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ジョナサン・コールのビデオ(日本語字幕付き)

詳細の悪魔


 このジョナサン・コールのビデオは「実験」を収めたものではない。近代科学誕生までの過程を振り返り、科学がどれほど政治的・宗教的なドグマ(教条)を掲げる人々によって敵視されてきたのか、を説明する。そして現在再び、ガリレオの時代と同じように、政治的ドグマを掲げる人々による科学に対する攻撃が激しく続いていることへの警告を発している。
     https://www.youtube.com/watch?v=cmNH7irvXzY
    The Devil's in the Details by Jonathan Cole - Japanese

 ビデオ字幕でこの表題が手短に「詳細の悪魔」となっているが、原題の正確な訳は「詳細の中に悪魔がいる」である。この「詳細」とは、実験・観察を通して事実を具体的に正確に測定することと、それによって得られる具体的で精密なデータを意味する。したがって「詳細」は必然的に事実の客観的で正確な描写を導く。このことは近代の自然科学の立脚点であり、事実性・具体性を捨象しその「詳細」を打ち棄てるなら、それはもう科学ではなく単なるドグマと化した似非科学に他ならない。

 ガリレオは当時の最も優れた手段を用いて太陽系を正確に観測し、その「詳細」を明らかにすることによって、1000年間以上「真実だ」と信じられ続けたアリストテレスとプトレマイオスの天動説をきっぱりと否定するとともに、地動説をうち立てていった。そして現在、9・11事件の中心的な現場だったWTCビル群の崩壊について、物的証拠にも等しい価値を持つ多くの映像記録から数多くの「詳細」が明らかにされ、それが、権威と権力を持つ人々によって「真実だ」と一般に信じさせられている説明を、きっぱりと否定している。

 しかし、政治的・宗教的なドグマ(及びドグマと化した似非科学)は疑うことを決して許さない。科学は「疑う自由」があって初めて存在できる。したがって科学は往々にして、権威と権力を持つ人々、ドグマを掲げる人々によって、悪魔化され敵視される。このビデオの中でカール・セーガンが語るように、「もし我々が、懐疑的な問いを発することや、何かが真実だと語る者に問いただすことや、権威者たちに疑い深くなることができないのなら、政治的・宗教的ペテン師の手中に陥ります。それは轟音を立ててやってくるのです。」

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 ここで、直接には9・11事件とは無関係だが、矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)博士による論述をご紹介したい。これはウエッブサイト「ちきゅう座」様で拝見したもので、ご投稿になったのはパレスチナ連帯札幌の松元保昭氏である。
    
http://chikyuza.net/archives/47494
    ICRP体系を科学の原理から徹底批判:矢ヶ崎克馬「長崎原爆体験者訴訟」追加意見書
   (この追加意見書の全文は
http://yagasaki.i48.jp/doc/ICRP-criticism-20140910.pdf

 詳しくは上記のサイトにお進みいただきたいが、松元氏がお書きになった前文の一部をほとんどそのままお借りして、この訴訟と背景を簡単にご説明しておきたい。

 長崎被曝体験者訴訟とは、爆心地から半径12キロ以内の被爆未指定地域で長崎原爆に遭い、被曝者と認められてこなかった「被曝体験者」が国や県、長崎市を相手に被曝者健康手帳の交付など国家損害賠償を求めている集団訴訟である。被告側(国、 県、市)は、「放射線起因のがんが増えるのは被ばく線量が100ミリシーベルトを超える場合で、…爆心地から12キロの被爆未指定地域でそれほど高線量の内部被ばくをすることはあり得ない。…確認された被ばく線量では住民への健康影響はない。」と主張している。

 これは、 3・11後の福島原発の被ばく被害に対する国、企業、行政側の姿勢とまったく同様なのだが、その根拠とされているのがICRP(国際放射線防御委員会)による放射線被害評価体系(ICRP体系)である。矢ケ崎博士はこのICRP体系を「偽科学」「疑似科学体系」「反科学」と極めて厳しく批判している。

 松元氏がおっしゃる通り、「論証を積み重ねる科学論文の「抜粋紹介」はルール違反」なのだろう。かといって79ページに渡る意見書の全てをこの場でご紹介することはできない。ここでは矢ケ崎名誉教授の意見書本文から、『第1章 ICRP体系と科学:1 ICRP体系の誤り』のごく一部分だけをご紹介させていただくことにする。

     ===================
矢ヶ崎克馬「長崎原爆体験者訴訟追加意見書」

【前略】

第1章 ICRP体系と科学

1 ICRP体系の誤り

 科学の荒廃,教条化は具体性の捨象に始まる。総論として,矢ヶ崎は,科学するという行為は真理の発見とそこに至るプロセスとしての研究であると考える。放射線の人体影響は自然科学の一分野に属する。ICRPが累々と築き上げた放射能の人体影響,被曝被害の体系は自然科学の原則に反している。
【中略】
 真理(客観的認識)は,反論可能性を保証するものでなければならない。研究の自由,研究に対するあらゆる弾圧の廃絶,秘密・機密の解除,データと研究方法の解放などである。真理性が信仰や政治的・経済的権威・権力に支配されるものであってはならない。
 他の仮説・反論との試練,客観的対象への適用により,真理性は保証される。
 ICRPが累々と築き上げた人間に対する放射線被害評価体系(ICRP体系)は論ずればきりがない誤りがある。そのなかで本意見書の焦点を誤りの集合のなかで基本的誤りであると認められる点,即ち具体性の捨象,放射線の照射と吸収の混同,放射線物理作用解明の回避に発する反明晰判明性に絞って叙述する

(1)具体性の捨象は科学を教条に導く

 自然科学の対象は,客観的に存在する物質である。科学が対象とする物質に関わる事実と実態は,科学の不可欠な基盤である。自然科学の対象は物質存在の総体について具体的な事実と実態(以下,具体性)を把握し,それをいかに正確に認識と理論に反映させるかを課題とする。存在を論ずるのに,事実と実態をもってするのである。具体的に対象を把握するプロセスなしには,科学の方法は成立しない。

【中略】

 ICRPは具体的で正確な事実,即ち確実な認識を回避し,それを飛び越えるのに数々の手段を使っている。これによって,リスク(危険)の根源が何であり,何処にあるのか,リスクの現れ方を不明晰にしている。具体的事実の全体像,即ち具体性を解明しないで済ますという方法に都合が良いように,被曝の実態をブラックボックスに閉じ込めた。それによって出力としての被害の事実を恣意的に選択し,都合よい数式計算で科学的,数学的に粉飾できるようにしたのである。そのために放射線の影響を癌と白血病とごく少数の疾病に限定した。チェルノブイリその他で,被曝被害の事実をICRP理論に当てはまるかどうかの都合に合わせて切り捨てた。それには,なにより邪魔になる照射線概念の排除を必要とした。刺激と反応の混同,曖昧化,放射線被害の具体性の捨象によって,その上部構造として公認の教理体系と権威体制を築いた。そもそもが電離放射線の作用をブラックボックスに閉じ込めたのは核兵器国,原発国,核企業,それにICRPが加わった一体機構の反人道的路線を支えるために必要な手段であった。ICRPは発電企業に都合の良い基準を,本来命を守ることを意味する防護基準のなかに,それも核心部にすべりこませた。これを人道上の反倫理体制と呼ばずになんと表現しようか。核分裂利用による発電を社会的に受容させる目的の下に,不可避な犠牲の甘受・受忍を市民に体制的に強制する反人道的な「科学」=偽科学を構築推進しているのである

 正当化の論理は,放射線被曝を伴う行為はそれによって「総体でプラスの利益を生むものであればよし」に依拠し,『最適化』は被曝を経済的および社会的な要因を考慮に入れながら合理的に達成できるかぎり低く保てばよい:as low as reasonably achievable ALARA 思想としたのである。ALARA思想は日本国憲法第25条「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」や13条「すべての国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」と根本的に明白に相容れない。

 ICRPは自然科学上の基本法則,外力と反応との区別を消滅させるのに,混然化,具体性捨象を行った。そのことによって核利用の危険を隠ぺいし,核先進国家及び核依存企業の核利益を最優先し,反人道,反科学に徹して,学術研究団体の良識を捨ててなりふりかまわない奉仕機関に堕した。被告の法廷での活動はこのICRPの疑似科学体系に全面依存することによって,成り立たせようとしている

【後略】
     ===================

 私はこの意見書に目を通して、その方々で「ICRP」を「NIST(米国国立標準技術院)」に置き換えてみたい衝動に駆られた。私のサイト「
911エヴィデンス」の中でも散々に取り上げてきたように、また「いま我々が生きる 虚構と神話の現代で述べたように、9・11事件の公式の説明はNISTの疑似科学体系に全面依拠することによって、成り立たされているのだ。(9・11事件の公式の説明については「崩壊する《唯-筋書き主義》:911委員会報告書の虚構」を参照のこと。

 そして世界は、カール・セーガンが警告したように「政治的・宗教的ペテン師の手中に」陥った。「それは轟音を立てて」やってきた。この点は「WTCツインタワー上層階の落下が示す真実」の中にある「
(6)虚構が現実に化けるとき」、「(9)事実が非現実とされるとき」で具体的に説明されている。

 私は昨年、木村朗先生と前田朗先生がご編纂になった「21世紀のグローバル・ファシズム」(耕文社)の中で、拙文「虚構に追い立てられる現代欧米社会」をご採用いただいた。そこでは、9・11事件およびマドリッド列車爆破テロ事件(3・11事件)、ロンドン地下鉄・バス爆破テロ事件(7.7事件)とそれらへの対応ぶりから話を進め、虚構の中で全体主義化していく西側世界の様子と、それに気づくことすら拒絶する多数派の人々の姿を明らかにしたのだが、その中で私は次のように述べた。

 『光秀のいた一六世紀の現実と今日のそれとの間にある違いの一つとして、その間に欧米で発達した科学思想の存在を挙げる人がいるかもしれません。しかし実際には先に述べたテロ事件への対応に現れたとおり、すでにその具体性・客観性・実証性を基盤とする思想は見失われ、政治目的に忠実な技術体系だけが残されているようです。

 先ほどの矢ケ崎博士は、原子爆弾による放射線被害の研究とその被害を覆い隠そうとする勢力との闘いを通して、ほぼ同様の結論をお持ちのようである。もちろん、身の回りのことと現代世界のごく一部しか知らない私などよりも、はるかに広く深い体験とご認識を通してのことであるが。

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 話をジョナサン・コールのビデオの方に戻してみたい。

 「詳細」つまり事実を具体的に正確に観測することと、それによって得られる具体的で精密なデータは、しばしば、時の権威者・権力者のドグマに否定的な結論を導くことがある。その場合、「詳細」は権威者・権力者たちの利益と立場を破滅に追いやる悪魔の巣窟であり、彼らは専門家たちに「詳細」に触れることを許さない。そして「詳細」に近づこうとする者を、かつては「異端者」、今は「陰謀論者」と罵倒し、タブー化して多くの人々の目から「詳細」を遠ざけるように図る。

 近代科学は本来、このような権力者・権威者とそのドグマとの闘いの中から形作られてきた。「詳細」に悪魔を見出す、つまり、具体性・客観性・実証性を目の敵にして遠ざける勢力との闘いを忘れた科学は、似非科学、偽科学、非科学へと堕落する以外にはあるまい。コールはビデオの中で次のように指摘する。

 『もしあなたがある事柄の詳細を理解できないなら、権威者たちとそのメディアによって説明される公式の話に騙されてしまうでしょう。彼らの観点からでは、人々を戸惑うがままに、詳細を隠されたままにすることが決定的に重要です。それらの詳細が彼らのドグマにとって悪魔だからです。

 そう。9・11だけではない。フクシマについて東京電力と日本国政府が詳しいデータを集めようとしない、公表しようとしない理由は、「人々を戸惑うがままに、詳細を隠されたままにすることが決定的に重要」だからである。いや、もっと進んで言うなら、人々が戸惑うことすらしなくなり自ら進んでドグマに従うことが、最高に重要なのだ。

 締めくくりとして、このビデオの最後にコールが採り上げたアドルフ・ヒトラーの言葉を掲げておこう。
 『民衆が何も考えないという事は、政府にとってなんと幸運な事だろうか。


2014年10月14日 バルセロナにて 童子丸開

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