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第12部:オプス・デイの思想とその方向(下):《地上天国》への「道」      (2006年12月)

[宇宙の支配原理たるキリスト]

 大多数の日本人が持つキリスト教観はおそらく「愛の宗教」「救いの宗教」だと思う。しかしこれは外国のものを何でも善意で受け入れるおおらかな民族性による脚色であろう。あるいは教会のプロパガンダをそのままにイメージしているに過ぎまい。

 私はこのシリーズの第10部 で次のように書いた。

 《本来のキリスト教は決して「愛の宗教」ではない。自らを絶望の淵に追い込みその絶望にすら見放された末にたどり着いた仏陀の悟りにも通じるところがあるかもしれない。聖パウロの「イエスの十字架上の死」に対する絶対的な信頼は、この「自らの内なる罪」への徹底したこだわり無しには到達し得ないものなのだろう。本来のキリスト教とは「罪の宗教」なのだ。》

 しかしこれとても、真摯にその意味を突き詰めより深い信仰の世界に入ろうとする人々にとっての教義であり、社会的、政治的、経済的に実体を持つ組織宗教としての本質的な姿とは言いがたい。ローマ法王庁が信仰者に「罪の宗教」を教えながら自らその教義を遵守してきたとは到底思えない。

 南欧カタルーニャの首都バルセロナに中世キリスト教美術が集められたカタルーニャ美術館がある。その最高傑作が、国連世界遺産にも指定されるピレネー山中ブイー渓谷にある簡素なロマネスク様式の教会サン・クリメン・ダ・タウイュ(Sant Climent de Taüll)の祭壇(アプス)の内壁を飾っていたキリスト像(12世紀前半)だろう(右の写真)。バルセロナに展示されているのが本物で、現在この教会のアプスの壁には模写が飾られている。

 大勢の聖人に囲まれ「神の言葉」を捧げ持って中央に鎮座するキリストの姿は到底「愛のキリスト」でも「救いのキリスト」でもありえない。その聖座は宇宙の中心であり、威厳に満ちたその視線は祈る人々に注がれるのではなく、キッと見開いた目が虚空の彼方を激しくそして冷然と見据えている。

 これは《全宇宙の支配者》としてのキリストの姿に他ならない。これほど見事にこの宗教の本質を表現した作品は他に無いだろう。それは「愛」でも「原罪と救い」でもなく『宇宙の支配原理』だったのである。

 この点はチンケな「万世一系のスメラミコト」の貧弱な哲学しか持たぬ我が日本民族には想像すら及ばぬ点であろうと思われる。権力が唯一絶対神と手を結んだ場合、それは必然的に「この世の全てを支配する」方向を持たざるを得ない。ここに「信仰者にとっての」ではなく「支配者にとってのキリスト教」という重大な側面を見落としてはなるまい。サン・クリメン・ダ・タウイュ教会が作られたのは、ローマ法王庁に神の権威を授かったキリスト教徒の王達と貴族達によるイベリア半島のレコンキスタ(再征服)が最も激しかった時代だったのだ。

 もう一つのことを強調しておかねばならない。イベリア半島で支配権を獲得しつつあるキリスト教国の王達の側には必ずと言ってよいほどユダヤ人の集団があった。ルネサンス以後のいわゆる「宮廷ユダヤ人」が登場する以前の話だが、より完璧な支配を目指す王達にとってキリスト教とユダヤ教は常に表裏一体、いわば「シャム双生児の姉妹」だったのである。前者からは聖なる教会を通して土地と人民の支配権を、後者からは商業と交易を通して富の支配権を受け取っていた。しかしイベリア半島再征服以後にユダヤ人を切り捨てることによってスペインは没落の運命を決定付けられ、諸王に唯一神の権威を授けてきたローマ法王庁は宗教改革に苦しむ時代に突入する。

 そして資本を操る者達が支配権を握る時代に再びローマはユダヤと「シャム双生児の姉妹」となった。「唯一絶対神」はキリスト教だけでもユダヤ教だけでも『宇宙の全面支配』を果すことはできない。支配原理を前にして、彼女らは一体のものとしてふるまわざるを得ないのだ。

[政治そのものである「左右の宗教」]

 現在、世界政府と統一宗教による『世界帝国』が我々の目の前で徐々にその姿を現しつつあるようだ。新約聖書に含まれる謎の書簡「ヨハネ黙示録」および「小黙示録」とも言われる福音書の一節(マタイ24章)は、その世界全面改造の『手引き書』の役を果しているのかもしれない。だからこそそれは予言ではなく「預言」と言われるのだろう。米国国務長官コンドリーサ・ライスが、2006年6月〜8月のイスラエルによるレバノン・ガザ攻撃に関してさりげなく口に出した「産みの苦しみ」は、実はこの「小黙示録」の一節なのだ。あの軍事目的とは無関係な無差別住民虐殺の果てに、一体何が「産まれる」と言いたいのか。

 ネオコンの「教祖」とされるレオ・シュトラウスに言われるまでも無く、またマルクスの言葉を借りるまでも無く、宗教は民衆支配に必要とされる阿片であろうし、同時に支配の方法論でもある。ここで宗教は大きく二つの異なる顔を見せることになる。いつの時代でも政治とはまさしく「まつりごと」でありどのような形であれ常に信仰・崇拝・神話・儀式と一体化しているのだ。

 私は第6部 で次のように申し上げた。

 《9・11「テロ」事件の少し後のことだが、ペンシルバニア選出の米国上院議員(共和党)でオプス・デイとも縁の深いリック・サントラムは、米国の雑誌「ナショナル・カトリック・レポーター」に次の奇妙な見解を語った。「私はジョージ・W.ブッシュ氏を『米国で始めてのカトリック大統領』だと見なしている。」

 もちろん実際には米国初のカトリック信徒の大統領はJ.F,ケネディなのだが、サントラムは、ケネディが個人的な信仰と政治的な責任との間に区別をつけたことを非難する。ケネディは、もしも大統領に選ばれたらカトリック教会の命令には従わない、と宣言したのだが、サントラムに言わせるとこれが『米国に非常な害悪をもたらした』のである。彼の頭の中には政教分離という用語は存在しない。政治的理念と宗教的信条が一致した「神権政治」がこの上院議員の理想であるようだ。》

 リック・サントラムはこの教団の「親しい友人」であり、2006年1月にシオニスト団体やプロテスタント原理主義団体の代表者と共に、オプス・デイ会員と疑われるサミュエル・A.アリートを最高裁判事として承認するようにG.W.ブッシュに迫った。その結果、現在、米国の司法権の最高機関がオプス・デイ周辺の勢力によって抑えられていることは前回お伝えしたとおりである。

 もちろんユダヤ・シオニズムは宗教ではないが常に擬似宗教的な姿をとる。「選民ユダヤ」と「ホロコースト」の強烈な神話に支えられ無条件に信奉する姿はむしろ宗教により近いものであろう。米国にはすでにカトリック、プロテスタントとシオニズムという異なる宗教・思想を串刺しにする『磁針』が置かれている、と見るべきである。

 同時にまた、次の点を注意深く認識しておかねばならない。現在の米国共和党政権がたとえ民主党に代わっても、その『磁針』はより巧みに幅広い階層を貫くべく強化されたものとなるだろう。

 2006年11月の米国中間選挙で両院の過半数を獲得した民主党だが、その実質的なリーダー格であり下院議長となったナンシー・ペロシは米国とイスラエルを結ぶ最も太いパイプの一つであると同時にイタリア系のローマ・カトリック信徒である。マイクロソフトやアマゾン、AT&Tに出資する大富豪である夫も同様であり、そしてその家系は複数のユダヤ系富豪と親族の縁を結んでいるのだ。

 また彼女は米国議会の諜報部会の幹部でもある。この諜報部会の副委員長は長年デイヴィッド・ロックフェラーの甥で上院議員のジェイ・ロックフェラー(民主党)が勤めている。当然のことながらこの男はペロシと共にブッシュを支えて米国をイラクとの戦争に突入させた極悪人どもの一人である。彼らの「イラクからの撤退」は選挙用の宣伝文句、単なる目くらまし以上のものではない。

 この民主党を選挙民レベルで支えているのはこれも《信仰》という面では宗教と大差の無いリベラル・左翼主義であり、同時に左派シオニズムである。冷戦中にあの悪名高いイエズス会が「解放の神学」派を作り左派としてオプス・デイを中心とする右派と戦った茶番劇があったが、すべては同じ文脈の上に乗っている。
《注記:イエズス会と「解放の神学」派についてはこちらの記事を参照のこと》

 南北アメリカ大陸で「オプス・デイはカトリック右派である」「保守派である」「復古主義者である」などといった迷妄を振りまいているのが主として左派・進歩派の人々であることに注目しなければならない。またその右派は、米国民主党とその支持者について「極左(?!)」「もし左翼が跳梁すれば我々の知っているアメリカはその存在をやめてしまう」などとおだて上げる。要するに右と左は共同して煙幕を張り巡らせているだけなのだ。当事者達が真剣なだけに滑稽さすら覚える。

 ユダヤ右派の巣窟AIPACとイスラエルの右派がリベラルのペロシなどと緊密に結び付いており、左翼知識人の代表格であるノーム・チョムスキーがイスラエル・ロビーの弁護に狂奔し、ウエッブ上で左翼オールタナティヴが911とイスラエルとの関係を頑固に否定し、右も左も神話として機能する「ホロコースト」を堅持しているのを見れば、その仕組みが手に取るように分かる。

 また米国大統領ブッシュを「悪魔」とまで罵倒するウゴ・チャベスのベネズエラだが、その社会主義政権の背後にはベネズエラの石油輸出業務で巨万の富を稼ぎ「ボリバル主義のブルジョアジー」と呼ばれるイタリア系の大資本家ウィルマー・ルパーティがおり、ベネズエラが運営する国際衛星放送テレ・スルにはイエズス会人脈が見て取れる。ウォール・ストリートがそれと対立しているのは、《対立》が必要だからであろう。

 さらに現在、プーチンによってロシアから追い出されたシオニスト・ユダヤ人大資本家たちによってどうやら「第2の冷戦」が画策されているようだ。その中では「911ロシア陰謀説」まで飛び出している。対立と紛争こそが多くの価値の創造主なのだ。彼らはこの点を知り抜いて謀略を巡らせる。

 そしてそれらの対立や野合には地球上の全人類をその標的とする支配への意思が貫かれているのである。

[「神権政治」の正体]

 既存の文脈に囚われない頭脳とデータ収集と注意深い観察が、『雲の上』から伸びてくる《左右の手》の動きを垣間見ることを可能にさせる。しかしこの『雲の上』に関しては多くの混乱がある。世の中にはフリーメーソンだのイルミナティだのイエズス会だのをそこに据える人たちがいる。中には「爬虫類人」や「異星人」まで登場させる素晴らしい空想力の持ち主もいるようだ。しかし私はこれらには与しない。実際はもっと単純なのではないか。要するに「王様は裸」なのだ。それに様々な《服装》をかぶせようとする人たちはきっと裸の姿を隠そうとする王様の側に立っているのだろう。

 オプス・デイの教義内容および宗教上の主張をレオ・シュトラウスの弟子どもの唱える哲学や政治思想と比較してみると、非常に興味深い共通点が発見できる。両者ともに、一つの同じ事柄に対して触れないように、細心の注意を払っているのだ。

 彼らは「教」を語りまた「政」を語る。しかし「財」に関しては常に真っ白な穴が開いているのだ。しかしその両者とも巨大な財源をバックにして活動していることは世界中の誰もが確認できよう。レオ・シュトラウスの弟子どもによると未来には「哲学者」が世界を治めることになるそうだが彼らに給料を払うのは一体誰か? オプス・デイの唱える「聖化される仕事」によって生み出されるものは何か?

 この点は統一教会など巨額の資金を動かす宗教団体に共通する。彼らの教義に唯一登場しないものが共通して『カネの出所と行く先』なのだ。シオニズムにしても同じことが言える。いやそれ以前に、公式の歴史家たちはナチス・ドイツに投資した《世界中の》資本家のリストを作ろうとしない。スターリン・ソ連にしても同様である。どうやらそれらに触れると困る事情でもあるようだ。そして、まるで「哲学やイデオロギー」「個人の意思と情熱」だけで国家が支えられ世界が動かされるかのような幻覚が、右から左までのあらゆる論調の中に蔓延している。

 もっと身近な点に触れよう。世界中の学校で使われている歴史教科書で、数々の戦争のために消費された費用と物資について書かれたものはあっても、そのカネを『出資して膨らませて受け取った者』について述べている教科書を誰か見たことがあるだろうか? 世界の国々で教科書の記述内容に関する議論は多いが、面白いことにこの点についてだけは誰一人として疑問の声を挙げようとしない。

 もう明らかだろう。非常に単純な話である。世界には何一つ「秘密」も無ければ「陰謀」も無いのだ。歴史と現代世界の記述には巨大な《空白》が丸見えである。そこに「神がいる」からなのだ。「神の名」は語ってはならず、「神の姿」は見てはならない。単にそれだけの話である。

 しかりしこうして、世界はもう随分と以前から立派に一つの宗教によって動かされているようだ。その神を『マモン(財神:もちろん超自然的な存在ではない)』と呼ぶ。まさに《神権政治》であろう。

 それは対立と紛争を要求し対立する双方に資本を注ぎ双方から利子付きで回収する。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返せ」。なるほど。そのカイザルたちが「神の使用人」であれば全てに筋道が通る。対立する者達はまさに「天に宝を積んでいる」のである。そしてこの『神』の下に、表と裏の種々の利権団体と謀略組織を通してありとあらゆる人間の悪徳が発揮されるのだ。

 この『神』は、伝統的カトリックが説く「父と子と聖霊の三位一体神」ならぬ『金力・暴力・情報力の三位一体神』 なのだ。その姿は20世紀の歴史の中から明確に見て取ることができよう。

 自由経済でカネとモノを作って動かし消費させて回収する、そしてそれを保証する権力構造が「公的」および「民間の」暴力装置によって維持され必要に応じて改変されるのだが、その大原則は『アメとムチ(利益誘導と脅迫)』『分割しそして支配せよ(謀略とコントロール)』である。

 しかしそのためには何よりも、その支配民に対してメディアや様々な宗教・文化機関、学者・知識人による情報操作と観念操作が極めて大規模にしかも効率よく行われる必要がある。その大原則は『知らしむるべからず、寄らしめよ(情報の隠蔽・捏造と神話化)』であり、これが彼らをして「雲の上」の存在たらしめるのである。その意味で、この機能こそがあの『聖なる三位一体』の中核を成すものだろう。

 現在この『財神』を奉じる少数派の者達が、全世界を恒久的に支配できるシステム作りとそのための世界改造の仕上げ段階にかかろうとしている。彼らの中には、古くから『財神』の神官であるユダヤ系巨大金融資本家群だけではなく、彼らとの縁も深く現在は資本家の一群と化している欧州の王族や貴族、各国の産業資本家とそれぞれの番頭役たち、血族化した政治家集団および軍エリート、法律と経済のテクノクラート、科学者と技術者の集団、巨大マフィア集団、巨大メディア産業と御用知識人たちがおり、そしてその上に、それらの全てに通じ最も効率の良い観念・心理操作マシンであると同時に無条件な集金マシンの役を受け持つ巨大宗教組織が加わる。

 その中でもバチカンは、「米国化」と「ユダヤ化」を経て、もう十分に『マモン崇拝システム』の中心として機能できるだけの変化を遂げてきた。その中枢に食い込んでいるのが「聖なるマフィア」オプス・デイである。それは基本的に在家集団でありその支持者は先ほど述べた全てのカテゴリーに偏在している。というより、最初から各支配者集団間のフィクサーとして作られ育てられてきた。創始者エスクリバー・デ・バラゲーの「道(El Camino)」は全てに通じる道である。このシリーズの第3部 でも申し上げたが、この組織はCIA、MI6、シン・ベトと対等に付き合えるバチカンの諜報機関でもあるのだ。ひょっとするとこの教団周辺に世界改造の「知的デザイナー」がいるのかもしれない。

[世界政府と世界統一宗教]

 2006年12月1日付のGlobal Research誌は、バチカンが政治アドバイザーとしてヘンリー・キッシンジャーを招いたことを報じた。もしキッシンジャーがこの招聘を受け入れるとすると、それは世界政府と世界統一宗教の建設が本格的に始まったことを意味するのかもしれない。
《注記:幸いにしてこの情報は杞憂に終わったが。》

 言うまでも無くキッシンジャーは1973年のチリ軍事クーデターを画策した中心人物である。そして誕生したピノチェット政権をオプス・デイの創始者エスクリバー・デ・バラゲーが直々に祝福した。さらに当時のCIA長官はカトリック教徒でオプス・デイとの関係を示唆されるウイリアム・コルビーだった。その後任がブッシュ(父)なのだが、彼の時代にそのチリで初めてのネオ・リベラル経済の実験が行われた。その後のレーガン=ブッシュ(父)政権時に、後にネオコンと言われるユダヤ人を中心とした勢力と共に、このバチカン勢力が米国を直接に操る力となっていった。それは「属人区オプス・デイ」を公認したユダヤ人教皇ヨハネ・パウロ2世の時代でもあった。

 キッシンジャーの背後に控えているのは言わずと知れたロックフェラー家であり、同じ脈絡をたどっていけばバチカン・ラットラインでナチ残党を米大陸に向かえその後に冷戦構造を固めたダレス兄弟に行き着く。逆に先の方にたどっていけば当然のことながらネオコンの姿が浮び上がるだろう。その中には06年12月に死去したジーン・カーパトリックのようにオプス・デイともつながりの深い人物の姿も見える。そして先ほどのGlobal Research誌記事の標題は『ネオコンがバチカンに?』である。

 巷には「ネオコンは姿を消した」などといった愚論がはびこるが、彼らの米国での役割が一段落しただけであり、各自それぞれの新しい持ち場に付いているだけだ。フランスではネオコンの一派と目されるニコラス・サルコジの政権誕生の色が濃く、ネオコン「建築家」の最も重要な一人であるマイケル・レディーンが着々と準備を進めてきたイランへの攻撃準備が様々なカモフラージュの下で進みつつある。IMFとともに第3世界の破壊とその米欧ユダヤ資本による経済支配の道具に他ならない世界銀行には、その最大の智将ポール・ウォルフォヴィッツがいる。彼らにはより広い舞台が与えられている。
《注記:その後、力の衰えた米国に代わってサルコジのフランス帝国が北アフリカ・中東での戦争策謀の中心になり、その作業は「左翼」のオランデに引き継がれている。またイラン攻撃の可能性は常に扉を開かれている。ただしウォルフォヴィッツは「スキャンダル」を起こされて失脚し別のネオコン・シオニストに取って代わられたが。》

 このドロドロの舞台装置がやがてクライマックスに向けて次第に整理されていくのだろう。しかし長い動乱の果てに現在の国連を母胎にした世界政府が実現したとしても、その治世は「永遠に安定した秩序」などとは程遠いものであるに違いない。そのようなものが決して安定して維持できないことくらい彼らは十分に知っている。2006年現在イラクで行われている「コントロールされるカオス」の実験は将来の世界の雛形であろう。常に発生する矛盾と対立が計画的に適切に制御されるときに、それが逆に全体の安定と形態維持にとって必要不可欠の要素へと変わるのだ。

 そしてだからこそ、マス・メディアによる情報操作と同時に、「人類共通の神話」たる世界統一宗教が必要とされるのである。しかしそれは「高い次元でお互いに同調しあうそれぞれの宗教」の形をとり、決して教義や作法を統一させた「一枚板」の宗教ではないだろう。ここを思い違いしてはなるまい。カトリックはその「ローマ支部」、仏教はその「アジア支部」、イスラム教はその「イスラム支部」、等々、となるのみであり、おそらく全体の安定と形態維持のために対立や矛盾の派生とそのコントロールに対して柔軟に対処できるものとなることだろう。

 『宇宙の支配原理』は決してスターリンやヒトラーのそれのように豪腕で全てを統一するような形で貫かれるのではあるまい。それは少数の支配集団を頂点とした《有機的なある種の生態学》であり、《絶えざるカオス的な変化をコントロールする独占的な技術体系》である。それが全地球規模で確立されるときに、恒久的に安定した「彼らのための地上天国」が誕生する。これが「新しい世界秩序」なのだ。永遠の天国とその下に横たわる永遠の地獄、これがヨハネ黙示録の結論であるし、同時に世界支配の「知的デザイン」の結論でもあるだろう。

[事実を見つめる人間の目]


 『マモン神』についてさきほど『金力・暴力・情報力の三位一体神』 と申し上げた。これを人間の心理的なあり方に置き換えるならば、仏教で教えるところの貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の『三毒』に他ならないが、その中で第3の愚痴とはつまり迷妄と虚構に従って行動し無明をさ迷う人間の姿である。これこそがあの『支配原理』を可能にする最大の要因である。

 それはいわゆる知能指数の数字とは無関係である。本来ならば何一つ難しいものは無いし誰でも目の前の事実を見ているのだが、それを無理やりに歪め忘れてでも虚構にすがりつく。人間がいかに事実をありのままに見ないものかは、911事件に対する世界の人々の態度で明白であろう。

 支配者となる者達はその点を十分に心得ている。だからこそ第三の『情報力』が『聖なる三位一体』の中心となるのだ。カモがいるからこそ詐欺師がいるのであり、決してその逆ではない。そして牧羊犬の一つの声で一斉に誘導される羊の群れのように、人々は欲や恐怖や幻想に駆り立てられて一つの方向に動き始める。そこでは幻覚が事実の代役を果す。したがって、逆に言えば、この幻覚の正体を明らかにすることこそが『支配原理』に対抗する唯一の手段であろう。

 このシリーズの第2部 で申し上げたことだが、私はスペインの現代史を調べながらある奇怪さに出くわした。フランコ独裁から社会主義者の政権への移行期に起こった諸事実である。これが「聖なるマフィア」を追及し始めたきっかけなのだが、素直に考えたら「おかしいではないか」と思えるいくつもの事実が歴史学者の手にかかると「何もおかしな点は無い」となるのである。いや、「おかしな」点は、「ともかくそれは起こったことなのだからそのまま疑問を挟む必要の無い事実なのだ」という論理に摩り替えられる。そして全く同様の論理が「ホロコースト」「9・11同時多発テロ」で使用される。これはもう詐欺以外の何物でもない。

 私は別にオプス・デイというカトリック教団に対して恩も恨みもあるわけではない。ただこの教団の足取りを追いかけることを通して、我々が「これが現代だ」と思い込まされてきたことに対する再検討を行ってみたいという希望があるのみである。支配者どものたくらみを封じるものがあるとすれば、それは、我々自身が幻覚を追い払い事実をありのままに知り賢く対処できるようになること以外にはあるまい。

 このシリーズはひとまずここで終了とするが、しかし、現代という時代に対する追及は様々な形で引き続き行っていくつもりだ。最後に、私のような無学・無力な者に『真相の深層』誌面という貴重な発言の場を提供していただいた木村愛二氏および関係各氏に深く感謝を捧げたい。(了)

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