(聖なるマフィア オプス・デイ 目次に戻る    (アーカイブ目次に戻る)

第1部:「もう一つの現代史」を彩るカトリック集団   (2004年4月)

 オプス・デイは、ヨーロッパや南北アメリカでは「聖なるマフィア」「バチカンのCIA」とも言われるカトリック系集団である。このシリーズでは12回に分けてこの集団の素顔と歴史、その背景を追っていく予定にしている。しかし日本ではオプス・デイの存在すらほとんど知られていないし、ご存知の方でもわずかの情報しか持っておられない場合が多いだろう。詳しい説明は次回以降に行うこととして、まず最初に、世界の数多くの書籍、新聞、インターネット情報などで広く知られている彼らの経歴と特徴を、おおざっぱにでも知っておいていただきたい。
《注記:オプス・デイは映画「ダビンチコード」に出てくる同名の架空集団とは全く異なるのでご注意を!》

 オプス・デイ(ラテン語で「神の御技」の意味)はローマ・カトリックに所属する一団体で、正式には「属人区聖十字オプス・デイ」である。ローマに本部を置き、世界中で数々のNGOや慈善団体活動、学校経営などを行っており、書籍やインターネットなどを通じた宣伝活動も積極的に行っている。しかしその開かれた姿の反面、内部での秘密主義は強くその内容の多くが謎に包まれている。

 結成は1928年、マドリッドにおいて、創始者はスペイン人ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲー(1902〜1975)である。その後スペイン内戦を経て誕生したフランコ軍事独裁政府の中でその宗教・教育界におけるファシズム賛美者として成長した。そして1950年代以降はそこから多数の政治・経済のテクノクラートを輩出したが、彼らは欧米の大資本と結びついて60年代の「スペインの奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現し、スペインの政・官・財・軍の各界を支えた。その一方でスペイン国民に対しては保守的カトリックを強制して秩序の維持に努めるなど、1975年まで続くフランコ独裁体制の文字通り大黒柱であった。またイラク戦争で英米を最も熱心に支持したスペインのアスナール政権の閣僚には大勢のオプス・デイ関係者がいた。
《注記:オプス・デイの創始者の姓はエスクリバー・デ・バラゲルと書かれることが多いが、この「バラゲル」はカタルーニャにある地名バラゲーから来ており、私はここでは「エスクリバー・デ・バラゲー」と書くようにする。》

 オプス・デイは1950年前後から南北アメリカに進出し始め、中南米の政財界人、軍人、教会関係者の間に浸透し、70年台以降は中南米各国で米国CIAと手を携えて反米左翼政権を崩壊に追いやる主要な力の一つとなった。例えばチリでは1973年のピノシェットのクーデターを支援してその軍事独裁政権を支えた。また80年代のニカラグアやエルサルバドルなどでも親米軍事政権の誕生に寄与し、左派に協力する「解放の神学」カトリック僧の弾圧・殺害にも関与した。そして半独裁と言っても過言ではないペルーのフジモリ政権(1990〜2001)、アルゼンチンのメネム政権(1989〜1999)の誕生・維持にもこの集団が深く関わった。さらに2002年のベネズエラのクーデター未遂の実行者の一つでもあり、現在(2004年4月)再びCIAと呼吸を合わせて、ベネズエラだけではなくキューバのカストロ政権転覆のチャンスを虎視眈々とうかがっている。

 一方、バチカンには第二次大戦後すぐに浸透し始め、60年代の第二公会議以後に急速に勢力を伸ばし、教皇ヨハネ・パウロ2世の後ろ盾となってその膨大な資金と情報を動かす地位に就いた。もちろん1982年のいわゆる「P2−アンブロシアーノ銀行疑獄とバチカン銀行危機」にも深くからむ。そして2002年には創始者のエスクリバーを、カトリック内部のかなりの反対を押し切って、その死後わずか27年という異例の早さで聖人に仕立て上げるほどに、バチカン中枢部を牛耳っている。

 現在この集団は、ヨーロッパと中南米の政財界・言論界を陰から動かす巨大な力の一つとして認知されている。自身の発表によれば現在世界におよそ8万4千名の会員がいるが、大多数が世俗会員で、千数百名ほどの僧侶の他に集団生活を行う独身者集団がある。また世俗会員のほとんどが政治家や実業家など社会的地位の高いインテリ・富裕階層に属する。他に、思想・信条・宗教を問わない協力者あるいはシンパと呼ばれる者たちが、世界各国の王族、大富豪、企業家、マスコミ、政治家、軍人、諜報機関などに幅広く存在すると言われ、実質的にこの集団の活動に加わりそれを支えている。したがって、人数的にはさほど大きくは見えない集団だが、その社会的影響力は想像以上に大きい。

 日本との関係で言えば、2001年以来日本に隠れ住んでいるペルーのフジモリはオプス・デイの重要な関係者の一人で、また彼をかくまっている曽野綾子日本財団会長にしてもカトリック教徒でありこの団体と無縁とはいえまい。オプス・デイはCIAやマフィア組織とも浅からぬ関係を噂されており、フィリピンはその重要な活動拠点の一つであるし、東京にその経済的な拠点の一つが存在すると言われる。日本財団とのリンクがあるとすれば日本の政界とも無関係ではありえない。

 ついでにもう一つ、近頃その残酷シーンやユダヤ人との関係でさまざまに物議をかもし話題になっているメル・ギブソンの映画「キリストのパッション」の製作には、初めからオプス・デイ関係者が深くからんでいる。

 外観はざっとこんなところであろう。「こんなとんでもない集団が本当にあるのか」といぶかしく思われる方もおありだろうし、その名前をご存知の方でも「これほど多くの面を持っているのか」と驚かれるだろう。あるいは「何だ、また例の陰謀論か」と顔をしかめられる向きもあるかもしれない。何せ日本では今までまともに調査・研究の対象にならず、日本語の資料もほとんど無い状態である。しかし、ぜひ一度、Google等のインターネット検索で「Opus Dei」を調べていただきたい。外国語で書かれた収拾のつかないくらい多くの情報を前に、きっと仰天されることだろう。

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 その批判者からは、前述のような経歴から必然的に「超保守的カトリック」「カトリック極右翼」「教皇の右腕」「危険なカルト集団」などなどの非難の言葉が浴びせられるのだが、しかしこの集団は、決してそのような紋切り型の批判でとらえられる生易しい存在ではない。実は先ほど述べたようなことは彼らが関与してきた現代史の表向きの一面に過ぎないのだ。その誕生と成長過程の周辺にはいまだ明らかにされていない「もう一つの現代史」ともいうべき世界が存在している。

 現在、戦争とテロの恐怖で世界を震撼させるプロテスタント系原理主義者やユダヤ教シオニスト、およびそれに呼応するかのようなイスラム原理主義者たちの派手な活動ばかりが世間の耳目を集めがちだが、その陰で、ゆっくりとしかし着実に、もう一つの勢力、カトリック系集団が、闇の中にその顔を伏せたまま体を持ち上げつつあるのだ。

 ただその姿を見極めるためにはいくつかの点に留意しておく必要があるだろう。「すでに見えているもの」を根本的に疑い、その整合性の破れている個所や繕った跡を鋭く見抜いていく作業の中からのみ、ひょっとしてそこにある「いまだ見えていないもの」の姿が浮かび上がってくるだろうからである。

 まず、左翼主義的・進歩主義的な視点は排除されなければならない、と考える。

 オプス・デイに批判的な人々には「左翼的」あるいは「進歩的」な立場の人々が多い。これは、彼らがスペインや中南米で行ってきたことや現在欧米で中絶・避妊を頑固に否定していることなどからして当然と言える。必然的に非難の言葉として「極右」「反動」「超保守」などの修飾語が登場してくる。しかしこのような立場からの見方はこの集団の姿を見誤らせることになるだろう。例えば、1970年代のバチカン第二公会議でそれまでの独善的・閉鎖的・超俗的だったカトリックを近代化する大改革が行われたのだが、オプス・デイは自らをその「改革の先駆者」と位置付けており、カトリック守旧派から憎まれているのだ。

 また、1975年のフランコ死後のスペインは、共産党を含めた左翼政党や労働組合活動が合法化され、独裁時代の保守派政治家たちは力を奪われ、民主国家として生まれ変わったわけだが、しかしこの「新生スペイン」を誕生させたのは、実はフランコ政権を支えてきたオプス・デイ自身である。ただし、このことはスペインではタブーになっており、「右」も「左」も決して触れようとはせず、必然的に日本の「スペイン研究者」たちも取り上げないわけだが。この点は第2部で詳しくご説明するとしよう。

 このカルト集団は右・左や進歩・保守を超越した底知れなさを持っている。そもそも「左翼こそが正しい」「進歩こそが正しい」といった視点そのものが、現代の世界に関する誤った結論に導くのではないか。彼らにとっては「右」も「左」もその手の内にあるのだ。

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 次に、ナショナリズムに気を取られてオプス・デイのような超国家的な集団の姿を見誤ってはならないと思う。

 そもそも、ヨーロッパ史と近代世界史はいくつかの「超国家的な集団」によって作られてきた側面を持っている。例えば近代以前に西ヨーロッパを支配したのはローマ教会と王族である。ローマ教会は言わずとしれた超国家的集団であり、内部抗争も激しくまた16世紀以降は反抗者たちに勢力を削がれはしたが、その代わり世界中に信仰と利権の網を張り巡らせた。王族にしても、教科書歴史的には個別の国を支配し抗争を繰り返したわけだが、一方で政略結婚の連続によってヨーロッパ全土にわたる「血のネットワーク=高貴な遺伝子プール」を形作っていた。例えばスペインは、「独立した植民帝国」としての歴史と同時に、ハブスブルグやブルボンといった欧州中央の王家集団の「欧州内植民地=他世界侵略の手先」としての、二つの面を持っていたわけだが、国境線に囚われるナショナリズムの観点からではこの二面性は見えてこない。

 また、後のフリーメーソンの原型となる建築家集団、後の科学者集団の原型となる錬金術師集団、芸術家集団などは、やはりヨーロッパ全体を生きる場として国境を越えて移動し連絡を取り合っていたし、さらに近代社会を切り開いた科学者や哲学者たちはラテン語という共通言語で結ばれた超国家的な集団と言ってもいいだろう。

 近代以降はローマ教会と王族の支配は一定程度まで後退するが、ロスチャイルドやロックフェラーに代表される巨大資本のネットがそれらをも包んで世界中にしっかりとかぶさり、同様に国境を持たない共産主義(現在は消えているが)と共に歴史の主役になった。他にマフィアなどの犯罪集団もあるし、近年ではCIAなどの諜報機関も超国家的になってきたようだ。現在、こういった複数の超国家的な集団が水面下で複雑に絡み合いながら現代史を推し進めつつあるように思える。

 同時にまたナショナリズムの立場から「ある超国家的な集団が我が国を転覆しようと狙っておりその中心がユダヤ人である」と解く、いわゆる「陰謀論」の筋書きは、このような欧州の歴史の中から必然的に出てきたといえる。もちろん近代以降では、始めから国を持たないユダヤ人の存在は重要ではあるが、しかしそれは、超国家的な集団に注目し言及する者を「陰謀論者=ネオナチ」として排斥し現代史の重要部分を隠蔽するために、ある種の煙幕として利用されている面が強いのではないか。

 私はナショナリズムとは無縁であり、そのような「被害妄想的陰謀史観」の立場は取らない。しかしオプス・デイが20世紀前半という新しい時期に創立され、わずか60年足らずのうちにローマ教会内と欧州・南北米で大きな力を持つ超国家的集団にまで成長した陰には、何らかの巨大な勢力の、未だ明らかにされていない関与があったことは間違いあるまい。したがってオプス・デイの調査・研究は、同時にその奥にある現代史の隠された部分に迫っていくことにつながる重要な作業だと思う。

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 最後に、人間の内面から出てくる力と方向性が、現実を動かし支配する側面を持つことを、無視してはならない、と思う。

 左翼的、進歩主義的なものの見方からすると、宗教は「体制補完物」、被支配者に擬似的な救済を与えて支配体制を補完する「麻薬」に過ぎない。確かにこの観点からでは、常に宗教は「保守的」「反動的」「右翼的」であり、また早晩滅びるべき迷妄に過ぎない。

 ところがオプス・デイは始めから社会的エリート・知識人・支配階層の集団なのだ。彼らが政治的な変化に絡む場合は決まって「上からのクーデター」の様相を呈する。この点はそういった宗教観からでは全く相手にできない性質のものである。

 また現実主義的な観点からは人間の持つ「内面の働き」などはほとんど無視されるだろう。人間の内面は、外面、つまり現実的な物事の量や動きなどの一種の関数とみなされ、世界を調べ分析する際には実数値として評価可能な変数のみが取り上げられる。したがって容易に明確な形をとらず非論理的な性格の強い人間の内面は、現在の言論界ではほぼ相手にされないだろう。宗教など、この観点からはせいぜい組織形態や資金の流れなどの合理的に把握しやすいものだけが問題とされ、人間の内面にあるものが外を動かしていくメカニズムなどは関心の対象にはなりにくい。そればかりか、人間の意志的な面を強調する見方は「陰謀論」として退けられる傾向すらあるようだ。

 しかし世の中は良くも悪くも人間が作るものである。現実が人間を理想へと導くと同時に理想が現実を動かし、現実が人間を狂気へと駆り立てるのと同時に狂気が現実を推し進めていく、という面もまた正当に取り扱われるべきだ、と私は思う。人間が利害関係だけで動く、つまり人間の内面が外部にあるものの単なる関数である、とする考え方こそが、近代の支配的な超国家的集団がばら撒いた迷妄、現代の人間のために用意された「知的なワナ」の一面を持っている、と思う。

 私は幸か不幸か社会的エリートになったことがないので想像する他はないが、この世の支配的な階層こそ、圧倒的な現実の圧力に拮抗しさらにそれを作り変えていくほどの内面の力を維持するために、宗教(あるいはそれに類する精神的支柱)を必要とするのではないか。その中心が神であろうが、悪魔であろうが、鰯の頭であろうが…。研ぎ澄まされた観察力、冷徹な計算や一貫した合理精神と同時に、自らの行動を「神聖なるもの」とする狂信的なまでの目的意識が無ければ、決して自らを維持できないだろう。

 人間の内面から出て来る力と方向性を軽く見た場合、オプス・デイのような宗教集団のあり方と機能を見誤るばかりか、それに対抗する手段を見出すことも不可能になるだろうと思う。この点もまた、現代史を考える際に見過ごされてきた重要な側面ではなかったのだろうか。

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 上記の三つの視点にしたがってオプス・デイの素顔を暴いていく作業は、同時に、我々が「これが現代史だ」と思っている世界の姿の裏にある「もう一つの現代史」を明らかにし、「なぜ我々が今ここにいるのか」という根源的な問いに対する解答を探ることにつながる作業だ、と私は確信する。

 次回は「スペイン現代史の不整合面」と題して、主にスペインを舞台にして、1928年のオプス・デイ結成からフランコ独裁政権内部での働き、バチカンと中南米への進出、フランコ時代の終焉・新生スペインの誕生などの1970年代までの動きの中に、思いがけず口を開いている現代世界史の深淵についてご説明しよう。
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