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第4部:中南米政変を操る影    (2005年1月)

[ドルのカトリック化]

 「オプス・デイは、言ってみれば『ドルのカトリック化』だ。」アルゼンチンの元独裁者フアン・ペロンは生前このカトリック集団をこう形容した。

 20世紀後半のアルゼンチンには民政と軍事独裁が、政治的混乱と経済的行き詰まりをきっかけにして交互に訪れた。しかし政治体制に関わらず、一握りの富裕層だけが政治・司法の腐敗を通してますます肥え太っていく社会の基本構造だけは一貫している。さらにそこにカトリック勢力と米国の中南米政策が大きな影を投げかける。

 1945年から10年間にわたってこの国を支配したペロンはヒトラーとムッソリーニに心酔し、労働組合などの大衆運動を基盤にした国家社会主義の建設を目指した。そして英米資本を接収して鉄道やガスなどを国営企業とし、ドイツの技術を導入して国産のジェット戦闘機を開発、OASから脱退して冷戦に中立の姿勢を持つなど、米英にとっては厄介な存在だった。さらに教育法や離婚法などでカトリック教会の逆鱗に触れ53年にバチカンから破門される。政権後半に激増した反ペロンの動きには恐らくこの両者が深く関わるだろう。そして55年の軍事クーデターによりペロン政権は崩壊。(これには、バチカン・ラットラインとその後の秘密を知りすぎたペロンへの「口封じ」の意味もあったかもしれない。)

 その後、軍政と民政が複雑に入れ替わり、1963年に誕生したイリア政権は富裕層優遇、左翼弾圧の姿勢を貫きながらも米国系石油企業を接収するなど民族主義的な政策を進めた。そのイリアは66年のオンガニアによる軍事クーデターで追放されるが、この裏に米国が潜んでいることは容易に想像がつく。同時にオンガニアはオプス・デイの熱心な信奉者であった。1950年にアルゼンチンに進出していたこの教団はすでに資本家やカトリック教会、軍部の中で無視できないほどの勢力になっていたのだ。1970年にオンガニアが失脚し、73年には亡命先のスペインから帰国したペロンが大統領として復活するが1年で病死。

 ペロン復帰の1973年に隣国チリでピノチェット軍事政権が誕生し、75年にその首都サンチアゴでアルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ウルグアイ、ボリビア、チリの軍情報部のトップによる密議が行われ、「コンドル作戦」の異名を持つ情報調整・安全保障システム創設が行われた。ブエノスアイレスにはその情報センターと秘密収容所が置かれ、以後多くの左翼と愛国主義者たちの誘拐と移送、殺害が実行された。

 翌年76年にはビデラがクーデターを起こしアルゼンチンを再び軍政に変えた。彼の「汚い戦争」と呼ばれる徹底した左派弾圧で、2千3百名の暗殺、1万人の投獄、そして約3万人の「行方不明者」が出たと言われる。これらの一連の動きが米国の承認と指導の下で実施されたことは明白だろうし、カトリック教会や法制改革委員会を通してビデラ政権を支えたのは、もちろんオプス・デイである。

 国家テロによる左派弾圧と同時に、ビデラ政権はペソ切り下げ・緊縮財政を行い国内資産の多くが外国へと流れ、米国系国際企業の進出が進んだ。同政権の経済相マルチネスは同時にチェース・マンハッタン銀行の幹部でもあったのだ。76年から83年までの不況とインフレの中で、中産階級の30%が貧困階層へと転落したのである。

 その後1989年に誕生したメネム政権が推し進めたネオリベラル経済政策は、当初はアルフォンシン前政権の4千%を越えたともいわれる超インフレを抑えるのに役立った。しかしIMF・世界銀行による「構造調整」の結果、国営企業はことごとく米欧企業に売り渡され、ドルをベースにした固定相場制の中で米欧投資家が音頭を取る「キャッシュフロー信仰」に踊った結果、2001年の未曾有の経済危機によって破綻する。1976年に75億ドルだった対外債務が2001年には1423億ドルへと膨らみ、借金で利子を支払う自転車操業の中で、資金は国内の生産基盤の整備と最低生活の保障には回されず、この経済の実態が国民に明示されることはなかった。

 その中でハイレベルの汚職、大統領府の多額の使途不明金、政府職員と国会議員への超高額の給与支払い、資本家の恒常的な脱税、法システムの腐敗などなど、ありとあらゆる悪徳と不正が10年間にわたってこの国を支配したのだ。さらにメネムは軍政時代の人権蹂躪で逮捕されていたビデラ等の元独裁政権幹部に特赦を与えて釈放した。「自動的多数派」と呼ばれたメネム政権与党は、その党名「正義党」とは裏腹の「貧乏人から奪って金持ちに配る逆ロビン・フッド」でしかなかったのである。

 2001年の経済破綻の際に国内外の大資本は一方的に資金を逃避させ、25万ドル以上の高額預金者は自分の預金の47.4%まで引き出すことができたが、1万ドル未満の預金者は9%の引き出ししか許されなかった。11月だけでも約50億ドルが国内の銀行から消え、その後年末までに2百億ドルもの資産が「行方不明」となった。一方でアルゼンチン国民の、特に大多数を占める下層大衆の資産は破産寸前の国家によって差し押さえられ、その後のペソ切り下げによって掠め取られたのだ。

 オプス・デイが、内相ベリスや司法長官ボッジアノを尖兵としてこのメネム政権の内務・法務官僚、内閣官房、通信システムの中に浸透し、またネオ・リベラル経済の危険性を告発するカトリック内部の勢力を押さえつけて積極的にその政策を支えたと同時に、自ら国民の資産略奪に狂奔したことは言うまでもあるまい。一例として1997年のクレディト・プロビンシアル銀行破産事件を取り上げよう。銀行運営にあたるオプス・デイ関係者たちがこの銀行から2億ドルを持ち出していたのだ。その行く先は未だ不明だが、バチカンに流れたという噂もある。そしてこの事件で逮捕された者たちはいずれもろくに罪を問われていない。

 そして当のメネムは2001年にマフィア組織による武器密輸に関与した容疑で逮捕され、現在裁判中であるが、せいぜい微罪で即釈放だろう。

 オプス・デイは宗教と資本が結びついた「宗産複合体」とも言える集団である。そして米国の中南米政策には陰に陽にこの教団の姿が付きまとっているのだ。ドルのカトリック化…、ペロンの目は正しかった。

[ネオリベラル経済につきまとう「聖なるマフィア」]

 中南米諸国で最も早くこの新自由主義経済を受け入れたのはチリのピノチェットであった。1973年の彼のクーデターが米国の差し金であったことは今や衆知の事実であろう。すでに1970年のアジェンデ政権誕生の際に米国大統領ニクソンは、キッシンジャー国務長官、ヘルムズCIA長官らに対し、アジェンデ就任阻止のためあらゆる可能な行動をとるよう指示していたのだ。

 それ以前にも米国はチリの左派勢力の伸張を極端に警戒し、CIAを使って反共勢力育成のために様々な手段を講じていた。アルゼンチンと同年の1950年にチリに進出したオプス・デイは、このころには米国にとって最良のパートナーの一つに育っていたのだ。すでに62年には米国の保守的な資金源からの資金がオプス・デイに流れていたと言われ、フレイ政権(64〜70)による穏健な自由主義政策、農地開放政策にすら反対して地主たちを組織化し国家農業協会の設立に力を尽くした。この組織が、同じく彼らが関与する右翼組織「愛国と自由」と共に、アジェンデ政権を揺さぶる勢力となる。

 70年代初期にはオプス・デイ関係の僧侶がCIAからの5百万ドルをチリの反共組織に渡していたという情報もあるし、もちろんピノチェット政権の閣僚に複数のオプス・デイ関係者がいた。彼らはアルゼンチン同様に、資本家、政治家、軍部の中に十分浸透していたのだ。そしてクーデターの翌年1974年に、オプス・デイの創始者エスクリバー・デ・バラゲー自身がサンチアゴに出向いて、『魂の息子たち』であるピノチェット政権幹部を祝福したのである。

 もちろん米国は単に反共政策のためだけにこのような謀略を練ったわけではない。ニクソンは1971年に自ら金本位制を廃止してブレトンウッズ体制を終了させ、キッシンジャーを旗頭にして、中南米により効率の良い経済支配・収奪構造を築き上げる作業に着手していたのだ。

 ピノチェットはアルゼンチンのビデラと共に国家テロによる恐怖政治で有名だが、同時に、1977年には『民営化』と称して国営の鉱山を米国資本に売り渡し、為替を自由化してチリをIMF8条国に移行させた。その後四年間に年平均8%の経済成長を達成して「チリの奇跡」と自画自賛するにいたったが、それを導いたのは「新自由主義経済」論の急先鋒の一人であったシカゴ大学のアーノルド・ハーバーガーの理論であり、それを強力に推し進めたのはオプス・デイが組織する資本家集団であった。当然だがそれは、生産基盤の充実と国民生活の向上を目指すものではなかった。

 これがその後のチリ経済の破綻と腐敗の極端な進行につながったのは当然である。ピノチェットは国家元首引退後、1998年にスペインのガルソン判事によって独裁政権時のスペイン人殺害の罪で起訴され、また2004年には米国ブッシュ政権によってその不正蓄財を暴露され、さらにチリでは現在コンドル作戦での殺人の裁判が進行中である。無論これはこの経済政策の恥部を覆い隠すための儀式的な「トカゲの尻尾切り」に過ぎず、オプス・デイと米国支配層による演出は明白だろう。

 中南米諸国でオプス・デイと新自由主義経済に食い荒らされたのは以上の2国だけではない。1990年から10年間に渡ってペルーを治めたフジモリは、軍部の支持と同時に、教会内のオプス・デイと彼らが主導する企業、銀行、政治家の連合に支えられたと言われ、国営企業やマスコミ等の「民営化」を行うなどネオリベラル経済を推し進めた。国民の支持は高かったが、議会を停止し閣僚を頻繁に入れ替える独裁的手法、政権延命のために憲法を無視する強引な手段、反政府ゲリラであるトゥパック・アマル(MRTA)やセンデルルミノソへの過剰な弾圧のうえに、モンテシノスに代表される政治腐敗が命取りになり、日本への亡命を余儀なくされた。

 次に米国の後押しで大統領に選出されたトレドは、スタンフォード大で博士号を得て世界銀行などで働いた米国のエリートであり、あのハーバーガーの弟子でもある。したがってその政策は前政権以上にネオリベラルだが、日本の援助と好景気に沸く米国のおこぼれを頂戴できたフジモリとは異なり、国内生産基盤の疲弊は目を覆うような状態で、国民の支持率は10%を下回りその政治生命は風前の灯である。

 さて、この教団はフジモリ時代に重要な進展を見せた。ペルーのカトリック教会内部では伝統的にイエズス会の力が強かったのだが、オプス・デイはフジモリを抱きこんだ後に勢力地図逆転に成功したのである。その象徴的な出来事が1996年12月に発生したMRTAによる日本大使館占拠事件なのだ。

 この事件は、地下に掘ったトンネルから特殊部隊が大使館内に侵入し、ゲリラ戦士たちを全員射殺して解決したのだが、そのための時間を稼ぎまた大使館内部のMRTAをスパイするために派遣されたのがオプス・デイのシプリアニ司教であった。フジモリは、ペルー教会の筆頭でイエズス会の枢機卿であるサモラを差し置いて、田舎司教区の坊主をこの大役に指名したのだ。その後バチカンはシプリアニをリマの大司教、そして次の教皇の候補となりうる枢機卿に任命した。これがこの国に対するバチカンの返答である。「使い捨て」にされたフジモリの時代に、オプス・デイを通してどれほどの資金がローマに流れたかは分からないが、この事実がその規模を物語っているかもしれない。

[中南米の政変に漂うこのカトリック集団の影]

 2002年に起こったベネズエラ政変のシナリオを描いたのが米国ブッシュ政権、直接にはCIAであることは明白だが、当然の事ながら国内の富裕階層、カトリック教会(主にオプス・デイ)、ちょっとした金で簡単に動く左右のならず者たち、そして欧米の大マスコミが加わり、その総力をあげて実行したものである。

 この国もまたカルデラ(69〜74、94〜98)およびペレス(75〜77、89〜93)政権の間にネオリベラル経済を導入し、極端な不正・腐敗体質の元で国内資本家と欧米資本が下層大衆の資産を好き放題に食い散らした。なおこの元大統領カルデラはオプス・デイの重要な関係者である。

 貧困層の救済を掲げてチャベスが44歳で大統領に当選したのは1998年だったが、選挙前に資本家とカトリック教会保守層は彼を「ファシスト」と中傷し、また「私有財産が没収される」などのデマを流して、銀行預金が引き出される、食料がスーパーから消える、富裕層がフロリダへと資産を移転させる、ならず者たちを使って暴力事件を多発させるなどの社会不安を煽った。
《注記:そっくりそのままの事態が、2013年以後、故チャベスの後継者マドゥーロの政権を悩ましている。》

 また米国クリントン政権もチャベス当選直後からNED(民主主義のための国家基金)を通して、総額で約2百万ドルの資金を反チャベスの牙城の一つであるベネズエラ石油労組などに送り、最初からチャベスつぶしを狙っていた。そしてブッシュ政権の元、CIA長官テネットが2001年に作成した「世界攻撃マトリックス」の一部としてクーデターが実行された。この点はキッシンジャーがCIAを使ってアジェンデ政権つぶしに奔走した70年代の動きの、ほとんどそのままの繰り返しである。

 さらにベネズエラのマスコミの多くが「反チャベス側」に買収された。明らかに「反チャベス側(恐らくCIAに支援された)」からのデモ隊への発砲を「チャベス側」からのものであると偽って報道し、世界の主要な主要マスコミも一斉にこれに同調してチャベスを「極悪非道の独裁者」に仕立て上げたのだ。

 臨時大統領となったカルモナはオプス・デイの支持者で、前大統領カルデラとは家族ぐるみの付き合いであり、またそのスタッフにはスペイン前首相アスナールの友人イトゥルベを筆頭としてこの教団の関係者が多く顔を見せている。さらに彼らを積極的に支援したカトリック教会はオプス・デイの影響を極めて強く受けている。

 クーデターは下層大衆の迅速な反応と「新政権」内部の不一致によって、数日であえなく失敗に終わったが、彼らは引き続き政権転覆の陰謀をめぐらせているだろう。2004年11月に起こったアンデルソン判事暗殺はその前兆かもしれない。この暗殺の計画が練られたのは、オプス・デイ、FBI、CIAやマフィア組織などの溜まり場で、ブッシュ弟が政権を握るフロリダだったのだ。

 オプス・デイは1980年代にも米国レーガン政権(副大統領は元CIA長官のブッシュ父)と手を組み、ニカラグアやエルサルバドルなどの中米諸国で数々の政治謀略に携わっていた。彼らは各地域の反共戦士たちの組織化に寄与し、下層大衆の救済を掲げるカトリック教会内の「解放の神学」勢力を圧殺していったのである。

 中南米の社会では、日本人には想像もつかないほど教会の影響力が大きい。その教会が反米姿勢を強めると大変なことなのだ。カトリック教会の支持はいずれの勢力にとっても「錦の御旗」であり、民衆は理屈抜きでそれに従う。それも自分たち下層民に有利なことであれば、もはや歯止めが利かなくなるだろう。

 オプス・デイの強い影響下にあるヨハネ・パウロ2世は1982年にニカラグアを訪問したのだが、民衆の前で「解放の神学」を悪罵し、「無神論者」である反米左派勢力のサンジニスタを打倒することが教会の使命であると強調した。中南米各国で頻発した「解放の神学」を唱えるイエズス会神父たちの殺害事件は、オプス・デイに組織された地方軍人、つまり地域のならず者たちによる。その最も悲劇的な例が1989年にエルサルバドルで起こったカトリック大学襲撃、学長エジャクリアなどの殺害事件だろう。

 そして現在、サリナスの新自由主義経済政策が破綻した後にメキシコ大統領となった保守系政治家フォックスは、メキシコ革命以来の伝統であった「政教分離」を放棄し、カトリック教会と連携しこれを擁護する政策を推し進めている。この教会保守派の中心がオプス・デイとその姉妹教団キリストの軍団、およびそれらのシンパであることに説明の要はあるまい。

[ネオリベラル経済に挑戦する米国の異端児]

 ネオリベラル経済は、一言で言えば「金で縛りつけて国を乗っ取り、永久に国際資本の餌食であり続けるように作り変える」政策と言えるだろう。ブレトゥンウッヅ体制が崩壊して本来ならお役御免のIMFが、世界銀行と共に「構造調整プログラム」を強制する道具として利用され、金融自由化、公共事業の民営化(実際には米欧資本への売却)、高金利政策、緊縮財政などを押し付けて発展途上国の国民経済を破滅させ、恒久的に米欧資本に隷属させる、究極的な帝国主義支配体制である。

 その進行に歯止めがかからなくなったのはもちろん冷戦終結後の80年代末期から90年代にかけてなのだが、70年代から80年代に頻発した中南米の政変は、親ソ勢力の「ドミノ」を食い止めるという政治的側面を持っていたと同時に、米国によるこの新自由主義経済政策の実験的導入でもあっただろう。そしてその完成形とも言えるものが2005年にその活動を本格的にさせるFTAA(米州自由貿易地域)なのだ。このFTAAの現在の議長役は、長年キッシンジャーとともに新自由主義政策の実施にあたってきたL.R.エイナウディである。

 ところで米国という国は広い。元マルクス主義者、元トロツキスト、8回も大統領選候補として出馬して1度も選ばれず、逮捕・実刑の経歴を持ち、経済学者を自称する政治活動家、そしてこの新自由主義経済政策に敢然と立ち向かい続けてきた、という変わり者がいる。リンドン・ラルーシュJr.という男である。

 彼の思想を詳しく紹介する余裕は無いが、手短に言えば、英国資本とウォール街を「諸悪の根源」とみなし、各国家の主権と独立性そして国民経済の確保を根本的に重視して、そのうえで国際的な協調を図る機関を置く、というものである。「キッシンジャーの天敵」と呼ばれることもあり、80歳を超す現在も妻のヘルガと共に精力的に活動している。自ら経営する学校を欧州と南米各国に持ち、彼の支持者は「ラルーシュ運動」と呼ばれる動きにまとまり、米国主流派の経済政策と対抗する別の流れを形作ろうとしているようである。実際彼は事あるごとにキッシンジャー、エイナウディなどを非難し、IMFと世界銀行の役割に警戒を呼びかけ、中南米やアジアの各国がそのワナにはまらないように忠告を繰り返している。

 その「反ユダヤ的傾向」によりユダヤ人団体などからは忌み嫌われているが、彼に対する攻撃は少々常軌を逸している。ファシスト呼ばわりはもちろん、86年のスゥエーデン元首相パルメ暗殺犯のキャンペーンを張られたり(これは後に無関係が明らかになる)、詐欺などで告発されて有罪判決を受け(ラルーシュはでっち上げを主張)、70歳間近になって5年間の刑務所暮らしを送る羽目になった。

 特にパルメ暗殺犯のデマを広めたのは悪名高きADLである。この謎に満ちた暗殺は、イラン・コントラ事件の秘密をパルメに明らかにされることを恐れた米国とイスラエル、ソ連と東ドイツの協力による謀略である疑いがある。そしてADLがラルーシュに濡れ衣を着せようとたくらんだ裏に、日ごろからその経済政策を非難されて彼に憎悪を抱いていたキッシンジャーなどの米国ユダヤ勢力がいたことは容易に想像がつく。彼らはラルーシュがレーガン政権内部に入り込んで影響力を及ぼそうとするのを、全力をあげて妨害していたのである。

 それにしてもここまでのデタラメな手を使ってその口を封じようとするところを見ると、逆に、ラルーシュが彼らの政策が持つ本質的な危険性をよほど鋭く見抜き、しかもその運動が見過ごすことのできない社会勢力になりつつあったことが窺える。いつの世でも悪いやつほど真実を恐れるものだ。

 ところで、この四半世紀に経済破綻を繰り返させられた中南米の国々では、近年さすがにこのネオリベラル経済に対する警戒感が強まったためか、チャベスのベネズエラはもちろん、ブラジル、チリ、ウルグアイなどで、米国と一歩距離を置く政権が誕生してきている。経済の首根っこを米欧国際資本に抑えられた状態は変わらないにしても、以前のような好き放題な動きは困難になりつつあるだろう。この傾向と中南米におけるラルーシュ運動との関係は明確ではないが、彼の提唱と同様の、各国の経済的自立と国家の主権を回復しようと志す層が着実に増えていることは事実だといえよう。

 ところが中南米の左翼の間ではラルーシュの評判はすこぶる悪い。彼に対する非難に共通するのは「ファシスト」「アンチセミティスト」といった米国内で右派ユダヤ勢力が使う表現である。それに加えて「ムーニィズ(統一教会)と結託する極右主義者」、果ては「ローマ教皇暗殺をたくらんだベネズエラの危険なカルト集団に関与する極右テロリスト」など、先ほどの「パルメ暗殺犯キャンペーン」を髣髴とさせるレベルのデマが、中南米の左派系の情報誌に踊っている。

 これは恐らく、米国内でその「右手」を使ってラルーシュ運動つぶしを行ってきた勢力が、中南米ではその「左手」を動員して彼の思想の浸透を食い止めようとしているものと思われる。ラルーシュは、麻薬を資金源とする統一教会が米国のクリスチャン・シオニストの先導役になっていることを、正しく指摘・警告しているのだ。

 ただこのラルーシュに関してどうしても解らないことがある。それは彼が南北アメリカ大陸でのオプス・デイの存在を全く考慮していない点だ。彼は、バチカン・ラットラインとそれ以降に拡大された欧州・米国・中南米を結ぶ「国際ファシズム連合(彼はSynarchist -controlled networksと呼んでいる)」の危険性を指摘し、2003年には、ある意味で3・11の予言ともいえる「もう一つの9・11」を警告しているのだが、不思議なことに彼の認識の中にオプス・デイは存在しないかのように見える。全く関心を持たず知識も無いのか、重要性を感じずに言及しても無意味として無視しているだけか、それとも知って意図的に伏せているのか。この点については今のところ私には全く理解できない。

[再び『ドルのカトリック化』:第4部まとめと次回予告]

 最後に、「オプス・デイは『ドルのカトリック化』だ」というペロンの言葉がやはり気になる。単に新自由主義経済に踊ってゼニ集めに狂奔するだけなら『カトリックのドル化』と言うべきだろう。これは単なる言葉の遊びかもしれないが、しかしこの米欧国際資本の気違いじみた略奪経済システムを利用して、着実にバチカン、欧州、南北アメリカ大陸での地位を固めてきたこのカルト集団の目的が、単なるゼニもうけだけとは思えないのだ。そのイデオローグたちは、オプス・デイの目的は「カトリック十字軍の再興」を通した「世界的な規模でのカトリックの再生」にある、と言う。

 この言葉だけなら単なる狂信者の夢想でしかないが、しかし、例えばEC(欧州共同体)構想に初めから彼らが関わっていた、となると、笑ってはいられないだろう。次回は「欧米社会の新たな神聖同盟」と題して、欧州各国と米国の中枢部に食らい込み闇のネットワークを広げるオプス・デイの姿をご紹介していきたい。
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