れが米国をより公平により創造的にしてきたのだ。ユダヤ人は教会と国家の分離を促進してきた。より重要な公的事物に対して教会の影響が大幅に減少したことは、世俗化したユダヤ人たちが手に入れた文化的な力量抜きでは起こらなかっただろう。そして今まで誰もこのことについて語らない。支配的な文化における最も重要な変化は、過去25年間に起こり、そして誰にも語られないままだ。

 
このワイスのうぬぼれに満ちた自己讃美はある種の冷静さを呼び起こすものである。これらの変化をより幸福に満ちたとはいえない光の中で見ることができるのだ。ユダヤ人が米国を変えたのは過去25〜30年の間だ、とワイスは言う。これらの年代は米国のユダヤ人にとって黄金の年月であった。彼らの権力と影響力のシェアは成長した。しかしこれらの年月は米国の非選民たちにとってはむしろ悪い時代だった。英国の週刊誌エコノミストは、ネオ・リベラリズムの熱心な支持者なのだが、最近次のように報じた。[13]

貧者と富裕者の間にある差が広がっている。米国ではこの20年間で、人口比で上から5分の1に当たる富裕層の収入は下から5分の1に当たる貧困層のそれと比べて、9倍だったものが15倍へと増加している。1999年には、英国の収入の不平等はこの40年間で最も大きなレベルになった。

 ユダヤ人の影響の増加は社会の分裂を伴った。金持ちは益々金持ちになり、貧乏人は益々貧乏になり、中産階級は失われていった。それは予想されるべきことだった。伝統的にユダヤ共同体の繁栄は一般の人々の利益に逆らって進むのである。聖書は我々に、ヨセフとその兄弟たちに関する祖形的な話を与えてくれる。彼らは普通のエジプト人をファラオのための奴隷にすることによって繁栄した。残虐王ドン・ペドロの時代のスペインでユダヤ共同体は国王の側に付いて一般の民衆と敵対していた。17世紀のポーランドやウクライナでも同様だった。欧州のどこででも王宮の隣にユダヤ人の居住区が位置していたのは根拠の無いことではなかったのだ。

 「メディアの中で空前絶後の権力を握ったユダヤ人たち」はその常である下らぬ事々にに携わった。イスラエルを褒め称えること、ユダヤ・ホロコーストを嘆き悲しむこと、イラクでの大量殺人から米国での黒人の進歩への妨害にいたるまでの、あらゆる唾棄すべき日常的な事柄を支持すること、等々。ユダヤ人の下で、ハリウッドはアメリカ映画をずっと暴力的なものに、嫌味なほど道徳的なものに、押し付けがましいものに、そして俗物的なものに作り変えた。映画界にはウッディ・アレンのような善良なユダヤ人もいるが、しかし彼はハリウッドにはいないしいずれにせよアンチ・セミットと見なされている。法律の世界では、ユダヤ人の伸張は米国をより公正な社会にはせずに、より激しい訴訟社会にしてしまった。「ユダヤ人弁護士」は夜中に子供を震え上がらせるお化けのような存在になってしまった。「教会と社会の分離」は強制的な反キリスト教化と反霊性主義化と見なすことができる。
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XII

 
米国は何通りものあり方でユダヤ国家になっている。イスラエルと同じセキュリティー・チェックがあり、同じホロコースト博物館があり、同じように多数の貧困者と少数の金持ちがいる。この相似性は同様にその味方と敵によっても感じられる。デイヴィッド・クイン[14]はサンデー・タイムズに次のように書いた。アイルランド知識人が持つ米国の政策に対する拒絶の感情が『あまりに強く、あまりに明白で、あまりに非理性的(!?)であるために、私はアンチ・セミティズム以外の何物をも思い起こすことができないのだ』と。クインは続けて言う。

米国人たちはユダヤ人と同様に、この世界の半分にとっては生贄の山羊としての選択肢になっている。ユダヤ人たちは世界の経済をコントロールしていると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは文化と芸術のコントロールを通して退廃を推し進めると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは自分の権力を極悪な使い道に投入すると非難された。そして米国もそうである。

米国の力と富、そしてそのユダヤ・ロビーの強さを前提として見た場合、中東で反米と昔からのアンチ・セミティズムを混ぜ合わせて本当に猛毒のスープを作ることは簡単なことだ。何千万人もの人々がこの調合物を飲んで、そして今、ワイマール共和国の多くのドイツ人たちと同様に米国への憎しみに満たされているのだ。

オサマ・ビン・ラディンとその支持者たちはその理論的な帰結としてその嫌悪感に従った。ヒトラーが次のように語ったのと同様である。もし米国が本当に世界の問題に責任があるのなら、米国とその国民は根絶されなければならない、と。

 この記事は重要である。これがユダヤ-アメリカ主義(Judeo-Americanism)が染み込んだ者の深層意識を表明しているからである。クインはユダヤ人とネオ-ユダヤ人(Neo-Jews)にアピールしている。米国を支持せよ。米国が、ユダヤの政策を実行して正常な反ユダヤ的(anti-Jewish)反応を引き起こすユダヤ国家だからである、と。クインはユダヤ人とアメリカが同一のものであることを認めており、そして彼は新ユダヤ人プロパガンダの常套句を数多く使用する。

 
それらの常套句の一つは、ユダヤ/アメリカの政策に対する拒絶が「非理性的」だ、というものである。次のような信仰の教義があるからだ。『汝、何故に己らの政策の拒絶を生ぜしむるか理解せんと努むるなかれ。』ホロコースト教(holocaustism)の預言者であるエリー・ウィーゼルはあらゆる機会に次のように繰り返す。『全く非理性的だ・・・何の説明もつかない・・・何の理由も無い・・・、ただユダヤ人に対するあらゆる人々の純然たる嫌悪があるのみだ』と。そしてラビ・トニィ・ベイフィールドが、変わらぬユダヤの熱心さでその意を繰り返す。[15]

私は、そのような行為(ペンタゴンに対する攻撃など)がある意味で正当化できることはもとより理解さえできることだ、などと抜かすようなヤツラに対する激怒で、はらわたが煮えくり返っている。

 私はラビ・ベイフィールドを個人的には知らないが、敢えて荒っぽい推察をしよう。もしあなたが彼にデイル・ヤシンを説明したならば、あるいはイラクでの大量殺戮でもよいが、彼は次のように激怒ではらわたを煮えくり返らせるだろう。どうしてそれらと比較できるというのか!と。彼は、それらの大量殺人は正当化できはっきり理解できることはもちろんである、と見なすだろう。だがユダヤ人が苦しむときは常に、何かの神話的な手段によって以外には、説明も理解もできないのである。

 クインは、あらゆる新ユダヤの弁護人同様、否定不可能なことを否定する。彼に言わせると米国は世界の経済をコントロールしていないのだ。この国がそれで非難されているからである。たぶん、米国は北米大陸の大きな部分を占領していることだけで非難されるのだろう。クインのイメージの中で米国は小さな居留区の貧しい家にでも住んでいるのだろう。私はデイヴィッド・クインの出自を知らないが、しかし彼ほどにユダヤ的な人間は誰もいるはずがない。

 クインにとっては、ユダヤの優越性/アメリカの支配に敵対する者は、誰であろうがユダヤ人/アメリカ人を殺そうとする新たなヒトラーなのだ。ナセルはスエズを国有化したときにヒトラーだった。アラファトはヒトラーでありベイルートはその隠れ家だった。ソヴィエト・ロシアは、モスクワがヒトラーを打ち倒す役割を果した瞬間以来、ナチス・ドイツと同様のものだった。オサマ・ビン・ラディン、あるいは「何千万人もの中東の人々」は新しいヒトラーとなった。この比較の背後にある思想は、それらの「何千万人もの」イスラム教徒たちがヒトラーとその「ワイマール共和国の多くのドイツ人」同様に取り扱われるべきである、というものである。

 
ユダヤ-アメリカの論調はそのユダヤ人の先輩たちからこの悪魔化のアイデアを引き継いだ。敵対者に対する議論の中に激憤と憎しみと満ち満ちた復讐心を導入することは、強力で伝統的なユダヤの思想的武器である。それは共同体の中では決してスイッチを入れられることがなく、その外側に対して使用される。悪魔化と激憤は幅広い不快感と論調の偏向を引き起こし、そして結果として社会を破壊する。オックスフォード大学でチャバッド・ラビを務めたラビ・シュムエル・ボテアックは、このユダヤ人のやり方を、彼の作品中の「嫌悪すべき時」[16]
という項目で次のように紹介した。

米国に対する恐ろしい攻撃をしでかした卑劣な野蛮人どもに対する適切な返答は、我々の存在のすべてをかけて彼らを憎み、彼らの動機を理解しようとするかもしれないあらゆる同調のカケラからも我々自身を引き離すことである。憎しみこそが価値のある感情である・・・。キリスト教は殴りかかる相手にもう片方の頬を向け憎むべき者を愛せよと勧めるものだが、それとは対称的に、ユダヤ教は我々に全力をあげて憎むべき敵をさげすみ抵抗することを義務付けている。我々にとって、信仰の名の下に〈罪人〉に対して許しと共感を広げることは、危険な罠であるばかりでなくG-dを嘲る行為である。G-dは全員に憐みをかけるのだが、無実の者にとっての正義を要求している。ヒトラーに対する唯一の返答は心底からの軽蔑と激しい嫌悪である。手に負えない邪悪さに対して対応する唯一の方法は、それが地上から完全に根こそぎにされるまで続く絶え間の無い戦いを起こすことである。私は、ヒトラーとその同類を嫌悪しないどのような文化も同情には値しないものであると主張する。実際に、殺人者に対して親切心を示すことは犠牲者に繰り返し暴行を加えることである。したがって正義のためには、邪悪な人間に対する適切な対応とは、その人物を我々の全存在をかけて憎み、この世においても次の世においても彼らが何の安息も得ないことを望む、ということである。
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XIV

 この思想闘争の中に恐るべき大量破壊兵器がある。反対者の悪魔化である。キリスト教神学ではそれは「マニ教的」異端と呼ばれる。もし社会を破壊しようと思うならこれ以上に効果的に全体に効果を及ぼす兵器は無い。誰でも人々を《光の子》と《闇の子》に分けるべきではないのだ。

 
ユダヤ人は通常、自分の共同体の中で作られた思想に対しては極めて寛容である。シオニズムの創設者テオドル・ヘルツルは非宗教的なユダヤ人以外の何ものでもなかった。信心深いユダヤ人たちは彼を非常に嫌った。にもかかわらず、あるラビが彼について何か良いことを言うように求められた際に、彼は次のようなすばらしい言葉を見つけた。テオドル・ヘルツルはシナゴーグの中では世俗的な話題を決してしゃべらなかった、フィラクタリー(p)を身に付けているときには決して便所に行かなかった、彼はクリスマス・イヴには決してタルムードを開かなかった、と。実際はこうである。 ヘルツルはシナゴーグに行ったことがなかったし、フィラクタリーを身に付けたこともなかったし、タルムードを学んだこともなかった。それだけである。同様の文脈で、ユダヤ人たちは共産主義者のレオン・トロツキーにも、ナチの支持者であったヤイール・スターン (q)にも極めて寛容だった。どのような思想もそのポジティヴな要素を持っていると知っていたからである。近年で言うと、左翼の野党であるヨッシ・サリッドは暗殺されたユダヤ・ナチの大臣ゼエヴィ(r)とは友人であり感動的なほどに賞賛していた。

 しかし外の世界に対しては、ユダヤ人たちは通常、永遠に祝福するのとは逆に、憤怒に打ち震え怒りと復讐心に満ちた永遠の呪いの思想を提供した。心理バランスを回復させるために、このユダヤの内に向けての寛容さは普遍化されるべきであり、そしてユダヤの外に向けての不寛容さは拒否されるべきである。

 ユダヤ-アメリカ的思考は外に向けて消費させるために製造され続ける。ロナルド・レーガンはロシアを「邪悪の帝国」と呼んだ。ブッシュはサダム・フセインを「ヒトラー」と呼んだ。メディアの大立者であるロード・ブラックの妻であり導きの光でもあるバーバラ・アミールは、現在イスラエルとユダヤ人が邪悪の帝国として紹介されている、と論評した。

 あなたは間違っている、アミール女史。邪悪の帝国などどこにも無いのだ。ただ野放しにされる国があるだけだ。
 ソヴィエト・ロシアは邪悪の帝国ではなかったし、共産主義はスターリンと強制収容所で体現されるようなものでもなかった。ショロコーフ、ブロック、パステルナーク、エセーニン、マヤコフスキィ、そしてデイネーカは、ロシア革命を受け入れその理想を芸術に表現した。それは人間の平等と兄弟愛における偉大なそして部分的には成功した実験の場だった。そして貪欲さの魂を打ち破るための勇敢な試みの場だった。共産主義者とその支持者たちは労働を解放しようと試み、地上に天の王国をもたらそうと試み、貧困を取り除きそして人間の魂を解放しようと試みた。共産主義は欧州の社会民主主義をもたらした。

 ドイツは邪悪の帝国ではなかったし、その組織的な伝統主義の精神はヒトラーとアウシュヴィッツで体現されるようなものでもなかった。伝統主義者たちはワーグナー、ニーチェ、そしてヘーゲルに基づいた新しいパラダイムを確立させようと試みた。民衆のルーツと伝統の方に進もうと試みた。それは決して無駄ではなく、クヌート・ハムスンからルイ・フェルディナン・セリーヌ、エヅラ・パウンド、ウイリアム・バトラー・イェイツそしてハイデッガーに至るまでの欧州最良の作家と思想家たちが、伝統主義者の組織的なアプローチを肯定的に見ていた。もしロシアとドイツが悪魔化されなかったとしたら、それらの国があれほどの極端さにまで向かうことはなかったかもしれないし、十分にそう言えるのではないかと思う。

 我々は第2次世界大戦後の世界で失われた精神と議論のバランスを回復させなければならない。それはブルジョアジーの「ユダヤ-アメリカ的」思考のあまりにも完璧な勝利によるものなのだ。行き過ぎと戦争犯罪を非難する一方で、我々はマヤコフスキィからパウンドに至るまでの精神の王国を取り戻す必要がある。邪悪な人間などいない。我々は神の似姿に創られており、あらゆる思想が新しい思考を作り上げるのに必要とされるのだ。

 この1930年代と1940年代の二つの偉大な主人公は多くの凶暴性を発揮した。しかし罪の無い者が最初の石を投げよ。ドレスデンとヒロシマの後で、そしてデイル・ヤシンとジェニンの虐殺の後で、石を取り上げる資格を持つ者はそんなに多くいない。それらは悪魔化を解かれるべきだ。その悪魔化がバランスの無い思考という危険を作るからである。

 我々は同様にそれらにとっての敵をも悪魔化すべきではない。米国は邪悪な帝国ではない。それは正気に戻すことができるしそうしなければならない。起業家精神、発明、独立心、拘束の無い自由と民主主義という米国精神は、全人類の価値ある財産として保ち続けられるべきである。

 ユダヤ民族は邪悪の帝国ではない。良い組織者と外交官、頑固さと熱心さ、軽々と実行する力、感じやすさ、第一級の思想家たち、そして勇敢な兵士たち、気軽な旅行者、同情心と快活さ;ユダヤ人たちは人類の繁栄のために必要とされる。

 しかしそれらの特徴の一つ一つは、もしチェックを受けないままにしておくと世界を破壊する可能性がある。

 ソヴィエトはその古い世界を取り壊していくときに何千万人もの人々を殺し追放した。彼らは古い教会を破壊し、農民を根こそぎにし、そしてその米国の敵対者と同様に画一性を維持した。ナチスは最も恐ろしい戦争をこの世界に勃発させ何千万人ものスラブ人とユダヤ人を殺した。現在、ユダヤ-アメリカの勢力が、1945年と1991年の勝利の完璧さによって歯止めを失った状態にある。彼らはそれを、世界を地獄に突き落とすライセンスであると理解している。彼らのグローバリゼーションの計画は、世界のあらゆる美と固有の価値を絶滅させ、精神を殺し、芸術を地に落とし、魂を吹き払い、自然を破壊し、社会的成果を亡き物にし、人類を主人と奴隷に分けてしまうのかもしれない。彼らが行く所がどこであろうと、古いカフェーとレストランが消えてスターバックスとマクドナルドが乗っ取る。労働者たちは職場を失い、博物館はクズで埋まり、芸術はTVに置き換わる。にもかかわらず、彼らは世界に存在すべきであり、破壊されるべきではないのだ。

 通常我々は戦争を国家的利益のぶつかり合いとして議論する。しかし同時にまた第2次世界大戦の果てしなさは思想の戦争という面だった。これは間違っており不必要なものだった。様々な思想は永遠の闘争の中で共存すべきだからだ。ちょうど陰と陽、あるいは女性力と男性力のように。ユダヤ-アメリカ的思想は、もしそれがチェックを受けないままで走り続けるなら世界を去勢するだろう。この去勢は米国の中で強く感じられるものである。そこでは男たちはもはや敢えて男であろうとしない。彼らはもし一人の少女を見つめるならば訴えられる。そしてもし一人の少女を見つめなくても訴えられる。偉大なアングロ・サクソンの叙事詩であるベオウルフの中では、ある残酷な女王が自分を見るような無礼な男を全員殺す。しかしこの残虐な女王の精神が世界に君臨することになるだろうとは、ほとんど誰も思わなかったに違いない。

 ユダヤ-アメリカ的思想は生物学的な生活には強く執着するが精神は拒絶する。その支配の下で偉大な芸術作品も偉大な思想も現れてこないことには十分な理由がある。その一方で、その敵対者が持つ純粋に男性的な傾向は、これまた同様に人間種族の生き残りにとって危険なことだった。

 
前世紀の三つの敵対者(s)
は共通の特徴を持っている。それらはキリストを、我々の精神性の基盤を拒絶した。第2次世界大戦の大国指導者の中に神を顧みた者などいなかった。米国人たちは現在、そして共産主義者はかつてそうだったのだが、ユダヤ人たちから馬鹿にされ非難されることのないように、こわごわとキリストのことには触れないようにする。ナチスは強く反キリスト教的だったし、さらにオカルトにまで手を出した。これはバランスの回復を見失わせる第4の要素である。

 こうして、我々は4つの傾向の合成を捜し求める必要がある。自然の生物的で本来的な愛情、地域的なルーツと伝統、あらゆる人間のための社会共同体的な正義、人生への愛と起業家精神である。それに深い精神性が加わる。それらは十字架の新しい意味を表現するだろうし、人類に精神の一致をもたらすだろう。美しい多様性を同時に保ちながらである。
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XV

 ユダヤ人の隆盛を研究する多くの学者たちは困難に突き当たる。彼らのダーウィン主義的な本能が彼らをして、ユダヤ人たちには自らを成功に導く他民族より優れた特質があると推定させたのである。マクドナルドは、ユダヤ人はより高い知性を持っていると結論付けた。それは優生学と注意深い結婚の結果であると。私は、彼の研究を読んだときに自分に誇りを持ってしまったのだが、それも私が隣人たちである実際のユダヤ人を眺め回したときまでだった。彼のコンセプトは現実との付き合わせに耐えるものではなかったのだ。では、より高い知性ではないのならそれは何だろうか?

 
ダーウィン主義者の過ちは、成功を一つの社会的な機能として理解することができない点である。伝統的なキリスト教徒の社会では、成功のモデルは、詩人、聖人、芸術家、勇敢な兵士、優秀な労働者や農民、他人のためにより良い生活を送る者、といったものだった。ホーマーの時代のギリシャ人たちにとってはフィーシアン(t)たちのすばらしいユートピアから学ぶことができるように、優秀なスポーツマン、船乗り、詩人、音楽家とダンサーが成功のモデルであった。この牧歌的な人々は、昔のオックスフォードの陽気な学生のように、貿易商人や資本家を軽蔑し、優秀なヨット乗りを好んだ。

 ユダヤ人たちによれば二つの異なった成功の概念がある。一つは、ユダヤ共同体の中での成功なのだが、タルムードの研究によって達成されるものであった。もう一つはユダヤ人とキリスト教徒の大きな世界の中での成功である。この成功は遠慮容赦のないカネと権力の積み上げである。

 
ユダヤ人の観点から言えば、ユダヤ人たちは常に成功してきたことになる。彼らが二つの種類の成功を持っていたからである。しかし最近まで、ユダヤ人の外的な成功はキリスト教徒たちによっては認められていなかった。常に彼らと同じ観点を分かち合うキリスト教徒たちもいたのだが。しかしそれがリチャード3世とかハルパゴンのレベル(u)にでもなるとそれは成功のモデルというよりは怪物的であると受け取られた。19世紀になって限度を超えた怪物たちの集団が成功を収め、かくして貨幣神信仰の世界が誕生した。 議論(メディア+大学)への積極的な参加によって、ユダヤ人の考察者たちと思想家たちは貨幣神信仰的な成功の思想を推進させ、それを西側社会の基準的なものに仕立てた。現代のハルパゴンとリチャードは、アイアコッカやソロスかもしれないが、貨幣神信仰の論議取りまとめ役たちによって創られた新しい社会の中で、幅広く成功を収めているのである。マルクスが位置づけたように西側世界はユダヤ的になり、そしてそれはユダヤ的な成功の考えを採用した。平たい言葉で言うならばユダヤ人たちは「成功して」きたのではない。むしろ彼らの通常の行動が成功を表す代名詞となったのである。

 もし米国での成功に関する議論がアフロ-アメリカンの手の中に移されるのなら、ひょっとすると、優秀なスポーツマンとミュージシャンが成功者と見なされるようになるのかもしれない。逆に法律家と銀行が失敗者と見なされるかもしれない。現在の貨幣と権力に対する崇拝に比べるとそれは人類の将来にとってより良いことなのだろう。
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XVI 
 ユダヤ人たちの物質的な成功であっても奇跡を使って成し遂げられたものではない。二人のイスラエル人の映画監督であり映画制作者であるメナヘム・ゴランとヨラム・グロブスによってある試験的な説明が為された。映画芸術としての成果という面では明らかにBクラスでしかない貧弱な才能の人々がハリウッドで財を成し、そして失敗に苦しむときがくるまで多くの劣悪な映画を作り続ける。彼らの成功の鍵は上下に伸びたネットワークである。ゴランとグロブスはイングランドと連合王国中の映画館を買い、そしてそこで彼らが選んだ映画を上映した。彼らはいつも決まって(まあほとんどだが)駄作を選んだ。趣味が悪く才能も能力も持っていないからだった。彼らは言った。もしあなたが映画館のチェーンを持っているなら映画の質について心配する必要は無い。グローバリゼーションとネットワーク作りが評価による競争を避ける道なのだ。質の良いカフェーを開くのではなく、すべてのカフェーを買い取ってスターバックに変えてしまう方が簡単だ。人々はあなたのカフェーに来ざるを得なくなるだろう、と。

 ユダヤ人の成功の、第2の理由は我々のお互いの心理的な融和性である。敵対者たちは通常これをユダヤ「フリーメーソン」と、ほとんど陰謀として描く。しかし同じ物事を好むことはユダヤ人にとっては極めて自然なことなのだ。イングランド人がベーコン・エッグを好むのと同様である。にもかかわらずそれは人類の進歩にとって問題を作り出してしまう。1920年代のプラハで、二人の同じくらいに質の高い、しかし全く異なった傾向の作家がいた。 一人は疎外感を感じる抽象派のフランツ・カフカ、そして土着のチェコ人の共産主義者であるジャロスラフ・ハシェックである。二人とも良質であり、二人とも人類の進歩にとって必要である。しかしカフカの才能はユダヤ人たちにとってより好みに合うものである。ユダヤ人の文学の教授や新聞編集者がチェコ人のそれよりもはるかに多いために、当然のごとくカフカは一般的に知られ認められているのだが、一方のハシェックの名前はボヘミヤに残るだけである。ハシェックのことを考えるよりもカフカを真似する作家のほうが多い。結果として人類は、米国人だけではなく、より益々「ユダヤ的」に変わってしまう。作家たちは知っている。彼らはユダヤ人の編集者と教授の好みに合う方法で書かなければならない、と。さもないと彼らは小さな区域でしか成功を期待できなくなるのだ。こうやって、何の陰謀もなく、普通の人間のユダヤ的な傾向が、その美しい多様性を滅ぼすことによって人類の精神を支配していくのである。

 いまこれらの問題が解決される可能性がある。ある程度までの個人的な主導権は良いのだが、ネットワークを作ることは禁止されるべきだ。自分が所有する書店や映画館やカフェーは良い。しかし2軒目に対する買い入れや支配の確立は犯罪として処罰を受けるべきである。

 北極地方のジョークなのだが、一人のイヌイットが米国を訪れたとき蒸気機関車にはねられた。彼はその事故で死ぬことはなかったが、しかしそれ以来、彼はヤカンを見ると片端から壊すのである。彼が言うには、それらは小さなうちに芽を摘んでおかねばならないそうである。独占化とは何かを知ってしまった後では、我々はこの賢いイヌイットのアドヴァイスに従うべきだろう。我々にとって100軒のスターバックスよりも100軒の異なったカフェーのある方が良いのだ。

 人間の収入は工業での平均賃金の2倍までに上限を付けられるべきである。その金額を超えるものがあるなら、税金が100%を超えるべきだ。役員手当ても同様に厳しく押さえられなければならない。メディアや論壇は広く解放されなければならない。人間の思考の分野ではユダヤ人のバラモン的な傾向を白日に曝し対抗者を与えられるべきである。このバラモン階級は敵ではない。しかしその支配に向かう伝統的な傾向は、より良い透明性と責任の持たせ方によって中和させられねばならない。

 
我々の統一性を宣言する霊的な交わりが確立されなければならない。それは利益や人種差別への拒絶を含むものである。聖アンブロウズ(v)は申命記23:19への注釈で次のように書いた。『取立ての厳しい高利貸しは死刑に当たる罪ではない。戦争する権利があるというのなら、同様に高利貸しにも権利があるのだ。』[17]兄弟や姉妹たちと霊的な交わりを分かち合う人々が高利貸しを呪うことは無い。しかし、もしその交わりがなくなったならば、高利貸し、際限の無い搾取と奴隷化が登場するだろう。奴隷は北米のカルヴァン主義者とユダヤ人たちによってもたらされた。しかしながら、一つの教会で人々が霊的に一致していた場所では奴隷は知られなかったのである。

 
そのウィットに富んだ「キャッチ22」の中で、ジョセフ・ヘラー(w)
は不信仰について彼の牧師に一般的な質問をしている。『下士官たちは我々が祈るのと同じ神に祈っているのでしょうか?』これは分かち合われる霊的一致の無い世界についての考えである。タルムードがユダヤ人たちにキリスト教徒と一緒にワインを飲むことを禁じるのは理由の無いことではない。ワインを分かち合うことは霊的な一致だからである。ユダヤの律法の目的がキリスト教徒に対するユダヤ人のゆるやかな戦争を維持することであったため、ユダヤ人は同様にキリスト教徒に対する無利子の貸付を禁止された。霊的な交わりを分かち合うことで、社会はこの困難さを克服するだろう。

 こうすることによってユダヤ人の興隆は人類の興隆へと転化させられるだろう。

 このユダヤ民族(the Jewish people)に関する長い物語は未知の結末に向かっている。それは共有性の拒絶から始まった。そしてそれは再び問いかけられる同じ疑問によって終わる。もしシオニズムとその兄である貨幣神崇拝者たちが世界的に勝利するなら、それは多様性と憐みと精神を取り除くかもしれない。もし共有の精神が勝つなら、昔の予言が実現するだろう。我々は言おう。我々は一つの血に属する。パレスチナの人々、アブラハムと古代イスラエル王国と使徒たちの末裔、パレスチナの正当な住人たち、そしてその近い親戚縁者たち、さ迷えるユダヤの民衆――彼らは父親の土地に戻った放蕩息子のよう帰ってきたのだが。パレスチナにあるカクンとスバの村から追放された息子たちは、戻ってきて廃墟となった町を再建するだろう。二度と滅ぼされることがないように(アモス9:15)。聖なる地では一つの民族の二つの枝、ユダヤ人とパレスチナ人がまとまり、結婚しあい新しい民を作り出すだろう。ノルマン人たちがイースト・アングリアとシシリーとノルマンディーで行ったようにである。そして二度と世界の平和を乱すことは無いだろう。
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【著者による脚注】  【戻る】でその注釈を含む段落の最初に戻ることができる。

[1] 出版者:Alma/Am Oved, Tel Aviv, 2000, ISBN 965-13-1428-1, 英訳は
http://www.ucpress.edu/books/pages/8335.html
より安価なものはBarnes and Noble で手に入る。
http://search.barnesandnoble.com/booksearch/isbnInquiry.asp?z=y&endeca=1&isbn=0520217667&itm=1 【戻る】
[2] CNN, 9/11/01 【戻る】
[3] 9/12/01 【戻る】
[4] Rich Lowry, National Review editor, to Howard Kurtz (Washington Post, 9/13/01)
http://nilemedia.com/Columnists/Ahmed/2001/May/Nailing_Sharon.html 
Nailing Sharon for Qibya will bring peace by Ahmed Amr 5/31/2001
【戻る】
[5] 2.7.01 【戻る】
[6] The Third Dove 【戻る】
[7] The Israeli-Arab War, June 1967, New Left Review, 23.6.67 【戻る】
[8] http://www.chicagotribune.com/news/opinion/perspective/chi-0204070422apr07.s 【戻る】
[9] April 7, 2002 【戻る】
[10] Irit lando:私は彼女の名前の綴りを標準的に書いた。俗物Takiはその名をフランス語風に普通のユダヤ人の綴り方でLandoi(ランダウ)と書くべきだった。 【戻る】
[11] 著者との個人的な対話の中でである。【戻る】
[12] 資料は NY Observer of 22 January 2001 by :Phillip Weiss 【戻る】
[13] June 16, 2001 【戻る】
[14] Blaming America, Irish Edition, Sunday Times 【戻る】
[15] Guardian, 14 September, 2001 【戻る】
[16] http://www.arutzsheva.org/ 【戻る】
[17] この引用はDavid Pidcockから頂戴した。 【戻る】


【訳者による脚注】  【戻る】でその注釈を含む段落の最初に戻ることができる。

(a) Galilee Flowersは2005年秋にシオニストの圧力によって仏語版の発刊を禁止された。英語版は通信販売で手に入る。次を参照のこと。
http://www.booksurge.com/product.php3?bookID=GPUB02699-00003 【戻る】
(b) 新約聖書マタイ26−24には「されど、災いなるかな、人の子(=キリスト)を裏切る者よ」と述べられている。【戻る】
(c) この文章が9・11事変の直後に書かれたことを銘記されたし。【戻る】
(d) 米英軍によるドイツの都市への空爆で代表的なものはドレスデン大空襲だが、その犠牲者の数には2万5千人から15万人までの諸説がある。【戻る】
(e) 1953年のギビア村での虐殺に関しては次の文章を参照のこと。
http://nilemedia.com/Columnists/Ahmed/2001/May/Nailing_Sharon.html 【戻る】
(f) 2001年9月、9・11直前に、南アフリカのダーバンで開かれた世界人種差別撤廃会議で米国とイスラエルの代表は途中退場した。参照:
http://www.imadr.org/japan/interview/wcar.international-news1.html 【戻る】
(g) ペルシャの侵入によってベツレヘムが破壊された【戻る】
(h) Gideon Levyはイスラエルの日刊紙HAARETZの論説委員で筆者の元同僚である。 【戻る】
(i) Adam Shapiroはニューヨーク出身のユダヤ人で、親パレスチナ団体である国際連帯運動(ISM)の創始者の一人 【戻る】
(j) Pedro the Cruel:14世紀のカスティーリャ王 【戻る】
(k) Conrad Black:カナダ生まれの英国の作家、コラムニスト 【戻る】
(l) 「熱心党」ともいい、ユダヤの独立を主張して古代ローマ帝国に反抗したユダヤ人集団。ここではシオニストを指す。【戻る】
(m) アビラのサンタ・テレサ(1515-1582)、サン・フアン・デ・ディオス(1495-1550)はともに改宗ユダヤ人であり、現在もスペイン・カトリックの中で極めて重要な位置を占める聖人。【戻る】
(n) Saul Bellow(1915-2005)、Bernard Malamud(1914-1986)は共にユダヤ系米国人の作家 【戻る】
(o) ペルー南東部にあるアマゾン・ジャングル【戻る】
(p) ユダヤ教徒が額と左腕につける聖句箱 【戻る】
(q) Yair Sternは、親ナチのユダヤ・テロリスト組織レヒ(Lehi)つまりスターン・ギャングの創設者アブラハム・スターンのこと。彼の死後この組織には後にイスラエル首相となるイツァーク・シャミールに率いられた。 【戻る】
(r) Rehavam Zeeviはシャロン政権の閣僚時2001年にPFLPによって暗殺されたが、ウラジミール・ジャボチンスキー(Vladimir Jabotincky)のユダヤ・ファシズムを最も強固に受け継いだ人物の一人であった。 【戻る】
(s) ソ連、ナチス・ドイツ、およびユダヤ-アメリカの三つ 【戻る】
(t) ホーマーの叙事詩オデュッセイアに登場するパイエケス島の住民 【戻る】
(u) リチャード3世は実在の英国国王(在位1483-85)だがシャミールはシェイクスピアの描いた強欲で暴力的な悪党のリチャード3世を語っている。またハルパゴンはモリエールが1668年に書いた戯曲The Miser(英語名)に登場する大富豪の高利貸し。 【戻る】
(v) St Ambrose:4世紀のミラノの司教であり聖アンブロジウスとも言う 【戻る】
(w) Joseph Heller(1923-99);米国の風刺家でCatch-22は彼の1961年の作品。 【戻る】

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